はてなキーワード: けがとは
弥生は私を心から愛してくれていました。だからこそ、犯人に対して最後まで必死に抵抗したのに違いありません。弥生は私以外の男に体を汚されることを、命を賭して拒絶したのです。最後まで、私への愛を貫く道を選んでくれたのです。たとえ自分の命を落とすことになっても、必死で弥生は抵抗し続けたのです。妻はそういう潔癖な女性でした。私はそんな弥生を、今でも誇りに思って生きています
本村洋・弥生著「天国からのラブレター」
確かにこれはちょっとなあ…。普通の夫なら「二人の間のかけがえのない子供である夕夏を守るために、最後まで命がけで闘ってくれました」とかなるんじゃないかな、と。
いろいろと考えている人はいるけど、本当のところ何の根拠もないんだよ。あったんだけど無くなったと言うべきか。
五行説が生まれ、陰陽と結びつき、年月日時の干と支にそれを振り分けた。
世界の全てが陰陽と五行に分類できるという考えから、特定の年月日時に生まれた人がその陰陽と五行の影響を受けるだろうと推察し研究した結果、何かしらの相関関係がありそうだという結果が集められた。
今は陰陽も五行も信じられていないのだけど、この何かしらの相関関係がありそうだ、という感覚だけが残っているというのが現状。
卓越した技能、交渉力、自己管理力が無いと無理!みたいな否定派。
そんな事無いっての。明治時代より前は自営業が圧倒的に多かったわけだし、
たいした話じゃない。働く手段の一つに過ぎない。
ノマドの原則はただ一点。
製品またはサービスが、市場に直接晒されるだけというだけの事。
品質が高ければそりゃ楽だけど、品質が低くても価格で勝負ができる。
しょうがないのでノマド(ネットワークエンジニア/SE/プログラマ)になった。
そして12年経つ。
俺の強みは二つしか無い。顧客が何を欲してるか瞬時に理解できる事、
それと、問題が発生した時にそれを必ず解決する事、この二つだけ。
それ以外はマジでヒドイ。
いや、守ろうと努力はするんだが、中学時分から昼出勤だったもんで、
長年染み付いちまった習慣はどうにもならん。
10年格闘したけど、結局、全く克服できなかったw
そのおかげかな? ラッキーくらいに思ってたが、
ずっとキープしてるから俺自身の資質による部分も大きいと思う。
ただとにかく真面目だけが取り柄ってのもいるし、
全体的にバランスがいいのもいるし、まぁとにかく色々だ。
市場に晒されるってのは確定的なので、じゃぁ交渉力が無いと難しいんじゃね?
という意見もあると思うが、例えばデザイナーにしろPGにしろ、
品質がめちゃくちゃ高いけど、交渉苦手どころか、コミュ障ってのもいる。
意外となんとかなんのよ。
何か一つ光るものがあればそれで十分って陳腐な結論になっちまうのかな。
あと、その光るモノって対象が、例えばプログラムが書けるとか、
デザインができるとか、情報発信できるとか、なんかそういうわかりやすい
技能に目を向けられがちだけど、
とにかくただ真面目、とか、とにかく相手の事をホンキで思いやれる、とか
そういうのでしっかり食ってるヤツもいるし、
驚くほど、その要素はなんでもいいんだよね。
というわけで、ノマドは憧れるならとりあえずちょっとやってみればいいし、
やって駄目ならまた働く先を探せばいい。
そもそも会社が気に入ってるならノマドに目を向ける必要なんて無い。
ノマドにしろ会社にしろ、「小さくはじめて大きく育てる」を忘れなければ、
それこそなんだってアリだよ。食える市場かどうか? それすらどうだっていい。
ノリだよノリ。ただそれだけ。
なんかちょっと目を離したすきに途中から選手交代してるんで、いちおう。
あの凶悪な犯人が出てくる、
あれと類似の凶悪犯が出てくる、
あれと同等の凶悪犯が出てくる、
一つ目の「出てくる」は出所、残りは発生の意味で捉える。
死刑が防げるのはせいぜい一つ目。日本全国規模で集計した再犯率のコンマうんケタ単位の低下。いや流石にコンマは上回るか?
