日本人は議論というと国会討論のようなものを目指すのかもしれないし、またディベートについても誤解があるように思う。
意見を言ったらそれに対する反論にさらに反論せねばならないという重荷を感ずることもなく、
また誰かに承認されたいという欲求もなく、ただ自分の経験を語る、というパターンが多い。
確かにたった一人が延々やっていればうざい。
けれど、10人がそれぞれ経験した出来事を 100ー300 words で語るとその場の空気というのは少し変化を見せてくる。
そもそも「いいね!」が誕生したのだって、この手の議論の進め方が多いからでしょ。
日本のネット上での喧嘩にいちいち「いいね!」なんてしないでしょ。
議論の途中で色々な人が色々な意見を言うからそういうインターフェースになるのが必然なんで。
この国には言論による喧嘩を好む人が多いし、PV乞食が多いから、炎上すれば内容はどうでも良いや、という雰囲気を感じる。
それに対して閉塞感を感じている人が多いような空気も感じているけれども。
臓器移植の話題なんかがFacebookであったりすると、 ポジティブな意見の人は確かに「それは善」みたいに書くし、逆にネガティブな人は 「俺はしないって決めてるから」っていきなり...
「自分語り」なんて一番ダメな議論のパターンだと思い込んでいたが、そうでもないのか?「かみ合ってない」の代表例みたいなもんだと思っていたが。
日本人は議論というと国会討論のようなものを目指すのかもしれないし、またディベートについても誤解があるように思う。 日本ではない別の国のネット上のやり取りを見ていると、 意...