はてなキーワード: 暖かいとは
私は専門家ではありませんが
何か参考になるかもしれないと思ったので書かせていただきます。
ある日父が犬を連れ帰ってきました
犬がいても暴力が無くなったわけではありませんでしたが
犬が闘病中の期間だけは家族で協力し合え
それから犬は亡くなりました
私はペットロスになりました。
「何で動かないんだ」「強制的に見合いしろ」とまるで暴力団の様に責め立てました。
それからは転がり落ちるようにいろいろな事がありました。
たぶん、各所相談に回るうちに
自分の事も踏まえて私が思うのは、
あなたのご家族はわんちゃんに愛や癒しを感じておられたのではないか。
そのわんちゃんが亡くなって心の中の暖かい物が消えてしまったのでないか。
外部の手を借りた方がいいと思います。
妹さんの事は相談できる所がありそうです
そこを突破口にしてみてください。
今私が思いつくのは、保健センターです。
わんちゃんの死を看取らせてあげられなかった事が原因ではないです。
ご自分を責めないで!
高いことは自覚している。高いから自分が傷つくのが怖くて身動きとれてないのもわかってる。本当は周りの人ともっと深く関わりたいけど、自分の愚かさを露呈したり軽蔑の眼差しを向けられたりするのが怖いくて
、私はひとりでいるのが好きだから、なんて嘘をついてしまう。クラスに碌に友達がいない3年間でよくわかった。私はいつまでたってもひとりが苦手だ。
もしかしたら、矯正しないほうがいいかもしれない。私は腋臭だ。自分の臭いは自分ではわからないというけれど、私は結構自分でも感じるときがある。自分でもなんか獣くさいなあ、とわかるのだから他人からしたらもっと酷く感じると思う。お互い本音で話せる友人は、よくそう言うけど全然わかんないから、と爆笑しながら言ってくれたけど。
でも自意識が過剰なだけじゃないのは確かだ。
高校一年生のとき、入学したての暖かい日。高校ではじめての友達が、少し黙りこんた後に「…なにか動物飼ってるの?」ときいた。 どきりとした。唐突だったから、絶対に動物好きトークに持ってくような流れではなかった。
その前も後も、彼女は私にかなり好意的に話しかけてくれたけれど、臭いのことで嫌われるのが怖くて最後まで避けてしまっていた。
他の友人が、人の臭いを主な理由に悪口を言うのを何回かきいたこともある。私は自分がそうだから人の臭いは気にならないけど、世間一般の人にとってはきっとそういうものなんだとおもう。
もし、私が正しいプライドの持ち方をできたとして、普通に人と接するようになれたとしても、腋臭を治さない限り、相手には不快感を与えるし、自分も傷つくと思う。誰も得しないんだ。
このまま歪んで大人になったら、家族はきっと悲しむ。私は三人兄弟の一番下で祖母や両親から沢山愛をこめて育ててもらった。
前の住居から持ってきた折りたたみ自転車を引っ越し等の忙しさに感けて放置していたのだが、タイヤに空気を入れて、オイルを注し、ようやく乗れそうな感じに整備した。
まだアパートの近辺もよく探索していないので、ついでに隅田川沿いの桜でも見ながらぶらつこうとコンデジを片手に繰り出した。
とりあえず、駅とは反対方面、川へ向かうような気持ちでペダルを漕ぐ。
途中、小学校やら保育園やらを通ると、校庭の桜が満開からやや散り始めの感じで、そういえば、今年はまだ桜の写真を撮っていなかったなとカメラに手を伸ばす。
田舎から出てきた私にとって、東京とはカメラをぶら下げて徘徊する人間に寛大な土地…というイメージだったが、住宅街では流石に気恥ずかしい。
というか、やはり学校周りでカメラを構えるのは不審者一歩手前だよなと思い直し、やはり川辺まで堪えようと、ペダルを踏み込んだ。
勘を頼りに川を目指すと、やがて川沿いの通りに行き当たった。しかし、想像していた桜並木はなく、なんか緑の植え込みやら雑木やらが並んでいる。落胆。
こうなると、どうにか桜を拝みたくなり、近場にあるという桜堤緑地という花見の名所を目指すことにした。検索すると、それほど遠くもなさそうだ。
それにしても、この日は暖かいというよりむしろ暑いに寄った陽気であり、自転車を止めると汗が滲む。
桜堤緑地にたどりつくと、期待通りの桜並木がそこにあった。
花見客もまだまばらで、自転車を停めて暫し桜を眺めたり写真を撮ったりする。
ひとしきり歩きまわり満足したため、もと来た道を引き返す。
コーヒーで飲んで一服しようと言うところなのだが、いかんせん近場の店がわからない。
結局、駅まで戻って喫茶店に入ってしまう。ミックスサンドとコーヒーを頼むが、あまり長居できる雰囲気でもなく、
疲れもでてきたので、早々に店をでた。
食後に一風呂浴びたくなり、調べてみるとアパートを通り過ぎたあたりに銭湯があるとのことで、ゆっくり向かう。
途中、サイクルショップを見かける。ミニベロの部品などはあるのだろうか。
ロードバイクやらクロスバイクやらが並ぶ店はどうも気おくれしてしまう。またそのうち見に行くとしよう。
雨上がりの艶っぽい夜の中、成城学園前駅からグーグルマップを頼りに随分と歩いた。
静かな住宅街の中、突然漏れ出した煌々と眩しい光に夜空を見上げて思わず声が出た。満開のオオシマザクラが迫り出すように空を覆っていた。
