はてなキーワード: アルコール中毒とは
本文をうっかり読んでしまうのは時間の無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。
これは一人のクソ女の自分語りだ。
多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクションの小説が好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。
文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。
特に意見やアドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。
そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。
石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。
それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的で趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう。
さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。
私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレの中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。
親に無理矢理突っ込まれた進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値で勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。
結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試のきれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校を受験して合格した。
妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。
彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。
彼は誰にでもそうする人間だ。
そういう人間を私は好きだと思った。
高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛を満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。
彼は時折、家族が留守にしている放課後や休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車をこいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身を他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。
彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。
たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だからと地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。
いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。
部活の大会や模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。
関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。
鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校の卒業も危うくなった。彼のメールを無視し続けた。友人たちのラインもブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。
音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センターも保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。
高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬と睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。
私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業式から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像をはるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校の前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室で卒業式をやってくれた。
さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学に合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。
私は全くもって元気では無かった。
恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。
人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末を説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。
そういうことでお付き合いは継続されることになった。
彼は大学に入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。
私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死に家族に説明し、ひたすら精神科に通った。
彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。
彼はサークルが忙しかった。理系だから男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。
私達はあまり会わなくなった。
彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから。自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。
色々なことがあった。
死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。
私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。
そんな状況を医者は許さず、私は精神科の閉鎖病棟に入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。
看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。
母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。
少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。
これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。
あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。
閉鎖病棟に入院したことがあるレッテル付きの私は母からの罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。
そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。
母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。
彼はおめでとうと言ってくれた。
新調したスーツ、きれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達。
私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。
しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。
私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。
大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。
そういえば私は彼とセックスしていなかった。
呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。
