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はてなキーワード: 必然とは

2014-11-16

子供を育てる自分に酔う事は許されないから少子化になる

http://blog.plutan.org/entry/2014/11/15/152021

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.plutan.org/entry/2014/11/15/152021

はてなじゃ仕事している自分に酔う人は大勢いる、と言うかそれがごく普通とされているし

別にはてなでなくてもそれが普遍的価値観だと思うけども

それは許されて子育てしている自分に酔う人は許されないのは

仕事には酔うだけの価値があるけど育児には酔うだけの価値がないと思ってるからだよね。

このエントリを書いてる当人育児中の専業主婦という辺りも、

自分が主に担っている事=育児には価値がないから他人から評価されなくて当たり前、

そんな価値が無い事に『酔っている』人はイタい」と言う価値観内面化し過ぎ。

本気で他人評価なんてどうでもいいと考えているマイペース人ならまだしも、

育児が主な話題ブログを飽きもせず長期間書いて他人の反応を欲してる時点で、それなりの承認要求を持ってるんだろうに。

少子化の主原因って、こういう所だよなあ。

育児には何の価値もないし、それをしている人は何の価値もないんだから承認要求なんて持ってはいけないし、持っている事を自分で認めてもいけないという。

ならいっそ育児なんてしなくていいんじゃね?になるのは必然

子供を持っていても働きたがる女が多いのも、育児だけしてたら承認要求持て余す人でも

仕事さえしていればいくらでも承認要求だだ漏れに出来るからだよね。

働くママ自分に酔ってる女なんて石投げたら当たるくらいいるけど、イタいなんて言われないし

しろ子供がいること」すら承認要求ネタに出来るしね。

子供を持たない理由統計なんかで、男だと「金がない」が上位なのに対し

女だと「仕事育児を両立出来る環境がない」が上位に来るってのはそういうこと。

男はそれを「金がなくて共働きしないといけないから」だと解釈して「女が専業主婦になれるように男の給料を上げろ」とか言いたがるけど

それじゃ承認要求が満たされないのが分かってる女が仕事育児の両立を求めるんだよ。

2014-11-10

http://nomolk.hatenablog.com/entry/2014/11/09/213000

これ、子供が元々保育園行ってたから簡単に解決してるけど

奥さん専業主婦だったら即アウトだよなー

保育園激戦区なら緊急保育でもまともな所にはまず入れないだろうし

休職か祖父母(いれば)丸投げか金があったらシッター常時雇うかしかないよなー

緊急保育入れる地域だとしても突然母親と引き離されて朝から晩まで知らない施設行きという時点で子供大パニック必然

こんなのんびり出来るわけないし

2014-10-29

僕の彼女世界一可愛い

昨日は人生で初めての出張だった。

沖縄だ。

日帰りだ。

僕は東京在住なので、必然、朝は早い。

ベッドでむにゃむにゃ見送ってくれた彼女のために、朝ごはんを用意した。

最近、巷で話題のおにぎらずだ。

那覇空港に着いた。

iPhone機内モードを解除する。

彼女からLineメッセージが届いている。

きっと、朝ごはん感想だろうな。

Lineを開いた。

案の定、朝ごはん感想だった。

でも、少しだけ、予想とは違った。

彼女緑色の吹き出しの中で言った。

「おにぎらない美味かった〜!」

僕の彼女世界一可愛い

2014-10-26

何となしに思う「ネット終わったな」を自分なりに紐解く

いきなりの予防線申し訳無いがこれはネット自体大した用途に使っていない糞厨房が垂れ流した文章であり

またその下流として普段はほぼ触れてないここを選んだのも

長文が叩かれないダストシュート、という条件に引っ掛かる印象が頭のどこかにあったからってだけなので御理解頂ければ嬉しい

勿論ここでいう「ネット」は社会を支えるインフラであるそれというより

今でいうSNSをはじめとする「ネットを使った情報コミュニケーション」ということになる

それでも残念ながら自分がその全体像歴史について知っているとは言い難いので、

単純に「終わった」が出てくるシチュエーションを挙げよう

色々考えてるとこの2つに纏まった

(1)ノイズサイト

(2)半匿名SNS内のドロドロ

まず

(1)のノイズサイト群について書く

ネットでは既存媒体にはない真実を見れる」

今ならこの文句を九割九部否定できるだろう

検索結果に出てくる単純なコピー,ブックマークサイトについてはここでは言及しない。そんなのに汚されっぱなしのGoogleが悪い。

ではソース元にちょっと手を加えて掲載し、莫大なアクセスを稼ぐあのサイトは?

ネットで拾った不確定な情報を垂れ流すあんなサイトは?

評論家気取りが自覚のない内輪で騒ぐああいサイトは?

読み手を煽ってアクセスを稼ぐあれらのサイトは?

SNS,ブックマーク,大人気アプリ、どこでだってそれらを目にする

今やウェブは彼らのものといって差し支えない

今更一次ソースがどうこう言うつもりもない。だが現状はあまりにも受けとる人間の多さや報酬に対して

圧倒的に責任が欠如しているのではないか

しかネットが何か、ネットに望む特質を思うと

不特定多数意見」「遠くの物に楽に手が届く」…

ネットを振り返っても責任がまさしく現実のそれとして通った事例は明確な法律違反以外で存在しただろうか?

これら「巨大な無責任」の台頭はネット必然であり、

これらからの逃避はネットに向かうに当たって大きな矛盾として立ちはだかることになると思ってる

まぁそんな感じっす

始めは皆の意見が見えるように思えたネットでのやりとりも、利点が肥大化と一緒に大きな短所になって

結局まともに情報として受け取れるもの

メールの延長上的な(Facebookな)内輪の使い方や

既存媒体の別ver(○○電子版)ぐらいにしか今後ならないんじゃないか って話をしたかった

全く紐解けず校正も全くしないまま書く気が失せてごめんなさい。

ありふれた話題ですがもしよければ誰か体力のある方この話題翻訳,拡大してもっとちゃんとしたかんじになおしてしてくれるとうれしいです

2014-10-24

5人の差は大きいと書いた高校教諭増田です

http://anond.hatelabo.jp/20141023160653

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653

増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメTwitter での言及も。

せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。

自分で読み返して

数々のコメントの内容の前に。

HR(ホームルーム)での違いについて

そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分担任経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。

自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署仕事をしており、次年度の分掌として学級担任希望しているという次第。

また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である不安も大きいが自身教員としての力量形成キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。

で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。

学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。

中学校について

これも高校範囲しか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である

例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である中学校は、公立校には基本的地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。

柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供幼児教育初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHDLD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間教育格差が生まれるのは必然である

そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。

そんな中で、高校教員自分が言うのもなんだが小中学校教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任ほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引き通報が入ったりする。

まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。

ブクマTwitter 等でのコメントについて

思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます

大変な5人の隔離について

コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。

まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。

以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。

120人クラスにして、正担任1人、副担任2人の3人チーム案

単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。

特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。

30人が35人になっても同じ理屈でぜんぜん違うとか言い出すんだろ甘えんな

甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。

その他人数について

自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力関係形成能力客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10前後部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用集団に属するのが良いと思う。

生身の教師が直接授業する意味ってあるの?

http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html

記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。

通信もあるし教員免許のない塾講師にも指導はできるし学校意味はあるのか

通信制高校全日高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。

まず通信制全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。

あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導カウンセリング自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。

教育効果管理能力は違う

目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である

教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校高校生活を送り卒業することを希望したと判断教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。

単に、分からない授業を受けるのは退屈なだけなのでは?