世田谷区大蔵にある、ここ妙法寺は廻る大仏で有名だが、この時期は夜桜のライトアップをしている。
知人を誘ったけれども、明日告白するから早く寝たいんだと、ベッドイン前提の酷い理由で振られたのでおっさん一人境内を歩く。
ゆっくり歩きながらオオシマザクラ、枝垂れ桜と堪能した後、腰を落ち着けたくなって開放されていたお堂の中に入った。
寝椅子に近い座椅子に腰掛けると、硝子越に満開の桜達‼それから四十分、ほとんどの時間を独り占めして過ごした。
感動が過ぎると桜を見た感慨をあてつけのように、LINEに連投した。
お座敷を開放しとるのやけど、ちょっとした仏壇の香りが畳のい草に混じっていつまでも香っていたい。
素敵、ねぇ、ほんとに素敵‼‼
その後、お孫さんを連れてきた三世代のご家族がいらっしゃって、カメラのシャッター音とお孫さんの何かに駄々を捏ねる声を残して、去っていった。
じぃじ、お孫さんに全部敬語だ。自分の前を腰を折って通られたばぁばも品が良さそうだし、深窓の令嬢って親の親から違うのかな。
ばぁばどこ?という幼い声、とてとて襖の間を歩く拙い足音が耳を離れられない。可愛い。
照明は非常口を知らせる緑の看板以外付いてなくて、真っ暗。大きな窓から桜の照り返す明かりが、お庭のせせらぎともに静かに入ってきて、静けさの中によく響いた。
延々とお庭の池に流れおちる少滝のせせらぎが柔らかい春雨にも似て、優しい音だ。
RainyMoodみたい、眠い。
寝た。
羽織ったままだった外套が背中にもぞったので外して膝掛けにすると、妙にそこだけ生暖かい。
先日お世話になったお嬢さんの膝もも裏も同じような暖かさだったな。
見た。立った。帰る。
夜中に情緒不安に駆られて八千文字を分けて送っても読んでくれたので、
ほんとに見てないのだろう。
今を一緒にしたかったな、と残念は、またやってしまったと急速に後悔へ変わってゆく。
帰りは一段と寒さが増していた。
私には入手できなかった。今回の放出分、32510台
は完売したそうだ。今後の発売予定分もすでに予約
で完売という。
けている。
して認識されている。
なものに目に映るようだ。
ッチには、筐体を形作る樹脂の手触りや質感、色、
端子の鈍い輝き、そして何と言っても機種による様
々なクリック感。
思っている。
くの種類を所有できるのもいい。
る私の多くのコレクションのうち、気分で選んだお
そしてその単調な変わらないリズムに合わせ、スイ
午後は、そうした至福の時間を得て過ぎた。
昭和初期に急に現れたらしい。
るいはコレクションの展示会、交換会などが行われ
ていたようだ。
きくは、なかったようである。
るのでスイッチとは言わないが、このころではすで
広く存在している。
ている。
日も快進のようだ。
2発発射された。
による記者会見を写している。
一度外れた箍を再び同じにはめることが難しいこと
号に目を移す。
して行っているという話もある。
るであろう。
としかその時は考えなかった。
る。
そして私以外の多くの蒐集家の手にも、押されるの
を待つスイッチが数多く、あるのだろう。
猜疑心が強すぎるのでは。そういう乱れた場もあるのかもしれないが、
おそらく実際としては、現役コスプレの子たちの言っているような健全な場の方がはるかに多いのだと思う。
往々にして、外部の風評というのは特別醜悪な部分だけ抜き出し、誇張され、時に捏造されたものなので、
それをベースに現役の子たちに聞くと、その聞き方によっては自分たちを愚弄していると捉えられ、頑なに反発されるのは当たり前のことだ。それを隠蔽と受け止めてしまったのでは。
というより、そのコスプレイヤーたちもあなたの友達だったくらいだから、概ねあなたと同じくらいの知性や倫理観の世界で生きてきた人だ。あなたの憂慮するような事に遭遇したなら辞めていたはず。
続けているということはそういう乱れた層の人間とは遭遇していないか、したとしても距離を置いて、真っ当にやっているのだろうと汲んであげ、配慮した上で訊いてほしかった。
このような、内側の人と外側の人との乖離を、私も別の件で感じたことがある。
私自身、ラブライブという作品のファンで、その作品性に、キャラクターたちの関係性に、演じる人たちの熱意に、心動かされ感動することしきりだった。今も作品を大切に思っているし、ファンも大半は悪い人ではないと思っている。
なにしろ内容が、多様性を尊び、拙さにも寛容で、思いやりにあふれた優しい世界観でありながらパワフルなベンチャー精神を鼓舞するような内容だからだ。
けれども、偏見の目でみられやすい美少女ものかつアイドルものでもある。大ヒットしファンを大量に抱える中で、やはり外部の人からは「気持ち悪い」と思われる部分が、ことあるごとに抜き出され続けてきた。
全身にキャラ缶バッチをつけた人や特攻服を来た人が徒党を組んで街を闊歩しているだとか、ファンが聖地の甘味処で騒いだだとか、あるいは殺人事件を犯した学生がファンだったとか。
そういう悪評に繋がりそうなことを、ネットの暇人たちは目ざとくみつけてきて、そのたびに作品のファンの呼称であった「ラブライバー」は、ネット上においては蔑称として認知されていった。
実際にそれ単体で迷惑を掛けているとは言い難い「痛ファッション」などについては、私自身はいい歳のおっさんでありグッズ収集欲も見せびらかし欲もないとはいえ、
