はてなキーワード: 対外的とは
まぁ通常営業してただけで他が引く程落ちぶれてるだけなんだけど。
これで安倍ちゃんが「進次郎ウゼー潰してえー」とか言い出したら残念だけど自民はその時点でおしまいになる。
対外的にも進次郎みたいな「さも民衆の本当の声を代弁しているかのようなスタンス」って大事なわけで、進んでだか喜んでだか計算高くだかわからないけどそれを行える進次郎は政治家として成長してるんだなぁと思うわ。流石は小泉の息子だけある。
だから多少自分の力が削がれてでも進次郎は自民のために残すべきだし、アレが出来ない金魚のフンの方が要らなくなる訳だ。
選挙戦見てたらわかるけどアレって足引っ張るやつは要らねーよって言ってるわけ。だけど一番明日引っ張る奴は姑息にも絶望の党入りしましたけどね。そこは脇の甘さだよなーと。
なんで野党は進次郎みたいな立ち位置になれないんだろうなぁとは思うよ。
ていうか自民一党状態が悪いのはみんなわかってるんだからそれを指摘する側にガヤと狸寝入りのついでに国会に立って寝言言うだけしか能がないような奴は要らないのよ。なんで残したあの歌舞伎役者面。
この状態が不健康で不自然なのはみんな気付いてるの。でも、代わりが効く身体がガヤと寝言で数年使わなきゃいけない身体なら多少不健康でもしっかりと政治できる身体の方が良いんだよ。
だから進次郎の株が上がるんだよ。ちゃんと言ってくれる人間がいるんだなぁって思えるから。
残念だけど野党は何言っても無理だよ。票が欲しいが為に無能を引き連れたんだから。そんな人たちの主張を誰が聞くんだよ?マスコミか?今回の事で同じようにNOを突きつけられてるのはマスコミもだぞ?
モリカケなんてどうでもいいんだよ。それ以外の話で盛り上げられないならお前ら政治部から外れろや。
結局、進次郎が一言二言「安倍さん国難とか言ってセンス悪いっすよね」って言うだけで「おっ進次郎言うてくれた」みたいになるんだから、下手な野党より効果があるよ。
なぁ野党よ、マスコミよ。進次郎みたいなのを作れよ。「モリカケ問題とか俺指摘してられないっす」って冷静に言えるようなのをさ。作れよ。
同調圧力は飽きたよ。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/346926/101101158/
https://anond.hatelabo.jp/20171012165214
市町村役場で大規模開発が必要なシステムと言えば住記・税・福祉系の3つだが、この中でも福祉系がぶっちぎりで地雷。
住記:住民票の管理。住民票はほぼ全国統一のフォーマットなのでシステム移行は容易。
税:市町村の税で大きいのは住民税・固定資産税・軽自動車税。細かい税率は違うが基本の計算式はほぼ全国統一されてるのでこれも移行は容易。
○国民年金:運営は日本年金機構が行っているが、申請受理や審査の窓口業務は市町村。
○障害者福祉系:障害者手帳の交付・自立支援医療の給付・通所サービス・その他医療費助成(重心)等。
○児童福祉系:児童手当・児童扶養手当・保育(保育園幼稚園)・妊婦健診・その他医療費助成(小児慢性や養育医療)等。
これらの業務それぞれが国・県からの権限移譲されたものと市町村独自のものが混在している。
市町村ごとに千差万別と言っても過言ではない。また、普通の市町村と中核市と政令指定都市でも、どこまで権限があるかは異なる。
これらの業務を全て1つのメインフレームで運用しておりそれを新しいものに入れ替えるだけ、
これらの業務は根拠法令が成立して制度が始まった時期がバラバラなため、そのたびに入札を行って新たにシステムを構築する羽目になる。
そのため、役所内にメインフレームと、異なるベンダー・異なる言語のパッケージが乱立する状態になる。
京都市は今回そんな状態を解消すべくシステムの一括更新を試みたがプロジェクト炎上した、と推測する。
パッケージに業務を合わせろという指摘、業務が役所の内部だけで完結するシステムなら簡単。
人事給与や財務や決裁のシステムであればどこの役所も業務を適宜修正してる。
問題は仕様変更が住民に影響を及ぼす業務(印刷物を送って申請をしてもらわなければならない類のもの)。
毎年送られてくる役所からの文書が変わると混乱してしまう住民の方はものすごく多い。
もちろん事前に今年からこのように変更になります、とお知らせはするんだが読まない方は読まないので。
京都市レベルの大都市で役所からの書類が全部いっせいに変更なんてことになったら、
なので、対外的に住民に出す文書の様式は従来のものから変更はなしで、という仕様になりがち。
誰か、これ以下の人に投げてくれ...
