はてなキーワード: 不快感とは
相手を侮辱するような態度を取る人とか、相手に対する不快感を露骨に見せてしまう人とか、そんな「ちょっと理解しきれない人」と最近接することがあって、こういう人たちはどんな環境でいままで過ごしていたのだろうと、疑問に思ってしまう。
わかりやすい例をあげれば、「肉体労働のひとって臭いから近づかないで欲しい!」みたいな態度とか、「ブスとは話す価値がないから話しかけないで欲しい!」みたいな態度とか、「昼間から公園にいる男は不審者!」みたいな態度とか。
インターネット上の文章のやりとりならともかく、眼の前にいる人に対して侮辱したり露骨な不快感を表したりすることは、百害あって一利無し、自分にとって損しかないし、第三者的な視点で見かけても嫌な感じだし むしろリスクしかないのだけど、いい歳をしてそういう人って結構いる。
眼の前にいる相手を侮辱するのって、最悪その相手に刺される可能性もあるわけで、かなりリスキーな行為だ。
好き嫌いが態度に出ちゃうのは子どもの頃ならまぁよくある話ではあるし、普通であれば中学高校や大学あたりで他人のふり見て学習するはずなんだろうけど、いい歳をした社会人の中年になっても「露骨なひと」がいたりして、不思議だ。どんな環境でその歳になれば、こんなリスキーな態度を取れるのだろうか???
50も過ぎると本当に老眼がつらくて本当につらい
子供の頃から近眼の乱視だったけどメガネがあるとピントが合う距離を少し遠くにできてそこから手元までは確実にちゃんと見れた
でも老顔になるとなんというか全体的にピントが合いにくくなって裸眼の15センチくらいまでの距離が一番心地よくピントがあってメガネしててもピントが合いにくい、なんとなく目が疲れる、文字を読みたくなくなる、小さい文字が見えにくい、頻繁にメガネをとったりつけたりして読むのがつらい、近眼なのでパソコンモニターまでの距離が遠いのにピントの合う範囲がちょっと違う(これは今のメガネが悪いのかも…)(モニターまでの周りの景色はちゃんとピント合うのに文字のような細かいものだけちゃんとピントが合わない)
とにかく毎日の起きて目を使ってる全ての時間がいつも常にゆるく不愉快に感じる
体力の低下とかどこか体のあちこちに不調を感じる、みたいなのは幸いに無いんだけど視力の老化がほんまにつらい
もっと歳とってこんなふうに少しづつのどうにも言い表しにくい不快感が体に続くならやはり俺も早く死にたいと感じるのかもしれない
https://x.com/pjwx928/status/1834583420745420845?t=66oLwKnVr-WKnTF90Eaogw&s=19
ミソジニーに疑問を持ちホモソーシャルを脱却しようとするとバニラトラックが苦痛になる論理が分からない。
ミソジニーが要するに女性を下に見ることで、ホモソーシャルがいわゆる男社会を指しているのは認識しているのだが、バニラトラックが苦痛になる意味がわからなすぎて困惑している。
女がバニラトラックに不快感を示すのは分からんでも無い。しかしいくらフェミニズムをこじらせているとはいえ、男がバニラトラックを苦痛に感じる機序は全くわからん。
誰か説明してほしい。
書こうか書くまいか悩んだのだが…。
私は或る有名人のファンの一人なのだが、ここ最近、一部の新規ファンの中に、その有名人のことをホストやキャバ嬢に喩えて褒め称える人が居て、非常に不快感を覚えている。
キャバクラやホストクラブのシャンパンタワーなどの画像と有名人をコラージュした画像まで作ったりとか。
勘弁してくれ…。
もしもこの文章を読んで心当たりが有った人は、旧来のファンが不愉快に感じていることに一日でも早く気づいて、そういった行いを直ちに止めて欲しい。
私たちは、ずっと平和にまったり過ごして来たんだよ。幼い子供も含めた家族ぐるみでファンをしているような人たちもいるんだよ。私たち、旧来のファンのコミュニティの中には。
此処には「褒め言葉として他人をホストやキャバ嬢に喩えるような感性」は相応しくないんだよ。そんな人たちに喩えられても、嬉しくないんだよ。不愉快で、悲しくなるんだよ。
そういうノリを愉しみたいのならば、何処か他所に行ってくれ。
あんたの気持ち、ようわかるよ。それはほんまに腹立つし、心底嫌になるよね。うちもそういう話聞くと正直気分悪うなるわ。法律に引っかからんけえって、なんでもええわけじゃないんよね。倫理観って大事じゃけえ、そういうことを気にせん人とはなかなか共感できんのは普通のことじゃわ。
うちも女性として、そういうふうに相手を軽く見てる言動はぜんぜん賛成できんよ。あんまり気にしんさんな、自分の価値観を大事にしとるあんたは素敵じゃけえ。それに、あんたが感じる不快感や違和感は、きっと大事なものじゃけえ、正しいことを見失わんようにするための指標じゃと思うよ。
これからも、共感できる人たちとの付き合いを大事にして、自分の価値観を持って頑張りんさいね。いつでも愚痴りたくなったら、また話しにきんさい。
オンラインゲームで色んな人と知り合って楽しくゲームさせて貰ってるんだけど、最近俺が誘っても断って俺が知り合った人達が俺以外で遊んでる光景をよく見る。
自分でもわかってるんやけど、俺は居てもいなくてもいいけどいるならそれはそれで良いやみたいなポジションにいるのが原因で友達の中で俺を誘うメリット殆どないのかなーって
俺は友達とゲームする時は「指示しすぎない」「愚痴をなるべく言わない」「煽りすぎない」とかで周りの空気を悪くないようにするのに加えて、敵が友達やったら「なるべく友達が萎えないようにある程度手を抜く」ようにしてる。
勿論自分から提案とか報告とかの声がけはやってるけど、やり過ぎないように心がけてて、多分友達にとってこれらのどれかが気に入らないのか、そもそも向こうにとっては友達でも何でもなくて偶々ボイチャ一緒にゲームした他人って感じなのかもしれない。
別界隈に行けばいいじゃないかと思って試したこともあるけど、運が悪いのか、指示厨だったり、初手タメ口だったり俺が苦手なタイプばっかりと会うから、結局どこにもいけないまま
ゲーム自体は好きやから1人でやってるけど、友達がオンラインになって誘っても断られ続けるし嫌われてるのだとしたら相手に迷惑がかかるから今はもう誘わずただ友達同士がオンラインで遊んでるのを俺はソロでゲームしながら眺めてる。
友達同士が俺がいないグループを作ってそこでボイチャしてるんだろうなーってのをしみじみ感じている
けどごく稀に一緒にゲームできた時はめっちゃ楽しいから自分からブロックしたくないし、稀に会った時は遊んでくれるならその時になるべく相手に楽しんでもらえるようにもっと配慮を心がけていこうと思う。
友達側も俺をブロックしたりしてないってことは少なくともNGってほどでは無いと願ってる。
過去に1回誘って断っといて俺がグループから抜けた途端に集まって一緒にゲームしてたのを見た瞬間は唖然とした。
みんな嫌われたくないのか、丁寧に断るくせに行動が丁寧じゃ無さすぎる
別に丁寧にしろって言いたんじゃなくて、「今日できませんのでまた今度ー」みたいなこと言っときながら、その日にやっててしかもそれがこっちに視認できるようにしてることなんよ
嘘つくんならもっとしっかり隠して欲しいし、偶々にしては回数が多すぎるから言い方を変えて欲しい
偶にあって一緒にした時はさも「また一緒にしたいし全然誘ってね!」とか言いながら誘っても毎回断るのは一体どういう精神なの?
