はてなキーワード: ちょっかいとは
出会い系のアプリで出会ったその人は、私より20歳ほど年齢が上の人だった。
おじさんが好きな私は大学も女だらけのところということもあって、普段、出会い系アプリを通じて恋人探しをしている、のだけど別に特別美人でも賢くてウイットに富んだ会話ができるわけでもないからだいたい出会い系のアプリで私に反応してくるおじさんはヤリ目とかばっかり。なので、いつも私は、アプリで会った人とはセフレになってしまったり、やり捨てみたいな状態で相手が醒めるケースが多かった。
そんなだから、正式に付き合った人はまだいなくて、私は一時期投げやりになってて、「もうワンナイトでいいからやりたいなー」なんて最悪なことを考えてる時があった。そのときに出会ったのが今回の何考えてるかわからない人、シンさんだった。
シンさんとは夕方に都内のカフェで待ち合わせして、そこで少し話した後に、居酒屋に行って二人で飲んだ。私は冗談交じりに「私の方から告白しても、いつも絶対振られたり、キープみたいな扱いされるんですよね〜ダイエットしてナイスバディでも目指そうかな」みたいな話しをしたら「こんなに可愛いのに?少なくとも誰とも付き合えない原因は見た目じゃないと思うよ」といってくれた。そのあとLINEを交換しようと言われて、連絡先をいただいた。彼とは趣味も一致したので会話も弾んだ。そのあと、「今日これお持ち帰りされるのかな」と思ってたけどそ22時になったら「もう帰ろうか、親御さん心配するでしょ」と言われて返された。
この時私は、この人とは簡単に肉体関係を持たずに、ちゃんとした関係を持とうと思った。
その後、LINEでシンさんの方から「また会いたいな〜」と連絡をもらって、早速次の週にはまたデートをした。その次の週にもデートをした。
シンさんは、話し方とか行動にちょっとクセがあって、頭の中で次に何を言うか考えるそぶりをしたり、不意打ちでちょっとおどけてきたり、いきなり素っ気なくなったかと思えば、一緒に入った映画館で上映中にボディタッチをしてきたり、かと思えば「明日早いんだよね」といって19時台にデートを終わらせようとする人だった。ハッキリと「『こうしたい』とは言わないけど、これはやりたくないんだろうな」とか、「ここで私が『夜ご飯ここじゃないところで食べない?』っていったら嫌がるだろうな」みたいなことはなんとなく態度でわかるので、彼がやりたそうなことや、言ってほしそうなことを私が予想して考えて会話に反映させていた。エスパーになった気分だった。でも、どこか掴めなくてミステリアスで素敵だなとも思ってたから、気にしてはいなかった。
4回目のデートは少し日をまたいでからのお家デートだった、彼の住んでるマンションにお邪魔して二人で映画を見てた、そしたら予想はしてたけどボディタッチをしてきたので、「どういうつもりでやってますか?」と聞いてみた、そしたら「えっ、、、増田ちゃんが好きだからだよ!」っておどけて言われた、正直浮かれたけど、ここで流されたら絶対に恋人にはなれないと思ったから「私とヤりたいから好きみたいな意味で言ってるなら喜べないな」と言ったら、「そんな風に見えますか?」ってしょんぼりされた。
意外にもしょんぼりされてしまった、本気なのかも…と思い、意を決して、「私もシンさんのこと、好きですよ。じゃあ付き合います?」と言った。そしたら、シンさんからは、「う〜ん、まだ早いんじゃない?会ってからの期間が3ヶ月くらいになってから決めよ」と言われてしまった。
今考えたら普通におかしいんだけど、(試用期間じゃねえんだから)この時は本当に浮かれてて、そんなことはどうでもよかった。
その後は彼の方から京都旅行に誘ってくれたり、7、8万はくだらないジャケットを「もういらないから」とくれたり、(ちなみにシンさんと私の共通の趣味の一つがお洋服です)と嬉しいハプニングの連続で、それはそれは幸せな時間だった。帰りに駅まで送ってくれたときにも、「来週また会おうね」と言ってくれて名残惜しそうにお互い別れた。ちなみにセックスはしてません。
そしてその次の週にシンさんと最後に会った日がやってきた。
そんなことはつゆ知らず、ウキウキで待ち合わせ場所に到着してデートをスタートさせた。
ふと、私は前回誘ってくれた、京都旅行の件を思い出して、「そういえばホテル調べたんですど、シンさんは?」みたいな会話を振ってみた、そうしたら「う〜ん、まだ。そういえば俺、やっぱり瀬戸内にいきたくてさ〜どうかな?」と言ってきた。
「べ、べつにいいですけど、でも旅費も違っちゃうから用意できるかわからないし、だいたい幾らくらいなの?」と聞いてみたけど特に反応はなくて私はだんだん不安になってきた。それで、その日はちょっと焦ってしまって、彼には申し訳ないけど、その後一緒に入ったデパートにいたモデルみたいな店員さんに、「シンさん私みたいなぽっちゃりよりあの店員さんみたいな人のほうが好き?」と面倒くさいこと聞いてみたり、逆に飲み屋を出た後酔ったふりをしてちょっとベタベタしてしまった。
今にして思えばこれが逆効果だった。
エスパーだったはずの私が、焦るあまり空回りして、彼が望んでないかもしれないことをしてしまった。
この日はご飯食べた後は普通にお開きになったのだけど、私が急にお腹が痛くなってトイレに駆け込む形で別れたこともあり、次会う約束を決めないまま別れてしまった。
そして、今に至る。
ブロックはされてないけど、3回くらいLINEを送ったけど、既読無視をされるようになって一ヶ月がたった。
確かに最後に私がしてしまったことはウザかったかもしれない、でも、ちょっとべたべたされただけで男の人はいきなり好きから興味なしになってしまうものなの?
