はてなキーワード: 脚本家とは
調べたら面白かった
https://job.cinra.net/article/column/oscarsrule/
抜け道とは、どんなものか。スクリーンのなかで条件を満たせない場合は、スクリーンの外でクリアする方法があるのだ。
たとえば、監督、脚本家、プロデューサー、美術監督、衣装デザイナー、撮影監督、メイクアップアーティスト、ヘアスタイリスト、キャスティングディレクターなど主要な部署のトップのうち、最低2人が、マイノリティの人種、女性、LGBTQ、障がい者であることは、その条件の1つ。
くだらなくて草
結局アレ脚本家が本当に描きたいことを描こうとするたびに、史実要素が全部邪魔になるんだよな
だってそうじゃん?
寅子はどこまで行っても、所詮いいとこのお嬢様が生まれ持った文化資本を存分に使い倒す、そういう話でしかない
あの時代としてはたいへん理解のあるパパに恵まれ、ママにも恵まれ、結婚を二度もして子も孫もできて
まあ朝ドラの伝統で身内を失うテンプレじみた苦労はあれど、あくまで既存の社会秩序に属した権力の手先風情に過ぎない
二言目には人権や反権力を謳うリベラル左翼勢力が、大嫌いでしょうがないはずの国家権力の一端をまぎれもなく担っていて
反体制ガチ勢の皆様から見れば、彼らもまた国家の走狗でしかない
そういう一見矛盾した事態ぐらい、制作側だって当たり前に自覚してるわけよ
そんな奴がいくら小手先でフェミニズムらしきものを唱え、差別と闘うポーズ見せたってね、あの毒親持ちのメンヘラツイフェミ連中が「これ私のことだ……」ってなるようなもんじゃねえの、本来は
そこ受け持ってるのよねだよね
まあ連中に司法試験受かるようなオツムはなさそうだけど
ぶっちゃけ本当はオリジナルであいつだけやりたいんじゃねーかとしか思えない
あれは主人公が裁判官なんかにならず、弁護士兼活動家の道をひた走るifルートそのものなんだろう
とことんフェミに寄り添うならもちろん結婚も出産もご法度だが、史実が史実なんでそういうわけにもいかない
プロパガンダとしては余計なものが多く、さりとて今更いつものイージーな朝ドラにも戻れず、なんとも軸がブレてしまった
例えば、同じく思想むき出しでおなじみのはだしのゲンにしても、そういうとこがある
俺は全部読んだから知ってるけど、一番後ろのゲンが絵描き目指して上京するだの恋愛するだの、そういうのは割とどうでもいいわけ
そんなものよりゲンが何かに噛みつく姿の方が面白いに決まってんの
ガンダムもドラゴンボールもみんな同じで、一度バトルで受けた作品っていうのは、もう永久にバトル以外まともに見向きもされない
いやドラゴボの教習所とかハイスクール編とか面白いだろうが、という奴も決していないわけじゃないけど、じゃあそれで映画が一本できるかと言われりゃ無理があるし、残念ながらノイジーマイノリティでしかない
視聴者はこの男社会に虐げられた女たちが立ち上がり、近藤隆太みたいに暴れ回るリーガルバイオレンスドラマ見てひと時スカッとしたいだけなのに、それを満たしてくれないんだから、当初みたいに盛り上がらないのも残念ながら当然
西遊記で言うところの前半と後半の違い
頭に輪っかはめられた寅子なんてだーれも見たくないのよ
だいたいが轟とのバディというのからして、女の「ゲイの友達欲しい願望」丸出しなわけだしさ
三淵嘉子とかどうでもよくて、それこそこの先の違憲裁判全部よねにぶん投げて、ドクターXみたいに「私TUEEEので」と無双したいだけなんじゃなかろうか
そういうわけにもいかない苦渋が感じられてならない
もっと自殺はどうしたら防げたのかも話してほしかったな~と思う。
みんな即「原作軽視が自殺の原因=テレビ局が原作者を軽視しなければ自殺しなかった」って結論付けてて、あんまりその視点では議論されてなかった印象がある。
自分もお姉ちゃんがうつ病になったことがあってちょっとした自殺未遂までいったことがあるのだけど、
