はてなキーワード: 裁量とは
夢を追って30直前まできたけど、諦めて就職を考えてる。
でもやりたい仕事とかないんだよな。
今までバイトとか契約社員の接客やマニュアル事務は全く合わなかった。
仕事の70%までは平均より全然早く覚えるけど、100%にいかないとかミスが減らないとか。
逆に少人数部署とかベンチャーで裁量が多いオフィスワークでは、評価してもらえることが多かった。
カルチャー的にはベンチャーがあってるっぽいけど、仕事自体のやる気はそれほどないし、やりたい仕事とかない。
残業は別にいいし、それなりに仕事上でパフォーマンスを発揮することはできると思うけど、面接を突破できない感。
あと求人はいっぱいあるけど、実際どうなのか、自分にあってるかは入らないとわからないよね。
色々面倒くさいし、10億ほしいなおい
"違法マイニングで16人摘発"の衝撃…逮捕者もすでに3人「めちゃくちゃすぎる」「日本終わった」 - Togetter
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何となく思ったが、この「いきなりヒステリック気味に強権を発動する神経過敏さ」は日本特有のものを感じる
専門家の意見を聞いたのかは分からないが、もう少し公に意見を求めてから穏便にやるべきだったのではないか
個人的にはカドカワのように法人などが生存権が侵されようとしている非常事態には、強権発動はある程度は仕方が無いか、とは思うが
(もっともカドカワの場合は、一時凌ぎに過ぎないだろうし、その間に根本的な問題解決に至らなければ、Amazonのような黒船が出現した場合、一網打尽にされるとは思うが)
心理的な要因を考えると、日本が冒されている病気というのは医原病が大きいのかも知れない
血圧が平均値を超えていたら薬を投入するとしても、人間は生きているので、毎日血圧は上下する
100人の血圧を測って、平均よりわずかに血圧の高い50人に薬を投入していたら、それが原因で病気が引き起こされる可能性の方が高くなる
「医者が手を入れすぎてかえって病気になる」のが医原病だが、「一般市民に裁量を持たせず、現場の専門家でも無い官僚などが思いのままに隅から隅までコントロールしようとして失敗する」のが一つのパターンであると思うが
過保護な子育て的に見えるし、セルフコントロール感の無い子供が無気力になるのも当然だと思う
しかも、子供が生涯を終えるまで手取り足取りやるならそれも一つの責任の取り方なのかも知れないが、「自分の手に負えなくなったらいきなり放り出す」のが現実だと思う
おめー、なんのために「HP制作みたいなの」って言ったのか理解してんのか?
ゴミワークを渡すんじゃないんだよ。「一見クリエイティブに見える」作業を渡す方が重要なんだよ。パソコンの大先生舐め過ぎだろ。
クズだからといってクズワークを渡したり、ゴミ息子だからといって中古の水筒渡したらそうもなるわ。
裁量があってチャレンジんジングな仕事をちゃんと作ってやれ。提出されたものは即ゴミ箱でいいから。
どうせその仕事の予算だって正式についたものじゃあないんだろ? それと同じロジックで予算を発生させりゃ行けるだろ。
リトライせよ。まずは「HP制作」からはじめ、興味を引いたら次は「VR広告」などなど「役に立たない」仕事をどんどんやらせるのだ。はよ!