あまりに叩かれるのが不憫で擁護していたりもした。もっと生暖かい目で見られるくらいでいいとは思うのだが、やはり外部の人は弾圧の対象にしたいくらい気持ち悪がるものだ。
ネットを見ていると、非ファンの人が触れる情報は、そういう「ラブライバー」を揶揄するものばかりだから、「あの作品はクズのキモオタ・ヤンキーの集まりなんだな」という印象になってしまっているだろう。
けれども、私が街や劇場などで目にし、触れてきたファンの若者たちは、平均的な若者たちと大差なく、基本的に礼儀正しく、親切で、真っ当なバランス感覚を持っている人が多かった(あとカップルが多すぎ)。
その乖離は、私が運良くファンの一員として内側に居たからこそ気づけたようなもの。
もし2013年のあの時、偶然スクフェスをDLせず、ネットに篭ってゆるいアニオタを続けていたら、ラブライバーにいい印象は持っていなかったと思う。
それほどまでに、「理解しがたい奴ら」への「嫌悪感」は容易に人の心へ侵入してくるものだと言うこと。
2ちゃんのファンが集う板でも、「前は『ラブライバーwww』って見下してたけど…」という人はよく見かける。
けれどもそうした人は、ラブライバーdisで溢れているメジャーなまとめブログのコメ欄などには行かなくなるし、可視化されない。
結果として、他人の醜態を嘲る卑小な感性の人々の持論ばかりが、ネットの総意になりやすい。
同じようなことは、もちろん他作品でもある。○国嫌悪だとか、著名な人、政治家・芸能人・経営者への態度でも起こりうる。
そういえば私はその前に、堀江貴文さんに関しても同じことを経験していた。
彼がなぜ罪に問われたのかについて興味をもって、ニートで暇はいくらでもあったので、日本の司法や経済についてWebコラムや本を読み漁った。
いろんな方面の有識者の彼に対する見方を総合した結果、彼は過剰に批判されていると私は判断した。
そして、むしろ彼の才能や考え方は尊敬に値するものが多いと感じてファンになった。もともと自分の思想傾向が彼同様リバタリアンに近かったせいもあるだろう。
もちろん世間の感覚とは真逆だ。いつまで経っても彼を「でも犯罪者でしょ」と思考停止して評する人が多いのは、息苦しいがどうしようもない。
ただ、彼が他と違うのは、今でも著名な大学に招かるなど、風評と切り離して是々非々で評価する人たちからは求められていること。
彼に限らず、歯に衣着せぬ物言いをする人は、どうしたって悪印象を持たれ、する事なす事マイナス補正が掛けられる。
それでもやってる事が保守的な職人キャラなら好かれることもあるが、破壊的急進的な行動様式の持ち主であれば、多くの日本人は嫌う。
私は「叩かれまくっている人から良さを汲み取れるオレカッコイイフェチ」になっているのかもしれない。
ほかにも、極論ばかりと叩かれる池田信夫だが、氏のブログは普通に勉強になることが多い。感化されて『資本主義と自由』や丸山真男を読むようになったり。
一種の中二病と笑わば笑え、それでも「安易に悪意に染まらない」心という得難いタレントを得たと自分では思っている。
話を戻すと、増田が難儀なのは、コスプレの世界に踏み込みそうなのが彼女だと言う所。
これが自分自身であれば、まだ傷つくのを恐れず飛び込んできちんと判断してやろう、という良い選択肢があるのだが、そうは行かない分、慎重になるのは分かる。
もし、増田があげた彼女のくだりが虚構で、コスプレへの嫌悪感を表明するための方便だったとしたら、この下衆がと罵倒してやりたい所だが、本当にそういう事なら、提案がある。
彼氏彼女の仲なのだから、二人そろってコスプレに参戦してみたらどうか。
彼女を守りつつ虫除けもできるし、彼女にとってもその方が嬉しいし楽しめるだろう。
コスプレの元ネタ作品を一緒に鑑賞する機会などもつくれるし、一石三鳥だ。
それをせずに、彼女にコスプレの醜悪な部分ばかり語って忌避するように仕向けるのも手としてはある。
それも彼女が保守的な性格ならいいが、そうでなければ「了見の狭い男」と取られる可能性もある。
アイデンティティーが瓦解する。
私は誰だっけ。何が好きで何が嫌いなんだっけ。
得意なこと、苦手なこと。ちゃんとあるはずなのにうまく言えない。
私はなんで生まれてきたんだっけ。どうして生きているんだっけ。
私には400字語れる趣味さえない。私の人生は800字にも満たない。
きっとそういうことだ。
でもそんな人本当にいるのかな。
私の行動はいつだって衝動に突き動かされていて説明なんかできない。
やりたいからやっただけ。好きだから好き。嫌なことは何言われたって嫌。
そんなもんじゃないのかな。
私は自分を正直に表すことにこだわりすぎてるんだと思う。
価値観とか気持ちとかが先にあって、うまくフィットする言葉を探してる。
でもたぶんそういうことじゃなくて、論理的整合性の取れたきれいなものを作ったほうが楽。嘘でも。あーあ、馬鹿らし。
みんなきっと、挫折とか失敗とかそういうのあって、立ち直るなんて立派なものじゃなくて、逃げたりごまかしたり忘れたふりして、どんどん変な形になりながら生きてる。
そうやって折れたり歪んだりした、その形が個性だ。
なのに、企業ときたら、まん丸でつるっつるの人間ばっかり求める。
歪んでいることを責められる。