https://twitter.com/suo714/status/915190015046557696
教育関係者でもないですし教職課程も取ってないので校長の真意はわかりませんが、学校側に立って考えると校長の発言は理にかなっています。
対岸から渦中を眺める分には楽しいので公開には賛成ですが、そのツイートだと思慮が抜けていて馬鹿にされかねない。
こういう出来事があった場合は「生徒(&僕達外野)VS学校」という構図に感情的になりがちですが、本来生徒と学校は協力関係にあるはずです。
つまり、整理すると:
→ 1. つまり生徒は商品で、商品は高品質であればあるほど良い
→→1. 対外的評価が高いとは、態度や学力、身だしなみが好ましい状態であるとする
2. 生徒側は、以下目的があるとする
→→1. 「楽しい高校生活」とは、定義しがたいため言及しない。
→→→1. まー笑ってればいいんじゃない?
→2. 明るい将来を作ること
1. 一般的に、高収入で、労働時間が少なく、安定した状態を示すことが多い
3. 1と2-2より、学校側と生徒側の利害は一致している。
んで、校長の発言が理にかなってる理由の前に今回のケースを整理すると:
1. 生徒が撮影した動画や校長の発言、学校の対応が拡散される
2. 拡散されたことにより、学校に対する対外的な評価が低下したと思える
3. 学校に対する評価が下がることにより、比例的に学校に通う生徒の評価も下がる
→1. 「”異物混入があった工場で作られたカップ麺”と”異物混入したことのない工場のカップ麺”が同じ値段で売られていたとき異物混入が無い方を買う傾向」と同じ理由
→2. 学校に通う生徒とは、「他のクラスや他の学年の、進学予定や就職予定(活動予定)の生徒」も含む
4. 1と2と3により、今回の拡散されたことから、学校側からすると商品が自壊している状態になっている。
つまり、
1. 自壊を止めたい or 再発防止したいというのは組織の管理者としては、アリ
KADOKAWAの専務がヤオヨロズの福原とトップ会談、のニュースでけもフレファンが非常に楽観的に盛り上がってるし
「ファンが騒いだおかげで事態が好転しそう」と思い込んでる人がとても多いけど、
「あ、終わった」
だった。
下請けのクリエイターが勝手に元請けの製作委員会の中の一社を名指しで原因呼ばわりして、
もうこの時点でたつき監督のクリエイターとしての信用は地に落ちてる。
ファンからの評価とは全く違う次元の話で、こんなことする人とは仕事ができない。
だから、万が一けもフレ2期の監督がたつきに変更されたとしても、たつきにその次の仕事はない。
おそらくここまではKADOKAWA、ヤオヨロズ両者の共通見解だろう。
そうなると、あとは製作委員会、ひいては「知的財産としてのけもフレ」に対して自社の社員が泥をぶちまけてしまった形になった
ヤオヨロズがどういう形で製作委員会と手打ちをするかという話になる。
・話し合いの結果がどうなろうが、たつき監督はプロクリエイターとしての致命傷を負った
・「ヤオヨロズの社員が私的なツイッターでの発言で製作委員会やコラボ先の企業に手間や迷惑をかけることになった」という事実は覆せない
ということだ。
そして、今回の騒動で一番大騒ぎして、そして今自分たちの中では「俺たち、仕事したな……」と思ってるであろう、
KADOKAWAアンチのけもフレ狂信者たちは、結果的にKADOKAWAを助ける形になっている。
というのも、そもそもけものフレンズプロジェクトAの幹事会社はファミマである。