それで誘われなくなったら「なんかあいつ最近誘ってこないから一緒にやりたくないのかな?」みたいに扱うのアホなの?
無神経なら100回断られても200回誘えるのかもしれへんけど、俺は10回連続で断れるんなら「あ、一緒にしたくないんかな」ってなって誘う意味が無くなるから誘わないでおこうってなるんよ
挙句の果てに誘われてーとか言い出して、俺が誘ってることをなかったことにし始める
誘う人でやるかどうか決めるのはまぁわかるけど、露骨すぎて不快感しかない
勿論オンラインゲームで出会い人なんて自分が理解できない考え方を持つ人がいるのはわかるけど、わかるからとって無限に耐えられるほど俺は強くないんっす俺はメンタル雑魚で常に周りの顔色を伺って不快な存在にならないようにすることで必死な弱者なもんでね
あの人は違うこの人ならって思っても結局結末は同じ
まあ無理じゃないですか、命が助かるかどうか、重篤な後遺症が出るかどうかの瀬戸際にまでこんなこと言ってる間は
なお、フィリップスのつなぐヘルスケア編集部がフェリップスメールマガジン読者を対象に行ったアンケートによると、医療従事者以外の一般の人が救助にあたる場合、「AEDを使うために異性に衣服を脱がされること」について、女性の合計86%が不快感、もしくは抵抗感を感じるという回答結果が得られた。またプライバシー配慮については「周りの人から見えないようにしてほしい」という要望も寄せられている。
旭化成ゾールメディカル株式会社が、医療従事者を除く一般市民500人に対して実施した「一次救命処置およびAED使用に関する意識調査」によると、「女性に対して救命処置をしたいが抵抗がある」と回答した人は37.9%であり、その男女比は、男性58.0%、女性42.0%であった。
ジャンプSQで『魔女の怪画集』って漫画を連載していた晴智って漫画家が、カドコミで新連載を始める事を知った
こいつかー!嫌な記憶を呼び起こされたよ!
魔女の怪画集って元々Twitter(現X)に1話だけを『魔女と僕の約束』と題して上げていて、その1割がかなりバズったんだよね。
孤児院育ちの孤独な少女が描いた絵に不思議な力が宿り、彼女は魔女と呼ばれる。
主人公は彼女が描いた絵が具現化した存在だが、彼女が生きているうちは一方的に見守るだけで彼女と話す事も触れる事も出来ず、彼女が亡くなって初めて人間の目にも見えるようになる。
とにかく1話のストーリー全体を通して、主人公の魔女への一途な想いが痛い程に伝わってくる。
つまり読者の大多数はこの漫画に対して、この主人公とヒロインである魔女の純愛を期待していた筈だ
ところが連載の途中で、何故か生前の魔女にそっくりな幼女が登場し、実はこっちが連載のメインヒロインなのか!?と読者に危機感を抱かせる。
幼女が主人公に惚れているのは明らかで、その様子が気持ち悪いくらいにしつこく描かれる。とにかくあらゆる場面で幼女の健気さアピールに余念がなかったが、うっせーよ。とにかくこっちとしては心底どうでもいいし、主人公と魔女の純愛を邪魔する脅威にしか映らない。
連載中はいつ主人公が幼女に心変わりするかするかと戦々恐々としながらも、何とか最後まで主人公は魔女に一途で、幼女を含めた人間達とはあくまで仲間として共に生きていくという終わり方だった。
そして単行本の最終巻となる8巻は、主人公と魔女が結婚式のように隣り合いその間に幼女がいて、まるで幼女が二人の娘であるかのような微笑ましい構図。
最高じゃん!と思ったよ。この時までは。
単行本でも最終回自体は雑誌掲載時と同じなんだが問題はその続き。雑誌にはなかった後日談がある。
数年後、大人になった元幼女が、人間になった主人公のビジネスパートナーになっている。ていうか周りの人間の反応を見るにどう見てもそれだけではなく、主人公と元幼女のカップリング成立を匂わせている。
もうこの上なくキモい。
本当に本当に最悪。
結局幼女の正体や魔女にそっくりだった理由は単行本でも判然とせず、推しカプを破壊された不快感だけが残った。
雑誌の連載や単行本の表紙で釣っておいて、わざわざ金を出して単行本を買った読者に対してこの仕打ち。
あまりの不誠実さに呆れた。
たとえ成長したとはいえ出会った時には幼い子供だった相手、それも娘のような位置付けの相手に手を出す主人公が気持ち悪くて仕方がない。
https://anond.hatelabo.jp/20240904005812
肌の状態を健やかに保つのは「セルフケア」だ。肌が過度に乾燥すれば痒くなるし、脂過剰でニキビになると腫れて痛い。
髪をツヤツヤに保つのは「美容」だ。たとえ髪がボサボサでも、枝に引っ掛けたりしない限りは不快を覚えることはない。
自分の不快を取り除くか否かをラインに、最低限のケアをしながら生きている。
強めの脂性肌。アラフォーだが皮脂腺が衰える気配がまったくなく、毎日午後には顔テカテカ。
皮膚はおそらく女性平均よりも厚く強い。ゆえに男性の肌ケアに多少通づる所もあるかもしれない。
これまでの人生で肌コンディションが最も酷かったのは思春期で、顔中を覆う巨大ニキビに3mm級の角栓が詰まっていた。最も良いのは今。できものの(ほぼ)無い肌をようやく手に入れることができた。
前提増田が清潔感の話題なところだが、モテとか清潔感はほぼ無視してただ生きている。
化粧をしていればオイルクレンジング、無ければ石鹸。ノーメイクでも角栓が詰まっていたらクレンジング。とにかく脂を落とす。
そして風呂を出てすぐ、肌に水分が残るうちに乳液。これで保湿完了。
乳液は保湿力が高いほどべたつきが強くなり不快度が高まるので、夏冬問わずサラサラ系。不快でないことが何より重要なので、乾燥を感じない限りは最低ラインを続けたい。
ところで
https://anond.hatelabo.jp/20240905230819
