はてなキーワード: iPhoneとは
文系院卒の後、仕事も見つからなくて塾講師やってる低所得者です。
最近驚いたことがあります。今の10代の子ってWindows知らないんですね。
「うぃんどーず・・・? Androidなら知ってますが・・・」
こんな感じです。
PC用のOSを明確に意識しているのは、ゲームマニアかプログラミングとかできる子たちだけ。
iPhoneはiOSではなく、iPhoneです。AndoroidはiPhone以外のスマホの総称として使っているようです。
Windowsの話で盛り上がっているところ、一人の女の子が問題発言をしました。
「あ、お父さんは使ってます!ウインドーズ・・・ええっと・・・XP!」
お父様、早くアップグレードしてください。
以上です。ありがとうございました。
VR技術ってさ、これから世界の情報通信産業を革新するかもしれない技術だってのに、
日本のVR産業で盛り上がってるのは『サマーレッスン』とアダルト関連かよ。
下半身に意識高すぎだろ。高杉晋作か。面白きことなき世を面白く、ってか?
ああ、そうさ。この国ではいつだって技術革新はまずエロに応用される。
VHSとベータ戦争だって、結局はアダルトを取り込んだVHSが勝った。
任天堂とソニーのゲーム機戦争でも、ギャルゲーとか微エロ要素を積極的に活用したソニー陣営が勝った。
任天堂は(少なくとも一時期は)逆に潔癖過ぎるくらいだったわ。
スマホが流行ったのも、LINEやスマゲー、Faccebook、出会い系アプリ関連で、
ようするに「未知の出会い」が期待できるからだったハズだ。今じゃ信じられないけどな。
一昔前は「iPhoneを持ってる女はヤレる」とか意味不明な都市伝説すらあったくらいだ。
理系バリバリで脳内お花畑の連中は、技術が人を豊かに幸せにするって
何か高邁な理想の実現者みたいな顔してるけど、現実はエロだよ。エロ。
セックスの機会が増えるか、オナニーがより充実するようになるってだけ。
エロに関係しない技術は、よほど特別な価値がない限り廃れていく。
『サマーレッスン』は、日本のVR黎明期において画期的なプロダクトになるんだと思う。
インターネットだって、今から10年近く前までは「無料エロ」の同義語だったし、
実際、その当時にインターネットを始めた理由の大多数(の男性)は二次元を含めたエロが目的だったんだよ。
(「え、お前インターネットやってるの? エロいなw」って会話が成立していた)
何がRetinaディスプレイだ。お前ら鮮明なエロ画像みたいだけちゃうんか、と。
ホッテントリメーカーで作るような煽りタイトルって、みなさんもう見飽きてると思うんですよね。
今調べたらホッテントリメーカー2008年だそうで。どうりでねー。古臭いなーと思いましたよー。
「一から学ぶJava」ってのをね、1.0にするだけでこんなに素敵なタイトルになるんだから面白いですねー。
タイトルを思いついただけだったんですけど、思いついたらやっぱりちゃんと中身も書かないと行けないじゃないですか。やだー
面倒くさいんですけどね。ちょっと1.0から学んでみましょうか。
Javaの1.0がリリースされたのは1996年1月23日ですね。発表されたのが1995年5月23日でJavaの誕生日といった場合にどちらを取るかで揉めることがあります。
かれこれ20年前なわけで、当時のパソコンというとハードウェアはCPU が Pentium 133MHz メモリ16M とかそんな感じだったかなあ。今どきの携帯電話の例としてiPhone 6sを挙げるとCPUが1.85GHz メモリ 2G ってんだから凄いですね。OSは1995年11月23日にリリースされたWindows95とかそんな時代背景です。インターネットがようやく一般に普及し始めたところでしょうか。
今から思うと相当弱いハードウェアですけども、そろそろVM方式を採用しても良さそうな、そんな時代でした。インタープリタだと流石に遅い、でもC言語のようなコンパイル言語だと"Write once, run anywhere"とはいかない、という判断もあったのだろうと思います。Javaが純粋なオブジェクト指向言語ではなくintなどのプリミティブ型を持つというのは、当時のマシンスペックを考えた場合、ある程度妥当な判断だったと言えるでしょう。これが後々苦しくなってくるわけなのですが。
Javaを作った会社はSun Microsystems(サン・マイクロシステムズ)というアメリカの会社で、2010年1月27日にオラクルにより吸収合併され今はありません。SolarisというOSとSPARCプロセッサでUNIXサーバーの販売で90年代後半までは一人勝ちのような状況だったと聞きます。当時にすでに「ネットワークこそがコンピュータ」(The Network is the Computer)というモットーを掲げてたんだからおかしい。1996年リリースのJavaが標準でネットワーク機能を備えていたのもこのあたりの思想から来ているのかもしれませんね。
当時のプログラミング言語としてC++が挙げられますが、C++でのプログラマへの負担といいますか、ヒューマンエラーの起きやすさといいますか、その辺を改善する目的で開発されたのがJavaだったわけです。
1996年の時点にこんな言語が登場したのですから革新的でした。
いろんな企業がJavaに賛同します。その中にはMicrosoftもありました。この時期、Microsoftは次期のWindows開発用のプラットフォームにJavaを据えようと考えていました。その後、袂を分かつことになるのですが……。
プログラム言語として構文などを見ると、C++を強く意識した構文なのは間違いなく、しかしポインタ演算を廃してポインタを機能を限定した「参照」に置き換えるなど簡素化が多く見られます。C++からはいろんな機能が削られています。関数ポインタ、構造体、演算子オーバーロード、テンプレート((テンプレートについては実装が間に合わなかったという話を聞きます))などなど。そのためC++の劣化であるように揶揄する人もいますが、こうしたものを捨てて言語仕様を比較的小さくシンプルに抑えた点は評価に値すると思います。しかし、今でもこうした削減された機能を愛する人からはJavaを腐す要素として挙げられてしまうのでした。
Wikipediaからピックアップすると1.1での大きな機能追加は
といったところです。当初よりJavaの内部文字コードはUnicodeで文字を表すchar型は16bitで設計されていました。Unicodeは当時それほど普及しておらず、Unicode対応のテキストエディタさえ少なかったと記憶しています。時代を先取りしていると言えますが、大きな誤算はUnicodeが当初16bitのコードポイントに世界のあらゆる文字を格納しようとしていたことで、漢字圏の我々からすると16bit=65,536程度の空間に文字が全部入るわけないだろ!というものだったが故に早々に破綻し、Unicodeは21bitのコードポイントに拡張されることになるのです。これはまた後の話。
なんにせよ、日本語が対応されたのは1.1からで、日本でのJavaの採用が始まったのはこの頃からと言えましょう。
当時のJavaのGUIはAWTというものでしたが、これを用いたGUIの開発は当時は結構行われていたイメージですね。Visual BASIC でGUIを作るプロダクトも結構あったと思います。GUIのためのオブジェクト指向言語としてJavaが使われていたイメージがありますね。JavaBeansもそのための仕様でした。件のsetter/getterの話題に繋がっていくのですが。
