はてなキーワード: 裁量とは
標記の通り。
主語が大きくなったが、国家公務員もしらないし議員もしらない。
すべてが個人の感想です。
以下ひどいと思ったこと。
・土日祝日に祭りの交通整理だとか色々な理由で駆り出される。手当がつくときもある。
・災害警報(ウェザーニュースとかので一定レベルの警報)が出ると参集させられる。
夜中呼び出されても手当なし。翌日眠い。ついでに土日に訓練もある。
定時後にしかできない業務(システムのバックアップ等)担当でも、課長が良しとしないとその業務では残業代つかないとかも普通。
予算が年度の初めに決まっているため、残業の頻発する部署だと12月ごろには上限に達し、ただ働きになる。
・繁忙期には午前様どころか家に帰れない(祭りとか観光とか)課も当然ある。
・毎日朝7時夜23時みたいな勤務してる課もある(国保とか生保とか)
・規定には非常にうるさいのに、変なところで緩い。
・稟議書回さないと何もできない。数字が半角か全角かでも差し戻されるたりする。
・私のいたところは教育委員会および学校の先生のPCスキルが死ぬほど低い。
・コネ入庁できるかどうかはその時の人事を持つ人次第(事務部長とか)。
・謎の手当てなんかない。
・新卒の子たちは優秀な子が多いのに、年を重ねるほど優秀でなくなっていく不思議。
以下よかったところ。
・市内のことが嫌でも詳しくなれる。
・各市区町村で受けられるサービスや職員の給与なんかはけっこう違う。
・市や業務をよくしようという気持ちを持っている職員は意外といる。
・事務用品の購入とか厳密。
・辞める人もそこそこいる。
・転職者にそこそこいる。
公務員ってだけで叩かれることがあるけど、(私の知ってる)一般企業とあんまり変わらないなーって印象。
(社員数10数人の会社とかクソブラックな会社には務めたことないから分からないので除く)
ひどいと思ったことってどこの会社にも少なからずあるだろうし。
役所は給料や手当、福利厚生なんかはある程度のラインでありますが、きちんとした一般企業の方がよっぽど充実してる。
融通が利かないなぁと思うことがあるけど、何かで融通利かせると結局全部ってなって
何かあったときに規程違反だってなるから仕方ない。そのあたりは担当者次第なところもあるけど。
今の会社が嫌で、まったり働きたいって人で公務員への転職を考える人(自分のことでもある)が多いみたいだけど
部署によってはまったりできないし、(営業とはことなるけど)数字を求められることもある。
自分の裁量でなんて仕事できないことの方が多いし、コンプライアンスもこれからもっと厳しくなると思う。
災害があったら仕事に出ないわけにはいかないし、よそへ応援にいくとかもある。
基本市内だから転勤はないから家を買うとかはいいと思う。でも最近は市外に買う人もいる。
つぶれないってなってるけど、市役所よりは世間の風当たりを考えると優良な中小企業行ったほうが幸せだと思う。
いけるなら大企業に勤めるのがやっぱり楽ではあるんじゃないだろうか。
お給料いっぱいもらう激務を求めてもいいし、スタートアップで自分で作っていく楽しみを求めてもいいし。
国家公務員のキャリアでスケールの大きさにやりがいを見出してもいい。
何をもって幸せとするかだけど、私にとって市役所は夢みたいなところではなかったです。
楽しく働いている同期も多かったです。
会社によってルールや規定が違うように市役所によってルールや雰囲気は大きく違うと思います。
法律や政令に従い、市民のために働くってところが共通なだけです。
個人としては、
どんな企業であっても何の業種であっても、全く働きたくないです。
一切の労働をしたくないです。
朝7時に起床。朝飯は食わない。もう10年喰らい朝飯は食っていない。なんかムラムラするのでFC2動画を見る
誰よりも早く出勤。朝のひとりの時間が好き。1人でYoutubeを見ながらラジオ体操を行う。昭和の映像がセンチメンタルな気持ちにさせる
午前は仕事をしてるふりをしながらメールチェックとブログチェックとニュースチェックに従事。全く生産的ではない
午後は仕事をこなす。裁量はきっちりこなす。仕事は好きだ。楽しい
定時後、わたしは独身で暇なので会社に残って勉強をする。家ではエロ動画の誘惑に負けて集中できないから。後輩には先輩が残っているので帰りづらいと疎まれる。他人の事を気にするような時代ではないと説き伏せる
21時頃に会社を出る。都内の駅の混雑にイライラする。最寄り駅の側のスーパーでウィスキーとソーダを買う。夜は酒のつまみしか食べない
飲み過ぎて気づけば翌朝を迎える
そしてループ
とあるスポーツを大学の体育会でやっていた。自分の中で消化するためだけにここに書いておく。
大学2年生のとき、突然「コーチ」と名乗る存在がやってきた。彼はそのスポーツの「プロ」だった人間であり、現在は引退して家業を手伝っているという。