残りは大して防げない。類似・同等の凶悪犯の発生、事件の発生は防げない。
クッキーの抜き型が生地をくりぬいて同じ形のクッキーを量産するように、
条件が揃えば同じようなのはいくらでも出て来得るわけで、そこをどうにかしないと「世の中ひとつよくなった」とはいえない。
あなたの実家のお隣さんが実は今回の犯人の言動に深い共感を示しており、かつストレスで破裂しそうになっている爆弾のような人間を身内に持っていたとして、死刑になったからって彼らの考え方がいきなり変わるわけがない。
そして出所を防いだとしても、その件で益を得るものは(被害者遺族の心情救済を除けば)ものすごく少ない。
死刑にバンザイした連中のうち九割以上の生活は劇的に改善されたりとかしない。
何も変わらない。
何も変わらないのに何をそんなに喜んでいるのか、そして何故それが「当然のこと」とされてしまうのか。
個人的には、今回の死刑の価値は遺族の救済の一点にあると捉えている。
前例となるような判例を作ったことは、今後の流れは変化させるだろうがまだ良し悪しが判断出来る段階とは思わない。
ただ、戦い続けてきた遺族にはひとつの区切りになり報いになったことと思う。
人間が多少なりとも報われるのは一般的に言って喜ばしいことなので、喜ばしい。それだけ。
言い方は悪いが他人事というか、他人様のことなので我が身のように喜ぶことはできない。
我が身に起こったらたぶんこんな喜びのかたちはしていないだろうし、そこのところは混同できない。
彼らの喜びを喜ぶ権利が私にはない。
(前略)政府の啓発は「自殺のサインに気付こう」の一点張りで、自殺予防で最も重要な情報を欠いている。「サインに気付いたら(死にたくなったら)、どこに相談すればいいか」という具体的な情報である。
民間団体の批判も、ここに集中した。自殺に傾いた人を支えた経験があれば、それがどれだけ過酷な営みか想像できよう。無責任な呼びかけだけでは、かえって支援する人を追い詰めかねなない。政府が取り組むべきは、自殺相談の受け皿を整備し、その受け皿情報を周知徹底することだ。
http://www.lifelink.or.jp/hp/Library/article_asahi20120220.pdf
「民間団体の批判も、ここに集中した」ってことは、「GKB47」って名前がチャラすぎる云々は言いがかりで、本音はこの「政府が取り組むべきは、自殺相談の受け皿を整備し」ってところなんですね。簡単に言うと「そんな宣伝に金使うなら俺らに金をもっと出せよ」とか?
私はゲートキーパーという言葉を知らなかったし、政府の自殺対策強化月間いうのがあることも知らなかった。「GKB47」が話題になって、今回初めて調べてみました。こうして勉強する人間が出てきただけでも意味があるのでは。
抗議文のなかに「広く国民に、ゲートキーパーとしての意識を持ってほしいというのは分かりますが、戦略として完全に間違いです。不特定多数の人にこんなキャンペーンで正しい意識が身につくわけがありません。(自死遺族支援)」というのがあったけど、まず興味を持ってもらわないことには正しいも正しくないも意識すら持たないでしょう。
「自殺に傾いた人を支え」ることが「過酷な営み」なのであれば、数少ない組織(NPO法人等)に頼るよりも、周囲の人が気付いてみんなで支えてあげたほうがいいのでは? お金(=補助金=税金)もかからないし。それとも、自殺対策推進室が言うところの「専門性の有無にかかわらず、国民一人ひとりが、それぞれの立場でできることから進んで行動を起こしていくこと」は困ることなんですかね? 専門性を持った自分たちの立場がなくなるとでも? 一人でも自殺者が減ることが目的なんでしょう。むしろ、いいことじゃないですか。
それに自殺したいほど困ってる人がいるときに「困ってるの? じゃああとは専門家へ」っていうよりも、「自分でよければ話くらい聞くよ。一緒に考えよ?」っていう社会のほうがステキだと思うなぁ、ぼかぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20110824130137
を読んだ。中々オモシロく読んだけれど、このヒトはちょっと「起業家」ってモノを勘違いしているフシがある。
僕は起業家で、インポーターである。海外から売れそうなものを日本に持ってきて、何らかの付加価値をつけて卸す。
また、自分自身でも最終消費者に売りつけるルートも持っている。そういう仕事をしている。
二十代後半の割りには良い収入を得ているし、それを得るためには徹底的に自分を売り物にしてきた。
考えても見て欲しい。輸入をやるには「カネ」が要る。どうしようもなく初期資金がなければ話にならない。
他に何が要る?ルートがいる。煩雑な貿易実務をやるためのスタッフも要る。無論、語学も要る、専門知識が要る。
そして何より、人脈が必要だ。ちなみに、これで必要なものの半分である。ここまでが「輸入するため」のもの、
この後に同じだけ、あるいはそれ以上の「売るため」の要素が必要になる。
最も、アイティーって世界はこういう泥臭い要素の全く無いすばらしくステッキーなところなのかもしれない。