寛解してる今も通院はしてて、お医者さんからは「もしまた症状が出てきたと思ったら通院日遠くてもすぐに連絡ください」って言われてる。
「でないとすぐに同じことを繰り返すかもしれないから」とも。
で、あの事件の報告書読むと思いっきりうつの症状っぽいのが書いてあるんだよね。
「脚本家の投稿に対してストレスを受け、原稿が書けないほどになっている」って。
まー別に犯人探しをするつもりはないけど、自殺を防ぐという観点からすると、ここからの小学館の対応はまずかったんじゃないかなーとは思う。
まずネットは肯定的にしろ否定的にしろ色んな人から反応がきて不要な刺激を与えるから、芦原さんにブログを書かせるべきじゃなかった。
お姉ちゃんもSNSはやんわり禁止されてたし、LINEとかもなるべく信用できる人とだけやるようにって言われてた。
そういう風にうつのきっかけっぽいものからとにかく距離を置くのは大事って意味でも、やっぱり書かせるべきじゃなかった。
本人の要望にしてもせめて小学館名義で発表するとかもうちょっとやり方はあったと思うし。
で、一番まずかったのは結局それを取り下げさせたこと。
これもお姉ちゃんの場合だけど、患者さんの周囲の人はとにかく本人を肯定してあげてくださいってお医者さんからは言われてた。
とにかく自己肯定感を底上げするのが大事で、逆にどんなに日頃肯定してても一回の否定で台無しになってしまうこともある。
小学館の人も芦原さんを非難するなんてつもりではなかったんだろうけど、
複数人から、しかも今まで自分の行動を支えてくれてた人達から「取り下げて」と言われたら、自己肯定感は一気に崩れてしまっておかしくない。
だからSNSには最後ごめんなさいという言葉を残したんだろうし、「自分はいない方がいい」というところまで一気に感情の針が振れてしまったんじゃないかと想像してしまう。
普通仕事に関係する心身の不調があったら人事や産業医みたいな知識のある第三者に相談するわけで、
作家という出版社の社員ではない人でも利用できる窓口みたいな存在があったらよかったのかなと。
これはテレビ局側も一緒で、なんというか作品制作ってみんな個人のプライドを持って、しかも定量化できないものを扱ってるから、
常にカウンセラーみたいな人を置いておかないと今回みたいなトラブルに発展しやすいんじゃないかと思う。
報告書ではどちらも原作者が納得する映像化を目指すような結論になってたけど、
少なくともセクシー田中さんのドラマの内容については芦原さんも最後まで頑張った結果納得するものにはなってたみたいだし、
そんな訳分からんスキームのせいで制作費が上がってる割に忖度し放題で無駄が発生するんだよ。
だいたいキャバクラや飲み屋でまともな人間に響く何が刺激されんだよ。あんなもん肯定してる連中が提供会社から大枚はたいて出させた金をどうしようもない頭の悪いビジネスに突っ込んだるだけじゃん。そんで実力もない奴を使い勝手よく使うために広告代理店や芸能エージェントが裏で手を引いて作品作りに口出し手出しして作る側が意図してなかった質の悪いドラマ見させられるんだろ。もういいからそういうクソみたいな流れ。日テレのセクシー田中さんとか思い出せよ。あれだって脚本家が作品の評価が極悪なのになぜか広告代理店に気に入られててバンバン仕事入れられててつまんねー作品ばっかり出してたのがデカい顔してた結果だろ。しかもクリエイティブな人を潰して。こういう仕組みのせいでデカい金が動いてるのにクソみたいなドラマばっかり流れる事が起きてるの。
そうこうしてる内に真っ当な倫理観も失せて社会的通念への問いかけも弱くて、ただ芸人上がりの役者出せば面白くできなるだろう(視聴者的に全然面白くない)みたいな制作費の無駄みたいな作品だけできてるの。他の国は役者や演出家が芝居の専門家や心理学や文学史学を学んで議論するレベルの知性をつけてる間にな。日本のギョーカイ人(笑)が飲み屋で遊んで挨拶回りが仕事と勘違いしてる間に国際的に作品として俎上にも載せられない位に品質が開けられちゃってるの。その国でビジネスするお情けで載せてる程度しか配信できない。
