はてなキーワード: ブルーオーシャンとは
人当たりがいいだけのやつは舐められるんだが。
自分でも書いてるように泥水すすって受注を取らないとならないというのは一面そうだが、一方で、そういうくそったれな相手から逃げて良い客をつかめるチャンスも伺わないとならない。
更に、独立したという時点で非常に弱い立場になる。舐めたことをしてこようというやつはゴマンと出てくる。ブルーオーシャンの経営者なんて一人もいない。
独立をわずかでも考えるより前に転職したほうがよっぽど楽に幸せになれるな。遥かに要求スペックも低いし、扱われ方も楽だ。
ってか、そもそも転職=誰かに自分のスペックはあなたの仕事に最適です!というのをアピールできないぐらいの営業スキル技術スキルである自覚があるやつに独立なんざ勧めるな。
街に外食が牛丼チェーンしかなかったら、つまりは女性向けの外食がなかったら、差別なんだろうか? 差別的なんだろうか? という思考実験をしてる。
ある男性主導の文化を持つ社会において、「女性は外食をすべきではない(はしたないとか、まあ思考実験なので適当な理由で)」みたいな行動規範があって、女性はそれに反抗しても変更不可能なら、それは差別に当たるんだろう。
一方で、そういう行動規範は別にないんだけど、ただなんとなくないだけなら差別じゃないよなな?(自信ない) でもそういう場合は、女性顧客の潜在ニーズがあるから、ビジネスとしてはブルーオーシャンになって誰かがコメダ珈琲をつくるように思える。
ただ、後者の社会においても、女性の収入が男性の1/10みたいな状況があったとして、その場合女性の消費力は男性の1/10なのだから顧客としては魅力的ではない。結果として女性向けの商品開発(とか店舗展開とか)が遅れることはあり得るだろう。
日本の近代史において女性はやっぱり男性より(1/10ってほど大げさではないけれど)収入が低い。それでもマーケティングは女性をねらえ! とばかりの風潮だったのは、理由としてふたつあると思う。①可処分所得は相対的に男性より低いんだけどそれ以前と比べれば格段に伸びてきていたので、女性向け商売は昭和以降「新しい市場」だった。②女性の可処分所得とは無関係に、男性の可処分所得の消費先決定権を女性が持っていた(デートやら家計やらで)。
最近は②が後退中に見えるので、市場における女性マネーのインパクトは低下していくんじゃなかろうか。つまりは牛丼Win。いや、女性の一人牛丼は美しいと個人的に思ってるけど(そこは本筋じゃない)。
なんでこんな思考実験をしているのかって言うと、例のアレのアレの影響は確実にあって、それについて考える仮定で、「女性は恐怖を感じてるんじゃなかろうか?」と思ったからだ。それは彼女らがいうような「男性は全部性の獣でわたしらを狙ってる」みたいな意見ではなく、もっとべつの、つまり「女性はこの社会の中でマーケットカラーの意思決定者という地位から追い落とされるのではないか?」とか、もう一段階抽象化すると「女性の意見が通らない社会になるんではないか?」みたいな。
その恐怖に対する抵抗とか、自分たちの「パワー」の確認のために、NHKに抗議入れようずとかラノベを撤去させようず、ってのは、もちろん頭がすごく悪いと思うのだけど、一方でその背景にある「社会において無視されるグループになってしまうのではないか?」という恐怖は、想像できなくもない。いっぽうで、オタクサイドもその恐怖(歴史的に見て無視され権利を踏みにじられて北側なので)があって、つまりは恐怖バトルになってたってのも、まあ分かる。
別に落ちはないんだけどね。あと、地方都市の話で言うと、牛丼チェーンのない街(っていうか駅前)って割と多くあると思うけれど、ファミレスのない地域って殆ど無いわけだから、心配無用だと思った。つまり未だにマジョリティは家族連れなんだね。ファミレスは家族連れという目的をわすれずに、なおかつ営業途中のぐったりサラリーマン(単独行動)や、早朝モーニングに集う近所の老人会朝会議や、幼稚園のこどもを連れたママ友会とか、あきらかに試験前の付け焼き刃勉強をする学生グループや、怪しげな不動産や暗号通貨の勧誘トークをする個人事業者などを受け入れる、懐の深い業態だということだ。最近擬似居酒屋みたいにアルコールメニュー増えたしね。
でもなあ、ラディカルなひとたちってファミレス行かなそうだしなあ。いいとこなんだけどなあ。
辞めた会社でアプリ作ってたんだけど、操作性・速度・検索性等々どれを取ってもクソだった。けど、ニッチな業界でほかに選択肢がなくユーザーはしぶしぶうちの会社のアプリを使うしかない。ストアの評価とか★1ばっかり。アプリそのものの開発は外注で中身のデータのみを作っていたのでこういうところがクソというのは報告していたんだけど全く改善されない。自分が知るだけで5~6年なんのアップデートもない。でも会社は社運をそのアプリに賭けようとしてんの。自爆かな?
