はてなキーワード: 自己肯定感とは
・たぶん一生独身
人を愛する素晴らしさは理解しているし、まっとうな人間には必要なことだとも理解している。
煩わしい。
その感情だけを優先して生きている。
右を向いても左を向いても毎日争いあってる。
建設的な議論なら歓迎だが大抵クソしょうもないビジネスのための火付けか、
2020年前とたぶんやってること変わらずに科学技術だけ辛うじて前進し続けている。
ヒトが単純に幸福を目指そうとする社会や、同じ問題過ちを繰り返さないための学習というものを社会が行えていない。
その様をこの先ずっと見せられるのかと恐れてから我が家にテレビを置かなくなった。
私より知性的で賢いであろう大人たちが自分の立場と金のためにこどものような喧嘩を繰り返すのを見続けなければいけないのは地獄だ。
自分の限界を知って適正がないことも知っているが、人生を修正するモチベも体力もない。
自分のやりたかったこともやりたくなくなり、何を糧に生きているのか分からない。
アニメオタクはけものフレンズショックで強制的に卒業させられ、
本を読むのもめんどうで、辛うじて漫画だけは読んでいるが面白いと思う作品は減り続けている。
シンプルに何を自分がすべきかは把握しているが、目的が気力を出す動機として不十分…いや、興味を持てないため行動できない。
心技体とはつくづくよく言ったものだと感心する。
・死が怖くなくなってきた
昔は死ぬ事自体に強いストレスを感じていたが今はかなり薄くなっている。
このまま生き続けていても自分に大きな変化はないのを気づいたときからかもしれない。
元々飽きっぽい性格をしているが毎日に新しい刺激がなくなり、退屈している。
さりとて犯罪者になるわけでもなく、凶悪犯のような他人の幸せを理不尽に奪う順法意識のない人間を嫌悪している。
自分が30円引きのヤマザキパンを旨そうに食ったところで地球の裏では孤児たちが飢え死にしている。
それは国内でも同じことが起こっているし、祈りが今その瞬間に等しく分け与えられるときは永遠に来ないので平穏な食事はあり得ない。
水が上から下に落ちるのが当たり前で、ずっと変わらず起きているのと同じように誰かの不幸の裏には誰かの幸福が隣り合い続ける。
地球を中心に太陽が回っている事をいまさら信じるやつはいないし、千年たっても変わらないものを変わると信じているやつもどうかしている。
誰かの幸せも泡のように消えるのが世の常であり、できることは人生という物語を綴って誰かに忘れられるまで残す程度のものでしかない。
・生まれる前は
死後の世界に興味を持つ人も、正しく生前の世界について話題にしている事は少ない。
どちらも自分がこの世に存在しない世界であるが、死後にどうなるか話題になっても生前自分はどうだったのか気にする人はいない。
何もないところから自分が生まれたのであれば、当然死によって何もなくなり、きわめて低い確率で何らかの生物に生まれ変わるのも可能性としては残る。
正直なところ、自分は二度とこの世に生まれ変わりたくないと思っている。
安寧の無があるのなら自分はそこに入りたい。
所謂神話としてのゼウスのような存在というより、プログラマーとしての神をイメージしている。
プログラムにはすべて目的があり、実在として道具は総て目的があって作られている。
人間の世界でいえばガンプラの目的はプラモデルを作る楽しさをモデラーに提供することであり、創造主はバンダイだ。
単純に考えてこの宇宙を作ったのは神であり、目的までは分からないにしても何らかの事情があるのだろう。
とにかく、在るということを肯定したこの基盤でまた生と死を繰り返す退屈さと苦痛を別の形で味わう事にはなりたくないという思いが、今は死よりも強くなっている。
反出生主義は幸福になれない可能性から誕生を否定するが、私はこの世界で生きる事そのものが悪であり不幸だと思っているのでやや主義が異なるように思える。
私は両親に感謝しているし、彼らの長所や短所も理解している。その上で自分をよく育ててくれたと思っているが、生きる事そのものが不幸だという考えは変わらない。
もちろん実際に自分が死ぬ場面に直面すると本能的恐怖に縛られるのは想像に難しくないが、平時における心境としては二度と神の道具の一部として生まれてきたくないと考えている。
生きる事の罪を業というのは人の口であり、自分はそれを信じていないし信じる気にもならない。
なぜなら何も分からずに遺棄され死する新生児は、何の罪と反省の意識があって死ぬというのだろうか。
宗教は祈れない者を救えない時点で信じるに値しない。
今でも乳幼児が飢え死にしかけた状態でお菓子の袋を破こうもがいた話が脳裏にこびりついて離れない。
神が善良であればあるほど、彼の死は重く、決して許されない。
神の使徒を名乗るのであれば彼を救えたのか。救おうとしているのか。いつになれば救えるのか。
私は忘れない。
・余談
あまりブコメに対する返信というのはしたくないが反応があったのと気になった点があるのでここに追記する。
事故死や病死する、凶悪犯罪者となり懲役刑を受ける、仲が悪くなり絶縁する、他人に殺害される。
もしくはこどもに される。こどもを す。
そういった可能性をこどもを持った地点から自分が死ぬまで抱え続けるという事実にはきちんと向き合えているか。楽観的すぎてはないか。
その不安に目を向けているのであれば危険に対処するための行動ができると思うが、ブコメを見ている限りだと「育てるのが大変な猫を飼った」程度の肯定感しか得ていないように見られる。
悲観的だと馬鹿にするのは少し待ってほしい。
失ってみないと分からないのではない、体験しなければ分からないのではない。
何のために想像力があるのか思い出してほしい。