いいコンテンツは羽根が生えたように消費者の下へ飛んで行き、製作者には莫大なカネが転がり込む、
そんな夢の国なのかもしれない。その夢の国では営業も要らず、また広告も価値を失い、ただ商品の本質だけが評価されるのだろう。
また、初期資金も要らずアイデアと技術は現金とほとんど等価であるようだ。すごい、素晴らし過ぎる。
泥臭い田舎モノの商人であるところの僕には全くわからないことだ。
しかし、僕が思うに元増田は起業家の未来を憂う前に、自分のオツムの具合をなんとかした方がいい。
そして、彼の意見に賛同した人たちは、とりあえずクスリを抜くことを進める。ラリってるよ、あんたたち。
起業家なんてものは「自分を偽装して売り込む才能」が全体の99%で、あと1%は誤差だ。
すばらしいコンテンツがあれば、それに越したことはない。しかし、「微妙なコンテンツ」でも売り込むのが、商人だろう。
そもそも、「すばらしいコンテンツ」なんてこの世には無いのだ。「すばらしいと多くの人が思うコンテンツ」があるだけだ。
商人がすべきことは「すばらしいコンテンツを世間に広める」ことではない。
「手持ちのコンテンツを世間に素晴らしいと思わせる」こと、そして儲けること。目的はこれ以外に無い。
逆に言えば、そのためなら何だってする。自分は天才で、これから先莫大な儲けをもたらす。
協力者や出資者、あるいはスタッフにそう思わせなければ、社長業なんてやれない。出来て当たり前なのだ。
「カンファレンスとかに呼ばれて、”僕は起業家だ。”というどうでもいいプレゼンをする」
ことこそ、起業家の最大のお仕事なのだ。それが資金を引っ張り人脈を形作る。
逆に言えば、どれだけいい商材を持っていようと、これが出来なきゃハナシにも何にもならない。
更にいえば、「自分でコンテンツを作る」なんてのはスマートじゃない。他人が作った、あるいは発見したコンテンツを
横合いからカスメとって収益ベースに乗せてこそ「起業家」だろう。
最近の起業家はなんかきもちわるい。「イノベーション」だのなんだの、ワケのわからない横文字やら人名を駆使する一方、
「どうやって初期資金を引っ張る?」だとか「税金どーする?」だとか「スタッフをなるべくカネかけず確保する」とか
その辺を全く見かけない。コンテンツそのものなんてこれをクリアしてからでお釣りが来るだろう。
起業家にとって一番大事なものはコンテンツでも能力でも技術でもない。出資者と協力者だ。
「自分を売り込んで偽装する」ことこそが起業家の本質だ。だから、起業家を目指す人たちは
どんどんブログで自分を売り込め、twitterで信者を量産しろ、出資者をふん捕まえろ。
それが出来ない奴がどんな良いコンテンツを開発したり発見したりしても、そんなもの絶対売れない。
起業家ってのは「売る人」だ。「作る人」じゃない。別に作ったっていいが、売ることが最終目的だ。
儲けを出す起業家だけがいい起業家だ。それ以外はゴミだ。素晴らしい技術や発想を持っていたところで、
そーいうゴミがいるおかげで、僕が儲かるんですけどね☆
http://anond.hatelabo.jp/20111223010012
勝手ながら一人ではないと励まされていました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
以下便所の落書き。
やらせない女は負け。
単純に、「セックスしたい男(彼氏)にセックスしたくない女(自分)とセックスできる女(お店の子)を選ばせたら、後者を選んだ。選ばれなかった自分涙目www」という話。
でもやっぱり無理だなんかきたないよきみ。
「風俗から帰ってくるの待とうかと思ったけど、私に対するデリカシーないし性病うつったらどうすんのふじこふじこ」という話。
で、私の話。
クリスマス前に戻ってきた娘はまるで腫物のようwwwケーキうまいwwwwチキン最高wwwww
で、心の広い素晴らしい友人がぼろぼろの私に付き合ってくれたのですが、
ざっくり斬られました。「処女をダシに使うんじゃない」と。
「結婚してくれなきゃ処女あげないぞ星」ってただの取引、脅しじゃんと。
目からうろこでした。
あと性行為に夢を見すぎでした。そんな今どき「みんな初夜に初めてしたいはず☆」って、みんななわけあるかと。
結局、私が性行為へのもろもろのハードルを下げられず、彼氏とは別れました。
ただ本番していないってだけなので(ほかのこと頑張ったんだけど駄目でしたー)、中途半端な処女もどきだけが残りましたとさ。
元彼の話。
「本当に風俗行くつもりはなかった。ただ俺の本当の気持ちを知ってほしかっただけ」
「あの日はA男(共通の知人)のところにいた。飲みすぎて寝過ごして帰りが翌朝になっただけ」
A男「昨夜は一緒にいた。本当に(元彼)は(元増)のこと好きだから嫌わないでやって」
「本当にごめん。クリスマスだってプレゼントと某ホテル用意してた」
元彼の中だと、
私「行かないで! 私頑張るから」
元彼「某ホテルとってあるんだ」
私「嬉しい!抱いて!」
となるはずだったらしい。
お前いくつだよ! 社会人だろ!
