2017-01-22

父の癇癪

私の父は数年前、アルツハイマー認知症を経て肺炎で亡くなった。

父は、昔の人によくありがちな典型的癇癪持ちタイプで、気に入らない事があると突然癇癪を起こすのが常だった。

好きなプロ野球チームが、父のお気に召さないプレーなどを示すと「なにやっとんじゃぁっ!!」と晩酌ビール瓶片手にしょっちゅう切れていたし、そのビール瓶を叩き割ってしまって自分で後片付けしていた背中が私の少年時代記憶に焼きついている。

仕事は、一人親方看板製作業で、小中学生の頃よく一緒に手伝いに連れて行かれたけど、現場に一緒に入っている他の会社作業員にブチ切れて怒鳴り散らす事も珍しくない人だった。

私はそんな父が別に嫌いだということはなかった。プラモデル作りや釣り音楽レコード鑑賞などそこそこ趣味を持っていた人で、私は釣りには興味は示さなかったが、プラモデルは好きでよく一緒に作ったものだ。父は職人肌のところがあり、プラモデルはとても上手だったし、音楽趣味も古い世代に多い演歌だけじゃなくて、ジャズニューミュージックなどのレコード豊富にあって、その影響で私の音楽趣味も醸成されたようなところがある。

ただ、夕食時は親父がテレビ見ながらいつ癇癪を起こすかわからないので、私や他の兄弟も大急ぎで食べ終えて子供部屋に逃げる日課。

そんな父に寄り添っていた母も大変だった。そんな風に子供が逃げるように食卓からいなくなってしまう事にまで腹を立てた父は母に怒鳴り散らして、「お願いだからもう少しお父さんと会話して」と母から何度も頼まれたりもした。

だけど、私を含め子供中高生大学生と成長するにつれ自分たちプライベート時間が長くなってくると、自宅が仕事場だったから、家の中には父と母しかいない時間が長くなり、ストレスを溜めた母がアルコール中毒になってしまったこともある。

父は母なしでは生活できない人だった。

夜遅く帰宅した私に「お母さんの様子がおかしい」と深刻な表情で訴えてきて、すぐに寝室にいた母の様子を見に行くと、泣き腫らして目も顔も真っ赤にした母が布団の上で一升瓶を抱きかかえて横たわり、「もうイヤだ。死にたい死にたい!」と消え入りそうな声でずーっと呟き、身体を異常なほど震わせていた。

どう考えても、すぐに病院に連れて行かないといけない状態なのに、父にはそれすらも分からなかったのである

それからしばらくは、私たち兄弟は出来るだけ自宅には早く帰って父母と一緒に過ごすようにしたので、母の状態回復の方向に向かったけども、当時は精神科受診する事すらも忌避される時代だったから分からなかったけど、母は多分かなり重度の鬱病のような状態に陥っていたのだと思われる。

その後、子供社会に出て自立し、一人暮らしを始めたりしてからも親には随分悩まされたけど、父が60を超えるくらいになると糖尿病や高血圧悪化して廃業する事になった。ちなみに子供は誰も家業を継いでいない。

そして、父は念願だった美術勉強を始めるなど、廃業して何年かは穏やかな生活が続いた。私も結婚して孫を見せる事も出来た。

だけどそれも長くは続かず、父のアルツハイマーが発覚して、発覚時には医師から発見が遅れたのであと1~2年でおそらく誰が誰だかも分からなくなる」と告げられ、その日のうちに孫の名前が言えなくなっていたのにみんなが気付いた。

徘徊は酷かった。あれは経験者じゃないと分からないと思うが、ほんとに突然いなくなるのだ。そうとしか言いようがない。例えば五分前に御飯食べてた筈なのに、周りにいた人がほんのちょっとテレビに気取られただけでいなくなっているのだ。そして、辺りを探し回ってすぐに見つかればいいものの、結局一晩見つからないこともしばしばで、しょっちゅう警察のお世話になった。

一度、GPS機器をお試しで身体に装着させようとしたけど、「こんなもんいらん!」と嫌がってしまって無理だった。

ただ、廃業してからずっと癇癪だけはなかった。いつのからか、「お母さんには散々迷惑かけたから優しくする事に決めたんだ」としょっちゅう言うようになり、その言葉のとおり癇癪を起こすことは、少なくとも私の知る限りなかったし、一緒にいた母にも聞いた事がない。

そんな父だったのに、亡くなる年に一度だけ癇癪を起こした。

それはお正月二日の日、実家にみんなが集まっていた和室で、おせち料理を囲んで団欒していた時、母が何かを台所まで取りに行こうとして立ち上がったときにふらっとよろけたその時だった。

「こらっ!そこどけ!」

和室が一瞬にして静まり返り緊張が走った。

多分、足を悪くしていた母に対する父の気遣いだと思うけど、にしてもしばらく聞いた事のなかった癇癪。

母のちょうど隣にいたのは私の息子だったが、それまで笑っていたその息子の顔が引きつっていた。

それから、二ヵ月半ほどして、肺炎を患った父は病院で亡くなった。

昨年くらいから、母も同様にアルツハイマー認知症と分かり、今は施設にいるのだが、この前私が訪れた時、母はこう言った。

「お父さんすぐ怒るから一緒にいてあげてね」

父が死んでも涙一つ流さなかった私だったが、何故か涙が溢れて止まらなくなった。

  • 自分の家庭を見ているみたい 母がアルコール中毒になり、父が殴るみたいなことがずっとあっても話しづらくて誰かに言う機会もないんですよね… ただこの話と違うのが今も続いている...

    • アルコール「依存」を、アルコール「中毒」と言っているところで創作臭と自演臭が漂うな。 普通家族がそうなって支援を受けたら「中毒」とは言わないぞ。

      • 私には暗い話で自演する目的が思いつかないのですが…。 匿名で自分と関係のない暗い話で自演して喜ぶ人ってよっぽど奇特な方では?

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