突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強学習けが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることな教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。

人数が少ないほど良い?!

人数については前述したので割愛。この記事への返答は終わり。

ここに書かれた状況は教員仕事なのか?

そうだと思ってやっています。教科指導生活指導進路指導、全て教員仕事です。

レベル低い高校に赴任する教諭は、指導能力が乏しいか

結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。

まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通学校だけでなく、工農商の実業高校定時制単位制高校進学校など様々な環境学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。

ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員わがままを言う。都心部通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。

またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。

エビデンスは?

個人の感想です

そういう趣旨記事じゃないです。

義務教育じゃないんだから放置

教育困難校は本当に、高校生はいえその時その時の刹那的感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。

高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験因数分解三角比問題を解くことが就職につながる。

そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分判断学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。

感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。

そうなると学校経営破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校存在する。

最後

繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。

皆様の生活があり自分仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます

2014-10-07

違いの分かる男シリーズ その1 

自然 シゼン   そのまんまのこと。

本然 ホンゼン  人の手が加わっていないこと。もともとの姿であること。ほんねん。

未然 ミゼン   まだ起こってないこと。

已然 イゼン   既に起こってしまったこと。またそのさま。

果然 カゼン   結果が予期どおりであるさま。

必然 ヒツゼン  必ずそうなること。それよりほかになりようのないこと。また、そのさま。

当然 トウゼン  そうなるのがあたりまえであること、道理にかなっていること。また、そのさま。

蓋然 ガイゼン  たぶんそうであろうと考えられること。ある程度確実であること。

偶然 グウゼン  何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま

同然 ドウゼン  同じであること。また、そのさま

宛然 エンゼン  そっくりそのままであるさま

靡然 ビゼン   なびき従うさま。特に,多くの者が同じ傾向をもったり,同じ行動をとったりするさま。

純然 ジュンゼン まじりけのないさま。

粋然 スイゼン  まじりけのないさま

渾然 コンゼン  すべてがとけ合って区別がないさま。 性質が円満で欠点のないさま。

糅然 ジュウゼン 種々のものがまじっているさま。

雑然 ザツゼン  雑多に入りまじっているさま。

全然 ゼンゼン  余すところのないさま。まったくそであるさま。

判然 ハンゼン  はっきりとわかること。

確然 カクゼン  たしかで、はっきりしたさま。

朗然 ロウゼン  明るくはっきりとしているさま

亮然 リョウゼン 明らかなさま。はっきりしているさま。

昭然 ショウゼン 明らかなさま

画然 カクゼン  区別がはっきりとしているさま。

截然 セツゼン  事柄が、他との対比において曖昧(あいまい)なところがなく、はっきりとしているさま

歴然 レキゼン  まぎれもなくはっきりしているさま。

的然 テキゼン  はっきりとしたさま。明白なさま。

現然 ゲンゼン  はっきりとしているさま。あらわ。

瞭然 リョウゼン はっきりしていて疑いのないさま。明白であるさま

顕然 ケンゼン  はっきりと現れるさま。明らかなさま

隠然 インゼン  表面ではわからないが、陰で強い力を持っているさま

燦然 リンゼン  きらきらと光り輝くさま。また、はっきりしているさま。鮮やかなさま

爛然 ランゼン  あざやかに光り輝くさま

燦然 サンゼン  鮮やかに輝くさま。明らかなさま

楚然 ソゼン   あざやかに見えるさま。

灼然 シャクゼン 輝くさま。 あきらかなさま。明確なさま。

赫然 カクゼン  かがやくさま

皎然 コウゼン  明るく輝くさま。白く光るさま。

耿然 コウゼン  明るく光るさま

炯然 ケイゼン  光り輝くさま。明るいさま

煥然 カンゼン  光り輝くさま

炳然 ヘイゼン  光り輝いているさま。また、明らかなさま。

俄然 ガゼン   にわかなさま 突然ある状態が生じるさま

倏然 シュクゼン にわかなさま。急なさま

突然 トツゼン  予期しないことが急に起こるさま。だしぬけであるさま。突如

驀然 バクゼン  まっしぐらに進むさま。また,にわかに起こるさま。

遽然 キョゼン  急なさま。あわてるさま。

忽然 コツゼン  物事の出現・消失が急なさま。忽如(こつじょ)。こつねん

卒然 ソツゼン  事が急に起こるさま。だしぬけ。

驟然 シュウゼン 雨などが急にふるさま

依然 イゼン   もとのままであるさま。前のとおりであるさま

公然 コウゼン  世間一般に知れ渡っているさま。また、他人に隠さずおおっぴらにするさま

油然 ユウゼン  盛んにわき起こるさま。また、心に浮かぶさま。

湧然 ユウゼン  水や声・感情などが盛んにわき起こるさま。

鬱然 ウツゼン  草木こんもりと茂っているさま。 物事の勢いよく盛んなさま。

森然 シンゼン  樹木こんもり茂っているさま。並び立つさま。きびしくおごそかなさま。するどいさま。

旺然 オウゼン  物事の盛んなさま。

凛然 リンゼン  寒さの厳しいさま りりしく勇ましいさま

凄然 セイゼン  非常にもの寂しい感じがするさま。 寒いさま

蕭然 ショウゼン もの寂しいさま

沈然 チンゼン  静かなさま。落ち着いたさま。

闃然 ゲキゼン  ひっそりとして静かなさま。人気がなくさびしいさま。

寂然 セキゼン  ひっそりとして静かなさま。寂しいさま。

粛然 シュクゼン なんの物音も聞こえず静かなさま。また、静かで行儀正しいさま。

端然 タンゼン  きちんと整っているさま。礼儀にかなっているさま。たんねん。

整然 セイゼン  秩序正しく整っているさま。

秩然 チツゼン  物事が秩序正しくあるさま。

昂然 コウゼン  意気の盛んなさま。自信に満ちて誇らしげなさま

断然 ダンゼン  態度のきっぱりとしているさま。また、最後まで押しきって物事をやり遂げるさま

決然 ケツゼン  固く心をきめたさま。きっぱりと思い切ったさま。