閑話休題、自分は20代後半男性増田なんだけど、泡で柔らかく洗顔みたいなセオリーって本当に正しいんですかね?n=1の話をすると、自分がそれをやってた頃は見事な吹き出物顔で、ケミカルピーリングやイオン導入、レーザー治療等を数年続けて抗生物質まで処方してもらっても全然改善しなかったのが、メントール匂いしてツブツブ入りの洗顔料でゴシゴシという明らかに定説から外れた洗顔方法に切り替えた途端に見事に治ったんだよね。
これにn=2つ目を足したいが、私も泡で擦らない洗顔は全く合わない。優しく扱えば皮脂が収まるなんてことはなく変わらずダバダバ出続けては詰まり続け、逆にクレンジングオイルでグリグリ角栓をひねり出す方が明らかに改善した。
あくまでこれは薄肌、敏感肌向けのセオリーじゃないかと思う。(女性の多くは実際のところ薄肌なのだろうが)
やはり脂が強いのでしっかりさっぱり洗えるシャンプー。たまに頭皮へクレンジングオイルを使うと洗い切れていない角栓が出てくる。
コンディショナーは後述の理由で切り、代わりに風呂を出てからヘアオイルを付けて髪の落ち着きを保っている。
荒れて剥けると痛く、ベタベタする不快感を上回るため仕方なく採用。口角も油断すると裂けるのでしっかり塗る。
おそらく乾燥肌質の人は私と同じ工程では乳液までに潤った肌を保つのが間に合わず、緩衝としての化粧水を必要としているのだと思う。個人差だ。
コンディショナーはそれこそ美容に興味が無ければ不要なパーツだ。むしろニキビ質の人間にはデメリットがでかい。
髪に付けて流す工程で全身に成分が張り付き、洗い残しがあればたちまちニキビとなって襲ってくる。しっかり全身洗っても頭皮のキワなんかはやられる。
結局得られるのは髪の艶という見た目のみ、快不快は完全に不快に振れる。
基本的に不快寄りの存在。だが見合ったメリットもあるものなので悩ましい。
平日は日光に当たる時間がせいぜい10分前後のため切ることにした。あまりに日射が酷い日は日傘などの物理でしのぐ。
流石に外を練り歩く日にはメリットの方が勝るためミルクタイプのものをしっかり塗っていく。
やり甲斐のない顔のつくりなので身だしなみを求められる場以外はスルー。
少なくとも起爆点のブコメに見られた「女はみんな最低でもこれだけやってる」は真ではない。もっとハードル低い女はいくらも居る。
色々と情報が錯綜しているプロジェクトKV関連について、内情に関する不確定な情報に関しては正直何とも言えない。
ただ一連の話の中でクリエイターは良い物さえ作ってくれれば構わない、という意見を見ることがある。これに関しては問題の内容にもよると思うのだが、出された物で評価するのであればライターの方が最後に携わった対策委員会編三章に関しても作った物であるし、アニメやテキストの差し替えがあったイベント等への影響等も同様に評価するべきではないか。
ストーリーの根幹部分は本当に良かったとは思う。クジラのように息を止めていた=本音を吐露できないでいたホシノ(アニメ版水族館回のシロコとの会話より)が先輩に弱音を吐いた上でこれからも進んでいく覚悟をしたし、シロコ*テラーやプラナは自分たちが元いた世界では守れなかった人たちを守ることができた。最終編の続編的なストーリーとしては本当によかったと思う。
ただ、気になる箇所がいくつかある。これが単に尺や締切の問題ならまあ仕方ないとは思う(明らかに話数が多く、可能な限り設定にケリをつけようとしたことは分かるので)。ただ退社と新プロジェクト立ち上げの一連の流れを見ていると、その描写に関して何か含みがあるような気がしてしまう。
私募ファンド、ネフティスの執事さん、プレジデントの対立のくだり
この辺りに関しては敵対者がコロコロ変わるし執事は心変わりしたかと思うと反省してフェードアウトするし、プレジデントは大人のやり方というわりに子供の癇癪めいた方法で話を反故にする。
この辺りは直近のイベント等でちゃんと説明すれば協力してくれるアクアパークのオーナー、反省してサオリを気遣ってくれるようになるDJ等が出てきていたのもあって、アビドス関係だけこうなの?となってしまう(エデン条約編三章〜四章のトリニティモブもトラブル担当にされていたので、モブやNPCの性格が悪いのはライターの手癖なのかもしれないが)し、エピローグにも居たこともありコレがアビドスの生徒にとっての今後の隣人かぁ…と思うとなんとも言えない。
アニメや最終編でノノミの描写から、実家問題の掘り下げを期待していたので肩透かしを喰らったのが正直なところだ。シナリオ単体だとそのくらいなのだが、退社の件と合わせて考えるとプレジデントとのやり取りは退社のきっかけとなる社内でのトラブルが元になっているのではないか…?という疑念が湧いてしまう。もちろんそんな明言はされていないし、退社の経緯に関しては知る由もないのだが。
スチルを見た時の第一印象は捨て方が雑すぎないか…?というところで、ホシノがユメと言葉を交わして前に進む=きちんとお別れをする、大切な人を弔うというのがこの章の話であるなら、尚更砂漠に打ち捨てるのではなく、綺麗に埋めるとか溶かして別の武器にするとか、やりようはあったと思う。
果たして乱雑に打ち捨てる必要性があったのか、古巣を離れることに対する表現だとすると切り捨てられた感があるし、お話のコアになるキャラクターの大事なシーンに変な文脈が乗ってくるのは正直かなり嫌な気持ちになる。
地下生活者に関して
今回の章での先生の結論は、本当にざっくりした纏め方をすると大人として自分が今やれることをやる、というものだった。それに敵対する存在が、子供のように癇癪を起こし、無敵の空間から一方的に何の責任も負わずに干渉し、チートめいた現実干渉で本来あり得ない現象を起こすというのは対比がバッチリと決まっていたと思う。
