承認欲求、と言えばネットではほぼ批判が込められた使われ方をするのが一般的だが、マズローなど持ち出さなくとも、社会で生きている者にとって、他人との関わりからモチベーションを得る欲求があるのは自然なことと言える。
しかし、自分を表現することが推奨され、SNSで手軽に賛同やいいねが得られ、LINEで好きな時に好きな相手にコミュニケーションを取れる現代、質の低い他者承認をサプリメントのように得ることに慣れてしまった人々は、承認が得られないと心身にエラーを起こす、中毒患者のように惨めな存在に成り果ててしまった。
大体、社会で生きるのに、人との繋がりは必要だが、他人からの必要以上の承認は必要だろうか?屋根があって飢えなくて着るものがあれば十分ではないだろうか?自分の裁量で社会を生きていけるのなら、何ら他人に恥じる必要もない。好きな音楽を聴き、好きな風景を眺め、食事の味を楽しみ、お気に入りの本を読んで思考を巡らせる、そう言った生活で十分心豊かに暮らせると思う。むしろ、承認が得られずに心身に不具合が生じる方がリスクなのではないだろうか?
他者承認を過剰に求める人々は、社会に対しても影響を広げる。サイン会でアイドルに斬りかかる男、女性性を売って承認を得るアイドル、承認乞食になった女をアイドルに仕立て上げて金と若さを吸い上げる、脂ぎった大人たち。
愛されている事を試すためにひっきりなしにLINEを恋人に送り続ける人格障害者、モテないルサンチマンを持て余して恋愛工学などとたわ言を掲げて通行の邪魔をする男たち。自分の思い通り育たない子供を抑圧する毒親。根性論やビジネス論を振りかざして若者からやりがい搾取をするブラック企業の経営者。不倫男と不倫男に依存する女……
他者に自分を認めさせる必要に駆られたために、無理矢理他人を洗脳しようとして社会を害を成す事は幸せな事だろうか?アルコール中毒患者は自分がアルコールによって不幸になったことを認めないが、レベルの違いはあれど、承認の不足によって不幸になった人々も、また自分が不幸である事を必死に否定するのだろう。彼等彼女等が不幸かどうかは興味がないが、どうか周囲に歪みをもたらさない事を祈るばかりだ。
はてなが最高にイカれた時代に生み出されたみょうちくりんな流行語と、何でもそれを使って切ってみようとする風潮嫌い。 そもそも学術用語じゃないからマズローでも誰でも学術的な...
マズローはフロイトと同等レベルの胡散臭さなんだけど、はてな村の某精神科医がマイナー学説をやたら好むせいで有名になってる。 マズローとかいまだに大真面目に言ってるのは心理...
そんなあなたに承認プラットフォーム「大承認」(タイトルしか読んでない)