はてなキーワード: 大前提とは
んだけど、私の考えは少数派かなと思うのでここに書く。(多数派に攻撃されないかと怖いから)
事件概要としては、Adoが他の歌手とコラボしたことについてSNS上で否定的なリアクションがあったらしい。
具体的にどれのことなのかは分からなかったけど、Adoとコラボ相手は釣り合ってない(コラボ相手の方が格下?)から嫌だみたいな意見があったのかな。
それに対してAdoがお気持ち表明していて、主張を要約すると概ね以下だった。原文はまあSNSを見に行ってもらえると。
まあ要するに、「マイナスの意見をSNSで言うんじゃあねーよ」って趣旨なのかなと思った。
言うにしても言い方考えろや、みたいなニュアンスというよりは「マイナスの意見をSNSで言うのは邪悪な人でなし」「言うな」という主張なのかなーという感じ。
気持ちは分かる。
せっかく楽しんでもらいたいと思ってやったことが楽しんで貰えなかったり、自分ならまだしもコラボ相手を悪く言われるのは辛いよな。
だけど、クリエイティブやエンタメをやってる側が「マイナスの意見は思っても言うな」っていうのはひどく身勝手だなーって思っちゃったんだよな。
わざわざリプライして攻撃するとか、これみよがしな当てつけとか罵詈雑言はさすがにねーわと思うよ。
そういう明らか悪意でやってんのは限度超えてるけど、「あのひとは好きだけど今回のは残念だったわ」とかつぶやくのもダメなのか?
もしそうなら、FF14は好きだけどあのインフルエンサーは起用してほしくなかったわ、みたいなことを言うのもダメってことになるじゃん。
もしそうなら、パルワールドのキャラクターデザインには本当に不愉快にさせられた、みたいなことを言うのもダメってことになるじゃん。
残念だった、嫌だった、期待外れだったみたいな感想を言うのは「想像力も優しさも配慮もない無神経」なんだろうか?
それに、クリエイティブを世の中に公開したときにマイナスの反応が出ることを押さえつける、否定するのって提供側としてあるべき姿なのか?
クリエイティブやってれば思ったとおりに受け取ってもらえないことや、逆に迷惑に思われちゃうことだってよくあるじゃん。
表にアウトプットを出す以上、そういう反応が出ることもひっくるめて覚悟キメる必要があるんじゃないかなーって思った。
さよなら絵梨でも主人公の父親が言ってたじゃん。創作やってれば自分が傷ついちまうこともあるって。私はこの感覚・価値観大事だなあって思うんだよな。(今回は創作物自体というよりコラボについてではあるけれど)
なもんだから、クリエイティブをやってる側が「私が正しい、お前たちが間違ってる、正せ」ってよう言えるなあって。
自由な意見を配慮に欠けた言葉として区別して、攻撃された傷ついた、傷つけた人間は悪、ってドツボにハマってるのはAdoの方なのではと思ったりした。
「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」とか、畜生ムカつくなあ今に見てろ、みたいなマインドが大事というか。
「私は嫌だからブロックする」っていうのと「こんなやつはブロックされて当然の人でなしだからブロックする正しさが私にはある」ってのは全然違うというか。
もちろん何を言われても我慢するべきって言いたいわけじゃないよ。中には行き過ぎた、腹に据えかねるコメントもあったんだと思うよ。
なら「こういうのはやり過ぎ」って話を限定するなりがよかったんじゃないかなあ。
あのお気持ち表明に周りの大人もだれもフォローしなかったのか? って思った。
もし本当に「SNSでマイナスの意見を言うのは悪」「マイナスの意見がない状態があるべき正しい姿だ」って思ってるんだとしたらかなりヤバいし怖いな、って思った。
世の中の風潮としても、マイナス意見は絶対悪みたいな流れがある気がしてよけいに怖さを感じるんだよな。
私は「これはよかった」「これはおもんなかった」みたいな色んな意見が言える世の中がいいよ。
まあそんな感じ。
気がついたらトラバ・ブクマがたくさんついていた。色々な意見・反応をしてくれてありがとう、たぶん全部読ませてもらった。
中にはちゃんと読んでから書いたのか疑問なものとか、私がうまく伝えられなくてすまないと思うものとか、あるいは当てこすりだったり暴言だったりするなーとか思うものもあったけど、なるほどと思うようなものやそういう見方もあるんだなと膝を打つようなものもたくさんあった。
なんにせよ、疑問だなあと思って書いたものに素直に反応してもらえるのは本当にありがたいし、全員に感謝したい。
もらった反応のうちいくつかピックアップしてコメントしたいなと思う。せっかく書いてもらったのに全部に反応できなくてごめん。
あの文は
A「公開アカウントでコラボについてマイナスな意見を言う人間を否定している」
B 「公開アカウントでコラボについて暴言を言う人間を否定している」
C「公開アカウントで引用rtやリプライ、DMなど本人に届けるかたちでコラボについてマイナスな意見を言う人間を否定している」
D「公開アカウントで引用rtやリプライ、DMなど本人に届けるかたちでコラボについて暴言を言う人間を否定している」
Dに対して彼が怒るのは真っ当。CとBもまあ理解できる。
これは私の感覚に近いと思った。
Dはさすがにないだろと思うし、BやCも発言する前にちょっと考えたほうが良いんじゃないかと思う。
私はAも含意されてるのかなと感じて、だとしたらそれはとても恐ろしいことだと思った。
この意見は私の思ったことをよりクリアに指摘してくれたと思う、ありがとう。
如何も何もアーティストがエゴサを当たり前にしていてそれが周知されてる時代に、公開でツイートするのって結局暗に見せるためにやってるんじゃないの?