敢然 カンゼン  困難や危険を伴うことは覚悟のうえで、思い切って行うさま。

欣然 キンゼン  よろこんで物事をするさま

蹶然 ケツゼン  勢いよく立ち上がるさま。跳ね起きるさま。また、勢いよく行動を起こすさま。

奮然 フンゼン  ふるい立つさま。勇気・気力などをふるい起こすさま。

慨然 ガイゼン  憤り嘆くさま。憂い嘆くさま。 心をふるい立たせるさま。

泰然 タイゼン  落ち着いていて物事に驚かないさま。

毅然 キゼン   意志が強くしっかりしていて、物事に動じないさま

凝然 ギョウゼン じっと動かずにいるさま。

居然 キョゼン  じっとしているさま。座って動かないさま。 することがなく退屈なさま。つれづれ。

飄然 ヒョウゼン 世事を気にせずのんきなさま ふらりとやって来たり去ったりするさま

超然 チョウゼン 世俗に関与しないさま。

洒然 シャゼン  さっぱりして物事にこだわらぬさま。

平然 ヘイゼン  何事もなかったように落ち着きはらっているさま。

冷然 レイゼン  少しも心を動かさずひややかな態度でいるさま。

恬然 テンゼン  物事にこだわらず落ち着いているさま

悠然 ユウゼン  物事に動ぜず、ゆったりと落ち着いているさま

浩然 コウゼン  心などが広くゆったりとしているさま。

藹然 アイゼン  気分などが穏やかでやわらいださま

優然 ユウゼン  落ち着いてゆとりのあるさま。

綽然 シャクゼン ゆったりとして余裕のあるさま

晏然 アンゼン  安らかで落ち着いているさま

淡然 タンゼン  あっさりしているさま。また、静かなさま

厳然 ゲンゼン  おごそかで近寄り難いさま。動かし難いさま

塊然 カイゼン  孤立しているさま。また、不動であるさま。

孑然 ケツゼン  孤立しているさま

介然 カイゼン  気持ちが堅固であるさま。断固としているさま。 孤立したさま。孤独なさま。気にかけるさま。

煢然 ケイゼン  孤独なさま。たよりないさま。

怡然 イゼン   喜び、楽しむさま

歓然 カンゼン  喜ぶさま。

赧然 タンゼン  恥じ入って赤面するさま

徒然 トゼン   何もすることがなく、手持ちぶさたなこと。また、そのさま。つれづれ。無聊

喟然 イゼン   ため息をつくさま。嘆息するさま。

索然 サクゼン  おもしろみのなくなるさま。興味のうせるさま。

愕然 ガクゼン  非常に驚くさま

瞿然 クゼン   驚いて見るさま。驚いて顔色を変えるさま。

唖然 アゼン   思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま。あっけにとられるさま。

呆然 ボウゼン  あっけにとられているさま。

爽然 ソウゼン  心身のさわやかなさま。爽快なさま。 がっかりするさま。ぼんやりするさま。

蹴然 シュクゼン おそれ慎むさま。

慄然 リツゼン  恐れおののくさま

恟然 キョウゼン 恐れさわぐさま。恟恟

慴然 ショウゼン 恐れおののくさま

竦然 ショウゼン 恐れて立ちすくむさま

憫然 ビンゼン  あわれむべきさま。

愁然 シュウゼン うれいにしずんでいるさま

暗然 アンゼン  悲しみ、絶望などで心がふさぐさま。気落ちするさま

悵然 チョウゼン 悲しみ嘆くさま。がっかりしてうちひしがれるさま。

戚然 セキゼン  憂え悲しむさま。

悄然 ショウゼン 元気がなく、うちしおれているさま。しょんぼり

憮然 ブゼン   失望・落胆してどうすることもできないでいるさま

潸然 サンゼン  涙を流して泣くさま。

汪然 オウゼン  水が深く広いさま。涙が盛んに流れるさま。

色然 ショクゼン 驚きや怒りで顔色を変えるさま。

勃然 ボツゼン  突然におこり立つさま。急に激しくおき現れるさま。怒りの表情を表すさま。むっとするさま。

怫然 フツゼン  怒りが顔に出るさま。むっとするさま

憤然 フンゼン  激しく怒るさま

傲然 ゴウゼン  おごり高ぶって尊大振る舞うさま。

頑然 ガンゼン  強情で頑固なさま。

豪然 ゴウゼン  力強いさま。また、尊大なさま

間然 カンゼン  欠点をついてあれこれと批判非難すること。

靦然 テンゼン  恥じる顔つきのないさま。

融然 ユウゼン  気分のやわらぐさま。

頽然 タイゼン  物のくずれるさま。酔いつぶれるさま。

醺然 クンゼン  酒に酔って気持ちのよいさま。

陶然 トウゼン  酒に酔ってよい気持ちになるさま。

輾然 テンゼン  大いに笑うさま。

哄然 コウゼン  声をあげてどっと笑うさま。

莞然 カンゼン  にっこり笑うさま。

艶然 エンゼン  にっこりほほえむさま。美人が笑うさまについていう

婉然 エンゼン  しとやかで美しいさま

恍然 コウゼン  心を奪われてうっとりするさま

颯然 サツゼン  風がさっと吹くさま。また、風を切るさま

翻然 ホンゼン  ひるがえるさま。また、ひるがえすさま

漫然 マンゼン  とりとめのないさま。ぼんやりとして心にとめないさま。

漠然 バクゼン  ぼんやりとして、はっきりしないさま。広くてはてしのないさま

茫然 ボウゼン  つかみどころのないさま。 呆然に同じ

曠然 コウゼン  広々としたさま

廓然 カクゼン  心が広くわだかまりのないさま。

豁然 カツゼン  視野が大きく開けるさま。 心の迷いや疑いが消えるさま。

釈然 シャクゼン 疑いや迷いが解けてすっきりするさま。

渙然 カンゼン  解けるさま

戛然 カツゼン  堅い物が触れ合って音を発するさま

跫然 キョウゼン 足音のするさま

鏗然 コウゼン  金属・石などがあたって、かん高い音のあるさま。

鏘然 ショウゼン 玉・鈴などの鳴るさま。 水がさらさらと流れるさま。

鏘然 ソウゼン  玉や金属が打ち合って澄んだ音を発するさま。

錚然 ソウゼン  金属が打ち合ったり楽器が鳴ったりして音を出すさま。

兀然 コツゼン  山などが高くつき出ているさま。ごつぜん。 じっとしているさま。動かないさま

隆然 リュウゼン  高く隆起しているさま。 強くもりあがるさま。

嶄然 ザンゼン  一段高くぬきんでているさま。ひときわ目立つさま

卓然 タクゼン  高くぬきんでているさま。

挺然 テイゼン  ぬきんでているさま

脱然 ダツゼン  超脱しているさま

屹然 キツゼン  山などが高くそびえ立つさま。 孤高を保ち周囲に屈しないさま。

巍然 ギゼン   山などが高くそびえたっているさま。また、ぬきんでて偉大なさま。

猛然 モウゼン  勢いの激しいさま

殷然 インゼン  勢いが盛んなさま。音がとどろきわたるさま。

沛然 ハイゼン  雨が盛んに降るさま。盛大なさま。

悍然 カンゼン  あらあらしくたけだけしいさま

喧然 ケンゼン  やかましいさま。そうぞうしいさま

囂然 ゴウゼン  人の声などが騒がしいさま

騒然 ソウゼン  ざわざわとさわがしいさま

轟然 ゴウゼン  大きな音がとどろき響くさま

爆然 バクゼン  大きな音で爆発するさま。

杳然 ヨウゼン  はるかに遠いさま。また、深くかすかなさま。

窈然 ヨウゼン  奥深くかすかなさま。

蒼然 ソウゼン  あおあおとしているさま

洞然 トウゼン  ぽっかり大穴あいたさま。うつろなさま

翼然 ヨクゼン  つばさのように左右にひろがっているさま。

尨然 ボウゼン  豊かで大きなさま。むっくりと大きなさま。

眇然 ビョウゼン こまかいさま。小さいさま。とるに足りないさま。

矗然 チクゼン  まっすぐなさま。

冪然 ベキゼン  おおいかぶさるさま

どうやら彼女は日頃から「私ツラいの><」みたいに言って回って、ちゃっかり周りを味方で固めていたようだ。いざ腹を割って話そうとすれば「◯◯ちゃんもこの話したら怒ってた」「みんなもそれはひどいっていってたよ」って、誰やねんそいつら。俺はあんたと話してるんだけどなー。上から目線で俺に説教してるつもりなんだろうが、内容も矛盾しまくりだし話にならん。終いには涙だよ。なんだそれ。女との口論ってこうなることが必然なのか?