ただしちゃんと作ればかなり有用かつ収益も見込めるから勿体ないな~とはずっと思っていて、機会さえあれば代替アプリ開発したい。そういう環境に行ければだけど。むしろだれか技術力ある人に作ってほしい。誰か気付いて~ブルーオーシャンはそこにある~
最近増えてるフリーランス最高!!!とか、起業最高!!!とか言ってる人種が嫌いだ。差別化!!!独自性!!!自分だけの強み!!!と叫びながら、一部のインフルエンサーの言うことをクソ真面目に聞いて、俺も新しい時代の生き方をするんだと意気込んだ無が無を呟くのが気持ち悪くて仕方ない。これからは評価経済の時代でプロ奢ラレヤーは新しい生き方を体現しているんだと大真面目に信じ込んでる大脳皮質がないバカどもを見ていて気分が悪くなる。否定から入るコミュニケーションはよくないってつぶやきをリツイートしながら、自分たちは既存の文化と社会体制を否定することで連帯しようとしているのもクソ寒い。共通の敵を作って仲間内でぬるま湯に浸かるのが楽しいのか。そうかそうか。まぁそういうもんだよな。
俺たちは異常なんだ〜と対して異常でもない奴らが自分の凡庸さと無から目を背けてヘラヘラ笑ってるのも気持ち悪い。オタクが狭いコミュニティの中で自分の性癖がいかに歪んでいるかをアピールして、マウントとってポジショニングするのと構図が同じなんだよ。何も持っていない人間がせめて肩書きだけでもと自分の”個性”を演出しようとしているのもダセェ。自分に専門性がないヤツでも0から始められるアクションの代表が起業とかフリーライターだ。無が肩書きを持って有っぽく振る舞おうとしてる。その人自体に何か新しい価値が付随してるわけではない。もはや個性的な人材でも新しい生き方でもなんでもない。
プロ奢ラレヤーを過剰評価してる人類もうんざりだ。あれを新しい生き方だと褒め称えてる奴、頭おかしいよ。なんでtwitterで見ただけの人をそこまで尊敬できるのさ。だってどう考えても社会不適合者じゃん。会ったらわかると思うんですけど、ただの多動ですよ。新しい生き方なんじゃなくて、プロ奢ラレヤーの生き方。手放しで崇拝するなよ。他人は他人、お前はお前の人生を生きろよ。そりゃあプロ奢氏の無を惹きつける能力は素晴らしい。真似しようと思ってできることではない。すごいんだけど、盲目的に「俺もプロ奢になるんだ!!」ってうおーしようとしてるワナビは、虚無へまっしぐらだなぁと思って受け付けないです。twitterであそこらへんの界隈?に絡んでる奴のプロフィール見てたらあ〜〜〜なるほどね〜〜〜つまんないな〜〜〜って気持ちになった。フリーランス×ブロガーやりたいんだったらつまんないのはダメだよ。他人の言葉をコピーしても熱量はコピーされないんだからお前にしか言えないことを言って欲しい。
成功した人のやり方を真似ても、成功した人以上の存在にはなれないでしょう?その人はその人独自の居場所を確立したから成功しているのであって、成功法則はその人が作った評価時空なんじゃん?そういう人もいるんだなぁと思う以上にのめり込んでどっぷり浸かるのは思考停止で先に待ち構えてるのは穏やかな死か搾取される未来でしょ。成功者に会った人に対する普通の人の反応は、驚愕・尊敬・相対化の3ステージをたどると僕は考えている。これまでの自分の世界観とは異質な世界観に触れて驚く。これはかなりショックの大きいイベントで、受け入れられる人と拒絶する人にわかれる。ふるいにかけられて生き残った人、つまりすごい!!!と心の底から感動した人だけが次の尊敬のステージに移行する。プロ無職すげぇ!!だとか、イケダハヤトはすげぇ!!だとか、そういう精神状態だ。そして「まぁ、あの人はこういう考えだけど、自分は違うんだな」「私のスタンスとあの人のスタンスはここが違う。でもいいところは取り入れよう」と分析して相対化に至る。で、いわゆる信者というのは、尊敬のステージから盲信のステージに入り込んじゃった人のことで、相対化に行けなかった人なのだ。特定の思想が絶対的だと信じて疑わない人。信奉することは何も悪くないと思う。だが、わざと教えにカルト的要素を仕込んでいる教祖はずるいというか、悪徳だなぁと思う。
