「レトリック」を含む日記 RSS

はてなキーワード: レトリックとは

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130901102804

http://anond.hatelabo.jp/20130830202223最初トラバ先)

http://anond.hatelabo.jp/20130831142238自分の記事)

元増田の人が2nd Seasonを書いてくれたので、こういった若い人たちに役立ちそうな知識をさらに追記してみたい。

(実は若くなかったら申し訳ない)

念のために書いておくけれど、僕は最近ラノベ専門学校の実態は知らないし、体験入学に行ってみて入らないというのは、優れた判断だと思う。

実際に教師の質をどう担保しているのか不透明だし、やはり意識の低い学生も多い。(自分の時は、おおよそ2割=10人は中退した)

教師は別に仕事を持つ社会人が多く、どちらかというと偏った業界の偏った人格人達で、しかも扱う分野が本来主観的ものであって、生徒への評価も心情的になりやすい。

それに、最近ラノベブームで、雨後のタケノコのように学校が開かれているのかもしれない。

そういったところはやはりノウハウも無いだろうし、授業の質も低いだろう。

(余談だが、僕が通学していた当時は、まさかこれほどラノベ流行するとは正直誰も思っていなかった。ただ、先生は「これからミステリー小説のように定番ジャンル化するだろう」と予言していた。涼宮ハルヒも出ていない頃だ)

から専門学校に通わないというのは、比較的低リスク・低コスト賢明な判断だと言える。

しかしながら、元増田が挙げてくれた問題について、それを断定のまま終わらせてしまうのはもったいない

特に3番目の問題、

でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?

もっと柔らかくて、鵺のように捉えどころがない。そんなものを『教える』ことなんてできるんですか?



は、創作を志す人間が当然抱いて然るべき疑問だ。

元増田が残念なのは、この深い疑問を、専門学校体験入学ときで解決してしまった気分になっていることだ。

僕自身、先生に教わったり罵倒を受けたりしながらも、この疑問に突き当たった。

そして、学校の内側と外側の両方で、この問題について世の中の頭の良い人達がどのように携わってきたか、それなりに気にしてきた。

これから、僕の認識できた範囲での参考資料を挙げようと思う。

おそらく、以下の参考資料を全部精読し、実習を行い、誰か信頼できる人から客観的添削を受け、頭だけではなく全身に技術をしみ込ませることができれば、決して取り戻せない数百万円と数年を賭して専門学校に行く必要など、皆無だろう。

また、下記ばかりでなく、もっと体系的でしっかりした知識が学べる大学なり海外大学なりケンブリッジオックスフォードもあるかもしれない。

そういったものがあると分かったら、単純にそこへ行くべきだ。

「文章作法」について



文芸的な文章を除く基本的なライティングについては、古典的な書籍がたくさんある。

下記2冊は、ここで紹介するのが恥ずかしいくらい基本的な書籍だ。

日本語の作文技術
理科系の作文技術


「文章作法」について、上記以外



さて、上記のような確立した情報伝達技術ではなく、独自の表現をしてみたり、人を感動させる文章を書きたい場合、そういった技術は教える・教わることができるのか?

それを体系的に扱うことは確かに難しい。そもそも人の感情であったり、表現から受け取る印象が非体系的だからだ。

からといって、先人がそれを教育世界で取り扱おうと努力してこなかったわけではない。

どうしても総論ではなく各論になってしまうが、それでも個人的に見て良書は多い。

「文章作法学校教育のように教えられない」結論に至るのは自由だが、下記書籍を全部読んでから至っても決して遅くない。

読みやすものから順に挙げる。

文章表現400字からのレッスン
新作文宣言


「作文」の価値を捉え直した、文章表現入門書。作品でも製品でもなく、純粋な「作文」そのもの価値を再発見している。

文章表現法講義


大学講義をまとめた本。固いタイトルに反して、極めて柔らかい語り口で柔らかい内容を講義してくれている。

だけど、書くことの意味について、「美」について、とても鋭い視点であふれている。

レトリック感覚
レトリック認識
レトリックの記号論


前の文章でちょっとだけ出した。レトリック、つまり、文章で人の心を動かすための体系的知識(!)を取り扱っている名著。

レトリックは長らく馬鹿にされていたらしい(結局、ただの言葉のあやではないか?)が、それを感覚論・認識論記号論観点から再評価した名著。

なぜ直喩隠喩より優れた修辞技法になり得るのか? といったことが詳しく書いてある。

新しい文学のために


大江健三郎による文学論。そもそも小説文芸作品とは何を目指すものなのか? といったことを明確に書いてくれている。

それは同時に、読者としての私たちが誠実な文芸作品の中に何を求めるべきなのか? ということでもある。

文章読本


文章読本は色々あるが、その中でももっと実践的と言われる丸谷才一の本だ。

歴史的仮名遣いで読みにくく感じるかもしれないが、内容そのものは平明だったと思う。

しかし、いまなぜか手許に無いので詳しいことは書けない。「ちょっと気取って書け」くらいしか思い出せない)

小説の諸相


E.M.フォースターによる文学理論Amazonで8000円くらい。僕はカチグミなので古書店1000円で入手できた。

ストーリーはあまり美しい要素ではありません」という衝撃的な宣言が印象に残っている。

ナボコフの文学講義 上
ナボコフの文学講義 下


最近文庫本で読んだ。

小説というものを本来どう味わうべきか? どう書かれるべきか? という熱のこもった講義録だ。

ロリータ」を読む視点が変わる。

まだ見ぬ書き手へ


新装版が出るんだ……。

芥川賞を最年少(23歳)で受賞しながら、文壇に属せず、独りストイック小説を書き続けている作家文学指南書。

テクニックの本ではないが、ここで明らかにされている執筆姿勢には衝撃を受ける。

アウトサイダー(上)
アウトサイダー(下)


ホームレスをしていた25歳のコリン・ウィルソン大英博物館一気呵成に書き上げた文芸評論書。

アウトサイダー」というキーワードのもと、文学美術舞踏哲学などなどを横断的に眺め渡した名著。

本気で読むと人生が狂う。

日本文学史序説〈上〉
日本文学史序説〈下〉


先の記事で書いた。全日本人が読むべき。

なんだかこういう本のことを書けるのが嬉しくて、ついかっとなってリストアップしてしまった。今は反省している

偉そうに書いたけれど、結局は僕も文学界新人賞名前が小さく載ったくらいの実績しかない人間で、そんなには当てにはならないだろう。

しかし、僕自身が当てにならなくても、何が当てになりそうかの感性結構あるつもりだ。

教育における教師とはそういうもので、自分ができなくても人の作品を見て添削できたりはする。

オリンピック選手だってコーチはいるのだ。

失敗している人からだって、むしろ失敗している人だからこそ学べることもある。

そういった人達の行く末をよく見て、やはりラノベなんかやめて、楽しくOSエディタコンパイラでも作ろうと思って欲しいのだ。

2013-08-31

文章系専門学校で学んだこと

http://anond.hatelabo.jp/20130830202223

小説を書くための学校に、2年間通った。

特定を恐れずに、その経験談を書いておこうと思う。

最初教科書本多勝一木下是雄だった。

400文字詰原稿用紙のレポートを何度も書かされた。学校までの道案内や入学式の報告といった、無味乾燥としたレポートだ。

その400文字は、先生の厳しい添削で真っ赤になるのが常だった。

まともな文章をたった400文字すら書けない。その現実の中で僕らはもがいた。

本を読んだ。

プラトンから神々の指紋」まである推薦図書のリストがあって、半分は読んだと思う。(神々の指紋は残念ながら読んでいない)

村上春樹吉本ばなな江國香織好きな人が仲間内では多かった。一方で、ラノベばかり読むグループもいた。

僕自身は、SF古典人文学系の新書を読んでいたと思う。

その時期いちばん読んで良かったと思うのは、佐藤信夫の「レトリック感覚」「レトリック認識」だった。

ただ、読んで良かった、という気持ちだけが残っていて、内容は詳しく覚えていない。

50枚の短編小説を書くのが、1年目の目標だった。

50枚書くことは難しくなかった。

夏にはもう初稿が提出できて、先生にはそれなりに褒めてもらえた。

しかし、自作何となく気に入らなくて、勝手最初から書き直してしまった。

それから、文章を先生に褒められることは一度もなかった。

書き直した作品は、生徒みんなの前で罵倒された。(トラウマだ)