いらぬ噂によると、もう彼には新しい子ができたのこと
本当幸せになってください。そして二度とこっちくんな。
私はまだしばらくひきずってます。
まだ好きなんだよー大っ嫌いだけど。
少額だが少しずつ上がっていく給料と、年2回必ず貰えたボーナス。
勤務は決して楽では無かった。朝出勤してそのまま夜勤なんてのもあった。ただし深夜の割増等貰えた。
勤務7年目。体調に異変を感じ、ある日休み、そのまま数カ月入院する事に。
結果的に言えば、それが影響し、会社は自己都合退職になった。(退院後もすぐに働けずに、遠まわしにやめてくれないか?と言われた。)
体を動かす現場仕事故に、現場に出れない人間は…という事だった。
こうして無職になった。都内に上京していた身分なので、田舎に出戻りへ。
引越し資金と、借りていたアパートの引き払いで退職金などは諸々消えた。
父は既に他界しており、母が一人でぎりぎりで生活している様な状況なので、
入院中の家賃、携帯料金…生活諸経費などを立て替える事は不可能だったので一気に数十万の請求。
クレジットカードは一応3社程、作るだけ作っていた。(キャッシング枠0)
定期的に数千円の小さい買い物をしてクレヒスを稼いでる程度だったが、
Jブランドのとあるカードが「2000円」の請求が諸事情で払えず事故った。
ハロワで失業手当をもらおうとしたが、どう頑張っても「自己都合」は覆せず。3ヶ月後の給付開始待ち。
収入は0なのに、請求だけが残っており毎日どうしようかと悩んでる。
アルバイトも受けたが隠してもバレるからと入院してたらクビという事実を告げたら嫌な顔をされて落ちた。
くるしい。
「夏にデブに抱きつくと暑そう」みたいなイメージがあるが、実はそうではない。
汗の気化による温度低下が脂肪に阻まれて内部まで届かないから体の表面だけがどんどん冷える。
表面が冷えても内部が高温のままだから汗はなかなか止まらなくて、ますます体表面が冷えていく。
汗さえ何とかすれば。
今回の例え話は、ただ単に「雇われシェフは、お袋の味を知る術ができないのに、理不尽なことを言われている」ということだろ
お袋は死んでいてレシピもない、シェフはオーナーの兄弟にも紹介されていないし連絡先も教えてもらっていないんだ
オーナーはそういう最低限の根回しをしていないのに、シェフに辛く当たっている
元の話だと、外部SEが、他社の工場に入れるわけがないし、他社の資料に自由にアクセスできる環境なわけがない、他社の他部署のキーマンが誰かも知るよしもない
あーもう今は楽しい事たくさんあるのになんで昔あった嫌な事ばっかり思い出すんだよクソが
それでへこみすぎて死にたくなるとか意味分かんねーよ
そもそも物心ついた時から弟の方が可愛がられてて、母にとって自分はいらない子なんだろうなあって思って育ったのがケチのつけ始めで
でも昔はその分父が構ってくれたからバランスとれてたけど、その父からも中学くらいから無視されるようになったし…
今思えばあれって犬をかわいがるみたいな、自分が構いたい時だけ構える都合のいい存在だったんだろうなあ…
そして普通に仲のいい両親と思ってたけど、いきなり父が浮気して離婚するのしないのって揉めてたくせに、ショックを与えまいとしてなのか全く事情を説明もされず蚊帳の外にされたのも嫌だった
親族会議の時はいつも部屋から出ないように言われて、何かおかしなことが起こっているのに何も言われないのは余計不安になると思います。今でもよくあの時のことを思い出します
私はその頃に一番仲良かった奴に裏切られてクラス中からいじめられていたわけだけど、そんな事には全く気づきませんでしたね
いじめはすぐに和らいだけど、その後も卒業するまで大抵の奴から出会い頭に罵倒されたり嫌な顔されるサンドバッグ役からは抜けだせなかったですね
部活だけが唯一の心安らげる場所だったのに、先輩とギクシャクして居づらくなった時は本当に死のうかと思いました
泣きながらスズランテープで輪を作って、首にかけたのを時々思い出します
両親が揉めていたら祖母が倒れて、看病も虚しく半年後に死んで、遺産相続で親族間で揉めて、今まで仲がいいと思っていたものはなんだったのだろうと思いました
中学を卒業した後は優しくて尊敬できる素敵な友人たちに恵まれたけど、いつも不安で疑心暗鬼にかられてもったいないことをしていたと思う
数年かけて、嫌われてはいないと思えるようになったけど、でもそれがいつまで続くかいつも不安に思っている
そもそも人に好かれてるって思ったことない
弟は何もしないで許されているけど私が家事をしなくなったらきっともう私がいる価値はないんだろうと思う
仕事でどんなに疲れてて家事をやっても誰からの労いの言葉もなく褒めてもくれずただ文句だけを言われるのに耐えるのもうやだ…