クレジットの名前の並び方から見ても、そこまでKADOKAWAの出資比率は高くない。
「製作委員会の一員にすぎないKADOKAWAだったが、状況の酷さを鑑みて事態収拾のために専務が動いてヤオヨロズの福原とトップ会談した」
という事実が残る。
実情がどうなのかは私もわからない。しかし、表に出ていない実情について何の証拠もない話をしても、それは全て与太話でしかない。
だが、ツイッター上で大量にRTされた今回のやり取りは明らかに「表に残る」。
つまり、「製作委員会の一員にすぎないKADOKAWAだったが、状況の酷さを鑑みて事態収拾のために専務が動いてヤオヨロズの福原とトップ会談した」
というのは数少ない「表に残り、かつKADOKAWAもヤオヨロズも両者ともに認めている事実」となる。
となれば、今回KADOKAWAが動いたおかげで無事に事態が収拾したとしたら、それはKADOKAWA側の功績になるだろう。
となれば、製作委員会上での発言力が表向きにも強くなったところで、問題なくなるだろう。
KADOKAWAアンチは「一番発言力が強いのはKADOKAWAに違いない」と言っているが、表に出ている事実は
・クレジットの名前の並び順で見る限りKADOKAWAの出資比率は最大ではない
・製作委員会の一員にすぎないKADOKAWAだったが、状況の酷さを鑑みて事態収拾のために専務が動いてヤオヨロズの福原とトップ会談した
ということになる。
このまま事態が収拾する場合、その功労者は間違いなくKADOKAWAになる。
つまりKADOKAWAアンチがKADOKAWAに名声を生む機会を与えたといえる。
そして、このトップ会談は単なる戦後処理のようなものにすぎない。
「ファンが見境なく暴れ、関係ない企業にまで迷惑をかける事で公式がファンの言いなりになった」
「下請けの一クリエイターの暴走とそれに便乗したファンの暴走によって公式がそのクリエイターのわがままを聞かなければならなくなった」
などという前例を作ってしまうことは、製作委員会制度の崩壊を誘うことにしかならない。
それはアニメ業界に企業が今より出資しづらくなるということであり、アニメ産業そのものの根幹に影響を与えかねない。
ここまで書いてて自分でも頭が痛くなってくる。
私は今はPではない。
対外的にはPとして居るが魂がPではなくなっている。
そんな風になった日のことを振り返ってみようと思う。
サービス開始時に誘われてどっぷりハマった。
コンプガチャの時代やその辺りの頃、課金していて感じていたのはコンテンツの終わりのことである。
今ここで課金しなければコンテンツと共にキャラ達が消えてしまう、そんな恐怖からお布施として課金していた。
当時はソシャゲが粗製乱造されている時期だった、当然の想いだと思う。
一ヶ月後にサービス終了なんてザラだったから、毎月Pとしての使命感から課金をしていたように思う。
だが、アニメ化が発表され、実際に放映された時、私の役目は終わったと感じた。
アニメによって声がつき曲が出て役目がどんどんなくなっていくかのようだった。
Pだ!なんてはしゃぎ回ることも今更出来ない。
見え方の変わった世界にこれ以上浸かれず、このままオタクから現実に帰るのだろうかなどと感じている。
少し寂しいモノだな…。
Aさんがいまだ、彼に会いたがっていることに、不思議な感じがします。
どうしてこの状況で、まだ会えると考えることができるのか?
なぜ、ふたりきりで会話できると思っているのか?
ふたりで会話をしたとして、どういう落とし所を期待してるのか?
