はてなキーワード: 真摯とは
自分は文章は似ても似つかないけど実生活はヘラヘラしてて立ち振る舞いフワちゃんみたいな感じで全く鬱と無縁に見えるからカミングアウトするの怖いんだ…誰にも言ったことないしね でも言ったほうがいいやねどうせ辞めるならダメなやつの烙印じゃなくて病んで辞めたのほうが自分的に救われるしなあ カミングアウトのタイミング考えてみるね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220323202641
参考:ぼく勉のスカートめくりについて書いてたnote https://note.com/siotamari/n/n37a081298024
ぼく勉のスカートめくりは未就学児が大人に対してやっていて成幸はそれを叱っている。扱いが軽いと言うなら、どうするのが適切なのか聞いてみたい
いや軽いでしょ~~~。そこで戦おうとするのはやめようよ~~~~。
これだけ言って済ませたいのは山々なんだけど、ちょうど好きな漫画の話題だったので詳しく言うね。
まず未就学児は明確に事実誤認な。教師になった主人公の生徒なんだから当然就学児だよ。大人に対してっていうのは免罪符になるのか? よくわからんが。
なんで軽く見えるかと言えばまず「なななんてことを!」みたいに成幸が動揺しながら言ってるのがまず良くないと思うよ。真面目に叱ってる感じしないもの。しかもこの一言だけでその後で「あれは良くないことだ」みたいに諭すシーンもない。たとえるとボケに対するツッコミレベルなんだよね。一言叱ってそれで終わり。本気でやめさせる気あるようには見えないよ。
子どもたちが反省するシーンがないのも軽く見える理由の一つだよね。「逃げろ逃げろ」って言って逃げて終わり。スカートめくりって先生から叱られても逃げればいいような行為ってわけじゃないよね。「やってはいけないことなんだ」とこの子供が理解するシーンが一つもない。
ブコメでも言われてるけど「やった子供が本気で反省して二度とやらなくなる雰囲気でもないし例えばあれ読んだ子供が「こんなもんで済むのか」と思うほうが自然な内容」じゃん。軽い以外に言いようあるかこれ?(無論多くの子供は漫画でどう描写されていようが家庭や学校生活の中ですでにしてはいけないことだと理解しているだろうが)
例えば扱いの軽重を「お咎めなし」を0、「加害者が周囲から全否定され転校を余儀なくされる」を10としたときには明らかに0寄りだよね。
重さ軽さにもグラデーションあるし、10でなければならないとかは俺は全く賛同しないしむしろ0から10までいろんな漫画があっていいと思うけど、ぼく勉の描写が軽いのは明らかじゃん。
あとそもそもこういう描写を「軽くない」って擁護するのやめたほうがいいと思うんだよね。(本気で軽くないと思っている人には言ってもしょうがないが。このしょうがないというのは言っても無駄という意味ではなく、個人個人で感覚は全く違うのでという意味です)
なんでやめたほうがいいかというと、このレベルの昭和ノリで手癖で描いてるセクハラ描写を「軽くない」と擁護することのほうがリスクが高いから。
「軽くない」という言葉は「軽くないから問題がない」と捉えられるし、それは容易に「軽いものは問題だ」という主張に結びつく。
意図せずとも描写内容によっては規制されうるという危険性を孕んでんだよ。
じゃあこれが軽いか軽くないかっていうのをジャッジするのは誰かっていうと世間だけど、これ軽くないって判断されると思う? 少なくとも重くはないでしょ? 子供を諭してもいないし子どもたちは反省すらしてない。
そのうえスカートめくりされた次のページでスカートめくられた女の母親が「これも経験」って言ってるんだぞ?(スカートめくりそのものではなく、予防接種をするにあたって子どもたちを手懐けられず逃げられてることについてではあるけど、スカートめくりされたことも含んでいると読んでも違和感はない)
スカートめくりをしたことへの扱いが軽いって言われてもしょーがないでしょこんなもん。そのレベルで争ってもしかたないよ。スカートめくりに限った話じゃないけどぼく勉は全体的にラッキースケベ描写の扱いが雑すぎる。
同じジャンプでもゆらぎ荘だったらコガラシさんが全力で回避しようとしてるし、結果触ったり見たりしたら全力で謝ったり反省している。もっと昔のToLOVEるだってリトはそうだし、性欲全開で生きてる校長は女生徒から汚物のごとく扱われ、まともな人間扱いされてない。
ゆらぎ荘やToLOVEるはエロコメではあるけど、だからこそそれは本来やってはいけないんだというメッセージが込められているのに、ぼく勉にはそういった意識がほとんど見えない。反省も謝罪もなく一言怒られて終わり。何も考えず手癖で描いてるんだろうけどだから扱いが軽く見えるんだよ。
そうじゃなくって軽いけど問題はないんだってスタンスでいようよ。俺はこの立場だよ。
ぼく勉のセクハラ描写はクソ雑で苦笑いしたくなるけど、キャラの可愛さとか演出とかそういう側面が優れてるから好きだし、セクハラ描写だけを取り上げられて軽い軽くないで言い争われるのが嫌なんだよ。
軽いけどそういう漫画もあっていいし、軽いけどそれは悪い漫画というわけじゃないって話にしたいんだよ。
真面目に扱うのが適当なのかもしれないけど、そうするとテンポが悪くなるし漫画の雰囲気にも合わないからそうはしないってはっきり言えばいい。
軽く扱っていると言われても不快に思われても当然だけど、それはそれとしてこういう漫画があってもいいし、それを楽しむことは何も問題はない、規制しろと言われても応じる必要はない。そういう主張をしていけばいい。
軽くないでしょとかいうより軽いけどそれが何なんだと言ったほうがいい。
軽いか軽くないかを問題にした時点で、軽ければ規制される余地があるというのと同じことなんだから。
が適切だとお思いで?