JDBCはJavaとデータベースをつなぐインターフェースです。RMIではあるJava VMから別のJava VMにオブジェクトを送って実行する、といったことができます。こうした機能が用意されたことで、ソフトウェアのフロントとしてのGUI、裏方の実装のためのネットワーク機能、データベース機能、さらにはソフトウェアを配布するためのJava Appletという布陣でJavaでのソフトウェア開発が加速していた時代といえます。
Microsoft Visual J++ もこの時代ですよ。
Java 1.1以降のバージョンのものは互換性確認のためにOracle Java Archiveからダウンロードすることができ、今でも入手することができます。もちろん、Java7ですら2015年4月にEOL(End of Life,サポート終了)となっているので、通常利用するのはJava8としてください(本稿執筆時点)。
当時のドキュメントを見るのも一興です。現在と比べると標準APIがかなり小さい。なお、当時のjavadocは今とはデザインが大きく異なります。
この時代であれば、全パッケージを舐めて標準APIを学ぶこともそう難しくはありませんでした。この時代から触っている人間は新バージョンが出るたびに増えるAPIを順に学んでいけたのです。しかし、現代にJavaを学ぶ場合、どのバージョンでは何があって……というのをいちいち学ぶ必要はほぼありません。Java5以前は一緒くたでいいと思いますし、一部のAPIで歴史的経緯があってねーというのを知っていればおそらく十分ではないでしょうか。
strictfpキーワードは浮動小数点演算をやる人は覚えておきましょう。JavaはパフォーマンスのためにCPUの浮動小数点演算を扱うことが許されており、そのため実行するCPUによって精度が異なることがあるんですね。まあ今時のCPUだと大丈夫だとは思うんですが。
リフレクション機能ではJavaのクラスを抽象的に扱うことができます。設定ファイルに書かれたクラス名のclassをロードして実行する……みたいなことができるんですね。フレームワーク的なものを作る場合には多用することになります。
1.2からは新しいGUIのSwingが採用されました。AWTがOSごとのGUIパーツを用いていたためデザインに違いがあったのに対し、Swingでは統一的なルック・アンド・フィールが用いられるようになりました。まぁ今ならJavaFXを使うのが良いと思います。
初期のJavaはやはりVM方式の実行速度の遅さが指摘されていました。実行時の構文解析を伴わないだけインタープリタよりは早いものの、実行バイナリを作るC/C++よりは遅い、そうした評価です。ここではサン・マイクロシステムズのVMにJIT(ジャストインタイムコンパイラ)が乗ったことが挙げられていますが、JIT自体は別の会社が先駆けて開発していたことは記しておきたいと思います。
JITコンパイラは実行時にJavaのバイトコードを環境のネイティブコードにコンパイルして動かす技術です。この後、JITコンパイラ、動的再コンパイル技術、世代別ガベージコレクションを備えたHotspotといった様にJavaVMは進化していきます。現代では実行時の最適化が進み、大きなスケールで見た場合、Javaの実行速度はC/C++での実装と比べてそれほど遅れるものではありません。遅くても倍の時間は掛からない程度といったところでしょうか。
あとは特記すべきはコレクションフレームワークです。皆が多用しているであろうjava.util.Listやjava.util.Mapといったライブラリが整備されたのがこの時なのです。それ以前はjava.util.Vectorやjava.util.Hachtableというクラスが可変長配列の機能を一手に担っていました。今ではVectorやHashtableは使うべきではありません。
Java の開発はSun Microsystems が主導していたけども、すべてがSunのものだったというわけでもなく。Javaには多くの会社が出資していてその中のひとつがMicrosoftだったわけですね。
Microsoft の Visual J++ では delegate とか独自機能拡張もありましたけど、裁判で問題になったのは J++ でコンパイルしたclassファイルはMicrosoftのVMでしか動かないという部分ですね(他社製のVMで動くclassファイルを作ることもできる)。classファイルがどこのVMでも動くの大事だろ、"Write once, run anywhere"だろ、お前何してくれてんの!と喧嘩になったわけです。当時のMicrosoftはブラウザまわりでも独自拡張がやりたい放題、標準規格?なにそれ美味しいの?みたいなスタンスをあちこちで見せていたものです。
結局、この事件でMicrosoftのJavaはバージョン1.1相当でストップ。好き勝手にやれないなら独自に言語作るわーとばかりに.NET フレームワークと C# といった方向に舵を取ります。
JavaがPC上でのUI開発の主力になろうとした勢いはここで潰えます。
Java SE とは別にこの時代に Java EEがリリースされていることは特記しておきたいですね。これ以後、それまでのCGIに取って代わって、JavaはWebサービスの開発のプラットフォームとして多用されるようになります。
2000年あたりからはJavaはGUI開発というよりは、Webサービスの開発が主流という流れになっていきます。インターネットのサービスが非常に発達していった時代、背後ではとてつもない量のJavaのプログラムが支えていたわけです。ただまあ、こうした産業利用は一般的なユーザーの目にはあまり入らないわけです。一般人からすればJavaといえばJava Appletみたいなイメージはずっと残っていたでしょうが、実体としてはJavaといえばServletという時代になっていたわけです。
企業で用いられる社内システムにもServletは多く採用されました。
理由はいろいろ挙げれると思うのですが
というのが大きな理由だろうと思います。JSPというテンプレートエンジンを用いてHTMLを整形してWebページを作り出す、というアーキテクチャはある意味では便利で簡単でした。
もっともHTMLの表現力に足を引きずられるため、GUIの機能性という点では後退したわけなのですが。それでもメリットが大きいと判断されたのでしょう。というか、まともにGUIを組めるプログラマがほとんどいないから、GUIのシステム開発がなかなか成功しないってのもあったんでしょうけどね。
2000年あたりというと携帯電話の普及も取り上げなければなりません。現代のスマホ、ガラケーに比べれば非常に機能は貧弱で、まさに携帯「電話」でした。要するに電話とメールぐらいしかできなかったんですね。
そこにdocomoのiアプリ、Jフォン(ボーダフォンを経て現ソフトバンク)のJavaアプリ、auのEZアプリという携帯電話上でちょっとしたアプリが動くよ!というのが乗るようになってきたんです。これがJavaを組込み用途にコンパクトにしたJava MEというものが土台となっていて(正確にはiアプリはちょっと違う)Servletと並ぶJava言語の大きなもうひとつの領域となっていました。