CTOにとっては、不倫が暴露、拡散され、もうキャリア的な状況は終了しているわけです。
ポルノ動画まで公開され、親、同僚、仲間への面目がありません。
キャリアは大きく傷つき、周りからの仕事においての信用も落ち、
友人知人からの擁護でどうにか精神を保っている状況じゃないでしょうか。
これだけネットで広まってしまえば、Aさんとよりを戻す理由はありません。
会う理由もありません。
あるとしたら、死んでほしくないからということだけ。
だからAさんも死ぬことを最後の盾にし、行方をくらましている。
その結果を作ったAさんとの関係はほぼ終わったのです。
理由がありません。
対外的にも「あの女と付き合うのか」「そんなことができるのか」
まわりが止めるでしょう。
そのことからも、Aさんに戻ることは考えられません。
人として、奥さんを何度も裏切ることはできないでしょう。
あとは、これ以上、キャリアを傷つけられず、穏便に終わるのを
期待しているはずです。
AさんにとってはまだCTOと恋愛関係をつなぐという一縷の望みが
あって会いたいと言っているのかもしれないけれど、
CTOにとっては、生活すること、つまりキャリアを潰さないことが
最後の砦であり、これを壊されたくないと思っているはず。
ただし、悪評がついてまわることが予想できるので、
これ以上傷口を広げないために、できるだけ、穏便に済ませたいのです。
CTOにとってはまだ終わりではなく、これ以上生活をめちゃくちゃに
されたくないのです。
なぜこうなったのか? それを示すことは、ボロボロであれ、
判断材料があれば、まだ、「そうだったのか。気持ちはわかる」と
なるからです。
奥さんへの謝罪を書いたのも、その一環です。
保身といえば保身ですが、これはしょうがありません。
生き延びるために身を守ることは、当然のことです。
Aさんのように破滅的な行動はできません。
Aさんにとっては、人生は終わったのかもしれないけれど、
CTOにとってはもう修復が始まっているのです。
ダイアリーの手紙は傍観者も含め、全体に向けられて書かれてたものです。
Aさんへの謝罪文だけではありません。
考えていることでしょう。
痛くも痒くもないようです。
しかしCTOにとっては人生終わったと感じるほどの痛手だったはず。
Aさんにとっては、この不倫暴露騒ぎは、まわりが感じているよりも
懸念されるのは、どうにかCTOと会い、目を潰すなどして、彼の人生を
めちゃくちゃにしようと思っているのではないか、ということです。
著名なトランペット奏者である日野皓正氏が、演奏の最中に共演していた中学生をビンタしたことが波紋を呼んでいる。
ジャズ・トランペット奏者の日野皓正さんが往復ビンタ 中学生との演奏会で 世田谷区教委「行き過ぎた指導。だがイベントは続けたい」 殴打された生徒は…(1/3ページ) - 産経ニュー
http://www.sankei.com/affairs/news/170831/afr1708310010-n1.html
ジャズミュージシャンが教え子に体罰に近い暴力を振るったということで、
音大でジャズドラマーを志望する学生を主人公にした映画「セッション」を連想したという声も多い。
青年がスパルタ教師のしごきによって疲弊していく様を描いたサイコスリラーだとか、
教師の手厳しい指導に食らいつき成長していくスポ根的ドラマというふうに捉えている人が意外にも多い。
僕が思うにそれはこの映画の評価して的を外したものではないかと思う。
「セッション」という映画は音楽に対して不遜な人間たちが共依存関係に陥っていく過程を描いた映画だ。
まず映画を通してみて主人公の演奏技術が向上したという描写はない。
フレッチャーの下心ありげな言葉を除けば誰もその演奏を際立てて褒めるわけでもなく、
観客がわかるような明白な上達の描写もない。
それは至極当然で主人公が「いい演奏をしたい」と思っていないからだ。
「上級クラスに入りたい。」「いい成績を収めたい。」「教授に可愛がられたい。」「ミュージシャンとして羨望を集めたい。」
主人公の欲求はいつも自己顕示的なことばかりでその視線はいつも自分に向いている。
音楽の道を志す動機もどうも浮ついていて、インテリジェントエリートとして将来を期待される従兄弟を持つが故の劣等感によるところが本音だろう。
印象的なのがチャーリー・パーカーのエピソードである。