初めて5年以上付き合いの続いた女性だったので、「この人なら」と、将来まで真剣に考えてしまっていた自分呪いたい。事の発端は些細な事でも、言い出せば愚痴が出てくる出てくる。これでもかというほどに嫌な面が見れてしまものだ。何年もかけて積み上げた思い出も壊れるときは一瞬。萎えたので、そのまま別れ話になったけど最早なんとも思えない。

おそらくこれまでに一度くらいしか喧嘩っぽい喧嘩をしたことがなったので、(表面上は)円満なカップル夫婦ほど脆いっていうのは真理だろうな。貯めこまれた小さな不満が爆発したとき威力が大きすぎる。それなりに喧嘩するぐらいが真に円満な男女関係を築くためには大切なのかも。難しいね

2014-09-29

ドラクエ910も失敗と思う人が多いのは8準拠世界観にしなかったからかも

何かそういう期待感がどこかしこにあったと思う。

2Dから3D化になって久しい。

はいモデリングの段階だと7から始まってるわけで

その集大成が8なのだから、正直言って9以降はむしろ純粋劣化と見て取れる。

何せハードPS2から大分劣るDS,3DSなのだから容量的に不足してると見られるもの

集大成システムを組み入れる事の不便さは当然あった。

そこで用いられたのが通信システムの応用でwifiでどこでも誰とでも協力してドラクエを楽しもうという

ネトゲー的手法だった。

それは功を奏した。が、最初の方だけで、指定された場所で通信するというのも最初こそ楽しめたが

それを10年以上も続けられたかと言うとそうではなかった。

いわばFF11とかバイオハザードアウトブレイクのような閑古鳥が鳴くような環境になるのは必然

そういった所にネトゲー的手法の弊害があり、またドラクエをこれまで個人で楽しんできた古参ユーザーから

批判対象としてとりわけ持ち上げられたりもした。

要するに、スクエニのやる事為す事が失敗と見做す人が、9以降のナンバリングで確実に増えたのだ。

確かに購買層が多いので売上げ的には成功したと言えるかもしれない。

しかしながら、個人プレイを楽しんできた古参ユーザーをして、ドラクエは8までだったと見做してる事もまた事実である

もしもドラクエ9以降に8準拠システム世界観を搭載していたら、とてつもない名作が生まれたかも知れないのが実に惜しい。

2014-09-26

姉妹都市/擬人化百合で/町おこし (575)

今回私が訴えたいのはタイトルを読んで字のごとしなんですけれども、姉妹都市擬人化して百合ってしまえば大変な町おこしになるのではないか!ということでございます


たとえば岩手県花巻市アーカンソー州ホットスプリングス市は温泉つながりの姉妹都市でございますから擬人化おねえちゃん花巻ちゃんの頭には絶滅危惧種にも指定されている白く美しい市花ハヤチネウスユキソウ、フェーン現象で夏場はちょっと暑くなることもあるし温泉町でもあるわけですから衣装着物というよりも浴衣、こう見えて交通機関も整っていて飛行機だって新幹線だって彼女の艶姿には足を止めちゃうほど、実は隠れイーハトーブ推しだったり、わんこそば全国大会だって開催しちゃうほどのアクティブ派。口癖は「かんぱねるらー!!」


一方、擬人化いもうとホットスプリングスちゃんはといえば、当然アメリカン温泉娘でございますからホットスプリングス第4中学指定スクール水着着用の上でのご入浴が必然、温かいお湯に触れると南北戦争で受けた古傷がちょっとだけ目立っちゃうのが自分的にはちょっとはずかしかったり誇らしかったりもしてそんなとき彼女のはにかみ顔はまるで天使とみまごうほど、当時のアルカポネやラッキールチアーノも彼女にはメロメロだったといいますし、そんな美少女彼女の口癖は「トーマス、ジェ、ファーソン!トーマスジェファー、ソン!」「アー、アカン、ソー!アーカンソー!」って、関西弁金髪女子?!


そういう二人の姉妹百合百合シーンともなれば舞台温泉に決まっておりまして、pixiv有名絵師キャラデザ美少女姉妹くんずほぐれつする都市型エンタテインメント、ゆくゆくはあなたの街の宣伝部長愛川欽也さんの紹介を経て、ゆるキャラ化、おもちゃ化、ARアプリ発売、満を持してトリガーバキバキ動く深夜アニメ化、全国的に人気を博すや両都市への聖地巡礼直行便が一日5便はアサインされるほどの姉妹都市擬人化町おこしストーリー。わっしょい、わっしょい!