合計で7回は書き直したと思うけれど、何度やっても評価はされなかった。

2年目の卒業制作100枚の中編だった。

そちらも同じように失敗した。

レポートなども合計すると、2年間で2000枚は書いたと思う。

授業では色々な人から話を聴いた。

某有名ゲームプランニングをしていた人・女性雑誌編集長とある古参ハッカーラノベ大御所・今ではずいぶん有名になってしまった当時の新人作家……。

映画演劇もたくさん見せてもらった。レポート宿題が必ず付いていたけれど。

民俗学古事記を読んだり、美術学で有名絵画から聖書シンボルを読み解いたり、構造主義を応用して物語プロットを組み立てる授業もあった。

教えてくれる人はみんな(出来る範囲で)熱心で、青臭い自分言葉もちゃんと聞いてくれた。

ちなみに、小説先生は往年の一太郎ユーザーで、ESCから始めるショートカットばかり使っていた。

キーシーケンスの組み合わせを暗記していたようで、VimEmacsに通じるところがある。

日本語IMEについて、ATOKは使い物になるが一番良いのはWnnだ、と言っていた。その真意は定かではない。

提出ファイルにはShift-JISのプレーン・テキストを指定し、タイトル名前の入れ方も詳しく指示していた。おそらくマクロで処理したのだろう。

ただ、提出メディアフロッピーディスクだった。もう10年以上前の話で、テレホーダイ記憶が鮮やかだった頃だ。

僕が通っていた学校に限れば、環境としてそんなに悪いところだとは思わない。

当初は周囲を見回して傲慢になっていたけれど、その鼻柱は見事に折られてしまった。

客観的に言って、使おうと思えばいくらでも使える環境だったと思う。

ただ、進路が難しい。学校を出た後でどう生活を立てていくかが難しい。

日本社会の標準的ルートからはやはり外れているのだ。

卒業生の進路はそれぞれだった。

僕はPGSEの道に突き進んでしまった。

定職に就いていない人間もきっと多いだろう。

頭の良い同期は大学に転入した。

プロとして活動していると言えるのは、50人の同期の中で3〜5人だと思う。

(これはきっと、専門学校の中ではかなり良い割合に入る)

おそらく最良の選択は、大学に転入し、標準ルートに戻ることだ。

標準ルートを知ることも大事だし、それから生活を安定させてデビューを目指せば良いと思う。

(ただし金が掛かりそうだが……)

専門学校は、僕にとっては良い場所だった。

何も知らない自分に大きなトラウマを与えてくれたのは、本当にありがたい事だ。

ただ、自我の捨て方は教えてもらえなかった。

こればかりは、学校の外で年齢を重ねてから、知るほかなかった。

文章を書くには、どうしても、自我を捨てた部分が必要だ。

そう悟りながら、僕はいまだ書けないでいる。

純文学系の新人賞に一度だけ送って落選した実績しかまだない。

そして、日本語よりJavaを書く時間の方が長く、それよりもD言語を書きたいと思う毎日を、無為に過ごしているのだ。

追記

トラバでも言われてしまったけど、「学んだこと」と言いながら、学んだ技術的な内容をあまり書いていなかった。

多少参考になる部分があるかもしれないので、追記してみたい。

ストーリー構成の教科書としては、シドフィールドが使われていたようだ。

ただ、当時はろくな翻訳が無かったらしく、教師オリジナルテキストを使っていた。

ハリウッド流の伝統的な4分割構成が基本で、自分アイディアをとにかくそれに落とし込み、内的整合性を保って読者に提示する技術を教えられた。

たとえば下記のような点をチェックするよう繰り返し言われた。



他にも色々と細かいテクニックについて教えられた。書くときの気構えであったり、推敲添削方法であったり。

今はストーリー構成の良書も多いだろうし、自分教科書を集めて勉強できる環境も整っているかもしれない。

から自分で体系的な資料を集め、先生になってくれる人や切磋琢磨できる仲間を見つけ、継続的に書く環境を整えられれば、わざわざ専門学校に行く必要は無いだろう。

専門学校などという人生を浪費する施設より、週末の教室Webでの作品発表・添削という形の方が適しているかもしれない。今の時代はきっとそうだろう。

レベルの高い卒業生の作品を見ると、内的整合性の点では下手なラノベよりしっかりしているものが多かった。

しかし、

「全体的に整合性が取れていて、ちゃんとした盛り上がりがあり、伝統的な構成に従って無駄なく構成できているか?」

という問題と、

「それが商業的に売れるか?」

というのはまったく別の問題だ。

商業的消費はたぶん非体系的な世界で、体系的技術がそれにどこまで寄与できるかは分からない。

とあるデビューした卒業生処女作は、内的整合性など何も考えていない、次々と新しい要素がひたすら出現する怪作だった。

その一方で、しっかりした技術のある人が、なかなかデビューの糸口を見つけられないでいる。

ちゃんとした構成や一貫性よりも、変に魅力的な脇役が愛されたりするのが商業世界だ。

特に日本おいて、消費者は全体よりも部分を好む傾向が強いと思う。

そして、部分で受けることを狙うのはかなり難しい。

部分を愛する文化というのはきわめてハイコンテクスト文化で、普遍的一般的技術原理的に存在できない気がする。

それは様式美に満ちた世界で、日本の文化はそういった様式美の継ぎ足し・連続で出来上がっているようにも思う。

こういった事は加藤修一の「日本文学史序説」に素晴らしくまとまっていて、とても面白かったので、創作に関わる人は序章だけでも全員読んだ方が良いと思う。

マンガゲームアニメラノベも全部これで説明できるし、将来的にどんなもの日本流行するか判別する目安にもできそう。

これは学校では教えてもらえなかったテキストだ。

以上を要約すると、ちくま学芸文庫から上下巻で出ている加藤修一日本文学史序説」を3000円で思い切って買おう、それを読めば専門学校に行かなくても大丈夫場合によってはラノベを書かないで済ませられるかもしれない、ということだ。

2013-08-11

地方と都会の文化格差問題低学歴高学歴文化格差問題ってのは、全てが後付けであって、見ようとしたから見えたものなんだと思う。

インターネットってのは、決して開かれている公の場なんかではなくて、基本的には自分の「一般」世間と他人の「一般」世間文化闘争。



たまにはてな見てても、本当に抽象言葉を使って、自分の考えを抽象次元で語れる人なんて殆どいなくて、基本的な構造は、自分の見識を、さも一般性があるような言葉を使って、自分の考えを高尚なものに見せかけるレトリック。「一般」の次元で語るのと、「抽象」の次元で語るのは違う。いわゆるディレッタントの手口というか。「低学歴高学歴」みたいな話題も、それが簡単に自分体験談を落とし込めるから何回も流行っているだけ。


どうして「地方と都会」「低学歴高学歴」「ヤンキー」「ロードサイド」のような話題が自分体験談を落とし込みやすいかというと、それが学業世界に属していた時に、「テストの点数」や「進学先」っていう明確に優劣を計れる物差しがあったからであって、尚且それが日本人である限り義務教育のおかげで、誰とでも共有できる体験だから


そこにあいつらと俺は違うっていう只の二元論選民意識と、あーそれわかるわかるって共感してさも一般論のように自分選民意識の小さな偏見体験談を語る人たちが寄せ集まって巨大な偏見の渦と化しているのがキモい。確かに地方と都会っていうカテゴリー現実存在するんだけど、それが文化格差から始まって、選民意識になってる小さい自尊心キモい

たまにはてなに感じる気持ち悪さって、存在しない格差を、あたかもそれが存在するかのようにレトリックで作りだすエリート選民意識なんだよね。要するに、「あいつらと俺は違う」っていう小さなプライドが、この低学歴高学歴文化格差問題の全ての元凶になってるわけ。

 俺は、俺の思想にしたがって、彼らの存在を可能な限り正しく把握し、そこに感情的色彩を挟まない努力をしなければならない。「あれはバカで、どうにもならない」でかたづけてしまうのは、俺にとって敗北だからだ。

この辺が特にキモい。まるで自分だけ一人安全地帯に逃げ込んで観測者ぶってるのがキモい



 彼らには「インターネット」という概念がよくわからない。よく言われることだが、たとえばTwitterならTwitterという「個別のアプリケーションがある」というのが彼らの感覚であるLINEは使ってないんでよくわからん)。



こういうのって、学歴とか、あいつらはこれを知っていて、俺らはこれを知っているかあいつらとは違うっていうしょーもない二元論で語るのではなく、バカをさせてしま構造的な側面から語らないと、只の偏見差別の羅列になると思うな。