親であるあなたはまた新しい死、新しい不幸を本能によって作り出したに過ぎない。
生存競争という恐ろしい渦中に新しい命を、あなた自身の意志で落としたに過ぎない。
こどもを抱えて頭の中の快楽物質がそれを正しいと言い続けても、事実は変わらない。
死の連鎖を繰り返した事に対して、そんなものに頼らず真正面から、あなたなりのきちんとした反論を用意しなさい。
あなたは訪れる恐怖の予感から、それは発達障害や鬱であると断定して逃げる事は容易い。
・ソープと筋トレとサウナでは解決に限界があり、彼ら自身それに気づいている
動物的快楽にも個々人に生まれ持った適正があり、それがないものには当てはまらない。
なぜ彼らがここまでソープと筋トレ(とサウナ)を信じて布教させようとしているかは、それらをやめた話を本人から聞くだけで済む。
続けている彼らは自分たちの努力や発散が「報われ続ける」ことを信じている。
意図的な継続の裏側にもまた、恐怖が根源としてある。「やめたらどうなってしまうのか?」という恐怖だ。
他人にそれを勧めるのは自分の信じる神を広めたい、宣教師になりたい動機がある。
いつか終わりが来ることを日々頭の片隅で実感しながらも、それを認められない脱出口として「布教」を選択している。
強い刺激は人の考えを変えさせるのに十分な切っ掛けだが、刺激というのはいつか慣れてしまう。
ソープ、筋トレ、サウナそのものを目的としているならともかく、何かの解消手段として行っている者は慣れた刺激と得られる報酬の差が開き続ける。
その結果、神格化して代わりの新たな報酬として「自己肯定感」を得ようと躍起になる。
「あらゆる悩みが〇〇で解決されると信じる」ことが目的にすり替わる。
筋トレで解消できているんだと、解消できている自分は素晴らしいのだと。
純粋に筋トレによって得られる効果だけで満足しきれなくなっている自分に薄々と気づいていながら。
身もふたもない言い方だが、思春期以来のオナニーと違う新しい刺激に興奮したものの、だんだんと刺激が減ってきて横道にそれた結果が布教という形になっている。
消した理由は単純なことだ、ある一人の同人女から逃げるためだった。
私がある同人女(以下、Sとする)と出会ったのは今から約一年前。作業通話ができる通話アプリを使用し共通のフォロワーと共に話したのがきっかけだった。
Sと知り合ってそう日も経たないころ、Sから合体サークルをしないかと誘われた。わたしは特に何も考えずにやりましょうと答えた。後からその判断を後悔するとも知らずに。
Sは曰く、自分自身では承認欲求はない、私は私のこと大好きだから自己肯定感も高いよと言っていたが。彼女は褒められたがりのタイプだった。
また、彼女自身が気づいているかは知らないが。自身の同人界隈での交友関係や誰々と話した、遊んだなどを自慢げに話すタイプであった。
私はSの作品を嫌いではなかった、むしろ彼女の表現が好きだった。だからこそ彼女が作品を書けば隅々まで読み込み賛辞の言葉を贈った。
だが、私がSという女の恐ろしさを知ったのは後々になってからだった。
ある日のこと。ある絵描きが急にアカウントを消した。彼女はもともと別ジャンルの絵描きであり、その絵も私のいたジャンルの絵も同じアカウントで投稿していた。Twitterもpixivも、そのほかのお絵かき投稿サイトも姿を消し、あの人はどこに行ってしまったのかと。そう、オフ会のたびに誰かが嘆く声を聞いていた。
また、ある日のこと。自ジャンルで一番尊敬していた字書きが小説を投稿するのをやめた。あれほどにタイムラインにも多く呟いていた妄想もぱったり止んだ。仕事や生活が忙しいのだろうと思い考えないようにしていたが、その地点で私はある疑念を抱いていた。
しかし、その疑念を誰にも口に出さないまま数ヶ月が過ぎたころ。私の元にある問題が降りかかる。
丁度イベントの一週間前のことだった。
その後、SからDMが届き。最近巷を騒がせている例のウイルスの関係でイベントへ行くのを止められたという話を聞いた。
特定を避けるため詳しい事情は割愛するが。事情があるとはいえ私や私の他の人物にも迷惑をかけたにもかかわらず彼女は一切の「ごめんなさい」も「すみません」も「迷惑かけます」の一言も言わなかったこと。私が彼女に対して怒っていると伝えたことと、彼女がそれを理解しなかったことだけは書いておこうと思う。
そうして、イベントに一人で参加し、3ヶ月ほど経った後。ようやくSとの件にカタをつけた。これで彼女と関わることはない、もう不快な思いをすることはない。私はそう思っていた。
しかしそんなある日のこと。知り合いの通話にお邪魔させていただいた折、ある同人作家(以下、Bとする)からこんなことを言われた。
「こないだ私のルームにSさんが来たんですけどね。その時に丁度同人女(筆者)の話をしてたんです」
その後彼女の話を聞いていると、どうやらSはわたしとのDMのやり取りを晒しながら「私、同人女(筆者)さんに謝らなきゃいけないことがあるんですけど〜」といった感じで、聞いてもない懺悔の話をされたそうだった。
ふつふつと心の中から何かが湧き上がっていた。その感情がただの怒りでないことだけはわかっていたから、拳を握りながらBの話を聞いていた。
そうして、Bとの通話を終えてから。ずっと考えていた。Sのことを、Sの周りのことを。
あの絵描きとSはイベントで隣同士だったと言っていたな。それで、一度彼女のルームで一緒になったこともあったっけ。Sは絵描きのことが好きで、よくリプライを送っていたのを覚えている。私が知る限り、その絵描きと話らしい話をしていたのはSだけであった。
そういえば、あの絵描きはお絵かきのSNSを他に持っていたけれど。あのページも消えてしまったんだろうか?