日本にはさ、わびさびって言葉があってさ、不完全なものは美しいって考えられるの。
好きだなあ、それ。
歪んだ湯呑みのさ、歪んでいる意味なんて考えないでさ、なんかいいなあ、味だなあって。
そんな風に見てほしい。甘えてるのは分かってるけど。
まんまるのつるっつるの方が役に立つんだろうしね。
はあ、就活やめたい。
⬛追記(3/21)
たくさんの反応ありがとうございます。
私がネットでこんな記事見たら「馬鹿じゃねーの」って一蹴してしまいそうなもんだけど、
ここの人は暖かいですね。好きです。
まだまだ就活序盤だし、あまり神経質にならず頑張ろうと思います。
元気出ました。ありがとうございます。
■おまけ
5年後に書いた
小生は二十代後半の高齢童貞であった。今は童貞であるのか、ないのか定かではない。
小生は童貞であったばかりか、女性経験は全くなかった。女性との会話時間は母親を除き、人生の累計で100時間もないだろう。それほど、女性とは縁がなかったし、いわゆる女性との交際に興味は無い。ただし、性欲は有った。通勤途中にはタイトスカートに欲情し、「触ったら犯罪だ」と思いぐっとこらえる程には性欲がある。そして、AV鑑賞と自慰が好きだ。
そんな小生が風俗にて女性と接点を持とうと決意したのは、内発的なものと外発的なものがあった。内発的なものは、AV・エロアニメ・エロ漫画、あらゆるエロメディアに現れる「セックス」(とそれに付随する前戯)が、それほど素晴らしいものであろうか直接経験してみたいと思ったからだ(結果的にはこれは裏切られることになる)。外発的理由は「童貞」というスティグマに小生が耐えられなくなったからだ。友人との会話で、風俗の話を振られて答えられないのが苦痛だったし、会社で女性体験の話題になったときに童貞であると告白すこともできず辛かったからだ。加えて、女性と接することが苦手であったから、性体験が一つの苦手克服のキッカケになると思ったからである。
丁度休暇の得られたタイミングで、意を決して風俗店へ行くことにした。小生が風俗へ行こうと思った理由を考えれば、挿入を経験しておく必要がある。ならばソープ一択と決断した。しかしながら、どの娘が良いだろうかと悩むうちに時間だけが過ぎていった。フォトショ職人の仕事が見事すぎて、どの顔も同じに見えた。しかたが無いので、高級店で髪と身長だけみて小生の好みに合いそうな娘(仮にXさんとする)を選んだ。電話で予約しようとするとお休みと言われた。事前の検討に要した時間が全て無駄になり、自暴自棄になった。もう、3日ほど自慰を我慢していたこともあり、女性であれば誰でも良いという気分に小生はなっていた。そこで、近所の大衆店の中から髪と身長だけを頼りにY嬢を選んで予約した。肩まで掛かるセミロングくらいの黒髪が綺麗だろうと期待した。
お店へ行き、ひとしきりの対応があった。この辺りは、一般的な風俗体験に丁寧な解説があると思われるので割愛する。
実際にY嬢と対面すると、フォトショ職人の凄さが分かる。外見の年齢は30代中盤か後半といったところだろうか。目の前にいる女性が美人であるか、そうでないのか判断がおぼつかない程に緊張していた。とても美人だと感じなかったということは、それほどではなかったのだろう。芸能人で言えば×××に似てると言う感想も持たなかったので、特筆すべき顔つきでもなかったのだろう。髪は綺麗な黒髪のセミロングだった、顔は厚化粧だった。これから一体どうなるのかと不安だったが、何とかなるだろうと楽観的だった。小部屋に入って、小生が童貞であることを告げると、それほど珍しくもない様子だったので安心した。
人生で初めてのキスをした。AVで何百回も見ているキスであったが、実際に体験してみると気持ちが良いという感じはしなかった。感想としては生暖かいコンニャクを口の中に含んでいるというものだった。服を脱がしてもらい、Y嬢も全裸になった。ああ、これからセックスするんだと思ったが全く感情が湧いてこない。ところで、小生はクリスマスに街を歩きながら「今日、街を歩いているカップルはみんなこれからセックスするんだ」という妄想をして、帰宅後に自慰に耽るという大変想像力豊かな童貞だったはずなのだが、全裸の女性を前にして興奮は無かった。
小生はビジホのような風呂に入った。そして、小生が湯船から上がるとY嬢は小生の身体を洗った。Y嬢の胸が小生の腕や背中に当たったが、なんの感慨もなかった。小生が中学生のとき、下着のカタログに載っている些細な胸の谷間にさえ大興奮していたことを思い出したが、いま何も隠すもののない胸を見ても無反応だった。むしろ、他人に身体を洗ってもらうという行為そのものに新鮮さを覚えた。
続いて小生とY嬢は同じ湯船に入った。全裸の女性が目の前に居るのにも関わらず、そこになんの感動も無かった。風呂に浸かりながら、小さくなった股間をペロペロと舐めてくれて、生まれて初めて口内の感覚を知った。強弱を着けて吸ったりしてくれたが、それほど違いが分からなかった。もはや小生はどうやって性的に興奮して良いのか分からなくなった。