エホバの証人の教えには、「悪霊たちからいやがらせをされる場合は,み名を口にしてエホバを呼ぶとよいでしょう。そうすればエホバはあなたを守ってくださいます。(箴言 18:10)しかし神の保護を受けるには,心霊術や悪霊崇拝とかかわりのあるものからすべて完全に離れなければなりません。古代エフェソスにいた神の崇拝者たちはそれを実行しました。魔術の本を全部集めて燃やしたのです。(使徒 19:19,20)現代の神の僕たちも同じようにしなければなりません。あなたのお札や魔よけ,“お守り”のひも,呪物,魔術の本など,心霊術とかかわりのあるものすべてから離れてください」
というように書いてある。要は、「エホバの証人以外の人は悪魔サタンに支配されているから関わりを断て」ということだ。#起業しろの人とかはまさにそうで、自分の仲間を増やしたいがために、若者に後戻りさせないよう引き返せないよう迅速な決断を迫っているのである(ここら辺の決断を熟慮せず悩むことなくできるのが、ADHDで多動入ってる系なんだろうなという雑感想)。えいやっと割り切ることでしか手に入らないものもあるし見えてこない世界もあるのはわかるから、起業推進系VCとかエンジェル投資家を否定しようというわけではないのはわかってほしいな。
落合陽一周りをうろうろしてるNewspick張り付き意識高い系おじさんも嫌いだ。手を動かせっつってんだろ。落合陽一の文章のうまいところは、カタカナマシマシ学術用語マシマシで翻訳したら簡単なことしか言ってないというところだ。彼がAIを偏微分装置だなんだ生物は計算機だどうのこうの未来は自然(ネイチャー)に計算機が溶け込んでいくのだなどと冗長に表現するのを、専門外の意識高い理系が頑張って解釈して、「俺はわかってる側なんだ」と優越感・選民意識を持つ。さすがだ。これはまさに与沢翼が信者に買わせているメルマガで使っている手法だ。脳に負担を掛けさせるだけのガチガチに硬い文章を読ませて、単純な内容を苦労して理解させる。こうして得られた情報は、信者にとっては神託として作用し、自分は周りと違って「リテラシー」のある人材なのだと錯覚するのだ。うまい、うますぎる。
互いに褒めるのが一時期流行ってたけど、あれも最高にキモい。なんだよ構ってちゃんかよ。そんなに褒めてもらわないと死んでしまう病気にかかってんのか?一般社会に適合できなかった人が自分のいいところを見つけてもらって承認されようとしている光景が嫌だ。別に承認を求めるのは悪くない。だってみんな承認されないと生きていけないから。でもその承認の過程を、さも新しい運動だと喧伝して新しい活動だとアピールするのは、欲望を綺麗にパッケージングしているにすぎない。自分の居場所を、アイデンティティの固定を求めているのだと意識していないのを嫌悪している。
これがワールドスタンダードだから、とかアメリカでは〜だからと言って日本の文化風土が遅れていると批判している奴に、ここは世界じゃない日本だと言いたい。海外には海外の文化風土と国民性と歴史があって、これらに合致した制度が作られてるの。日本には日本の文脈があるの。そりゃあ日本の制度は非効率的でグダグダで今にも沈みゆく船かもしれないけど、そこにしがみついて生きるしかない人々もいるわけ。変えるなら場所を変えろ。ここにいるな。一人で逃げるのが寂しいからって他の人を巻き込んで行くんじゃない。まずはお前が一人で出て行け。そんで出ていった先で幸せそうにしておけ。本当にそこがよかったら自然に人は流出して行くから。いいか、一人でやれ。