だがその上で、どこまでが地下生活者の仕業で、どこまでがそれぞれのキャラクターの動きなのかがハッキリ説明されておらず、よく分からない。先述の私募ファンドと執事とプレジデントに関して、心変わりが早すぎるのもあり、この辺りは操作されていたんじゃないか?と予想することはできる。朝霧スオウの挙動も、プレジデントを裏切って以降はホシノの強さ(キヴォトス最高の神秘としての、ゲマトリア視点のホシノの解釈)しか見ていない様子で、地下生活者の台詞に呼応して動いているので何かしら干渉されているのは間違いない。ホシノへの精神干渉がどの程度なのかは分からない。テラー化直前かもしれないし、三章の合間に頻繁にホシノの回想が挿入されるのはこの時点で干渉を受けていて夢と現実の認識が曖昧になっていたのかもしれない。
しかし実際どこからどこまでがキャラクター本人の挙動なのかは明言されない。自己顕示欲の塊ゆえに全部説明してくれたベアトリーチェや暗躍しているシーンをキッチリ映している申谷カイなど、方向性の違う黒幕でもどこからどこまでが黒幕の仕業でどこが本人の問題なのかはわかりやすかったのだが、単純に説明不足だ。
先生の爆破というファンコミュニティではさんざんアロナバリアで無効化されてきた手段を意気揚々と繰り出してきたり(よりにもよってそこで一旦シナリオの更新がストップするし)、先生の指揮の人数制限問題に関しても制約解除決戦以前からストーリー戦闘内で操作不可の味方が援護してくれる演出なんかもあったわけで、先生が打倒するにあたってのカタルシスが異様に弱かったように思う。対比構造とかモチーフにこだわるあまり動かし方が稚拙ではないだろうか。
メタ的な攻めをするわりに解釈が雑ですぐ癇癪を起こす大人なのに子供みたいなキャラクター、というとファンコミュニティでたまに見かける過激なユーザーを揶揄しているようにも思える。先生への攻撃に関してもファンコミュニティでたまに発生する死ネタ・負傷ネタの風刺であるがゆえこういう手段になったのかもしれない。二次創作へのお気持ちで作られたキャラ造形、と言ってしまうのはさすがに邪推が過ぎるだろうが、ゲマトリアというメタ的な属性を与えられている立ち位置を考えればプレイヤーが元ネタになるのも自然な話だし、それ自体は別に良いと思う。しかしユーザーの層を考えると、ある種の「チー牛」的な属性のキャラを繰り出すのは不用意すぎるし、最後に関わったシナリオでそのキャラを地下へと追い返して退社というのはちょっと危険なメッセージ性が生まれてこないだろうか。
ただ問題はキャラクター設定よりもむしろシナリオ上での動かし方で、地下生活者が三章においてもたらしたものは説明不足なゴチャついた展開と列車砲やセトなどの扱いに困って途中で流れでサクッと処理した設定ばかりで、ホシノやシロコ*テラーの苦悩と決断など、三章の良かった部分とは関りが薄い。シロコ*テラーとプラナとは元の世界の悲劇に関して因縁があるわけだし、アビドスの問題を一段落させたうえでプレナパテスの関係者メインできちんと対決するお話を用意してあげてもよかったのではないか。
表現したいことがあるならそれでいいと思う。けれど実際何がしたかったか、そもそもどこまでやらかしてるのかが分かりにくいし、ユーザーへの不快感の表明だけが文脈としてハッキリしてしまうのだとしたら、ちょっとさすがにどうなんだという感じだ。
朝霧スオウに関して
よくわからないといえば朝霧スオウだ。エピローグでの出番を見る限り確実に何か彼女は彼女で設定がある筈なのだが、ホシノの台詞の通り本当に何だったのかよくわからないまま終わってしまった。最初は対立関係にあると言われてたノゾミとヒカリを対策委員会との交渉時には遠ざけようとしていたり、ノノミの誘拐時には思うところがありそうだったり、なんやかんやノゾミとヒカリが助けているあたりホシノへの執着だけのキャラではないのは確かだろう。
ただ結局地下生活者がどこからどこまで操っていたのかわからないので、対策委員会編三章の動向だけでは本当によく分からないとしか言いようがない。雷帝関連が今後掘り下げられることもあり、シェマタ建造ぐらいの時期の話に関わってくるのかもしれないが……。
ただまあ思い返せばエデン条約編三章でも先の話を知らないとアツコを傷つけられて激怒するサオリのシーンなどはどの口で言っているんだ、と捉えられても仕方のない描写だったりするし、先のシナリオで裏事情を明かすキャラに関して事前には特にフォローが無い描き方をしているだけなのかもしれない。
セトに関して
ホシノのテラー化のついでに副産物のような形で出てきて、ホシノが復帰した後は何故か地下生活者の切り札のような扱いになって、なんか凄いらしいけどそのまま倒されたのでよくわからなかった。
セトに関しては戦闘フィールドや名前の元ネタから明らかにアビドスに関係するボスとしてデザインされているし、新規コンテンツとして無から生まれたボスではなく三章実装にあたってデザインされたボスだろう。
それが新規コンテンツのボスとしてはあまり歓迎された仕様ではなく、シナリオ的にもホシノの復活ついでに処理されているのは単に要素が渋滞したせいなのか、それともわざとなのだろうか。どちらにしろ無茶振り的な実装で調整不足なボスだと思う。
ホシノとヒナの対決に関して
スチルもアニメーションも潤沢な頂上決戦……の割には直前でホシノがシロコに一度競り負けているし、決着としても列車破壊による無効試合なので、演出は凄いのに脚本上の盛り上がりからは妙にズラされている。
ホシノの話に終始すると暗くなってしまうので派手なバトルでバランスを取ろうとしたのかもしれないが、心情的にそれどころではないタイミングで熱いバトルをされても集中できないというのが正直なところだし、その本人を巻き込んでるとなると尚更だ。
