その講義はキャパシティ300席の講義室で行われていて、席は2/3ほど埋まっている。必修講義のそれは、2年から4年のどこかのタイミングで同学部の生徒は必ず取らなくてはならない。経済の授業。
毎回授業の流れで、その教授は今の世の中のあり方を否定する。若者が公共機関で席を譲らない、モラルもマナーもあったもんじゃないらしい。
たまたま、昨日はそれが「離婚したシングルマザーに支援はいらない」という話だった。
「日本の貧困率はシングルマザーの層が高いですね。DVとかでってのはわかるんですけどね。性格の不一致で別れる人もいるでしょう?そういう人たちが別れてから声高に"私たちは生活が苦しいんです!国から支援されて当然です!"って言うんですよね。そして『真面目に』生きている人の税金がそこに注ぎ込まれる。真面目に生きてる人が割りを食う仕組みなんですね。なんかバカみたいでしょ?子供のためにって我慢すればいいんですよ、そんな人は。こんな人でもこの子にとってはお父さんなんだ、お母さんなんだって。もしくはもう最初から結婚しないでほしいですね」
愕然とする。2017年の社会学部の授業なのに、18歳から受けられる授業で、教壇の上からこの言葉を発している人間がいることに。
ところで、私の母は今年の春に死んだ。直接的な死因は心臓発作だったが、慢性的なアルコール中毒が原因だった。
死ぬまでの4年間くらいはまともに会話もしていないが、理由は15年前の父の浮気だったらしい。それがアル中の理由になっていいわけも、子供に見放されていい理由にもならないが、そうだったんだな、と思った。
バブル景気の恩恵を受け、寿退社前提の銀行の受付嬢として短大卒後に入社、結婚してからはずっと専業主婦だった母が、私と妹を連れて離婚して生きていけるほどの力があったように思えない。
それでも死ぬくらいなら、長く苦しむなら、離婚でもなんでもすればよかったのだ。そしてそういう女性はたくさんきっといて、そういう人たちが死なないための支援をやっぱりするべきだと私は思っている。そして、私が学んできた社会学はそれに力を貸すというスタンスだったんじゃなかったのか?
教授には教授の思いがあるし、生きてきた人生があり、考えを否定したいわけではなくて。けれど、教壇の上から権力を持った大人が一方的に言葉を話すことは、ときに暴力になるように思う。少なくとも私は、あの瞬間絶望を感じたし、こうして匿名ブログでお気持ちの表明などを女々しくしている。100分中30分授業に関係ない主張を浴びるのは体力を消耗する。
偏見しか感じない先生だね。大学側に通報する事は出来るの?できることならやってみてもらいたい。