何が昭和だよ。バブル期みたいなあぶく金もない時代に引き合いにしてくんなよ。連れてってもらったってお前はどんだけ若い衆渡れ回せる位の立派な人生歩んだんだよ。大した事してないならすっこんでろ。
あんなもんが肥やしになるようなのは芸でもなんでもないんだよ。一般より金を使ったという記憶と自負による勘違い。ばっかじゃねーの。
朝ドラウォッチャーだから気に入らなくても全話見る派なんだけど「虎に翼」は序盤でこの社会ひっくり返してやる!女同士で連帯して頑張るぞ!って感じの空気出しときながら主人公が真っ先に名誉男性化して男性様の妻の立場の恩恵を余すことなくいただいて、都合が悪いときは文句言う、ただし名誉男性特権は頑として手放さない。そして家族にその態度に苦言呈されると「家族に怒られちゃいましたww」仕草(まるで森喜朗…)できっちり名誉男性やるの様式美の領域にきててまぁまぁウケるんだよな。
結婚しないと信頼得られないからねwwこれが「賢い選択」wwで結婚するの、さすがにモデルの人生に合わせて結婚するとしてもこんなひでえやり方ある?!と思ったよ。
名誉男性的な主人公なんていくらでもいるけど、女性の権利や立場みたいなものを掲げて最初の評価が高かったから落差がきついんだよね。
モデルの人生なぞる必要がある(どこまでなぞる必要あんの?名前まで変えてんのに?)とはいえ、こんなクソバカ名誉男性に仕立て上げるとか脚本家もしかしてモデルの人のこと嫌いなんすかね?!って思っちゃうね。
なんだかねぇ……。
小学館の報告書読めば芦原先生の様子が危ない状態になったタイミングはハッキリこう書いてあるわけよ。
ドラマ制作中のやりとりで引用される芦原先生の言葉の語気が強いからがそこが死の原因のような印象を与えるけど、
その時点では脚本読んで連絡を取って修正して指示を出してという複雑な仕事が出来ていたし、
苦しい戦いを終えて無事自分の脚本で放映できたあとは+の感情を見せてすらいた。
以上の経過を経て、放映も順調に進み、評判も良く、芦原氏も喜んでいた。
そこから精神状態が一気に落ち込んで「仕事が出来ない」という明確な異常、SOSサインを発し始めたきっかけが、件の脚本家の投稿。
古今東西で発生する望まれない原作改変の中でも希に見る人命が失われたという本件において、
自殺に与えた影響が大きい出来事であると考えるのは自然なことだ。
さらに言えば死の直前にやりとりをしていたのは小学館の担当者達。
芦原氏の投稿は反響を呼んだ。芦原氏の苦労に同情が集まり、反面、本件脚本家への非難が集中した。
翌 27 日 16 時頃、社員 A、社員 B、社員 C は芦原氏とオンライン会議を開き、大きな反響が起きているが大丈夫か、今後どうしたいかなど、芦原氏のケアに努めた。
18 時頃、社員 A から、社員 F に対して、芦原氏が思いは果たしたので、予期していなかった個人攻撃となったことを詫びるコメントを出して、
投稿を取り下げることになったとの連絡があった。社員 F は、削除はかえって炎上が進むこともあり得るとして制止するように言うとともに、
すでに全社マターになっているとして、担当者だけで判断しないように強く指示した。
社員F は、週明けの会議に備えて社員 A の協力を得て、「経緯説明書」を用意した。
ところが 28 日 16 時過ぎ芦原氏は、謝罪コメントを出 して、X の投稿を削除、ブログを閉鎖し、以後連絡が取れなくなった。
この27日のオンライン会議から急速に事態が自殺という結果へ向かって進んだわけだが、
社員が漫画家を囲んでSNSの書き込みを取り下げさせる……というのはしろくまカフェ作者のヒガアロハ先生の件を思い出してしまう。
そういった連想もあり、自殺の真相解明のために最も検証されるべきフローはこの部分になるはずなんだけど……。
まあ、一人の漫画家の心情を真面目に考えるより“原作レイプ”という社会問題の象徴となってもらう方が今生きている色んな人にとって幸せなんだろうけどねぇ…