元来、大学の体育会系部活動ではそのOBらが監督・コーチといった名目で携わるケースがほとんどで、自分のいたような、名目こそあれどほとんど顔を出さないOB達の方が珍しいだろう。この際その良し悪しは言及しない。現に自分は、学生に裁量を与え、責任は取ると言っていた初老の監督が好きだった。
新しく来た「コーチ」の歯に絹着せぬべらんめぇな物言いが当時の自分には珍しく、また少し苦手だった。
彼も自分と二、三の会話をして、自分との相性は良くないと悟ったと思う。
彼は勉強熱心なコーチだった。「コーチング」を学び、自分たち部員で実践をした。
彼は自分がプロの道を途中で諦めた事から多くの経験を得たのだろう。学生達にはしきりに以下の言葉を繰り返した。
プロの選手になる道は厳しいので、諦めた後の道も考えておくこと。
自分はこれが間違っているとは思わない。むしろ有難い指導だったと思っている。だが次第に彼の指導は「プロ選手を目指す奴は馬鹿」「現実を見ていない」そして「俺の言うことを聞かない」に変わった。
元々は学生が主体となって運営していた部活動だったので、彼に意見する者もいた。だんだんとそういった部員達は居場所をなくしていった。実力があるのに自ら辞めた部員もいた。自分を曲げず、部の中で半ば干されながらも、意思を貫いてプロに挑戦した者もいた。
世間知らずの馬鹿者が、彼の神経を逆撫でしたのは間違いない。今思えば彼のやり方を真っ向から否定せず、もっと良い言い方もやり方もあったはずだ。今考えれば明らかに自分が未熟であり恥ずかしい限りだが、当時の20歳だった自分はまだ、大人には純粋に本心でぶつかり合えば、向こうもまた本心でぶつかってくれると信じていた。
返事はなかった。代わりに上級生による明らかな「シメ」が始まった。挨拶をしてもらえない。練習に参加させてもらえない。睨まれる。雑用を押し付けられ、出来栄えに文句を言われる。競技に関するレポート作成を求められ、内容について晒しあげられる。後から全て彼の指示だと分かった。絶望した。それまで部のためにと思って活動してきたこと全てが意味のないものに見えた。周りの部員が皆敵に見えた。
その頃はちょうど大学3年に差し掛かっていて、就職活動が真近に迫っていた。悲しいかな、自分の大学生活には部活以外何もなかった。社会に出て、新しい世界に飛び立つためには、自分はこの部活に居るしかない。歯を食いしばって部に残った。
就職活動では、部活のいい面を切り取って話した。大嫌いな部活を良いように語るのは辛かった。「貴方は本心でそれを話してる?」と言われたこともある。ハッとした。それ以降は嘘はつかず、部活の嫌なところは素直に話した。過去ではなく未来のことを考えるようになった。最終的にはご縁があり、世間様から見てもそれなりに見劣りしない企業に内定を頂いた。
大学4年生になり、最高学年になった。彼は当然のように自分にも甘くなった。最高学年として下級生をまとめるための彼流の教えをたくさん吹き込むようになった。OBの前でも「学業と部活動を両立させ就職も決まった模範生」として紹介されるようになった。
同級の部員がキャプテンになり、彼と毎晩のように電話で連絡をを取り合うようになった。優しかったキャプテンはある日「あいつシメよう」と言って、気に入らない部員をコンクリートに1時間正座させようとした。自分がそれは違うと言うと、怒ったように部屋を出て行った。溝は決定的になり、卒部まで埋まることはなかった。卒部してから、彼とも、キャプテンとも、縁を切った。
彼が部活に現れてからの3年は本当に辛かったけど、最後までやり切れば何かが残ると思っていた。数年たって思い返してみても、この時の記憶は灰色で、何かが残ったとはとても思えない。
就職先は非常に素晴らしい企業であり、入社できたことに心から感謝している。自分が部活を辞めなかったから内定がもらえたのか?それはいまだに分からない。ただもう一度大学生活をやり直せるのであれば、自分は違った選択をしていたんじゃ無いかと思う。
当時はいかに自分を壊さずに守るかだけを考えていたので、後輩たちにも心からの指導をしてあげることができなかった。守れなかった後輩が何人もいた。それだけを今も悔やみ続けている。
そのことを踏まえた上で下記の記事にブチ切れた1人の声無しアイドルのPが長々と駄文を書いているものとして受け取って貰えれば幸いである。
声無しアイドルのPがプロデュースを頑張らなかったから?金を落とさなかった?その機会を提供するのは運営だろ。
でも、大人気声付きアイドルにはアニメにコラボにグッズと出番が沢山が貰えてモバマスならガチャでもイベントでも強SR(所謂ランキング報酬だったりするSR、旬な時期に取るには課金必須)ばかり。
それに比べてあの記事で言われている「不人気声無しアイドル」はガチャでもイベントでもRばかり、たまにSRがきたと思えばだいたい弱SR(無課金でも簡単に取れるコストの低めのSR)、グッズも全然出ない。金を落とさなくても余裕で取れる、此の状況で誰がお金を落とそうと思う?