2013-08-10

彼女短歌をおくった

暑過ぎるので、暑さを題材に、彼女短歌をおくった。

普段歌なんか詠まないのに、衝動かられて書いてしまった。

一見暑さとだるさを歌ったものだけど、季語助詞の読み方を変えると二人の名前が現れて、愛しさを表現してみたつもり。

メールに書いて送ったら、少し経って返信が届いた。

きちんと返歌になっていて、秋の涼しさへの羨望と早く会いたいという気持ちが綴られていた。

ちょっとした古典的な活用とか、レトリックが解る人で良かったなと思う。

風流を装った拙い遊びだけど、歌をおくりあうのは意外と楽しいものだと気づかされたので、勢い余って増田に書いてしまった。

思い返せば恥ずかしい。

2013-08-08

勝手に人の体を切り売りするな

私は顔面に審美的に望ましくない特徴を持っている。わざわざこういう言い方をしたのは、それがただ不細工というだけでなく、けっこう珍しい特徴でもあり、子供のころにからかいの対象になりやすかったからだ。その私に向かって、私の親はよくこう言った。「芸人さんみたいに自分で話の種にして笑い飛ばししまえばいいじゃない、人気者になれるよ」と。まぁ別にそれだけではなく、私の親はとにかく節操無く「アドバイスとしてそれっぽいこと」は何でもかんでも言っていたように思うが、「マイナス要因を屁とも思わず逆に利用しろ」というレトリック特に好んで使っていたように思う。ほかにも「いじめられたってことは人の痛みがよくわかる優しい子になれたってことだよ」とかだ。冗談じゃない!ふざけろだ。いじめられなくても痛みを感じる場面なんて腐るほどある。ちょっとした痛みを知っているだけでもっと強い痛みも類推できるのが人間の知性だ。多大な苦痛を味わう必要なんてない。大きすぎる苦痛は、他人を思いやる余裕を奪う。程度によっちゃ人の痛みをわかるどころじゃなくなる。そんなもの正当化するな。コンプレックスを笑いにすることだってそうだ、他人が強制したらそれはいじめと何も変わらない。いちいち気の利いたことを言って格好をつけようとするな!何も言わないでいてくれたほうがまだましだった。

2013-07-17

xevraが恐ろしく無能な件について

彼は普段偉そうな事をいってる割にはデマが全く見抜けないのだ。

その証拠に例を2件あげてみる。

http://b.hatena.ne.jp/xevra/20130531#bookmark-148325210

このブックマークだが、他の人のブクマをみれば分かるように元記事は海外虚構新聞のようなジョークサイトでそれ真に受けた馬鹿日記かいたんだが、xevraは、

”うは、これはヤバい遺伝子組み換え野菜とは農薬自分で合成するようにした化け物。遺伝子組み換え食品を食べるという事は農薬を食べる事。毛が抜けるだけでなく深刻な副作用が次々出そうだ。恐ろしい恐ろしい”

みたいなどうしようもない無能な事をいっている。

http://b.hatena.ne.jp/xevra/20130708#bookmark-153518610

これはtwitterを騒がせた渋谷駅銃乱射デマここでもxevraは

"もう渋谷ダメだな。終わったな。ただでさえ乗り換えが大変になって乗降客数が減っているというのに治安も悪いんじゃ救いようがない。"

といっているが、救いようがないのはお前だ。

この様に彼はどうしようもなく無能なのだが人を馬鹿にするのは大好きで普段から中傷のようなブクマばかりしている。

控えめにいって彼は「自分無能と理解出来る程の知能も持ちさわせていないどうしようもない無能なのだろう。

そして、このような自分省みる知能もない無能に限って態度と声がでかいのも世の常なのだろう。

追記

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130717113026

"男が暴れて治安が悪化しているのは事実。私のコメントに何の問題も無い。遺伝子組み換え食品を食べるという事は農薬を食べる事と同義である事は真実であり変わらない。だから問題ない。もっといいネタもってこい"

との事なので、反論してみる。

  • まず前半の"男が暴れて治安が悪化しているのは事実"だが

画像渋谷駅拳銃らしき物体を振り回して暴れた男が警官に捕まる事件発生! - NAVER まとめ変更する

http://b.hatena.ne.jp/entry/matome.naver.jp/odai/2137327035503716701

を確認する

id:kaitosterさんによると

"「渋谷駅で銃を乱射して暴れた男が完全防備の警官隊に捕まる事件発生!乗客は避難改札内立入規制へ」→「渋谷駅拳銃らしき物体を振り回して暴れた男が警官に捕まる事件発生!」←アクセス稼ぎにデマまき散らす人"

タイトルが変わったようだそして

xevraのブクマ

id:emoyanさんの

"【画像渋谷駅で銃を発砲して暴れた男が完全防備の警官隊に捕まる事件発生!犯人は「笑っていた」との情報 - NAVER まとめ"

下にあった。

そしてブクマ時間順に下から上に追加される。

まり彼が書いた時点では

"【画像渋谷駅で銃を発砲して暴れた男が完全防備の警官隊に捕まる事件発生!犯人は「笑っていた」との情報 - NAVER まとめ"

であり、ブクマコメントは発砲に向けて書かれたものなのだ

この彼の言い訳は元のデマまとめ主同じく姑息レトリックであるのだ。無能なだけではなくこのまとめ主と同じレベル精神まで腐っているように思える。

なら遺伝子組み換え農薬危険性について比較したまともな医学エビデンスなり審査をくぐり抜けた論文を提出すべきだ。

でないと彼が批判している「はぁちゅう」の血液クレンジングとなんらかわりはない似非科学である。彼が批判している対象たいして変わりない無能さだといえる。

2013-06-10

テストコードがないコード技術負債でいいんだよ

http://methane.hatenablog.jp/entry/2013/06/08/%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%8C%E6%8A%80%E8%A1%93%E7%9A%84%E8%B2%A0%E5%82%B5%E3%81%98%E3%82%83

テストコードがないコード技術負債」というのは、たぶん技術負債を正しく定義するのが目的ではなくてね。

たとえばリーダビリティの低いコードが一般的な意味技術負債であるのはそりゃそのとおり。なんだけど、「みんな読みやすコード書こうぜ」という訴えは、適性の欠けたプログラマもたくさんいる世界であまり意味をなさないと思うんだよね。「そんなもん書けるならとっくに書いとるわー」って話で。言っちゃ悪いが、バカにお前そのバカどうにかしろよって言ってるようなもん。

じゃあ、IT世界全体で品質底上げをするためにはどういう価値観を広めればよいかとなると、心がけやルール化によって誰でも(一応は)実現可能で、実現度合いが定量評価できる、ある種のプラクティスを重視するしかない。もともとテストというのはそういう側面もあるから重視されているわけでしょう。「テストコードがないコード技術負債」っていうのは、スローガン化することでテストコードをなるべく多くの人に書かせるよう仕向ける、要するに一種のレトリックだよ。だからこれはこれで正しいの。

2013-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20130531180845

ヘイトスピーチ根本的な定義に関する質問」と「ヘイトスピーチという語の適用範囲に関する質問」を意図的に混同させて論点をずらそうとしてますね。

まったく小手先レトリックばっかり得意なんだから

いつもなら元増田に対して「ヘイトスピーチ根本的な定義すら知らない馬鹿増田に書き込むなよ低能(キリッ」とか言ってる頃合いじゃないですか?w

2013-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20130530110209

不正受給者がいるから本当に必要な人たちが生活保護を受けられない」というレトリックを使っているんだから

不正受給を根絶することによって、どのくらいの予算が浮き、どのくらいの「本当に必要な人たち」が助かるのか、というところは当然、問題になるだろう。

2%を0%にするための厳格化によって、「本当に必要な人たち」まで審査ではねられてしまう、ということも、もちろん考慮しつつ。

2013-05-09

ガルパンについて考える

 ガルパンについて語りたくなったんだけど

ツイッターでやるには140字の縛りがウザいし

自分WEBサイトエロサイトから需要の薄い長文乗っけて誰得な思いさせたくないし

はてなダイアリーの垢は持ってるんだけど長らくログインしてなくてIDパスを忘れちゃったしなので

増田に描く

 なお原文は2012年11月ミクシィ日記に書いたものなので

身内向けということで文体が多少馴れ馴れしいし

まだ6話のサンダース戦前の状況ということで現在の、「俯瞰的見地から見たガルパン像」から

若干乖離した表現があるのはご容赦

-----------------------------------------------------------------------------------------------



 ブレインストーミング代わりに今日ガルパンについて語りたい

 ガルパン(正式名称ガールズ&パンツァー」、以下愛称の「ガルパン」で統一)

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%26%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC

 リンク先見るのめんどい人に一言で解説すると

 現実とはちがう世界、「華道」や「茶道」のように、戦車を使って軍事教練に励む「戦車道」が良家の子女の教養の一つになっており

学校教育で「戦車道」がクラブ活動として推進され(←日本右傾化が!軍国主義復活!ぐんぐつの音が~!)