そう思い、検索した結果。あるページが出てきた。もう、絵は消えていた。アカウントとある言葉だけがそこには残っていた。
「この界隈での常識というものが私の中の常識と違うらしいので、アカウントを消します。お疲れ様でした」
尊敬していた字書きは確か、Sとよく会っていたと聞いたけれど。そういえば最近はそんな話を聞くこともなくなったっけ。前はあんなにも話していた二人はリプライを送るどころかフォローからも外れていた。
私は。あんなにも大好きだった自カプを見るだけで彼女の顔が思い浮かぶようになった。そしてそのたびに人の書いた、自分の書く自カプを見たくなくなった。何も読めなくなった、書けなくなった。そうして私は書くことも読むこともやめ、アカウントを消した。Sのせいであるとは言わない、だがそれがきっかけであることは否定できなかった。
世間では例のウイルスがまた威力を増してきている。風の噂で聞いたところ、彼女は別のジャンルで創作をしているそうだ。イベントにも出るらしい、人と一緒に。彼女は、今度は参加できるのだろうか?きっとするのだろう、今度こそは。
これは呪詛ではない。
医者に行かないだけじゃなくて、自分を大事にするために金を使うということができない。ちょっと高いけど暖かい服を買うとか、ちょっと高いけど美味しいものを食べるとかそういうのができない。作り手にお金を払うという観点でならできるんだけど、「自分のため」にはお金が払えない。
異様に自己肯定感が低い。
酷い扱いを受けたのは自分が価値の低い人間だからだ、という趣旨のことを言う。
ここから先は邪推だが、周りの人間(特に親)のこと嫌いになりたくなくて、自分のことを「存在しているだけで自然と虐待される」ような、いじめられて当然の人間なんだと思い込もうとしているんじゃないかと思う。
虐待するべきでない人間を虐待する人間だと思ってしまうと、親のこと嫌いになってしまうから、自分は虐待されて当然な価値の低い人間なんだと思おうとする。
でも、価値の低い人間なら虐待されて当然だというルールは本人も本人にしか適用していない。人間に価値の高低があるという概念も自分に対して以外はあんまりなさそうに見える。
自分の思考が歪んでいることにはうっすら気付いてるらしいんだけど、自分の思考がおかしいと認識するのはすごく恐ろしいみたいで、どうにかして話題を打ち切ろうとする。
今回は私やほかの友達のために医者に行ってほしいという形で医者に行ってくれたけど、自分を自分で大事にできるようになって欲しい。自分と四六時中一緒にいたり自分のことを気にかけられるのは自分だけだし…
メンクリには長年通っていて、でもカウンセリングは高くてやってないみたい。
理解のある彼くん/彼女ちゃんが現れないかなと思っている。親以外の新しい家族ができてはじめて、親のことを酷い人間であると認識してもメンタルが崩れなくなるのではないか。
結局パーティーで出会った人と結婚したアラフォーデブスの増田が婚活パーティーで考えたあれこれを備忘録に。
●メリット
ネットで良くいわれるのはたくさんの人に会えるとか、気軽とか、安いとかだと思う。
それにプラスして自分が思ったことは、アプリや相談所だとプロフの段階で足切りにする容姿、年齢、収入などの中にいる『アタリ』と話が出来る。
逆に本来なら自分を足切りするであろうスペックの人と話せてワンチャン狙える。
マッチング後のやり取りに関して「相手への感情が少なくとも0以下では無い状態」で始められる。
全く知らない人ととりあえずやり取りがスタートして、いけるとかいけないとか、どうやって切るかと考える時間が無い。
アプリの「いいね」から「初アポ」までを一日でこなせるので、忙しい人や、不規則な仕事でアポが整わない人でも一気にいける。
婚活のこと考えるのがほんとにほんとにしんどい人も「この日一日だけ!」って頑張る日を月に一日作るだけでも出会いになるから、そういうとこはいいところだと思う。
まー忙しい人だと結局その後のやり取りが難しくなるかもだけど。
人数が多いので双方印象に残り辛い。
男女共に妖怪がいる。
本当にやばいやつはたぶんパーティーでモテるやつの中に潜んでいる。
素の自分を出しにくい。
女性は特に無意識に「合コンさしすせそ」をしてしまうので、「さあ?」「知らね」「すごいと思ってんの?」「セコいね」「それ無理」で挑んでください。
●いい人を探す方法
じゃーそんなとこで印象に残ったり、見極めたり無理じゃない?ってなるけど、やり方でなんとかなる。
正直に言うと印象に残る最善策って良く分からない。
ルッキズム100%で自分をジャッジした時に「アラフォーのデブス」に類するので、印象には放っておいても残ってしまうから。
増田はこれを別に卑下したり悲観したりしてないよ。低い位置から始まったら上がるだけだから。
だから身綺麗にして明るくにこにこハキハキ喋って少しでも「お、いいな」って思われるよう心がけた。
でも「さしすせそ」はしないので、婚活男にちょいちょい説教かまされた。
相手の魅力・性格を短時間に引き出す方法は婚活でするであろう会話の中に試金石の質問を混ぜること。
例えば「デートでいきたい場所に世界遺産と書く」で目を引いて、それについて質問させる。
聞かれなかったらこっちから相手が行きたい場所の話題を振ってこっちの話題に持ち込む。
増田はこれで「知識・興味の方向性」「相手の趣味に対する反応」を見た。
あとこれは、予想していなかった話題が出てきたときの「相手の態度」も見ることができる。
「世界遺産ってマチュピチュとかですかww」ってバカにした感じで笑う人とか、「そんなことより僕の好きな物の話を聞いて」みたいになる人は、お互いに最初から合わないなって思えるので分かりやすい。
実際増田は古い建物とか神社仏閣とかの世界遺産が好きだから、そういうとこに一緒に行ってくれなさそうな人はナシなので。
そんなトンチキなワードじゃなくても自分の趣味とかで「一目見たら気になるワード」をプロフ用紙に書くのがコツ。
登山趣味とかでも一言「標高○メートルの山に登ります!」とか添えると目を引くと思う。「標高○メートルってどれくらい?」とか聞かれたらこっちのもの。
キャッチーな単語かコメント添えるとそこはやっぱり話題になりがちだから、なにか考えてみよう。
できるだけ当たり障り無いフックを用意すると逆に繕えないので人間性出ると思う。
究極「今日天気良いですね」って突然いうだけで相手のこと少し分かるよ。
自分で言ってかなり難易度高いんだけど、試金石の質問を用意したら「模範解答を用意したらダメ」です。
「言われたら嫌な解答」は意識していていいけど、言われたい返事を用意してると手練れのヤリチンとかモラハラには見抜かれると思う。
女性なら大概「意に添わぬが相手が求めている答え」を言った経験があると思うけど、女が出来るなら出来る男もいる、を忘れない。
言われて初めてグッと来たらそれが正解。
変な言葉書いておくと試金石にもなるし、印象にも残るので割りといいと思う。
番号表に「世界遺産」と書かせたら勝ち。
やっぱり身も蓋もないけど、自分が若く見える年齢ゾーンに飛び込むの大事。
年齢の幅が大きすぎず、人数も少なめなパーティーを探そう。
あとは選びたい条件の男性の場所より、自分が選んでもらえる場所に行く。
あと女性が安すぎる、無料になってるのはやばいのホイホイになるからやめた方がいい。
男女ともに同じくらい取られるとこの方が変な人いない。
趣味縛りのパーティーはあんまりディープに趣味を楽しんでる人はいない。特に男性。
「旅行好き」が全然旅行しない男だらけでガチ旅行勢のお姉さんが絶望してた…。話題のフックにすらならなかった。
映画とかなら違うかもだけど、それはそれでマウント取男が来そう…。
街コンとかカップリングを作らない形式のパーティーは「いい人を探しに行く」より「いい人に繋がる人脈を探しに行く」つもりで。
「付き合いたい!」までならなくても「友達なら」みたいな人がいたら友達になる。
その人の友達が運命の人かもしれないから、お互い合コン開くための人脈とかにしたらいい。
「人の世話まで出来るか!」って思うかもだけど、自分にちゃんといいこと返ってくるはずだから。人脈大事。
●まとめ
パーティーで頑張るなら「とりあえず行く」より、綿密な事前戦略が必要だと思う。
逆に事前に作戦とか指針が決まってたら他の日は婚活のこと考えなくていいから楽だけど。
リサーチ力を唸らせよう。
パーティーは結局「この人」っていう人が参加してる可能性という「運要素」がどうしても高くなると思う。
全部の婚活で運要素は無視できないけど、パーティーが一番運要素に左右される気がする。
実際増田も結婚相手と出会ったパーティーは「もうパーティー辞めよう」って思った直後に友達に誘われて、最後のパーティーのつもりで参加したし、相手は生まれて始めての婚活パーティーだったから。めっちゃ運!!