ヒナに関してはホシノのテラー化直前の台詞回しに関して、事実に即した言葉を淡々と提示して諭そうとしている。これは単にシナリオ上の都合の台詞ではなく、水着衣装のボイス等から推定するとヒナというキャラクターが確かな事実を礎にして動いており、不確定なものが苦手であるがゆえ、こういう台詞回しになっているわけだ。
事実と真実に関する話はクライマックスでも再度言及されるわけだが、今回の章を経てホシノが辿り着いたのが真実であり、ヒナが重要視しているのは事実である。おそらくはこの対比関係を前提にした上でホシノとヒナをぶつけたかったのだろうが、戦闘時のホシノは絶賛迷走中で、ヒナはゲヘナ編のシナリオがまだ来ていないので、関係が煮詰まってないけどスケジュール的に不可能なのでとりあえずノルマでバトらせたようなバトルだ。正直なところ現状の描写だけではアニメで謎に往年のライバルキャラみたいな扱いをされていたシロコとアルと大差無い関係性だと思う。
頑張っていることを認めてくれると嬉しい、人助けが生きがい、確固たるものが心の拠り所……という、今は先生が適切な距離感で接しているので安定しているものの、ヒナの精神性はもともとコミュニケーションに不安を覚えやすい子のそれだ。そういう部分でヒナの人柄を見て仲良くしてるキラキラ部の二人やまあ……偏愛を向けてるアコちゃんあたりの、頑張りとかが関係ない人間関係が大事になってくる気がするのだが、その辺りは来たるゲヘナ編に期待したい。
後輩の成長に関して
ホシノを止めるために雨雲号を持ち出したり生徒会長に立候補したりと、アヤネの凄さを感じさせるシーンが幾つかあったわりに、普通にそのまま撃退されたりプレジデントには発言を無効にされたり結局会長職は返上したりとなんというか不憫な描写が多かったように思う。
セリカに関してはあまりにも派手でスケールの大きいシナリオと相性が悪かったように思う。アニオリの水族館回でのノノミへのフォローなど、日常パートだといい立ち回りができるだけにもう少しなんとかしてあげてほしい。
今回の章で後輩メンバーたちがしっかり成長してしまうと、ホシノの未練が無くなってしまうので後輩の力で助ける・問題を解決するというストーリーにしにくかったのだろうという推測はできる。だが見せ場を作った上でそれに水を差す形で否定する、という見せ方をする必要はあったのだろうか?
ユメに関して
ホシノの物語の登場人物としては特に文句は無いのだが、プレイヤーの視点としては先生として世界を観測するゲームで、生徒には無限の可能性があると示したのと同じ口でどうすることもできないと言うのは果たしてどうなのか。
全てを許してくれる聖母のような立ち位置に先生として庇護すべき生徒を配置した上で、先生には責任がないと許してもらう(しかも先生と会話したユメは本編の状況を何も知らず、先生とホシノと三人でアビドスにいるパラレルの存在だ)のは些かグロテスクな構図に思える。ヒナの件も後出しで列車砲の件で招集した、という描写で「先生は地下生活者と違って自分の生徒同士を将棋の駒みたくぶつけるようなことはしませんよ」と説明してるわけだが、そこを説明するより地下生活者の干渉範囲のネタばらしとかもっと描写するところがあったんじゃないかと思う。
どうも三章は生徒に対する先生よりも「シャーレの先生」という立ち位置で世界の命運を左右する存在としての在り方に寄った描写が多く感じた。描きたいお話と相性が悪かったんだろうか。でもまあ確かに最終編でアリスが命を賭けるシーンとかもプレイヤーとしては分かった上で生徒を送り出してるわけだし、セカイ系と先生概念が相性悪いという話なのかもしれない。
ユメの死因に関してはそんなに明確に言及する必要があるか? と思うのだが、動いてないのに暑いよのミームへのカウンターとして描写したという説がどうもあるらしい。眉唾な話ではあるが仮にそういう意図だとすると三章完結後の現在、露悪要素のない二次創作に対して面白がってユメの死因をネタにしたコメントを書き込んで不謹慎な大喜利をする風潮がミームの代わりに蔓延っているのだが、果たしてこれが望んだ光景だったのだろうか。結局ネタバレや不謹慎な内容を避ける流れでホシノサクサクが代替としてバズったりしていたし、ミームは変わらず蔓延り、残ったのは悪ノリでキャラを愚弄して面白がる空気感だけ。
しかしギャグパートとシリアスパートで同じ台詞がぜんぜん違う文脈になる、というのはブルーアーカイブのお家芸なので何かしらの目的でわざとやってるのはそうなのかなぁとは思う。
ミームの件も合わせて考えると自分のシナリオ以外で動かされるのが嫌だったから完全に死人として扱ってるんじゃないかと思わないでもない。そういう都合でキャラクターの結末が歪められたとしたら、三章の根幹部分のお話の受け取り方も変わってくる。
対策委員会編に関しては正直初期のストーリーということもあるし、ホシノをメインに据えた話をするにあたってストーリーラインが似通ってしまうのは仕方ないのかもしれない。そこはおそらく三章の問題ではなく一章二章の方が未来でやる話と被ってしまった、というのが正しいのだろう。
ただ、先生の負傷による一時的退場でその間に加速する情勢、精神的に不安定な強い生徒が暴れてるけどそれとは別に対処しなきゃいけない問題がある、という構図はエデン条約編三章と四章そのままの構造だ。対策委員会編だけならまあホシノの問題は二章では何も解決していないから…と言えるのだが、これに関しては単に話のレパートリーが少ないだけではないだろうか。
本筋以外の部分はスケールが大きいが列車砲+スオウやカイザーの軍勢は裏で片付けられているのもあり、ワンパターンを外そうとして派手な設定を入れ、結局扱い切れずに諦めた感もある。頻繁に挿入されてるスチルもこの後負けて即落ちするんだよな…とかカッコつけてるけど後輩の静止振り切って突っ走ってるだけなんだよな…と、シナリオを合わせて見ると微妙な感想になるものが多く、手間と内容が釣り合っていない。