iアプリは当初は容量が10k byteまでといった制約があり、容量制限が非常に厳しかったのですが、新機種が出るたびに容量は緩和されていきました。
docomoはiアプリ含めiモードによって一世を風靡します。こうした土台を作ると、その上で商売をしたい人がたくさんやってきて、勝手にコンテンツを作ってくれる。docomoはそれらから手数料を取るので労せずして大金を稼げるというわけです。賭場の胴元というわけです。
この賭場が、将来にAppleのiPhone, GoogleのAndroidに荒らされることになります。docomoがなかなかiPhoneを出さなかったのもiモードという自前の賭場を失うことを良しとしなかったためです。金づるを失ったdocomoはSamsungと組んで独自の携帯向けOSであるTizenの開発に乗り出します。そんなTizenですが鳴かず飛ばず。噂ではインドあたりではリリースされたとか、なんとか。
話を2001年に戻しましょう。
Microsoft離反でGUIのプラットフォームとしてのJavaというものは存在感を弱めていました。この分野の復権に寄与したのはJava 1.4 (2002年2月6日)で導入されたJava Web Startです。
Java Appletがブラウザ埋め込みで動作したのに対し、Java Web Startではブラウザから起動しつつも独立したアプリとして起動するのです。
Webシステムが企業の社内システムに採用された話は先に述べたとおりですが、やはりWebシステムのGUIというのはHTMLに引きずられて貧弱だったんですね。
端的に言えば入力値が数字かどうか?みたいなチェックがなかなか難しい。HTML上でJavaScriptでやるわけなんですが、なかなか気持よく入力できるような感じにはならなかったんですね。
また、Ajaxによるブラウザのページ遷移を伴わない通信というのが出てきたのも2005年ぐらいなので、入力値に対してサーバ問い合わせするようなことはできなかった。当時だと一旦画面遷移させないとできなかったわけです。
こうした事情から、クライアントサイド、要するにPC側でもっとリッチなUIが使いたい!という要望があったわけです。Webシステム使いにくい!という不満の噴出と言ってもいい。そこで出てきたのがRIA (Rich Internet Applications)というわけです。
Javaは1.0時代のAppletからそうですが、ネットワークを介して別のPCにプログラムを送り込み、そこで動作させるという能力を持っていました。それこそまさにRIAに求められる機能性だったわけですね。
RIAの代表とされるのは
あたりです。三つ巴の戦い、どこに軍配が上がるのか!?と注目されましたが、勝利したのはHTML / JavaScriptでした。
Google MAP で注目を浴びたAjax技術、それまでブラウザでは不可能と思われていた高級なGUIをHTML / JavaScriptで実現させました。もうやめて欲しいですよね。せっかく脱ブラウザの流れが来たと思ったのにまたWebシステムに逆戻りですよ。
RIAが失速した理由として考慮して置かなければいけないのはスマートフォンの台頭です。RIAでは端末を選ばずどこでも同じアプリが動かせる点がポイントのひとつでしたが、スマートフォンではそうは行かない。"Write once, run anywhere"を破壊したのはスマートフォンだったというわけです。
しかし、先日インストールなしでアプリを実行するAndroid Instant Appsが発表されたりしまして、結局RIAの思想といいますか、要求というのは今でも息づいているのだなと思った次第です。
1.3 / 1.4 では機能追加はあっても言語構文が大きく変わることはありませんでした。大きく変わったのはJava 5です。この時からバージョニングが変わって1.5ではなく5と表記されるようになりました。
Java5の特徴はなんといってもジェネリクス。それまでjava.util.Listにデータを出し入れするのにはキャストが必須だったわけですが、ようやくキャストから開放され型の安全度がぐっと高まりました。その他に以下のような変更があります。
言語としては随分変わっったわけですが、もうかれこれ10年以上前のことですからこれらの機能が「Java5から導入された」という知識は今となってはあまり必要とされません。これらの機能が使えないJava 1.4で開発をする事案が殆ど無いからです。0ではないのが悲しいところではありますが。
Java 6 (2006年12月11日)がリリースされた後、Java 7 (2011年7月28日) が出るまでJavaは停滞してしまいます。その間にSun Microsystemsという会社がなくなってしまったためです。
Sun Microsystems の経営状況が悪化しており、ついに身売りをすることになりました。身売り先はIBMともGoogleとも噂されましたが結局2010年1月27日にオラクルに吸収合併されました。
Javaの停滞中にはJava VM上で動く非Java言語も台頭してきました。Scalaなどですね。
やや戻って2007年にAndroidが発表されます。Androidの開発言語にはJavaが採用されていますが、実行環境はJava VMではなく、ライセンス的な事情でJava(TM)は名乗らない微妙な位置関係にあります。
Java 5 以降で大きく言語仕様に手が入るのは Java 8 (2014年3月18日)です。並列処理を行うためのStream APIと、そのために簡易に関数を定義するためのラムダ式が導入された点が大きいですね。日付APIも刷新されました。
このように、Javaは1.1の黄金時代から今に至るまで利用ジャンルを転戦しながら産業の土台となって支えてきた歴史があります。ジャンルの趨勢により浮き沈みもあります。今後についても決して楽観視はできないでしょう。Javaを学ぶことはプログラミングを学ぶステップとしては意義はあると思いますが、Javaを学べばゴールというわけではありません。プログラム言語も次世代へと移りつつあります。業界動向には注視していきましょう。
注意:本エントリはあくまで「こういう感じのアイコンを使うブクマカのみなさまにはマスとして、傾向としてそういう感じである」ということを言っているにすぎません。よって特定のブクマカを非難ないし侮辱、または揶揄する意図のないことをここで断っておきます。あくまで一般的なイメージです。みんなの持っているイメージです。かわいいあの子や、やさしいおばさんや、仕事には厳しい部長などの一般庶民の感性の最大公約数です。
気持ち悪いあやつり人形の写真→増田の記事をよくブクマしてそう
白地に青丸+「かいすた」→特徴がなさそう
白地に青丸+「ふっけん」→元ネタのアニメが廃れた今となっては同じようなアイコンの人らがみな互助会かホモに見えそう
毒々しい一つ目っぽいデザイン→野菜を毎日350g摂っていそう
はじきとばされているギコの絵→いまさらギコネコというのもどうなのか
黒字に「Z」→はやそう
白地に黒で「か」&赤で「な」→毒にもクスリにもならないコメントしてそう
胸に「P」と書かれたシロクマ→最近はめっきり炎上に便乗するお嬢さんじゃないか?そう
きゅうべえの顔のどアップ→とげとげしいけど根はやさしそう
Ikamaru→昔はアイコンなくなかった?