あとねーお金払ってパーティー行くと「せっかくだから成果が欲しい」って無意識に思って「マッチング出来そうな番号」書いたりするんだよね。
「なんの成果も得られない帰路」を恐れてはいけない。
うっかりアレなのとマッチングして後で断るのに困るより、手ぶらで帰って好きなコンビニのホットスナックでも食べた方がいいよ。
●余談
増田が見た女妖怪は合コンみたいなモテテクをパーティーのルール無視で繰り出してた。こっそり連絡先渡すとか。
マッチングが目的じゃなくて、アプリの「いいね稼ぎ」に近くて、どれくらいの人数からマッチング希望が来るかが肝なんで、会で一番高収入な人とかとマッチングだけして連絡先ブロックとかしてた。
「モテた」気になって「自己肯定感上げたい」って言われてビックリ。
たぶんやられた男も「あんなモテ系と俺はマッチングできる」っていう勘違いこじらせる気がするから後の婚活大変そう。
罪深いぜ…。
みんなも気を付けよう!!
この前大変ショックなことがあって、その時周りの反応から思ったこと。
ねじ切られそうに精神が辛い時、一発目にこのセリフもらうとマジで沁みる。
いっぱいいっぱいの時とか文字見るだけで嗚咽した。
飲もう!はたくさんきたけど、すぐ予定調整してくれるひとは限られるので嬉しい。
時間でもお金でも、自分のために割いてくれるのは純粋に嬉しい。
一晩中飲みに付き合ってくれたり、高い酒あけてくれたりなどなど。
「あんた○○だから大丈夫、だって○○だし○○なところも〜〜」みたいに
頭のてっぺんからつま先、中身、生い立ちまで誉め殺しにされて自己肯定感修復された。
しんどい時なんて「世界で一番自分が不幸」な気持ちでいっぱいなので、
「お疲れとか何目線だよ」とか「よくねーよダボ」みたいな歪んだ気持ちしか湧いてこなかった。
「俺も@@@でさ〜、それに比べたらマシだろ?」
愛の鞭みたいなつもりかもしれないけどただの死体蹴り。
滅されてほしい。
父が家のお金を使いこみ離婚、弟は重度の知的障がい者。姉も発達障害。
上と下に挟まれて大変と言われ、姉が色々挑戦するたびにお金を使いこみ、一方私は欲しがらないので良い子と言われていた。
塾にも通わず公立大学へ行き、遊ばずまっすぐ家に帰り・・・・・・実際は性格の悪さと出不精、引っ込み思案がたたり大学の他の友達と仲良くなれなかった。
新卒時に大して就活せず(私など受かるはずがないなどと思っていた)、一年後に取っていた簿記で会計事務所へ。
そのころ姉はニートになっていた。父は何度か家に金をせびりに来た。
私は将来弟と母を支えるのだと思っていたし比較的家庭内では頼りにされていた。
しかし何年か後に姉が結婚した。玉の輿婚。専業主婦で、家事もそんなにやってないとか。
今まで父の悪口ばかり聞いてきたせいもあり、結婚に夢を見てなかった私もついに結婚に夢を抱くように。
そして数年後、姉がお見合いを手配してくれた。
相手はとても真面目そうな人だった。でも転勤族で、今まで男性と全く付き合ったことのない私はぴんと来なかった。
後々家族には遊び人だ、本気じゃないと言われたが今まで一度も女性扱いをされたことのない私はのぼせ上った。
若いころから自信過剰と過剰な男性嫌悪をこじらせ、フィクションのご都合主義にどっぷり脳内汚染された末の愚行。
痴漢にあった経緯より被害妄想を巨大化させていたせいもあり、体の関係になる前に逃げた。
何とか未練を断ち切ろうと新しい相手を見つけるも、未練が断ち切れず。
元の相手と今の相手を行き来しているうちに頭が余計におかしくなった。
自分に出来るだろうか。
そういうことを考えて、家族や相手を巻き込んで何もかもぐちゃぐちゃになった。
そうこうしているうちに仕事をクビになった。
人員整理、無能でやる気も愛想もない、メンタルがおかしくなってミスが増えた人間なんていらない。
家族の中で一番マシだったはずの私がいつのまにか一番おかしくて屑で怠け者になっていた。
実際は姉は頑張っていたからうつになったのであり、頑張っていたから結婚できたのだ。
色んなことに興味を持ち、外に出て、挑戦をした結果。
なのに私はそうした他人の努力を一切みず、結果だけ見て自分も出来ると思っていた。
若くもない、美人でもない、家庭環境は悪い、仕事はできない、金もない、常識もない、家事も大してできない、コミュ障。
ないない尽くしの親のすねかじりのくせに年に一回も旅行していた。
それで贅沢している自覚もなかった。
結婚も恋愛もしない、人に興味を持たないというツケが一気にやってきた気がした。
気づけば困ったときに相談できる友人も、逆に相談に乗ってほしがる友人もいなかった。
母と二人三脚でやっていたつもりだけど、実際はおんぶにだっこだった。
趣味は友達や家族と共有して、もしくは金を使わなければ楽しめない空っぽ人間。
今はヒモみたいな生活をしながらだらだらと求職活動をしたり家事をしている。
何のために生きているのか正直分からない。
結婚するにも恋愛するにも就職するにも相手にまず与えられる何かがないといけない。
人に好かれたいなら相手に興味を持ち、相手に与えられるようにならなければいけない。
私はコミュ障だから、できないから、恵まれてないから、姉や弟や父よりはましだからと言い訳ばかりで何もしてこなかった。
勉強だけで認めてもらえるのは学生までだという当たり前のことが分かってなかった。
今も誰にも与えようという気が起きていない。
全部自分のせいなのに、あの時結婚相談所にいってたら、とかぐるぐるずっと考えている。
私がやりたかった恋愛って結局少女漫画の世界で、可愛くて性格の良い若い子のみが体験できるフィクションだったんだなぁ。
今はさして好きでない人でも働けないからという逃げで家事を担当してるけど、そして相手は了解済みだけど何やってるんだろう。