そんな世界女子高生が「戦車甲子園」を競う青春の日々を描いたアニメです



 僕基本的に思想は左派寄り中道(社会民主主義護憲志向)で

やはり日本憲法九条を護持し他国に侵略的な脅威をいだかせるような軍備拡張路線をとるべきではない、という個人的信条なのですが


 ほらリアルょぅι゛ょレイプとかダメ絶対でもぷにケットでそういう系同人誌買ったりするじゃん?

「それはそれ、これはこれ」という…

社会に対する「こうあらねばならない」という理想の大枠と、個人的な趣味嗜好との間に矛盾をきたすのは人間よくあることだというわけで

ミリタリー的なもの

は、積極的に嗜好するほどではないにしても【興味があります】状態なのですよね~


軍事っていいよなパワフルで

兵器の味って男のコだよな






 それでガルパンです

 僕戦車って実は趣味の埒外で、まったく詳しくなかったのですが

(どれくらいかというと、「ガルパン」劇中の10式戦車90式戦車区別が全くつかなかったレベル)

ストパンと似た部分(女の子×ミリタリーキャラ原案島田フミカネ先生)があり

また水島努監督の初のオリジナル作品ということで

この奇貨居くべしと思い密かに注目していたのですが



戦車」という全く馴染みのない題材を

女の子たちがキャッキャウフフ!しつつ戦車甲子園を目指すというサクセスフルなアプローチを取ることで


メインキャラ女の子だけなのか

うん! そうかそうかそうなれば話が違う

ここに並んだ大量の戦車がすべておかずとして立ち上がってくる


 という、キャッチー萌え豚仕様の娯楽アニメに仕上がっているのですよね~



 「戦車」というテーマは、その露骨軍事性の発露から

僕みたいにストパンハルトマンを知ったニワカミリタリ趣味アニオタには

ちょっと敷居が高かったのですが


 劇中では「部活動」の体裁を取ることで、「戦車戦」の持つ面白さの基礎を啓蒙しつつ

同時に女の子たちのキャッキャウフフ!を表現できるという

理想的な作りになっているのです



 そもそも一般的に男は「力強いもの」へのあこがれがあるのですよね

戦車戦闘機軍艦にかぎらず、偉大なアスリートマッチョ格闘家、完成した帝国、大馬力クルマ、大きなタンカー、巨大構造物や、強靭な猛獣や雄大な自然


 そういう「力強いもの」と、そういうものに近づこうとする努力姿勢というのは…やはりそれだけで大きな「見せ場」「おはなし」を生むわけです



 それでガルパンです

 ガルパンは、「女の子(以下略)ウフフ!」で萌え豚釣りつつ

萌え豚の中の、「力強いもの」へのあこがれを「戦車戦闘」のシーンで上手く引き出して

しろ王道的な少年漫画に近い、男性的娯楽性をあげることに成功していると思います


 ガルパンに関しては

ネットの一部で急進的極左ファンが



ガルパン萌えアニメじゃなく燃えアニメ!」

「むしろガルパン女の子はいらない!」



等の冒険主義的な発言を行なっている背景には、こういう部分があると思います

 結論としては


 ガルパンはそういう部分が男性アニメファンにウケて

ある程度の商業的成果を残せる作品になりうる可能性は秘めているのじゃないかと思います

(↑この部分、去年の11月に書いた部分なんで今更感が激しいのですがあえて残す)






 んで

 実はこの件について

サークル(※同人サークルやってる人間ミクシィ日記なのでこういう表現なわけだ)の特別顧問たる妹くんのご意見を賜りたく

件の動画

<externalvideo src="NC:sm19396234">

 を見ていただいたのですね

※ちなみに妹くんは、いわゆる男性的なヲタ娯楽(軍事格闘技ガンダム等)にはほぼ全く共感性を持たない方なのですが

しかストパンキャラアニメとしては評価していたり、ガンダムUCを「ボーイ・ミーツ・ガールなサスペンスもの」としては評価していたりと、「ギミックにかかわらない話の面白さ」は積極的に汲んで評価する方だと思います



 で感想

「お兄ちゃん…悪いけどこのアニメ、お兄ちゃんが思ってるよりずっと

玄 人 向 け す ぎ だから

 ファッ!?

「いや自覚したほうがいいと思うよ、電車軍事ガンダムロボに萌え萌えになれるのは男の子だけですから


 で…でも…ガルパンは見せ方がすごく丁寧で…


「そう思ってるのはお兄ちゃんが「軍事モノ属性」がある人だから

軍事関係の「ルール」っての?ああいものがわかってないと、何やってるかわからないんで

「ああ、わかる人にはわかるんだろうな」ってのは伝わってくるけど、それが面白さに直結してくれないんだよね」

「この動画だとキャラクター多すぎで、しかキャラ同士の人間関係が…「(戦車内の)役割しか伝わってこないじゃん?

ストパンみたいに、キャラ同士の性格がよく見えて、そこから感じ取られる関係性で、「軍事とか興味ない人」にも楽しめる的な要素がありませんでした」




 そ…それは!1話から通して見ていくとだんだんとわかってくる部分で…




「理解がないとやっぱり1話から軍事に興味ない人は見ないよ、こういう話…

あと戦車だと女の子がみんなおんなじ格好してて、車内だから体の一部しか見えないわけじゃん?

そこも女の子ごとに違うコスが全身見え(て、芝居ができ)るストパンと違って、キャラ感情移入しにくいんだよね~

「この子たちどういう事をやってんの?」って感じで」

自分的にもガルパンの一番敷居が高い部分がそこだと思います

戦車」はシステム上、1台あたり最低3人多くて5人の乗員を必要とし

しかも劇中ではチーム戦(味方だけで24人)になってくるので

どんなに最低限のユニット構成にしても、最低限10人(主人公チーム5人+<味方チームリーダー一人*4>+敵1人)のキャラの見分けが初見でつかなければならない…という

非常に厳しい前提条件があるのですよね

「やっぱりキャラ描写って、ヌルい人を釣るのにも大事な要素だと思うわけよ

例えば(同じ水島監督の)「おお振り」なんかは、野球ルールがわからなくても阿部さんや三橋キャラが立ってて、

野球試合って劇中のキャラ関係性を表現する舞台だったわけじゃん?

人間関係が生み出すドラマがメインで、野球がそれを表現するツールにすぎないみたいな…

この動画だと、完全に戦車ドンパチがメインで女の子が添え物(表現のツール)なんで、戦車に興味ないと見てて退屈なんだよね」

「あとせっかく女の子いっぱい出てるのにストパンと違ってパンツ全然見えないじゃんこのアニメ。」


 あれはズボn


「そういうレトリックはいいから…」


 あ、ハイ

「それで、まさかこのアニメ冬コミに新刊出したいとか思ってないよね?

お兄ちゃん前の日記で『(ガルパンを新刊候補にしたのは)趣味から』って言ってたじゃん

これが同人的に来る可能性低いのわかってるよね?」

 で、でも…ガルパン6話が神だったし…

「そりゃ、これ本編は熱狂的なファンに受けそうな気はするよ?

でも同人って、本編でやられてない「外野」の部分を妄想するのが楽しい訳で、みんなそこに期待してお金払って本買うわけでしょう?