胴体が分断された旧アイコン→十回に一回くらいキレキレのダジャレコメしてそう
帽子を被った男の横顔の影絵→車で人を轢きそうになったことがありそう
マンデルブロかロールシャッハテストみたいな黒いシミをJの字に配置した→ブログの方が読み応えありそう
旧デフォルトアイコンが左にずれて見切れてる→アイコンより「PLUS」の文字のほうがめだってそう
自撮りアイコン→これが観測範囲内で遭遇率低い場合、自分のことを村民だと思ってさしつかえなさそう
Android のマスコット→実はiPhoneユーザーっぽそう
初音ミク→見分けつかなそう
黄色い旗にPの文字→かつては早撃ち&連射で知られていたけど最近ではめっきりたたなくなってそう
銀河系→最近見ないな―と思ってたらいつのまにかひょっこりブログ更新してそう
白地に「や」→無言ブクマ多くて怖そう
白地に(9)→句点多くない。。。。?
手描きのミッフィーちゃんみたいなうさぎ→最小限のことしか言わなそう
毒男→おまえのアイデンティティがそこにあるのはわかるがいい加減卒業しようそう
何かの風景→アイコンサイズじゃよく見えないのでもっとわかりやすいのにしてくれ
雷→はやそう、と見せかけて実は遅そう
弱酸性ビオレのキャラみたいな画風だけど微妙に違う→自作ですか?
ピカチュウの人形→平均的なはてな民です。とりあえずお薬だして様子を見てみます。
ライター→うーん
フードをかぶったような黒い人物→左様ですか
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/medium.com/mediumjp/2b0da4969e65
だいたいはここらへんのコメント
id:koiz アメリカでは、光を思いっきり入れたクリエイティブが求められることが多い(特に西海岸だし、スイムウェアは)。自分のセンスで左の方がいい!この写真家はクソ!ってなる人がrawデータを貰いたがるタイプなのだと予想
id:Memeo このレタッチ写真屋が勝手にやったんじゃなくて用途やデザイン案に従って仕上げたもんなんじゃない?/ カレー作って今からルー入れようって時に「もうそれでいいから食わせろ」と言われても困るだろう。
で言い表されてると思ったんだけど、スターを集めてるブコメでは誤解が解けてないようなので。
まず、カメラマンの仕事を理解していないひとが多い。カメラマンは写真家と違って、クライアントの要求にあった写真を撮るのが仕事なんだよね。「フレアがわざとらしい」とか「レタッチ前の写真のほうが好き」と言っている人は、カメラマンじゃなくてクライアントのセンスに文句をつけている。
次に、本文でも親切に「レタッチを前提として撮っている」と書いてあるように、レタッチは下手な写真をごまかす手段としてではなく、クライアントの望む理想的な写真を作り出す手段として使っている。「RAW現像を前提としてあえて暗めに撮っておき、現像時に明るくすることで暗部の階調を残す」というようなテクニックは常套手段。なのでレタッチ前の写真が下手という指摘は外れているし、そういう誤解があるからこそ元データを納品したくないんだよ。
元記事はカメラマンの立場からRAWデータを渡せない理由を説明し、それでもクライアントの不利益が少ないことを説明して理解を求める内容。「RAWデータは作りかけのもの。自分の名前で世に出したくはない」「そのことでクライアントに不利益が生じないようきっちりと仕事をしているので、理解してほしい」「しかしカメラマン側も事前に契約を詰めるなどの取り組みは必要」という流れ。その流れを踏まえてブコメを読むと、とんちんかんなブコメがかなり多いことがわかる。
いわゆる写真の加工に対して、アレルギーを持った人が多いんだろうなと再認識させられた。身の回りにある写真はほとんどが加工済みだし、iPhoneで撮った写真でさえ元から強烈な補正がかかってる。ここまで写真が身近になった今だからこそ、写真の現像やレタッチについてカメラマンからも発信していかなければならないと思った。
id:toksato 結局なんでレタッチ前の写真を渡さないのかよくわからなかった。
本文中に"レタッチが終わるまでは、自信を持って「自分の作品です」とクレジットを付ける気にはなりません。"って書いてある。
ただ、元記事は「レタッチ前データを渡したくない理由」「レタッチ前データを渡す必要が無い理由」「同業カメラマンへの提言」がまぜこぜに書かれていて、主旨が読み取りづらいとは思う。
id:Akamemori お前それフィルムカメラでも同じ事言えんの?
ブコメで多数指摘されてるけど、銀塩時代も加工の技術はあった。現像やプリントの段階で、色味やコントラスト、シャープネス、粒状性は変えられるし、覆い焼きで部分的な明るさを変えることもできる。デジタルで幅が広がったのは確かだけど。
id:atoh 契約時にきちんと詰めろってだけの話だった。
id:aromabird 契約次第としか。中間制作物も納品義務のある契約なら納めるし、無ければしない。別料金。ただそれだけ。
本文で"撮影の前には、契約が成立しています。""これは、プロのカメラマンである以上、事前にしっかりと内容を詰める責任があります。"ときっちり書いてある。このコメントに星が集まってるのが理解不能なんだけど、みんな本文最後まで読んでないの?
id:nasuhiko レタッチっていうかほぼRAW現像の話だろこれ。翻訳者がわかってないのか、それらも含めて原文がレタッチって言ってるのか。プロでさえ1枚のベストショットの背後に何十何百という失敗ショットがあるのは同意。
海外の"retouch"は現像も含めた写真の加工全体を指す。"no retouching"なら、撮影後いっさい手を加えていない写真のこと。
id:kazoo_oo 追記でぐだぐだと契約だなんだ言い訳してるけど、前段ではそのrawファイルが自分より優れた現像者に出会う可能性を潰すことの理由を説明できてないよね。 </bockquote>
これは文章の読み取り方の問題。自分よりも優れた現像者に出会う可能性は潰しきれないが、カメラマン側の能力で相当小さくしている。カメラマンの被る不利益との天秤で、原則RAWデータを渡すことはできない。ただし信頼関係や契約次第で対応することはできるというのが本文の論。
IT業界でクライアントが「あとで使うから作ったソースコードや旧バージョン全部ちょうだい」って言ったら普通に断られると思うんだけど、それと同じ話。
id:jassmaz jpegだけ送られてきたらキレるわ。rawファイルもいらない。psd + pngを送るのが常識では?
psd+pngが常識というのには同意。その上で、クライアントが求めるものはまちまちなので、契約をしっかり詰めておきましょうというのが本文の内容。
id:oscdis765 これ右がレタッチ後なんだよね?左のが良いのが沢山あるんだけど
id:mfigure 上手けりゃ、原版渡せとは言われないでしょ。加工後の方が上手いといえない写真が多いんだけど、よく言うわ。
id:kantei3 思いあがっている。あと、左の方が良い写真が多いので、都合のよい例すら選べない低能なんだな、と。
id:paradisemaker いやー、商売が成立してるんならいいけど、元々のカメラの腕が良くないし、レタッチもそれほど上手くない。デジタル時代のカメラマンって感じだなぁ。
この手のコメントが多いのが本当に悲惨。使用イメージが頭にあるクライアントがカメラマンと話しながら詰めた結果、右みたいなタイプの写真が希望にあったというだけ。あなたたちがどっちがいいと思おうがまったく関係ない。仕事で右みたいな写真が好まれがちだからこそ、private workもそういう味付けにしてポートフォリオとして公開しているんだろう。
「デジタル時代のカメラマン」ってのがよくわからない。フイルム時代、大多数の人が見ていた写真は加工の入ったプリントと、よくて現像済みのネガぐらいで、RAWデータに相当する未現像ネガは見られなかったはずなんだけども。
id:zheyang う~ん、今でも撮影時に設定を絞り込んで、レタッチを最小限にしてる人もいるんじゃないか?/作例のレタッチ(フレア)がわざとらしくてCGくさい。この人の写真家としての腕がちょっと怪しい。
写真家とカメラマンは違う。「写真道」でも極めるならともかく、クライアントの希望に適う写真を納品するという立場において、レタッチを忌避する理由はどこにもない。最高の成果物を納品するためには、「撮影時に設定を絞り込んでレタッチを最小限にする」より「撮影時に設定を絞り込んだうえでレタッチで仕上げる」のほうが良いというだけ。フレアがわざとらしいとか、クライアントに言うべき。
id:xevra くだらんこだわりだ。写真家とカメラマンは違う、カメラマンならとっとと出せ。単に現像スキルに自信がないってだけなんじゃないの? 面倒臭い奴に発注するのはやめたい。
5000枚の未選別データを欲しいならそうするけど、それには相互の信頼関係が必要だし、契約段階から要求しておいてほしいという話。
id:aceraceae いらないとこ白飛びさせるの好きな人なんだなってことがわかった。
この人の好みもあるかもしれないが、クライアントの希望にもあっているからこそそれで納品されたんよ。あと向こうの雑誌や広告をちょっと見ればわかるけど、こういう派手でやり過ぎっぽい写真はかなり好まれてる。
梅田の人の多さみてると、まだまだ大丈夫そうな錯覚するけど、仕事ない。
東京みたいに仕事たくさんあるわけでもなく、名古屋みたいに自動車でまだ大丈夫ってことでもなく。
USJに行く人は心斎橋で晩ごはん食べて御堂筋線で新大阪に戻ってということで、そんなお金を色んな場所に落とすわけもなく。
中国人の観光客ももうすぐ一段落しそうだし。爆買ツアーだと、予めきまったお店を案内して購入していくし。
GIGAZINEは大阪ネタにすると東京の人に馬鹿にされると思ってるのか、全国チェーン店の食べ物ネタの時しか意味ないし。
FC2の広告代理店も特に大阪って感じもなく。いやそもそも人雇ってって感じでもないし。
大阪からだと、日本相手にしてるとダメで、一気に世界を相手にしないといけない。
なんだけど東京くらい色んな国から人が集まってきてるわけじゃない。スタートアップがリクルートするならそりゃ東京選ぶよね、と。
何かしらイベントしようと思った時にキャパある箱もない。インテックス大阪、なんでニュートラムなんか接続してるんだ…。
地下鉄延長して、動く歩道つけるとか、それくらいやんないと会場広くても人捌けない。
関西国際空港がUSJの延長くらいにあれば、また利便性も変わったのに。
東京だったら駅周辺で、それぞれ個性作って開発されるけど、大阪ってそれなくって、どこも同じになっちゃってるんだよね。
森ノ宮とか、天王寺とかショッピングモールできても同じ感じ。イオンモールが出来るのとあまり変わらない。
東京の人からすると大阪ってセンスないんだよな。多分。別に日本にウケるセンスの良さがなくてもいいと思ってる。
そもそも日本のニュース系で大阪が話題になるのは、良いことでなんてない。ヤフーニュースにのるのは殺害事件や選挙の時くらい。
5年後は更にヤバイと思ってる。
新世界とか観光客来ないだろうってくらい寂れてる。あれでリピータ来るとかはないだろ。大阪は見るものないんだよ。色んなところで食べ歩きする町だ。
京都や奈良と手を取ればとか、東京の人は思ってるだろうが、距離が遠すぎるんだ。
山手線圏内に大阪と京都と奈良が入ってりゃよかったんだ。平城京と平安京をあんな場所に作ろうと思ったやつ出てこい。なんでもっと近くに作らなかったんだよ。
環状線の東西南北で、青龍、朱雀、白虎、玄武の象徴となるものでっち上げるとか。
駅ごとに外国巡り出来るようなものとか。オーストラリアだと新今宮とか、アメリカだったら弁天町みたいな。
深センくらい人工的に街作れないだろうか。24時間開いてる図書館で、自動で貸出できるとか。図書も深センの図書みたいに文学充実するのではなく、
仕事に直結するスタートアップに必要なプログラムとかハードの解説のものとか。iPhoneの回路図って日本語の書籍はないけど、中国語の書籍ならあるし、読めなくても回路図あればなんとかなると思う。
は~、スタートアップの街としてならないだろうか。Slush Asiaのようなスタートアップ系イベント開催できるくらい。
デザイン系で町おこしはできんと思ってる。お金持続的に投資されないし。アヒルちゃん浮かべてもお金にならないよね。あと日本で成功してる気がしない。
地方だと町おこしにアート絡めてっての、どこも上手くいってないし。
ビジコンが行われてるのは知ってる。でもSlush Asiaくらい、これから何か始まるんじゃないかってほどワクワク感がないんだ。
Lマガジンがセンス良かったんだが、ああいうので突破口開けないんだろうか
はてなも京都でダメであとに続くのなかったんだから、やっぱ無理なんかなー
こじれてるってのが大阪人の気質なの?ってはてブあったから答えると、
名古屋だと東京に距離的な関係なものなのか、別に東京に依存しなくてもやっていけるって気持ちがあるのか、反骨精神があるのか、
そんなところで東京に対してあまり気にしてないというのが、自分の感想。
じゃあ大阪は?というと、やっていけない。
そして、大阪でも東京に通用するような人がいるのだけど、大阪じゃなくて東京に行ってしまう。大阪を前面に出すと価値が上がるどころか下がるんだよね。
予想外に反応があって驚いてる。
他の地域で、もっと危機的な場所があるんだから大阪なんてまだマシって議論にはなってほしくない。
雇用統計も見ているので、大阪の失業率が減ってきているのも知ってる。でも給料安い求人しかない。
イオンで働き、イオンでものを購入し、イオンで葬式をあげる。延命はできると思う。
だが、5年後、10年後を考えてみるとどうだろうか。
東日本大震災で、このまま関東にオフィスを構えているとマズイということで、一時的に大阪にもオフィス移動してきたが、
結局仕事にならないということで東京に戻ったのではなかっただろうか。
なんとか保っている状態が、閾値超えたら、どんなに手を加えようがどうしようもなくなる状態にならないだろうか。
個人的には国内から資金が流れてこないんだったら、中国からでもいいと思ってる。
心斎橋や梅田周辺が中国ベンチャーキャピタルからの出資一辺倒になっても、活路があるならやるべきだろう。
レオパレスに住んでいるのが中国人ばかりになり、靴を脱がないでそのままフロアに上がるようになり、室内なのにガムがそのまま捨てられるようになり、
ゴミの分別も日本語で書かれているからということで守ることもされず、溢れでたとしても、
ダイバーシティ確保出来るようになれば、そのうち解決出来るだろうと思う。
ここまでブクマついたの久しぶりで驚いてる。
大阪の魅力を当人達よりも、アジア系の観光客の方がわかっているというコメントがあったのだけど、
わかりやすい魅力を5分くらいで説明できなければ、それは住んだ人にしかわからないということなので、
折角奈良や京都など観光資源が既にあり対応出来るだけの経験値もあるのだから、
そちらに任せてしまえば良いと思ってる。
両方出来れば良いが、そもそもお金ないのだから集中と選択はするだろう。
外国人に大阪で働いてもらって、京都や奈良に観光に行ってもらっていいし、
スタートアップ以外にも仕事はあるだろうとコメントがあったが、
給料が日本で一番高いと言われるキーエンスが大阪にあるのも知ってる。
食品関係は人手がいるし、人もまだまだいるから大丈夫だと思う。
危機感があるのは、斜陽になってきた時点で、トップがヤクザ系に取って代わられるかもしれないってことだ。
あとは心斎橋のアムウエイのセミナー会場兼、見本を置いている所があるのだが、
生活が出来なくなるそうとかで、手を出す奴がそこら中にいる。
iPhoneに関しては専門外なので各自ググれ
高校生と会話してる中でふと「インターネットでさぁ」と言ったら「インターネットって何ですか?」と言われた。びっくりして聞き返すと「ネット」は知ってるけど、その正式名称が「インターネット」ってのは知らなかったとのこと。「インターネット」って言葉自体は聞いたことはあるけど、「ネット」とは別物だと思ってたらしい。いやいや、と思ったけど、確かに身の回りを改めて見てみると「インターネット」って表記自体がほとんど無いことに気づいた。iPhoneは「Safari」だしAndroidは「ブラウザ」や「Chrome」だ。少し前までは「InternetExplorer」があったんだろうけど、それも「Microsoft Edge」に変わってしまった。日常会話でも「インターネット」って口に出すことはあまり無い気がする。気づいたら「インターネット」が死語になっていたという話。そりゃ俺も白い陰毛が生えてくるわけだわ。
○朝食:マクド
○昼食:ミートソーススパゲッティ
○夕食:(考え中)
○調子
むきゅー!?
洗濯と買い物を頑張った。
掃除はちょっと疲れて出来なかった。
着る服がないのは困るし、食べるものがないのも困るけど、部屋が汚いのはそこまで困らないから仕方ないね。
で、昨日から言ってるトゥームレイダーをやるぞー!
と思ったんだけど、なんかXboxOneとルーターを繋ぐLANケーブルがよくないみたいで、XboxOneがネットに繋がらない。
(無線で繋いでるiPhoneとiPadとMBAは普通に繋がるのに、優先のOneと360が繋がらないことからの推測)
トゥームレイダーはネットに繋がなくても出来るんだけど、ネットフリックスでフルハウスを見る日課が困るので、仕方なく電気屋さんに行ってケーブルを買ってきた。
電気屋さんは往復で50分ぐらいかかるので、ちょっと疲れた。
疲れたついでに、今時珍しいチェーン店じゃないタイプのゲーム屋さんによったりしてしてた。
そんな感じで、ブラブラして、今日は何だか疲れましたので、トゥームレイダーはまた今度です。
なんだか、こんなこと言ってばかりで、ゲームできてないですね。
明日! は大好きなラジオを聞くからゲームはあまりできないけど、
火曜日! 火曜日からはゲームをしよう! する! するってばよ!
○テラバトル
お金稼ぎを頑張った。
「お金とは天下の回りもので、万物は流転するという森羅万象の法則にぴったり合致する。今度から禅の修行に出るので許して下さい。」
あいつは言い放った。私から借金をしている癖に、新型のiphoneを買ったからだ。
「あ、あと傘も借りました・・・ほんまにすみません。傘も天下の回りものなんですよ。盗み盗まれ、世の中を循環しているのです。」
もう本当にバカらしい。こういう奴とは根本的な価値観が合わないのだ。
もし就職活動のときにやったwebテストのような性格診断をやったら、まったく反対の結果が出るだろう。
「天下とか万物とかさ、良くそんな話が出来るよね。こっちは生活でいっぱいいっぱいなのに。」
最近、年齢のせいなのか本当に些細なことでイライラする。洗濯物を干している時に、服がハンガーに引っかかってうまく干せないだけでもイライラする。
こういうときの助け舟は美味しいものとお酒で一人晩酌をやることだ。私は近所のコンビニで買ったハイボールの缶で一人晩酌を始めた。
あいつとは付き合っているのか付き合っていないのか良く分からない関係だ。