マットプレイをしてもらった。まず、うつ伏せでマットの上に寝転がり、Y嬢が上に乗っていた。なるほど、コレは気持ちよかった。その気持ちよさは性的な快感ではなく、全身をぬるぬるした温かい何かで覆われるという肌触りの快感だった。コレだけで値段分の価値は有ったと思った。その間にもゴソゴソと股間をいじってもらったが、一向に興奮しなかった。Y嬢は私の背後に居たので、小生は壁の一点を見つめていた。小生は仰向けになって、Y嬢は上に乗った。これまた、気持ちが良かった。ときどき、股間のイチモツを口に含んでくれたのだが、ここでは少し大きくなったがすぐに萎んでしまった。このとき、初めて女性の胸を触った。柔らかく張りが有った、しかし特に感動しなかった。それから、小生は乳首を含みながら股間のイチモツをシゴカれた。この授乳手コキが、その日一番精神的に高揚したプレイであった。そして、Y嬢はときどき耳に息を吹きかけてくた。これは息の熱さを感じとても気持ちよかった。
マットプレイを終えるとベッドでのプレイとなった。部屋を薄暗くすることになった。この時点で小生の股間は全く機能を果たしておらず、小さくなっていた。ここで、初めて女性の膣に指を入れた。膣の内側は温かく、ヌルヌルとしていた。ふと、中学生のとき好奇心で自身のアナルに指を入れてみたことを思い出し(今はぢが怖いのでやっていない)、人間の温かさとはこのことかと理解した。クリにも触れてみて、なるほどこのような構造をしているのかと感心した。ベッドでは、Y嬢が股間を舐め、膣に挿入してくれた。しかし、行為を行っていくうちに小生のイチモツは小さくなってしまった。なるほど、「セックスとはオナニーほど気持よくない」という友人の名言を思いだし、その意味を知った。口に含んでは萎えるというルーチンを2回ほど繰り返してしまったので、小生は手で射精するということを提案した。
結局、Y嬢は激しく手で小生の股間を刺激してくれて射精となった。射精の後、身体を洗い、拭いてもらい、服を着て退店した。
Y嬢は、作業の途中で色々と小生に世間話を振ってくれた。うまく返せず、申し訳ない気持ちが高まった。小生は、結局プレイの終始を情けない形で過ごしてしまったのだが、Y嬢の対応には何の落ち度も無く問題はすべて小生にあるということを付け加えておく。
結論から言うとセックスはオナニーとは全く別次元の行為であるということである。
AVは基本的に3人称視点で見るものなので、ソープで「自分の視界にY嬢が入っていないが、触覚で性的快感を感じるとき」という場面が多く困惑した。特に、キスやセックスは1人称視点では見えるものが少なすぎて困った。特に、セックスは3人称視点で俯瞰的に見て興奮していたので、1人称視点で見ると情報不足だった。
小生は日頃からコスプレモノあったり、ハイヒールやパンストを履いた女性の動画でオナニーしたり、制服レズキス動画や着衣パンチラ動画で性的欲求を満たして来ていた。しかしながら、ソープで提供されているのはそのような倒錯した性欲とは正反対の、全裸でプレーンな女性だった。したがって、小生が興奮することが出来なかったのは、性欲のフックとなる記号を見つけられなかったからと考えられる。正直に告白すると、小生が大学生くらいまでは全裸で興奮できたのだが、それ以後は全裸では中々興奮できぬ。今回は3日ほど、オナニーを我慢していたので小生の性欲が高まっていると判断したが、緊張には勝てなかった。ちなみに、好きなAVのシリーズは「制服美少女と性交」だ。
この点は、ネット上に散々言われているので繰り返えさない。膣の構造を考えれば刺激が単純であることは容易に想像できる。
この体験を総括してソープは楽しかったかと問われれば、あまり楽しくなかったというのが本音である。セックスは完全な形で出来なかったので、小生は童貞であるのか、無いのか定かでない半人前の童貞である。射精の瞬間以外にはほとんど興奮しなかった。店に足を踏み入れてからは、どうやって性的興奮するのか忘れてしまったようだったのがショックであったが新しい発見でもあった。これまで小生が感じてきた「女性に対する性欲」という幻想を木っ端微塵に破壊されたので、小生の性欲は果たして性欲と呼べるのかということに自信が持てなくなった。はたして、小生が街を往く女性を見て、あるいはAVを見て抱いていた欲望とは性欲と呼べるのだろうか? 女性との肉体的接触で満足が得られないとわかった今では、問に対する答えは謎のままである。
もっと綺麗で可愛い風俗嬢であれば、満足するセックスを行うことができたのだろうか? 多分、そのような問題ではないだろう。小生は有村千佳のようなAV女優が好きである。また、内田真礼のような黒髪ロング(いまは切ってしまったが)で短足の女性も大好きである。これからは内田真礼の水着を見て凄く性的に興奮していたという事実をどうやって受け入れればよいのか、小生には分からない。
昼寝もした、性交した、帰り道に腹一杯の食事をした。小生は人間の3大欲求のすべてを満たし、ソクラテスが言うところの「満足した豚」であった。これからは、この経験を活かして満足した「人間」として適度に性欲につきあいながら生活を送って行きたい。ただ、もう二度と女性とセックスすることは無いだろうと思う。
自分の性癖が確立され、他のものを受け入れる余地が減ってしまったのだろう。
昔は許せた事でも、些細な事が気になり気にくわなくなり受け付けない。
その事をTwitterなどで好きじゃないと呟きたいが、それをよくリプ飛ばしあっていた人が好きと知っているのでなかなか呟き難い。