セックスする前に私は酒を飲んだ。
薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。
こんなもんか、と思った。
彼は別にセックスしたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。
その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかったからだ。彼と話すのは楽しかった。
それが数ヶ月前のこと。
それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。
精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠も規則的になった。
兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。
私の生きる価値は無くなった。
ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。
終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。
翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟が一人暮らしをしている家に転がり込んだ。
それから紆余曲折あり、結局兄弟の仕送りで私は生活している。兄弟は大学に行き、私は自分と兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。
もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。
今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。
彼と連絡を取っていない。
これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。
私は多分もう駄目だ。大学は妹宅からは距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。
自分は異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・
彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかもセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛とかいうフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。
友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。
さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学の夏休みの期間を調べている。
でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。
こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。
生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。
そろそろ死んじゃおうと思っている。
メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。
恋愛には向いてなかった。
多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。
罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気を治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。
参ったなあ。
結論だけ先に書かせてもらう。
「ネトゲ廃人をやめたければ、似たような別の、中毒性が低かったり人生捧げなくていいゲームに鞍替えしろ」
医学部に入って、速攻で嫌になった。
「自殺してやる」と家を飛び出したりした。
それくらい、やる気なかった。
6年たって、医師免許さえとってしまえば親も文句ないだろうと思った。
常軌を逸している。
2カ月勉強しても、間に合うか分からないテストが、半年に1回やってくる。
部活もキツイ部活だったが、サボりまくった。部活はさぼりまくったが、才能があったのか、大会では部内で一番勝っていた。
日常風景がネトゲで、リアル世界は仮想現実としか思えなかった。
当然ながら、テスト勉強もできず、2回留年。ホトンド最底辺でなんとか卒業できた。
あるいは、ネトゲをやっていなければ。
ネトゲなんて、いつでもできるのだ。
分からない。
そういうものだったのかもしれない。
このままでは人生が終わると、大学2年生(1留なので3回生)で、
ネトゲを種類を変えてみた。
なんとか、ネトゲの種類変更がうまくいった大学3年生は成績がよかった。学年10番位だったか。
大学四年生(2留したので6回生)で、さらにゆっくりなリアルゲームに変更した。
なんとか進級できた。
山口達也さんが未成年を家に呼び出してキスをしようとしたということでニュースになっている。
「男の一人暮らしでしかも酔っていると分かっているのならそもそも家に行くべきではない」という意見もあるが、男はアイドルであり有名芸能人であり同じ職場の上司のような存在だ。
10代の女性で芸能人に呼び出されたら行ってしまうだろうし、親にも家に行くことは内緒にするだろう。
同じ職場の上司(出演番組のMC)なのだから義理立てするために顔くらい出すだろう。
女性側に非はない。
それを前提として、伝えたい。
山口達也さんはアルコールとの付き合い方に問題があり、通院していたと会見で語っていた。
山口達也さんがアルコール依存症であることで罪は軽減されないが、やはりアルコール依存性だったことがこの事件の肝だ。
(本人は認めてはいないがここでは断定させていただく)
アルコール依存性がどういうものか分からない人がこの事件について
「酔っ払ったとはいえ10代に連絡をするなんてことはしない」
「自分だったら多少記憶はある」というような意見を耳にするがそれはあくまでも
アルコールは一部の人にとっては麻薬と同じくらいの影響を脳に及ぼす。
体質に合わないのだろう。
アルコールという物質は大丈夫な人には大丈夫だけどもダメな人にはダメなのだ。
普通の人はアルコールを摂取しても少々陽気になるくらいで、ハメを外すといってもたいしたことはなく、楽しい気分になるだけで、
しかし、一部の人にはアルコールは脳と化学反応を起こしたかのように大変な影響を及ぼす。
通常やってはいけないようなことをして、暴言を吐き、暴力を振るう、性欲の我慢が効かなくなる。
少量で止めればいいのにリミッターが外れ潰れるまでずっと飲み続けてしまう。
酒を飲んである一定のラインを超えると瞬間的に写真のように記憶はあるのだが、映像では残っていない。
自分がなにをしたのか全く覚えていない。
酒に溺れている状態の人を知っているのであれば山口達也さんの行動をつじつまが合わないとは思わないだろう。
「酒を飲んでいたのだからそういうこともあるだろう」という出来事だ。
それは「酒を飲んでいたのだから許してあげてほしい」ということではなく、
アルコールというのはそこまで人を変えてしまうのだから山口達也さんは徹底的に治療をしなければいないということだ。
「酒で罪を犯さない人もいるのだから酒のせいにするな。」ではない
酒で罪を犯してしまう人がいる。だから酒についてはもっと丁寧に向き合わなければいけない。
酔っ払うのが目的のバラエティーを未成年が起きている時間に流し、
こんなに犯罪を増やしてしまうものなのになぜ規制されないのか?
店に酒を置いておけばアル中がお金を落としてくれるからじゃないの?
それっておかしいよ。
戦争で儲かるからって武器を作ってるような、儲かるからって銃が規制できないような国と一緒だよ。
最後に自分のことになってしまうが、以前アルコール中毒で山口達也さんのそれに似たような症状だった。
酔っていないと落ち着かないし、休肝日は週に1日ほどだった。
お酒を飲むときは記憶をなくすほど飲み、友達に暴言を吐いては翌日に謝り、四方八方に迷惑をかけていた。
どうにかしようとしてアルコール依存性を治すための施設を探したが、「手が震える」「日常生活に支障が出る」といった重度のアルコール依存性についての施設ばかりで
軽度のアルコール依存症について気軽に相談できる施設が見つけられなかった。
困って友達に相談しても「そんなのはアルコール依存症とは言わない」「それくらいだったら大丈夫」ととりあってくれない。
結局、妊娠出産で強制的にお酒を飲まなくなってアルコール依存症は克服できた。
アルコールの自分への影響が怖くて今ではお酒を飲むことができない。
日本にはもっと気軽にアルコール依存症を克服できるための施設があるといいな、と思うし、
アルコール依存症にもっと理解が深まればエスカレートして重度のアルコール依存症になる人も減るのではないかと感じている。
受動喫煙防止のために、JAISTでは喫煙後45分間の立ち入り禁止が決められたそうだが、
ネット周りの意見を見ると、いまだに昭和脳の喫煙者どもが「やりすぎだ」と騒ぎ散らしており、本当に見苦しい。
ある者は「いったいどこでタバコを吸えばいいのか?」などとほざくが、とっとと禁煙する以外に何か選択肢があるのか?