zozotownの平社員だかなんだかの、炎上商法で人の感情を煽り立てては「はい今お前俺の言ったことに反応した〜〜〜wwwww俺の勝ち〜〜〜〜〜wwwww」という姿勢がめちゃくちゃ嫌いだ。メッセージを伝える、少なくとも見てもらうための方法なのは理解できるけれど、他人を不快にさせてもいいという態度はさっさと死んでしまえと思う。伝えたいことは、相手が受け取りやすい形で伝えるべきだ。キンコンの西野もだぞ。あとこいつらのやり方をみて、フォロワーを獲得するのに繋がるから俺はいいと思うけどな〜ってしたり顔で語る意識高い系を装ったクソも嫌いだ。他人に迷惑をかけるのは仕方ない。誰もが迷惑をかけてかけられて生きていくしかないのだから。でも意識的に他人を不快にしてもいいわけじゃないだろ。さっさと熱狂的なファンに刺されてしまえ。腹が立つ。善意を利用して金をとる、愛につけ込んで時間を奪う、畜生だな。おい、秋元康、聞いてんのか?おまえもだ。ソシャゲのガチャを考案した奴もだからな。天国に行けると思うなよ。
フォロワー◯◯人集める方法教えます!!とかスポンサーつけて●●円稼ぐ方法noteで売ります!!っていうのに嫌悪感がある。あれじゃん、与沢翼とか情報商材と同じじゃん。「お金稼ぐ方法売ります」が「フォロワー稼ぐ方法売ります」に変わっただけじゃん。ごく少数のインフルエンサーが大多数の無から金を吸い上げるだけ。確かに、金よりはフォロワー稼ぐ方が実現のためのハードルは低いから、まだ優良なのかもしれないが、本質的に価値を生み出すような行動で金を稼いでいないのは気持ち悪いと思う。実労働が伴っていないのだ。あぁ、もし僕にお金があれば、インフルエンサーが売っている無の情報を買い集めて無料で公開できるのに。情報は広がっていく性質を持っている。その流れをせき止めて、価値があるように見せかけて利ざやを稼ぐ行為を私は好まない。価値を生み出せ価値を。お前にしかできないことかそれは?実質を伴っているのか?他人の劣化コピーに成り下がった人間は死ぬほどつまらないぞ。
あと何かにつけて海外に行こうとするのなんなの?トビタテなんとかプロジェクトをいろんな大学が推進してたけど、大学に教育する気力もリソースもないから外注するってバカなの?いつから大学は知の養成機関から二流旅行代理店になったわけ?海外留学がレールを外れることみたいな風潮あるけど、それめっちゃ他人にレール敷かれてるじゃん。ありきたりすぎる。海外にいくのが異常で独自性で新しくて自分らしさだとかマジで信じ込んでるの?短絡的すぎて脳みそショートするわ。わざわざ国の税金を浪費しなくても、日本にも新しい価値観に触れられる場所はいくらでもあるぞ。なんなら日本の国土の三分の二は森だからな、近くの山に行って森で一ヶ月暮らした方が圧倒的にブルーオーシャンでしょ。西成に行って日雇い労働してみた方が誰もやってないからレアでしょ。なんとなくみんなが行ってるから海外に行くっていうのはレッドオーシャンじゃない?あとたかが海外に行った程度で価値観変わった〜〜って思うくらいの経験しかしてないのってめちゃくちゃダサくない?wowwow
インフルエンサーはわりとまともなことを言っていたり、真理情報を握っているのだが、その周りでうろちょろしてる人間が大嫌いだ。ホリエモンが言った言葉を文字起こしする、図解する、本にする、ゴーストライトするなどの仕事をもらって日々口に糊する糧にするのは大いに結構だが、インフルエンサーが提示する価値観に染まりきって他の文化体系を取り込もうとしない態度は気持ち悪い。それ、ただの新興宗教やぞ。カルトやぞ。ロールモデルは大事だ。正しさなんて誰も保証してくれない世の中で、生きる指針・データセットとして有用だ。だが、特定の人、特定の集団に共鳴して絶対的だと信奉するのはあまりにも気持ち悪い。そこにお前という個人は存在しなくて、ただの情報の結節点に成り下がっている。いいのか、それで。つまらなくないか?みんながみんな、「ひととの繋がりってやっぱ大切だよね〜」と同じ表情で同調して笑う世界がそんなに面白いか?僕はそう思わない。ヘラヘラ馴れ合うな。お前は個性的なんじゃないぞ。ただの社会不適合者だとを手帳にでもMacBookのデスクトップにでも書いておけ。
