はてなキーワード: 伊豆の国市とは
そのころ都知事は男性が何度か擁立されたがうまくいかず、女性が統治しはじめて数世代を経ていた。
歴代の女性都知事は初代の名を襲名し、鏡を奉じて男性側近に補佐を受けつつまつりごととまじないとを能くしていた。
相模湾西部の熱海市近郊の海上。伊豆七島の領有をめぐって勃発した静岡県との抗争に際して、初代から数えて第17代目となる百合子は旗艦「神田」上で如上のセリフを口にした。
この時代は東京都統帥権は都知事が有した。百合子は政治的には東京都知事であり、軍事的には東京辺境領戦姫巫女の肩書きを世襲する。いわゆるエクストリームシヴィリアンコントロール体制の時代にあった。
なお付言すると、東京辺境領の名は京都臨時政府(京臨)による侮蔑的呼称であったものを、関東人がアイデンティティ形成の中で好んで自称するようになった歴史的背景がある。
緒戦において豊富な物量と都税による作戦を展開。酒匂川での会戦に勝利し現今都軍は湯河原に本陣を置く。
静岡県伊東市まで伸びるJR東日本は内通済みだ。往古の契約である伊豆急行と国鉄との境界と、静岡県と神奈川県との境界の差異を利用した政治的戦略である。
伊豆七島のある相模湾沖に睨みを効かせる必要は当然あるものの、静岡県府は遥か西方だ。
県民による「静岡県は東西に長いですからなぁ〜」が現実味を持っていやらしく聞こえてくる。
古い時代に伊豆熱川にもたらされた甘蕉鰐(バナナワニ)なる生物を飼い慣らし、軍事作戦に同行させる兵科だ。
甘蕉鰐兵は甘蕉鰐と寝食を共にし、巧みに甘蕉鰐を動かし、酒匂川でも川辺故に都軍を脅かした。
その大隊が伊豆の国市に駐屯しているという。半島側から攻めるにしても三島に出るにしても睨みが効く位置にある。
意外に、静岡は粘り強く戦うかもしれない。
浜松の手前には、300年前に先祖のリニアさえを止めた大井川がある。
大井川にも特殊兵科がある。鉄道機関車の正面に面妖な顔面を据えた戦術機関車がいくつも配備されていると聞く。
id:torrysGalleyです。元増田からは脱線甚だしいですが、
bandosuguru 静岡県を分ける基本は東部(富士川以東)・中部(富士川~小夜の中山峠)・西部(小夜の中山峠以西)ではなく、伊豆・東部・中部・西部だと思う。
以下、静岡県東部と伊豆半島に関する面倒くさいオタ話です。中部と西部も話し出すと色々ありますが、とりあえず中部は静岡都市圏、西部は浜松都市圏ってことでまとめておきます。で、東部と伊豆ですが、そう分けるとして、どこで分けるのでしょうか?
伊豆というからには旧伊豆国でしょう、とすると三島は東部じゃなくて伊豆になりますが(国府が置かれていたし)、沼津と三島は地域区分を違えよう、なんて言えば沼津市民も三島市民も違和感ありまくりでしょう。一例で沼津駅と三島駅は隣で約5km、静岡市内の静岡駅・清水駅間の半分でしかありません。どちらも同じ狩野川右岸でこれといった自然障害物もないですし。そもそも沼津市は合併で旧伊豆国の地域を含むようになっていて(『ラブライブ! サンシャイン!!』の舞台ですね)、東部から旧伊豆国をまるまる分けるのは不自然です。
だからといって伊豆を分けることに理がないわけではないのが面倒なところ。中部・西部に倣って都市圏で考えると、沼津都市圏(詳しくはウィキぺを見てください)は旧伊豆国では沼津市内に加え三島市、伊豆の国市、伊豆市、函南町までは及んでいますが、逆に言えばそれ以外の地域には及んでいません。地理的に言うと、狩野川流域が沼津都市圏で、箱根から南に連なる丹那山地と天城連山が自然障害になって外縁を画している形です。じゃあ、沼津都市圏外を「伊豆」にすればいいじゃん!
でも、非沼津都市圏の地域が地域的な一体感を持っているかというと、とっても微妙。丹那山地の東側、具体的には熱海市と伊東市ですが、ここは完全に東を向いていて、どっちかというと首都圏の西端だって自意識。JRもここだけは東日本管内で、SUICAで改札を通るとそのままでは静岡県他地域=JR東海管内では降りられないですしw
残る天城連山の南側、下田市+賀茂郡は、ある程度のまとまりがありますが、東海岸と西海岸で温度差はありますし(東海岸は熱海・伊東的なところも少なからず)、三島や熱海などを含まないこの地域だけを「伊豆」と呼ぶのも一般的な理解にそぐわないですし(「賀茂」だよなあ)、ここを東部から除くなら御殿場都市圏(熱海・伊東のように首都圏指向強し)や富士都市圏(人口規模なら富士市は沼津市以上)はどうすんのよ、と考えると、結局東部は東部として、伊豆を分けない方が無難なケースが多いわけです。もちろん、個別の事例において、伊豆地域を定義して議論することが適当なケースも少なくないのですが。