はてなキーワード: 不快感とは
「はぁ…はぁ…」。
今日も、容赦なく太陽が照りつける。昨日の悪夢が蘇り、ライスシャワーの足取りは重い。それでも、学校へ行かなければ、お兄さまに申し訳ない。そう思って、ライスシャワーは、重い足を引きずって駅へと向かった。
ホームに降り立つと、湿気を含んだ熱気がライスシャワーを襲う。まるで、巨大な蒸し器の中に閉じ込められたようだ。
白いブラウスは、すでに汗で湿り、肌に張り付いている。薄い水色のカーディガンを羽織ってはいるものの、焼け石に水だ。汗は止まらず、額から流れ落ちる雫が、視界を遮る。
「どうしよう…、また、昨日のように…」。
ライスシャワーは、不安でたまらなかった。昨日、電車の中で味わった、あの恥ずかしい思いを、もう二度としたくない。
今日は、昨日とは違う、白地にピンクの花柄のブラジャーと、同じ柄のショーツを身につけている。可愛らしいフリルがあしらわれたデザインは、ライスのささやかなお気に入りだ。
しかし、そんな可愛らしい下着も、汗でびっしょりになってしまったら、意味がない。
ライスシャワーは、透け対策のカーディガンのボタンをしっかりと留め、胸元を隠した。これで、少しは安心できるはずだ。
「はぁ…」。
ため息をつきながら、ライスシャワーは、人混みをかき分け、車内へと乗り込んだ。
冷房は効いているものの、人の熱気で、車内の空気は生ぬるい。ライスシャワーの汗は、止まらない。
「どうしよう…、汗の匂い…」。
ライスシャワーは、周りの人の視線が気になって仕方がない。自分の汗の匂いが、周りの人に不快感を与えていないか、不安でたまらない。
その時だった。
「え…?」。
突然、ライスシャワーの体が、何かに引っ張られるような感覚に襲われた。
次の瞬間、ライスシャワーのカーディガンは、まるで魔法にかけられたかのように、宙を舞い、遠くへと飛んでいってしまった。
ライスシャワーは、何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くした。
「ううっ…、やっぱり…、ライスは…」。
ライスシャワーは、自分の不幸体質を呪った。どうして、いつもこうなってしまうのだろう。
カーディガンを失ったライスシャワーは、再び、無防備な状態に晒されてしまった。白いブラウスは、汗で透け、中の下着が、周りの人の目にさらされている。
「どうしよう…、どうしよう…」。
ライスシャワーは、パニック状態に陥った。周りの視線が、まるで針のように、ライスシャワーの体を突き刺す。
白地にピンクの花柄のブラジャーは、ライスの小さな胸を強調し、汗で濡れて、その形をくっきりと浮かび上がらせている。スカートも、汗で太ももに張り付き、下着のラインが透けて見える。
「見ないで…、お願い…、見ないで…」。
ライスシャワーは、心の中で、そう叫んでいた。
周りの視線は、ますます強くなる。ライスシャワーは、まるで、裸にされたかのような恥ずかしさに、顔を真っ赤にする。
「ううっ…、もうダメ…」。
電車に揺られること30分。ライスシャワーは、地獄のような時間を過ごした。
「お兄さま…」。
心の中で、お兄さまの名前を呼ぶ。しかし、お兄さまは、ここにはいない。
「…がんばれ…、ライスシャワー…」。
そして、ようやく、電車が駅に到着した。
「ふぅ…」。
しかし、ホームに降り立った瞬間、ライスシャワーを襲ったのは、容赦のない太陽の光と、湿気を含んだ熱気だった。
「ううっ…」。
汗は、滝のように流れ落ちる。ブラウスは、完全に透け、中のブラジャーが丸見えだ。スカートも、汗でびっしょりになり、下着のラインがくっきりと浮かび上がっている。
「もう…、どうなってもいい…」。
駅のホームを歩くライスシャワーの姿は、周りの人々の目を引いた。しかし、ライスシャワーは、もうそんなことはどうでもよかった。
「早く…、学校へ…」。
学校に着く頃には、ライスシャワーの制服は、完全に原型をとどめていなかった。ブラウスは、汗でドロドロになり、中のブラジャーがはっきりと見える。スカートも、汗で濡れて、体のラインに張り付いている。
「どうしよう…」。
しかし、もう後戻りはできない。
────
Gemini使用
