例えば、ある件でAと言っていたことが、類型の別件ではBと言う。矛盾があるのだ。
そこで、両件はあれこれが共通する類型と言えるので、BではなくAもしくはA'ではないかと提案すると、
いくら共通項が多かろうがある点で異なるのでBだと言う。そう決めたらそうなのだそうだ。
こういう例が数多あり、ストレスが溜まっている。
物事の関係性を多角的に観察して抽象化し、他の類型事案に適用してみることは、僕にとっては当たり前の思考方法だ。
感情をなるべく削ぎ落とし、点と点を線で繋ぎモデル化することが必須となる。
妻のように、ある一面にのみ焦点をあてて条件反射で対応することは、矛盾が生じて対外的な信用を失いかねないだけではなく、
種々の矛盾が重なることで自由な思考に制限がかかってしまったり、経験から知識への変換効率が悪化するように感じている。
最近妻と会話をしていて目に浮かぶのは、様々な事案が雑多に散乱し、その個々に感情が付着することで論理的に分別することができず、
「思い出」で溢れかえった妻の頭の中のゴミ屋敷だ。
何か重いものが入った箱には「重い」、
涙が滲み出るビニル袋には「ステキ」、など、