どいつもこいつも多様性が大事だ大事だと言いつつも、多様性が死ぬコミュニティに飛び込んでいる。矛盾だ。クズも利口もエリートも筋肉もメンヘラもオタクも意識高い系も引きこもりニートも普通の会社員もおじいちゃんも赤ちゃんもヤクザもアルコール依存症も発達障害も健康優良児も腕がない人もある人もゲイもレズもポリアモリーもノンセクシャルもノーマルも自営業も高学歴も中卒も野蛮人も文明人も右翼も左翼もリベラルも宗教家もメンサ会員もいるのが多様性だろ。
「普通の社会」に生きづらさを感じて逃げてきたのは素晴らしいことだと僕は思う。だって辛いことをしてたらしんどいもの。しんどいことを続けてたら死んでしまうもの。死んでしまうと僕は悲しい。人はすぐに忘れる生き物だというこじらせメンヘラもいるかもしれないが、それは誤りだ。僕は死んだ父のことを一生忘れることはないだろう。虐待で死んだ女の子のことも、自殺したご当地アイドルも、メンヘラ.jpのライターの首をつった妹も、もしかしたらこの後自殺する予定のお前のことも、僕は一生死ぬまで抱えて生きていくからなバーカバーカ。忘れるんじゃなくて、心の中から血反吐をドバドバ垂れ流しながらとてつもない喪失感に慣れるんだからな、そこんとこ履き違えるなよ。死にたいと思うならいくらでも死にたいと言え。希死念慮なら僕も持ってる。いつもそばにいてさっさと消えちまえよと囁いてくる。俺も消えたいよ。この世には苦しみしかない。生きる意味なんてどこにもない。意味があると盲信して生きている人しかいない。だから僕より先に死んで勝手に救われようとしてんじゃねえよ。
取り乱した。申し訳ない。
つい数日前に、名刺を全部捨ててる発言のたかーぎとかいう奴がなかなかホットだったが、僕もあれは嫌いだ。嫌悪。上の世代の価値観を否定することで自分の立ち位置を確立し、賛同者を集めるという行為は、フォロワー集めと信頼稼ぎの手法として効率が最高に良いし実際にやろうとしてやれる人はいない。素晴らしいと思う。天才だ。だけど、この世界のほとんどは従来のパラダイムに乗っかっている人で動かされているわけで、彼のパフォーマンスは彼らに対するリスペクトを捨てているからこそ得られる効用なのだと認識しなくてはならない。新しいパラダイムを作り出す集団は、旧来の価値観の否定なしには動くことができない。これもまた事実だ。僕が言いたいのは、手放しに全てを賞賛するのは間違いだということだ。アリストテレスも孔子も中庸こそが目指すべき立ち位置だと言っている。
歴史的コンテクストと共感不可能な他者への尊重を失ったムーヴメントを、私は拒否する。
これが僕の基本的な生きる姿勢だ。好き・嫌いと関わりたい・関わりたくないは別方向のベクトルだと僕は考えている。正直起業家ワナビもプロなんたらもほにゃらら2.0を進めていくんだと意気込む虚無も、大嫌いだ。だとしても、嫌いなものから目を背けてしまっては学びがない。可能性を捨てている。共感不可能な他者と共感可能な自己を理解&比較して初めて知を獲得できる。範馬勇次郎はこう言っている。
「防腐剤...着色料...保存料...様々な化学物質、身体によかろうハズもない」
「しかしだからとて健康にいいものだけを採る、これも健全とは言い難い」
「毒も喰らう、栄養も喰らう」
「両方を共に美味いと感じ、血肉に変える度量こそが食には肝要だ」
フロントSEの経験買われてweb系でプランナーを今やっているが、俺の元いたバックボーンはNW系やインフラ系だった
はてなでは結構こっち系をやってる人間は少ないし、今はクラウド全盛期でAzureやAWSなんか色々ブルーオーシャンでホットになってるって目指そうとしてる奴も多いかもしれないが
ハッキリ言おう、SIの方がマシなくらいインフラ系だけはマジで辞めとけ、誇張されたネットのIT系ブラックの逸話の6割くらいはこっち系が入ってるといえば、どんだけヤバいところかわかるかと思う。