体に悪いことを知っていながら自分が勝手に吸い始めたのだから、禁煙するのも勝手に苦しめばいい。
本当に禁煙したいと思っているならば、医者の手を借りてでも止められるだろう。
アルコール中毒なら、医者の手を借りるくせに。要は本気度が足りないのだ。
もし禁煙できないものがいるならば、一生家から出てこなければいいだけの話。こんな簡単な話もニコチン中毒者は理解できないのか。
まるでアル中患者のソレと同じだ。アル中患者が「じゃあどこで酒を飲めばいいんだ?」なんて言い出したら
当然施設にぶちこまれてしかるべきだ。一人で急性アル中になるなら勝手に死ね案件だが、酔っぱらって交通事故を引き起こしたり、
他人に暴力を振るったりするなど、アルコールもまた単なる嗜好品のくせに他人に迷惑をかける点で何らニコ厨と変わらない。
アルコールについてはバックにいるスポンサーの関係から、排除論が揉み消されているだけの話であり、どちらも等しく滅びるべきだ。
はっきり言って喫煙者はアル中同様、穢れそのものである。身体に有害であることを理解しながらそれでいて
ここ最近、酒を飲み過ぎていて(ウイスキー700mlをだいたい2日間で飲み切る)、寝起きが悪いし、日中はだるくて頭が回っていない気がするし、飲み始めるとだらだらと時間を消費して無駄にしている感があったので、思い切って断酒をしてみた。まだ3日間しか経っていないが、その結果を報告する。
寝起きのだるい感じはなくなった。もともと寝起きは非常に悪いが、酒を飲んでいた頃と比べるとすんなり起きられるようになった。
少なくとも日中に具合が悪い感じは減少した。しかし、下記に述べるが寝付きが非常に悪くなったので睡眠時間は短くなり、今は眠気と戦っている。酒を飲むかやめるかという問題は、だるさと眠気とどちらを取るかという問題であるのかもしれない。
思い描いていたイメージとしては、だるい感じが雲散霧消したついでにやる気も湧いてきて、仕事をバリバリこなせるようになるかと思ったが、そんなことはなかった。だらだらしてしまっている。私のそもそもの人間性の問題かもしれないが。それに加えて眠い。しかも「あー酒飲みたいなー」とか雑念が発動されて集中力を欠く。これについては断酒を続けていけばなんとかなるかもしれない。
私はかつてからずっと痩せ型で、ラーメン二郎を週2で食べていた時にも全く太る気配はなかったのだが、加齢とともに体重増が認められるようになった。自分だけは太らない神話は崩壊した。思えば、ここ最近の私は一日中何かを食べていた。空腹の状態で起き、食べても食べても空腹、ツマミは基本的に食べないが、寝る前に腹が減って飲みながらカップラーメンを2杯食べたりしていた。で、酒をやめてから、それがピタリと止んだ。タバコのせいもあるかもしれないけれど、思わぬ副産物だった。
私がそもそも何で酒を浴びるように飲んでしまっていたかというと、寝酒である。寝付きが非常に悪いのである。世の中には横になってすぐに入眠できる超人のような人間もいるけれど、そういった全ての人たちに嫉妬と憎悪を抱くレベルで寝付きが悪い。で、酒をやめてから、案の定寝付けなくなった。これは大打撃である。食べることと寝ることが趣味という人が世の中には存在して、眠るときが一番幸せという人も多く見かけるが、そういった全ての人たちを妬み、嫉み、憎しみを抱くレベルで大打撃である。私の場合、アルコールと睡眠はトレードオフらしい。困った。