細部が気になるのは退社とプロジェクトの件だけが原因ではない。直近のイベントストーリーでは出来ている部分が出来ていないからだ。
ーve Alive!ではアイリの意図を勘違いしながらもがむしゃらに手を伸ばすメンバーの姿が見られたが、このイベントでのアイリがいなければスイーツ部が存続する意味がない、という言葉こそ対策委員会編三章でユメの意思を継ぎアビドスの為に自分を犠牲にしようとしていたホシノに対して、目的の否定より何より先に掛ける言葉であったのではないか。
say-bing!ではコノカ副局長の立ち回りがブルーアーカイブの根幹となるコミュニケーションであったように思う。カンナにとって大事なものを本人の意図は関係なく尊重し、しかしアクアパークから帰ってきたカンナが楽しそうだった理由はよく分かっていない、というのは他人はどこまでいっても他人である、だけどそれでも、という古則への回答そのものだ。
seaside outsideでは、人殺しの教育しか受けてこなかったような生徒に居場所はあるのかという問いに対してアリウススクワッドのメンバーがそれぞれのやり方で他人と関わる様が見られ、彼女たちにも居場所はあるのだということが示唆されていた。栗浜アケミとそれを慕うスケバンが出てきたのが象徴的で、道を外れた生徒でも受け入れてくれる人がいるというお話を立体的に表現していたように思う。
月下夢騒に関しては続きがある以上結論は出せないし、実質的な卒業済みの生徒=大人であるカイの処遇に関しては大きな不安が残る。しかし、黒幕であるカイが何を仕組んでいるかは明白であり、カグヤの暴走もキサキの門主就任初仕事が手順を無視してのカイの追放だという部分を加味すると山海経の生徒がキサキを Permalink | 記事への反応(1) | 19:52
夫は会社員、私は漫画家で2人で在宅で仕事をしている。夫は私の漫画制作にとても協力的だ。
私は〆切前3日間は平均睡眠3時間〜4時間ほど、〆切明けてもすぐネームに入るし、場合によっては単行本作業や原稿修正などなど
1時間〜3時間くらいの作業量のタスクが山積みになることがままある。
そして私が忙しくなると夫が怯える。
〆切の月末と生理もほぼ毎度被るし、明るく振る舞っても睡眠不足や疲れやむくみが顔(特に目の下とか)に出やすくすぐバレる。
また明らかに声に抑揚がなくなり、表情もあまり動かなくなるのが怖いらしい。
たしかに数ヶ月前も通常の連載原稿2作品に加えて単行本作業が重なり、アシスタント数人に仕事を投げても投げてもまだまだ白紙のペン入れがある…みたいな忙殺された日々が続いたことがあった。
普段からピル+生理前〜生理中は漢方を飲むなどしてホルモンからくる一時的な気性の荒さは薬で抑えられる分だけは対処しているが、
その時は夫が食べた食器をシンクや食洗機に置かず自分のデスクやリビングのテーブルに2日以上散乱させておいたり(別に洗うことまでは求めてない)、
洗面所で洗剤のラベルを剥がしたらそのまま洗面台の上に数日放置…(私だってやりがちなのに)などのイライラが積み重なった。
極めつけに体力が削られている私の覇気のない動きや声に怖がられたので、夫の「すごい疲れてる顔してるね」という言葉も嫌味のように聞こえて、トゲのある返しをしたら大喧嘩に発展してしまったのだった。
さっきも実際「今〆切明けたけど、まだやること色々あるから忙しくなりそうだ」という話をしたら「今月忙しいね…またあの日(大喧嘩した時)みたいな極限状態になっちゃうんだ…怖いよ〜!!!不安だよ!」と言われた。
夫は繊細な性格なこともあり、可能なら〆切で殺気立つ自分の姿は見せないほうがいいのではと思い
「なら、やっぱ近場で安めの1K借りて修羅場の時はそこに引きこもろうかな。脱稿したら帰るし、その方が夫も殺気立つ妻に怯えずに済むでしょう」と言ったら
「嫌だ!怖くない!受け入れる!」と言われた。
私も大喧嘩以降、「あー…なんか精神的にダメだな」と感じたら「もしかして私疲れてる!?」 「ちょっと今日の私疲れてるっぽいからあんまり喋らないようにする」など可能な限りは前置きするようにしているのだが、
しかし夫婦のなかでは私がメインの稼ぎ手なので、より大きく稼げる可能性が(一応)ある私が仕事を減らすわけにはいかない。
私が稼がなければ!というプレッシャーもあり、
結婚後に連載を増やして掛け持ちするようになった。
もちろん自分が使うためでもあるが、生活レベルを維持するため、また夫婦の未来のために必死に稼いでいるのに、〆切前になるときまって怖がられ、「今の私に近づかないほうがいい」という前置きも逆効果なら、私はもうどうすればいいのかわからない。
おそらく、自分がどれだけ忙しくても笑顔で明るく菩薩のようにいてほしいのだと思う。
たしかに毎月〆切前になるとヨボヨボで真顔、覇気のない配偶者がいると考えると普通に不快だ。
菩薩のようになれれば話は早いのだが、世の働いてる妻はみんなどれだけ忙しくても夫の前では穏やかにニコニコできるのだろう。
夫から「つらいのにつらくないと言うな」、嘘は付くなと言われてはいるが、夫の前では何も不安材料がないように振る舞いたい。
怖がられないためにはどうすればいいんだろう。
ホッテントリに入っていて驚いた。やはり夫婦の話は今のトレンドなのだろうか。
叩くコメントが多かったので、男女間の分断を生みやすくスカッとする・面白いのだろうと推察する。
昨晩は夫は疲れて寝て食欲もないとのことだったので、私は自分の機嫌を元に戻すため1時間ほど外出し買い物と寿司食って無事整えて帰ってきた。