今ならのユーリ!!! on ICEの勇利が苦手というより嫌いだ。
日本代表としてその他の人達を押しのけ勝ち上がったのに、あの傲慢且つ卑屈すぎるメンタル。
勝っても「僕程度が、僕なんか」と言って他の日本の選手の地雷を踏み抜き嫌われているだろう。
勝って世界で戦うのならば、せめて負けた人達がこの人に負けたなら仕方ないと思えるような意気込みや意識を見せろ。
家族や周りの人や故郷の人達の暖かい応援に対して言った「微妙な感情」についても、何を言ってるんだこいつとしか思えなかった。
競技を続けるにあたり両親にどれほどの金銭的負担があったか、夜遅くに押しかけて教えてくれる先生の気持ちを、リンクを貸してくれる幼なじみも、こんなに大切にされているのに感謝一つしてない所が非常に腹立たしい。
元々身勝手極まりない人間だったのに、神様であるヴィクトルが側にいて信じてくれさえすれば他は何も、どうでもいいという更なるクズになって終わるストーリーも受け付けなかった。
BLがどうのこうのというより、掘り下げる程のキャラクタ性もなくストーリーもない。
正統派スケートアニメという触れ込みだったのに作りたいもの、伝えたいものがぶれすぎていて結局「お前ら腐女子はこんなん好きだろwww」っていう舐めきった作品になってしまっている。
スケートアニメならもっとスピンやステップ、採点や演技構成など、今後実際のスケートを見るときに「ああ、これがユーリで言っていたやつか」と何かそのジャンルにプラスとして残るものくらい入れろと思う。
今年になって登山に目覚め、初心者なりに色々と日帰り登山を楽しんでいるのだけれど、
なんというかこう…ネット上の情報が、微妙に使いづらいといいますか。
「なんとなく登山に興味があるんだけど、どうやって初めたらいいのかな?」という人が
スムーズに参入できにくいように感じて、実際自分も多少困ったので、
その知見を共有しておきたいと思います。
(関東の人限定。他の地方の人に代わりになる適した山を誰か教えてください)
ちょっと前に、ヒートテックで登山はヤバイみたいな話がホッテントリに載ってた記憶がありますが、
高尾山程度であれば何着ててもいいです。何も買い足さなくていいです。
汚れてもいい普通の街歩きのスニーカーに、普段通りのあったかい格好で、普段使いのショルダーバッグを肩からぶら下げて、
水分とお菓子だけわすれずに、とりあえず高尾山に行ってみればいいです。
その際は、「ルート」を考えてみるといいです。
だいたいの山は、頂上に行くまでに複数ルートがあって、場合によってはスタート地点も複数あって、
という感じなので、往路・復路で「どのルートを選ぶか?」というのを決めるのが意外と楽しいです。
高尾山で言うと、1号路~6号路+稲荷山コースと、7種類コースがあるので、往復で被りなしの道を選んでも3回行ける。
その中で、自分の体力・興味のあることを考慮して、「下山後に美味いもの喰いたい/温泉に入りたいからここに下山しよう」
基本的にどのルートも目安の所要時間書いてあるので、下山が遅くなりすぎないようにだけ注意。
参考までに、自分が行った時は1号路(ケーブルカー未使用)で登り、5号路で頂上付近をぐるっと一周、6号路で下山、その後温泉。
みたいにしました。
どう?楽しかった?登山は自分にあってそう?みたいなことを自問自答して、
本格的に登山を始めるか。と思ってから、初めて道具を買っていこう。
2000m級の山に行ってテントで泊まって登って…みたいなことはどうせあと1年はやらないので、
一気に高額なものをドバっと買い揃える必要はありません。嫁にも怒られるし。
ヒートテックだと汗が中々乾かなくて気持ち悪かったり寒かったりするので、
ありものユニクロで済ますなら、ヒートテックの下にエアリズム着るとかで充分でした
買い足すなら、「ジオラインLW」っていう、モンベルってブランド版のヒートテックみたいなやつがあって、それを4000円で買えばいいです。
普段使いでも高性能版ヒートテックとして使えるので、嫁予算も勝ち取りやすいはず。
ここは割となんでもよくて、普通のボタンで止めるシャツでいいんだけど、こちらも下着と同じく乾きやすいといい。
山の天気は変わりやすい、というのもあって安価なレインウェア(要はハイテク雨合羽)を適当にAmazonで買えば安心です。
これは割と値段と性能が比例するので、財布と相談してください。
いいやつは、雨は通さないのに、蒸れないし、汗は蒸発する、なんかスゴイ快適なヤツになります。
数千円ので充分、1万出せば快適、2万出せばパーフェクト、自分は3000円のやつを愛用してます。汗かいたらぬぎゃいいんだよ!
寒い時期だと家から着ていって、暖かい時期だとリュックにつっこんどけばいいです。
あ、あと、ユニクロのウルトラライトダウンをくるくるっとまとめてリュックに突っ込んどくと寒い時はさらに防寒できます。
普段使いしづらい衣類なので、買いたくない人は代わりにダウン着てけばいいです。雨降ったら逃げろ。
容量は30~40Lでいいです。背負うだけでなく、ベルトを前に回してカチッと止めれるやつ(大体ついてる)だと背負う時の負担が楽です。
要は杖です。安いと2本1対で2~3000円くらい?