っていうのはどうですかね、電通さん。

2014-09-07

ラブレター

しか芥川龍之介氏だったでしょうか、恋とは性欲の文学的表現だと言っていたのは。

僕のあなたに対する感情を表すならまさにそれに近いわけです。もっともその本質は性欲ではないので安心してください。

少し僕の話をします。

僕はその、みかけ一丁前な自意識が出来あがっていく頃、具体的には中学生の頃なんですけど、自分のことを一人ぼっちだと思っていました。物質的にではなく、精神的にです。

生活には余裕がありました。勉強運動も苦手ではなかったので、特に不自由しませんでした。僕のことを好きだと言ってくれる子もいたくらいです。

コツコツ勉強をするのは嫌いでした。部活動は何度も理由をつけてサボっていました。にもかかわらずそれなりの結果を出せていました。

しか努力の結果ではないので充実感もなく、自分がそれが得意だと思ったことはありませんでした。

まさに砂上の楼閣ですね。高校に入ってこの町を出たらただの凡人なんだろうと思っていました。

にもかかわらず、当然ながら周囲はそういった心情を汲んではくれませんでした。

教員受験のことで熱心に近付いてきたし、部活では地元高校に連れていかれて練習させられました。

学校というシステムにおける立場があがればあがるほど、周りの人間とは線が引かれ、僕は同じ立場人間を得られないまま、

ひとりぼっちだと思い、どんどん殻に閉じこもっていきました。

まぁそんなに珍しいことでもないと思うのですが、もともとの自意識過剰性格に加え、環境的なことも相まって、あの頃の僕は特別歪んでいたのでしょう。

毎日寝る前に、真っ暗な自分の部屋でスタンドライトをつけ、カッターナイフHB鉛筆を削っていました。

一度その最中母親が部屋に入ってきたことがあり、彼女心配したようでした。当時の僕はそんな心配もうっとおしいと思っていました。

鉛筆を削っていると少しだけ満たされるような気分でした。鉛筆削りで削ったものと遜色のないものが出来ると何故か嬉しかったのを覚えています

それを終えて眠りにつく。それだけのことでバランスをとっていたのだから我ながら忍耐強いと思います

そんな日々が変わったのはある映画DVDを観た時です。

タイトルは「バタフライエフェクト

これは非常によく出来た映画です。僕はこの映画が一番のお気に入りな訳なのですが、漂うウェルメイド感から、そういった趣向と勘違いされることが多いです。

まぁ違うといってもさらっと説明出来るモノでもないんですけれど。

この映画どういうものかというと、時間をさかのぼる能力を手に入れた主人公自分他人人生をより良くすべく奮闘する物語です。

主人公エヴァン人生を良くする為に過去に戻り失敗を清算していく、しかし直ったはずの世界にはほんの小さなほころびがあり、

それらを全て修正しようと何度も過去に戻るうちに事態はどんどん悪くなっていく。

神のごとき能力を手に入れた青年が神の真似ごとをするのだが上手くいかない。そして青年最後に辿り着いた選択とは。

この映画を観た時に感じたのは映画って凄いという感情でした。それ以上は言葉に出来ません。ごめんなさい。

僕には主人公エヴァンの気持ちが痛いほどわかったし、周りに振り回されて、苦悩する主人公の中にその時の閉じこもっていた僕がいた気がしました。

ラストシーン恋人を救うために過去に戻り恋人との関係を絶ち、関係をなかったことにする。

そして離れ離れに暮らしていた主人公が都会の人ごみの中で成長した恋人らしき人物とすれ違う。

わず振り返る主人公だが、思い直し再び向き直り歩きだす。

今思い返してみると何にそんなに感動したのかわからないくらいベタなのですが。その時の僕にとっては確かに自分のことを言っているように思えたし、

それが恐らくエールに聴こえたのでしょう。詳しくは想像しか出来ませんが。

しかしながらなんだかその頃からと色々上手くいくようになった気がしたのです。まぁそれは結果論かもしれないですけど。

それからはさほど悩むことなく過ごすことが出来ました。田舎から出て新しい友人と出会い。今は東京暮らしています

相変わらず映画は大好きで、こねくり回して楽しんでいます大学では自分映画も撮ったりもしました。

僕にとって映画というのはそれくらい大事ものになったのです。

まぁ勿論歳をくってくると、悩んだ時に映画をみても何も解決しないことはわかってくる訳ですが。

これまでも問題を解決してきたのは自分の力だし、誰かの力を借りたりも大いにしています

無くなっても生きていけなくもない気もしますが、それは気のせいで、やはり映画がない生活は考えられません。

と、長くなりましたがここいらでようやく本題に移りたいと思います

僕はあなたに、つまり映画に恋をしています

なんと形容するのかは非常に悩むところですが、恋というのが一番近いと思います

僕は大学に入って映画制作部活動所属しました。

実際に映画を撮ってみてわかることはかなり多く、自分たちが如何に上質なコンテンツになれてしまっているか

出来不出来に関わらず自分のつくったものにはそれなりの愛着がわくこともわかりました。

そして何より楽しかったのです。

映画を山ほどみたし、映画についてなら一日中喋っていられます

ただ少しだけ引っかかることがあります。それはいつまでたっても完璧映画出会えないことです。

好きな映画を十本挙げろと言われればできますが、僕がほんとうにみたい映画には未だ出会えずにいます

このことが僕が映画に恋をしている由縁なのです。

少女の恋がおおよそ世界存在しない王子様を所望するように、僕もまた世界にあるはずもない完全な映画を求めているのです。

そして恐らくそれは一生叶うことはないでしょう。エヴァンが再開した彼女に声をかけなかったこと、それは恐らくこんな気持ちだったのでしょう。今は今なりに分かる気がします。