それとも最初からちょっかいをかけることが目的で、「好き」も「京都旅行」も単なるリップサービスなの?
あなたはあった時から、なんだか掴めない人で、それが魅力だけれど、でも今は、いったい何を考えているのですか?
私のことが急にウザくなったのですか、二十歳前後の子が好きだって言ってたけど、子供っぽい私の態度は嫌いなのですか?
スマホのスケジュール帳をちょいちょい見せてもらって、次会う日を決めてたくらいだから、無いとは思うけれど、めちゃくちゃ巧妙に二股をかけていて、私じゃ無い方が選ばれたのですか?
瀬戸内はどうするのですか?
あなたに貰ったジャケットはどんな気持ちで着ればいいのですか?もうサイズ調整をしてもらいにお直し屋さんに出して、今頃そこのおばちゃんがせっせと縫製し直してくれてるのを、どんな気持ちで取りにいけばいいのですか。
私のことが好きなのではなかったですか?
小さい頃は自分も仕事しながら人並みに結婚して子供を育てて人並みの幸せを手に入れるもんだと思ってた。
まっとうに女の子が好きだった。男子小学生が必ず通る、好きな女の子にちょっかいかけたりなんてのも順調に経験してた。
道を外れたのは中1。ゲイ動画に興奮を覚えた。中2では同じクラスに好きな男子もできた。彼からラインが来るたびに心踊ったし彼が他の人と遊んでると嫉妬した。恋愛感情だと認めざるを得なかった。
その頃からもう女の子は純愛でも性愛でも対象から外れていた。けど自分がゲイだと自覚できたのは高校入ってから。徐々にわかってくる。結婚はできない。子供なんて無理。
もちろんパートナーシップ協定やら海外なら同性婚ができるやら多少は調べたりもした。だけどまあ異性間の結婚とは訳が違うわけで。子供だってまあパートナーができたら養子なんてことも考えられるけど子供が可哀想だし。
小さい頃願ってたことなんて何にも叶わない。生きてて何が楽しいのかわからない。先が見えない。実らない恋愛感情を人知れず抱くのに何の意味がある?
もう疲れた。
俺は交通機関の中で赤ん坊や幼児にちょっかい出すのが好きだ。言わば手を触れずに乳幼児を変顔だけであやすプロフェッショナルと言っていい。大抵のグズってる乳幼児は俺の厳しい視線や殺気に満ちた顔でぐずりを止める。あるいは極限の恐怖で命乞いのバイバイさえしてくる。
この業界横のつながりはないが同業者を見かけることがたまにあり、あるときに泣きじゃくる赤ん坊にまぶたのピアスをびよーんびよーんとやって見せてる男子高生くらいの同業者もいた。色々と攻撃の手段はあるものだと感心するばかりである。
さてここは終電まで一時間くらいの下りの電車。帰宅ラッシュが多少ひと段落した車内で一歳に満たないくらいの赤ん坊が泣いており、母親が周りを気にしながら一生懸命あやしている。プロの出番だな。
いいかガキよ。ここは電車の中で乗っているのは会社帰りの俺を含めたくたびれたリーマンやOLが家路を急いでるんだ。眠くて機嫌が悪いからってぐずるんじゃねえよ。ほらお前のママがうろたえながら一生懸命お前の背中をぽんぽんやってるじゃねえか。お前ママを温泉に連れてったりプレゼントしたりの親孝行したことあるか?俺たちはある。大人だからな。くやしいだろ。だがそんなお前にも今できるたった一つの親孝行、それがおとなしく眠ることだ。それができないと言うのなら俺が強制的に黙らせてやる。
そんな気合を込めた一瞥を俺は軽いジャブでガキに突き刺す。ママの肩越しに一瞬表情が凍り付くガキだが俺は容赦しない。すかさずこの世のものとも思えない殺意に満ちた表情を作りガキを威嚇する。酒が入ってるからほっぺたと唇の筋肉がピクピク言ってるが我慢だ。俺は大人だからな。
俺に視線をホールドされたガキが小賢しくもママの胸に顔を埋め、俺の威嚇を回避しようとする。バカめ!隠れたつもりか。ほら早くも肩越しに顔を出して俺のプレッシャーに晒されている。恐怖に満ちた黒豆のようなお目目が俺を見ている。ざまあみろ。
しばらくするとこのガキはまたしてもママの胸に退避しやがった。卑怯者め。だがそれは俺の思うつぼである。俺は表情を変えずにショルダーバッグに手を突っ込むと人差し指と中指に特別な攻撃モジュールを装備した。ゲーセンのクレーンゲームでついムキになって1000円くらい突っ込んで入手したアイテムだ。男は30過ぎると酒飲んだらクレーンゲームがやりたくてしょうがなくなるのだ。大人だからな。