でも反抗なんてほとんどしたこと無いから面倒くさいし怖いし、何を言ったらいいかもわかんないよ…
誰にも必要とされないなら、せめて社会に必要とされる人間になろうと思ったのに就職できなくて、取るに足らない、楽しくもなんともないバイトをしている現状がコンプレックスで苦しいっていうのはわかってるし、このままだとジリ貧だから、就活とか何かしないといけないのはわかっているのに頑張れなくて死にたい
友達とも遊びたいと思うのにこんなクズ会う価値無いと思うと足がすくむし、人と話したいと思うのに人と会うの嫌と思うとか意味わかんねーよ…
もう何もする気になれないし気持ちが落ち込みすぎて動けない時とかあるし欝かなあって思うこともあるけど、食事はできるし、絵を描く事はやめないしただ怠けてるだけなんだろうな
仕事も行きたくなくて頭痛がしたり吐き気がしたりするけど、行けばそこそこちゃんと働けるし…
そもそも誰にも愛されないし認められないからつらい死にたいと思う事自体ちょっと駄目な気はしてる…他者に評価を委ねる考え方もどうかと…
誰かひとりくらい愛してくれる人に出会えればいいのになあ
ふりでもいいです、適当に大事にして抱きしめて愛してるって言ってくれればそれで
身体が条件というなら喜んで差し出すよ、がっかりボディですけどね
苦しい…つらい…
複雑に考えすぎ。もっと単純に考えればよい。
たとえばこれ。
預かったお金を貸した結果、いざ利用者が金を引き出そうとした時に「ごめん今他の人に貸してるんだー」じゃ利用者が困るわな。
「利用者が金を引き出そうとした」という仮定は議論しなくてよい。
なぜなら、引き出しの意思表示が示されるなら、その時点で「休眠」ではなくなるから。
引き出しの意思表示が示された時点で、その口座は「休眠口座」ではない。だから、その口座に存在するお金は所有者に引き出される。問題ない。
引き出す権利を持つ人が金を引き出そうとしないままになっている口座のお金をどうするのかが、休眠口座のテーマ。
前述の通り、「お金下ろしたい」という意思が示されるなら、その口座は「休眠口座」ではない。「お金下ろしたい」という意思が示された時点で、お金は所有者に引き出される。問題ない。
そもそも休眠口座は、何らかの事情で取引手続きができない人の預金を想定している。取引ができる人を想定していない。
取引行為ができない人というのは、具体的に言うと次のような人。
まず死者。正確に言うと、相続されない死者の口座。
口座所有者が死んだあと、その財産を相続する人が相続手続きをせず、国庫にも入らずに、凍結したまままの口座がある。
相続人が皆無の財産は国庫に入ることになっている。しかし相続人がいる場合は国庫には入らない。通常、相続人は相続手続きをして、死者の預金を受け取るなら名義変更するなりの手続きをとるが、なんらかの事情で相続人が相続手続きができない(しない)ことがある。
相続手続きをしない理由は様々だが、相続人が相続すべき口座の存在を知らないために手続きを行われないという理由がまずひとつある。たとえば、故人が通帳などの書類を紛失し、再発行手続きをする前に死んでしまったりすると、相続人はその口座の存在を知ることが困難になるので、その口座の相続手続きが進まない。
典型的な事例が、震災による死亡で発生する休眠口座だ。阪神大震災の時にも発生したし、東日本大震災でも大量に発生している。家が津波で流されたとか、家が倒壊したとかで口座所有者が死んでしまうと、通帳などの書類もいっしょに消えてしまうことが多い。相続人は通帳などを探すが、簡単には見つからない。火災による預金者死亡の場合も、通帳が一緒に燃えてしまうので口座が休眠になってしまうことが多い。
もう一つの典型は、犯罪者が犯罪行為などによって取得した財産が眠っている場合だ。
犯罪で手に入れた財物は、普通、なんらかの方法で資金洗浄して現金に換金し、それを隠し口座に入れておく。通帳などの書類も隠しておく。そういう状態のまま犯罪者が死んでしまった場合は、隠し通帳・隠し口座の存在を相続人が発見することは極めて困難だ。
組織暴力団に限らず、普通の会社役員とかが組織に黙って裏でシノギをやって裏金を作っていた場合、組織が知らない口座ができてしまうので、そういう役員が死んだり組織から離れると、休眠口座が発生する。こうした裏金の休眠口座の金を全部集めると、巨大な金額になると言われている。
それから、金額は多くは無いが、普通の人の病死でも休眠口座が発生する。
孤独死事案では、いわゆる“特殊清掃”の業者が通帳を発見できずに、廃棄物にまぎれて通帳などが消えてしまうことがよく発生する。また、相続人はいるけれど連絡がとれない、連絡をとる身内がひとりもいない、などの理由で相続手続きが中断し、相続人も死んでしまって休眠状態になるケースもある。