触れてしまうことで壊れてしま幻想自分彼女と関わりない人生を送ること、その決断価値はなかったのかもしれない。

エヴァンはあの時、声をかけないことで無意識自分幻想を守っていたのだと思います

僕もまた、完璧映画を探すことで、自分を守っているのかもしれません。至上の目的を持つことで自制を失わないように。

少し前、某動画サイトを眺めていると、こんな文言発見しました。

動画サイトで集めた人材映画をつくりましょう。」

僕は一も二もなく反応していました。

僕は脚本担当を申し出ました。当事者は僕より一回り上のおじさんで、一発当てる気まんまんといった感じでした。

作業は辛かったですが、やはり楽しかったです。

寝るのも忘れて書きました。

出来あがったものはこれ以上ないほどの出来だと思いました。

完成したその瞬間、ほんの少しだけ、あの時の夢のしっぽがみえた気がしたのです。

僕はその時ようやくあの時のバタフライエフェクトを超えることが出来るかもしれないと、本当にそう思うことが出来たのです。

まぁ色々あって結局僕の脚本採用されることはありませんでした。残念ですが仕方ないことです。

しかし何よりも、物語を創るということだけでも映画と関われると気づいたことはこれ以上ない幸いでした。

いつか僕に映画を撮れる新しい友達が出来たらこ脚本を読んでもらいたいなと思います

しかしながら実は脚本を書いたことよりもその過程の方がその実、発見に満ちていました。

その脚本は書き始めるまでがとてつもない難産でした。おじさんから縛りを貰ったのはありがたかったのですが、考えれば考えるほどその縛りがネックになっていきました。

そして、もうどうしようもなくなった時、僕はごく冷静に、極めて自然におじさんのことに思いをはせてみました。

脚本も書けないくせに、映画を撮りたいと抜かすいい歳のおじさんは自尊心にまみれ非常に滑稽でしたが、それと同時に何故か悲哀や、尊厳、意地を感じました。

僕はおじさんと会話を重ね、モノを尋ね、そのことを参考に本を書きました。

脚本が出来あがる頃には、僕の中で既におじさんと僕は良きパートナーになっていました。

まぁ、さっきも言ったように、結局おじさんのクズしか言えない本性を目の当たりにしてしまうのだけどそれはまた別の話です。現実って厳しいですね。

これでどこまで行けるか。あの時、僕は恥ずかしながら、確かに自分のつくる脚本に恋をしていました。

それは以前のように憧れるだけのものではなく、目の前のこの物語と横に並んで一緒に歩いていく、そんな淡い想いだったのだと思います

唯一ノイズがあるとすれば、それがおっさんのことについて書かれていることです。

僕は中学生のあの時から映画に恋をしています

しかしながら、その気持ちは僕の中で憧れを経て、それ自体を愛し、期待し、守るもの、そして明日を与えてくれるものへと変わっていきました。

こんなことを書くのも気味が悪いと思いますが、僕はあなたが恋している相手に心当たりがあるのです。

映画に映っているのはいつでも人間です。姿形、人がつくったモノ、人を囲むモノ、人の心、映画の、いやあらゆる表現の中に人間関係のないモノはありません。

それは芸術人間を知る為の手段からだと思っています

どうして日々新しい映画が生まれてくるのか。それはまだ人間が未知で、支配出来ないモノだからではないでしょうか。

それらを愛し、それらに期待し、それらを守る為に映画今日も撮られているのだと思います

芥川が、ほとんど死の直前まで書いていた文章の中に映画シナリオがあったといいます

日々募る絶望の中、彼は映画をみて何を思っていたのでしょうか。

彼はしきりに生活芸術は分離していると語っていました。

僕は映画のことしか知らないし、それもたかが知れています。(文学も少しかじっていますが)しかしながら現代生活映画は近しいモノだと思っています

僕は芥川の書いたラブレター文学だと思っています。なぜならあれを読むといつも涙が出てくるからです。それでは説明になってませんでしょうか。

僕たちはかつて例をみないくらい幸いだと思います。共に歩くものに確固たる自分をのせることが必然として出来るからです。

僕は映画に飽きないでしょう。あなた人間に恋していても、きっちりそれごと抱える覚悟です。

僕とあなたは違いますが、少なくともあなたの憧れているものの一部です。

からこんなことを言うのは変かもしれないけど、あなたのことが大好きです。

優しいところが好きです。

冷たいところが好きです。

怖いところが好きです。

笑わせてくれるところが好きです。

泣かせてくれるところが好きです。

そしてなにより何だかよくわからないところが大好きです。

以上、あなたに恋する男から言葉です。返事はくださらなくて結構です。ただ微笑みかけてくれればとてもうれしいです。それではまた。

2014-09-02

底辺スポーツプレイヤーグラディエーターになるのは必然

スポーツ選手が世の中に提供できるのは娯楽性だけだ。

スポーツトレーナーは正しい体力の付け方やストレッチの仕方を教えてくれるが、

スポーツ選手が人々に伝えるのは「感動」だの「興奮」だのだけだ。

結局のところ、彼らはアイドルの一種にすぎない。

下っ端アイドルAV女優汚れ役によって必死に受けを狙うように、

才能や努力量に劣るスポーツプレイヤーは見せ物になることによってしか人に感動を与えられない。

必死努力をしてそれでも勝てなくて涙を流す瞬間』にのみ、

人々の心に彼らのプレーが残る。

甲子園はそんな才能が無い者達が人々の心に何かを残す偉大なチャンスなのだ

それを否定するなどとんでもない。

あの残酷ショーこそが、彼らが日本中のヒーローになれる人生最初最後のチャンスなのだ

最近Web開発に感じる大きな谷(主にRails

10年くらいWeb開発業界にいて、ここ最近Railsアジャイルな高速開発的なものの周辺にいる。今は開発者マネージャの間を行き来しつつ顧客窓口〜実装まで一通りこなしている。

あちこち渡り歩いて色々なエンジニアと一緒に仕事をしたり、お客さんに頼まれてエンジニア面接やらに顔を出したりすることがあるのだが、ここ最近Web開発はますます主力級のゴリゴリ書けるエンジニア(いわゆるフルスタックエンジニアと呼ばれるものも多分ここに入る)と大したことのないエンジニアの差が開いてきたように思う。

主力級エンジニア

主力級のエンジニアは1〜2回がっつり打ち合わせしてプロジェクト重要点とざっくりラフイメージを共有すれば、どんなに遅くても1週間もすればプロトタイプが上がってきてお客さんに見せつつ微調整し、いわゆるアジャイルとかスパイラル開発的なことができる。デザイナがいなくてもBootstrapでとりあえず最低限の見た目を作ってくれるので、とりあえずデザイナ無しで開発して最終的にお客さんが気に入らなければWebデザイナに見た目整えさせてテンプレ取り込み、という開発がここ最近のメイン。

ソースコードフレームワークRESTfulの基本概念理解されているコードなので、後日の機能修正の時にそのエンジニアが動けなくても自分フォローして修正することもできる。

仕事もしやすいし、実質1〜2人の稼働でサクサク進められるのでコミュニケーションロスもなく楽しい

大したことなエンジニア

一方、大したことなエンジニアは前述した流れが全くできない。

まず決定的なのは、開発が遅い。ちょっとしたデザイン無しのCMSリッチUIなし)をRailsで書くのに1週間かかっても終わらなかったりする。これじゃ生PHPで書くのと変わらないかそれより遅いので、Rails使う意味がない。

次に、品質が低い。できあがったと言われて念のためチェックすると、基本的CRUDレベルエラーが出たり、お客さんに見せるプロトタイプだと言っているのに初期データseeds)の整備すらされていなかったりする。本人のローカル環境で動いてるけどstaging環境にdeployすると動かないとかはよくある。

パッと見に分からない部分もひどくて、ソース確認すればあちこちどこかからコピペしてきたコードのつぎはぎで、HTML規約違反JavaScriptエラーまで放置されていたり。あと実装しましたと口頭で言っていた機能ソースコードコメントではTODOになっていたこともあった。

最後に、成長しない。開発上詰まった所なんかを主力級エンジニアに聞くのは構わないのだが、表層的な理解に留まり応用が利かない。30分〜1時間も主力級エンジニア時間を浪費しながらもまた同じ様なところで同じ様なミスをする。自分もよくプチ勉強会みたいな状態になったときには参考図書や技術資料ポインタを投げたりしているのだが、参照先を見て深掘りすることはほぼない。

なぜ「大したことなエンジニア」がはびこるのか?

厄介なのは、こうした大したことなエンジニアも、Railsであればあちこちのチュートリアル記事書籍を参考に、そこそこそれっぽく見える自作サービスくらいなら作れてしまうという点にもある。

彼らの作るサービスはまさに書籍チュートリアルサイトコピペ集大成だが、個人が趣味でやっているサービスとしては十分に動く。そして周りには「エンジニアです。個人でWebサービスも公開してます」となる。サービスの外からは内部のコード品質などはわからない。

プライベートで開発するのはむしろ奨励しているのだが、彼らはその拙い(あえて「拙い」と書く)サービスでもって「俺はもういっぱしのエンジニアだ」と勘違いしてしまっている様に思える。

だが違うのだ、お前が書いているシステムは「とりあえず動く」レベルのものであって、受託開発としてお金をもらってお客さんに納品するシステムや、数千万〜数億の売上を左右するような業務システムではその素人クオリティでは話にならないのだ。

適切な例外処理担当者ミスしにくい管理画面の設計、お客さんの想定ユーザ数に耐えられるレベルでのスケールする設計開発者が入れ替わっても保守が続けられるようにするための最低限のドキュメントなど、production level qualityに足りていない部分がいくらでもあって、そこまで考えられて「主力級エンジニアなのだ

感じる「谷」

こうした主力級エンジニアと大したことなエンジニアの谷は以前から感じていたが、ここ最近ではさらに顕著に感じるようになってきたように思う。

例えば、主力級エンジニアRailsだけでなくミドルウェアやprovisioning(chefとかansible)、最近ではdockerCIAWS新サービスなどについても各自追いかけていて、自分も含めてちょいちょい議論をすることがある。「最近のアレってどうなん?」とか「はてブでやたらXXX流行ってるけど、これって結局数年前のYYYの焼き直しじゃん」みたいな。