以下の話を見てそれでも情熱を滾らせてクラウド系に夢見ている人間がいるのなら、web系でそういうのやるか(多分めっちゃ少ないけど)、研究畑に行くべし、哀れな被害者が出ないように書いておこうと思う
ご存じの通りインフラ系の技術って基礎技術自体はそれこそ80年代くらい、それどころかもっと学術的に言えば、アメリカ軍が冷戦時代にインターネットの原型を作ってた頃から殆ど変わらない(大雑把に言ってだが)ので、一回覚えてしまえば、割と普通に即戦力になったり、長く勉強しなくても食って行けたりする。というかCCNAなんて2週間勉強すれば獲れるレベルだ。
インフラ系では、他のIT系ではSIでも中々お目にかかれない50代や40代後半のエンジニアが「管理職以外」でそれこそゴロゴロしている
35歳定年説というものがあるが、これは正しく言えば、35歳までに管理職かレベル高いところでスーパーエンジニアになるとか、キャリアを変えられなければ、IT業界から退場というかいられなくなっていくというのが正しい(例外はあるが)
さてここで本題、インフラ系は「管理職になったらアカンでこの人、というか今までどうやって生きて来たんだコレ」という様なレベルの人間でも現場で残れて「しまう」のだ。
増田が憎悪して、無政府状態になったら老害ハンティングとかしそうなレベルの絵にかいたようなキ×ガイスレスレの老害が、どの現場にも必ず1人、最悪2~3人いる。なれる!SEの世界そのもので、あの美少女が腹の出た小汚い脂ぎったオッサンとか、目だけ異様にらんらんと輝いて気分だけは若者な50代のオッサンみたいなのと、机を並べて仕事をすることになる。マトモな人間はすさまじい勢いでやめていくか、俺のようにキャリアチェンジをしてしまうので、インフラ系は平均年齢が突出して高いという側面がある、つまりweb業界でも中々お目にかかれない相当頭のキテるロックなキ×ガイ見たいなオッサンしか残らないのである。
大概が、90年代前半のITバブル崩壊以前に、FとかNとか大企業にいたが、人間性に問題があったりリストラ食らって仕方がなくインフラで食っている内に人格が犯罪者スレスレにまで歪んだという様な、想像を絶するような老害エンジニアだ。
web系のやりがい搾取やインターンで女性PGの不安に付け込んでホテルに連れ込んでセックスしたとか、そんなのインフラ業界からすれば「え?そんなんで問題になんの?」と真顔で言うようなオッサンだらけといえば、どんだけヤバいかわかるだろ。
俺は現場にアサインして、三日目には平均年齢50のおっさん同士がオキニの風俗嬢の取り合いでオフィスの往来で取っ組み合いのケンカを始めたり
酒乱で大企業にいたのに警察に取っ捕まるレベルの騒動起こして首になったオッサンが、懲りずに酒を飲んで関係ない他の客をビール瓶でぶん殴ろうとして制止されるとか、そういうのを体験したことがある。当然、チームワークなんてゼロ、仕事は足の引っ張り合いとマウンティングと奪い合い、潰しあい、入って来た新入りが有望なら潰し、無能ならコキ使うだけ使って潰す、そんなのもはや挨拶レベル、しかも本人たちはそれが当然と思っているので悪気がない、派遣会社で一番金がとれるが、一番回転率が高いのがインフラ系なのはこういう人間性が業界全体でヤバいという理由がるのだ。
パソコンしか触ったことないもやしっ子がきていいような世界ではない。
冗談抜きで俺はカバンの中に警棒を仕込んでいた。それほど危機感が半端じゃない超弩級の危険人物たちと仕事をすることになる可能性が高い。
そしてここも問題、20代の内からそんなヤバいのにコキ使われながら、上流(インフラに上流はない!!!!!とか強弁するのはこの業界しか知らない老害のたわごとです)になる前に、運用監視というヤベーブラック労働が当たり前にあります。体調はすさまじい勢いで悪くなります。20代で北斗の拳の末期のレイみたいに白髪になって白髪染め使わなきゃいけないほど老けたら、この業界では一人前で仕事できると見てわかるなんて言われるレベルのところです。
