2014-08-05

9才で自殺しようとした

私は9才で親を捨てた。

二度と親だと思って頼らないようにしようと決めた。

私は田舎のしかも人里離れた一軒家で育った。

小学1年生の頃、私には盗癖があった。最初友達の持ち物を盗んだ。

母親からそれを知らされた父は私が失神するまで殴った。頭をガツガツン叩き、誤りながら泣き叫ぶ私をうるさいと叫んでまた殴った。声を出さないように我慢したくても、過呼吸になって喉からしゃっくりが何度もこみ上げた。それを「女ならもっと奇麗に泣け」とあざ笑った。何度も殴るので失神した。気がつくといつも失禁していた。意識が戻っても、それでも父親の怒りが消えるまでは殴られた。翌日父は痛んだ手を見せて「殴る方だって痛いんだ」と誇らしげに私に見せた。

小学生の頃は、私に非があれば、それを理由に何度も殴られた。顔や体を腫らして学校に行ったことは何度もあったが、訴えても大人は見ない振りをしていた。

学校でもいじめられた。小さな学校から同級生は少ない。一度いじめられ役になると卒業までそのままだ。だから友達はいなかった。私は孤独だったが、誰も私を見てくれる人はいなかった。

母は私にとって父にチクる人だった。母は私の行動を監視する役目だった。日記を読み机をあさり、私が何か悪い事をしていないかそれだけを気にしていた。咎められるようなことをしたのを母に見つけれた時、何度も頭を下げて父に言わないようにお願いした。あまり懇願する私を見て、母は父に言わないと約束してくれた。しかし、その夜私は父にまた殴られて失神した。

誰も信じられなくなった。学校でもいじめられ家でも居場所がない。生きていてもしかたがないと思って、大工道具が保管されている小屋で手斧を見つけ、それを持って近くの森に入った。

森の中で手首を切り落とせば死ねるかどうか考えた。もし生き残ったら、騒動を起こした私をまた父は殴るだろうと思った。失敗するのだけは避けなくてはいけないと思った。片手がなくなると、もし生き残った時に生活に不便だろうなとも考えた。手首だけで死ねるのか、じっくり考えたがよくわからなかった。首を落とせば確実だろうが、手斧で自分の首を落とすのは現実的じゃない。どこか血がたくさん出る場所があったと思うが、よく覚えてなかった。

死ぬ方法を考えているうちに、ふと、母のことも思い出した。あの人は私が死んだら悲しむだろうか。

きっと泣くだろう。私の死んでいる姿を見て泣き叫ぶだろう。葬式では悲劇のヒロインだ。大勢の親戚になぐさめられて、かわいそうにと注目を浴びるだろう。しばらくは、私の遺影に花を飾るだろう。でも、あの人は3ヶ月もしないうちに、私のことを忘れるに違いない。

これは確信だった。あの人達幸せで優秀な家族演出することが何よりも大事だった。きっと私の家族は私の死体までもを自分達の不幸な出来事として演出し、葬式では成績のよい手伝いもよくやる優秀な子供だったと褒め称えるに違いない。そしてすぐに私の事など忘れて平穏生活に戻るんだと。

私が今ここで自殺しても無駄だ。誰も悲しまない。そんな自分は悲しすぎるじゃないかと、自分存在があまりにかわいそうで泣いた。それで私は自殺するのを止めた。

これからは親を信じない。大人は誰も信じられないから、生きるために利用する。私はここで生き延びる。早く大人になってこの家から脱出するまで、そのために親を利用する。

9才の決心は、大学生活の開始で実現した。家を出た日のあの気持ちを忘れられない。

※何十年も前の思い出です。心の中に閉じ込めたまま生きてきました。もう父は死にました。まったく悲しくありませんでした。あの頃の事を許すことは私が生きている間ないでしょう。悲しまないのが、私にとっての復讐なのかもしれません。虐待とはそういうものです。世の中から躾という名目虐待がなくなりますように。

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