世間の内定習得率は65パーセントらしい。私はまだ35パーセントの中にいる。
自分なりに、去年の夏からやれることはやってきたつもりだった。すべては今後のため。何十年かはわからないけど、人生の殆どを過ごす会社くらい、自分が一番希望したところへ行きたいと思っていた。
もうすぐ6月も後半。内定はひとつもない。何時間もかけて書いたESや履歴書。早起きをしてお金を払って都心まで行って、練習したとおりに言葉遣いや笑顔に気を配って質問に受け答えをして。それら労力のすべてが、二週間後くらいには数行のメールに変わる。書いてあることは同じ。
「誠に申し訳ございませんが、採用を見送らせていただくこととなりました。貴殿のご健勝をお祈りいたします。」
何が悪かったのか。考えてもわからない。ご縁は目に見えない概念だ。はっきりと態度が嫌だったとか、適性検査の結果がだめだったとか、言ってくれればこちらだって次に繋げられるのに。ご縁はどうすれば改善できるのだろう。
志望していた業界の企業はほとんど選考を締め切ってしまっている。いまから業界を変えて、研究して、また志望動機を考えて……気が遠くなってくる。そもそもいまから募集を始める企業なんて存在しているのだろうか。
友人もほとんど就活を終えて、髪を染めて、楽しそうに旅行の話をしている。学校に行って、普通に話していても、気を遣われているのが痛いほど伝わってくる。「あなたにあう企業がきっとある」「まだ始まったばかり」「これからが本番」「いつかきっと報われる」……4月にも5月にも同じことを言われていた。正直もう、ポジティブな言葉は聞き飽きた。はっきりいってくれ。何がだめなんだ。私はそれほどまでに社会不適合者なのか。
面接へ行くのにはお金がいる。アルバイト中、男性に怒鳴りつけられた。店で買ったストップウォッチが不良品だという話だった。商品を詳しく見ると、絶縁テープがついたままになっている。あれ、と思って外してみると、やはり商品は正常に動き始めた。するとその様子をみていた男性に、何故だかもっと怒鳴られてしまった。絶縁テープをひっぱれなんてどこにも書いてなかった。返金しろ。レジの前で、何人もが見ている中で激しく叱られた。男性はスーツを着ていた。男性たしかに、立派なスーツを着ていた。彼は社会に求められている。私とは違う。私より、この男性の方が社会的価値がある。この人は就活を何十年も前に終えて、人として認められている。
何が何だかよくわからない。カンボジアへボランティアへ行ったら偉いのか。ニュージーランドへ留学へ行ったら偉いのか。自ら主体的に動いて部活動の問題を解決したエピソードがあれば、なにかコンクールや大会で入賞した経験があれば、あるいは。
今までの人生、就活のために生きてきたわけではない。高校受験、大学受験、自分が行きたいところに入学した。一連の流れに特別性はない。ほかの人は違うのだろうか。みんな何か特別なことを成し遂げてここに立っているのだろうか。
家に帰ると母がスーツ姿の私を傷つけないように、傷つけないように、と言葉を選びながら就活の進捗を聞いてくる。最終面接二つ受けて結果待ちって言ったよね。ごめんね。あれ昨日二つとも不採用のメールがきたんだ。また最初から頑張らないといけないの。そんなことがずっと言えないままで、大丈夫だよとか、心配しないでとか、あやふやな言葉しか出てこない。
私には兄が二人いて、父親がいない。兄は高卒で、いまはアルバイトをしている。母も高卒だった。だから大学に行かせてもらって就活をしているのは私しかいない。そんな私がこんな失敗作で本当に情けない。申し訳ない。こんな私が、何の役にも立てない私が家でのうのうと、お母さんがパート終わりで疲れてるのに作ってくれたご飯を食べていていいんだろうか。生きていていいんだろうか。毎日何をしててもそんなことを考えてしまう。
気に入っていた茶色い髪も、楽しみにしていた友達との旅行も、大好きな服を買うお金も。全部全部あきらめた。流行りの服も、メイクも。お気に入りのスニーカーも埃をかぶっている。毎日毎日、リクルートにパンプス、“適切な”メイク。そろそろもう、限界を感じている。
生きていることに理由がない。死ぬことにも理由がない。だから自殺なんか考えたくない。就活に疲れて自殺なんてバカバカしい。わかっている。分かっているけどふと、ホームで電車を待っている時。家に一人きりでいる時。信号待ちをしている時。今なんじゃないか?という声が聞こえる。頭の中でもう一人の自分が必死に死を促してくる。死にたい、という気持ちがあるわけじゃない。ただ、そうした方が楽なんじゃないか?と投げかけてくる自分自身がいる。
なんだかもう、ひどく疲れた。近くない、けれどきっと遠くもない未来、情けない私が愚かにも自分自身の誘惑に負けて、親を悲しませる選択をしてしまったら。そのときは私の実名と、そこに至った経緯が全国へ公開されて、偉い人がニュースで語り合ったりするのだろうか。
そうなっても、いいのかもしれない。
追記
こんな鬱々としたユニークさの欠けらも無い長文に目に通してくださってありがとうございます。
いくつか思ったことを箇条書きに。
・誰かを無差別に傷つけたいわけではありません。それだけは絶対にありません。
・ニュースで取り上げられる云々は私の浅はかな想像の産物であり、例としてあげただけで、別に目立ちたかったりしたい訳ではありません。文章が下手ですみません。
・他人よりも不幸ではないといけないのですか?個人の裁量では勝手に絶望してはいけないのですか?