「飲みたいなー」とはたまに思うけれど、手が震えたり、渇望したりするほどに飲みたいわけではない。家には自家製の梅酒が仕舞ってあるけれど、それにも手を付けていない。アル中ではなかったこと、断酒もやろうと思えばできることがわかった。
アルコールはうつ病の原因になるという話も聞くので、前述の通り、酒をやめたらもっと生産的になって幸福度も増すかと思ったが、実際そうでもなかった。心に穴が空いたというほどでもないし、酒を飲めば幸福感を得られるとも思わないけれど、少なくとも淡々と日常を生きている感じである。酒をやめたから活力が湧いてハッピーという感じでは全くない。
とは言え、酒をやめたことは健康に良いことには違いない。適量だけ飲むということが出来ないのである。一口飲み始めたら酔いつぶれるまで飲んでしまう。たった3日間だけど、断酒してみて起こった感想・変化を書き記しておいた。またそのうち飲み始めるかもしれないけれど、続けられるだけ続けようと思う。
その講義はキャパシティ300席の講義室で行われていて、席は2/3ほど埋まっている。必修講義のそれは、2年から4年のどこかのタイミングで同学部の生徒は必ず取らなくてはならない。経済の授業。
毎回授業の流れで、その教授は今の世の中のあり方を否定する。若者が公共機関で席を譲らない、モラルもマナーもあったもんじゃないらしい。
たまたま、昨日はそれが「離婚したシングルマザーに支援はいらない」という話だった。
「日本の貧困率はシングルマザーの層が高いですね。DVとかでってのはわかるんですけどね。性格の不一致で別れる人もいるでしょう?そういう人たちが別れてから声高に"私たちは生活が苦しいんです!国から支援されて当然です!"って言うんですよね。そして『真面目に』生きている人の税金がそこに注ぎ込まれる。真面目に生きてる人が割りを食う仕組みなんですね。なんかバカみたいでしょ?子供のためにって我慢すればいいんですよ、そんな人は。こんな人でもこの子にとってはお父さんなんだ、お母さんなんだって。もしくはもう最初から結婚しないでほしいですね」
愕然とする。2017年の社会学部の授業なのに、18歳から受けられる授業で、教壇の上からこの言葉を発している人間がいることに。
ところで、私の母は今年の春に死んだ。直接的な死因は心臓発作だったが、慢性的なアルコール中毒が原因だった。
死ぬまでの4年間くらいはまともに会話もしていないが、理由は15年前の父の浮気だったらしい。それがアル中の理由になっていいわけも、子供に見放されていい理由にもならないが、そうだったんだな、と思った。
バブル景気の恩恵を受け、寿退社前提の銀行の受付嬢として短大卒後に入社、結婚してからはずっと専業主婦だった母が、私と妹を連れて離婚して生きていけるほどの力があったように思えない。
それでも死ぬくらいなら、長く苦しむなら、離婚でもなんでもすればよかったのだ。そしてそういう女性はたくさんきっといて、そういう人たちが死なないための支援をやっぱりするべきだと私は思っている。そして、私が学んできた社会学はそれに力を貸すというスタンスだったんじゃなかったのか?
