2014-12-31

冬コミが終わった。夏コミの準備をしよう。

転機はプリパラが終わった時だったように思う。

生きがいがなくなった。

自分は何のために頑張ってきたのかという疑問が、頭から離れなくなった。

思い返せば、プリパラが楽しかったこと、冬コミに参加したこと、そして冬コミに参加したことだけが走馬灯のように浮かんでは消えゆく。

茫然自失のまま、僕は新年度を迎えた。

毎年のように、新入社員部署に配属される。

下ろしたてのスーツにまだ値札が付いていそうなフレッシャーズが、屈託のない瞳で笑う。

(僕もあんな風に笑えていた……)

当てこすり、だったのだろう。

勤務中に社用PC辞表を書き、会社印刷から出力し、昼食時に上長へ提出した。

ちょうど課員全員でランチを食べている時である。憔悴しきっていたのだ。TPOマナーもあったものではない。

焼きそばを食べていた上司は箸を置いたが、食事の場で慰留するわけにもいかず、口元に青のりをつけたまま終始唖然としていた。

夕礼後、退職事由を聞かれた時は「夏コミに参加したいから」と答えた。「プリパラが終わったから」より前向きな回答だと思ったのだ。

仕事を、辞めた。

膨大な可処分時間に窒息させられることはなかった。

同人誌の絵を描き、新人賞投稿するラノベを書き、アニメをチェックする。

昼は瞬速で後方へ飛び去り、日付が変わる頃に意識がなくなり、ニチアサが始まる時間に目覚める。

変化のない、循環的な時間に飽くことはなかった。社畜時代も、やることは違えど会社と自宅を往復して毎日をすり潰していたのだ。

悔いがないと言えば嘘になる。

しかしもし、プリパラ最終回があった朝にタイムリープしても、僕は仕事を辞していただろう。

仕方のないことだった。

自分が気づかぬうちに頭のブレーカーがいくつも落ち、他にどうすることもできなかった。必然だったのだ。

今はひたすらサブカルに耽溺している。

同人で食べていけるとは思っていない。ラノベもせいぜい一次選考通過が関の山だろう。

しか不思議と、路頭に迷う自分イメージされない。『ぼんやりとした不安』もない。

人間人間たらしめているのは文化である。余剰だ。無駄と言い切っても良い。

僕は今、確かに生きている。それだけで幸福だ。

夏コミ最大の頒布物はフーテンに成り下がった僕自身になるだろう。

人生を対価にして仕上げた一品である

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん