東洋経済の新興宗教セックス貧困女子の記事を読んで一番心理的にやられたのが手取り14万円台、年収200万円が貧困であり、哀れみの対象であるということだった。
そんなこと言われても、実際に月給15万の人間はどうしろと……
(30代の男である)
実際に生活しているととくに不自由は感じていないし、少しずつでも貯金はしている。
だが、そうやって生活を楽観視していることそのものが記事の女性と全く似通っている気がして、これまたうわぁ……となる。
確かに新品の服なんて下着と靴下くらいしか買えないけど、全身古着でも良い物選んで買ってるから幸せなんだけどなあ。
中古の型落ちPCと型落ちiPhoneだけど、困らないからいいんだけどなあ。
車持ってないけどクロスバイクでいい。
そういうことを言うと酸っぱい葡萄だと言われるが、それじゃあ物理的に買えないものは羨望の目で見なければならないのだろうか。
(酸っぱい葡萄というのは非常に上から目線の暴力的な定型句だと思う)
世間的には貧困と言われる彼女と慎ましく暮らして、上場企業社員から無職までいる友だちと楽しくやっていければそれでいいと思うのだ。
特に結婚したい気持ちもなく悠々自適の独身ライフを楽しんでる人間が 「結婚したくない」じゃなくて「できない」でしょ、と決めつけられるような理不尽さである