キャラ同士の関係性とかさ~…そういう外野妄想の楽しさって、あんまりこのアニメにはナさそう…劇中の戦車の使われ方を解説する本とか、そういうのが受けそう」

 確かに…

 言われてみればそうである(画像略)

 前の日記の時点では、まだ4話までしか見てなかったので

西住殿×秋山殿がふたふたする本でも描こうかな~と一瞬思っていたのですが

 すくなくとも現在の「戦車甲子園」路線が続いていけば

キャラ関係性を掘り下げて妄想する余地は少なそう

3話くらいまではちょこちょこ出ていた「百合営業」シーンも

4話以降はめっきり絶えて、「普通に女の子同士の友情と共感」以上の感情が、ガルパンのメインキャラからは汲み出しにくい感じだと思います

(↑この時点で6話までしか見てなかったんで今から見たら的はずれなこと言ってるがあえて残す)


 マイミクさんでガルパン好きな方いたらすみません;;disってるわけじゃないんです;;

それだけはわかってほしい

----------------------------------------------------------------------------------------------

↑は冬コミガルパン同人だそうかなぁと思って妹に相談したら止められたという話

実際有村悠氏のガルパン同人が残念な結果になったことはご本人も仰っているし

サークルでも、この後ガルパンふたなり同人出したら、会場で出た部数が ふたけっと>>ガルパンオンリーイベント だったりで

ガルパン同人は非常に玄人向けなジャンルという印象はあるのであえて削らないでおいた

2013-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20130508131012

そういうレトリックを使う人を擁護するわけではないけど、そういう人たちが「元は日本を攻めただろ、謝罪しろ!」とか言ってるのはあんまり聞いたことないな。

「元が中国じゃないなら大半の中華王朝もそうだろう」

というのは確かに正しいけど、

古代中国現在中国民族的に別物だから云々」とか、その中国朝鮮に置き換えたバージョンとか、

そういうレトリックを好んで使う人たちが、真っ先に今回の発言を叩いていたりするからさ、

どんぐりの背比べだと思っちゃうんだよね。

2013-04-29

動物実験って、よく考えたら微妙な問題だよな

たいてい動物実験が話題になるときって過激な団体が無茶したときから、「動物実験反対派」の主張が肯定的に報道されることって少ない気がする。

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/493443

たとえばこれが「穏便に申し入れて」「高校側が拒否した」とかなら、ニュースバリューも無いしね。

ただ、ブコメとか見てると、たまに妙な意見が書いてあることがある。

・この団体事務所の近くの水たまりという水たまりにボウフラを投げ込んでやりたい

・「アカムシの解剖」は、少なくとも、「ゴキブリ殺虫剤をかける」より残酷行為ではないはず。学校での動物実験に反対する前に、まず殺虫剤の不買を呼び掛けてみろよ。

別に彼らがほんとにそう思ってるってこともないだろうし、単なるレトリックなんだろうけど、やっぱり気になる。

Aを反対するときに、Bも反対しないのはダブルスタンダードから、そっちも批判すべきだ、というのはわかるけど、

それは直接に動物実験賛成を意味しない。

露悪的に言うなら、

「過激な団体に無意味な攻撃を呼びかける声明を出すことで、相手に正当性を付与する」

「ほかにも攻撃対象がありますよ、と被害を広げようとしている」

とかね。

まあ、それは本筋じゃないわけだ。どっちかというと、これに近い。

ところで高校の動物実験って誰が倫理性を担保してるんだろ?個々の高校(ひいては生物教師)を攻撃されたら抵抗するには負担が重いと思う

別に拾ってこないけど、良く動物実験に対する批判まとめみたいなののブコメに以下みたいな意見が乗ることがある。

  1. 動物実験に反対するなら、人体実験に移行しろってことか
  2. 動物実験によって、科学が発展してきたのは事実
  3. 動物実験の利点は無視するのか
  4. 動物実験は過度に苦痛を与えるわけではない。必要実験しかしていない。

でもこれらは、倫理に対しての回答にはなってない。

というのを、無意識的に前提としておいていないと成り立たない。

程度だと、かなり注意しないと動物実験正当性を説明できなくなる。

あー、判りにくいか

動物」を「ユダヤ人」に、「人間」を「ナチス」に置き換えると、上の4つの意見が途端に醜悪なモノに見えてくるだろう。

(もちろん、ユダヤ人動物的だとかそういうことを言いたいわけではなし、適切な置き換えでもない。

 「ユダヤ人を使った実験科学が発展したのは事実だし、ナチス危険さらさずに実験する方法がほかに無い」とすれば、

 「科学発展の速度」や「最低限の実験」ってのが倫理の説明でのエクスキューズにならないのを理解してもらうためだ。

 「ユダヤ人にも権利を」という主張をしているのが動物愛護団体だ、と理解するのが、動物愛護団体共感できない人には判りやすいと思う)

動物実験での倫理の問題って、微妙なんだよな。

実は、さっき不適切な例示だって言い訳しながら使ったユダヤ人とかナチスってのは、あながち無関係でもない。

動物実験の話をすると必ず出てくるヘルシンキ宣言ってのは、そもそもがナチスによる人体実験反省から来ている。

人間を対象とする医学研究は、科学的文献の十分な知識、関連性のある他の情報源および十分な実験、ならびに適切な場合には動物実験に基づき、一般的に受け入れられた科学的原則に従わなければならない。研究に使用される動物の福祉は尊重されなければならない。

ヘルシンキ宣言 B-12

日本医師会ウェブサイトhttp://www.med.or.jp/wma/helsinki08_j.html )

これは要は、動物の福祉は尊重しつつ、人間の福祉よりは制限されたものだぞ、と宣言しているわけだ。

人間のほうが動物よりも上だとする宣言だとも言える。

ブラックジャックだって人間をほっぽっといてイルカを助けたわけではない。あの作品にすら、明確に優先順位がある。

動物人間と同等に扱うのは、個人的には狂ってると思う。

オレは「狂う」というのを、一般からずれてしまった、と定義しているからだ。

少なくとも日本社会では動物人間とは違うものだとされているし、知っている限り西欧諸国もそうだから、「一般的に人間動物より上」と思っている。

から、オレも、人間は明確に動物よりも上だと思っているし、

ペット家族同然とは言っても、家族ペットのどちらを助けるかと問われたら、迷い無く家族をとる。

ただ、動物が虐げられすぎるのは良くないという意見もわかる。

そういった話を全部棚上げにして、「動物愛護団体手法」だけに触れるやり方は、教育機関ではとれないんだろうなーと思ってる。

(過激なことをする団体の主張は取り合う必要は無いというのは一つの方針だけど、動物実験正当性はそれとは別に教育に取り入れないと自然に身につくものでは無いと思ってる)

から動物人間と同じような権利を得るべきだって団体は、オレはおかしいと思ってるが、

そういう主張をする人たちに反論したり正当性を主張するときには、かなり注意しないと、全く意味の無いこと言ってることになる。

そりゃ、ユダヤ人への人体実験をやめろって主張している団体に、科学の発展がーとかナチス安全がーって言っても伝わらんだろ。

そしてそれを、いまいち理解できていない高校生には、経緯を含めて考えてもらうのが教育だと思ってるし、

その正当性倫理性の担保)の説明を、一介の高校に期待するってのは、かなり厳しいと思う。

どうすんのが良いのかねー

2013-04-22

深淵へと踏み込む日本

久々にLRCの翻訳でもやってみようかと思った。

元記事はこちら:http://lewrockwell.com/schiff/schiff219.html

Japan Steps Into the Void, by Peter Schiff

グローバル経済危機を経て、経済学者投資家は異常に高額で、無くなる気配のない国債についてやけに許容的になった。この無頓着っぷりは、自国の紙幣印刷出来る強国は債務危機に囚われる事など決してないという思い込みによって裏付けられているかもしれない。そしてどうやら日本はそんな確信を極限まで試そうとしているようだ。

ここ20年の大半、政権交代の続く日本行政中央銀行量的緩和政策を用いて、萎んでしまった資産バブルを復活させようと努力してきたが、成功には至らず、全体的に見て経済は応じてくれていない。第二次世界大戦後に日本経験した、世界史上類にない経済サクセスストーリーとも言えるあの目まぐるしい継続的成長が復活する事はなかった。この20年間、日本は低成長・不景気・爆発的借金という「ゾンビ経済」状態が続いている。日本借金は現時点で約12ドルで、これはGDP200%以上であり、IMFはこの数値が年末までに245%にまでなると予測している。もしそうなれば、日本世界で最も借金GDPの比率の高い国という称号を得る事になってしまう。しかし、新たに当選した日本安倍晋三総理大臣日銀黒田東彦総裁は、経済を復活させるには更なる借金必要なのだと感じているようだ。