別にadoだけでなく配慮して鍵でやってる奴らも、オープンにやってる奴らに対して「ああ攻撃するためにやってるんだなあ、鍵かけろやボケ」って思っとるぞ
「結局暗に見せるためにやってるんじゃないの?」には私は同意しないなあ。見せる意図なしにSNSに書き込むは普通にあると思う。
「まともな奴はそこを大前提に」っていうのも、何がまともかの線を引くにはちょっと勇み足な領域じゃないかなあ。
もちろん、だからといって何でも言っていいわけじゃないよね。言葉遣いや書き方をよく考えるのは必要だと思う。
前提となるコンテクストもひとつじゃなくて、前提が違うと受け取り方や判断が変わってくることもあるなと思った。ありがとう。
お気持ちは自由/好きすぎてコラボ相手を下手くそ呼ばわり、はコラボ相手を傷つけるから怒ったんだろう/大人の目線だと「好きすぎて周囲を傷つけて回るファン」はショーバイの邪魔になるファンだとも言える笑
商売の邪魔になるファン(と言っていいのか微妙だけど)を遠ざけるとか、ファンを教育・コントロールする意図っていう場合もあるんだね。
そういう発想はなかった。確かにそういう見方もあるかもしれない。ありがとう。
否定的な意見を書く自由もあるし、Adoがファンを選ぶ自由もあるのでは。Adoに対して「どんなに不服でも不愉快でも客扱いしろ」と遠回しに要求している自覚はある?
「どんなに不服でも不愉快でも客扱いしろ」には私は同意しないな。
「自分が嫌だから」客を選ぶのは自由だと思う。「こいつは排除していいやつだ」は違うかなと思った。
ファンの側も、出されたものに対して「これは嫌だった、面白くなかった」って言うのは(言い方はあるけど)自由だと思う。「これはダメなものだから引っ込めろ、やるな」は違うかなと思う。
あれはニコ動とかでよく見た古のオタク仕草では。コラボさせていただいてるんだから私を理由に相手方に迷惑をかけるなよ、っていう。//コンテンツの批判は良いがAdoを叩き棒にしてコラボ相手を殴るのはどうかと思う。
コラボ相手のことを悪く言うなよっていうのが動機として大きいんだろうなあとは思った。心情的にもビジネス的にも。
一方で、コラボコンテンツだとしてもプラス・マイナスどちらの感想も出てくるものじゃないかなとも思う。言い方かなあ。
Adoの書いた内容は個別事例を起点としながらも一般論として述べちゃった(と私は感じた)点で齟齬が生じてるような気がしなくもない。
そんな0100でとらえなくてもというか増田もだいぶ強めに受け取ってると思うけどなあ
大人が止めるほどひどい発言にも別に見えなかった…まあ私がそこまで彼女のことを知らないからかもしれんけど
彼女が百戦錬磨45歳くらいのベテランアーティストだったら増田の言うこともわからなくもないけど
Adoさんはそれこそ「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」のよくネットで見る言葉も元ネタもリアルタイムで知らないくらいの若い人でしょ
創作者やアーティストである以前にまだたくさん経験することがこれからある人間としてあのくらい感情が迸っても仕方ない醜い発言たくさん見たのかなって少しわかってあげてもいい気がする(若いファンの人びっくりするほど過激なこと書く人いるしね)
何か言えばすぐ大きな話になってアーティストとしての矜持や凡百の創作論みたいなものが(こっちからは可視化できないけどたった一人の人間にいっぺんに何千何万分)ぶつけられるのネットって本当に不自由だと思うわ
彼女が何を言ったところで実際には増田が例に挙げたそれらすべての発言が今日から全部しちゃだめです!にもならないし、はいわかりましたやめます!ともなるわけないんだし
言いたいやつは誰に言われたところで言うしそこまでの力はAdoさんにも誰にもないんだからさ
増田が箇条書きにして書いた最後のことが一番言いたかったことなんじゃないのかな
もしそうなら、で例に挙げてるようなことはだいぶ拡大しすぎて捉えてると思うよ
「これはよかった」「これはおもんなかった」を言うなとは全然書いてないと思うんだよね…受け取り方かなあ
「増田が箇条書きにして書いた最後のことが一番言いたかったことなんじゃないのかな」っていう趣旨の反応をくれた人が結構いた。
私はAdoの書き込みを「本来マイナス意見は言い方に関係なく言ってはいけないものだし、言う人間は想像力も優しさも配慮もない無神経」って趣旨が含まれているかなと思った。
言うにしても言い方考えろっていう観点については同意。そりゃあそうだよね。
同じような意見をくれた人は多かったけど、この意見は順序立ててあって書き方も丁寧だったからピックアップさせてもらった。ありがとう。
「コラボ相手に見えてしまう場所」のレベルが個々人の受け取り方で違う
あと「配慮に欠けた言葉」も多分、一人一人で思ってるレベルが違う
「コラボ相手に見えてしまう場所」→引用リポストやAdoのポストへの返信ぐらいのレベル(→コラボ相手がエゴサまでして見に行ったら知らん)
もらった色々な意見を見ていて、これだろうなあと思った。
私は
「コラボ相手に見えてしまう場所」→パブリックに参照可能だけれど特にリプライはしていないSNSのつぶやき
「配慮に欠けた言葉」については、配慮というよりもマイナスの意見全般について問題
って言ってるのかなと感じた。
書いてくれたもので例示されている内容に基準を置くと、わたしもフンフンそうだよねって思う。
この観点において、どう受け取るか、またどこにラインを引くか、が人それぞれで結構分かれるんだろうなと思った。
この意見と趣旨が同じ意見もたくさん書いてもらっていたんだけど、観点を分類・例示してくれて理解しやすかった。ありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20240126111326
長文だから引用しきれないけど、上記のトラバは後半ちょっと関係ないというか牽強付会な議論かなとおもったけど、前半の「トキシックイエスマン」という概念を用いて困ったファンっているよな、という話をしているのが興味深かった。
私は今世間で話題になっている某ゲームの数々の盗作を絶対に許しません!
そのゲームはクリエイターたちが丹精込めて作った知的財産に手をかけキャラクターデザインとその要素を盗み取りました!
そしてゲームシステムのアイデアをあたかも自分たちが考えたかのように扱いました!
ましてや実在の人物の肖像権を犯し侮辱し裁判まで起こされたのは自業自得!
「ポケモン」ってなんですか、完全にカプセル怪獣を真似てつくりましたよね!?
サイホーン/サイドンなんてほとんどシーゴラス/シーモンスだ!