5センチくらいのカンガルーとパンダの指人形を装備してピースの状態にすると、俺はこのガキが三たびママの肩越しから顔を出すのを狙った。もちろん殺意に満ちた表情の準備も万全だ。完璧な段取り。まさに大人。
だが次の瞬間ドアが開き、何と母親が笑顔で振り返り俺に軽く会釈して降りて行った。くっ!何だと?
確かに俺の攻撃が母親に悟られ「すみません」とにっこりガードされてしまうことはある。俺はこれを親テレパシーと読んでいるが、親テレパシーの感度が高まるのは、敵が隣に立つもしくは隣に座るときであり、今回俺の位置は真後ろである。しかも車内の混雑具合はとりあえず椅子が全部埋まってる程度で、立ってても新聞広げられるくらいだった。敵までの距離も一歩半程度と完璧だった。
次の瞬間ドアが閉まり俺は全てを悟った。
ドアの窓ガラスの中にカンガルーとパンダを指にはめた酔っぱらいのリーマンがいた。
ワイシャツの裾が片っぽ出てた。
目立つところで勉強するといちいちちょっかい出してくる奴らいたから、本当は勉強したいのに皆の前ではしないようにしてた。
運動の努力は目に見えるところでやっても称賛されるのに、勉強は駄目なのは本当に納得いかなかった。
運動は苦手だった。体育の授業でチョットしたミスをしたときに、体育教師に「勉強ばっかりやってても駄目だぞ」とクラス全員の前で言われたことは今でも忘れられない。
その体育教師は俺の在学中に自爆事故で死んだ。若い先生だったから人気はあったから、泣いてる友達は多かったけど俺は特に悲しくなかったな。
現実にもこういう「可哀そうな陰キャオーラ放ってるオタクにちょっかいをかけてくる女の子」ってのはいるんだが
こっちが少し好意を抱くと「そういうつもりはないんスけど……彼氏居るんス、そういう目で見れません」みたいな感じで離れてくんだよな。
大体そういう子は、割といろんな男に同じような事をしていて、大体高校初めくらいに処女喪失してそこからずっと恋愛人生を送っている。
そうして普通の恋愛に飽きて、承認欲求が満たされなくなってくると、陰キャオタクにちょっかい出して承認欲求を得ようとする。
大体そういう子と付き合うのは恋愛経験豊富な陽キャだったりするんだけど、陽キャの「好きだよ」は沢山いる女のうちの一人としての「好きだよ」なんだよな。
陰キャの「好きだよ」というか、好意的な反応というのはその女一人に対してのものだからそこに需要が生まれる。そうやって陰キャは性的に搾取されて、セミの抜け殻みたいになる。
そうして歩く虚無となって、「宇崎ちゃんは遊びたい!」を見つけて、自分に対してちょっかいかけてきたあの感じを思い出して、屈折した感情を抱きながら泣きながら読むんだよな。
40代夫婦、中学校2年生(都内私立男子校 中高一貫。本人が希望して入学したが、少し勉強についていくのに苦労している)の3人暮らしの我が家。
夕食の席で、中学校2年の息子が「学校のことで話をしたい」と言い始めた。
そして、家族会議をすることに。
議題は、彼の「学校でのこと」について。
俺に似て、ナードな息子は「運動部の奴らにイジられていて辛い」と話し始めた。
運動部に入っていたが、同年代の子に「辞めちゃえばいいのに」と繰り返し言われて辞めたという経験がある。
俺は運動部が憎い。
自分が中学生の時も、サッカー部と野球部の連中は我々のようなスクールカーストの低い人達を虐げていた。
坊主憎けりゃナントカだとは分かっていても、本当に気に入らない。
本人の希望で、スクールカウンセラーにも相談に行っている。
カウンセリングの内容は当然だが、親も知らない。
息子は「話せる人がいるのはありがたい」と話している。
この年代で、親に話せないことがあるのは当然なので、援助希求能力を上げるためにもとても大事だと思っている。
ところで、我が家では、家族会議のときには、いつも俺が議事録をつくる。
Macにメモをとりながら、Apple TV経由でリビングのモニターに映しながら、問題を外在化しようと試みるのだ。
そこで、ある程度のフェイクを入れながら、下記に転記する。
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*息子より問題提起
「授業中など勉強しているときに、運動部でイケている感じの奴らに後ろからちょっかいを出されたりする」