孤独死者の口座が休眠になるか発見されるかは、“特殊清掃人”の練度によって大きく左右される。練度の高い“特殊清掃人”が探せば発見率は高くなるが、最近は“特殊清掃人”への依頼料金が高いので、家主が清掃費用を出し惜しみして自分で始末してしまうこともある。そういう場合は、口座が休眠になってしまう可能性は高くなる。
それから、死亡犯罪者や災害死や孤独死とも関係するが、逃走犯罪者、災害行方不明者、失踪者が持っていた口座も、通帳紛失などの理由で、休眠になってしまうことがある。
逃走犯罪者は、逃走の足取りを隠すために、通帳を紛失しても再発行手続きをとらないことがある。
災害行方不明者の場合は、「みなし死亡」制度で死亡による相続手続きをとることはできても、通帳消滅などの理由で相続手続きが不能になりやすい。
失踪のケースで相続手続きが進まない理由の多くは、遺族が「まだどこかで生きているのではないか」などという気持ちを持っている場合だ。
失踪者の相続は、まず失踪者遺族が失踪手続きを進めて裁判所が死亡宣告を出さなければ相続手続きを進めることができない。
遺族が通帳の存在を知っていても、遺族自身が失踪手続きを拒否している場合は、当然に相続手続きも進まない。凍結した通帳だけが「いなくなった肉親の生きている証」になっていることがある。
そういう失踪者口座のお金を遺族に黙って使ってしまうのは、遺族にとっては酷なことなのでなんらかの救済措置が必要だという議論がある。しかし、だったら早く失踪手続きを進めてお金を相続すれば、失踪した人のお金を手元に置いておけるしみんなそうしているじゃないかという議論も当然ある。それについては、遺族の中には「自分は必ず戻ってくると信じている。戻ってきたときにお金ではなく口座を渡したい」と思う人もいるという反論があって、そういう人に対する何らかの制度的な配慮は必要かもしれないという議論もあるけけれど、それは仮定に仮定を積み重ねた議論で実際にはそんな奴はほとんどいねえよという反駁があるのも事実だ。
いずれにせよ、法律上も、実体上も、休眠口座については、「利用者が金を引き出そうとした場合」を積極的に議論することの意味は、ほとんど無いと言ってよいだろう。休眠口座について議論すべき点はあるが、そこではない。
☆アーティストトーク「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」at 横浜美術館レクチャー・ホール, 2012.02.11(Sat), 15:00-16:00。
横浜美術館で松井冬子さんの講演を聴いた。彼女の個展「世界中の子と友達になれる」の関連イベント。
11時ころ会場前に行ってみたらスタッフの方(美人)がいたので話を聞くと、「どのくらいの方が集まるか何とも言えませんが、現時点ではどなたも並んでません」とのことで、とりあえず個展を鑑賞。同行した絵描き女子はたいへん楽しんだようだけど、私はよく分からんかった。むしろ常設展に感動。あ、でも松井さんの『ただちに穏やかになって眠りにおち』は印象に残った、私は宮沢賢治の『オツベルと象』が大好きだから。
13時ころ会場の様子を見に行ったらもう150人くらい並んでてびっくりした。慌てて最後尾に並ぶ。老若男女が並んでる。一人で来てる人も多い。並ぶときに、スタッフの方から「レジュメ」と称される紙が配られたのだけど、松井さんのプロフィールしか書いてなくて残念。
講演タイトルは「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」。この奇妙なタイトルは、松井さんが東京藝大で博士を取るときに提出した論文のタイトルだそうで、講演ではその論文について解説してくれるということだった。
とりあえずビジュアル的に面白い。つま先から太もも全体まで包む黒いエナメルのロングブーツ! テカテカしている。もともと脚がすごく長いのかヒールがすごく高いのか両方なのか知らないけど、やたら大きかった。
松井さんの話によると、彼女は博論を2006年に執筆して、2007年2月に教授陣の前で発表したのだけど、発表の際に高熱を出していて上手く出来なかったとのこと。今回はその時のリベンジをしたいという。
で、講演が始まったわけだが、うーん、日ごろ自分のプレゼン下手を痛感している私としては、非常に勇気づけられた。こんな下手な講演が世の中にあるのか! 私の前に座ってた中年女性が、講演中に隣の人と「おもしろくないね」と言っちゃうくらいである。