ヒトデマンの設定は完全にウルトラマンだしアニメ版のあの鳴き声はふざけているのか!
メタモンはDQのスライムをピンクにしただけ、ミュウツーなんてほぼフリーザ様のデザインでしょう!
冒険して出会ったモンスターを捕まえて仲間にし育てて冒険する、完全に
そもそも冒険RPG!D&Dのパクリじゃないですか、これは大変なことですよ!
沢村さんのサワムラーや海老原さんのエビワラーなど、存命人物の生モノなんて絶対しちゃいけないですよね!
そりゃユリゲラーさんも訴訟しますよ、絶対に許しちゃいけません!
・・・え、もう本人は許した?みんな有名な話?
歴史を紐解くとポケモンさんが行ってきたのは「パクリ」ではなく「オマージュ」だったようです。
なるほど、ではパルワールドさんも「オマージュ」だから大丈夫ですね!
オタクさん「それは違うよ!ポケモンのは笑えるオマージュだったけどパルワールドは許されない盗作だよ!」
よくわかりませんが大丈夫ではないようです。なぜでしょう。
仮に今回の件を任天堂が提訴し裁判になったら問題なのでしょうが、今のところそのような話は聞きません。
現段階で誰かが非合法に直接の被害を被ったという様子も見られません。
「クリエイターのやる気が削がれる!」
ただすんなりと飲み込むこともできないので、一つずつ見ていきましょう。
清貧で潔白な心の持ち主の方に多いのですが、何かを利用して金儲けすることが汚いことだという嫌儲思想の方が多い気がします。
そもそも最初に挙げたポケモンのオマージュも金儲けのためだと思いますよ、話題づくりのために利用したと言えるでしょう。
企業として営利目的或いは営利を妨げない範囲での活動は自然なことなので私は良いと考えていますが。
必要かは知りませんが、それはそれとしてあると思いますけどね。
二次創作にも言えますが、お金目的だけが目的の創作ってかなり精神削る作業です。
全然好きじゃなかったらあんなに魅力的なキャラ達の作成はできないと推測します。
(推測というかただのお気持ちですが、ていうか別にいらないでしょそんな感情)
・・・まぁ関係者の方でちょっとあれな過去の発言があったらしいことは擁護しませんが。
プロの方が言うのはわかります。生活を守るためでもありますし、立場での主張があるのは当然のことなので。
基本的に私は合法であれば何してもいいと考えている人間なので(これについてこの後少し話しますが)近年よく上がるAIによる画像生成の話題なども概ね賛成なんですね。
ただそれでクリエイターの方々に損害があるのは嫌なので、必要であれば適切な法の制定やそれに関する活動はどんどん行うべきだと思うのですよ。
今回の件で権利を守りたいという意見もそういう類のことだと思います。それはいいです。
しかしこれ、趣味で絵を描いてる方や創作活動をしていないような方がよくお話しされているように見えました。
よく意味がわかんないけど、こんなのでやる気なくすならやめればいいじゃんと思いました、趣味なんだし。
マクロな視点を持ち出して(主語を大きくして)「クリエイターが育たなくなる!」という方もいましたが、別に関係ない気がします。
まず絵とかって模写して参考にして絵柄を真似てなんかしてうまくなるものじゃないですか。
そういうことを趣味でしてる人がこの件を叩けるとは思えないんですよ。(営利が関わる場合話は変わりますが。)
だからこれについて話してる人の多くって自分の創作に満足できてなかったりただのワナビーだと思うんですよ、偏見ですがそういう人ってすごい模写などを嫌いますし。
結論、すみません、これについては本当に理解できませんでした。
業界を盾にして自身の不快感を何とかしてるように見えませんでした。
いろいろ書きましたが、不愉快に感じている方が多いのは確かです。
なぜ不愉快に感じるのか、先に挙げた意見もありますが、そもそもパルワールドを「ポケモン」だと勘違いしてるからだと思うのですね。
「パル」に銃撃をさせたり暴力行為をすることが「ポケモン」への侮辱になるという方が多くいました。
そうですね、公式でもない第三者がポケモンの二次創作でそういう描写をしたら大変ですね、例のMODは明確な侵害だと思います。
でも大丈夫です、それを行っているのは「パル」なので。
勘違いしてる方が多いのですが、これは「ポケモンが好きな人」向けにつくったのではなく「ポケモンのような世界観が好きな人」のためにつくったものです。
そしてオリジナルの消費者には前者より後者の方が数多かったため売れたというのが現実です。
ポケモンライクな疑似餌ではありましたが彼らはポケモンを売っていません。彼らが仕掛けた本当の餌は違う世界です。
その世界が本当に素晴らしく大変面白くできていたため真に刺さり一発ネタで終わらず今もなお売り上げ数接続数を伸ばしているのです、ポケモンというコンテンツを自己のアイデンティティと見紛う程愛している方を除いて。
それでも本当に合理的な理由の元パルワールドのやり方を批判するべきだと思う人は同じようにポケモンの歴史も批判しなければいけません。それが条理です。
ずいぶん長く書きましたが、私が一番言いたいのは、
「空気悪くなるからみんな楽しく遊んでる中に入ってきて買ってもない部外者が無い権利を主張しないでほしい」
です。
「合法なら何してもいいとは限らない」というのはわかりますしモラルが大事なのはわかります。
ただモラルやマナーって時代やコミュニティによって違うじゃないですか。
それを全くの部外者が押し付けてくるのって相当傲慢だと思いますよ。
だから法律っていう大前提の根本的なルールがあるわけじゃないですか。
任天堂法務部の名のもとに主張をしていいのは任天堂法務部だけです。
わざわざXのリプライやディスコード、YouTubeのコメント欄に出張って遊んでる人自体の人格を否定してくるのは気持ち悪いです。
人格否定するならここや5chのような完全匿名掲示板で行いましょう、なぜならこんな肥溜めみたいな場所をわざわざ見る人はそういう覚悟がある人だけなので。
まず大前提として自分はパルワールドはポケモンのキャラデザをめちゃめちゃパクっていると思っている
その上でいろんなコメントを見てて思ったんだけど
「法的にセーフだからといって問題ないわけじゃない」とか「パクリ元へのリスペクトが感じられない」とか、
ゲーム制作に限らず芸術でも技術でも、パクりパクられその上に改善があったりしてこの社会は発展してきたわけじゃん
あくまで社会のベースとしては「模倣し放題、パクリ上等」で成り立っていて、その上で著作権者や先行者の利益を保護するために 例 外 として著作権や特許権等の法律が定められているんだよね
権利者の利益を保護するために社会の 例 外 として 特 別 に パクリを禁止している著作権等の法律は、同時に他者の権利(自由な創作など)を制限しているからこそ慎重に扱う必要がある
今回のケースで言えば、ポケモンとデザインが似ていることについて任天堂が訴えを起こし、裁判所がそれを認めて初めて「悪いパクり」になるわけで、それまでは外野がとやかくいうべきではない。
逆に言えば、裁判で認められる以外にこのパクりが悪であるという根拠はどこにもないはずなので
パルワールドをぶっ叩いてる人たちは、他者の権利を振りかざして別の他者の権利を侵害してるっていう自覚はあるのだろうか
無いから叩いてるんだろうけど
「嫌いだ」も「気に食わない」も好きに言えばいいが、「悪だ」と言う前にはもう少し冷静になってほしいと思ったので書いた
法哲学の議論を参照して「愛らしいから」=「他とは区別される特定の属性を持っているから寄付する」という考えが正義にもとることは肯定しつつ,寄付するべきではないという考えを批判してみる.