私がやった愚行が積み重なって、もう家族も恋人も社会にも信用なんてなくなってる。
若ければ恋愛も就活ももっとやりやすいのにもうやれる気がしない。
でも死ぬこともできなかった。昔から自傷行為と自己憐憫に浸っては時間も資源も無駄にしている。
もう好きな人と結婚するのも、孫を見せるのも、親孝行させるのも全然できる気がしない。
子どもを産むのが怖い。こんなまともじゃない奴は親になる資格がない。
いっそ寮付き求人で工場のライン仕事でもやればいいのにそれもしない。
一人暮らしして孤独死してしまえばいいのにそれも怖くて出来ない。
気づいたら体調管理も金銭感覚も思いやりもないただの屑になってしまった。
本当に何やってきたんだろう、フィクションできれいなものだけ見てれば自分もきれいなままでいられるとか思ってた。
実際は現実みて社会に貢献できなければ誰にも必要とされなくなるのに。
漫画やアニメにあんなに夢中になってて、感想言いあっていたころが嘘みたい。
そりゃ楽だよね、人を楽しませるためのコンテンツを摂取してそれに感想言ってるだけなのは。
無駄に贅沢、親や周囲に与えられた財産を食いつぶしているだけ。
本当に、なんでこんなに呑気でいられたんだろう。なんで今日も生きてるんだろう。良く分からない。
※追記
我ながら酷い文章+人間だなと思いましたが読んで反応くださった方有難うございました。
一部誤字訂正しました(ご指摘にあったように父→乳になっていたのは笑ってしまいました。自分では深刻なつもりでしたが却って笑える仕様に)。
気力があれば書き直したいし返信したいところです。
どうにも鬱な気分になり、愚痴る相手もいなかったのでネットで愚痴らせていただいた次第です。
現状、自分のスペックと努力不足、色々やらかした結果(上記は大分自分に都合の良いように書いてある為)の割には恵まれているのだろうとは思います。
大した苦境でもないのにちょっとの事で大騒ぎして自己憐憫に浸るやつは救いようがないですね。
多分一言で要約するなら「若い頃に面倒なこと考えず恋愛ごっこしたかったぜ!」か「努力しておけばよかった!(しかし何もしない)」みたいな妄想だろうなと思います。
子供の頃はゴールデンのバラエティ番組でも、友達との中身のない会話でも、ちょっとした出来事でもすぐに笑ってた。
よく「ゲラやなぁ(笑)」と言われた記憶があるので笑いのツボは人より浅い方だったと思う。
好きなものも年により色々だったが、「二次元コンテンツ」という一貫性はあり毎日なにかしらを楽しみにして過ごしていた。
働き初めて少しすると、その熱がいつの間にか冷めていた。
というか二次元に限らず何に対しても心が動かなくなった。
いやなことがあったわけでも、会社がブラックだったわけでもない。
これといった原因はないと思うのだが、唯一の心当たりは10kgのダイエット。
それが原因で生理も止まってしまったのでもう減量はしていない。
食事も普通に戻したが、拒食的な脳は治らず、食に対する興味を抑える癖がつき、それと同時にその他全ての物事に対する興味もなくなってしまった気がする。
実家暮らしなのだが、私の家族は本当によく笑うので毎日どこからか笑い声が聞こえてくる。
父は走るのが好きで走りに行く度写真を送ってくる。テレビも色々見ていて特に明石家さんまの出てる番組を見てるときはすごく楽しそう。
母はパン屋巡りがマイブームなようで穴場のパン屋を見つけては嬉しそうに報告してくれる。
弟は野球観戦やゲームが好きで休日はずっと部屋にいるので何をしているか分からないが叫び声やら笑い声やら楽しそうな声が聞こえてくる。
妹はYoutuberにぞっこん。HIKAKINやフィッシャーズなど鉄板のおもしろYoutuberが大好きでソファに寝ころびながら抱腹絶倒している。
私はそんな家族が大好きで、毎日一緒にいるからこそすごくすごく羨ましい。
私もそんなものを探そうとはしている。
多分、探して見つかるようなものじゃないと思うけど、探すしか方法がわからないので探そうとしている。
バラエティー番組やお笑い、色々なジャンルの動画映画を見てみる。
何をしても共通したのは、それにのめり込む前に「好きなこと探すのに必死になっている自分」に対して情けなさやあきれた感情が出てきてしまい「ふーん」で終わってしまう。
ちなみに恋愛を勧められてトライしたこともあったが、アセクシャルのような性に対する嫌悪感を抱いてしまったので難しそう。
仕事終わりや休みの日は拒食脳を押さえつけるために週6ジムで筋トレしているが、そこに楽しいという感情はない。
食べるための言い訳でやっているにすぎない。
筋トレすると自己肯定感が上がる!とかいうのを信じてみたかったが自分には当てはまらなかった。
たまにゾーンに入って無心になれる時もあるが、上手く効かせられない自分が嫌になってしまい悩むことの方が多い。
でも、だからといってやめてしまうと食べることに対しての罪悪感が莫大なものになる。
ああめんどくさすぎる性格。
それなのにそれ以上を求めてしまって苦しんでいる。
昔から精神状態が体に出やすいので、ストレスによる軽い逆流性食道炎、便秘肌荒れ不眠もあったりする。
とにかく今の望みは「心から笑ってみたい」
なんかこのまま笑わないで過ごしていると、ますます暗い性格になって口角が下がりまくって老いまっしぐらなような気がしてならない。
母と出かけた時に姉妹と間違えられる程、もうすでに20代前半の若さは失ってしまったので、なんとか老いの加速を食い止めたい。
分かってるつもり。分かっているつもりだけど、一度どこかにぶつけたかったたんです。
読んでも誰も笑顔にならない。むしろマイナス要素しかない内容。長い一発書き。