講演タイトルを見ても分かるけど、松井さんは基本的に、いわゆる「中二病」全開な文章を書く人だ。絵のタイトルも『陰刻された四肢の祭壇』とか『終極にある異体の散在』なんて感じだし、個展の絵にもそれぞれ解説文がついてて、それが全部同じような調子で長々と書かれている。まあ、幽霊とか臓物とかを描くくらいだから、「中二」なのは文章だけの問題じゃないと言われるかもしれないけど、それはともかく。
不必要に硬い語彙を好んで使い、しかもそれぞれの言葉の組み合わせ方が少しずつ適切な用法とズレていて、さらに主述関係や修飾-被修飾関係があやふやなので、全体として意味が不明瞭。そんな文章を、文字情報なしで口頭で早口で(つっかえながら)読み上げるのだから、分かりやすくなるわけがない。
と、つい悪口が長くなったけど、私の理解した範囲で要旨をまとめると、
~
他者との接触は私に痛みをもたらすよね。
でもそれを芸術作品に託すことで、目に見える形にして、人に伝達できるのでは。
そういう試みが視覚芸術のなかに確かに存在しているし、松井自身の制作も、その系譜に連なるんだよ。
~
こんな感じでした。
この系譜の探究として、河鍋暁斎とかダミアンハーストとかクリスチャンボルタンスキーとか色々な作品が挙げられ、分類され、その流れで自作解説も行われる。(ちなみにその分類の名前は「攻撃性自己顕示実践型/受動性自己犠牲変容型/局地的領域横断型」。一貫した中二感。)
余計なお世話だけど、「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」というタイトルでは全然内容を表せてない(うえにそもそも日本語としておかしい)ので、まともに修正するなら「痛覚の覚醒を企図する視覚芸術の系譜」ってところでしょうか。
私の記憶する限りでは、「不可避」の部分が講演のなかに出てこなかったので、もし質問コーナーがあったらお尋ねしたかったのだけど、むしろ講演の後半は時間が足りなくなって、松井さん自身の話さえだいぶ端折られてた。残念。
ちなみに私の同行者は、「全体としては難しくてよく分からなかったけど部分部分は面白かった」とのこと。例えば、ある作品に描いた孤独な幽霊が、少女コミックの主人公のようなものだという話。少女が運命の相手に出会うために奇跡を待つのは、逆に言えば奇跡なしには出会いが存在しないということであって、そこには極めて近代的な「ディスコミュニケーション」があらわれている、とか。
私は正直、講演の内容自体にはこれといった感想を持てなかったんだけど、にもかかわらず彼女に対する印象は大きく変わった。
松井さんの文章は、中二病的だ。見た目には間違いなく中二の文章だ。でも、彼女がそういう文章を書く理由は、いわゆる中二病とは大きく違うんじゃないか。講演を聴いてるうちにそう思えてきた。
全力でカッコつけて(実はカッコ悪い)文章を書き、しかもそのカッコつけた自分に酔っているのは、自意識過剰の中学生だ。
一方、松井さんは、無理やり日本語をねじまげて珍妙な言葉づかいをすることを、ある意味でむしろ強いられてるんじゃないか。そうでもしなければ、彼女が何を言っても「美女の言葉」として消費されてしまって、結局何ひとつ表現することができなくなってしまうんじゃないか。
彼女は、整った顔立ちの、いわゆる美人だ。私は、平たく言えば、「どこかで過剰に武装しないとなめられてしまって、男と対等に見てもらえない、それが嫌なのかもなあ」、と思った。感覚的な話だけど、堅苦しい言葉をたどたどしく話す彼女を見ながら、思ったのだ。
彼女は講演の中でも「メスしか描かない」と言っていたし(尾長鶏はオスだけどドラァグクイーンのイメージなので名誉女性と考えているとのこと)、ネット情報によるとフェミニストの上野千鶴子さんのファンらしいから、性に関する問題に強い意識を持っているのは確かだろう。
ただまあ、こんなふうに分析されるのは、たとえこの分析が実情を言い当てていたとしても(いやむしろ言い当ててていればこそ)、松井さんの立場からすれば不快以外の何物でもないだろう、とは思う。
残念ながら私には、松井さんの作品自体をフェミニズム絵画として論じるだけのモチベーションも能力も無いけれど、そういう見方もできるのかもしれないね。というかできるんだろうね、間違いなく。
長くなったついでに一つ。
私見では、松井さんは「言いたいことが山ほどあるけど上手く表現する技術がない人」だと思う。だからあんなに自作解説をしたがるのだ(いまネットで少し松井冬子評を探してみたら、彼女の自作解説にヘキエキするという人は一定数いるようだ)。 結果、彼女のファンは、「よくぞそれを言ってくれた!(技術はともかく)」というタイプの人と、「グロテスクな絵を描いて、博士号を持ってる、美人すぎる日本画家! おもしろい!」というタイプの人に分かれることになる。あとまあ、「幽霊大好き!グロ大好き!」という人もいるのかもしれない。サブカル?