まず,正義は「等しきものを等しく扱う」ことが本質だとしばしば定義される.
かわいそうなポメラニアンと,かわいそうな黒い大型犬はどちらも「かわいそうな犬」という属性で等しく,両者に対して異なる扱いをすることは正義にもとる行為にあたる.
他方,慈悲,あるいは愛は,「等しきものを等しく扱わない」.
個体の属性ではなく,今まさに存在する「この個体」を救うことに関心があるからだ.
「かわいそうな犬」だからではなく,「この」かわいそうなポメラニアンだからこそ人は憐憫を垂れる.
法哲学者の井上達夫の言葉を借りれば,「愛の本質である個体性への関心と配慮が正義の普遍主義的要請と対立する」(井上達夫. (1986). 共生の作法: 会話としての正義. 創文社. 117.).←たしか近年新版がでている.
では我々は,正義にもとるということを理由に,特定の属性を持つ人々のために自発的に寄附を行うべきではないのだろうか.
何が「等しい」のかを民主的手続きに基づいて決定し,一応の正義を認めることができる主体である民主主義国家による再分配に我々の持つ金銭というリソースは委ねられるべきなのだろうか.
そうではない.
なぜならば,民主主義国家によって達成される正義は手続的正義にすぎないからである.
「正しい手続きを踏んだから,かわいそうなポメラニアンを救済することにし,黒い大型犬は放置することにした」.
これは本当に正義だろうか.
何が正義なのか,何が「等しい」のか,やはりその実体に踏み込んで考える必要がある.
この実質的正義と寄附を考える上で注目すべきが,この十年で存在感を増している「効果的利他主義」である.
昨今のオープンAIのアルトマン解任騒動で目にしたことがある諸兄もいるかもしれない.
効果的利他主義とは,簡単に言ってしまえば「社会全体にとって最も費用対効果の高い良いことをすべき」という考え方である.
ここでの費用には,金銭だけではなく,自分の時間・労働も入る.
かわいそうだから,というある種偶然に基づいて他者のためのリソース投下をするのではなく,コスパという等しい基準を置いてあらゆる利他的活動を比較評価し,最もコスパが良いものに投資する.
この比較には,「リソース投下に対する社会的インパクトを定量化できる」のが大前提になっている.
社会科学の素養がある人間ならばすぐに気がつくように,あらゆるものを同じ基準で定量化することは不可能である.
例えば,生命という多くの人が合意するであろう基準に関しても,単に生きていれば良いのか,健康寿命なのか,QOLによって測り方が変わる.
定量化の前提は,効果的利他主義の限界の一つとして指摘できるだろう.
効果的利他主義において,個体性への関心はどのように扱われているだろうか.
便益を最大化することにこだわることは,特定の目標との個人的な結びつきを否定することになる.例えば,「家族ががんでなくなったからがんの撲滅に情熱を注ぐ」という行動は否定されるべきなのかという批判に対しては,次のように反論している.
たまたまの理由だけで一部の人々のニーズを優先していることになり,もっと効果的に手を差し伸べられる人々に対して不公平である,と.(ウィリアム, M.. (千葉敏生訳). (2018). 「効果的な利他主義」宣言! : 慈善活動への科学的アプローチ. みすず書房. 42-43.)
そろそろ疲れてきてしまったのでまとめよう.
特定の属性を持つという偶然を理由として寄附をすることは正義にもとる一方で,民主主義国家を通した再配分には手続き的正義に留まるという限界がある.
実質的正義を追求するには,効果的利他主義のような一定の基準を持った上で,最終的には自分なりの正義を追求して寄附を行うべきなんじゃないだろうか.
なお,筆者自身は効果的利他主義者ではなく,単におもしろい考えの一つとして注目しているに過ぎないという点を申し添えておく.
だけど、現実はそうなっていない。
自民党裏金問題で明らかなように、私利私欲にまみれた政治家が法律を定め、行政がそれを執行する限り、
どこかに偏りがあり、見落としが生じる。
国の平等な救済から外れた部分を、個人が見つけて救済してやれば、全体として真の平等が実現する。
ある者は黒い大型犬が可哀そうだと寄付し、別の者はポメラニアンへの救済が不足していると考えてポメラニアンに寄付する。
個人の価値観の多様性を活かすことで、救済の幅を広げるのは悪いことじゃないよ。
俺は基本俺個人として何かしらの属性を救済するための寄付などはするべきではないと考えている
何故なら「誰かを助ける」という行為は同時に「助けない何か」を選定することでもあって、
例えば苦しんでいるポメラニアンの子犬に100円を寄付すれば助けられるという状況で100円を寄付するのは一般的には正しいとされる行為かもしれない
では、苦しんでいるポメラニアンの子犬と苦しんでいる黒い大型犬が並んでいて、それぞれ100円を寄付すれば助けられるという状況において、ポメラニアンにのみ100円を寄付するという行為は正しいのか?