「コンプライアンス」と「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」は関連性がありますが、厳密には異なる概念です。
### 1. **コンプライアンス(Compliance)**
コンプライアンスは、法令や規則、倫理規範に従うことを指します。企業や組織が守るべき法律や業界規制、内部ルールを遵守し、社会的な責任を果たすことを意味します。主な目的は法的リスクの回避、企業倫理の向上、信頼性の確保です。
### 2. **ポリティカル・コレクトネス(Political Correctness, PC)**
ポリコレは、差別的、偏見的な表現や行動を避け、社会的に公正な言語や行動をとることを指します。人種、性別、宗教、性的指向などに基づく差別や不快感を避け、誰もが平等に尊重されるようなコミュニケーションを目指す考え方です。
### 含有関係
ポリティカル・コレクトネスはコンプライアンスの一部として含まれることがありますが、直接同義ではありません。特に、企業のコンプライアンスの中で、人権尊重や差別禁止の観点から、ポリティカル・コレクトネスが取り入れられる場合があります。たとえば、労働環境においてジェンダーや多様性の尊重が求められる場面では、ポリコレ的な配慮がコンプライアンスの一環として扱われることもあります。
つまり、コンプライアンスの枠内でポリティカル・コレクトネスが考慮されることはありますが、コンプライアンスが常にポリコレを含むとは限らず、コンプライアンスが法律や規制に重きを置くのに対し、ポリコレは社会的なマナーや倫理の側面に焦点を当てています。
ショックすぎ。今たまたま女性スタッフに声かけられたからきいてみた。あのレジスタッフはMtFですよねって。したらその人ヘルプできてるからはっきりわからないと。ちょっとわたしも動揺して涙浮かんできて…女性向けの店にこれはないんじゃないかって上の人に消費者の声として伝えてくれと言っといた
いやまじで悔しくて泣けてくる…なにこれ。なんでこんな目に遭わなきゃならないの?
で女性スタッフがレジ替われないから時間ずらして来てって。そうするしかないのはわかるけど、なんでこっちがMtFのせいで買う時間ずらしていかなきゃならないの?
言いたくなかったけどわたしが買おうとしてたフェムテックアイテムは、性器をケアするオイルなんですよ。不快感を軽減させる。そんなもの男のレジ担当者に渡したくないよ。しかもMtFといったら女性への妄想やろくでもないポストばかりしてるだろ?気持ち悪くてむりです。そうさせたのはあの人達ですよ
お問い合わせ内容
本日吉祥寺アトレコスメキッチンにフェムテック商品 AROMEDICAのフェミノールを買いに言ったところ、レジ担当者がトランス女性である男性だった為購入を断念しました。わたしはずっと以前からコスメキッチンを利用していましたがこのような事は初めてです。女性向けのお店だと思い安心安全に今まで買い物をしていましたが、それが今日打ち砕かれてしまいました。いくら女性を装ってメイクや髪型を近づけても骨格・顔・声ですぐに男性とわかるし、MtFと言われている人たちの8割は性愛が女性に向いていて男性が女性に向けるものと同じ感覚で女性を眼差している事実は、当事者達のSNSで散々見てきました。あまりのショックに別の女性スタッフにもお伝えしました。涙 は出るし息は苦しくなるし、想定外の出来事でショックが大きいです。女性を装った男性がレジにいる、女性に対する侮辱であり、買い物をしに来てこんな屈辱感を味わったの初めてです。まさかコスメキッチンでこんな思いをするだなんて思いませんでした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gamestalk.net/post-195436/
あろうことかトップブコメが「コンプラとポリコレを混同してない?」とか言ってるし、「コンプラとポリコレの区別も付いてないレベルだと鳥嶋和彦、お前は黙ってろ。」とか言ってる奴までいるんだけど、
言っとくけど、コンプライアンスってのは「法令・定款などを遵守し、社会的規範、市場ルールに従うこと」だからな??