教授には教授の思いがあるし、生きてきた人生があり、考えを否定したいわけではなくて。けれど、教壇の上から権力を持った大人が一方的に言葉を話すことは、ときに暴力になるように思う。少なくとも私は、あの瞬間絶望を感じたし、こうして匿名ブログでお気持ちの表明などを女々しくしている。100分中30分授業に関係ない主張を浴びるのは体力を消耗する。
15歳の頃から鬱病、希死念慮を抱くようになり、自傷、過食嘔吐を繰り返して、果てにはアルコール中毒になり今年肝臓と腎臓が悪くなりすぎて、意識を失い心肺停止状態になり緊急搬送。2週間意識がなかった。
目を覚ましたときは病院のICUにいた。そんな状態になるまでよく生活できてたなという点だけど、私の住んでる地域では精神科に通院している記録があると、一般病院はほとんど入院を受け入れてくれなかった。私のカルテには摂食障害、アルコール依存症、不安障害、男性依存、境界性人格障害、自傷癖などの病名が記されていた。受け入れ拒否も、当たり前といえば当たり前だと思う。(さすがに緊急搬送は受け入れてもらえた)
私の家庭は両親ともにまったく毒親でもなく、たまに「普通の家庭なのになんでそんななの?」と聞かれることもあったが、目を覚ましてからは特に家族によくしてもらった。その献身的な姿や意識が戻ったことに心底喜んでくれている姿は、今までの蛮行のすべてを恥じ入るには十分だった。
目を覚ましてからしばらくは自力で歩くこともままならなかったけど、自分の体がどんどん回復していくことが嬉しかった。
今まで、生きていることがずっと辛かった。世界のどこにも自分がいることが許される場所なんてないと思ってた。犯罪行為などこそ関わったことはなかったものの、色々と恥の多い人生を送ってきた。楽に息が出来る場所を探すのに必死だった。
何をやっても誰といても見つからないから、半ば自暴自棄に生きてきたので、学歴も職歴もなく、現実的な話、今の私は要素で見れば「死の淵から蘇ったもの」ではあるけれど、今までの「最低な自分」と何か変わったことがあるかと言われれば、何もない。
それでも「一回死ぬ」。この経験に、今までの何もかもの価値観をぶっ壊してもらえた。
全生命には意義がある。それはどうかな?と思うけど、少なくとも自分は生きててもそんなに悪しき存在ではないのでは?とポジティブに物を考えるようになった。
今まで、何をしてもされても言われても、変われたことなんて一度もなかった。もがき苦しんでた。でも、死んでしまったら、もがくことすら出来ないんだ、当たり前の事だけど、今まで飲み込めなかったことをすんなり理解した。
「メンヘラは一回死ね」は極論だと思う。真剣に死に取り組んでしまったら、そのまま戻ってこれない可能性の方が高い。
最近、メンヘラヒロインだのやみかわいいだの、心の闇に着目して文化として取り入れる傾向が強くなってる世の中。それだけ、罹患者が多いのだろうし、昔よりは精神病をもつ人が迫害されない世界なのかもしれない。
でも、問題はそこじゃないと私は思う。精神病は他者と共有する問題じゃない。それを生み出した自分との格闘の日々なんだ。
自分が変わらないことには何も変わらない。辛いままの人生が続く。
でも、そんな辛い人生でも、輝いていた時間は少なくても、確実にあったはず。その光をありがたく思うことが出来れば、世界は明るい。
そんなことにすら気付けなかった。一回死んで、何もかもをなくして、はじめて些末なことの有り難みを知った。
これから、私は生きていき、辛いことや悲しいことを今まで以上に味わうかもしれない。でも、死んでたら?
そうなっていたら味わえなかった痛みだと思うと、それもまた愛おしく思える。
自殺幇助が目的なのではない。何をしても変われなかった人間が、たった一回死んだだけで、変わることが出来た。私はできなかったけど、聡い人ならいくらでも、死ぬまではいかなくとも自分を楽にしてあげることは可能だと思う。
人は変わるよ。大丈夫だよ。今の辛さがすべてだと思わないでいてほしい。
承認欲求、と言えばネットではほぼ批判が込められた使われ方をするのが一般的だが、マズローなど持ち出さなくとも、社会で生きている者にとって、他人との関わりからモチベーションを得る欲求があるのは自然なことと言える。
しかし、自分を表現することが推奨され、SNSで手軽に賛同やいいねが得られ、LINEで好きな時に好きな相手にコミュニケーションを取れる現代、質の低い他者承認をサプリメントのように得ることに慣れてしまった人々は、承認が得られないと心身にエラーを起こす、中毒患者のように惨めな存在に成り果ててしまった。
大体、社会で生きるのに、人との繋がりは必要だが、他人からの必要以上の承認は必要だろうか?屋根があって飢えなくて着るものがあれば十分ではないだろうか?自分の裁量で社会を生きていけるのなら、何ら他人に恥じる必要もない。好きな音楽を聴き、好きな風景を眺め、食事の味を楽しみ、お気に入りの本を読んで思考を巡らせる、そう言った生活で十分心豊かに暮らせると思う。むしろ、承認が得られずに心身に不具合が生じる方がリスクなのではないだろうか?