一部の優しい方々、励ましのお言葉、はっとさせられるお言葉、ありがとうございました。不甲斐なさで涙が出てきました。しっかりと受け止めて、今後に生かしていきます。
もう少しだけ、がんばろうと思います。
お付き合いくださりありがとうございました。
表面上書かれた建前の内容と、日本社会の同調圧力どろどろ+一度決まったのはズルズル歪めていく本音との対立。
何より日本社会の同調圧力どろどろによってブラック労働が盛んに行われているということもある。医師クラスでも過労死する時代。
ましてや、お偉方経済団体に対して「残り2・5%でそれも希望者だけとなればものすごく少ないところでスタートするんですけど、まあ、我々としては小さく産んで大きく育てると!」
とのように明らかに範囲を拡大させることを厚生労働大臣が言ってたりする。
経営者は自分に全部裁量があるからともかく、高給だけど雇われだったら仕事の内容も自由にできん。派遣も最初はプロ限定だったんだけど今や非正規低賃金労働の代名詞となってる。
んで、賛成派は建前の内容ばかりをいい、批判はうっすら見える本音ばかりをいい、噛み合わないのが高プロ。
最も、野党側もだいぶ新自由主義が見える連中もいるのが難点だがねぇ。
そういう意味で2大政党制は2大政党が談合すれば選択肢がなくなるクソ制度だ。
政権交代なくても、例えばいいことをいう政党があれば、そこが一気に優位になってみんな引っ張られるぐらいの中選挙区制のほうが良かった。
うーん?
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1805/25/news032.html
どうにもメディアの記事の出し方が少し時代遅れになっているように見える。
すでに日本のアニオタの間では「日本のアニメはニッチなもので各国でもニッチなものである」
なんて勘違いした認識を持っている人はもうあまりいないだろう(10年くらい前の話じゃないか?)