私自身は、特に彼女に同調するわけでもなく、外見や肩書に魅力を感じるわけでもなく、幽霊が好きなわけでもない。そして彼女の文章を容認できる忍耐力もない。
最近、SNSの布教や、絆とか家族とか言った、兎にも角にも繋がりを重視するような傾向が社会全体に溢れているような感じがして嫌だ。
ビジネス的に美味しいことはわかる。精神的にも朗らかになれるし、まあいいことはたくさんあると思う。便利だし、安らぐし、ね。
反面、危険なこともある。炎上はその最たるものだろう。無数の敵意や好奇心に晒されるのって恐怖以外の何ものでもないと思う。
でも、そんなことはどうでもいいんだよ。危険だから、怖いところだから嫌だなって思ってるわけじゃないんだよ。
純粋にさ、気持ち悪いんだよ。一緒に昼食を食べてくれる相手を探してくれるサービスなんて吐き気がする。
どうしてそんなに繋がりたいの。どうしてそこまで他者を必要とするの。受け入れてくれる他者をさ。
孤独に震えて死んでろよ、全く。寂しくて寂しくて兎のように死ねよ。鬱陶しんだよ。利便性以上のものを他者に求めるなよ。
社会性って、それだけじゃないことはわかってるけどさ、社会性のゴリ押しは嫌なんだ。
世紀末レベルで殺伐としろなんて言いたいわけじゃないけど、なんなんだろう、わけがわからん。
もしかしたら僻みかもしれないし、厨二病をこじらせてしまったのかもわからん。自分に足りないからこそ、妬んでいるのかもしれん。
知らん。そんなんわからん。例えばそうである確率が七十パーセントあったとしても、自分では判断ができん。加えて、他者から指摘されても肯んじはしないだろう。
面倒くさい人間だ。自分で判断できないくせに、誰からの判断も受け入れようとしない。参考にはするけれど、何時まで経っても結論に達しない。
大仰な言い方をすれば、正しさなんて意識しなくてもそんなに困らないはずなのに、気になって仕方が無いわけだ。
翻って、そんなことに気を取られてしまえるほどの生活しかしていないということでもある。
いかんのか? 悪いことって何だボケ。自己判断ができない、ありはどんな事でも正当化してしまう上に他者を拒む人格に、果たして主観的な悪は存在するのか。
知るかボケ。
あー、買った本をどこかに置き忘れた。
新参の流入を阻止してるの。たいていの人は「増田?誰?」で終わる。「増田?誰?調べてみよう」と調べて、ここにたどり着けた者だけがこの場に参加できる。
2ちゃんねるも昔は難解なネット用語を使って新参の流入を阻止してきたが、一般化してしまった今は目も当てられない状態になってる。
そういう稚拙なレトリックをすることが、「頭を使った」と思える不思議な世界にお住まいの方がいるわけなんだな。
少なくとも一人は。
著作祭な表現は下品だとは思うけどさ。
あのねえ
わ・ざ・と、そういう書き方がされてるの
読んでる方はそれぐらい読み取れるし(アナタ以外)
書き手もそれぐらい読み取られることを期待して書いてるの(アナタのような頭悪いのは想定からも対象からもOUT)
元増田の話は
1・なにかにつけ「途中で投げ出すからダメ」とトライさせてもらえず育った
3・その母に「孫の顔も見せてやらねえよ、お前の教育どおりにな!」と言ってやった
だよ
骨だけむき出しに整理しちゃうとね
(3行にまとまるでしょ、あなたの解説はダラダラ長いよ)
でも恨みやトラウマの構造をそんなぶんぬきでシンプルに整理して書いても
書くほうも読むほうも「そうですか」で終わってしまう
そこで元増田は、
1・母に子供の頃から「あなたは飽きっぽい」という忠告を受けて育った
2・なるほど母は正しい、私は実際にそういう人間であることを後年自覚するようになった
3・そんな私の人格を熟知する母よ、何故「子供を育てろ」なんて危険なトライを薦めるのですか、理解不能!
人に読ませる話としても、
母親に実際にぶちまける時の恨み節としても
こうやって少し肉をつけたほうが面白いでしょ
(肉はつけすぎるといやみすぎてそれもまたオエッとなるけどね)
なんで肉をつけると面白いかっていうと
読むほうが話の表面の肉をかき分けて骨子にたどり着くまで
これはジョークの書き方とかも同じ
これじゃ悪意や蔑視は感じるけど何も面白くない
骨だけをシンプルに書くってのはこういうこと
1秒ぐらいして言わんとする骨子に気づく
これらは全部、
読む人が掻き分けられる程度の、嫌味にならない程度の肉を、慎重につけてるわけ
掻き分ける側も、書き手のそういう意図ぐらいは理解して微笑むわけ
それをまー、
一名の人よりずっと頭の鈍い馬鹿クンが
みんなわかってないみたいだから解説してあげるよよく聞いて!」
って、
馬鹿クン以外の全員どっちらけだよ