というと、その「黒い大型犬を見捨てて愛らしいポメラニアンのみを助ける」という選定の思考プロセスには正義にもとる何かしらがあるように思えてならない
一般的に弱者とされる属性に寄付を行うという行為が差別みたいに言われることはまあまずないだろう
ただ俺が黒い大型犬みたいな立場だったとしたら「ポメラニアンは世間に助けてもらえたけどあなたは助けてもらえませんでした、何故ならあなたはポメラニアンのように愛らしくもなければ同情したくなるような顔もしていないからです」と言われて納得するだろうか?
『差別』という単なる単語の定義に当てはまるか当てはまらないかなんて当人には関係なく、目の前にあるのは属性のせいで選定されて助けてもらえなかったという不平等感と助からないというクソみたいな確かな現実があるだけで、
俺だけが救われない世界であるのなら、俺以外全員が救われない世間であった方がましだろうと俺なら思うだろう
俺は自発的な寄付などは行わない、ただし納税は当たり前に行っているし、再分配みたいなものは国を通してやるべきかと思っている
もちろんこの国は民主主義で成り立っている上に人間が運営している以上、上記のような問題が起こらないわけがないが、それでも個人が感情のままに救済のリソースを再分配するよりはましだと思っている
もちろん国はそのような偏りが出ないように注意を払って税を運用すべきであるのは大前提
こんな考え方をしているんだが、どうにも俺と同意見の人間が増えたとして世界が良くなるとは思えないから、どう間違っているのか教えてほしい
どうやら、大学の試験日は大事を起こさない為に痴漢も泣き寝入りするから痴漢のチャンスデーだ!
当然こんな非道で卑劣な性犯罪・性犯罪者は許されるべきでは無いし、法律が許す限りの厳罰を下すべきだろう。
もし可能ならば去勢刑に処したいとすら思う。身近の大切な女性がこんな奴らの被害に遭ったとしたら絶対に許せない。
絶対に復讐してやるだろう。痴漢がゲスで卑劣な存在であり只管憎いという思いには、痴漢冤罪の恐怖もあり、大抵の男性が同意するだろう。
しかしネットでは「男性の大半は痴漢予備軍」という言説を主張する女性が散見される。
曰く、男は女性を常に性的に狙っており、アニメや漫画を通して女性を見下し性の対象として見ているのだから、痴漢も本当はやりたがっているのだろうと。
まるで意味が分からないが、女性達は上記の事を『根拠』にして、男性に対し差別的な言動をするだけでなく、男児への加害をも肯定している。
ある女性によると「男は小さい男児の時に去勢すべきだ!」とまで言っている。それに賛同する女性達は少なくない。
痴漢を憎む気持ちは同じなのに、そんな汚らしい性犯罪者と男全体を同一視するのは、最大限擁護しても、背後から味方(男性)を撃つ利敵行為だろう。
もしかしたら「痴漢とは卑劣で唾棄すべき性犯罪者であり、男女共に許容出来ない存在である」という大前提が女性には認識されていないのかもしれない。
しかしそれは余りにも女性は男性を、ひいては女性は社会を知らないのでは無いか?という疑問に繋がる。
痴漢の様な性犯罪・性犯罪者を忌み嫌うまともな男性程、忌み嫌う存在と同一視される事には困惑する。
自分はまだ困惑するに留まっているが、忌み嫌う性犯罪と同一視される事に傷ついたり、怒りを覚える人もいるだろう。
そういった男性達に対し、セカンドレイプの如く「何故痴漢では無く女性達に怒るのだ!?やはり痴漢をしたがっているんだろうなw」
と煽る女性も少なくないが、「何故~」の下りは別に間違ってはいない。
何故なら、まともな男性を性犯罪者の様に罵倒する、という加害行為を直接行っているのは女性達だからだ。
直接の加害者に対し、被害者が憤る事を不審がる加害者というのは、痴漢という卑劣な性犯罪者に通じるものがある。
痴漢という穢らわしい性犯罪者連中と、男性全体を同一視する行為は、まさに女性達によるネット痴漢行為そのものなのだが
痴漢を憎むあまり、自分達が痴漢と同じ様な思考回路で異性に対しセクハラを超えた痴漢行為を繰り返すのは、ハッキリ言って理解が出来ない。
痴漢をする様な異常者は、女性達のそういった反応すら楽しむので、いくら痴漢行為に対し嫌悪感を訴えた所で何も意味が無い。
そして痴漢を憎む余りに一般男性に八つ当たりの様な形でネット痴漢行為を繰り返し男女対立の火種にしかならない嫌がらせ・同士討ちを繰り返すのだから
痴漢を憎んでいる筈の女性達が、痴漢を結果的に喜ばせるネット痴漢行為を繰り返す事が、本当に意味が分からず只管困惑している。
千葉市の新都心年表読みながら書いたけど、明るい未来を描いたスタートからその間に気を落とすレベルの出来事が世の中多かったなあ……そりゃここから先の開発にも疑問符つくよなあ…
この辺か。
https://www.city.chiba.jp/sogoseisaku/miraitoshi/makuhari/makuharishintoshingaiyo.html
1967(昭和42年)
都心部から30km圏、広大な埋め立ての可能な稲毛、検見川、幕張に計画人口24万人の海浜ニュータウン建設が計画された。経済発展と急速な首都近郊のスプロール化に対して都市を計画的に誘導し、良好な住宅地として整備することをめざした。
この当初の大前提からして、今から見れば哀愁しかないよなあ。こんな時代錯誤な前提に基づいた計画をまだ進めてるというのはどう考えても正当化できないだろうと思う。2010年代の記述を見てもそのままのノリで来ているように見える。
高度成長期の夢の残滓みたいな計画で進めてるくせに鉄道網が京葉線しかなくて総武線と乗り入れすらしてないのは矛盾してると思わないのかなあ。思ってても発言する気力のある人間がいないのか。