にもかかわらず、どうにもこういった各国の事情を紹介する記事は
という誤ったナショナリズム的な警戒意識が透けて見えてしまう。
という視点だ。
マニアックな趣味である俺たちと同じ海外のアニオタはどういう作品に興味を持っているのだろうという言い方になっている。
つまりこれは海外のニッチなアニオタたちと意見を共有したい・交歓したいという視点だ。
「グッズやライブを楽しむ人を増やしたい、つまりアニオタを増加させる」
という戦略をとっている(コアではない人はライブやイベントまでいかないだろう)
ゲームオブスローンズを見ている人にアニメを一緒に見てもらう。
という戦略では決してない。
(もちろんゲームオブスローンズとアニメを一緒にみるのはありなんだけど。というか俺も見てるし)
にも関わらずいまだにメディアがこういった態度を取っているのは非常にまずい。
「世界中で協力して盛り上げていこう」
商業的にアメリカ1強(+日本)だったため、総数の少なかったアニメーションという媒体そのものが技術の進歩や後進国の発展によって増加しつつある。
アヌシーの南米などに対するフォローアップや中国産アニメの勃興にそれは目に見えて現れている。
そしてご存知の通り日本産アニメの海外における大幅な市場規模の拡大だ。
ニッチはニッチであり、今後もニッチのままだろうがそのニッチの数が大幅に増大しつつある。
日本のアニメの海外における今の市場規模の爆発的な増大はその流れに乗った物だ(そして同時に貢献しつつもある)
世界は今その勢いに乗ってアニメーション業界を盛り立てていこうとしている。
それを、ナショナリズム丸出しで日本人にマウンティングする記事には違和感しかない。
「世界のアニメーション業界の発展に貢献します。そしてそれが自分達の利益にもなる」
であって「某国が大成長して日本を飲み込もうとしている」なんてネトウヨみたいな言葉じゃない。
規制の激しく、党の裁量の大きい中国に対して警戒が必要なのはわかるし、難しい立ち回りを強いられているのもわかる。
でも他の国に対する記事もこんな感じの話ばっかりだ。
TRPGパラノイアとそのルール解釈宗教論争で揉めてる話です。
まず自己紹介をすると僕は生粋ではないにしろTRPGが好きでパラノイアはTS版の出る前の第2版の頃から知っているプレイヤーです。いきなり専門用語を出しましたが最後まで読めばわかります(です・ます調はここまで)
僕の好きなTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム・平たく言うと卓を囲んで冒険のごっこ遊びをするゲーム)に「パラノイア」と題された米国生まれの人気タイトルがある。
TRPGファン界隈ではとても有名なゲームシステムで、その秘密は1980年代当時の本国・米国を皮肉ったゲームデザインにある。
このゲームを説明すると、自然物が排除され全てがコンピューターに管理された封建主義の巨大施設で暮らす国民が、自国内で発生したトラブルを解決するSFゲームだ。
面白いところはPC(プレイヤーキャラクター)は施設で産まれ育ち自然界を知らない設定なので、例えばゲーム中に外の世界に任務に行き木を見かけることがあったとして「あの木で休もう」などと発言すれば、「木とはなんですか? 貴方はなぜそれを知っている?」と仲間に言及され、略式処刑されるシステムにある。
またPC達は皆、与えられた任務とは別の反逆的な思想を持たされており、任務を邪魔するような役割を与えられていたりして達成できないことがままある。もし妨害していることが明らかにされると、それも処刑対象だ。しかしPC達にはクローンが数体用意されているため中途で死んでも記憶をコピーされ冒険に復帰できる。
パラノイアのコンセプトは間違いなくPvP(参加者同士の戦い)である。
通常のゲームではGM(ゲームマスター)の用意した邪悪な竜をPCが協力して倒すがパラノイアはPCをPCが倒す。ルールブックにもそう書かれ推奨されている。人気タイトル故に版がいくつもあるが、少なくともこのゲームを有名にした第2版ではそうであった。当時のベテランTRPGプレイヤーもやはりパラノイアをプレイする以上は仲間同士で争っていた。