https://biz.moneyforward.com/contract/basic/5083/
コンプラの範囲には「社会的規範」も含まれるし、その中には当然ポリコレも含有されるんだよ。別に「法令違反を指摘すること」だけがコンプラじゃねーんだよ。
「これ、衣装の露出度が現代の規範から見るとどうですかね?」ってのも普通にコンプラの指摘だよ。
そこから考えると、鳥嶋さんの
コンプラっていう名の「絶対神」。善の名を借りた悪みたいなものがあるじゃない。全員が不快感を覚えないなんてことはない。だって、綺麗・汚いとか、善悪は人それぞれ感じ方があるわけじゃない。物事は、根っこにあるのは、絶対にやっちゃいけないことがいくつかあって、それさえやらなきゃ後はいいじゃない?そいうのがないわけ。
言っとくが、俺はポリコレが正しいかどうかなんて話はしてないぞ。これ、ポリコレが正当だ云々だの話じゃなくて、言葉の意味の話だからな。
ならねーよ。
私はよく「変な人」だと言われる類だ。
それを私はとても嫌だと思っているし、そもそも自分は普通だと思っている。
でも自分内の評価と他人の評価なんて違うのは当然だし、ある程度は「変な人」として見られることは諦めている。
見た目は美人だとはあまり言われないがブサイクとも言われないくらい。髪の毛のケアとスキンケアは趣味なので清潔感は多分あると思う。服装は興味ないのでほぼユニクロ。
接客業なので客に不快感を与えてたら困るなと思って、同僚とかに見た目が変でないか、不快でないか聞いたところ問題なしと皆言ってくれたので見た目の問題ではないと思う。
昔検査したことがあり、発達障がいでも境界性知能ってやつでもなかった。普通より少し頭がいい程度だった。
だから知能面は普通、見た目も普通(多分)なのに、今日また初対面の人に変だと馬鹿にされた。
昔から変だと言われるのが嫌でコンプレックスでなんとか普通に近づこうと努力してきたし、変わってることが好かれることに繋がっているおかげで友人には恵まれているけど、
たまにこういう差別のようないじめのような馬鹿にされ方すると本当に嫌になるし悲しくなる。
ずっと昔からだから一生付き合っていかなきゃならない性質なのが本当に辛くなる。
辛いなあ。
当方、高学歴のくせに発達障害とネット依存症のせいで何社もクビになりどこにも就職できずA型事業所に落ち着いた女
最初高学歴ゆえにプライドが許さない状態で行くの渋ってたし、面接受けるときも舐め腐った態度で心象悪かった
だけどそこで単純作業を一生懸命やってるうちに、職員たちの中で私の株はうなぎ登りらしい
職員も利用者も女性が多くて治安が良く、不快感を与えてくる人も殆どいない(一応過去には同じ発達ゆえに個人的に不快な人がいたが、前話題になったAさんより格段に無害)
生徒感覚で人に色々教えてもらえるし、可愛がってもらえてるし、
コミュ障の私がたまには雑談に参加もできるし、就職も支援してもらえる
Roninとっくにクリアしてるのに感想文まだだったなぁ(´・ω・`) なんやかんや100時間以上やりましたわ
Rise of the Ronin 感想(1日目)
https://anond.hatelabo.jp/20240324192714#
Rise of the Ronin 感想(2〜3日目)
そしてキッズの頃に100時間たぶんやったロマサガ2のフルリメイク、リベンジオブザセブン(体験版)の感想ですのよ
(なお、サガフロがいちばん好きです。アセルスで冒険に出ないでいきなりBOSSに挑んだぜ)
高齢出産アンチなので、40近くなって子供産もうとか考えてるバカは今すぐ去勢して欲しい。
子供が恥ずかしく思うだとか、
障害児だとか、
そんな分かりやすいところじゃなくて、
世間とズレた感覚の子供が出来上がることなんだよね…。(あんまり認識されてないと思うけど)
友達もできないし、
ジジババと話し合わないでしょ?
使う言葉違うでしょ?
そんな親が育てた子供は、大多数の子供と違う感覚を持ってて、それが世間から見たら変な子なわけ。
きついオタクだったり、
話しててなんかン?ってなる子だったり、
なんか変な知恵とか持ってたり、
自慢したがりだったり、
そういう子って大体親が高齢なんですよね。。
寂しい思いとか辛い思いとかしてる。
親ガチャ失敗とか言われるんだろうなぁ〜。
かわいそう。
その年まで子供作らなかったor作れなかったのは
自分本位で子供欲しい〜って老体から世間ズレした子産み落とすの恐怖でしかない。
その世間からのズレを認識しないまま今日まで来てなんか美談にしてるだけ。
絶対どっかで生きづらさを感じてるはず。
普通の若者が経験しない心配事が増える。子供からしたら迷惑でしかない。
しかもその子供も世間ズレしてて他人に迷惑なり不快感を与えてるから最悪。
金があればいいとかじゃないからね??