「進学校だからか、勉強も運動もできるやつは威張っている。とくに背の小さいやつをイジってくる」
「家庭科の授業中に後ろから糸くずを置かれた。遠くで笑われたりする」
「ちょっと気分が悪い。それが辛い。」
「体育の時間にいろいろ言われるのが辛い。たとえば、「邪魔」「動けよ」「ちゃんとやれよ」「デブ」ということを言われて、大変だと思っている。」
「いろいろ試してみた。キチンと嫌だと言ったり、おちゃらけてみたり、ちょっとキレ気味にいったり。でも、どんな風にしても馬鹿にされる」
「次回の(スクール)カウンセリングで(このことを)聞こうかな、と思っている。」
>妻「Sくん(彼の仲の良い友人。自分と同じようにイジられている立場だ、とのこと)も同じような感じ?」
息子「Sくんは、教室の後ろの方の席だから(息子ほどでは)ない」
>妻「特定のひとに言われるの?」
息子「5〜6人くらい。あとから、のっかってくる人もいる」
(他にも具体例はあったが省略)
>妻「私はSくんの親とも繋がりがある。Sくんの母親に相談するのはナシ?」
息子「それはSくんに悪い。話していない可能性もあるし」
息子「(あるいは)Sくんもカウンセリングに言ったら、楽になるのではないかと思う」
>妻「いつ頃からなのか?」
>妻「他にも言われている人はいるのか」
息子「Kも、デブとか言われている」
息子「カウンセリングでは言おうと思っている」
>妻「結局、(前の部活)もそういったことで辞めていることもある」
息子「そうだね」
>妻「介入するべきかどうかは迷っている。でも、介入が必要なようにも感じる」
>父「『イジる』というのはプロの行為。素人が真似していいものではない」
(ハラスメントについて、適当なPDFを探し、参考資料として共有)
https://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-010/documents/harasumentobousi.pdf
息子「うーん。今の時点では、よくわからない」
息子「いえない」
>妻「たとえば、こちらとしては保護者会の後に、先生にお話しをしてもいいとも思っている」
>妻「でも、あなたが『言ってほしいかどうか』を大事にしたい」
>妻「自分としては、どうしようと思っているのか」
>父「気になったのは、助けてほしいかという質問に対して『よくわからない』という感じ。少し不思議。もう少し詳しく聞きたい」
息子(息子の現状への認識の話)
息子「自分はオンラインで仲の良いゲーム友だちもいる。まだ頼れるところもあるし、大丈夫だと思う…という感じ」
息子「(息子が)イジられなくなると、他の誰かのところに行くのではないかと思っている。先生に相談できない一番の理由もそれ」
息子「奴らは次の標的を探していると思う」
息子「一番自分と仲の良いSは友達もあまりいない。心の拠り所もなさそう」
息子「だったら、自分が(ある種の)タンク役として、受けられるといいのかとも思う」
>妻「息子は、イジりに対して、反応がいいのではないか」
息子「反応は良いと思う。アイツラは楽しそうにしているし」
息子「実際、格好の餌だと思う」
息子「ただ、ひとりだけ本当に嫌で…〇〇って奴」
息子「あいつの弄りは本当に嫌だったから、その人からは本当に距離を置くようにしている。物理的に。ただ、それはそれで反応を面白がって近づいてくる」
>父「次の標的を探している→だから自分が犠牲になるべきだ、というのは、ある種の過大な自己評価ではないか」
>父「彼らは単に反応のよい人に触れているだけ、とも思う。ボタンを押して、反応するのが楽しいような原始的な感覚」
息子「(モニターをみながら)文字だけ見返すと、確かに過大評価かもしれない」
息子「でも、家庭科の授業のときに、◆◆が小声で言っていたのは『いじめるんだったら、Sとか(息子の名字)とか…』と言っていた」
息子「遠くでこちらをみて、笑っていることがある。本当に、こっちをみているかどうかはわからないが…」
息子「Sについて、責任を感じる必要はないかもしれない。でも、万が一、あるいは数%でもそういう可能性があるのは『怖い』と思う」
<話し合い中、またはその後の息子の反応や言動>
(話し合いの最中から涙を流し、一時中断した。15分程度、タイムアウト)
(話し合った直後)
息子「学校のことで時間をとってくれてありがとう。少し楽になったよ。助かった」