安倍首相切り札経済政策を引っさげた今までにない総理大臣なのだという期待感は、長らく死に体だった日本株式市場を目覚めさせた。2012年5月11月日経平均株価は8200~9400円だったが、安倍の勝利が確定し始めた頃から株価は上昇し始め、去年の12月26日に就任した頃には10,000円台まで回復。このお祭り感覚は春先まで続き、4月2日には12,003円まで上昇した。そこで4月4日日銀黒田総裁はこの流れに則り、どんな手段を用いても2%のインフレを達成して、長年続いた緩やかな価格低下を止めるという計画を発表した(この価格低下は現実には日本消費者に対する数少ない慰めだったのだが)。この計画を達成する為に、日本政府流通している円の量を倍増する構えだ。株価はたちまち急上昇し、一週間も経たない内に日系は13,000円台まで上昇し、4年半ぶりの最高値を記録した。1年以内に株価が50%も回復する事は世界的に見ても珍しい事だが、この回復の代償は高くつく事になる。

日本政府は既に税収の25%を借金の返済に当てており(米国は6%)、このコスト日本が支払っている異様に低い金利考慮すると余計に驚愕的である日本10年分の国債金利は既に0.6%以下で、5年分となると0.20%を多少上回る程度だ。安倍首相2.0%のインフレを達成すれば返済コストはどこまで上がってしまうのか?2.0%によって長期的な貸与コストは3倍にまで膨れ上がる事になる。借金の金額を考えると、この規模の増大による影響はゴジラ10匹分に匹敵するだろう。

日本の平均年令は上がる一方であり、時間が経てば経つほど国債の購入層は縮小していく。一般的な貯金者が国家債券市場とはほぼ無縁な米国とは違い、日本市場日本投資者によって支えられている。安倍首相が作ろうとしているインフレから身を守る為に、日本貯金者は収益源として海外視野に入れている動きが強まっている。

株価が上昇しているのに対し、円相場はその逆方向を進んでおり、2012初頭と比べて米ドルに対して20%、今年の頭と比べて12%も下落している(これは他の通貨に対しての比率よりも激しい)。日経の上昇という利益に対して大きな打撃となったこの急速な下落は為替市場においても珍しく、既に弱体化している国債経済を更に不安定なものにする危険性がある。

数ヶ月前にこの円の下落は見出し上の戦争へと発展した。2月16日G20参加国は切り下げ競争通貨戦争に対する警告を声明し、これは明らかに日本へ向けられたものだった。翌日、日本大蔵大臣通貨操作はしないと主張し、多少の躊躇いはあったものの、G20はこれを受け入れた。今の所国際勢力は日本の後を続く形になっており、IMF専務理事クリスティーヌ・ラガルドベン・バーナンキ安倍首相の政策を絶賛している。競争相手に対する攻撃ではなく、国内経済再生させる事が目的なら通貨の弱体化は操作行為とは見なされない、という考えが通説のようだ。このような考えは破廉恥レトリックとしては正に金字塔レベルであろう。

インフレ政策だけでなく、安倍首相財政から戦争を仕掛けるつもりだ。首相率いる自民党は、今後10年間で約2.4兆米ドル分にもなる公共事業を盛り込んだ経済対策を発表。これは日本GDPの4割にも登る投資で、人口比で見ると米国で年間6000億ドルが使われるのと同じである

日本過去に行った大規模な量的緩和実験は失敗に終わっている事はどんな馬鹿でも分かる事だと思うが、日米の両首相はこの道を無謀にも振り返る事なく突き進んでいる。安倍首相によれば、日本経済問題は全て年間0.1%の消費価格の低下が原因で、無理やりにでも消費者必要もの・欲しいものを年間2%増の価格で買わせる事が出来れば万事解決、という事らしい。

安倍首相のこの望みは既に現実化しているかもしれない。マクドナルドは今朝、ハンバーガーチーズバーガー価格を5年ぶりにそれぞれ20%と25%値上げすると発表した。きっと日本人はこのニュースを聞いて狂喜乱舞し、2014年内に食べる予定だったハンバーガーを、値上がりする前に駆け込みで食べまくろうと店に押しかける事だろう。もちろんこれが低収入層にとって低価格食品の値上げであるという懸念なんて一切されない。

安倍首相の計画の元である価格上昇は値上げする前の駆け込み需要を生む」という考えは、価格が下がると需要が上がるという経済学の原則と対立している。商品を流通される最善の方法は値下げだと、どんな経営者も口を揃えて言うだろう。この問題とは別に紙幣の購入力が低下し、より多くの国民収入借金の返済に必要となっている中、安倍首相はどうして消費者もっと消費してくれるだろうという発想に至れるのだろうか。

安倍首相のこの大胆な計画は、借金による経済復活の先にあるのは破綻である、という前例世界に示す事になるだろう。良いニュースは、その効果が目に見えてくるのはそう遠い先の話ではないだろうという事だ。インフレ経済特効薬として服用する事には限界があるという厳しい現実を私達は目の当たりにする事になるだろう。

この経済実験の失敗は日米の指導者達に、繁栄への道は自由市場資本主義に他ならない、という事を教えてくれる事を期待している。はじけたバブルを再度膨らませようとしたり、ケインズ主義的再生策の微細管理といった手法を取るより、政治家中央銀行役員は、この問題を引き起こす事が自分らの職の本質なのだという現実気づき、道を開ける事に専念すべきである

2013-04-03

アスペルガーが嫌がられる本当の理由 』の邪悪錬金術

http://anond.hatelabo.jp/20130402215709

この記事について。

私はただ一つ「この記事には論理誤謬があり、なおかつその誤謬によって害が引き起こされる可能性が大いにある」という話をしたいと思います。健常者がどうのアスペルガーがどうのという話ではありません。まあ書きながら考えるので変なところに着地するかもしれませんがとりあえず目指すのはその辺です。以下本文。



まず、「健常者にも色々いる」とご自分で述べておられますね。
それにも関わらず、「だからアスペルガーは嫌がられるんだよ」という主張の論拠として使われているのは知人のアスペルガー男性エピソードのみ。アレかな、「アスペルガー症候群にも色々いるんですよ^^」っていうツッコミ待ちの記事なのかな。

「私の知り合いのアスペルガーが嫌がられる本当の理由」という題名でもないしそのように解釈できる文言が本文中に書かれてもいない以上、「こういうわけなのでアスペルガー(の人間普通皆)嫌がられるんだよ」という意味しか解釈できませんよね(論拠は筆者の会ったことのある「アスペ男性たち」の印象と、たった二人の人間エピソードだけだけど)。すくなくとも筆者の方はそのような意味をこめて書かれたと解釈したんだけど、違ってたら申し訳ありません。

まあ自分で「自分医者でもないしアスペルガー100人に会ったわけでもない」と丁寧に注をつけておられるし、「アスペを全否定はしない」とまで書いていらっしゃるので、この題名はどちらかというと人を釣るために極端な題名をつける技法の一種ではあるのでしょう。
しかし、「アスペを全否定はしない」のくだりの直前まで「アスペルガーは~」「アスペは~」と相も変わらず「普通アスペルガーはこうなんだよ^^」とでも言わんばかりの叙述が頻出していますよね。というか全編そうなんだけど、「健常者はこうなのにアスペってほんと迷惑だよね、困るよね^^;」という記述、論調になっています。実際に読み取れるのは「私はこうなのに知り合いのこいつらはこんなやつらなんだよね、困るよね^^;」という内容だけであるにも関わらず、一般論に見せかけようとしています

まり、この筆者は、「自分VS自分の知り合いのアスペルガー」の構図を「健常者一般VSアスペルガー一般」という構図に敷衍しようとしているんです。
自分は「自分VS自分の知り合いのアスペルガー」という例しか知らないにも関わらず、「健常者一般VSアスペルガー一般」として、あまつさえアスペルガー一般」を悪であるかのように語ることは紛れもなく邪悪錬金術です。比喩を使わずに言うと、詭弁です。自分の「知り合いの困ったアスペルガー」という個別事例を「アスペルガー症候群人間全般は困る」という大きな空想に仕立て上げる言葉錬金術は、意図的にやったならば紛れもない邪悪です。この「自分医者でもない~」や「アスペを全否定は~」のくだりは、この邪悪錬金術ごまかそうとする、実の伴わない、卑劣エクスキューズであると言わざるをえません。