チャーリー・パーカーがアドリブに熱を入れすぎてドラマーからシンバルを投げられたというエピソードが劇中の会話に登場するが、
主人公はそれを冷水を浴びせられた屈辱をバネに精進したと解釈するのだ。
本来ならば出鼻を挫かれたことで冷静に自分を見つめられるようになったという教訓を得るべき小話をナルシシズムによって曲解しているのである。
自分の対外的評価しか見えていないために独りよがりで思考が歪んだ主人公は家族にも恋人にも音楽院からも見放され最終的に孤立していく。
そしてそこに魔の手を差し伸べるのが悪名高いフレッチャーなのであった。
フレッチャー教授もまた音楽のことなどその実どうでもいいと思っている不遜者である。
彼の指導は支離滅裂で学生を恐怖心で抑え込みコントロールする以外の効果はない。
彼もまた音楽家として、指導者として羨望を集めることしか眼中になく、自分が携わる音楽のクオリティなど二の次なのである。
映画終盤で主人公を逆恨みしたフレッチャーは、実際とは異なる演目を主人公に伝えて舞台上で彼の音楽生命を絶たせることを画策する。
いい演奏がしたいという気持ちが微塵でも存在するならドラマーを罠にはめて演奏会を混乱させる真似など出来るだろうか。
フレッチャーもまた自己中心的な振る舞いが祟り音楽院から追放されたわけだが、
フレッチャーは孤立すればなお自分を崇拝する人間を渇望するわけである。
フレッチャーが主人公を罠にはめたのは恨みをぶつけるためでもあるだろうが、自分の手中に収められる無力な下僕を作り出すためもある。
何にせよなんの後ろ盾もない大学中退者で大ポカかました主人公に明るい未来は多分ないのだ。
誰からも評価されず未来もない孤独な青年だからこそ、因縁があるフレッチャーなんぞにわらをも掴む思いですがって行った。
そして名誉を得ることにしか価値を置いていないからこそ、主人公はフレッチャーという有名人と関わりを持つことに喜ぶのである。
どう転んでも演目にない曲を演奏して暴走することは失態である。あれはフレッチャーが自分を見捨てないであろうことに安堵しての笑いだ。
フレッチャーもまた青年がいいドラムを披露したから笑みを浮かべたのではない。
彼が完璧に無力な存在に成り下がり自分の支配下に置くことができるようになったことを喜んでいるだけだ。
話は日野氏の話題に戻るが、件の中学生もこの映画を見ておりスポ根ドラマだと誤解していたのかもしれない。
多分そうでなくて単にソロパート演奏中に気持ちが高まりすぎたという可能性が高いが、
何にせよあれは失敗というほかなく、演奏者として道徳として師である日野氏が叱責すべき行いだっただろう。
舞台上という表立った場所で感情的な振る舞いをしてしまったことは非難されても致し方ないのかもしれない。
しかし氏の叱責そのものを否定するのは当該生徒含めイベントに参加していた生徒にもあまりよろしくないのではないかと思う。
当該生徒やイベント主催した世田谷区が氏に一定の理解を示しているのは幸いだ。
仕事のための仕事というか、「私たちはわざわざ面倒な手続きを踏んでいますから間違いなんて起こるはずがないのです」と対外的に言い訳するだけの仕事をやってる。
関係する人達は皆それぞれにその人達がいないとそれぞれの現場が回らなくなる仕事をしてるけど、自分たちがいるポジションはなくなっても現場が回る仕事だ。
だって雑用係にはいる意味があるし、書類整理は誰かがしないといけないから。
自分たちの仕事は、自分たちが整理する書類を生み出して、他の人間にもその書類をわざわざ生み出させて、面倒な仕事を自分で増やして自分で片付けて、それで仕事したと言いはるだけのマッチポンプ。
昔読んだSF小説で、未来では仕事が無くなりすぎたので車を作ったそばから車を分解して車の材料にし直すだけの無意味な仕事をしている人達がいるという一節があった。
今自分がやっているのはまさにその作り上げられた車をわざわざ一度ぶち壊す仕事であり、そしてその仕事によって工場がクルマを生み出すペースを確実に落としていて、それなのに給料をもらっている。
自分たちは一体何をしているのだろうか。
何のために自分はここにいるんだ。
社会に貢献したいなんて綺麗事までは言う気がないが、社会の足を引っ張るだけの仕事をしている気しかしないのは流石に心が病みそうになる。
※ちょっと書き直しました。勢いで書いた上に直してるから読みにくいとは思います。気合いで間埋めながら読んでもらえたら助かります。