(しばらく経った後に泣きながら)
息子「なんか、いろいろと思い出して辛くなった」
息子「学校で色々言われていると『自分は消えてなくなった方がいい』と思うこともある」
息子「家でも居場所がないように感じてしまう。自分がいない方がいいようにも感じる」
<話し合い後:今後の具体策>
定期的に、家族へ現状の報告をする
場合によっては両親の判断で「タオル」を投げる(両親としては現時点でもタオルを投げたい)
カウンセリングの先生との面談が3日後。そこで話してみる(こちらの会議内容のコピーを持参してみる)
→毎日の出来事やカウンセリングでの反応をみながら、適宜、話し合いを持ちたい
__________________________________________________
と、まあ、こんな感じになりました。
子供の抱える問題は、どこまで介入するか、とてもむずかしいなー。
悔しい。
遠くから悪口が聞こえたり、自分の存在を消してしまいたいと思うなんて、ちょっと鬱だよね。
なぐりてえ。
ウチの大事な息子をそんな目に合わせた奴らのことを殴りてえ。
でも、殴ったらいけないことくらいは分かっている。
彼らにとっては本当に些細なことでも、居場所を失いそうなくらい、息子は気にしているんだ。
息子が嫌がることをしないでください。
本当にお願いします。
もっと早く気づいてあげられてたらなあ。
ごめんな、ごめんな。
ごめんな。
東日本で20数年を過ごしたあと、1年前に大阪に引っ越して来ました。
大阪(関西)に住んで色々と思うところがあったので、備忘代わりに書いて置こうと思います。
そのまま。はじめて新大阪駅について「これから大阪で頑張るぞ!」なんて思ってJRに乗り換えようとしていたら、エスカレーターで後ろから歩いてきたおじさんにスーツケース蹴られて泣きそうになりました。私にとっての大阪の初印象は、最悪。
②満員電車で詰めない
東京の中央線ってめちゃくちゃ混んでるじゃないですか、でもみんな慣れてるからちゃんと駅に着いて人の出入りがあると何となく全体が最適化されるようにポジション取るんですね(そんな気がします)。
朝の御堂筋線は(中央線比べて)そんなに混んでません。でも絶対にみんな自分のポジションを動かない。
詰めろや!入り口で突っ立ってるなや!
あと阪急は夏にエアコンちゃんと回してください。暑過ぎです…。
パンチパーマのおばちゃんが店番しながら観光客にちょっかい掛けてくる、そんなイメージを持っていた時期もありました。パンチパーマの大阪のおばちゃん、どこにいるんでしょう、情報お待ちしてます。
④外国人が多い
関西経済を語る上でインバウンド観光客の寄与は欠かせませんよね。とはいいつつ、本当に外国人客が多い。なんばとかもはや異国の地を旅している気分になりません?私はなります。
あの辺、あんまり日本らしさとか大阪らしさとか感じないけど、みんな何を楽しみに来てるんだろう…?金龍ラーメン??たこ焼き??
あのごちゃまぜで雑多な感じが好きっていうなら、私も同じですけれど…。
ただまあ、リピートする程来てくれるっていうのは、何はともあれありがたいことです。
帰ってくると海外のノリで日本で行動してしまい、ギャップが出るんだよね
オープンマインド(外国人)←→他者に対する基本的な怯え、警戒感(日本人)
子供大好き、子供がいるとちょっかい出さずにいられない(外国人)←→他人の子供は基本無視(日本人)
他人は他人、どんな境遇や性格でも関係ない話が合うか試したろ(外国人)←→他人に対する紙一枚のような極薄の許容度(日本人)
むかついたら目の前で言ってすっきりするぜ(外国人)←→おんなじこと思っている仲間探して裏で文句言って安心しよ(日本人)
なんとかなるさ、将来は大金持ちになるぜ(外国人)←→給料が下がりませんように※祈り(日本人)
うちの子供は世界一素晴らしい!(外国人)←→うちの子供って「...」じゃない?※...にはニートやら、おたくやらネガティブな社会通念が入る(日本人)
こういうの何とかした方がいいと思う
同期の男Mの話をさせてください。
同期は彼女がいらっしゃって、職場は違うんですけど、私は知り合いで、同期とは1年半くらい続いていて、とても仲睦まじいです。
おとといその同期とヤっちまったので気持ちの整理をつけるために日記を書いています。