……とここまでかなり過激な言葉を使ってきましたが、これは「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」が書かれた意図をまあ悪いほうに解釈した場合の話です。よりマシなほうに解釈するなら、この筆者さんは<早まった一般化>の罠にうっかりはまってしまったものとも考えられます。<早まった一般化>とは、要するに「X高校の生徒Aは不良だった。X高校の生徒Bも不良だった。したがって、X高校の生徒は全て不良である」とやってしま論法のことです。当然ながら論理的に妥当ではありません。しかしよくやっちゃう誤謬からこそ名前までついているのであって、うっかりやってしまうことがあるのは仕方ないともいえます


しかし、これを「仕方ないねー、次から気をつけてねー」で済ませてしまうことはできないと考えます
なぜなら、意図的であれうっかりであれ、「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」が「ある特定のグループ人間妥当な根拠なくdisり、彼らの悪印象を植え付ける」ものになっているからです。
妥当な根拠なく」というのは上段に述べたとおりです。
筆者は「自分の会ったことのある男性アスペルガー達」の話を「実際の、正しいアスペは~」と、何故かアスペルガー全般の話としかとれないような言い方で敷衍しています。そして、「だからアスペは嫌がられるんだよ!」とdisっています。筆者の方もうっすらマズいと思ってはいるのか「アスペを全否定はしませんが~」とか書いてはいますが、そもそも「アスペが/アスペを」と書いた時点で「アスペ(ルガーの人全般)が」という意味になってしまっていませんか。
これを「うっかり」やってしまったのならば、筆者の方には思慮が足りません。言葉は悪いですが、言い方が悪くて周囲と軋轢を起こしまくりなおかつ自覚できない反省もしない、コミュ障(の一種)と同レベルです。言葉の使い方が悪く、主張の論理妥当性を吟味していないばかりに「X高校のやつらってマジ不良だわーサイアクー」という誹謗中傷になってしまっています。ご自身のためにもお気をつけになるべきだと思います
これを「意図的に」やったのならば、ただの根性曲がった悪人ですね。社会のためにも大人しくしててください。

ここまで書いてきたのは、「自分が知っている個別事例のみを根拠に何故か一般論として特定の人々をdisり彼らへの悪印象を植えつけようとする」のはどうかという話であって、本質的に健常者(というか定型発達)がどうのこうの、アスペルガーがどうのこうの、という話ではありません。ただ<早まった一般化>にはお気をつけを。邪悪意図があろうがなかろうが、あなたが「結果的に」悪人と同じことをしている可能性は大いにあります



おわり。







■■■
おまけ
■■■



↑では「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」について、個別事例を一般化してdisる
はよくないとおもいます!という話に(最終的に)なっていましたが、それとは別の視点
でこの記事につっこんでみようと思います特に主張の芯もなく(というか主題から外れた枝葉の話で)論理の組み立てが甘いので本文からは省いた話です。二つぐらい書きます

1、

上でも言いましたが、アスペルガーの症状をまとめたサイトには、

空気が読めない」「裏表が無い」

「一つのことに夢中になる」

アスペは、我々がきちんと説明すればわかってくれる」

と、単純なことだけが書かれています

これだけ読むと、天然ボケかわいい人、という感じで、

頑張れば楽しくつきあっていけそうな気がします。

思わない。思わないから。その説明読んで天然ボケかわいい人と思うのはあなただけ。

まああなただけというのは言いすぎですね。人によってこの説明文から受ける印象は分かれるだろうということです。で、人によって印象の分かれる説明文に関して自分の感じた印象を述べるところまでは何の問題もありません。が、この後にこう続くんですよね。

でも、実際はそういう単純なことではなく、

・健常者がアスペに状況を一生懸命わかりやすく説明しても、アスペは理解できないし、

 意見を曲げずに屁理屈を返す。口が達者。こっちが強く言えば逆ギレし、怒鳴って癇癪を起こす。

価値観根本的に健常者と違う。

これが、正しいアスペルガーの症状の説明であり、

以下アスペルガーdis。この辺の記述が個別事例なのにアスペルガー一般の話として語られている以下略という話は上段を読んでいただくこととして、この一連のくだり、実はこんな構造になってるんですよね。

    • 人によって印象の分かれる説明文に対して、肯定的な感想を述べる。

    • その肯定的な感想を覆すことで続く内容に大きな落差を作る

    ここ、2. 以降の内容(「でも、実際にはそう単純なことではなく~」以降)をより悪い印象にするために、本当は印象の分かれる説明文について、わざと「こういういい感じに見えますよね?」と持ち上げているんです。まあよくあるレトリックはいえ根拠レスdis効果的に演出するために使われるとつっこみたくもなるし筆者に悪意が感じられそうになるので困ります

    別に悪意とかなくても無意識に使われがちなレトリックなので上段でこの筆者に悪意があると断定するのは避けたんですが、私最初は「ドーモ、元増田=サン。悪の増田滅ぶべし」って感じで書いてたんですよね。それはこの辺が原因でした。

    でもこれ2回もやってるんだよなーこの人。



    2、「価値観が違う」ことが分かってなければ「価値観が違う人に説明」などできない

    この筆者の方は、アスペルガーのお知り合いとコミュニケーションするに際して、かなり「惜しい」感があります。すなわち、

    価値観根本的に健常者と違う。

    と「感じて」はいるようなのですが、「分かって」はいないということです。

    このアスペルガーのお知り合いの方たちは、被害者、もしくは自分が庇った加害者の気持ちでさえ、他人の気持ちがまったく斟酌できなかったようですね。それは私も記事から読み取れました。心中お察しします。

    しかし、このアスペルガーの方たちが、筆者の方の説明に納得せず暴走し続けていたのは何故なのか?これも筆者の方が仰っているとおり、「価値観が違う」からなんでしょう。(このアスペルガーの方の価値観が「根本的に」「健常者と」違うかどうかは断然議論の余地がありそうですが、それはまた別の話しになるのでさて置きます。)

    では、「価値観が違う」ってどういうことなんですか?

    価値観が違う」ということは、この場合「筆者の価値観に基づく説明では、アスペルガーの知り合いを納得させることはできない」とういうことです。なんだ当たり前じゃんと思いますか?ですが、これを元にすると、先に筆者の方も挙げていた「アスペルガーの特徴」の解釈が違ってきます

    アスペは、我々がきちんと説明すればわかってくれる」

    これです。

    この「きちんと」が曲者だったということです。

    筆者の方は、「きちんと」説明できていません。

    筆者さんのエピソードに出てくる「アスペルガーの知り合い」、すなわち「価値観の違う相手」に説明し納得してもらうには、「相手の価値観に基づいて納得できるように説明」する必要があります。これは相手がそのアスペルガーのお知り合いでなくとも一緒です。自分善悪の判断ができない子供に「あなたのお母さんが、それはダメって言ってるよ」とさとしたり、宗教が違う人間、住んでいる文化圏の違う人間にどうにかこちらの事情を分かってもらおうと四苦八苦したりするでしょう。そんなときにひたすら大人の価値観自分宗教文化圏価値観に基づいた主張、説明のみで分かってもらえるでしょうか?

    アスペルガーのお知り合いの価値観のもとでも分かってもらえるように説明した、と取れる文章は残念ながら記事のどこにもありませんでした。ならばわかってくれなくても当然ではないでしょうか。

    ・健常者がアスペに状況を一生懸命わかりやすく説明しても、アスペは理解できないし、

    分かりやすく説明した、というのはあなた価値観にもとづいた主観であって、相手に何かを納得させたいのであれば、あなた価値観だけにもとづいた説明などゴミも同然です。相手に理解できる論理になっていないのであればそもそも説明になっていません。あなたの説明が普段普通に通じているように思えるのは、あなたが多数派の価値観の中にいるからであってあなたが正しいからではありません。

    ただ、定型発達の方もとい「健常者」がアスペルガーの方の価値観アスペルガーの方に通用する論理を理解するのは難しい場合が多いと思います。お互い論理的に正しくてもその論理の使いどころがそもそもずれている場合が多いですし、論理ではなく感情に拠るところが増えればお手上げでしょう。筆者の方はアスペルガーのお知り合いを「お世話」しているようですが、それがアスペルガーのお知り合いが円滑に社会生活できるように周囲との人間関係をとりもっている、という意味なのであれば、筆者のかたはそもそもその「お世話」に必要な理解の試み、もしくは努力、もしくは能力のものが足りていないのだと思われます価値観の違う相手とうまく付き合おうとする試みに疲れる、もしくはそれができないのであれば、無理に「お世話」しようなどと思わずできるだけ相手と付き合わないようにするのが最善ではないでしょうか。

