15歳の頃から鬱病、希死念慮を抱くようになり、自傷、過食嘔吐を繰り返して、果てにはアルコール中毒になり今年肝臓と腎臓が悪くなりすぎて、意識を失い心肺停止状態になり緊急搬送。2週間意識がなかった。
目を覚ましたときは病院のICUにいた。そんな状態になるまでよく生活できてたなという点だけど、私の住んでる地域では精神科に通院している記録があると、一般病院はほとんど入院を受け入れてくれなかった。私のカルテには摂食障害、アルコール依存症、不安障害、男性依存、境界性人格障害、自傷癖などの病名が記されていた。受け入れ拒否も、当たり前といえば当たり前だと思う。(さすがに緊急搬送は受け入れてもらえた)
私の家庭は両親ともにまったく毒親でもなく、たまに「普通の家庭なのになんでそんななの?」と聞かれることもあったが、目を覚ましてからは特に家族によくしてもらった。その献身的な姿や意識が戻ったことに心底喜んでくれている姿は、今までの蛮行のすべてを恥じ入るには十分だった。
目を覚ましてからしばらくは自力で歩くこともままならなかったけど、自分の体がどんどん回復していくことが嬉しかった。
今まで、生きていることがずっと辛かった。世界のどこにも自分がいることが許される場所なんてないと思ってた。犯罪行為などこそ関わったことはなかったものの、色々と恥の多い人生を送ってきた。楽に息が出来る場所を探すのに必死だった。
何をやっても誰といても見つからないから、半ば自暴自棄に生きてきたので、学歴も職歴もなく、現実的な話、今の私は要素で見れば「死の淵から蘇ったもの」ではあるけれど、今までの「最低な自分」と何か変わったことがあるかと言われれば、何もない。
それでも「一回死ぬ」。この経験に、今までの何もかもの価値観をぶっ壊してもらえた。
全生命には意義がある。それはどうかな?と思うけど、少なくとも自分は生きててもそんなに悪しき存在ではないのでは?とポジティブに物を考えるようになった。
今まで、何をしてもされても言われても、変われたことなんて一度もなかった。もがき苦しんでた。でも、死んでしまったら、もがくことすら出来ないんだ、当たり前の事だけど、今まで飲み込めなかったことをすんなり理解した。
「メンヘラは一回死ね」は極論だと思う。真剣に死に取り組んでしまったら、そのまま戻ってこれない可能性の方が高い。
最近、メンヘラヒロインだのやみかわいいだの、心の闇に着目して文化として取り入れる傾向が強くなってる世の中。それだけ、罹患者が多いのだろうし、昔よりは精神病をもつ人が迫害されない世界なのかもしれない。
でも、問題はそこじゃないと私は思う。精神病は他者と共有する問題じゃない。それを生み出した自分との格闘の日々なんだ。
自分が変わらないことには何も変わらない。辛いままの人生が続く。
でも、そんな辛い人生でも、輝いていた時間は少なくても、確実にあったはず。その光をありがたく思うことが出来れば、世界は明るい。
そんなことにすら気付けなかった。一回死んで、何もかもをなくして、はじめて些末なことの有り難みを知った。
これから、私は生きていき、辛いことや悲しいことを今まで以上に味わうかもしれない。でも、死んでたら?
そうなっていたら味わえなかった痛みだと思うと、それもまた愛おしく思える。
自殺幇助が目的なのではない。何をしても変われなかった人間が、たった一回死んだだけで、変わることが出来た。私はできなかったけど、聡い人ならいくらでも、死ぬまではいかなくとも自分を楽にしてあげることは可能だと思う。
人は変わるよ。大丈夫だよ。今の辛さがすべてだと思わないでいてほしい。