今日色々ショックで休み取っちゃったもんね。週末休日出勤して帳尻を合わせなくては。
いやね、そいつ本当にひどい奴なんです。クズ野郎なんです。いや、クズ野郎を誘惑してしまってあまつさえヤってしまった私も同罪なんであいつを責められないんですけど。
普通に考えて彼女がいる身でありながら職場の女を(冗談でも)口説き、ついには本当に手を出してしまうなんて本当にひどい奴だ。本当に本当にひどい奴だ。クズ野郎だ。本当にクズ野郎。いつか刺されろ。私に刺されろ。
どうしてうっかり惚れてしまったんだろう。はじめて言語化するな。今まで認めてなかったもんな。だって認めちゃうとダメな気がして。でもちゃんと言語化して過去形にしなければならない気がした。もうここまで来てしまったら曖昧には戻れない。
仕事が出来るんですよね。数少ない同期ですけど、本当に頼りになる。自分に自信があるように見せるのが上手。悔しい。人をさらっと気にかけるのが上手。男女とか以前に職場の同期なので、自分より仕事が出来るのが頼りになると同時に悔しい。自分がもっと仕事が出来るようになったらいいのに。仕事が出来るようになりたかった。なりたい。今日も休みを取ってしまうような弱いポンコツなのが悔しい。明日から仕事頑張る。どうして仕事は上手くいかないのだろうか。もっと後輩に頼りにされるようにならなければ。仕事経験が浅いのが悔しい。もっと勉強したいけど難しい。
っていうかあいつも良く分からなくて、私に対するセクハラ発言が止まらないし、私結構嫌がっているはずなんだけど一向にやめる気配がないから段々諦めてきちゃった。どうして私のこと好きアピールを辞めない?こっち結構頑張ってつれなく接しているんだけど?私の努力を感謝しろよ?お前はヘラヘラ口説いて私が慌てふためくのを見物して楽しいのかもしれないけれどなぁ、断るのもエネルギーが要るんだぞ。キッパリキッパリ断ってるけど結構頑張ってやってるんだからな。
すごくマイナーな少女漫画で申し訳ないんですけど、ROLAっていうOL雑誌で連載していたIT会社が舞台の少女漫画があって、そこに徳永っていう主人公にちょっかいをかける彼女もちの仕事は出来るクズ男性が出てくるんですけど、振舞いはまるでそんな感じです。
いつかはヤると思っていた。そんな予感を抱きながらしょっちゅう一緒に飲んでるんだから私にも責任は大いにあるんだよな。ちょっと怪しいシーン沢山あったもんな。酔いつぶれてあいつの家にお世話になったの何回かあるもんな。おとといまでは誓って何もなかったのだが。大きな事故の前には大抵沢山のヒヤリハットがあるもんなのだ。
さて、おとといの話をしようか。
そう、この日はその後輩の子についての恋愛相談をしていた。酒を飲むつもりはなかったのになんだか飲んでしまって、いつも通り酒をしこたま飲んでしまって、帰り結構フラフラだったんだけど、またあいつがそんな潰れてんのに帰せないからウチくる?って言うから、なんかもうつれなく接するのが面倒になってしまって、あいつの家へ向かう地下鉄に向かう時からなんだかよく分からないスイッチが入って、腕を組み手をつなぎ猫なで声を出し共に歩いた。電車はとても混んでいて、抱き着いて顔をうずめて背中を意図をもって撫でた。確かに記憶はあるのだがどうしてそんなことをしたのか全然分からない。酒って恐ろしい。でもきっと本来はこうしたかったのだ。向こうも驚いたことでしょう。実質誘っていた。だって私が普段男を誘う時に行うしぐさだ。あいつの前では意識して消していたのに。
まあ私がそんなんだから向こうもイケると思うよね。それで家についたらあれよあれよと服を脱がされ、そこからはなし崩しですよね。3回戦までした。私も今までで指折りにはしゃいだ。超楽しかった。
で、翌朝やっちまったなぁと思うじゃないですか。寝てるときこのまま家の扉が開いて修羅場になる夢を見た。家に置いてある彼女のクレンジング借りて、そのまま混乱したまま一緒に出勤した。