ボケは金じゃ直せないんだし、
平気だったのに…
大きな病気をしてリハビリ中に出会ったSNS知り合いとゲームするようになり
ふたりで遊ぶようになって1年後。
自分も元気になり社会に復帰し、その人は別の友だちを見つけた。
毎日のように遊んでいたのに、その人は別の人としか遊ばなくなり
声をかけても面倒な感じで冷たくされるようになった。
自分でも驚くくらいに執着しているのがわかる。
まずい…。
このままではまずい。
相手には仕事が忙しくなったと言って、なるべくSNSをしないように心がけてみた。
しかし、たまにチラ見えするその人の楽しそうな姿にびっくりするくらい不快になる。
どうしてしまったんだろうなあ自分。こんなキャラではなかったのに、初めてでどうしようもない。
SNSでしかない縁もあったが、この際全部一旦休止してしまうのがいいかな。
寂しさがすごいけど、そのほうが自分の心のためにもいいのかもしれないな…。
どうしちゃったんだろう、自分。
はじめに断るが、俺は性的嗜好がナチュラルである成人男性である。以下の文章に性的マイノリティの方々を揶揄したり侮辱するような意図は一切ないことを了承していただきたい。
以前まで自慰を行う際は、一般的な内容のもの、つまりは男性対女性の構図が主となる内容の△▽のみを視聴していた。もちろんそういった△▽は、主な視聴者層が99%男性である。それゆえ撮影の目的も男性の欲望を満たすためのものとなるため、一方的に女性側がかなり男性に施すような内容のものが多いような気がする。もしくは、男性側が自身の好きなように女性を扱うような内容である。例えば、主観モノはその最たる例だと思う。説明するまでもないかもしれないが、主観モノは男性側の視点で女性を撮影したものであり、手軽に没入感を摂取することができる。さらには女性側が男性を悦に浸らせることに必死に動いてくれる感も演出でき、ある種の支配感も手に入れることができる。これまでの嗜好を振り返ってみると、個人的によく好んでこの系統の作品を見あさっていたように思う。しかし好んで見ていたからとは言って、それが完璧なものであったとは言い切れない。例をあげるならば、あの画角でのキスシーンはかなり不自然に映ってしまう。主観モノでなく第三者視点で撮影しているものでは、男優のキス姿がもろ映り込んでしまう。この現象に不快感を覚える視聴者も少なくないと思う。ならば主観モノではそれが克服できたかと思いきや、残念ながらそうではない。女優が顔を近づけるのと同時に、左上の角から急に男優の口が映り込んでくる。今までは撮影方法上仕方ないものだと割り切って、見て見ぬふりをしていた。女優の顔の影で画面が覆い隠されるのならまだしもそこに男優の右顎の影が映り込む、この時の自身の興奮に入り込んでくるわずかな違和感こそが、自慰の質を見えないところで蝕んでいた正体だったのだと、今では思う。結局男性対女性の構図では不可避のキスシーン問題によって、知らずのうちにキスに対する態度が自分のなかで腐っていたのだと思う。それを裏付けるように自身の性生活のなかでも、これまでキスの重要性があまり理解できないまま、とりあえず順序の初手として相手にキスしていたと今では振り返る。
先ほど、とある△▽を視聴した。具体的な作品名は伏せるが、とある女性がナンパして声をかけた女性に話をもちかけ、最終的に行為に持ち込むという内容を全3・4パターンにわたって収録したものであった。この作品が俺にとって初めてのレズもの作品であった。今まで何となく自身の嗜好が妙に変化してしまいそうで見るのを避けていたが、何の気なしにFANZA TV(△▽のサブスクみたいなやつ)をサーチ中に目に留まったため、視聴し始めた次第である。なぜなのか理由が自分でもよくわからないが、この作品は入りから一度もスキップしなかった。今考えるに、この現象は天の啓示の前触れなのだったのだと思う。なんだかんだで屋内のパートに移ったそのあと、そこは驚くべき場面の連続であった。もちろんお互いがキスし始めるのだが、まずそこでその絵面の透明感に驚かされたのである。男優がいないというだけで、こんなにも見やすくなるのかと。普段嫌なものとして目を背けていたものに対して、何の嫌悪感も抱かなかったのはこれが初めてだった。2人がキスしている場面に対して、一切の澱みなく心を開いている自分がそこにはいたのである。今までのキスシーンは観づらい、不自然なものだという固定観念が一瞬でひっくり返された。ちょっとずつ激しくなる唇の開き方が、徐々にナンパされた側の女性が心を開きはじめたのを表しているという、よくよく考えれば当然だけどいまいち実感していない事実と感覚がようやくここで真に理解できた。これまでの慣例の中で、なぜキスが行為の中での始まりとされているのか。今までなんとなくのまま受け入れていた流れの最初のステップの存在意義を初めて理由と共に受け入れることができた。その理解に至った瞬間、これでもかとキスが神秘的なもののように目に映り始めた。