ところがどっこい、未経験者歓迎で時給単価2000円が平均とか、割と割がいいように見えるので、それにつられて10人入れば3か月で8人辞めます。
悪い事は言わん、web系か、それができないなら中小ソフトハウスにでも入ってドナドナされた方が1000000000倍マシだから
俺が生き残れたのは俺自身がやくざな性格の人間だったからと、運がよかったのと、友達がweb系にいたのでそのツテを頼れたからという以外に理由はなかった。
社員は15時出勤で始発に乗れない、休憩は30分で月6日休み。
休憩時間以外はひたすら歩き続ける感じ。
給料は平だと最低賃金ギリギリ、店長で手取り25万ぐらいだと聞いた。もちろん残業代など存在しない。よく店長がこの会社は社員の給料で利益を出しているとぼやいていた。
あと業務外で全体会議や社本を私費で購入してレポートを書く宿題が有り休日だろうが義務らしかった。
3ヶ月以内の離職率は5割を超えていた。残った人間も4人ほど飛ぶ(連絡を断ち失踪)のを目撃した。
2人は家庭が有りお子さんが生まれたばかりの人も1人いた。
働いている間はプライベートなど存在せず休日は疲労を取るためにひたすら寝る、もはや辞める転職するといった判断をする余力すら残っていない感じ。
大学出たばかりのいい若者が数ヶ月で死んだ魚の目になっていた。1人が過労死して騒いでいるが就職中に死んで無いだけでその後の人生が完全におかしくなった人間は多数だと確信する。
自分が働いていた時にワタミは2〜300店舗はあったはずなのでその数を考えると恐ろしくなる程だ。
*以下追記*
何故そんな視えているブラック企業に入社するのか疑問に思っている人が見受けられるので当時の状況を記しておく。
当時のワタミフードサービスは東証一部上場直後、正に飛ぶ鳥を落とす勢いで渡邊美樹はカリスマ経営者、実際使い古された飲食店チェーンという業態でとんでもない数字を叩き出し
また本人もその状況を最大限に利用しメディアに多数出演、有名作家にお金を積んで自らの半生録を執筆依頼、出版するなどセルフプロデュースの先駆けのような事を行っていた。
それらと大規模出店計画、事業拡大のタイミングを合わせ大量の人材を確保していたのである。
佐川で100万貯めて裸一貫で起業、東証一部企業の創業者社長まで登り詰めた生きる伝説が天下布武を行うので我に集えと大号令をかけたのだ。
それはもう成功を夢見る人達が大量に集まった。多かったのは独立志向の強い中途採用のおじさんで聞いても無いのに社長の半生録を見て入社したと教えてくれる人が多かった。新卒も中途も来るもの拒まずみたいな感じだったが信じられないかもしれないが新卒で同志社と早稲田卒を1人づつ確認した。早稲田の方は1月で去ったが。
実際大規模に事業拡大計画が有るので幹部も沢山必要なので高学歴が入社するメリットは十分に有った、社内ブルーオーシャン状態なのだから。
何故こんなにバイトが詳しいのかというと働いた店が地域進出の足掛かりとなるフラグシップの大箱で研修施設でも有った、高校時代から個人経営の飲食店キッチンで4年はバイトしていたのでチェーン店の調理は余裕が有り観察していたからだ。あと今考えても異常な環境だったので強く印象に残っているのも当然有る。良い社会勉強になったと思う。
バイトの待遇に関しては極一般的であったし社員教育としてアルバイトの人も当然顧客で有り最高の広告塔であると周知していた。(そういうビデオを更衣室で社員が観てた)
https://anond.hatelabo.jp/20180314204633
これと同じことを考えたことがある。
焼きそばが好きという人はそれなりにいると思うが、好きのレベルが他の麺類とは
違うのではないか。うまく言えないが、母親の味とか学生時代に食べた味等のノスタルジー
による好みなのでないだろうか?
