たぶん、いわゆるアイドルの写真集において、アイドル本人は被写体としての役割しか担わない。
『ビジネスとして、被写体であるアイドルのいいシーンを引き出し、そして切り取ること』となる気がする。
そうなると、そこには客観しか存在せず、アイドルとしての価値だけを凝縮した作品が完成するのでは。
『エトランゼ』は、制作に際し伊藤万理華の主観意見が反映している。
アイドルである自分に疑問を持ち、映像制作の面白さに触れ、アートとしての表現を学んだ、彼女の主観。
結果、この写真集には『アイドル伊藤万理華』と『表現者 伊藤万理華』が混在している。
彼女は、
アイドルとしての『みんなのためが、自分のため』という価値観と、
表現者としての『自分のためが、みんなのため』という価値観を、
どちらかではなく、どっちも選んだんだな。
それをビジネスとして成り立たせることは茨の道だと思うけど、
やり抜いた先にはブルーオーシャンが広がっている気がする。