ただ、やることはやっている癖にいつも敬語を使ってくるところにあいつのずるさを感じている。
ふとテレビに目をやると、もう名前も覚えられないようなアイドルがトークでスタジオを湧かせている。
「確かに万物は流転するのかもね。」
突然のことだった。
つまみのさきイカが踊りだしたのだ。それも最近流行ったアイドルグループの曲に合わせてリズムを取っている。
さきイカはだんだん調子を上げ、激しくうねりながら立ち上がろうとしている。
完全にリズムを支配したさきイカは、活き活きと動き続ける。まるで神でも宿ったかのように。
そして私を圧倒した。
翌朝私は目が冷めた。
どうやらそのまま寝てしまったらしい。
空き缶がいくつかと、さきイカの空袋が転がっていた。
さきイカがない。
そう思った瞬間だった。
自分の中で昨日のさきイカが巡っている気がした。
血となり肉となり、私の体内を巡っている。
さきイカのタンパク質は消化吸収され、私の皮膚となり毛髪となり爪となる。
海の恵みを、日本の東京のこのマンションの一室で、今私が享受している。しっかりと。
<完>
数ヶ月前の事は、やたらと鮮明に思い出せる。
友人がお手洗いに立ったのを見て、スマートフォンでツイッターとはてブを緩く見回っていた時に、見つけたのだ。正直眼を疑うような記事見出しだった。本文を見てからは思わず驚愕して叫んでしまったほど。(というよりも、「あ…ああ…」と狼狽した声が行き場を失いながらも出てきてしまったような形なので、端から見たら知人の訃報が入ったか身代金でも揺すられてるかのように見えたと思う)
お手洗いから帰ってくる友人に助けを求めるかのごとく話を振ろうとしたら、彼の方からも話を振ってきた。多分、彼も同じように記事を見たのだ。2人でほとんど声を合わせるように、私たちは同じことを口にした。
と、ここまで来て頭の中で3代目J soul brothers from EXILE TRIVEのストームライダーを頭に浮かべている人はちょっと一度冷静になって、東京ディズニーシーの方のストームライダーを思い出して欲しい。
そう!そうそう!それ!う、うん、そうね、「緑のチカチカチェックするやつ!!」って間違っちゃいないんだけどそれしかないアトラクションみたいな思い出し方はやめなさいね、その後、仮にもストーム消してるんだから。
「空を斬り走るやつねー」って、え?あ、まあ間違ってはいないけども随分とポエミーな表現ね…
「疾風迅雷 蒼の魂」ってだからそれは3代目の方のストームライダーだろうが。
そんなこんなで、今日はTDSストームライダーのラストフライトの日である。こんなにアトラクションクローズでここまで衝撃なのはミクロアドベンチャー!やビジョナリアムに個人的には並ぶ。ツイッターによればあの人気のトイマニ、タワテラをぶち抜いて今日はストームライダーが最大の待ち時間のようである。センターオブジアースやレイジングですら待ち時間緩いのにストームライダーが120越えってもうなんだか異常気象を発見したかのような気分である。それこそ台風のような。個人的には、ストームライダー60分越えはシンドバッド15分待ちに並ぶ混雑のバロメーターだったのだけどなぁ。
今日はそれほどまでに、ストームライダーを愛する人がいる事を確認する日になる。ここまでくると宗教に近いかもしれない。ストームライダーという儀式を執り行うために長蛇の列をなす信者たち。ポートディスカバリーは聖地。
私ももし舞浜に行けるならそのお姿を拝みにポートディスカバリーへと足を運んでいただろうし、もし入園できなくてもベイサイドステーションからゆるゆると海岸線を回り、最もポートディスカバリーに近い地点からストームライダーに向かって祈りを捧げるくらいのことをしていただろう。エルサレム。
どうかしてると言われそうだが、今私はiPhoneのコンパス機能を始めてフルに生かし割り出したディズニーシーの方角に向かって文を書いている。
ストームライダーの何処がそれほどまでに私を魅了したのか。というと本当に答えになっていないのだけども「どの点においても優秀であった」というのが正直な答えである。
オープン当初としては驚きの、かなり精巧なフライトシミュレーター系でスタツアとの出来の違いにまず驚いた。
動き細やか!窓の外も見れるし!
まさかストームディフューザー刺さると思わなかったし。アトラクションのそういった出来が本当に段違いだった。
キャラクターたちも良い。デイビスのお茶目だけどイケメンな雰囲気(ホラーなら最初におどけて殺されてるタイプ)をよく声優は表現したと思う。ストームを目の当たりにした時のセリフは、その声色だけで息を飲んでいるのがありありとわかる。スコットとベースもいい味を出している。「司令室に来なさい!今すぐ!」の声は今も幻聴のように思い出せる。
バックグラウンドストーリーは、オープン当初はストームライダーがかなり大きなバックグラウンドストーリーを持っていた。だって、ポートディスカバリーの設定がストームライダー計画成功のお祭りって設定なのだから。あのポートディスカバリーの雰囲気も好きだったので、その真髄を味わえる、という点でもストームライダーは価値があった。CWC Center for Weather Controlのロゴなどもリアリティがあった。そういった、ディズニーならでは作り込みを感じ取りやすいのもストームライダーの良いところだった。
アメフロのSSコロンビア処女航海設定がタートルトークやオーバーザウェイブ、セイリングの看板の入れ替えなどでしれっと消えてるあたり、ポートディスカバリーの設定もふわっと変わってしまうのだろうなぁ、と思うと少し切ない。
音楽は言わずもがな、TDS、いやTDR、もっと言えばディズニー最高峰の楽曲だろう。
出来ればCDにはストームライダー組曲だけでなく、搭乗前の部屋で流れるイントロリピートのやつも何処かで収録をして欲しい。
あの名曲が、演奏される場所を失うのは本当に惜しい。ミクロアドベンチャー!の素晴らしいテーマ曲が今はTDLエントランスの一部になっているように、ポートディスカバリーのエリアミュージックとして生まれ変わってくれることに期待をしたい。
そして私が最もストームライダーを愛してやまない理由をあげたい。
なんじゃそりゃ、って人に説明すると、ストームライダーではキャビンに搭乗する直前に、気象コントロールセンター研究員であるキャストさんが実演でミッション内容を説明してくれるのである。
私はこれが本当に好きだった!!