そして、このことがいまファン内で論争を招いている。もはや宗教論争といっていい。卓内で宗派の違う者を歯に衣着せぬ言い方でボロクソに言っている。僕はそれをとても虚しく思う。
ややこしい話だが、パラノイアは版がいくつもあるばかりかシステムの応用版も公式から出ており、それらのファンである程度住み分けが出来ている。それらの説明は割愛し、今回趣旨としたい大きな宗派は主に「第2版属派」と「TS(トラブルシューターズ)派」に絞る。
この2つはイスラムの2大宗派と酷似し、源流は同じにも関わらずそれぞれが独自に文化を形成している。
前者を「属派」としたのはこれがまたややこしい話だが、肝なのでしっかり説明する。少し歴史の話になる。
現在、正統第2版派はほぼ死滅している。これで遊んでいるサークルはTRPG界でも深みにいる層だ。30年も前の版だから当然かもしれないが。
故に第2版は現在から10年ほど前に無料で有志(と呼ぶと怒られそうだが)によってウェブ上に少し改変されたものが公開された。それをもとに、いわゆるゆっくり音声などで実況したセッション動画が投稿され、その斬新なゲーム性から人気を博した。
だからもう大変なことになっている。なにがっていえば、まず前者の主なファンは動画サイトに在住したTRPGに触れたことのない者が多いことだ。そして、後者は根っからのTRPGファンである。
TRPGというのはGMが裁量権を握るもので、サッカーを例に出せばラインを越えればどちらのスローインかというジャッジもGMの仕事だ。
しかし、愚かながらパラノイアにおいてはゴールのラインを明らかに越えてもGMが面白くなければノーゴールとしてよい。ルールブックにもそう書かれている。
そのルールに則った文化が醸成された結果、動画では派手な爆発が好まれ、必要以上に略式処刑を繰り返すものが多く、パラノイアを初めて動画で知った者は仲間を爆破すればいいのだと刷り込まれる。そして、さあやるぞとルールブックを買う。
次の問題は、現在ルールブックはTSしか販売されていないことだ。そうなってくると、パラノイアをプレイしようとした生粋のTRPGファンの間に爆破プレイヤーが流入してくる。そして、セッションが荒れる。するとTS派は初めて怒りを覚える。「あいつらのせいで面白くない」これは実際にTS派が言っていた言葉だ。
今度は私達の番だといわんばかりにTS派はなんとPvP否定に傾倒していく。なんと他のTRPGと同じ様に、真面目に任務を遂行する文化が出来始めたのだ。
そして、TS派の重鎮が「第2版属派のはパラノイアではない」と新規TSプレイヤーに呼びかける。こうして2つの宗派は思想が離れた。
実のところ、TSのルールブックにもPvPを推奨はある。僕はあると思っている。しかしTS派のある重鎮は「いや、どこにも書いてない」と言う。
これはどちらが正しいということはなくて、どちらでも解釈できる書かれ方をしているためだ。宗教を例に出した理由がここでようやくわかっていただけると思う。
ルールブック(聖典)の解釈を巡り対立構図ができているのだ。TS派の中にもPvP肯定派がいたり、属派の中にそもそも派閥を意識していない者がいたりなどの点もまたリアルである。
先に述べたとおり、TRPG、ことパラノイアはGMの裁量次第のゲームなので、GMがPvP否定ならばゲームはそうなり逆も然り。
その時は途中で脱退するわけにもいかずとても窮屈な時間を過ごさせられる。
ゲームデザイナーは普遍的なSF・TRPGのデザインに辟易してギャグで仲間内で楽しく盛り上がることのできるゲームとしてパラノイアをつくったといわれているのだが、昨今のこのプレイヤー状況はどうにかならないものだろうか。
旧帝大の情報系の研究科で博士まで取った。人工知能分野の学位持ってる。30代。
今はアカデミアにいるが、正直、アカデミアを諦めれば都内のAI人材欲しがっている企業で年収1千万弱の転職できると思う。
が、全く高プロ魅力的に見えないぞ…企業に入ったら上司が誰になるかわからない。いや、そりゃ最初の1年ぐらいは上司は変わらないだろうけど、配置転換でコロコロ変わるし変えられる。
上司が人格者ならいいけど、必ずしも人格者とは限らない。AI分野は人材不足で、ただでさえ仕事量が多い。高プロには、別に業務の量について特に規定は書いていない。