一般的な△▽との最大の違いは、キスシーンの長さである。普通の△▽の場合では一通りキスが終わったあと、次のステップに移ることがほとんどである。それ以降もキスはちょちょっとする程度で、それよりももっと激しく、視覚を刺激するような内容に進んでいくのが常である。しかし、レズものはそうではない。行為が始まって終わるまで、ずっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぅっとキスをしているのである。ナンパした側の女性が妖艶な言葉遣いで相手を甘えさせながら互いに服を脱がしあう際も、相武しあう時も、ピークを迎えるときも一切2人の唇が離れることが無いのである。この記述は本当に誇張していない。一部の読者のなかではこれだけ長時間キスシーンを観ていて飽きないのか、という疑問の声もあがるだろう。これに関しては断固として否定させていただきたい。キスを長時間行うことによって、ナンパされた側の女性の心に徐々に安心感が芽生え始め、恥の感覚がほんの少しづつ薄れていく。それと同時に緊張してこわばっていた表情筋が緩んでいき、むしろそこから一種の満足感が生まれていく。作品では、50分ほどかけてその模様が微細に変化していくさまが描かれている。あなたはこの過程を本当に最初から最後まで見届けたことがあるのか。見終わったあと、一本のドキュメンタリを見終えたぐらいの読後感が心に生まれた。その読後感は、ナンパされた側の女性が最終的に得た満足感が、視聴者である私と共有された結果生まれたものなのだと思う。傍から見ている側ですらこの満足感を得られるのであれば、じゃあ当事者になればどれほど大きな充足感を得られるのだろう。こう思った瞬間に、自身の今までのキスへの態度を改めざるを得なくなった。自分が成長できるチャンスがこんなところに眠っていたとは。本当にこの世の中は知らないことだらけだということを思い知った。
平気で差別的な発言をする人だとか、相手に対する不快感を露骨に表してしまう人っていうのは、多分 豊かな環境で育ってきた人なのだと 思う思う。言ってしまえば おぼっちゃま お嬢様。
食べ物の話で、食べ物の好き嫌いを許容できる社会だとか、アレルギーのある人でも生きていける社会というのは、文化的に豊か と判断されるらしいのよ。
我慢してでも 芋虫を食べなければいけない文化の中で好き嫌いを言える状況じゃないし、アレルギーを持って生まれてきたらアレルギーが判明する前に死んでしまうのだから。
言うなれば 食べ物の好き嫌いというのは 食べ物をランク付けして 選び取る作業 なわけ。
話は戻って、例えば 職業差別 なんていうのも 職業をランク付けして 選び取ってる行為と言えるよね。
もちろん食べ物に 人格はなくて、その職業についている人には人格があるわけだから、全然違う行為ではあるんだけれど、対象をランク付けして見てるというのは 同じ なわけ。
しかるべくして、差別的な発言をしちゃう人とか、相手に対する不快感を露骨に表しちゃう人っていうのは 、多分 豊かな環境で育ってこれた人なんじゃないかな。一方で社会はそれを許容できるほど豊かではないということでもある。
私も「ある人間」が苦手だが少額だが寄付し応援している人間だ。寄付や応援程度で信者になるとは思ってないので私は「ある人間」の信者ではない。
彼は嫌いだがそれ以上に彼の対戦相手となっている非営利団体や弁護士軍団やAのことが大嫌いだ。
「ある人間」への苦手度が10としたら彼の対戦相手への苦手度は90以上、Aへの苦手度は150以上だろう。
「ある人間」とは思想の根本が違うので相容れないがそれでも学ぶべきところは多くある。もし話し合いをしたら得られるものがいくつかあるだろう。
一方、その対戦相手の団体の人間やAからは得られるものが何もない。不快感とリスクしか残らないだろう。
「ある人間」の発言には言い過ぎや言いがかりや陰謀論じみたことが含まれているので全てを手放しで信じることはできないが、一方でそれらのうちのいくつかは事実だったことが確かめられたり真実味を帯びてきたこともあるので全く無視することもできない。