他者承認を過剰に求める人々は、社会に対しても影響を広げる。サイン会でアイドルに斬りかかる男、女性性を売って承認を得るアイドル、承認乞食になった女をアイドルに仕立て上げて金と若さを吸い上げる、脂ぎった大人たち。
愛されている事を試すためにひっきりなしにLINEを恋人に送り続ける人格障害者、モテないルサンチマンを持て余して恋愛工学などとたわ言を掲げて通行の邪魔をする男たち。自分の思い通り育たない子供を抑圧する毒親。根性論やビジネス論を振りかざして若者からやりがい搾取をするブラック企業の経営者。不倫男と不倫男に依存する女……
他者に自分を認めさせる必要に駆られたために、無理矢理他人を洗脳しようとして社会を害を成す事は幸せな事だろうか?アルコール中毒患者は自分がアルコールによって不幸になったことを認めないが、レベルの違いはあれど、承認の不足によって不幸になった人々も、また自分が不幸である事を必死に否定するのだろう。彼等彼女等が不幸かどうかは興味がないが、どうか周囲に歪みをもたらさない事を祈るばかりだ。
隣のカップルの男が「ストレス耐性は人によって違うから鬱になりやすい体質があるうんぬんかんぬん」と女の方に語っていた。
何かの本に影響されたらしい。
女の方はうんうんへーと聞いているが時々「それってさ……」と言いかける。
あ、この女ただの頷きマシーンの女ではないんだなと思った。
でも男はすかさず「いや、最後まで俺の話聞いて」と遮る。
でもうろ覚えで間違ってる。「アルコール中毒などの依存症は脳内のセロトニンが出すぎてしまっているせいだ」っつってたけど、ドーパミンでしょ依存症の原因は。
マシンガントークの合間に女が何か言おうとすると「だから俺の話最後まで聞いて」と言う。
この男、会話ってものをする気ないらしい。
私がすごいなと思ったのは女の方がそんな理不尽な言われ方をされても「ちゃんと聞いてるよぅ><」って言ってた事だ。
すごいなぁ。
私だったら会話出来ない頭でっかち男とまともに付き合う事なんて出来ないわ。
ただただ純粋にすごいと思った。
自分の家庭を見ているみたい
母がアルコール中毒になり、父が殴るみたいなことがずっとあっても話しづらくて誰かに言う機会もないんですよね…
ただこの話と違うのが今も続いている点で、父が退職し、嘱託も終わって家で何するでもなく生活していて母に当たり散らし続けてるところと母が離婚に向けて準備しているところ
どう解決するかって感じの状態でもなくて自分の存在すらも父の癇癪で母に何か言う理由になるだけで正直どうしようもないなぁと感じてます…
精神科なんて連れていける人でもないし…
全く何もしない(スポーツしたりギャンブルしたりとかでもなくテレビをずーっと見てるような感じ)のでボケたりしないかも心配なんですけど本人に言えるわけでもなく、母はもちろん我関せずで兄弟もあんまり考えてなさそうで…
誰かに解決してもらったりする問題でもないですけど打ち明けできたり助けてもらえたりする世の中になったほうがいいなぁと常々感じてます。
私の父は数年前、アルツハイマー型認知症を経て肺炎で亡くなった。
父は、昔の人によくありがちな典型的な癇癪持ちのタイプで、気に入らない事があると突然癇癪を起こすのが常だった。
好きなプロ野球チームが、父のお気に召さないプレーなどを示すと「なにやっとんじゃぁっ!!」と晩酌のビール瓶片手にしょっちゅう切れていたし、そのビール瓶を叩き割ってしまって自分で後片付けしていた背中が私の少年時代の記憶に焼きついている。
仕事は、一人親方の看板製作業で、小中学生の頃よく一緒に手伝いに連れて行かれたけど、現場に一緒に入っている他の会社の作業員にブチ切れて怒鳴り散らす事も珍しくない人だった。