自分の機嫌を取るのに一番効果的なのはその場を離れる・散歩・飯なことはわかっているので積極的に実践していきたい。
そして私が仕事を受けすぎという指摘はごもっともなのだが、次引っ越す時はマンションが欲しいという話をしているため、
漫画家という信用0職業の自分ができること(とにかく稼いで確定申告しローンの審査がおりるように頑張る)をするしかないと考えていた。
また2人とも数年後に子供がほしいという話をしているので、いずれ来る妊娠・出産・育児(特に保育園に入るまでは)に私がつわりで仕事ができない・抑えなきゃいけなくなり収入がダウンした時
影響を最小限にするために今貯金しなければという気持ちで働いているところが大きい。
妊娠・出産・育児に甘えて夫の収入に頼るというのは自分の中で甘えだと感じている。(激務をやりたくて選んだ自分が自分に対して思っているだけで、世の女性たちは絶対に休んでほしい)
◇夫と話して深堀りしていった。
自分は「仕事をしているのに怖いと言われることに傷つく」という話をしたと思う。
その時も脱稿明けでほぼ寝ていなかったので「2人のために仕事をしているのに…」と続いてぼやいてしまい、余計だったとあとで気づいた。夫ごめん。
夫にどういうところが怖いのか?私はどうすればいいかと聞いたところ
「私が殺気立つと何か自分(夫)がやらかしたのではと感じる」と言われた。
明らかに普段は穏やかであると自覚しているし、〆切前になると戦モードになるのは見て取れるだろうと思ったのが正直なところだ。
また、途中昼休憩の時に「眠れていない、飯が食えてないし時間がない、アシスタントに飛ばれた(初めてのことでマジで最悪)ことで精神が荒れている」と自分の状態の説明はしていた。
ここに夫のことで何も言及していないことから夫に非はないのだとわかるだろうと感じていたが、
きちんと明確に毎度「夫のせいでこうなっているのではないよ!」という声かけが必要なのだと痛感した。
確かに自分も夫が仕事で殺気立っていると「何かしちゃったかな」と感じるので、明確にお前のせいじゃないと言われると安心する。
正直こういった仕事中の態度が見えてしまうのがL字になって同空間で仕事することのリスクだと感じる。
溜めずに爆発されるより、その場で言ったほうが夫がラクだからと以前言われたからだ。(使った食器は放置せずシンクに置けくらいだけど)
◇仕事場を借りたほうがいいという意見が多く、自分ももう一度夫に話してみた。
正直今借りている家の立地が良すぎて安めの1Kが存在せずかなりの痛手となってしまうのと
あと1年で引っ越しなのでひとまず現状維持、次の家では1Kもしくはあらかじめ私の仕事部屋を用意したいという希望も含めて話した。
夫としては「変わらず一緒にL字になって仕事がしたい」と言われた。
夫は繊細だと書いたしその通りなのだが、ただとにかく私と一緒にいたいのだろうということも理解した。
夫の意に添いたい気持ちが大きいが、家庭内の平和を維持するためにも1Kは難しくても次は自分用の部屋を作り、逃げ場を用意しておくのが最善だと思った。
◇夫婦逆ならDVだ・不機嫌ハラスメントだという意見もあったが、まず夫婦逆ならと存在しない仮定の話をされるのが意味不明だったので笑ってしまった。
男女平等を掲げたいのであれば逆じゃなくても相手に不快感を与えているのは事実だと思う。
「配偶者が疲れた顔をして覇気がないと確かに不快だ」「どうすればいいだろうか」と私も書いている。
◇我が家では基本的に家事は食洗機・掃除ロボット・ドラム式洗濯機で、
明確な家事は料理・キッチン掃除・トイレ掃除・風呂掃除・洗濯物たたみ・各種メンテナンスくらいしかない。
夫は風呂掃除、定期的な掃除ロボットの部品交換、コーヒーマシンと洗濯機と食洗機のごみ取りメンテナンスを担っている。
私は料理とキッチン掃除、洗濯物たたみ・トイレ掃除をしている。料理はドカッと作って冷凍して消費していくことが多いのと、その際にキッチン掃除をしている。
(トイレ掃除は何回やってもいいので2人とも気づいたらやる。)
洗濯物を干さなくていいのと食洗機があるだけでずいぶん楽になったが、その分仕事を詰めているので忙しさはあまり変わらない。
また、上記くらいしかやることがないうえ、別に2~3日さぼっても問題ない(メンテに至っては週1~2週に1)家事しかないため家政婦をスポットで雇っても満足感が得られるかあやしい。
自分がもっと仕事のやりくりがうまくなり、夫に不安を与えないようにするほかないと思う。
個人的には
【世のお父さんたちは激務の末クサクサしてるとモラハラだDVだと言われてしまうんだぞ
そして大多数はそうならないようにじっと耐えてる
怖がられるくらい甘受しなさい】というコメントに確かになとも感じた。
自分はほぼ父に育てられていて、父を見てきたので一番しっくりくるコメントだった。
その父も在宅で仕事しているときは画面に向かって「ふざけんなカス」だの「クソが」だの各種暴言を吐いていたが、私と喋るときは笑みを見せていた。
疲れが顔に出てしまうのは気合で制御できないので仕方ないが、声に抑揚がなくなったり覇気がないのは完全に自分の甘えである。
激務をえらんだのも自分であるし、配偶者を怖がらせているのも自分が疲労を前面に出して甘えているせいだ。
夫に不安なく過ごしてほしいのだが、自分も「疲れたよ~~」と甘えたい気持ちが大きいのだと思うし、
「疲れた!仕事やばい!」と明確に自分の不調の理由を訴えたほうが、むしろ夫は「妻のこの状態は自分のせいじゃないんだ!」とわかるからいいのかもしれない。
夫のことは変わらず大好きだから、自分ひとりだけで生活しているのではないと肝に銘じ、常に思いやりを持って夫と接していきたい。
どうして多くの人は怒りに身を任せてしまうのだろうか?