そして彼の対峙する相手が社会的にも人間的にもクズであることは疑いようがない(彼のクズ度が10とすると対戦相手らのクズ度は500を超える:Aとその取り巻きはバレなければ無法な行為で相手を傷つけてもよく、またバレても言い逃れできればそれでいいと思ってるふしがある)。
願わくば彼の活動が成就し、これを契機に日本の制度がクズに対する自浄作用を取り戻し、日本社会が少しでもよくなることを願っている。
相手を侮辱するような態度を取る人とか、相手に対する不快感を露骨に見せてしまう人とか、そんな「ちょっと理解しきれない人」と最近接することがあって、こういう人たちはどんな環境でいままで過ごしていたのだろうと、疑問に思ってしまう。
わかりやすい例をあげれば、「肉体労働のひとって臭いから近づかないで欲しい!」みたいな態度とか、「ブスとは話す価値がないから話しかけないで欲しい!」みたいな態度とか、「昼間から公園にいる男は不審者!」みたいな態度とか。
インターネット上の文章のやりとりならともかく、眼の前にいる人に対して侮辱したり露骨な不快感を表したりすることは、百害あって一利無し、自分にとって損しかないし、第三者的な視点で見かけても嫌な感じだし むしろリスクしかないのだけど、いい歳をしてそういう人って結構いる。
眼の前にいる相手を侮辱するのって、最悪その相手に刺される可能性もあるわけで、かなりリスキーな行為だ。
好き嫌いが態度に出ちゃうのは子どもの頃ならまぁよくある話ではあるし、普通であれば中学高校や大学あたりで他人のふり見て学習するはずなんだろうけど、いい歳をした社会人の中年になっても「露骨なひと」がいたりして、不思議だ。どんな環境でその歳になれば、こんなリスキーな態度を取れるのだろうか???
50も過ぎると本当に老眼がつらくて本当につらい
子供の頃から近眼の乱視だったけどメガネがあるとピントが合う距離を少し遠くにできてそこから手元までは確実にちゃんと見れた
でも老顔になるとなんというか全体的にピントが合いにくくなって裸眼の15センチくらいまでの距離が一番心地よくピントがあってメガネしててもピントが合いにくい、なんとなく目が疲れる、文字を読みたくなくなる、小さい文字が見えにくい、頻繁にメガネをとったりつけたりして読むのがつらい、近眼なのでパソコンモニターまでの距離が遠いのにピントの合う範囲がちょっと違う(これは今のメガネが悪いのかも…)(モニターまでの周りの景色はちゃんとピント合うのに文字のような細かいものだけちゃんとピントが合わない)
とにかく毎日の起きて目を使ってる全ての時間がいつも常にゆるく不愉快に感じる
体力の低下とかどこか体のあちこちに不調を感じる、みたいなのは幸いに無いんだけど視力の老化がほんまにつらい
もっと歳とってこんなふうに少しづつのどうにも言い表しにくい不快感が体に続くならやはり俺も早く死にたいと感じるのかもしれない
https://x.com/pjwx928/status/1834583420745420845?t=66oLwKnVr-WKnTF90Eaogw&s=19
ミソジニーに疑問を持ちホモソーシャルを脱却しようとするとバニラトラックが苦痛になる論理が分からない。
ミソジニーが要するに女性を下に見ることで、ホモソーシャルがいわゆる男社会を指しているのは認識しているのだが、バニラトラックが苦痛になる意味がわからなすぎて困惑している。
女がバニラトラックに不快感を示すのは分からんでも無い。しかしいくらフェミニズムをこじらせているとはいえ、男がバニラトラックを苦痛に感じる機序は全くわからん。
誰か説明してほしい。
書こうか書くまいか悩んだのだが…。
私は或る有名人のファンの一人なのだが、ここ最近、一部の新規ファンの中に、その有名人のことをホストやキャバ嬢に喩えて褒め称える人が居て、非常に不快感を覚えている。
キャバクラやホストクラブのシャンパンタワーなどの画像と有名人をコラージュした画像まで作ったりとか。
勘弁してくれ…。
もしもこの文章を読んで心当たりが有った人は、旧来のファンが不愉快に感じていることに一日でも早く気づいて、そういった行いを直ちに止めて欲しい。
私たちは、ずっと平和にまったり過ごして来たんだよ。幼い子供も含めた家族ぐるみでファンをしているような人たちもいるんだよ。私たち、旧来のファンのコミュニティの中には。
此処には「褒め言葉として他人をホストやキャバ嬢に喩えるような感性」は相応しくないんだよ。そんな人たちに喩えられても、嬉しくないんだよ。不愉快で、悲しくなるんだよ。
そういうノリを愉しみたいのならば、何処か他所に行ってくれ。