これは実は最適解がまだわかってません。でかい靴屋に行って、「軽登山向けの靴くれ」って言うのが一番?なのか?わからん。
木の根っことか石とかを登山中に踏んで、足首がぐに!ってなることがあるんですよ。
それを緩和するために、くるぶしの辺りまで覆うミッドカット、
スケート靴とまでは言わないものの、足首ガッチリガードのハイカットと種類がありまして、
値段・靴ずれの恐怖・足首の自由度・足首の安定性とかを天秤にかけて選ばないといけないというハードモードです。
自分はくるぶし部分靴ずれが怖かったのでローカットの軽登山靴(1.5万)を勇気出して買ってずっと使ってますが、
足首に多少不安があり、次回は足首サポーターをつけて差を確かめてみようかなあという感じで、
とても困ってるというわけではないけど、これで十分、と満足しているわけではない、みたいな微妙な感じです。役に立たなくてすみません。
念のためもう一度いいますが、高尾山に行くだけなら↑は参考程度で、マジで何も買わなくて大丈夫です。
あと、同じように「よくわかんないけど友人に誘われて買って登山してみたけどあわなかった」「靴の形が合わなくて」
みたいな人が結構いるので、ヤフオクなりメルカリなりで中古を買う、という手もあります。
準備は整ったので、あとは登るだけです。
高尾山と同じように、「どの山を」「どのルートで」登って下りてくるか。
「装備」に関しては最初に上げたような三重苦で困りますが、山選び・ルート選びに関してはネット上の情報はかなり参考になります。
「関東 山 初心者」とか色々ぐぐって調べて、自分の行きたい山に行こう。君は自由だ!
初の300user超え…ここまで注目されると思ってなかったので、ちょっと驚いてます。
ブコメも非常に参考になるので、ぜひ皆さん合わせて御覧ください。
(ヘッドライトをお守り代わりに持っておこう、というのはうっかり書き忘れていたので助かりました。
せっかくなので、蛇足と言えば蛇足なんですが、少しだけ追記します。
電車とホームの間の隙間、危ないけど、その隙間に落っこちることなんてそうそうないですよね。
でも、どれだけ気をつけていても、SUICAのチャージ忘れてて改札に引っかかる、そんな経験ありますよね。
その辺を勘案して、自分はどの程度の準備をするべきだろうか?というのを考えていただければと思います。
(余計迷わせるようなことを言うオチ)
長期休み以外は週に3、4回は会っていた、親友ともいえる友達がいる。仮にAとする。
Aの家は中途半端に貧しい。母子家庭だが上の子ふたりを私大に入れられるし、本人はバイトをしていない。学費のためにバイトに追われるレベルの貧乏ではないということだ。
しかし、寒がりなのにコートが買えず、ペラペラの服を重ね着している。それで凌げる訳もなく、いつも寒いと言っているし健康被害も出ている。
2000円のアクセサリーを「高い」と言う。700円を超えるランチも「高い」と言う。「8000円のコートって安いよね」という発言に共感してくれない。些細なことだが、こういったことの積み重ねにより、確実に「違う」と分かっていた。
いちばん引っかかるのは、毎年ずっと1000円程度の誕生日プレゼントをくれていたことだ。私は、はじめはそのくらいで様子を見て、仲が深まってきたら金額を上げていくのが普通だと思っている。しかし、Aはそうではなかった。金額を隠す努力をしないので、容易に1000円程度だと分かってしまった。
前から欲しかったナイキのスニーカーをもらった、ディナーに行くとサプライズでケーキが出てきた、といった友人たちの話を聞くと「そういうことだよなぁ」と思ってしまう。
お金が無いからではなく、上記のようなことを私にやる価値がないと思っているからかもしれない。「お互いに親友だと思っている」という確信が持てるほどの色々な出来事があったのに、プレゼントの内容だけでそんな風に疑ってしまう。
最近は別の友達とよく遊んでいるのだが、とにかく楽だ。バイトをしていないという点ではAと同じだが、上ふたりを大学院に入れられるくらいの家庭で育っている。10000円を超える服を着こなし、当然暖かいコートも持っている。何にでも興味を示し、私が声をかければ交通費だけで15000円ほどかかる場所でも一緒に行ってくれる。海外旅行にも乗り気である。
オシャレな店で1000円ほどのランチを食べ、ショッピングを楽しみ、疲れたらカフェでお茶する、という王道の遊び方ができるというだけでかなり楽しい。都心に出ても食事とショッピングしか楽しめないようなところに住んでいるからだ。
交通費のかからない場所を探したり、高いと思っていなくても「まぁあそこは高いからね〜」と言ったり、持ち物の値段を言わないようにする努力をしなくてもいいのがこんなに楽だとは思わなかった。
Aはガチの貧乏ではないので、お金のかからない遊びを知っている訳ではなかった。こういうところが、中途半端な貧乏の不幸だと思う。
成人しているのに100均や300均で買ったものを誕生日プレゼントに選ぶセンス。お金のかかる遊びが制限される不便。新しいものに興味を示せない感性。
これらが貧しさにより生み出されたものだと分かっていても、一緒にいる上でがっかりしたり、傷ついたりしてしまう。
誰にも相談できず困っていたが、いま、Aとは縁を切ることにした。
当たり前だけど、合わない人と無理に仲良くする必要はないよね。
東京って言うか、暗ければ新宿でも歌舞伎町でも取れると思うよ。
表通りは他が明るすぎるけど、路地裏とかビルの間とかで設置して見たら、多分オモシロいネット記事になると思う。
まあ、時期的には啓蟄のあとがいいだろうけど。
よく不幸だとか底辺だとか増田は問題にするけど、結局どうなりたいの?