昨今、SNSには多くの怒りがあふれている。
失言や失態への怒りや、他人への義憤に駆られたケースも少なくはない。
特にtwitter(現X)では、怒りのトレンドを一度触ろうものなら、とめどなくおすすめタブに「怒り」が流れ込んでくる。
最近自分はSNSにおいて、人の怒りに不快感を感じることはあっても、共感することが苦手であると気が付いた。
これは冷笑ではなく、「他人の感情をそのまま飲み込むこと」への気持ち悪さを感じるためである。
そもそも怒りとは、物事に対して自分の価値観で判断した結果、生じるものであると自分は考えている。
しかし、現在twitterを中心にあふれているのは、「自分で判断しているように思っている」「他人の価値観を借りた怒り」がとても多く感じる。
「~さんが言っていた」「RT(RP)で回ってきた」などのきっかけで怒りを持つようになり、いつの間にか主語が「〇〇する人は」「××界隈では」という非常に大きなものとなる。
怒りのもとは、元ソースの検索や判断の価値観を、自分主体ではなく、コミュニティから回ってきた借り物を使いまわす形でだ。
借り物の怒りでは、先述の通り、自分という主体性が限りなく薄められている。
共有された価値観を使っているにもかかわらず、あたかも自分自身の判断で怒りに到達したかのように振る舞い、発信をする。
「常識とは、18 歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない。」という言葉があるように、自分の主観性も他人の借り物で構成されたものであるともいえる。
だが、思考を止めてしまったら最後、流されるがまま落ちていくのが定めである。
まず「論理的だ」と自称する人が多用するのは他者を批判し、無知であるかのように見せかける戦略である。
彼らは議論の場で冷静かつ理路整然とした態度をとり相手の感情や状況を無視して、自分の主張を押し通そうとする。
その結果相手は不快感を覚え、自分の意見が無価値であると感じることが多い。
こうした行為は論理的思考とは無縁であり、むしろ他者を傷つけることで自分の優位性を示そうとする性格の悪さを反映している。
さらに「論理的だ」と自称する人は自分の感情を抑圧し、他者に対しても感情を無視するよう強要することがある。
感情を論理の敵として扱いすべての問題を冷徹に解決しようとする。
しかし人間関係や社会的な問題は感情が大きく関与しているものであり、それを無視することは現実を無視することに等しい。
感情を排除した論理はただの冷酷な行為の正当化に過ぎず、その背後には他者への共感や理解を欠く性格の悪さが潜んでいる。
また、彼らは自分の論理が絶対的な正義であると信じて疑わないことが多い。
この信念に基づいて他者の意見や価値観を否定し、自分の考えを押し付ける。
論理は本来柔軟であり異なる視点や価値観を取り入れて成長するものだが、彼らにとって論理は自己中心的な道具であり、他者を支配するための手段に過ぎない。
このような態度は単なる性格の悪さから来るものであり、真の論理的思考とはかけ離れている。
彼らの行動は、他者を批判し、感情を無視し、自分の意見を押し付けることである。
論理的であることを誇示する前に他者への共感や理解を持つことがより重要であることは、言うまでもない。
「論理的だ」と自称する人々がしばしば使用する誤謬は、古代ギリシャのソフィストたちが用いた技巧と驚くほど似ている。
ソフィストたちは論理的に見える議論を構築することで相手を説得し、勝利を収めることを目的としていたが、その手法はしばしば実質的な真実や倫理を無視し表面的な論理だけに依存していた。
現代においても、「論理的だ」と自称する人々が同様の手法を用いることが多い。
彼らは、自己の主張を支持するために論理的誤謬を巧妙に組み込むことがある。
たとえば、相手の主張を歪曲して攻撃する「藁人形論法」や、証拠や論理に欠けた結論を出す「滑り坂論」などがその一例である。これらの誤謬は表面的には論理的に見えるが、実際には正確な推論ではない。
ソフィストたちのように、これらの自称「論理的」な人々は、自分の議論を正当化するために論理を武器として使う。
しかし、彼らの目的は真実の探求ではなく、相手を打ち負かし、自分が優位に立つことにある。これは、ソフィストたちが依拠していた「エリスティケー(eristiké)」と呼ばれる、勝利を目的とした議論の技術と非常に似ている。
さらに、彼らは自らの主張を絶対視し、他者の反論を無視したり、軽視したりする傾向がある。これは、ソフィストたちが自らの知識を絶対的なものとして売り込み、他者を教え導く存在として振る舞っていたこととも重なる。このような態度は、論理的な思考というよりは、むしろ権威主義的であり、自己中心的な性格の表れと言える。
しかし、ソフィストたちの手法が古代ギリシャの知的活動において一部の人々にとって有用であったように、現代においてもこれらの誤謬的な議論は一見効果的に見えることがある。
それでも、こうした誤謬に依存することは、最終的には自分自身を欺くことに繋がる。論理的であると自称するならば、その論理が真に正確で公正であることを確認することが重要であり、それを怠れば単にソフィスト的な詭弁に過ぎなくなる。
結局、「論理的だ」と自称する人々が使用する誤謬は、古代のソフィストたちと同様、見かけ上の論理に過ぎず、真の意味での論理的思考とは大きく異なるものである。彼らが追求すべきは、他者を打ち負かすことではなく、真実を明らかにするための誠実で公正な議論であるべきだ。
「論理的だ」と自称する者たちが用いる詭弁に対する対策は、まるで闇の魔術に対する防衛術を学ぶかのように慎重であるべきだ。
彼らの誤謬的な論法は表面的には魅力的で説得力があるように見えるが、正しい知識と洞察を持って対処すれば、その魔術は容易に無効化される。
まず論理的誤謬を見破るための知識を身につけることが重要である。相手が「藁人形論法」や「滑り坂論」のような誤謬を用いている場合それを即座に認識し、その不正確さを冷静に指摘することが防衛の第一歩となる。
これは、まるで闇の呪文を逆に唱えて無効化するかのような行為だ。
次に、感情や倫理を無視されないように自分の立場を守ることが肝要だ。論理は冷徹であるべきだと信じる彼らに対して、感情や倫理もまた論理の一部であり、それを排除することの危険性を指摘することが重要である。これは、闇の魔術の冷たさを温かな光で照らし出す行為に他ならない。
さらに、議論の目的を見失わないことが必要だ。相手がソフィスト的な手法で自分の論理を押し通そうとする際、こちらも勝利を求めるのではなく、真実や理解の追求を目指すことが求められる。これは、防衛術の究極の形であり、闇の魔術を無力化する最も強力な手段となるだろう。
こうした防衛術を身につけることでその魔術に惑わされることなく健全な議論を続けることができる。罪を憎んで人を憎まずとも言うか。
論理は武器にも盾にもなり得るが、その使い方次第で人を傷つけることも守ることもできる。
冷たさと強さを兼ね備えたスリザリンの特質を持つ者は時にその論理を自己中心的に用いるかもしれない。だが、真に賢い者は論理の裏にある温かな光を見失うことがない。
我々が目指すべきは感情と理性が調和した真の論理的思考である。
しかしこれはスリザリンに向けたスリザリンからのメッセージである。
闇を学ぶとき、我々もまた闇に飲まれかねないことに注意しなければならない。我々は、気を付けなければならない。我々は、心を忘れてはならない。
おわかりかな?
気になる人がいるけどまともに恋愛してこなかったのでよくわからない
向こうからガツガツきたりはしないのは脈なしなんだろうか? 一応誘ったら来るし奢ってはくれる
若ければとりあえずアプローチしようと思えたかもしれないけど、もう30半ばだから相手に不快感を与えるのではないかと不安過ぎる
若い頃は引きこもってて何もそういうイベントがなかったから本当に何も分からない
ネット知識だと、気のある女には男からガンガンいくし、不必要にうざがられるほどのラインを送りまくると聞く
コミュニティ内なのであんまりにキモ行動を取ると他の友達にまで嫌われてしまうから悩ましい‥
【補足】
書いてなかったけど私は子供欲しいと思っているけど、年齢的に高齢出産になってしまう
私の年齢(35)だと、子どもが持てる可能性もある くらいになっちゃうので、アプローチしても相手に申し訳ない気分にさせるだけで、誰も得しないなぁ‥って