僕のここ数年間の足取りは世間的には褒められたものではないだろう。現に昔の友人から執拗なまでに貶められたこともある。あまり聞こえのいい話ではない筈だ。だから不快なものを見たくない人はこのページを閉じてTwitterの海にでも戻っていってほしい。
僕は昔、マッチングアプリでワンナイトをしまくっていた。そんな中、もの凄いメンヘラに出会った。メンヘラと一口に言っても程度はあるが、僕が会ってきた中で1番に不幸と言える生い立ちの人だ。彼女の生い立ちを詳細に書くのは心が痛むので、割愛することを申し訳なく思う。腕に何本もの細かい線と赤黒い太線の混ざる傷痕がある子に出会った事はないだろうか、そんな子に出会ったことのある人はおそらく同じイメージでいいと思う。
僕は当時殆どの人を右へスライドしていたから、その時も何の気無しに彼女を右へ流した。彼女も恐らく数多あるいいねの中から何の気無しに僕を選んだ。それが僕と彼女の始まりだった。
僕は色んな人とマッチしてきた。だから会った瞬間に一目で分かった。大きな黒目から、彼女の抱える闇が覗いていた。
彼女と付き合ったとき、僕は何人目かの彼氏だった。過去から数えてではなく、現在進行形で何人目かの彼氏だった。僕は怒って、彼女に別れか僕だけにするかを突きつけ、正式に僕は彼女の恋人になった。
彼女は愛に飢えた獣だった。隙あらばカッターを持ち、隙あらば浮気した。円光の跡を見つけてしまったこともあった。僕の生活はすっかり彼女一色になり、そんな彼女が自殺未遂をしたところで、僕はようやく彼女が付き合った時から言っていたある提案を受け入れた。
そうして、彼女は全てを捨てて僕の家にやってきた。そこからしばらくの間は、地獄のような日々が続いた。ある日、彼女のあまりの激しさに幸せにしてやることなど不可能だと悟った僕は、警察に電話しようとした。
彼女はそんな僕を見て、必死に組み付き、止めようとした。だから僕は彼女を振り払った。本当に、ただ電話をするために振り払った。
大きな音がして、彼女はぐったりと倒れ込んだ。そして彼女はうなされながらも、謝罪と電話をしないでほしい旨を口にした。あの時の状況をうまく書けないしきっとイカれたやつにしか思われないだろうが、彼女はいつだって素直になれなくて、捨てられるのが怖くてナイフを振り回していて、激しい痛みの中でようやく本音が言えたということと、僕の身を案じてくれていたことに気がついた。
全ての家庭が良い家庭であるはずはない。いない方がいい家族もいる。家庭環境が自己肯定感の芽を潰し、自分に価値がないと非論理的に断ずる心が生まれる。だから僕は彼女の親になろうと思った。何があっても彼女から離れず、愛情を示すために色んなものを捧げてきた。
そこからなんだかんだあって、僕は通報されたりもしたが、最終的には相手の親ともある程度関係を持てるようになり、彼女も、いわゆる普通の、年相応の社会的な身分を得るまでになった。
彼女が腕を切らなくなって数年が経過した。彼女は別人のようになっていた。剥がれてみれば、姉御肌の人だった。壊れそうな少女は影もなく、自分が生きていくことに、まだ見ぬ経験に、価値を見出すようになっていた。
積極的分離、という言葉をご存知だろうか。悲しみや苦しみから何かを辞めるのではなく、自分の展望のために、自分から自分を成すものに別れを告げることだ。ある学者によると賢い者が持つ特性らしい。この特性のおかげで、広い認識を得られるようになり、その認識の中で自分の理想とする生き方の片鱗を知り、そこに近づけるのだとか。
残念なことに、彼女は賢かった。彼女は周到に自立の準備をして、もしかしたら僕の自立すら考えて、巣立っていった。普通に、飽きもあっただろう。僕は安心感をあげようとしたら、それ以外のものをあげられるほど器用じゃない。彼女はよく、僕なら大丈夫だと言っていた。彼女から見れば、僕は強くは見えなかったろうが、きっと倒れないようには見えたのだろう。彼女の見立てはたぶん正しい。僕は苦しくてもなんだかんだ歩いていけてしまうタイプだ。
人は別れたなら、一緒にいた意味はなかったかのように言う人が多い。時間の無駄だったとか、婚期を逃したとか、僕の偏見なのかもしれないが。僕のことを、そんな風に言う奴もいた。
そんなことはないのだ。驕るようだが、僕と過ごして彼女は様々なものを得た。何より自分を愛せる心を持てたはずだ。そしてそれは僕も同じだった。だからこの期間が無意味だったなんてことはない。
無意味になるかどうかは、自分がどう過ごしたかによって決まる。別れたから費やしたもの全てがゴミになるわけではない。そんな当たり前のことに気づいたから、記念にここに書いておこうと思う。