結婚してから数年経っていたが子宝に恵まれず、不妊治療の末の体外受精での妊娠だった。
また、出産も難航し、最終的には予定日から1週すぎてからの帝王切開での出産となった。
自分自身、特別に子供が好きと言うわけでもなかったけれど、「この世に生を受けたからには(可能な限り)子孫は残すべき」という思想があるので、子供ができたのはとても嬉しい。
2人目は経済的に難しいかなと考えているので人口増には貢献できないのだが。まあそれはしょうがない。
妊娠〜子育て(まだ1ヶ月も経っていないが)を経て、思うところが多々あったのでここに書き残そうと思う。
なお、自分で言うのもなんだが、俺はそれなりに妊活〜子育てまで妻をサポートまたは主体的に取り組んでいた方だと思う。
はじめに夫婦それぞれの検査をして、数値としては問題がなかった。
ここからの治療・対応としてはざっくりタイミング法→人工授精→体外受精という流れになるのだが、まあ男性側のやることがない。
然るべきときに備えて精子を溜めておくとか、運動とかして元気な精子を作っておくとかはあるけど、主体は完全に妻。女性。
人工授精あたりから妻は特に辛そうで、自己注射したり薬を飲んだり、副作用に悩まされながら、定期的にクリニックへ通っていた。
一方の俺といえば、行けるときはクリニックへ付き添うこともあったが、平日は難しいので土日祝日だけになったりした。が、行ってもやることがない。
妻の診察券を出して、待合室で1時間くらい待って、帰るだけ。暇である。
コロナのせいもあるかもしれないが、診察室に入ることも許されず、本当にただの付き添いにしかならない。
当然、辛そうな妻に対して「大丈夫?」とか「頑張ろうね」とか励ましの声をかけたり、妻の好きなスイーツなんかを買ったりして元気づけたりしようとするものの、あまりにも「不妊治療」に対してやることがないので、一種の疎外感すらあった。
男性不妊ではないことが確定した時点で男性側のやることがほぼ無くなるので、いわゆる「不妊治療に夫が協力的でない」というネットに溢れる愚痴はこういうところにも原因はありそう。だってやることないんだもん。
付き添い男性用に、不妊治療について・妊娠について・女性の体についてなどが学べるスペースでもあればいいのになと思った。
繰り返しになるが、大前提として妻の体調を気遣うような行動は取っていた。つわりが辛ければ食事を用意したり、背中をさすったり、元気づける声をかけたり。
妊娠してからは産院に定期的に通っていた。これも平日なので、行けるときは付き添うが、基本的には仕事があるので難しい。
なので「次回はxxがあるので来てほしい」とか言われたときには行くようにしていた。
が、これもまた診察券を出して待つだけ。暇である。
エコーをするところに同席させてもらうこともあったが、日によってはそれもない。無。
出産は妻に任せた、じゃあ俺は出産後のことを考えよう、と、保育園探しやら買い物の調査やらをやっていた。
そういう意味ではこの時期はそれほど暇じゃなかったかもしれない。
なお、男性育休は出産予定日以降でしか取れず、しかも出産が早まった場合には前倒すことはできない。また、予定日から遅れた場合にも後倒すことはできない。決め打ちである。
なんとも使いづらい制度だなと思った。男性育休が取れることには感謝はしているが。。
「初産の場合は出産予定日から遅れることが多い」というのは聞いていたが、とはいえ早く産まれたら仕事との両立はしんどいし、どうしたものかと悩んだ。
出産に向けて妻が入院し、自分も育休が始まったので、この間はやることがたくさんあった。
病院の都合で1日1回の面会で、差し入れを持っていったり洗濯物を回収したり。
出産後も同様。
ただ、ここでもまた疎外感を感じることが多々あった。
授乳や沐浴のやり方はもちろん、抱っこの仕方やおくるみの巻き方など、今後必要になる技術の伝授が妻に対してのみ行われるのである。
「え?俺も育児しますけど?眼中にないですか??」という気持ちになった。
病院にいる助産師の方々はそれぞれテクニックを持っていて、本とかネットに書いてない情報だったりする。
そういうのが全部妻にしか伝授されない。
そうすると何が起きるかというと、ネットで調べた知識しか持たない夫と意見がぶつかる。
夫が見様見真似でなにか行動すると、妻から「そうじゃない!助産師さんがこうだって言ってた!なんで知らないの!」みたいな叱責を喰らう。いやそれ聞いてないのよ。
なので妻に任せたくなる。見て学ぼうとする。でも妻も産後で体はボロボロなのでできない。詰む。
出産後しばらくはこんな感じだった。
なお、妻とは「情報格差がある」ということを認識合わせできたので、今は良好な関係に戻せた。よかった。
職場でよくある「タバコ部屋会議」を思い出した。俺のいないところで重要な話をされても困る。夫はいなくてもいいってことなのかなとすら。
全体を通して思うのは「男性をないがしろにしないでほしい」ということ。
出産は女性にしかできないので、女性が主体になるのは当然。だけど夫もなにかしたい。
何かしたいからネットで調べたりするけど、知らないことを知らないということもある。生理のこととか全然知らない。悪露って知ってます?俺は知らなかった。
また、育児関連の雑誌やらを見るとだいたい「ママがんばれ」みたいなことは書いてあるけどパパについては書いてない。書いてあっても「パパはサポート頑張ってね」とある。
あ、パパはサポートなんですね、育児の主体にならないんですね、みたいな気持ちになる。
俺頑張ってるよ?主体的に行動してるよ?
ママにはみんな「大変だね〜」というけどパパには言わない。「育休取ってくれたんだ。ありがたいね。ママを助けてあげてね」が限度。じゃあパパは誰が助けてくれるの?