はてな匿名ダイアリー。初めて使いました。
僕のここ数年間の足取りは世間的には褒められたものではないだろう。現に昔の友人から執拗なまでに貶められたこともある。あまり聞こえのいい話ではない筈だ。だから不快なものを見たくない人はこのページを閉じてTwitterの海にでも戻っていってほしい。
僕は昔、マッチングアプリでワンナイトをしまくっていた。そんな中、もの凄いメンヘラに出会った。メンヘラと一口に言っても程度はあるが、僕が会ってきた中で1番に不幸と言える生い立ちの人だ。彼女の生い立ちを詳細に書くのは心が痛むので、割愛することを申し訳なく思う。腕に何本もの細かい線と赤黒い太線の混ざる傷痕がある子に出会った事はないだろうか、そんな子に出会ったことのある人はおそらく同じイメージでいいと思う。
僕は当時殆どの人を右へスライドしていたから、その時も何の気無しに彼女を右へ流した。彼女も恐らく数多あるいいねの中から何の気無しに僕を選んだ。それが僕と彼女の始まりだった。
僕は色んな人とマッチしてきた。だから会った瞬間に一目で分かった。大きな黒目から、彼女の抱える闇が覗いていた。
彼女と付き合ったとき、僕は何人目かの彼氏だった。過去から数えてではなく、現在進行形で何人目かの彼氏だった。僕は怒って、彼女に別れか僕だけにするかを突きつけ、正式に僕は彼女の恋人になった。
彼女は愛に飢えた獣だった。隙あらばカッターを持ち、隙あらば浮気した。円光の跡を見つけてしまったこともあった。僕の生活はすっかり彼女一色になり、そんな彼女が自殺未遂をしたところで、僕はようやく彼女が付き合った時から言っていたある提案を受け入れた。
そうして、彼女は全てを捨てて僕の家にやってきた。そこからしばらくの間は、地獄のような日々が続いた。ある日、彼女のあまりの激しさに幸せにしてやることなど不可能だと悟った僕は、警察に電話しようとした。
彼女はそんな僕を見て、必死に組み付き、止めようとした。だから僕は彼女を振り払った。本当に、ただ電話をするために振り払った。
大きな音がして、彼女はぐったりと倒れ込んだ。そして彼女はうなされながらも、謝罪と電話をしないでほしい旨を口にした。あの時の状況をうまく書けないしきっとイカれたやつにしか思われないだろうが、彼女はいつだって素直になれなくて、捨てられるのが怖くてナイフを振り回していて、激しい痛みの中でようやく本音が言えたということと、僕の身を案じてくれていたことに気がついた。
全ての家庭が良い家庭であるはずはない。いない方がいい家族もいる。家庭環境が自己肯定感の芽を潰し、自分に価値がないと非論理的に断ずる心が生まれる。だから僕は彼女の親になろうと思った。何があっても彼女から離れず、愛情を示すために色んなものを捧げてきた。
そこからなんだかんだあって、僕は通報されたりもしたが、最終的には相手の親ともある程度関係を持てるようになり、彼女も、いわゆる普通の、年相応の社会的な身分を得るまでになった。
彼女が腕を切らなくなって数年が経過した。彼女は別人のようになっていた。剥がれてみれば、姉御肌の人だった。壊れそうな少女は影もなく、自分が生きていくことに、まだ見ぬ経験に、価値を見出すようになっていた。
積極的分離、という言葉をご存知だろうか。悲しみや苦しみから何かを辞めるのではなく、自分の展望のために、自分から自分を成すものに別れを告げることだ。ある学者によると賢い者が持つ特性らしい。この特性のおかげで、広い認識を得られるようになり、その認識の中で自分の理想とする生き方の片鱗を知り、そこに近づけるのだとか。
残念なことに、彼女は賢かった。彼女は周到に自立の準備をして、もしかしたら僕の自立すら考えて、巣立っていった。普通に、飽きもあっただろう。僕は安心感をあげようとしたら、それ以外のものをあげられるほど器用じゃない。彼女はよく、僕なら大丈夫だと言っていた。彼女から見れば、僕は強くは見えなかったろうが、きっと倒れないようには見えたのだろう。彼女の見立てはたぶん正しい。僕は苦しくてもなんだかんだ歩いていけてしまうタイプだ。
人は別れたなら、一緒にいた意味はなかったかのように言う人が多い。時間の無駄だったとか、婚期を逃したとか、僕の偏見なのかもしれないが。僕のことを、そんな風に言う奴もいた。
そんなことはないのだ。驕るようだが、僕と過ごして彼女は様々なものを得た。何より自分を愛せる心を持てたはずだ。そしてそれは僕も同じだった。だからこの期間が無意味だったなんてことはない。
無意味になるかどうかは、自分がどう過ごしたかによって決まる。別れたから費やしたもの全てがゴミになるわけではない。そんな当たり前のことに気づいたから、記念にここに書いておこうと思う。
ツイッターで話題になってた同人女の感情最終話と、同じくツイッターでバズってた今朝の読売の記事を見て思ったこと。
「自分より上手いとは言えない」人が自分より評価されて辛いという気持ちはよくわかる。
それに対する回答は、「他人からの評価ではなく、自分自身を基準にして段階的に進んでいき自己肯定感を高める」という、腐るほど聞いた内容。
そうしていくうちに他人が求めていることが分かり、それを提供できる実力が身につき、真の評価につながるというものだ。
その究極が、同人女の感情に出てくる綾城さんみたいな存在だろう。
ただ、そう言われてしまうと、じゃああの「自分より上手いとは言えないのに評価されてる人」は、上記のプロセスを、少なくとも自分自身よりは先へ進んでいる人格者であり、だから評価されている、ということになる。
そして、自分はそんなアイツよりもガキであるという事実に、より惨めな気分になり絶望する。
本当にそうだろうか?