あいつうっかりやっちまったくせに本当あっけらかんとしていて、なーにが「後悔していないよ」だ「忘れたくない」だ「色々分かって嬉しかった」だ「溜まっていた欲をここですべて放出して次に行こう」。なーにが「全部俺が悪かったから」だ。どうしていつも通り私にセクハラまがいのLINEを送るのだジョークのつもりか。おまえ本当頭ぱっぱらぱーだな自分のこと棚に上げると本当お前最低だな。美味しく頂いているんじゃないよちょっとは躊躇しろよ私の半年の苦労が無に帰したよ私は君とはヤらないまま友情を築きたかったよ初めてというか唯一と言っていいくらい気を許した男友達だったんだよそのまま卒業してもたまに会うような友人でいたかったよ。というかどうしてわざわざ彼女さんを私に紹介したのよこうならないために抑止のために紹介したんじゃないの私彼女さんと普通に知り合いになっちゃったから本当申し訳なくて気まずくて本当めちゃくちゃ後悔して仕事もすっぽかしてこんなん書いているくらい混乱しているのに君ときたら
まあ冷静に考えると、最終的にあっちが破局してしまうのが最悪の結末である。こうなった以上あいつのようにあっけらかんとして「今度ちょっと多めにサービスするよね」で済ませるのが一番いいんだろうな。確かにあっけらかんとしていないと普通にバレそう。
「次は無いよ」はちゃんと言ってくれた。そこはありがたいね。「今日だけ」は最中も散々言われた。私だって君たちの関係を壊す気はないんだよ。本当に無いんだよ。だって君たち本当に仲良さそうだもん。お似合いだもん。壊せないよ。そりゃ言いたいけどさ私じゃダメなの?ってだって君私のことも好きでしょう君があの子に会うより前に私に会ってたらきっと普通に付き合ってたでしょう私たちでも君があの子のことを本当に惚れて口説き落として大切にするって誓ったのとても想像がつくから、だから言えないんだよ。
悔しいなぁ。好きって言ってごめんねって君とは付き合えないんだよって言ってもらった方がいっそいいんだろうか。その方がいっそすっきりするのだろうか。でも答えは150%分かり切っているのに言うのもプライドが傷つくだけだしなぁ。
今その後輩とちょっといい感じなのもあると思うのよね。本当にその後輩と付き合っちゃったらさ、今までのように仲良くは出来ないのかなぁとか、サシで飲んだくれるのは控えた方がいいのかなぁとか思うとさ、なんか私辛抱たまらんくなってしまって。
なんか疲れてきちゃった。このまま上げるね。くそ長文だけど書きなぐりのまま上げるわ。
「荒らしはスルーしましょう」「暴言を吐くユーザーには反応せず、管理人掲示板に通報して下さい」「迷惑行為を繰り返すとアクセス規制します」なんて色んなとこで言うが
ぶっちゃけ、荒らしとキチガイに勝つなんて無理なんですよ、勝負になってないもん
スルーしたら面白くないのでどっか消える?甘いわ、スルーされても楽しく一人相撲して陣取るしオナニーしまくるぞ、反応あるまで色々ちょっかいかけてくるぞ
NGだのあぼーんだので消したり伏せ字にする?あのな、言葉を変えたり言葉の間に不自然な空白や記号入れればそういうの回避出来るんだよね、ID単位でも複垢だのルータ再起動だのすりゃいいんだわ
管理人や運営様に泣きついてBANやアク禁してもらう?そのIPがそいつのメインのIPとは限らないし、格安MVNOだのフリーWi-FiだのVPNだのいろいろあるよね
そりゃまあ、個人情報をフリー素材にされて例の弁護士が殺害予告されるきっかけになったバカみたく、ひょんな事からバレてリアルが終わるハメになったのもいるがね?そういうのはレアケース
名もない顔もない誰も知らないキチガイは、常に無敵状態で楽しんでる場をぶっ壊しに来るわけよ
やめてくださーい!荒らすのだめでーす!なんて反応してもダメ、無視してても次第に空気が悪くなる、悪意と独善が暴走して第2第3の荒らしや同レベルの自治厨が生まれる
そうしてコミュニティから出ていって、そいつらが居ない場所で閉じたコミュニティを制作し、次第に閉塞してオワコン化するわけよ
逃げた先にも追撃してくるお元気な荒らしだっているから、その場合は一生逃げ回るハメになるね
5と増田とツイを巡回した後、まとめとはてぶとトゥギャッターを延々と見る
どう考えても健全な人格形成に支障をきたすから辞めたいんだけど(てかそもそも楽しくない、目にも悪いし)
ネットの世界も一通り見ると見るもの無くなるんだよね(🖤🖤🖤🖤🖤)
でも、しばらく放置するとまた、体力が回復してみんなの話題になるようなおもしろネタが出てくるの(❤️❤️❤️❤️❤️)
見るものがあるときはまだいいんだけど、惰性で見るものもないのにリロードしてるときは本当に無駄
人は暇なとき何をしているの。テレビ?掃除?読書?ずっとスマホ弄ってる人はソシャゲでもしてるの?