褒めてほしいわけではない。ねぎらってほしいだけ。
主体的に行動しているパパは、ママよりも情報が少ないところから頑張ってるんだぞということを知ってほしい。
一晩でたくさんブコメやらをいただいていた。
「ねぎらってほしい」と書いたらたくさんの方がねぎらってくれた。優しい。ありがとうございます。
一方でこのエントリで書きたかったことがうまく伝わっていなかったり、書いてる内容に間違いがあったりもしたので、修正とコメントを追記する。
やってます。育児において暇だなんて書いてない。暇だったのは不妊治療の話。
食事の用意も買い物も掃除も洗濯もやるよ。もちろん、オムツ替えも調乳もミルク授乳も沐浴も寝かしつけも、育児記録をつけるのだってやるよ。やらないのは母乳授乳だけ。出ないからね。
不妊治療に関してはマジでできることが無さすぎて暇なんだよ。「暇」っていう言葉が気に食わないなら「蚊帳の外感」と言い換えてもいいかもしれない。
精子に問題がないとわかった時点で、あとは妻に頑張ってもらうしかない。
クリニックに行っても「あの男の人なんでいるの・・・?」みたいな視線を感じる気がするんだよ。自意識過剰かもしれないけど。
なにか参加させてくれって思うだけ。
あと、存在すら知らないことを調べるのって無理だから。何らかのキーワードありきで調べるしかないじゃん。でもそのキーワードで持ってるのって最初は「妊娠」くらいでしょ。
病院で出てきたキーワードを調べることはできるけど、そもそも診察に立ち会わせてもらえなかったらそのキーワードも聞けないんだよ。
妻から「こんな事言われた」がなきゃ無理。
それはその通り。情報格差という言い方が良くなかったかもしれない。
特に出産後の「妻は助産師からのフィードバック付きの実践の場が設けられているが、夫は一人でぶっつけ本番」になるのが辛いよって話。
ただ前述の通り、「存在すら知らなかった言葉」に出会う機会が少ないのも事実だと思う。医者と会話する場がないんだもん。
おっしゃるとおり。残念ながら参加できるタイミングがなくて、俺も妻もママ学級・パパママ学級に参加できなかった。
ただ、座学に関してはそれこそYouTubeの動画やネット情報等々でフォローはできたと思う。
その上で、前述の「フィードバック付きの実践の場」がほしい。座学やったら次は実習でしょ。
特に沐浴なんて、実際にやってみたら泣くし暴れるし、人形でやったところで・・・と思う。人形でやってないんだけど。
今はもう慣れてきたけど、経験した人なら最初の「これでいいのかな・・・怖いな・・・」という気持ちは理解できるでしょ?そのときに慣れてる人(助産師)が近くにいたら心強いでしょ?そういうこと。
あと、俺のいる自治体ではママ学級、パパママ学級はあるのにパパ学級はない。
また、ママ学級は3日間なのに対してパパママ学級は1日だけ。つまりママはパパより3倍情報がある。
その程度で褒めてほしいとか
男女間で環境に差があって、その中でもがきながら頑張ってる夫に対して、頑張っていることを認めてほしいだけなんだが。
「どうせ男は非協力的だから」みたいな態度が透けて見えるだよ。行政も、病院も、両親も、義両親も。
俺はまだ妻が理解してくれていると思えるからマシだけど、つらい思いをしている人はたくさんいると思う。
逆にパパ側が褒められててママ側はやってて当然みたいな態度を取られる
同情します。お互い頑張りましょう。
マジで、不妊治療も妊娠も育児も大変すぎる。これをこなした人は全員すごいよ。
全員すごい、それでいいのに、パパママ片方だけを上げるのがよくない。
男性育休は前倒しも後ろ倒しもできる
前倒しについてはおっしゃるとおり。間違ってました。ごめんなさい。
「前倒すことはできるけど、手続き最初からだから、有給使ったほうがいいよ」と会社から言われていたのを脳内で「前倒し不可」と変換していたようです。
https://web.archive.org/web/20240110065620/https://anond.hatelabo.jp/20240109205532
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240109205532
■中絶した知人
一年前に学生時代の同級生に実は最近中絶したと聞かされてからたまに思い出してしまう
その場ではみんなで慰めたけど正直モヤモヤしてる
結婚したいほど大好きだったし、大好きな相手の子供を妊娠できて嬉しかったけど、産婦人科で妊娠を確認してその場で中絶の予約したんだって
よくよく聞いたらピルも飲んでないし彼氏がゴム付けたら気持ち良くないからって避妊してくれないんだって
まあ大学院まで出てやりたい仕事についてて、当時はまだ新卒2年目で、彼氏とは遠距離で、結婚するなら今の職場は辞めなきゃいけなくて、仕事を優先させたい気持ちは分かるよ、私もその立場だったら妊娠はまだ、出来たら困る、って考えてると思うし、避妊はしてても何かの間違いで妊娠してたら中絶も検討してたかもしれない
その子にはその子の事情があって色々考えた末の出来事ということは分かってるけど、
その場ですぐ中絶を選ぶぐらい、今は産む時じゃないって分かってるのに避妊しないのが謎
できたら産むから避妊しないのも分かる、避妊しててもできちゃって仕事優先で堕すのも分かる、でも今回のケースみたいな経済的に自立してて結婚の話も出てる社会人同士のアラサーカップルが避妊せずにヤって、結果できたから堕しました、は正直いい大人が無責任だなあと思う
全て当人が決めることなのは分かってるし、こんなこと何もかも当人はおろか友だちにも家族にも誰にも言えないけど、その子への見る目が変わってしまったのは確か
元々不倫とか一般的に正しくないことに対して潔癖なところがあるから余計にこの手の話は苦手だなあと思う
誰にも言えないけど思い出しては勝手に悶々としちゃうからここで供養します
追記:自分が最近結婚して、子どもを検討してるので色々考え込んでしまうのもある、狙ってできるものではないし
会う頻度も少ないし近況も知らないぐらいの間柄だから知人って書いたけど、そんな辛いことせずに普通に幸せになってくれと思ってる、私に言われることではないと思うけど