例えば自分の手が回らないような量の仕事を上司から回されて、手が回らず、「与えた仕事ができなかったので評価低くしました」とか言われた時、高プロがなければ、まだ、「この仕事時間じゃ回りません!」とか「残業代払ってから言ってください!」とか反論できそうだが、高プロがあれば、反論の余地がない。
企業に行く限り、上司ガチャがついて回る…何でそんなリスク取らないといけないんだ。それだったら、任期付きでも、アカデミックでやりたいテーマをある程度自分の裁量で決められる職の方が、まだリスク少なそうだぞ。
そんな権利、どこにもないよね。「そのような発言は不愉快なのでやめてください、と訴える権利」「職場や公的な場で性的な要素に言及されない(=ハラスメントを受けない)権利」「路上で性的なからかいを受けない権利」はあるだろうけど、「性的に見られない権利」なんて男にも女にも子どもにも存在しないよ。
ロリエロ漫画を読んでる女性の存在はまるっと無視ですか、おめでてーな。
これは難しいところだし、まあゾーニングはしたほうがいいよね、と思うけど、「政治的発言を見たくない人」「他民族の衣装を見たくない人」「ゲイを見たくない人」とかの権利も同様に尊重すべきか? って考えると、「見ないですむ権利」を言い募るのは不気味だよなぁ。とりあえずゾーニングはしよう。
教育なんざ好きにすればええがな。おうちの中にエロ漫画を一切入れない、アニメや漫画を見せない、ゲームもやらせない、ならどうぞご自由に。ゆらぎ荘の単行本を買うならお小遣いはあげません! と脅すのも親の裁量なんじゃないの? どうぞどうぞやりたいようにおやりになれば。
でもおうちの外で家族以外の人がやってることについて親の教育権は及ばないのよね残念ながら。子どもにアニメを見せたくない親の教育権、ってのはまああるだろうけど、だからアニメの広告は自粛すべき、とは思わんなぁ。よそはよそ、うちはうち!
超音速備忘録が大好きだ。でも気難しい管理人だからここに書く。
模型は本物ではなくその再現であることの不自由と、作る人にその完成を判断する裁量を委ねられている自由が彼の言っているプラモの背骨なのだと思うのだけど、違うような気もする。
私のような技術オタクはその表現の地平を超えたフミナ先輩を作り上げたその苦労と、間違った方向だったとしてもその市場に爪痕を残そうとした思いを軽く見れないのだけど、そうではないらしい。
彼がいま理想だと思うプラモデル。カメラで殴りたくなる要素を佃煮にしたプラモデル。そういう商品を彼が、どこかと組んで出してくれたらいいのに。(希望)
http://b.hatena.ne.jp/entry/363523680/comment/uunfo
「本が売れないと騒いでる出版社の人達は見て見ぬ振りをしてるみたいだけど」
単純に疑問なんだけれど、この人は出版社の人間が何をするべきだと思っているんだろう。
言うまでもなく、出版社と書店は別の会社だ。つまり、出版社の人間が書店に対して「あの人を店長にして待遇を改善し裁量を持たせろ」みたいに口を出すことは基本的にできない。「あなた方の経営方針最悪ですね」とか営業の場で言えるわけがない。品揃えに対して「うちのこの本をもっと置いた方が売れますよ」とかはそりゃ言うけれど……例えば岩波の人間が「岩波文庫ちゃんと置いてください」と言っても、お店が「置かない」「その分の棚は用意しない」と方針を決めてしまったら難しいんじゃないかなあ。少なくとも長期的な交渉になる。棚を頻繁に大幅に変えるの大変だしね。
出版社の営業関係者の間でも「あの店のあのベテランが辞めてしまった」と溜息をつくことは、けっこう前からけっこう多い。大きめの書店でも知識のある店員がどんどんやめて、経験の浅いバイトとごく少ない社員で回しているところが多くなっている。版元関係者にとっても悩ましいのだ。
そういう話をするべき相手は、出版社ではなく丸善雄松堂の親会社である丸善CHIホールディングスとか更にその親会社の大日本印刷とかなんじゃないかなあ。
できない話ばかりしてんじゃねえって言われそうだけれど、この状況で出版社の人間が書店にできること、するべきことって何だろうなあ、と思ったんですよね。