私はそんな父が別に嫌いだということはなかった。プラモデル作りや釣り、音楽レコード鑑賞などそこそこ趣味を持っていた人で、私は釣りには興味は示さなかったが、プラモデルは好きでよく一緒に作ったものだ。父は職人肌のところがあり、プラモデルはとても上手だったし、音楽趣味も古い世代に多い演歌だけじゃなくて、ジャズやニューミュージックなどのレコードも豊富にあって、その影響で私の音楽趣味も醸成されたようなところがある。
ただ、夕食時は親父がテレビ見ながらいつ癇癪を起こすかわからないので、私や他の兄弟も大急ぎで食べ終えて子供部屋に逃げる日課。
そんな父に寄り添っていた母も大変だった。そんな風に子供が逃げるように食卓からいなくなってしまう事にまで腹を立てた父は母に怒鳴り散らして、「お願いだからもう少しお父さんと会話して」と母から何度も頼まれたりもした。
だけど、私を含め子供が中高生、大学生と成長するにつれ自分たちのプライベート時間が長くなってくると、自宅が仕事場だったから、家の中には父と母しかいない時間が長くなり、ストレスを溜めた母がアルコール中毒になってしまったこともある。
父は母なしでは生活できない人だった。
夜遅くに帰宅した私に「お母さんの様子がおかしい」と深刻な表情で訴えてきて、すぐに寝室にいた母の様子を見に行くと、泣き腫らして目も顔も真っ赤にした母が布団の上で一升瓶を抱きかかえて横たわり、「もうイヤだ。死にたい!死にたい!」と消え入りそうな声でずーっと呟き、身体を異常なほど震わせていた。
どう考えても、すぐに病院に連れて行かないといけない状態なのに、父にはそれすらも分からなかったのである。
それからしばらくは、私たち兄弟は出来るだけ自宅には早く帰って父母と一緒に過ごすようにしたので、母の状態は回復の方向に向かったけども、当時は精神科を受診する事すらも忌避される時代だったから分からなかったけど、母は多分かなり重度の鬱病のような状態に陥っていたのだと思われる。
その後、子供が社会に出て自立し、一人暮らしを始めたりしてからも親には随分悩まされたけど、父が60を超えるくらいになると糖尿病や高血圧が悪化して廃業する事になった。ちなみに子供は誰も家業を継いでいない。
そして、父は念願だった美術の勉強を始めるなど、廃業して何年かは穏やかな生活が続いた。私も結婚して孫を見せる事も出来た。
だけどそれも長くは続かず、父のアルツハイマーが発覚して、発覚時には医師から「発見が遅れたのであと1~2年でおそらく誰が誰だかも分からなくなる」と告げられ、その日のうちに孫の名前が言えなくなっていたのにみんなが気付いた。
徘徊は酷かった。あれは経験者じゃないと分からないと思うが、ほんとに突然いなくなるのだ。そうとしか言いようがない。例えば五分前に御飯食べてた筈なのに、周りにいた人がほんのちょっとテレビに気取られただけでいなくなっているのだ。そして、辺りを探し回ってすぐに見つかればいいものの、結局一晩見つからないこともしばしばで、しょっちゅう警察のお世話になった。
一度、GPS機器をお試しで身体に装着させようとしたけど、「こんなもんいらん!」と嫌がってしまって無理だった。
ただ、廃業してからずっと癇癪だけはなかった。いつの頃からか、「お母さんには散々迷惑かけたから優しくする事に決めたんだ」としょっちゅう言うようになり、その言葉のとおり癇癪を起こすことは、少なくとも私の知る限りなかったし、一緒にいた母にも聞いた事がない。
そんな父だったのに、亡くなる年に一度だけ癇癪を起こした。
それはお正月二日の日、実家にみんなが集まっていた和室で、おせち料理を囲んで団欒していた時、母が何かを台所まで取りに行こうとして立ち上がったときにふらっとよろけたその時だった。