増田よりはソシャゲのほうが健全っぽいから始めたほうがいいだろうか
そういえば、寝転がってできるからSwitchでマイクラしてるけど、暇つぶしってよりはよーしマイクラするぞ〜、だし、気力がなければ始められないから結局惰性暇つぶしはスマホになってしまう。(今はネザーに植林場作ってるの。
ソシャゲも体力回復を待ちながら他ソシャゲ巡回とかになるから苦手なんだよな
ゲームも知り合いからアンテのネタバレ食らってやる気が出ない。せっかく仲良くなったのに…。つか、ゲームするのも億劫なの、なにこれ。
ともかく、もう人生の全部が暇をつぶすというか、時間を過ぎさせるとか、そんなのに終始していて、何がしたいわけでもないから仕方ないんだけど、無駄な人生だ
ネザーに植林場とか要らねえもん。作るものないから作ってるだけだもん。マルチ相手入ってくれないから誰も褒めてくれないし。
そもそもゲーム好きじゃないんだわ。子供時代できなかった反動でハマっただけですぐ飽きたし、でも他にできることがないから仕方なしにしてる感あるし。人付き合いが面倒くさくて逃げてるだけ。かといってもう人間の中ですり潰されるのも嫌だ。
んで今日もダラダラ朝から増田してて、あーいまいちブクマ伸びないなーとか思ったり、暇になると御三家基地外みたいな増田にちょっかいかけてレスバしてみたりとか、うんちの役にも立たない事ばっかりしてる
アルジャーノンに花束を、の書評で「エレベーターのようにぐんぐんと打ち上がって、頂点に達して真っ直ぐに落ちていくような、勢いのある話だった」って言うのがあって好きだったんだけど
かつては拳を振り上げ熱狂したもの、熱狂した同志、熱狂した場所があったのに、今は誰もいない。踏み潰された草地と、忘れ去られた立て看板とがあるだけ。まるで、何にも残らなかった戦争みたいで好き。
今日は特にいい。そこそこ文の意味も通るし(そのせいでちょっかいかけられてるけど)、何より失われたものの輝きを上手く描けている。警察や教授など、明確な抗えぬ悪者が出てくるのも好きよ。被曝跡地で燃え尽きた家の瓦礫の陰に、溶けて輝くガラス瓶の埃を拭うような美しさがあるわ。
たまに正常側に針が振れてる時の字下げっちの文章に垣間見える理路整然としたもののも、かつての栄誉の面影が見えるからいいよね。
最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。
昨日何度目かの視聴をした。
かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。
なんというか、人間の記憶は主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。
ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体もあやふやになる。
少しぼかして書いていることもある。
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クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。
何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。
喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我もしょっちゅうしていた。
私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。
そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。
男の子、女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲームが好きな人、ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。
カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。
小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。
5年生のクラスのメンバーには1年生の時からの友達も3年生からの友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。
登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。
いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)
私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか、消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。
初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。
とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動そのものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。
当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずでわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。
また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプの女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。
クラス替えをして、全然知らない、普段静かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。
多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人の対応をできるわけがない。
もしかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。
幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。
後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくまで個人間の諍いであった。
私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。
給食の時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食室から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分で牛乳を配膳した。
大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。
当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。
1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。
周囲が異変に気付き始める。
「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初のきっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているからこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名を命名した。キャッチーなあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。
しばらくしてクラスの人間が真似をし始めた。地獄の始まりである。
子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪の判断がつかないまま真似をする。
「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。
「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。
当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティは破滅に向かう。場面場面でお調子者キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団でいじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。
「〇〇菌」
誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめの様相と化した。
ランダムにペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子も露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。
愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。
今日の今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者に一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。
しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやかな小学校時代をぶち壊した。
わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキルで相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。
私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。
これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気はムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。
6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。
高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。
他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪な問題が顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラスが学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である。自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。
Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンでご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。
ある時、昼休みだったか「総合」の時間割だったかの時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。
私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。
私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。
まずは「このクラスにいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。
なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。
全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。
「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。
いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。
「手から離れた問題が雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。
私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやすい戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。
誰かに「無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。
「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいつはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。
「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。
醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生のカーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。
本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやかな生活を台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足も修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。
学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラスの黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにかけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。
その後、地元の公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。
自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。
私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。
大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりにおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。
私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。
それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名や過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。
中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。
それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。
私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。
入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力や金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。
どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間は勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。
兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分に資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。
私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校の出身者は次々とA小学校の出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。
A小学校の時に明るかった人間やクラスのカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。
私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめの被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分の黒歴史を見るようだった。
小学校時代を猿山の大将として過ごし、学級裁判でだんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。
高校に入ってからはしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。
自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。
大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。
アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。
過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。
私は27歳になった。
人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。
職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。
でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。
これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)
二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間は自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔にしかならないからだ。
いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。
私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまりに勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。
Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか。大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊だけが目的の人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。
でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。
精神が成熟していないコミュ二ティは悲劇だ。教員のせいにすることもできない。
とんでもないくだらない理由でいじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。
イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。
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今日、小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。
その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41