手軽に取れるんだからそこから知ってもらえるなんて詭弁でしかない、目当てはSRであってRは所詮「じゃない方」でしかなく手元に残さないからだ。
じゃあダイマしろって言う姿が予想できるから前もって書いておくがそんな単純な事でファンが増えれば苦労しないんだよ。
影響力がなかったら意味がない、でも影響力のある絵師だとか動画製作者だとかは十中八九イナゴ目的の声付きアイドルに擦り寄るだろう、だって声無しを好きになっても意味ないもん。
そもそもそこいらのPがいくらダイマしても公式からの提供一つの方が何倍も影響力が大きい。そして運営から貰えるのは前述の通りだ。
こんな所で名前を出すのは憚られるけど今回の響子ガチャで一緒に追加された岸部彩華、彼女はモバマスですら2種類しかSRがない。
つまり今回の更新で持っていた全てのSRを使ったと言うことだ、あとは全てRだけ。
それでも彼女のPが頑張らなかったからと言えるのか?この7年間ろくにSRをもらえずRばかりで、数年ぶりにもらえたと思ったらイベントの弱SRで、本当に言えるのか?
面と向かってお前らの頑張りが足りなかったからお前の担当アイドルは不人気のままなんだよって言えるのか?
モバマスには未だ強SRのないアイドルはたくさんいる。それはいままでそのアイドルに課金する機会が一度もなかったということ。それで、「いくらでもあったはずの機会」?どこにあった?(あるとしたら総選挙での票課金とたまに出るグッズくらいか)
どう考えても運営が出番と待遇に格差をつけ続けていた事が悪いだろ。声あり、声無しだって待遇を多少なりとも平等にして露出に差をつけなければ良かった。自ら機会をフイにしたのは運営だ。
もしかしてこのゲームのアイドルは最初はみんな平等な状態でスタートしてユーザー(P)が頑張ったから声がついたアイドルばかりだと思っているのか?
肇の例を取るがPがどれだけ頑張っても、全体10位になっても運営は声をつけなかった、次回の総選挙で3位を取り付けざるを得ない状況にしてようやく声が付いた。
その一方圏外常連なのに「サプボ」という形でいきなり声が付いたアイドルがいる。彼女たちの中には一度も総選挙にランクインしてないのにイベントに出て歌い踊り、中にはSSR二週目になった子もいる。
彼女たちとあなたの言う不人気アイドルのPに差はあったのか?ただ運営から目が止まったから声がついた、だけだ。運も実力のうちなのだろうがユーザー(P)の介入できない「運営の裁量」である。
多分あの記事を書いた人はこのアイドルたちのことは「不人気」と言わないのだろう。ただ運の差なのに。片や今までの7年間を無駄にしたと言われ、かたや努力が云々などと言うのだろう。
あとあの記事では恒常の売り上げ低下の理由を声無しアイドルだけに委ねているが本当にそうだろうか。
最近問題になっている手抜き衣装、「デレステ」と検索を入れたらサジェスト候補になるくらい最近のデレステの問題点として論われている。だのに今回の響子の衣装はは美穂のそれとほぼ同じ、Nの衣装の方がまだ差別化ができている有様だ。救世主?じゃあそれにふさわしい衣装で来てくれ、あんなほぼ丸パク衣装(+完全な私怨になるがコンセとかいう糞特技)だと火に油を注ぎに来ただけだ。そのようなユーザー(P)をバカにしたやり方だといつか愛想を尽かされるぞ。
その証拠か否か今回の響子のSSRが今までの声無しアイドルたちより確実に売れるなどとあの記事では言っていたがこのガチャが実装されてもセルランの順位は良くなったと言えるほどの変化がない。声付きだろうが声無しだろうが関係ない、売上の低下は運営の今までが積み重ねてきた結果の自業自得であることに他ならない。
声無しアイドルが悪いわけではない、そのアイドル達のPが悪いわけでもない。
原因は運営の今までの目先の利益につられ声無しアイドルをずっと蔑ろにし続けてきたことにある。悪いのは今まで頑張らなかったPだとか果てにはアイドルのせいだと決めつけるのは余りにも軽率であるとしか言いようがない。
https://note.mu/chidaism/n/n30420b2066d8
※安倍内閣の対応が適切かどうかは評価・検証していません。あくまで評価基準が違うんじゃないの?という話です
必要な仕事さえやっていれば飲み会してようが関係なくないか?飲み会に参加してようがそこで仕事してりゃいいじゃないか。
評価は
・過去の事例との比較で対応が後退していないか(参考http://www.bousai.go.jp/kaigirep/wg/saigaitaisaku/pdf/dai2kai/shiryou2-3.pdf)
安倍内閣の対応を検証するなら「空白の66時間」が本当に空白であったかの検証が必要ではないか。
"自衛隊を動かす最終決定権は「シビリアンコントロール」に基づき、防衛大臣、総理大臣にあります。そして、この2人が同じ空間で酒を飲んでいたわけです。これでリスクヘッジができていると思える人は、おそらくこの世にネトウヨぐらいしかいないと思います。"
裁量を持つ人間が現場じゃなくても二人揃っていりゃそっちのほうが話は早い。ITが発達した今、どこか特別な場所にいなければ指示が出せないという方がおかしい。
情報量が膨大になるときはやはり大きなスペースや設備が必要になるがそのための省庁ではないか?非常時になるからと言って最初から長が出張る組織ってのは何の備えもしていない脆弱な組織だ。