今でこそタートルトークにタワーオブテラーとキャストが説明をしてくれるアトラクションは増えたものの、昔は無かったのだ。
もう、カヌーかジャングルで体育会系なノリしか無かったわけです。
もっとさかのぼればシンデレラ城ミステリーツアーがあったけれども、シーではストームライダーくらいしか無かった。2つのシアターでも説明はあるけど本当に説明くらいなので、ストームライダーが1番エンタメ性があったのだ。
初めて見たときはベースとの掛け合いなどももしやここにいるのか?と思ってしまったほど。
最近では「今の…100万倍くらいですかね?」
はすべり芸としての地位を築いてしまったけども、話口調や映像を使ったパフォーマンスは、本当に素晴らしかった。
東京ディズニーシーはオープン当初は全体的にキャラに頼らない、生身の人間が見せるパフォーマンスを重視していた節がある。アンコール!やミスティックリズムはその最もたるものだけれども、アトラクションで初期のシーが標榜していたライブパフォーマンスのエッセンスを取り入れていたのは今思えばこのストームライダーだけだった。
そこまで難しいことは考えずとも、初めて乗ったとき、あの説明を受けたとき、「これが、これからのTDRのアトラクションなんだ…」と衝撃を受けた。
そう、思い起こせばオープン当初のシーの人気アトラクションの中で、「原作がないアトラクション」はストームライダーだけなのである。
今のファストパス対応アトラクションの中でもレイジングスピリッツとストームライダー、タワーオブテラーだけだ。(タワテラはトワイライトゾーンとはもはや無関係なので)
鑑みればあのあたりのオリエンタルランドはディズニー脱却をコンセプトにしていたのか、イクスピアリにオリジナルキャラを作ったり(何処に行ったんだネポス…)前述の通りアンコール!などのキャラ無しのショーが多かったり、シーではグリ施設は無かったり、かなりストイック、というかランドとの方向性の違いを明確に出そう、という気概があった。自分たちで新しいものを作るんだぞ!という。そんな中で作られたこのストームライダー、力が入らないわけが無いし、面白く無いわけが無いのである。
そう、シンドバッドが友愛のストーリーに書き換えられたり、グリ施設が4つもできたり、キャラ無しのショーは全部廃止された、オープン当初のコンセプトもへったくれも無い今のシーの中で、唯一、ストームライダーはあの頃の雰囲気を持っていた。ある意味では、ストームライダーはオープン当初のシーの遺跡なのである。
そして個人的なことを言えば、プレフライトクルーになりたかった。
たくさんの人の前で、ご案内をする姿が眩しかった。子供ながらに憧れて、いつしかあの案内はすべて諳んじれるようになっていた。
その影響もあってか、演劇部に入ったこともある。今の仕事でも司会業を少し受け持っている。
あのプレフライトクルーへの憧れ、ストームライダーへの憧れが、こっそりと私の人生に種をまいていてくれたのだと思っている。
ストームライダーは、思い出であり、人生の起点であり、唯一無二のアトラクションだった。
明日からは、ポートディスカバリーにストームライダーはいない。
それに伴い、14年に渡るストームライダーによるストーム消滅ツアーは廃止となる。
同センターによると、今後の学術研究へ注力するための選択だそうだ。
本日の閉鎖を持って、センターに勤務の全職員は新事務所へ移ることになる。
そしてたくさんのプレフライトクルーは明日も、新しい場所ながらも変わらずにストームや異常気象と戦う日々が続くのだろう。
もう二度と、凄まじい破壊力を持つストームの中になんか入れない。
もう二度と、100万倍くらいの小粋なジョークにクスリと笑うこともできない。
もう二度と、緑のチカチカの部分だけ決めゼリフのように声を被せる高校生の集団も見れない。
おやつのピーナッツのチェックも、雨に驚くゲストの姿も、エンジンがやたらと故障する機体にも、会えない。
そして、外へ出たときにより美しく感じる空と海のきらめきと潮の香りにも。
ストームライダーはなくなっても、乗った記憶、そしてそこに確かにあったという記憶は誰もの心に、残る。
だからこそこの寂しさは抑えて、大きな舵を切るオリエンタルランドを応援したい。
ここまで記憶に残るものを作ってくれたのだから、きっとそれを超えてくれるだろうと期待をしつつ。
本当に、ありがとう。
ポートディスカバリーは、今日も、晴れている。
東洋経済の新興宗教セックス貧困女子の記事を読んで一番心理的にやられたのが手取り14万円台、年収200万円が貧困であり、哀れみの対象であるということだった。
そんなこと言われても、実際に月給15万の人間はどうしろと……
(30代の男である)
実際に生活しているととくに不自由は感じていないし、少しずつでも貯金はしている。
だが、そうやって生活を楽観視していることそのものが記事の女性と全く似通っている気がして、これまたうわぁ……となる。
確かに新品の服なんて下着と靴下くらいしか買えないけど、全身古着でも良い物選んで買ってるから幸せなんだけどなあ。
中古の型落ちPCと型落ちiPhoneだけど、困らないからいいんだけどなあ。
車持ってないけどクロスバイクでいい。
そういうことを言うと酸っぱい葡萄だと言われるが、それじゃあ物理的に買えないものは羨望の目で見なければならないのだろうか。
(酸っぱい葡萄というのは非常に上から目線の暴力的な定型句だと思う)
世間的には貧困と言われる彼女と慎ましく暮らして、上場企業社員から無職までいる友だちと楽しくやっていければそれでいいと思うのだ。
瞑想が性に合わなかったから,およそ一週間に二冊のペースで読書を始めた。気分解消効果はわりと良い感じなので,自分には合っていたと感じる。瞑想的効果を得るためには,必ずしも瞑想に拘らなくてもよいのかもしれない。まだ始めて四ヶ月なので,今後の経過を注意深く観察したい。
もともとメンタルが弱いのに加え,最近仕事や私生活でつらさが増え,なにかにつけて死にたくなったり落ち込んだりして気分のコントロールが難しくなってきた。
はてなでは,折に触れて瞑想と運動の重要性が説かれている。わたしも試し,そこそこの気持ちよさを実感することはできたが,長続きはしなかった。瞑想は眠くなるし,運動は面倒くさいからである。気持ちよさはあるが楽しさはない点に,長続きしない原因があるのではないかと考えられた。
考えてみるに,瞑想と運動の重要性と言うのは,思考を意識的に空っぽにして頭を休める点にあるのではないだろうか。そうであるならば,うんと集中できる楽しいことがあるならば,それは瞑想と運動の代替となりうるのではないかと考えた。
そこで読書を始めることにした。本を読むのは好きだったが,社会人になってからというものほとんど読まなくなっていた。意識して読書の時間を作り,休憩時間に瞑想をする感覚で,とにかく本を読むことにした。ジャンルは小説を主とし,新書やビジネス書の類はほとんど読まなかった。
平均 8冊/月
理由は単に好きだから&読むべき作品が途方もなく沢山あるから。
起床時・出勤前・退勤後の喫茶店・入浴時・就寝前
入浴にかかるガス代
読書灯
書籍代
文章を読むにあたり脳内で音声化する癖が元々あり,当初は読書をしていて随分と気が散った。これは瞑想効果を期待する上での障害となったため,適度に速く読む方法を習得する必要があった。
そこでガッテンのラクラク速読術(http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20100407/index.html)のトレーニングを2週間ほど行い,『物語は楽しめるけど物語以外のことは考えなくて済む』読書スピードの習得をおこなった。
わるくない
①気分の切り替えがはやくなった
いやな気分に入りそうになったら今読んでいる本の内容を思い出すと落ち着く。
よほど嫌なことがあっても,その時期に読んでいた本が読み終わると気分の章が変わる(意味不明だがそうとしか言えない)のであまりくよくよしなくて済むようになった。
②大抵のことにおおらかになった
①別に前向きになったわけではない
「まあいっか」ではなく「どうでもいいや」と思うことが増え,現実世界への執着が減った。
②多少不真面目になった
ともあれ,積読が減るのは気分が良い。
・元々気分が非常に落ち込んでいたのが冬の話だったので,単に冬季欝の症状が出ていたのが春の到来と共に解消された可能性がある。
・本を読むのがわたしは遅いほうだったので,このペースになったが,もっとはやいひとはそのひとなりのペースでどんどん読んでいかないと,気分解消効果は得られづらいと思われる。