そんなところに大したことなエンジニアはてブRSSなどで用語は聞いたことがあるので混じってくるのだが、まず前提知識がなさすぎて議論にならない。大体「XXXマジすごいっすね〜(意訳)」で終わっていて、その技術の背景や今後どうなりそうか、自分達が取り入れることで業務効率や開発の楽しさが改善するのかといった視点がない。

他にも、ちょっとしたトラブルシューティングの際も、基礎がなさ過ぎて問題の切りわけができない。問題の原因がネットワークレイヤなのか、ミドルウェアなのか、アプリなのかすら判断できなかったり、そもそもアタリを付けるのが絶望的に遅かったり勘が悪い。

単に作業が遅いというのではなく、問題の切りわけというエンジニアとして最低限できないといけない事すらおぼつかないケースも見かける。

「大したことなエンジニア」の今後

こうした大したことなエンジニアは速度・品質難易度面で新規開発プロジェクトアサインするリスクが高いので、必然既存サイト運用メンテちょっとしたページデザイン文言修正)といったタスクが回されるのだが、最近この辺りも仕事がなくなってきているように思う。

というのは、お客さん側にRails Tutorial程度の開発知識を持っている元エンジニア趣味ちょっと触ってみましたレベルの人が増えてきたから。これは恐らくRails特有な所(自作Webアプリ簡単に作れる啓蒙がなされている)がありそう。

ちょっと考えてみれば、文言修正デザイン修正する程度の作業、外注に頼むと数万かかる上に見積やら稼働確保やらで数日〜数週間待たされるのに対し、担当者自分でやってしまえばすぐに済む話というのはちょっと考えれば分かるわけで。

# もちろんそれでも保守契約責任分解点の関係外注するケースはあるだろうが、Rails採用するようなWebサービスは速度重視のことが多い

そんな中、この「大したことなエンジニア」の人達はどうなるんだろうなあ、と思う。開発会社ではなくRailsシステム運用しているユーザ企業に行けば多少は需要あるのかなーとも思うけど、ユーザ企業はできないエンジニア雇うほど余裕もないだろうし。

せめてコミュニケーションスキルが高いとかそういう利点があればいいんだけど、変に自分が「エンジニア」というプライドがあるのか、窓口とか管理方面は率先してやろうとしなかったりもするし。

早めに「エンジニア向いてないよ」と言ってあげるのが良いのだろうか?

2014-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20140831000619

鼻くそ耳くそを、こよりで取れるんなら取ってみろと言いたい

穴の奥深くに入り込むためには固くなるのが必然

2014-08-23

成功してる女性声優巨乳が多く、失敗してる女性声優貧乳が多い

偶然かもしれない。

でも必然かもしれない。

おっぱいが大きいと言う事は肺活量がハンパないって事だろう。

常に自信満々なのが胸を張っているからよく見える。

貧乳は逆にそういう自分に自信がないんだろうなぁって思わせる。

どうやら実力も胸の小さな人ほど低いというのは血液型生活判断とあまり変わらないだろうが

つの可能性を示唆する指標にはなるのではないだろうか。

2014-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20140819124827

賛成しないものは入れ替えだから、そういうのだけ残るのは必然でしょ。

2014-08-13

病院がないほうが死亡率が下がる!(略)』への突っ込み

http://logmi.jp/19478

そんな時に、近くの高齢者施設に行ったら、すごくショックだったことがありました。それはほとんどの病棟にいる患者さんがほとんど寝たきりで、胃瘻されていた。そしてその患者さん、ほとんど意識がない。寝たきりで意識がなくて、会話もできない。痛いも痒いも言えない。その状態で何年も、長い人は10年以上です。

胃瘻をする人が皆寝たきりだ、みたいな安易イメージ誘導はよろしくない。

大事なのは胃瘻ではなくて「栄養を与えるか」「栄養を中止して最期とするか」のどちらを選択するか、ということだろう。


近くに総合病院があるということよりも、市民意識を変えるってことが、病院があること以上に価値があることだと僕は思います

一般論としてはそうだろう。

今回のデータからそれが導けるかはまた別。


死亡率、医療費救急車の出動回数、全て下がった

(中略)

から呼ぶのは訪問看護師、在宅医。もちろん、発熱とか一時的なことで、これは良くなるよってことであれば家で点滴したりして治療します。でもそうでない時は、残念ながらお看取りすると。そういう世界です。だから救急車が減る。しか医療費も減っちゃったんですね。

救急車の出動回数の減少や医療費の減少は、救急車を呼びたいような人が夕張以外へと転居した、等の統計上のトリックも考えられる。

だが、ここに述べられているように在宅医療の徹底がなされていることも大きな一因であると考えてよいと思う。


しかもですね、何と死亡率まで下がっちゃったんです。これがすごい。

日本人の死因の1位がガン。2位が心臓系。3位が肺炎。1、2、3、全部下がっちゃった。すごいですよね。何がポイントか。多分、僕が思うに予防の意識ですね。

グラフもどきの絵。

何年で下がったのか、どの程度下がったのか全く見てとることができない。

その後に「日本人の死亡率は100%」と言っていて”死亡率”という言葉を使っている矛盾にはつっこまざるを得ない。

3大死因の死亡率が下がったなら何の死亡率が上がったのか?

死亡率の変化には死亡診断書を書いた医師の変化に影響されているのではないか?

予防意識が死亡率にまで影響するにはかなりの年月を要するのではないか?

今回の話から予防と疾病の関係を読み解くのは困難だろう。


今日本がここです、25%。数十年後には40%になります。じゃあ、高齢化率が2倍になったら、借金も2倍になるんですか……? 医療費はどんどん上がってますもんね。ちなみに夕張は今ここです。かなり先取りしてますね。でも日本中が夕張みたいに高齢化率が高くなる。爺ちゃん婆ちゃんばっかりになる。そんな世界になります