読売の投稿者のいう「自分より上手いとは言えない人」がどんな人物なのかは知らないが、私が思うに、単に界隈に上手く溶け込めているコミュ強なだけな気がする。
その人は、自分自身と同じ惨めな状態から、上に書いたプロセスを乗り越え、ついに今の地位についた……とは思えない。9割がたは、普通にしてたらそうなっただけだろう。
カースト上位の者は、あらゆる煩悩を克服した人格者集団というわけではなかろう。自然とそうなっただけのコミュ強。
上位集団の中でウケる話題(ある意味、内輪ネタ)を、下位の者が提供するのは難しい。
クオリティに優れていても、どうしてもズレが生じ、「へー、すごいね。で?」で終わる。
綾城さんレベルになればようやく、カースト上位の者を含め広く全体に評価されるようになる。(一部の捻くれ者を除いて。)
その綾城さんですら、本当に凄まじい努力の結果ああなったのかは、分からないけど。
似たような葛藤を経験してはいるんだろうけど、才能と人格が元々圧倒的に優れているのに違いはないだろうし。
界隈で幅を聞かせている、ギャーギャーうるさくて絵が割と描けて評価されてるムカつく奴は、単にある程度の絵の才能とコミュ力の才能があっただけで大した人格者ではない
界隈で重鎮ぶっている、絵が結構上手くて発言も支持され、たまに公式に苦言も呈しちゃうしオレも苦労してきたんだよみたいなこと言っちゃうムカつく奴は、単に結構な絵の才能と中庸な意見力の才能があっただけで壮絶な過去を克服して現在の地位を築き上げたわけではない
界隈で聖人ぶっている、絵が上手くてなるべく不快な発言をしないよう気を遣い、たまに自戒めいたことを言って実質的に周囲へのロジハラになってるムカつく奴は、単に絵の才能と元々穏やかな性格の才能があっただけで修行僧みたいな生活しているわけではない
そして、こいつらは大したことはない!と思えても、自分はこいつらより絵の才能もコミュ力も劣るし、自己肯定感形成プロセスでも周回遅れという事実は変わらないということが分かり、絶望するのだ。
諦めて絵の練習をしても、数年後、いいね数が少し増えた自分にしかならないだろう。記事でいうところの「真の評価」など得られるはずもなく、現在の惨めな状況を認め、ネガティブな感情を感じないようにするしかない。
で結局、そうなるにはどうすればいいのか?それを他人の意見に頼っている時点で永遠に自己肯定感は身に付かない。
歳を重ねれば少しずつ落ち着いていく……が、それだけでは完全に解決しない。
むしろ遅ければ遅いほど自己肯定感を身につけるハードルは高まっていく。
と、こんなことを言っている惨めな自分も含め、ほぼ全ての人には「相対的に下の者」が存在し、妬まれているかもしれない。
界隈の実力者ももっと上を見て妬んでいる。だからこの手のあるある話を見て「わかる〜」とか言う。クソが。
さきほど、こうかも!と思いついたので書いてみます。
萌え絵、エロ絵に拒否反応を示すのは、そこに無意識下で自分を投影してしまうからだと思う。
絵=自分 という訳ではなく「自分も絵と同じようなことができてしまう存在である」と思えてしまうから。
例えば、アツギで炎上したスカートたくし上げ絵を見て、無意識のうちに同じように「見る?♡」と誰かをユウワクする自分を想像してしまい、その自分の姿に物凄い気持ち悪さを感じてしまうということ。つまり、嫌がる女性が嫌悪を感じているのは、絵ではなくて自分自身。
だから人によって反応が違う。自分自身の性行為を肯定的に捉えられるか、捉えられないかで変わってくるのかもしれない。ここに、美人不美人、処女非処女は関係ない。(これは女性同士の反応の差の話)
そしてそもそもエロ絵を嗜む男性は絵の中の女に無意識で自己投影することはないと思う。(意識的にはあるかもしれないけれど)(ソースはないです)
まとめると、「萌え絵エロ絵に不快感を示す女性は、無意識に絵と同じシチュエーションの自分を想像してしまうタイプで、なおかつ自分自身の性行為にも不快感をもってしまうタイプである。」
(①共感性が高く、②自己肯定感が低いとも言えるかも?)(嫌がらない人は①と②のどちらかまたは両方を満たさない)
(自己投影≠自意識過剰です。あくまで共感性。同じ境遇にある自分を想像してしまうだけ)
【*注意書き:こうだからといって男女どちらかが劣っていたり優れていたりするという話ではありません。】
【*注意書き:広告やら作品やらの是非を問う話でもありません。】
(ですので「これだから男または女は!」や「だからこの作品はふさわしいまたはふさわしくない!」という話はしないでね。)
おまけ
「自分の母親の性行為」に感じる気持ち悪さに近いかもしれません。これなら男性の中にも気持ち悪さを感じ取れる人が多いと思います。絶対見たくない!と思う人もいるし、苦笑いでオエッと思う人もいるし、何も感じないという人もいる(かもしれない)
だから、女性向けの広告を作りたいときは「自分の母親がそのポーズ、格好をしたらどう思うか」を考えてみると炎上しにくいものが出来るかもしれない。(しらんけど)
どうでしょうか。それは違うよ!や、それに賛成(追加)だ!が聞きたいです。
って大変じゃない?