あまり詳しく書くと身バレするので書けないけど、ツイッターのフォロワー同士だ。
私が気分にむらのあるメンヘラで政治の話も好きなのもあるからか、今はフォローは外されていて、そのアカウントはうごいてないっぽい。ツイッターでの話題なんかは知ってるみたいだし、多分別垢があるんだろうけど別垢ではブロックされてると思う。そこらへんは別にいいかなあと思っている。
何度か会って、恋愛としてではなく側にいてくれたら助かるなと思ってルームシェアしようって私から誘った。
ルームシェアしてみるとまあなんか大切にしたい部分が違うからか結構すれ違いはあるけど、それなりに楽しい。相手がどう思ってるかはわかんないけど。
私が不美人だからか、相手からセックスを求められたりとかそういうこともまったくなく(多分そういうことをしたらルームシェア続けられないだろうなってお互いに言っている)、セーフティネットみたいな感じで、男性であることを利用させてもらったりしているし、相手が家にいることが多いので荷物の受け取りとかしてもらったりして助かっている。
じゃあ私が何してるかと言えば家賃払ってトイレ掃除とかしてるくらい。
結婚とかはどうでもよく、一緒にごはんとかも食べたりしないし、出かけたりもない。
最初は一緒になにか遊んでくれないのが寂しいなと思ったけど、今は慣れて近くに住んでる友達とよく遊んでいる。
付き合いたいとかはなく、結婚も別にしたいわけじゃない。でも好きかどうかと聞かれたら好きだ。ただ友人として。
とりあえず部屋が2年契約なので2年を区切りに、続けるかどうかとか考えたらいいかと考えてる。
対外的には同棲で彼氏ですと言ってるけど、セックスもしない、結婚するつもりもない、そもそも付き合ってないただの友人というとキチガイ扱いを受ける。
不動産屋で物件借りるときもルームシェアだと審査が通らない可能性が高いので、せめて同棲と建前だけでも言ったほうがいいと言われたし、世間ではそんなもんなんだろうなあ。
なーんか、全日本弓道連盟のホームページ、アホ業者にやられちゃった感じだな。
えれぇ見づらく、使い辛くされちまって。
無駄金使った感じ。
もっと綺麗で上手い人居るのになー。
しかも、映像、テイクいくつまでやってんだかしらんけど、目づかい酷すぎんだろ。
あの目がきょろきょろしてる無様な姿を、アップでつかうってのはこの射手に対する侮辱に近いもんがあるよな。
さらし者扱いっつーか。
元々目づかいが上手くない人なのかもしれんけど、あの画像チェックしたら普通は使わないでくださいってなりそうなもんだけどな。
まぁ、対外的には女性の映像あてとけば見たいな風潮があるのかもしれんけど、範にもならん、鳥差しで、手繰り引きで、美しくも無い映像を長々と流す意味がわかんない。
対外的な「信用」が違う
例えば、https://www.mogescore.jp/ で住宅ローンをいくらまで借りれるか、「個人事業主」と「正社員」で比べてみろ
何気ない気持ちで投稿したのですが、思わぬ反響の大きさに驚いています。
元々後輩に注意した方がいいだろうけど、どう注意したものか、何かヒントになるようなコメントでもつかないかな…と思っての投稿だったのですが、まさかこんなにコメントが付くとは…。
でも皆さん物事を大きく捉えすぎというか、ちょっと大げさというか、自分との感覚の剥離に戸惑いもあります。
一番驚いたのは、会社の人と解り合えると思っている人が多い事。
おじさん達なんてぶっちゃけ人の話なんか聞きやしません。他人を個人として認識しちゃいないんですよ。こういうカテゴリのこういう雰囲気の子程度にしか思っちゃいません。
だからそのイメージに反する行動を取っても記憶には残らないし、下手したら反感を買うだけです。
私がいくら甘いものが苦手って言っても女の子は甘いものが好きでしょってお菓子を買ってきたりします。
そこで頑なに嫌いだから要らないですって言って、お菓子を押し付けられる事は無くなるかもしれません。
でも確実に好意を無下にされたおじさんは私に対して反感を買いますし、それを見ていた周りも笑顔で貰っておけばいいのに融通が利かない子だな…って思われて評価が下がるだけです。
だったら笑顔で受け取って、それを誰かにあげるなり家でこっそり捨てるなりすれば世は全て事もなしって奴じゃないですか。