医療費抑制必要という話自体には同意

今回の中で根拠があると言えそうなのは終末期における在宅医療の推進。これは本当に進めていくと良いと思う。

話に出て来たもうひとつ方法は予防意識の徹底。

国民健康に対する意識を高めるというのは国が躍起になっているところ。

その方法として総合病院がなくなってしまえばいい、というのが夕張市ストーリーだが、

全国で総合病院を取り壊す訳にはいかないので、全国的には総合病院へかかりづらくするという現在政策と近い物になると考える。


改めて読んでみると、「医療費救急車の出動回数の減少」はグラフもどきの絵のせいで印象が悪いが理屈は合っている。

「死亡率の低下」には短い中に突っ込みどころがこれでもかと詰まっており、ここが一番ダメ

病院がないほうが死亡率が下がる! 夕張市ドクターが説く、”医療崩壊”のススメ』というタイトル統計的トリックを警戒させて印象が悪い。


死亡率の話を抜きにすれば、印象の悪さとは反して普通終末医療の話だった。

EBMの流れの中でデータ信頼性は非常に重要ものである

そこにずさんなデータを持ってきてしまったことで、ブコメでの突っ込みが多くなるのは必然だろう。

タイトルでその個所を煽っていることも突っ込みを誘発している。


まとめてみると、十分受け入れられ得る在宅医療推進の話なのに、論拠としてうかつに死亡率のデータを出したせいで話全体の信頼性を失わせてしまう、残念な例だった。

2014-07-25

バカSNS

Facebook地元友達とかは全部unfollowしている。彼らバカだもん。

安い感動記事、シェア集めたいだけの動画紹介してるだけのクソページ、占いの結果、ゲームスコア

あいつら、こんなのばっか載せてくるんだぜ。

地元バカ友達以外も、最近はどんどんunfollowしていっている。

自分東大なんで友達必然東大生早慶などいわゆる高学歴に分類される人が多いんだけど、彼らですら中身ペラペラリンクシェアばっかしてくる。

「すげー!」「きれー!」「これは問題だ。」

とか言って何年も前にバズった内容のパクリ記事をシェアしたり、時事話題に関する浅はかな考察を披露したりとかしてくる。

なんか最近どうでも良くなって、SNSはあまり見てない。

社長とか尖っている人とかのポストは割とinformativeだったりして面白いんだけどね。

いわゆる「普通」の人のポストマジで面白くないしそんなのに便乗してくるクソみたいなソーシャル(笑)サービスが増えすぎて気持ち悪い。

インターネット界隈もっと頑張って欲しい。Web業界マジキモいよ、儲かるからってキモいことしすぎな。

2014-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20140722094841

しろ、長続きするなら優等生化は必然だと思う

まる子もクレしん優等生化する事で長期化・定番化した訳だしさ

もっと昔を辿ればサザエやドラも原作結構キツいけどアニメは万人向けだよね

2014-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20140720115737

男は女風呂入浴禁止、女も男風呂禁止で、生物学差異からくる必然以外の待遇の違いがなければ男女差別とは言わんでしょ

2014-07-18

マグマに飲み込まれる様を見て泣き叫ぶしかできない

http://anond.hatelabo.jp/20140312225618

おれこれ書いたものだけど、やっぱり言ったとおりだ!と思うと同時に泣きたくて泣きたくてしょうがない。

もう構造的にどうしようもない。こんがらがったタコ糸でほどきようがない。かといって糸を切るハサミもない。ヒーヒーいいながら糸を歯で噛みちぎっても、あまりに膨大な糸がからんでるから一本一本噛みちぎってたららちがあかない。そもそも噛みちぎる気力のある人がもういない。

STAPだとか小保方だとか早稲田だとか、そういう話題になるし、たしかにそれらは酷いけども、それだけじゃないんだ。

もう本質的日本科学システム特に生命系(嘘やインチキがバレにくい)はどうしようもない状態だ。理研全然動かないのはなぜか?黒幕いるから?違う。

黒幕なんていない。もう構造的に動けない。にっちもさっちもいかない。動いたら負けだから。何か言ったら負けだから。負けたら二度と復活できない構造から負けるわけにはいかない。だから、動けない。動かない。

研究者にも家族はいお金はいる。だから動けない。正義感をつらぬいてジリ貧になるより、正義感をおさえて生きる道を選ぶ。その選択を責めることはできない。

理研の中にだってまともな人はいる。けれども、そのまともな人が犠牲になることがわかって担ぎ上げることができるだろうか?

小保方の出現は必然だった。突然わいてでたわけじゃない。マグマが地表をわってでるように、地中で溜まってたんだ。小保方をどうにかしても、違うところからマグマはふきでるだろう。そして、残念ながらマグマの噴出をとめることはできない。もう始まってしまたから。

マグマに飲み込まれることがわかっているのにどうしようもない。

どんなに悔しくても、悲しくても、どうしようもない。救うことができない。

なんの意味がなかったとしても泣き叫ぶしかない。

2014-07-16

親が子供についてSNS上で、情報開示をしたときによく聞く意見について

たまに「子供個人情報を親が勝手に流すと云々」という余計なお節介、もとい心配していただく意見をいただくことがあるんですが、我々の個人情報は望む望まざるに関わらずダダ漏れになっていく社会に向かっているのは必然でして、今後は漏れている前提でいかにコントロールしていくかが大事になっていくわけです。

漏れても構わない、は依然として問題ありですが、いかに漏れない前提を守るかを議論するよりは、漏れている(自分自身が知らないうちに漏らしている事を含みます)前提を考えて行動したほうが建設なのは間違いないわけで、つまり余計なお世話なわけです。

もちろん、親が、依然として変わらず、漏れても構わない、という態度をとるのは問題ですが、ここは二回いいました。コントロール大事と。これも二回いいました。

2014-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20140714032636

夜、自然睡眠できる身体環境は朝から夕刻にかけて作られるのだ。

寝ようと思ってから小手先の策を講じても徒労に終わるのは必然

2014-07-12

ネトウヨタカピーを洗脳した

最悪の場合世界大戦に発展するかもしれない。

俺の友達にはタカピー女とネトウヨ男が居る。

俺たちが止めるのも聞かずに、タカピー女が某国に旅行にいってかなりひどいことをされて帰ってきた。

わんこっちゃない。

俺もざまぁと思った。

うざかったタカピーも収まって、俺はよっぽど、よくやってくれたって気でいた。

たまには泣き寝入りする立場になればいい。

だけどそこにネトウヨ男がつけこんだ。

病院に通って気分も体調が良くないっていうのに、構わず

傷口に塩と胡椒と一味とレモン汁を隠し味にすりこんで1時間寝かせてオーブンで焼きあげるような、

なにもそこまで言わないでも、というようなひどいことを言っていた。

こりゃーいくらなんでも、ブチキレあるなと見ていたが、何もなかった。

しろ逆に、女の方がどんどん萎れていった。

俺の知らない所で上下関係を覆す何かが進んでいたような。

何とは言わないけれど。

けどあい童貞だし、そんな勇気ないから、思いすごしかもしれない。

最近ではナルシティズムを斜め上にこじらせたようで、

自分を襲った不幸には意味があった(自業自得だと思うが)と信じているようだ。

洗礼を受けたとか、神の意思とか、歴史必然とかヤバい目で言っている。

聖母マリア処女妊娠からめて、おかしメンタリティになっている。

ネトウヨから刷り込まれた知識とからまって、どす黒いえらいことになってる。

このままほっといたら、大阪であった日本人を狙った通り魔の逆バージョン事件でも起こしそうで怖い。

ネトウヨ聖戦とか言い出している。

タカピーはジャンヌ・ダルクとか言い出している。

ヤバい臭いヤバい

今すぐ縁を切って逃げるべきだと思う。

だけど、未然に惨劇を避けるために何かするべきだとも思う。

俺はどうしたらいいんだろうか……

2014-07-05

少子化や晩婚化が悪いことだ、解消しなければならないという前提自体問題で、女性社会進出が進めばこうした傾向は半ば必然なのに、女性社会進出は進めて、なおかつ少子化や晩婚化に歯止めをかけるというのはそもそも無理なこと。それすら共有されていない気がする…。

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