地方と都会の文化格差問題、低学歴と高学歴の文化格差問題ってのは、全てが後付けであって、見ようとしたから見えたものなんだと思う。
インターネットってのは、決して開かれている公の場なんかではなくて、基本的には自分の「一般」世間と他人の「一般」世間の文化闘争。
たまにはてな見てても、本当に抽象の言葉を使って、自分の考えを抽象の次元で語れる人なんて殆どいなくて、基本的な構造は、自分の見識を、さも一般性があるような言葉を使って、自分の考えを高尚なものに見せかけるレトリック。「一般」の次元で語るのと、「抽象」の次元で語るのは違う。いわゆるディレッタントの手口というか。「低学歴と高学歴」みたいな話題も、それが簡単に自分の体験談を落とし込めるから何回も流行っているだけ。
どうして「地方と都会」「低学歴と高学歴」「ヤンキー」「ロードサイド」のような話題が自分の体験談を落とし込みやすいかというと、それが学業の世界に属していた時に、「テストの点数」や「進学先」っていう明確に優劣を計れる物差しがあったからであって、尚且それが日本人である限り義務教育のおかげで、誰とでも共有できる体験だから。
そこにあいつらと俺は違うっていう只の二元論の選民意識と、あーそれわかるわかるって共感してさも一般論のように自分の選民意識の小さな偏見体験談を語る人たちが寄せ集まって巨大な偏見の渦と化しているのがキモい。確かに地方と都会っていうカテゴリーは現実に存在するんだけど、それが文化格差から始まって、選民意識になってる小さい自尊心がキモい。
たまにはてなに感じる気持ち悪さって、存在しない格差を、あたかもそれが存在するかのようにレトリックで作りだすエリート選民意識なんだよね。要するに、「あいつらと俺は違う」っていう小さなプライドが、この低学歴と高学歴の文化格差問題の全ての元凶になってるわけ。
俺は、俺の思想にしたがって、彼らの存在を可能な限り正しく把握し、そこに感情的色彩を挟まない努力をしなければならない。「あれはバカで、どうにもならない」でかたづけてしまうのは、俺にとって敗北だからだ。
この辺が特にキモい。まるで自分だけ一人安全地帯に逃げ込んで観測者ぶってるのがキモい。
彼らには「インターネット」という概念がよくわからない。よく言われることだが、たとえばTwitterならTwitterという「個別のアプリケーションがある」というのが彼らの感覚である(LINEは使ってないんでよくわからん)。
こういうのって、学歴とか、あいつらはこれを知っていて、俺らはこれを知っているからあいつらとは違うっていうしょーもない二元論で語るのではなく、バカをさせてしまう構造的な側面から語らないと、只の偏見と差別の羅列になると思うな。
などと自己のはなての中での選民意識を全面的に押出し意味不明なことを申しており。