「こらっ!そこどけ!」
多分、足を悪くしていた母に対する父の気遣いだと思うけど、にしてもしばらく聞いた事のなかった癇癪。
母のちょうど隣にいたのは私の息子だったが、それまで笑っていたその息子の顔が引きつっていた。
それから、二ヵ月半ほどして、肺炎を患った父は病院で亡くなった。
昨年くらいから、母も同様にアルツハイマー型認知症と分かり、今は施設にいるのだが、この前私が訪れた時、母はこう言った。
「お父さんすぐ怒るから一緒にいてあげてね」
ココ半年くらいで好きになって、都内のいろんなお店に行っては試してるんだが、
知っておくべきビールの種類や銘柄は日に日に増えていくばかり。
興味が尽きないので、ビールについての本や雑誌も購入するようになった。
フェスにも何度か足を運んで、そういう場所で知り合った人となんだーかんだーとビール話に花が咲く。
こういう人の繋がりができるのは良いことだと思うし、それなりに楽しいのだが。
職場の近くにも、自宅の近くにもビアバーがある。
行こうと思えば会社帰りにも行けるし、自宅の駅に着いてからも行ける。
この「行ける」っていう状態にあるのが最近ではちょっと怖くて、
なるべく用事を作って行かないようにしている。
それでも、やっぱり行きたい。ビール飲みたい。
どこそこのお店で珍しいビールの樽開けたよっていうSNSを見たりすると、もうタマラン。
カネと時間が許すなら、ベルギーとかアメリカとかの小さい醸造所を飲んで回りたい。
元増田の意図を汲むならば「アルコール中毒」というより「アルコール依存症」だな。
そして依存症を引き起こす他の薬物に比べて酒が優遇されているのは間違いない。
酒は大人の嗜みだし、昔は数少ない娯楽でもあった。要するに多くの人は酒が好き。
造り酒屋といえばその地元の有力な事業者でありその当主は名士だ。
ぶっちゃけ、酒税は国税収入の約3パーセントを占めるため、国が酒を擁護こそすれ禁止するわけない。
日本は違法薬物を強迫的に敵視するくせに、アルコールに対しては甘すぎるよね。
飲酒運転の厳罰化とか学生の一気飲みの禁止とか、最近はちょっとマシになってきたけどさ。
日本と違って酔っぱらい(アルコール中毒)に対する世間の目はスゴい厳しいかった。
社会人になって酔って外で大騒ぎしてたら、普通にダメ人間と思われる。
(イギリスだと酔って外で大騒ぎしてるのは、基本的に労働者階級の危ない人たち)
もちろん、日本人と違って遺伝的に酒に強い人が多いことも影響してるんだろうけど、
よくテレビに出てくる新橋駅の酔っぱらいサラリーマンみたいのは、社会的に受け入れられてない。
そもそも、酒席の「無礼講」みたいな文化がないのも関係してるんだろうけどさ。
(日本って酔っ払ってると、社会的に高い立場にある人ですら、失言しても許される慣習があるよね)
てか、日本人って基本アルコール中毒じゃねーかって思うときがある。
毎日毎晩、酒飲まないと気が済まないとか、本人たちは普通だと思ってるかもしれないけど結構やばいよ。
伝統的に言えば、日本人の大部分が酒を常飲するようになったのは近代以降だから、遺伝的に酒に弱いに決まってるわ。
飲み続けてると酒に強くなるというのは、半分本当だけど、あれは肝臓の機能が低下してるだけだし。
酔っぱらいに優しく、酒販免許の大盤振る舞いでコンビニやスーパーでいくらでも酒を売れる法制度だし、
未成年も見るテレビ番組にもアルコール飲料のCMがバンバン流されてる美しい国、日本。
アルコールだって中毒になると錯乱状態になるし、自殺の原因にもなる。多種多様な体調不良を起こす。
精神疾患の原因になるから違法薬物がいけないというなら、酒だってもっと規制されてしかるべきだろ。