そりゃ非があるのは嫌いなものを嫌いだと言われて尚買ってくるおじさんかもしれませんけど、周りはそう判断してくれませんよ。自分が目下なら尚更。
自分の事を解って貰えるのは当然っていうのはあまりにも幼稚だと思います。解り合えない事を前提として譲歩しつつ付き合う事も必要です。
対外的に正しいと言われる行動をして自分の立場が無くなったら元も子も無くないですか?なんのための正しい行動なのか、冷静に考えたらあんな行動は出来ないと思います。
そもそもアルコールハラスメントとか、プレゼントハラスメントとか…。ちょっとでも不愉快な気持ちになったらハラスメントって、逆にそういうハラスメントありそうですよね。
この場で全部飲み干せとか、俺の酒が飲めないのかとかそういう事を言ってるわけでもなし、
ただビールを配るそれだけの事で自分の思い通りに周りが動いてくれなかったからハラスメントって…。
不愉快でもまぁ悪気は無いんだしと溜飲を下げるのも必要なコミュニケーションだと思います。
若手は先輩方に迷惑をかける機会もあるわけですし、お互いさまなんじゃないかなぁ…。
今のご時世この程度のハラスメント(笑)で済んでるなら正直ラッキーだと思います。世の中もっとひどいハラスメントに苦しんでる人沢山居ますし。
まず私に変える権限なんて無いですし(今回配る側だったのもたまたまその場に居合わせたので手伝っただけです)、わざわざおじさんの反感買うような真似もしたくないです。
ビール党がびっくりする程居ない会社なので、ご自由にお持ちくださいスペースなんて作っても延々と無くならないビールに痺れを切らした総務が結局皆の机に配って終わるでしょうね。
俺にくれって言ってる人に本当にあげたいですよ。うちの会社に転職しません?(というかビールを送ってくる事自体本音を言えば辞めてほしい)
だから会社で今後も快適に過ごす事考えたらこの件は「耐える」しか無いですし、それが最善なんですよね。
私だって後輩には出来るだけ快適に仕事をしてほしいですし、だから注意する前に考えをまとめるって意味合いと自分以外の意見を聞きたいと思って投稿したんですが、
後輩もブコメのような考えの持ち主だったら説得は難しそうかなー…。
まぁ落としどころというか、妥協案として次回から後輩の分は半分貰ってあげようと思います。それで納得してくれればいいけど…。
市町村合併の最大の罪は地方のカッコイイ地名をことごとく消し去ってダサい名前にしてしまったことだよな。
うちの地元も山梨県ではないけど、車で通るたびに「この地名カッコイイな」と思ってた地域が市町村合併のせいで全滅した。
合併のときに市区町村で住民を交えた話し合いをする会議を公聴したけど、平たく言うと「片方の地名だけを残すと不平等」とか「住民同士の諍いをなくすためにも全く新しい名前が望ましい」みたいな結論になった。
都会っ子にはわからないかもしれないけど、ど田舎では未だに小さな集落同士の感情的な対立があって、特定の地域出身者を激しくヘイトする文化が残ってたりする。
郷土研究はしてないのでよくわからないけど、知り合いのじーちゃんばーちゃんの話だとすげえ昔に水争いがあったとか、明治維新の頃にどっかの兵になったとかそういうのがまだ続いてるらしい。
市町村合併で地名が消えることでそういう地域ごとの負の歴史を綺麗さっぱりなくしてしまうというのもいいのかもしれないけど、そのために対外的にカッコイイ地名も捨て去るというのはどうなんだろうと思ってしまう。
少なくともその地域に住む若い世代は進学のためにあっさり敵対地域の学校に進学したり、家賃や地価で引っ越したりとかしてるんで、カッコイイ方の地名で残しておけばよかったのになあと、ダサくなった道路標識の地名を見るたびに思う。
家事の為でも育児の為でもなく家の維持や対外的な付き合い等で妻を必要とするのでは
そういうのは必要ないレベルの、庶民家庭出身の年収一千万のリーマンですドヤァレベルを指して高スぺと言っているんだとしたら
と思って下の方まで読んだら
医者や商社御三家みたいなウルトラエリートの世話になって気楽に生きる、というのは女性からしたら人生の基本戦略と思う。合理性がある。
いや、医者や商社御三家レベルで出産育児のアウトソーシングなんか無理だから子供欲しけりゃ普通に結婚して妻に産んでもらって育てて貰うしかないし
その妻は金銭的不安は薄いかもしれないが激務の夫抱えてワンオペ家事育児になる事確実で気楽になんて生きられるわけがないと思うが…