むしろ安倍総理が鼻くそほじりながら「オーケー、オーケー」と言ってヒマこいてるうちになんでも物事が進んでいくのが理想の組織というものだろう。
組織の長というのは『自分が何もしなくても物事が適切に進んでいく組織』を作るのに日々努力するべきで、非常時に張り切って働くのは泥縄と言うしかない。
"本来なら、すぐさま非常災害対策本部が設けられ、自衛隊を動かし、可及的速やかに人命救助にあたるべきでした。"
災害にはまず地方自治体が対応するし、自衛隊に出動要請をする(参考 http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2006/2006/html/i3251000.html)
(ア)要請による派遣(一般的な派遣形態) 災害派遣は、自衛隊法第83条の規定上(資料75参照)、都道府県知事などからの要請により部隊などを派遣することを原則とする。
(イ)自主派遣 防衛庁長官又は長官が指定する者は、特に緊急な事態で、要請を待つ時間がないときには、要請がなくても、例外的に部隊などを派遣することができる。
私の記憶では発災前に当たる段階で地方自治体が自衛隊に派遣要請を出しているところもあった
政府が地方自治体を飛び越えるような例外的なことを"本来なら"と言っているので評価としておかしい。これは機能不全に陥った地方自治体があることが前提ではないと成り立たない。
"非常災害対策本部を設置したものの、安倍総理ご本人はとっとと家に帰ってお休みしていたのです。"
非常災害対策本部の長は誰ですか?まさか総理大臣とか思ってませんか?
災害対策基本法第二十五条 非常災害対策本部の長は、非常災害対策本部長とし、国務大臣をもつて充てる。
非常災害対策本部長は国務大臣ですよ。つまり適切な国務大臣を任命すれば後は家に帰って屁をこいててもいいでしょう。むしろ余計な口を出して頭が二人いる状態のほうが害悪です。
外務大臣を任命してたら吊るし上げましょう
以上、「皆が大変だから飲み会やめよう」「皆が大変なんだから残業しよう」みたいな評価や地方自治をないがしろにするような物言いに腹が立ったので書き散らしました。
重ねていいますが安倍総理の対応が適切だったかはわかりませんし、その検証もしていません。
言われる前(言われる前に誰も見ないだろうけど)の追記
Q・他の政党の飲み会はいいの? A・よろしいと思いますよ。行政府じゃないんだから発災時に何ができますか?仕事のフリをするより飲み会の場で情報交換をしている方が有益です
よく主婦・主夫の家事や子育てが大変だとか、時給に換算すると、なんて話題が挙がる。けど、それがどうしても理解できない。
人それぞれ性質が異なるから「人による」と言われればそれで終わりだけれども。
私は新卒で入社した会社に9年ほど勤めて、知人に声をかけられて転職して、そこで3年働いた。
その後いろいろと経緯があって主婦になった。
朝はお弁当と朝食を作り、家族を車で送り届け、洗い物をして、掃除や洗濯、アイロンがけや買い物を済ませる。夜は夕飯の準備をして家族を迎えに行き、夕飯を済ませたら片付ける。
庭の植物やペットの世話もある。子供ができれば子育てが加わる。意外と雑多な用事が生まれて時間を取られることが多い。特に子育てが加わると。
こうした一連の家事をしていて、経験して思うのは、とにかく働くことに比べると天と地ほど差があって、とにかく楽だということ。
子育ては常に流動的で、柔軟な対応が求められるので少し気疲れする。何か他のことをしていてもほっぽっていかないといけない。夜中も気が抜けない。
でも仕事に比べたら本当に楽だ。
子育てに関しては子供好き(ただかわいがるだけじゃなくて、実際に経験しないとわからない大変な世話を含めて)かどうかで大きく分かれると思う。本当なら子供好き以外は子供を持つと消耗するから持たない方がいいんだと思う。
主婦としての時間はどれくらいかかっているかと言われると難しい。
なぜなら項目としてあげられないような細かい作業も多いし、待ち時間も生まれてしまうから。ただ朝は6時ころから、夜は24時ころまで何かしら手がかかる。子供が小さい時は夜中も。
それでも仕事に比べたらとにかく楽で、相手には申し訳ない気持ちが常にどこかにあった気がする。
仕事との一番の違いは、子供の世話も含めて基本的には自分ですべて時間やタスクをコントロールして効率的に進められる点。
そして、何よりプレッシャーがない点が大きい。
外資系で、オフィスも設備もきれいで最新だった。休みは前日でも当日でもいつでも好きにとれたし、私服OK。自宅勤務OK。フレックスタイム制はいわゆるコアタイムもなく、個人の裁量でいつどのようにとってもOKだった。
ただ仕事をしていると、とにかく失敗=会社・顧客の損失であり、少なくとも表立ってはわからないできないが許されない。周りには基本的に敵(利害関係者)しかいない。
1つ1つの案件がお金を出す顧客からすると重大事で、仕事が始まる前と終わった後にしか和やかな雰囲気は生まれない。
職種にもよるだろうが、少なくとも管理職になればこのような苦労が大なり小なりあると思う。
でも、利害関係者に振り回されずに自分ですべてコントロール出来て、強いプレッシャーがない家事は、例え家事+子育てでろくに睡眠時間がとれなくても、私にとっては楽で楽で仕方がなかった。たまに面倒くさくはなるけれど。
