2015-08-09

いじめの話

夏休みになるとなぜかいじめられていたときのことを思い出す。ただ思い出すだけならいいものの、ひどいときは外出したくなくなるくらい引きずることもある。

そんないじめの体験を少しだけ書きとめることにした。

いじめられていたのは小学校とき。わたしが住んでいる市は治安がそこそこ悪く、暴走族エンジン音がうるさくて眠れないこともしばしば。いわゆるDQNが多いのだ。

そんな市の小学校が大人しいわけもなく、私の学年は特に荒れていた。小学1年生のときから落ち着きがなく、自由トイレに行ったり立ち上がったり大声で話したり、そんなクラスだった。もちろん当時はそれが当たり前だと思っていて、異常だと気付いたのは中学に上がった時だった。

私の学年には問題児が3人ほどいた。全員サイコパス的に人を傷付けるのが好きだった。とにかく暴力暴力暴力。「キモイ」「死ね」そんな言葉挨拶のように飛び交っていて、私自身もその言葉を使っていた。

小学1年生は無事に過ごしたが変化が起きたのは2年のときだった。問題児3人のうちの1人と同じクラスになったのだ。

暴力は止まらない。女子生徒のお腹をごく普通に蹴ったり、弱々しいヲタクっぽい男子生徒を終始嘲笑っていた。教室はいつも異様な雰囲気で、ドラマ女王の教室」のような、いつだって薄暗い煙に覆われているようだった。

何度目かの席替えをして私の隣になったのは彼だった。毎日息を殺して過ごしていた。彼は癇癪持ちで、どういう言葉で行動でキレるのか全く分からなかった。とにかくすぐキレる。自分にその矛先が向かないよう、死んだように過ごした。

そんなある日、私は彼がやけに大人しいためチラチラ彼の様子を伺っていた。「今日は大人しい。よかった」そう思うのもつかの間で、彼は「何見てんだよ」と怒りだし15cm定規で背中をバシバシ切るように叩いてきたのだ。痛い、痛い、痛い。わたしは泣かなかった。担任先生が気付くまで、彼の怒りがどうか静まるように彼の気分をこれ以上損ねないためにも必死に黙っていた。

担任先生が止めてくれた。けれど注意はしない。それがこの学校先生の特徴だった。

それから悪魔の日々は続き、6年になっても問題児3人の行動は落ち着くことなく、むしろ取り巻きを従えてエスカレートしていった。

彼らの独占国家だった。先生たちは助けてくれない。親に言ったらクラスのみんなの前で公開処刑のように暴力を振るわれる。その場にいる先生は、「やめなさい」と諭すように言うばかりで体を張って止めてくれたことなどなかった。彼らに怒鳴り散らすことは一度もなかった。

いじめ王国にすっかり慣れきったわたしは、誰にも心を許せなくなった。男子生徒の暴力暴言いじめの他に、女子生徒の陰湿いじめがあったからだ。

ある一人の女子生徒は王女のようだった。自分の言うことは絶対で、とにかく人を支配したがっていた。今でもその子名前と同じ名前の子と話せないほど、その女子生徒は私のトラウマだ。

明日から〇〇ね」まるでゲームのようにそう告げられ、翌日から無視する女子生徒を決める。ターゲットになった女子生徒と喋りでもすれば自分ターゲットになる。その恐怖でわたしも無視をしていた。仲良かった子さえ守れなかった。彼女不登校になり中学学校には来なかった。わたしはいじめ加害者だ。

わたしは誰とも話さない日々が増えていった。誰かと話せば話す分、自分いじめに関わることになる。学校ではクールぶっていた。けれど家では、母にも父にも言えない苦しみを夜、クッションに押し付けて声を殺して涙を流しながら、「死にたい死にたい」と呟く毎日だった。その時の私はまだ11才。

親友がなにかのきっかけでクラスいじめターゲットになった。明るくいい子だったのだが、問題児には気に食わなかったんだろう。いや、理由なんてない。ただゲームをするように、アリを潰すように、意味もなくそのこをターゲットにしたのだ。

彼女しか友達と呼べる友達がいなかった私は、彼女と話すことで彼女を守ろうとした。しかし、いじめエスカレートするままで、ついには彼女が登校してきた瞬間に彼女の机を彼女に向けて思いっきり投げつけた。

その日の教室地獄絵図だった。女子生徒は号泣、他クラスから先生が飛んでくるものの、問題児の怒りの叫び声は止まらず、「あ″ーーーー」という雄叫びと共に周りの生徒を片っ端から殴る蹴るの暴力。わたしは泣きもせず、ただその光景から目を伏せていた。

先生は何もしてくれない。小学校で学んだことはそれだけだ。担任先生は決まって問題児の生徒をなだめるだけで、先生もまた恐れていた。しかストレスが溜まって、理不尽な怒りが問題児以外の生徒にぶつけられることもあった。授業中に「死ーね死ーね」と叫ぶ問題児には愛想笑いするくせに、少しおしゃべりをした生徒を授業時間中ずっと怒っていたことがあった。先生も狂っていたのだろう。

今となっては少しだけ担任先生に同情できるものの、当時の恨みは消えることがない。

問題児を始め、いじめを率先して行っていた人や助けてくれなかった先生たちは全員不幸になれと思っている。

小学校ときの思い出がない。笑って話せる話はなく、小学校の横を通るとき過呼吸になりながらバレないように下を向いて涙を流す。

いじめ経験から何年も経っているのにわたしは毎年夏に思い出す。毎日死にたいと泣いていたあの日々を。

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