大嫌いというほどではないが、麺類のメニューを並べられてどれか選べと
ちなみに、中華風やロメスパは含まないソース焼きそばのみを対象にしている。
・麺が駄目
何故蒸し麺なのか?コシもないし、ぼそぼそとした食感。しかも油臭い。
これって調理のしやすさうを優先して味は二の次ってことだよね。
もし味を追求するのであれば、ゆで麺でもいいと思うが、ほとんどの店では
相変わらず、蒸し麺を使っている。
https://www.toridoll.com/shop/nagata/
・ソースの味が単調
どれもソース味。恐らく複数の店からソース焼きそばを並べられても
醤油ラーメンを同じように比較した際は明確に個性が分かれる。なぜなら醤油ダレそのもの
に対する工夫やスープや麺との相性を各店で工夫を施しているから。
パスタにおいても、例えばペペロンチーノではニンニクの火の通し方、塩の量、乳化の技術で
明確に味の違いが出る。
焼きそばも調理技術によって旨さの違いはあるのであろうが、ソース味一辺倒で
つまり、料理人にとってポテンシャルを感じにくいと推察できる。
だが、裏を返せば焼きそばというカテゴリはだれも旨さを追求していないフロンティアであるとも
言える。長田本庄軒が神戸のぼっかけそばをベースにゆで麺を採用して個性を出しているのは
良い例だと思う。
たぶん、いわゆるアイドルの写真集において、アイドル本人は被写体としての役割しか担わない。
『ビジネスとして、被写体であるアイドルのいいシーンを引き出し、そして切り取ること』となる気がする。
そうなると、そこには客観しか存在せず、アイドルとしての価値だけを凝縮した作品が完成するのでは。
『エトランゼ』は、制作に際し伊藤万理華の主観意見が反映している。
アイドルである自分に疑問を持ち、映像制作の面白さに触れ、アートとしての表現を学んだ、彼女の主観。
結果、この写真集には『アイドル伊藤万理華』と『表現者 伊藤万理華』が混在している。
彼女は、
アイドルとしての『みんなのためが、自分のため』という価値観と、
表現者としての『自分のためが、みんなのため』という価値観を、
どちらかではなく、どっちも選んだんだな。
それをビジネスとして成り立たせることは茨の道だと思うけど、
やり抜いた先にはブルーオーシャンが広がっている気がする。
販路として、コンソール(特にハンドヘルドゲーム)が強くてPCゲームが弱い国だっていうのが全てだと思うな。任天堂とソニー(とセガ)があるんだもの。
ゲーム会社飛び出して個人や少人数で一本納得いくゲームを作って売って、それをポートフォリオにしてまた就活みたいな気軽さも無いし。
「PC=違法コピー」で思考停止した阿呆な経営陣様のせいで、ブルーオーシャン時代のSteamに乗り出して足掛かり作れなかったしあー今思い出しても腹が立つ。
だいたい、袋麺を作るときに「水500cc」とか「350cc」とか、求められることが多いと思うんだけど、もちろんざっくり目分量でもいいんだけどお土産とか高級品のときはちゃんと作りたいって思って図ることがある。
でも計量カップだと多くは200ccなので何杯かに分ける必要があるし。いっそ炊飯器みたいに最初から鍋の内側にメモリがあったら楽ちんなのに!
と思って検索したらそういう商品ってまだこの世に存在してないの??ってくらい見つけられない。
確かに用途としてはインスタントラーメンくらいしか使いみちないと思うんだけど、
ラーメンが美味しくなるふりかけとか作ってるよりまだこっちの商品開発したほうがブルーオーシャンなんじゃね?って思ってしまう
はてなでは「そんなもん気にする人の方が少数派なのに
そんなノイジーマイノリティの為に下らない配慮をさせられて表現の自由度が減っているのはけしからん」
的に決めつける物言いが多いけど
実際は「そうすると売れるから(そうしないと売れないから)」って商業的な事情の方が大きいんだろうな。
つまり、「そんなもん気にする人」は沢山いるわけで。
その辺を配慮したワンダーウーマンは大ヒットしたし(日本ではいまいちだが、世界的には)、その前にアナ雪が大ヒットしたのも記憶に新しい。
それ以外にも、洋画や洋アニメの世界では「ポリコレを配慮した作品でなければ売れない」と言うのが定説になって来ている。
LGBT市場も人口の1割と言われて、相当大きいと言われてるのに
今の所まだまだ商業介入が少ないブルーオーシャン扱いだからこそ市場として狙われているだけで、
別に「儲かりもしないのに嫌々配慮させられている」訳ではない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171029165127
hanyan0401 素朴な疑問ですが、その人権意識が日本の遙か先を行っている欧米で、現代的な感覚が希薄な日本企業である任天堂謹製のマリオやゼルダ等のゲームが、日本と変わらず人気を博しているのはなぜなのでしょうか。
恐らくゲーム、それもストーリー性やキャラクター性で売れている作品ではないものの場合は
「ゲームとして面白いかどうか」が最優先されて、それ以外は二の次になるからだろう。
しかもどちらも昔からゲーム界でブランドを確立しているシリーズだから、既に熱心なファンが多数いるわけだし
これから新たにゲームを始める子供に売り込むとしても、完全新作より知名度という点で断然有利だしね。
(まあゲームでも、最近の完全新作であるスプラトゥーンなんかは割とその辺配慮しているように見えるけれど)
でも映画やアニメの場合は、ストーリー性やキャラクター性が第一のジャンルなのでそうはならない。
同じような設定で新作映画作品なら容赦なく叩かれる、或いは「これではヒットしない」と最初から予算が下りない・作らせて貰えない、んじゃないか。