ある程度こなれてきて、空き時間を好きに使えるようになるとなおさら楽になった。
会社員として社会復帰しようかとも思ったけど、家族と相談して自宅で事業を始めてみることにした。
まだ今後も家事はすべてやっていくけれど、振り返ってみても、仕事よりはらくちんだなぁという感想しか浮かばない。大変なことも楽しいこともあったけど、圧倒的に楽しかったことの方が多い。
だから、なんで家事がつらいとか、家事がいかに大変かをアピールしたがる人がいるか理解ができない。
よっぽど不器用なのか、生まれ持った資質として家事や子育てに適性がないだけなんだろうか?それなら理解できる。
あるいは自分がしていることが大変だと周りに認められることで満足感を得ることが目的だろうか?それも理解できる。
でもそれだけでは済まないほどに、こうした意見を目にする機会が多い。
noteのテストを兼ねて。実は退職してからすでに1年以上が経過しているのですが、ようやく書きたいことがかけるようになったと思われるのでいまさらながら退職エントリを書いてみることにします。
TL;DR
文章にしてみたら、自分がどういう環境で働きたいかが整理できました。自分の思考を整理する手段として退職エントリはおすすめです。この文章にはそれ以上の価値はありません。
Safe Harbor Statement
ここに書いた内容は僕から見た一方的な内容であり、辞めたひとバイアスがかかっていることをご承知おきください。近しい人が見れば個人が特定できてしまうような記述がありますが、個人や組織を誹謗中傷する意図はありません。
楽天でのおしごと
2011年4月に新卒で入社。ちょうど6年間、金融関連事業を渡り歩きながらWebエンジニアをやってました。お客様に直接向き合うサービスを作る部署なので、開発も運用もやりました。工程でいうと要件定義/設計/実装/テスト/リリースとぜんぶやりました。役割でいうとリードエンジニアっぽい仕事もプロジェクトマネージャもプロダクトマネージャのマネごともやりました。5年目くらいからいわゆる管理職も兼任してました。
謝辞
やめる直前はとにかく退職することに全エネルギーを注いでいたうえ、決意を固めてからは有給消化という名の出社拒否を行っていたので、お世話になったみなさまにはろくに挨拶もせず退職キメてしまいました。すみませんでした。6年間好きなようにやらせていただきました。自由奔放な僕を多岐にわたり支えていただいた皆様には大変感謝しております。ありがとうございました。
現職について
株式会社ディー・エヌ・エーでお世話になっています。相変わらずWebエンジニアです。素晴らしいタレントに囲まれて楽しくすごしています。エンジニアの裁量が大きく、人材に対するリスペクトを感じます。自由なライフスタイルとマッチします。たのしいです。うぇるかむ。
よかったこと
現職での生活を1年やってみて、良かったなと思うこともまぁ少なくなかったので書きます。
面白いことがたくさん起こる
良い意味でアグレッシブな会社なので、思いもよらぬ業務提携がおこったり、わけわからんくらい事業が成長したり、(その逆もあったり、)「その発想はなかった」的な新事業が勃発したりととにかく様々なイベントに満ち溢れています。飽きることはないと思います。
内定式の直後くらいに英語公用語化がうちだされ、「入社日までにTOEICで○○○点とってきてね(とってこないとどうなっても知らんぞ)」的な脅しを人事にかけられました。おかしいな、ドメスティックな会社を選んではいったはずだったんだが・・・英語ができない子だった僕は泣きそうになりましたが、さまざまなバックアップを会社が提供してくれていたように思います。僕が在籍していた頃は英語が一定のラインに達していないと安くはない代償(労基法との兼ね合いどうなってたんだろう?)を支払うことになっていましたが。僕は強要されないと勉強しないタイプなので、結果的に英語スキルを身につけることができたのは良かったと思っています。
福利厚生が圧倒的にすごい
現職もそれなりに規模の大きい会社ですが、比べてみても福利厚生のレベルは圧倒的です。朝昼晩の食事が無償で提供されてました。会社の建物の中にジム・コンビニ・カフェ・マッサージ・クリーニングをはじめそのまま生活できそうな設備が整っています。研修も充実しています。特に、エンジニアにとって魅力的なのは海外カンファレンスに会社のお金で参加できることです。「いいから行け」的にぶっとばされます。
楽天という会社は中にいても自分たちの会社がどんな事業をかかえているのかわからないくらいにたくさんの事業を持っています。ECや金融が有名ですがそれ以外にも大小様々なサービスがあります。新規事業への挑戦も常時おこなわれています。ライフスタイルも開発スタイルも事業ごとにかなり多様性があり、希望すれば社内異動だけでだいたいのやりたいことをかなえることができます。
お給料が高い
いまでいうとインパクトは薄れましたが、僕が入社した頃はかなり高い水準の初任給を出していたように思いますし、その後もありがたいことに高い評価を頂いていたので(同職種・同年代のなかでは)お給料は高かったほうだと思います。
よくなかったこと
主に辞めた理由です。当然にネガティブな内容なので有料にして伏せておきます。楽天に転職を検討している人とか僕の愚痴をよみたい奇特な方向けです。