健康でいて、衣食住に困ってなくて、比較的暖かい気候の土地で木造の北欧住宅に住んでいて、近くに湖畔があって植物も豊富なの
陽は暖かく天気のいい日は外にテーブルを持ち出してそこで家族そろって食べる
俺と奥さんと息子と娘の4人で笑いながら食卓を囲んで飯を食う
俺の両親はもう死んでしまってるけど、大往生していて写真とか飾ってあんの
仕事行ってくるーっていって山で適当に薪を集めて街に売りにいくだけ、誰にでもできる仕事
家に帰ると家族が待っていてみんなで夕食を食べて満足して奥さんと一緒のベッドで眠る
きっと寝る前に神に祈りを捧げているんだろう
それ以上のものは必要なくてただ家族があってお互い愛し合って楽しく朗らかに健康的に暮らす
そんな暖かくて全てから許されたような生活が俺のイメージする幸福です
社会に出れば心の中で悪態ついたりあれが欲しいこれが欲しいと思っても
本当に欲しいものは手に入りません、一生
なのでもう諦めました
もし宇宙が生まれ変わったらこんなイメージの幸せな世界に生まれ変わりたいです
それくらいが唯一の希望です
何もかもがしっかりと積み重なった雪の層。
その下に、小さな蕾が眠っている。
空は暗く雪ばかりだった草原に、今年は珍しく日が射した。
しかし、長年積もった雪はお日様の微かな暖かさではちっとも溶けて行かず、むしろ少し溶けた分だけ雪面は醜くなっていった。
やがてお日様は雲に覆われ、またいつも通りの日常が戻った。
蕾が人生で二度目にお日様の暖かさを感じたのはその二年後だった。
蕾は二年前の悲劇を思い出し、怖じ気付く。
しかしその暖かさは、お日様のように皆に薄く平等に与えられておらず、蕾だけをひたすら暖めていた。
それは暖かい人の手だった。人の手は自らの手を冷たく冷やし、それでも雪をとっぱらった。
蕾はその人の手が見たかった。その人の手が見たい一心で、今度は自ら雪を溶かすようになった。
さらに水の代わりに与えられた養命酒が、蕾の冷え性を改善し、雪を溶かす助けになった。
雪はまだ降るー。
しんしんと降る雪を見ていると時々、自分が雪に埋もっていた頃を懐かしく思い出す。あの時私を散々苦しめ、そして守ってくれていた雪の壁はもう無い。
しかし、どんなに雪が降っても、もう雪に埋もれることはないだろう。
今日、ショコラトリーにチョコレートを買いにいった。一粒400円くらいのちょっといいやつ。明日のデートで渡す用だ。
外を歩いているときなどは寒いから大丈夫だけど、電車の中などは暖かいので長時間はよくないという。
今日、家へ持ち帰るのは短時間だから大丈夫だが、明日のデートでは電車も行きかえりで1時間以上になるだろうし、食事処や映画館でも暖房は効いているだろう。2~3時間では済まない。
悩んだけれど、そのチョコレートを買うのはあきらめた。明日、待ち合わせ前に駅前のデパートで売られているチョコレートを買おう。
なんだかんだ大丈夫なんじゃないかという気もしたけど、チョコレート大丈夫かなと不安になるのはいやだし、一度不安になりだすと不安が募ってチョコレートを渡すことができなくなる可能性もある。家では冷蔵庫に入れておくように、ということだけれど、一晩冷蔵庫に入れておいて匂いがついたりしないかも気になる。
いいチョコレートってデリケートなんだな。そう思ったとき、ふと2年前を思い出した。
2年前のホワイトデー。彼は会うなりチョコレートの袋をおしつけてきた。「ホワイトデーのお返し。さっき買ってきたよ。」そのときはなぜ、わざわざ「さっき買ってきた」などと言ったのかよくわからなかった。
「ホワイトデーなんてすっかり忘れてたよ。さっきふと思い出して、くる途中たまたま通りかかったお店で買ってきたんだ。」そんなニュアンスかと思った。本当にそうではなくてもそういうポーズというか。
それまで高級なチョコレートなど買ったりもらったりしたことがなかった私は、家に帰ってチョコレートの箱を開けて驚いた。開けた瞬間にそれまでかいだことがないような複雑なよい香りがした。人生で一番おいしいチョコレートだった。
あの時の感動があったから、今日、そのショコラトリーにきたのだ。
2年前、彼はここにチョコレートを買いにきたんだな、ふとそう思ってドキっとした。
こんな扱いの面倒なチョコレートを買わなくてもホワイトデー前なんて適当なものがどこにでも売っているのに。わざわざ会う直前にお店に買いにきてくれたのだな。
それに価格、、、。彼がくれたのは結構たくさん個数が入っていた。なかなかの価格だ。私はそこまで出せない。
彼はあのとき、私のことを本当に好きでいてくれたんだな。...いや、わからない。でも、私のことを思って行動してくれた時間が確実にあった、その実感がふいに感じられて、2年も前のことなのに、ふとありがとうと言いたくなった。もちろんもうずっと連絡もしていなくて言うことはできないけれど、心の中でありがとうとつぶやいた。