悲しい気持ちがベースで、何でそんな馬鹿なことを……とかあの子はこれを一生背負っていくんだなあとかいい大人なんだからもうちょっとしっかりしてくれとか彼氏がクソとか子供欲しくてもできない人がいるのにとか子供欲しくないなら避妊しろとかいっそ産めばいいのにとかこれは正論パンチで自分の性格が悪いだけだなとかいやでも避妊せずにヤったらそりゃいつかはできるだろとか学生の時は幸せそうだったのに何でこんなことにとか自分が子供できなかった時に恨まないか心配とか結局今の彼氏と結婚して子供産むんだろうかとか今どうしてるのかなとか体は大丈夫かなとかこんな他人が悶々とするぐらいだから本人は余計だろうなとか色々混ざって悶々としてしまう
つい先日、花蓮と台東を続けて旅行した。はてブなのでネットの海に埋もれるのもあっという間だろうが、もし見つけてくれた人がいたら参考にして欲しい。
大前提として、花東は大変美しい地域だった。過ごしやすく、騒がしくなく、休暇先としては最高の場所と言ってもいい。日本からの観光客が増えないのが不思議なくらいだ。
日本の植民地時代以降本格的に開発された&元々原住民の多い土地柄とあって、台湾西側とは全く異なる雰囲気。台湾の多様性も直に感じられると思う。万人におすすめ。
ただ、以下のリンク先にもあるようにこと観光という点においては幾つかの(深刻な)課題がある気がする。
花蓮:台鉄の駅から中心地まではゆっくり徒歩で30分くらい。気にならなければ駅前、中心地のどちらで宿を取ってもいいと思う。タロコは文句なしに素晴らしい。が、最近はトンネルが通行止めで(特定の時間にのみ通れる)旅行の予定は立てにくい。公式サイトに情報は載っているがまあ土地勘がないだけに大変分かりにくい。個人旅行の場合は頑張ってください。花蓮の街自体は小さいので日中周辺を巡り、夕方以降夜市に行けば諸々1.5日程度で十分。だが、特に原住民のエリアは物珍しさをダシにか、多くの店があからさまに高い値付け。正直価値に見合っていないと感じた。コンテナのスタバの立地はクソ遠い。そういえば心なしか駅弁のご飯が台北よりも美味しかった気がする。お酒も原住民のテイストをベースにしたカクテルからクラフトビールまで街中で見つけられるので、概ね満足。もう少しゆっくりしてもいいなぁと思えた。
台東:もったいなすぎるcity第一位。ここで食べた台東名物の米麺は多分台湾で一番美味しいと思った。が、これと言った観光地が「自然」で、軒並み遠く、バイクですら若干躊躇するレベル。駅から空港、市街地がイメージ正三角形で結ばれている感じで、どこからどこに行ってもタクシーで250元前後取られる。バスの本数は極端に少ない。その癖ニコニコ現金払いしか対応していないタクシーが多く、準備がないとクソほど焦る。ハ?って感じだ。駅から市街地まで歩いて1時間以上はかかるので花蓮とも勝手が違う。また、全体的に駅前や郊外のどこに行っても「税金」が建設されている感じで中身がすっからかんな感じ。ちょっと心配になる。台湾好行という観光バスが一応交通の課題を解消するために出ているのだが、クソ。台湾ナビとかいうサイトには休日にはガイドがいるぞ、みたいに書いてあったがいなかったし、途中の停車駅は台風被害で何も見るべきところがないにも関わらず長時間停車。一つの目的地であるアミ族民族村みたいなところではパフォーマンスの時間と発車時間がかぶる。もうちょっとどうにかならねえのかよといったガッカリ感。酒に関しては地元の若者たちがお友達向けにやってるイケてる笑カクテルバーが多く、物によっては台北以上の値付け。台北のカクテルも大概高すぎると思うのだが、それ以上となると…。クラフトビールは作られてはいるっぽいものの、街中にそれを出す店が皆無。全部カクテルバーである。全く(酒飲み)観光客は楽しめない。仕方がないのでバスステーションにはビールが売っていて、オープナーもあるので裏手の公園で飲んだ。蚊に刺されたが路上パフォーマンスもあるので退屈はしなかった。おそらくここに来るのは温泉や離島までの中継か、豊年祭などのイベントごとの機会を捉えないとむしろヘイトを貯めることになりそう。先史博物館は一見の価値あり。ここでようやくプラマイでプラスって感じ。駅のすぐ隣にも巨石遺跡があるので電車待ちの間に行くとよろしい。
そもそも台湾の人たちはあまり酒を飲まない&少人数で食事をしないというのもあるのかもだが、交通の便が悪い観光地であるならば尚更、地元の食だとか酒だとかがをコンパクトに楽しめるようにしておいてほしいなあと感じた。また、台湾人全体的に建物や空間デザインは抜群に優れているんだが、作るだけ作って中身が無いという印象を受けることが多い。博物館や美術館、修復された遺構で特にそう感じることが多い。アートが苦手なんか?
いまいち地域性を感じられないこととか観光に対する本当にやる気あんの?感とかそういうところが今回の旅の一部のガッカリ感に繋がっている気がする。特に公共交通の悲惨さは内需が車移動で完結するから整備するインセンティブがないのだろうか?無駄な公共物に金を使わないで、こっち整備して。どうぞ。花東、全体としては(ここには書いてないが)満足している。みんなもっと行ってほしい。が、僕がしていたような過度な期待は禁物でもある。そこんとこ踏まえてぜひ楽しんでほしい。台湾は良いゾ!!
自衛隊は国民を守る組織ではなく国家の平和と独立を守り国の安全を保つための組織と法律で明記されてる。
だから災害救助は本来の任務じゃない、いうなれば「暇な時にやるバイト」だから災害救助の訓練なんかしないし、有事だろうがなんだろうが国民保護も同様にやらない(これは行政の仕事と決まってる)
国家の安全を守るための組織だから戦略的な意義がない地域は「敵国に占領されてもあとから取り戻せばヨシ」という発想でいいから兵隊は置いとかない。
どんだけ予算が増えてもあくまでも国家防衛のための組織の自衛隊が災害救助に優先的に予算を回すなんてことはないし、自衛隊が災害救助の訓練を強化するなんてこともない。
ネット見てると自衛隊ばんざい!から自衛隊はなぜ?みたいな論調までいろいろあるけど、
って超大前提が抜け落ちてる人が多すぎなんだよ。とほんとおもう