エンジニアの扱いがよくなかった
これは部署にもよるのでしょうが、僕がいたところではエンジニアの立場が悪かったように思います。たぶん僕の被害妄想です。とはいえ、現職と比べると圧倒的に裁量は小さかったですし、ビジネス職のメンバーとの関係も良くなかったと感じます。なんでもかんでもエンジニアが悪いことにされる傾向にあったり、筋の通らない理不尽な要求にNOといえるような環境ではなかったとは思います。
僕はたいへん素晴らしい上司にめぐまれていました。そのおかげで好き勝手やってこれたのですが、尊敬する上司の仕事は(僕にとっては)つらそうに見えました。自分が将来同じ仕事をやりたいかなと考えると胃がキリキリしてきて絶対イヤだったので。
社内には外国籍メンバーがたくさんいます。日本語がまったくできないやつも一定数います。そんなエンジニアが日本語のサービスを作っています。わからない言語のサービスを作るというのは大変なことです。間違った言葉が書かれていても間違っていることに気づけません。利用規約に間違った記述があった日には大変なことです。英語が公用語なので、英語が使えても評価されないというのはまぁ受け入れましょう。ただ、かわりに日本語が使えることが評価されるかというとそうではありません。ただ単に日本語がわからないやつの代わりに仕事が増えるだけです。ビジネスの人間は日本人ばかりで英語使わないことが多く、調整系のタスクで忙殺されるのが嫌になったので。
システムのインフラは構築はどこの部署にお願いして、rootが必要なDBの操作はまた別などこの部署にお願いして、それが何営業日必要で、とかシステム開発時の制約とか部署またぐ作業のリードタイムがなんぼとかいちいちめんどくさい上に新しいことをやろうとすると面倒なことがたくさんあったので。
僕が最後に携わっていたサービスが世の中に出たのでちょっとみてみたのですが、平成も終わろうとしているのにjQueryバリバリの2000年台初頭構成のWebアプリが完成していました。僕が置いてきたReact+マイクロサービスなアーキテクチャは無事闇に葬られていました。僕のチームがコミットしていたリリース日よりも10ヶ月遅れのリリースでした。どこからともなくさっそうと現れた「そんな複雑なシステムは運用できない」などとのたまう向上心のなさそうな、他人のアイデアにケチをつけるのがうまいベテラン(?)エンジニアがすべてをひっくり返してしまったようです。(そいつがいかにアレかを13くらいの言葉で説明できるのですが長くなるのでやめておきます)その人物が提示した見積もりは我々がそれまでに費やした工数の3分の1程度だったので、そのとおりに行っていれば去年の夏には終わっていたはずなのですが。そのエンジニアがアレなのは言うまでもないとして、そいつのアレさを見抜けない上長や、IT企業にいながらエンジニアがなにを大事にしているかを理解できずに無茶苦茶な判断をするビジネスの人間に囲まれて仕事をするのが辛くなったので。おかげさまで僕の最後の仕事はその案件で作成したすべてのソースコードの破棄でした。メンバーには申し訳ないことをしました。
退職を決意した最も大きな理由のひとつです。前職最後の人事考課の結果が極めて不満だったので。「どう考えてもこの人達より僕の評価が低いことはないだろう」と思っていた同じ職位の人間よりも評価が低かったうえに、それに対する納得の行く説明も得られなかったので。その当時僕の評価を担当していた上司は非常に管掌が広かったので、いち部下の評価まで細かいことを気にしている場合ではなかったのかもしれませんが。その瞬間この会社に対する信頼は地に落ちました。
半年待ちたくなかった
その後、非公式な場で「評価がまずかったのは申し訳なかった。半年耐えてほしい(※楽天では評価が年2回)」というようなことを何人かの上司から言われましたが、それはつまり「半年待った結果として正当な評価を受けられる」という僕がただ半年間不当な評価を受け入れるだけで、特段メリットがない提案でした。そこに対してどのような補填がなされるかといった説明はなく、耐えた後に得られるものも大したことはなさそうで、しかもそれから半年間の仕事も特段熱意を注げるようなものではなかったので。
朝会という制度がどうしても気に食わなかった
毎週1回(事業によってはそれ以上の頻度で)朝会があります。朝8時からです。そんな時間に起きたくありません。裁量労働だろうがなんだろうが関係ありません。出社しないとどういう扱いを受けるかはここには明言しないでおきます(労基法以下略)。それはヨコにおいておいても朝8時です。内容がつまらないとかではないですが、いちポンコツ社員としては「8時に始まるから7時58分までに出社しなさい」といわれて間に合うように起きることと天秤にかけるほどの重要性が最後まで見いだせなかったので。(というわけで、僕はこの制度が残っている間は絶対に楽天に戻りません。)
応募者に要求している英語のハードルが高い(割に待遇が良くない)ので、優秀な日本人を採用することが極めて難しくなっていたように思います。そのかわり英語はできるけどそれ以外は普通な人物はたくさん応募してきていた印象です。所詮は国内に根ざした企業なので、実務で必要になる英語のレベルはそんなに高くないです。なので英語ができない人のカバーをするのは難しくありませんが、優秀なエンジニアがいないのを何とかするのは極めて困難でした。会社の方針のせいで本当に採用したい人が採用できず、自分が目標にしたいと思える人物・切磋琢磨したいと思える人物が同じ組織に現れず、いろんな意味で先がなさそうだったので。