依存先を複数用意することを上手くやれるのって、相当な文化資本とか人脈とか、かなりの「持つ者」にしかできないワケで、「持たざる者」にとっては、やっと依存先を発見すると砂漠の中のオアシスをみつけたかのようにそこにドップリ浸かってしまいがちなのでは?わたしですが・・・
ソシャゲ課金しすぎて破産したり、アイドル声優がご報告したらCDを割るファンがいたり(耳が痛いですが)、奥さんに家事や身の回りを依存しきっていて亡くなってしまったらなにも生活できなくなる昭和おじさんとか、ギャンブル依存症、アルコール依存症、いろいろあるけど。
一つの物ごとに大きく依存しすぎていて、そこからハブられてしまって途方に暮れてるんですけど、いま。その依存先の固め方が甘かった。
まだ自分は、反省して長期的な見直しができるような精神状態じゃないんですけども。緊急避難的に休まなきゃならない状態。とてもつかれてる。
phaさんの書いたどこかの本だったか、なんか書いてあったきがする。
「一人で一生できる依存先」「みんなでできる依存先」「一時的で、何年かでなくなる依存先」みたいに、異なる性質毎に分散依存しておくのが堅いよね。みたいな。違ったかな。どこかで聞いたと思う。誰にも壊されないプライベートで堅い精神的依存先を所有したいよね、それは自己肯定感とイコールかも知れないけども。それを持たざる者は多いので、外に依存先を求めるざるを得ず、人生が不安定になる。
たとえばオンラインサービスの類はいつかはサービス終了があるんで、そのつもりでいなきゃダメだ。しかし、たとえば非電源系ゲームだとか、オフラインで動くゲーム機だとかは半永久的に遊べるかもしれない。バブルシステム基板のグラディウスなんかは危ういですが。
諸行無常。
その点、伝統宗教は優秀だよな。少なくとも自分の人生が終わるまでの期間は存在しつづける期待値が高いもの。まあ、まずサービス終了することは無いでしょうね。そういう安心感がある。
自己防衛。当然だよね。VTuberなんか(人生を賭けた精神的依存先として)あてにしちゃダメ。あてにしちゃうから文句が出る。
発電を核、水、火、風、光、などに分散して安定性を増すのと同じで、人生の依存先も複数用意しないと安定しない。
収入源を会社だけじゃなくて副業にも確保するとかね。それができている人はかなり少ないでしょうけれども。
CD-RやDVD-Rも経年劣化で読み出しできなくなる、むしろプレスROMディスクですら危ういんですよね。だから数年毎に物理的に変えながらHDDバックアップ、というほうが堅いでしょうね。"ハード"ディスクだけに。
一部はてなーは配偶者や子どもを作れブコメに対して、依存するなとか言うけど、
人は自分自身で幸せになるしか無いのだから、他人が幸せになることに責任を持たなくてよい
自分で作った家族と過ごす多幸感は人間の根本的なところに根ざしててかなり強力だ
抱擁、性交渉、授乳行為など動物として幸福感を得やすい行動がとりやすい
家族を作り、子を育てる行為は社会的な人間としての自己肯定感を高める
何者になれなくても、配偶者にとっての最愛の人であり、子にとっての親である立場は他の誰にもできない。自身の輪郭がぼやけがちな人には強力な薬になる
孤独は人がいつまでも克服できない病だ。もちろん家族を作ったからと無くなることは無い。しかし家族と家族ができたことで発生する関係は多少孤独を癒すだろう
ただこんな時代に生まれてくるのは不幸だと断じるのは傲慢だ。幸せにしたいという気持ちは思い上がりだが、その気持ちはきっとポジティブに働くだろう
観測できない他人の幸福を推定して自身の振る舞いを制限するのは勿体ない。生は限られた時間だ
家族に依存しても良い、相手の振る舞いを過度に制限しなければ。ただ依存することは自身の幸福のコントロールがしにくくなるので勧めはしない。
家族に過度に求めすぎな人は、付き合いはじめやプロポーズ、子どもが産まれた時に感じたであろう、ただ存在してくれることへの感謝、喜びを思い出そう。いてくれるだけであんなに幸せだったじゃないか
※人を育てることは子どもを持たなくても相手が年上であっても可能。ポジティブな感性で人と交わることは互いを育てる。再生産の有無や養育の有無は関係無い、どちらも無い人を批判する意図は無い。このエントリのテーマは自己満足だ
※このエントリの家族を持つことで幸せになれるという言説も自身の幸せを人間の幸せに拡張して他人の幸せに踏み込んでおり、傲慢でしかない
新卒で働いた年のこと。
新人にも業務が回るようになったころ、美人同期は残業しそうになると俺に仕事を頼むようになってきた。
断っていた。
女だから、若いうちは同程度に顔がいい男よりも得をしてきただろう。そういう人間が「助けを求めたら喜んで助けてもらえる」ことを所与のものとして生きているのが心底腹立たしい。そういう人間の自己肯定感に貢献するわけがないだろ。
何回か断っていたら俺には仕事を頼まなくなった。代わりに、同じ部署の30代の先輩男性に仕事を頼んでいた。その先輩がニコニコ手伝っているのを見て、お前みたいなのが美女をつけあがらせるのだとずっと思っていた。こちらには目に見える利益など与えてくれないのに何をしてるんだか。
美人同期の甘え(本人は甘えているとも恵まれているとも思ってないかもしれない)を良く思わない人は俺以外にもいた。
秋には
美人同期・そいつを助ける先輩男性 vs. 俺・40代既婚女性(課長)・30代先輩既婚男性
という図式がなんとなくできていた。
俺の側の2人は俺の思いに共感を示してくれていた。たまに飲みに連れて行ってくれて奢ってもらった。今でも感謝しています。
さて、その図式も長くは続かなかった。
美人同期が辞めたのだ。
1年半もしないで、視界に入れるだけで不愉快なものが消えた。そのことは単純にうれしかった。
しかし、あいつは今もどこかできっと、顔の良さで得をしている。
そして、きっと幸せになるだろう。俺とは違う思想の持ち主が助けるから。
憎い。
苦しめ。
不幸になれ。
でも死ぬなよ。
苦しめ。
長く苦しめ。
生きて長く苦しみを味わえ。