    少なくとも、やるべきことはこんな破綻だらけのdisではないはずです。

    2013-03-15

    http://anond.hatelabo.jp/20130314195428

    マウス時代を終わらせて誰に何の得があるのやら。

    元増田タッチパネル製造企業ステマだとでも言いたいのか。

    上手いこと言ってやったような顔をしているけど意味不明レトリックっていうのもよくあるよね。

    2013-03-09

    http://anond.hatelabo.jp/20130309005213

    さらに横

    論理的に考えればそうなんだが

    ホントーに価値判断に何の影響もないなら、そもそも言及しないだろう

    言語経済的に考えて

    まあ、よほど会話に詰まったなら「今日はなかなかの天気ですな」とも言おうが

    フツーは、文章の評価に際してレトリックについて言及したら

    それは社交辞令でも独り言でもなく、文章の評価に関係ある事だろう

    しかし、完全な黒体がないのと同様に

    増田に向かって呟いても、何らかの残響はするものだ。

    http://anond.hatelabo.jp/20130309003814

    横だけど「レトリックうまい下手で価値判断をしてる」のではなく「レトリックうまい下手を判断している」のであろう。

    関係ないが、よくこれと似たような感想を持つことがあるのが、「人を容姿で判断するな」だ。

    「人を容姿で判断している」のではなく「人の容姿を判断している」のだ。ブスだなーとか。言ったところで意味はないが。虚空に向かってつぶやきたい。

    2013-02-26

    http://anond.hatelabo.jp/20130226094122

    「本音ではやりたいけど現実には難しい」という話でしかないよな。

    「それができれば一発で解決なんだけどなー」というのが滲み出ている。

    中絶禁止を望まない人間だったらレトリックでもそんなことを言うはずがない。

    http://anond.hatelabo.jp/20130226075408

    野田聖子議員はいいことを言っている。」の記事にリンクを貼りながら、なぜ「野田聖子の発言を支持されている方々に聞きたい。」なんて発言が出てくるのかわからない。本当に記事を読んだのか?

     一方、1年間の中絶件数は公称で20数万人と言われています保険適用外なので実際には2~3倍近い堕胎があるのではないかと、NPO非営利団体法人などが言っています。変な話、これを禁止したら、産まざるを得ない人が出てくる。

     もちろんこれは相当極端な話で、現実には難しいです。私が言いたいのは、それぐらい「えぐいテーマにしないとだめだと言う事です。今は、まだ議論がきれいごとで終わっています

    中絶禁止は相当極端で、現実には難しいと言っている。

    どう考えてもレトリックとして一旦極論を持ち出しただけで、妊娠中絶禁止を主張しているわけではないよ。

    2013-02-25

    http://anond.hatelabo.jp/20130224221810

    リフレ政策自身に反対だあなんて書いたものはありませんぜ。

    それは失礼しました.

    財政マネタイズじゃないか

    世の中,かなりの話は『程度問題』だと思うのですよね.「財政マネタイズ」という(通貨の信認とか構造改革とかと同じように)おどろおどろしい,そしてたいていの場合空虚言葉というのは,黒か白かはっきりするよな定義のある話ではなく.インフレ税ないしシニョリッジというのが財政寄与するなら,実はどの国も常に「財政マネタイズ」してると言えるのかもしれない.日銀乗換は日銀引受と違うという強弁だって『程度問題』でしょう.

    『程度問題』ともう一つ私が念頭に置きたいキーワードは『言葉より行動』です.人が何を言うかよりも,どう行動するかが重要.「市場関係者がこう言っている」よりも「市場がこう動いた」の方が確か.市場だってもちろん間違えるが,「メディアが取材したシジョーカンケーシャの言葉」なんてのは,ほぼノイズにすぎないですよね.

    http://anomalocaris89.blog69.fc2.com/blog-entry-208.html にあるとおり中央銀行独立性は別に金科玉条ではない.財政マネタイズも,まあ今のところは「やってはいけません.これは中央銀行にとって神聖不可侵な教義です」という振りをするのがお約束となっている,くらいの意味だと思っています.実際は100%か0%かの話ではなく,行動を見れば少しはやっていると見えなくもない.

    リフレ政策の肝が期待だからこそ…

    ヘリコプター・ベンが,サマーズと組んでヘリコプターマネー政策を実施しても,さらに,購入した国債ロールオーバーし続ける(日銀乗換に当たるものを無制限に増やしていく)と発表しても米国債暴落なんかしなかったのは「財政支出をやって,猛烈に通貨発行を増やしてますけど,財政マネタイズじゃないですよ〜」と言った言霊オカルト効果ではなく,もっと単純な市場予測米国債を売ると損をする可能性が高い)の結果でしょう.

    で,リフレ政策で肝要な期待(expectation)ってのは,人々の気持ちとか意思とかじゃなく,まさにそういう『将来についての市場予測』のことを言っているに過ぎません.「それを財政マネタイズと呼ぶかどうか」という曖昧な話じゃなく,「政府が今後どう行動するか・その結果どう行動すると得か」について市場予測した結果.それがリフレ派の言う期待でしょう.だから,「中央銀行独立性」「財政規律」とかいう「意図を表すレトリック」なんかではなく,例えば「いつまでに何を買う」「いつまでにいくら支出する」と言った具体的な行動の予測資する情報によって(のみ)市場は動く.まあ市場予測に影響する気分(センチメント)というのはあるでしょうし,それは言い方で動いたりするのかもしれませんが,それはむしろ「すぐに修正される予測のズレ」を表す言葉でしょうね.あんまり重要でない.

    同じような政治的圧力により引き締めを妨げられるのではないか

    これも『程度問題』ですね.デフレに(少なくとも例えば賃金企業収益や税収にとって)はっきりした害があって,5%や10%のインフレにそれほどの大した害が知られていない.なのに,デフレを止めるための日銀への介入でさえこれほどの大騒ぎになる.

    そこで,インフレを止めるような介入がそんなに容易だと市場予測するなら問題でしょう.

    すいません.誤読してたので訂正(どっちにせよ,根拠のない無茶な介入は簡単じゃないだろうと思うんですが…)

    これも『程度問題』ですね.インフレ恐怖症の方々はもとより,リフレ派でさえ反対するような「引き締めを妨げるような介入」がそんなに簡単なら確かに問題でしょうが

    追記:一つの担保としては,日銀にも政府にもそう簡単に方針を変えられないような歯止めを法制化しておくことでしょう.曖昧な「日銀独立性」という言葉が指す内容がどういうものか,例えば「中期的な望ましい物価水準は政府日銀合意によって定める・それを達成する手段は日銀の専管事項」という趣旨の条文を日銀法に入れるとか.え,法律なんか政府インフレにしたくなったら簡単に変えられる? そうかなあ…程度問題ですが,法律がない場合より「簡単」ではないと思いますね.

    ギャロピングインフレにつながるんじゃないか心配する声が有るなら

    まあ,既に書いた通り,債券市場参加者「声」とか,割りとどうでもいいと思ってますんで…

    追記: インフレ目標と,日銀の(上記のような)独立性の法制化は,ひとつの歯止めとして市場の期待を安定化するのに有用だと思います

    まとめ

    http://anond.hatelabo.jp/20130224013039

    説明書を読むオッサン、講義を聴く大学生が言ってるならわかるけど

    文章の種類の違いかなあ

    体験談とか笑い話とか主張とか、そういうの簡潔にしたって無味乾燥でしょ

    冗長もレトリックなのよ

    2013-02-16

    左翼小児病

     「左翼小児病」は、ロシア革命家レーニンの本にでてくる表現である

    http://kotobank.jp/word/%E5%B7%A6%E7%BF%BC%E5%B0%8F%E5%85%90%E7%97%85

    さよく‐しょうにびょう 〔‐セウニビヤウ〕 【左翼小児病】

    社会主義運動で、公式論に立って、現実的でない過激な言動をとる傾向。レーニンがその著「共産主義における左翼小児病」で用いた語。

    現代風に言いたいなら左翼中二病といったところか

    物事を観念的、公式的に考え何でもかんでも教条的に受け取り、カチンコチンにしか物事を考えられない。そして言葉遊びレトリックに敏感でそれに踊らされたり、相手を踊らそうとしたりする。

    左翼小児病という言葉死語化してしまったが、昨今の左翼の言説をみるに左翼中二病の等式が成立してしまったのであえてこの言葉を使うまでもなし。

    ログイン ユーザー登録
    ようこそ ゲスト さん