管理職は向いてなかった
上司からお話を頂いたときは嬉しかったですし、それなりの使命感をもってやっていたつもりでしたが、いま思い返すと管理職の道を選んだのは失策でした。できることは増えましたが当然にやらなくてはいけないことも増えました。僕がやりたいことではありませんでした。とはいえ当時はやりたくないといいだせる状況でもなかった(と思っていました)し、自分のキャリアアップにつながるなら...と打算的なことを考えてもいましたが、僕の考えは甘かったということが後にわかったので。
というようなことを考えていたら働く意欲がなくなったため
以上のような経緯により、それまで持っていたモチベーションが迷子になったので。面白いこともまぁまぁあり、ストレスもある環境でした。「それでも会社が必要としてくれるなら...」と思っていましたが、「お前の代わりなんかいくらでもいるよ」という空気を感じた途端に熱が冷めました。
まとめ
正直、辞めた当時は自分の判断が正しいのかどうかに結構なやみました。勤めていた時はそんなに悪くないと思っていたのですが、現職を経験して思うのはやっぱり楽天はエンジニアがエンジニアリングするのには向いてないということです。社内政治が得意な方にはおすすめです。
加えて40万円ほどの借金がある。
ドクターストップがかかり、派遣先をやむなく変えることとなったが、
だが、このままでいいはずがない。
お金だ。
お金がいる。
先日、任意整理を依頼した。
面接に行くことにした。
急に悲しくなってきた。
何のために生きてるのか、わからなくなった。
薬は毎日飲んでるのに。
もう死んだ方がいいんじゃないかな。って強く思う。
生きるのが、本当につらい。
※追記
仕事終わってはてブ見たら…たくさんの助言、ありがとうございます。
みんな優しい。
両親の心にも余裕はない。
その中でこれ以上、負担をかけたくないんだ。
せっかく助言くれたのに、ごめんなさい。
また、あるはてブの人が言ってたように、ただの過労だけではなく、
本当にひどい。
失敗すれば全て私のせいとなり
そんな私の唯一の娯楽は買い物。
昔あんなによく行ってた100均に行かなくなった。というか行けなくなった。
終業後にはどこも閉店してる。
仕事中のランチは、汐留だったから1食1000~2000円くらい。
食べることだけは絶対に忘れないで、たくさん食べてた。
画面の外での意欲は食欲以外なかったから
すごく楽で、たくさん買い物をした。
給料日が来たら、返済すれば間に合うし。
今思えば、愚か以外の何者でもないが、当時はそれくらい追い詰められていた。
普通じゃなかった。
そして、会社のストレスチェックに引っ掛かって、医者に呼び出された。
うつ病で死なれでもしたらまたニュースになるということ。(以前、過労自殺した人を出した某企業なのでやばいと思ったんだろう)
仕事は楽しくやるもの。病気になるような仕事なんて存在しないと言われて
一晩中泣いて泣いて考えた。
もう仕事やめようって。
そのほうが、会社のためでもあるなと思った。
お給料は半分以下になったけど
周りもいい人たちだし、時間もきっちりしてるし、
やめたくない。
でも、お買い物の癖が抜けなくて本当に困ってる。
長文読んでくれてありがとうございました。
また追記
精神医療についての話題が増田で盛んだ(時期を若干逃した感はあるが)。自分の場合は医者と薬のおかげでサラリーマン生活を続けることができている人間なので、こんなケースもある(ごく普通にある)と知ってほしいと思い、ここに書いておく。
発症は1年半ほど前。メンタルに突如異常が出る。時期によって異なるが、症状は次の3つ。
一晩に3~4回程度目が覚めてしまう。起きて時計を確認すると午前2時や3時だったりしてめちゃくちゃがっかりする。寝不足がひどい。
常にイラついているわけではないのだだが、出社から夕方頃までの間は魔の時間で、ちょっとしたきっかけで怒りが爆発する。会社で同僚に挨拶されただけで突然感情のメーターが振り切れて暴言を吐きそうになる。社会生命がやばい。
これはこの発症当初ではなく半年ほど過ぎた頃から発生。気分がとにかく落ち込む、自分が劣った人間であるという根拠を脳が勝手にひねり出し始める、意味がないと知りつつ止められない、性欲の減退、性的なコンテンツへの嫌悪感、これまで好きだったものへの無関心、等々。人生がまずい。
このままでは社会生活が送れなくなるという危機感が背中を押し(抵抗なく医者に駆け込めたのはTwitterやはてなで「困ったら医者に頼るのは当たり前だ」という判断基準が刷り込まれていた部分も大きい。この場を借りて感謝しておきたい)、これはまずいと認識した数日後には勤務先から徒歩圏内にある心療内科へ予約の電話をかけた。もう1年以上前のことなのに、電話を切った後の「一仕事終えた」という若干の開放感、そしてこれから未知の何かが始まるのだという不安感はまだよく覚えている。
初診は待たされることが多いと聞くが、昼休みに融通が利く職場環境ということもあり、1週間程度で予約が取れたのは幸いだった。医者では簡単な問診が行われた。
Q: これまでもこんなことが?
A: ない。
Q: 原因に心当たりは?
A: ない。ここ数ヶ月で生活がいきなり変わったわけでもない。イライラとは逆に毎年春になるとメンタルが低調になることはあった。
その結果医師が下した判断は「軽度の双極性障害の可能性があります。薬を処方します。睡眠導入剤も一緒に出しておきます」とのこと。人生初の薬物生活へ突入。
薬を症状によって変えつつ、今は双極性障害の薬、抗鬱剤+精神安定剤、睡眠導入剤、便秘薬(抗鬱剤の副作用に便秘があり、それに対抗するため)を1日トータル11錠服用している。
中途覚醒はほぼ姿を消した。イライラも落ち着いた。眠りの質はあまり良くないものの、ほぼ毎日朝まで眠れるようになった。ここのところは1週間のうちダメな気分になるのは0日から3日程度。1回あたり数十分から数時間続くのでその間はつとめて何もしないようにしている(これも仕事にある程度の裁量があるから可能なことではあるが)。
寝る前に服用する薬が多いので、以前は時折楽しんでいた寝酒は諦めた。副作用の眠気にはかなり苦しんでいる。頭の働きが明らかに鈍くなったという実感があり、「自分はそこそこ頭の回る人間だ」という自負を捨てるために苦労している。これは加齢のせいかもしれないのだがそれはそれでつらい。
医者に行っていなければ極度の寝不足によって遅刻太郎・無能太郎のみならず暴言太郎と化していたことは間違いないので、「医者にかからない」という選択肢は最初からなかったと思う。症状は寛解したり(1週間まったく自覚症状が出ない時期もあった)悪化したりと波があるものの、世間の健常者よりも1歩遅れ程度の生活は送れている。
医者行け。
減点でなくて、加点で考えたらいいよ。
フルタイムで働く医者を100点として、出産・子育てしながら働く女医は減点されて60点かもしれないけど、それでも仕事辞めて復帰しなかったら”0点”なんだから、60点でも現場から立ち去るよりは、パートでも時短でも働けるやり方で働く方が、きっと患者のためにも、同僚医師のためにもなることがあるよ。
今は報酬の配分が、労働時間とか仕事の重要性からは解離している印象があるんだ。そっちの方が医療崩壊につながる気がする。
循環器とか外科とか、拘束時間も長くて、呼び出しもあって、直接命にもかかわって、”きつい”仕事は、当然こなせる人が減るから、希少性が高まって、報酬があがる・・・はずなんだけれど、そういう市場原理は医師の労働市場にはあまり働いていない。
これは、きつい仕事をする医師たちが、仕事に追われて政治的な活動ができないからだし、そもそもそう言いう科に行く医師たちは、過剰な報酬を求めていない、いいやつが多いから。
国民皆保険の日本では、診療報酬はほぼ、公的な資金と言っていいから、医師はほぼほぼ公務員みたいなももの。市場原理は働きにくく、政治で配分が決まってる。政治活動するのは、激しく救急や緊急オペを繰り返す勤務医でなくて、もともと高い報酬を得たいという動機があって、割と労働時間に裁量が働きやすい開業医(日本医師会)が中心だから、どこにお金が流れるかは、察して。
現状の配分でも、若いころにはがんばって、体力的に厳しくなったら開業して・・・とか、夢が見れるなら、それでもまだいいけれど、そういう夢が見れなくなったら、優秀な人材は医師にならなくなりそうかな。そっちの方が、医療崩壊につながると思うよ。
元増田も、志高く医学部に入り、医師になるだけの優秀さを備えているんだから、できる範囲で力を尽くせたら良いよ。
結局は、元増田の働き方(働き方に対する希望)が問題でなくて、100%のフルタイム医者と自分の働き方を比べた時の、元増田の劣等感が問題なんじゃない。優秀な人ほどありがちだけれど。