いやそこまでやらんでも……ってどっちかというと引くけど。明確にスカートめくりを扱ってなにか描こうとしてる作品じゃなければやりすぎだろう。
ブコメにあったから引用しただけで10にしてるんだから極端な例だよ。お咎めなしを0にしてるんだから両極端な例として出したつもりなんだが伝わらないのかこれ?
普通に教師が諭して子供が反省するシーンがあれば「軽く」は見えないんじゃないかと俺は思うよ。
繰り返すけど軽いから悪いとは思わないし、それ以外の要素との全体のバランスもあるからそうすべきとは言わないよ。
でもそういうシーンがないんだから軽いと言われるのはしょうがないでしょう。
普通に教師が諭して子供が反省するシーンがあれば「軽く」は見えないんじゃないかと俺は思うよ。
うん、それくらいが妥当だね
いやまあ立ち入らないからいいんだけど、
作品の流れやバランス、作者の意向等々の理由で軽く扱うことは全然問題ない。ただそれはそれとしてできるストーリーだろうができないストーリーだろうが結果として軽いものが出てきてるんだから軽いって言われることは仕方ない。それより軽くてもいいんだって話をしよう
って話を最初から延々としてるんだがそんなに伝わりづらいかこれ。
読んだことなくて申し訳無いがおそらく「新米教師が生徒の予想しない行動に上手く対応できない」ことを描写シーンにおいて「厳然たる対応ができなかった」ことが「軽い」と評価される、ということですか?
読んだことないので仕方ないけど、この話の中ではむしろ未熟な研修医のヒロインと対比して一人前の教師である主人公という描かれ方をされているので「新米教師」というのは事実誤認。
「僕の感覚で0~10の尺度を作りました、この尺度によれば軽いということが分かります」という言説の危なっかしさが分からないもんかな?/転校を量刑10に設定する権利は誰にあるの?
そもそも軽いから悪い、軽くないからいいという話にしてはいけないというのが俺の主張であって、軽重の話に主眼をおいていないのでそのたとえ話にツッコまれてもな……。いや本気で軽くないからいいんだと思っていて、そういう話がしたいならしょうがないけど。(このしょうがないというのは言っても無駄という意味ではなく、個人個人で感覚は全く違うのでという意味です)
尺度なんて個人個人で持つしかないでしょ? 俺がたとえてるんだから俺の尺度だよ。あなたの尺度で測ればこうだって話したいならすればいいじゃん。
別にスカートめくりが推奨されるを0に置いてもいいしスカートめくりをしたら死刑を10に置いてもいいしスカートめくりをしたことを真摯に反省して謝罪するを10に置いてもいいし。単に各々の持つ尺度の集合体が法学で言うところの「社会通念」になるというだけの話であって。
俺はそもそもそういう尺度で測った結果がなんであろうが漫画として描くのは自由だって立場だけど。
個人的にはなんでわざわざそういうお気持ち次第でどうにでもなる土俵に乗りたがるのか理解できない。しかもこんな不利な描写で。粛々と現実に悪影響がないんだから不快に思うかもしれないが規制する必要がないって言ってれば良くない?
いや本気で軽くないと思っているのであれば言ってもしょうがないが。このしょうがないというのは言っても無駄という意味ではなく、個人個人で感覚は全く違うのでという意味です。
そもそも軽い漫画なので重い描写はあり得ない。ギャグ漫画では傷害も軽く描写される。クソガキは人間扱いされてない。増田もTo LOVEるの校長はキモがられてるからOKとかダブスタで好き勝手言うよね。
医者であるヒロインの父親は昔主人公の父親を助けられず死なせてしまった。何年も経って離島で主人公とヒロインが再会して、主人公は子供を救うために怪我して重体になった。研修医になっていたヒロインが今度こそ主人公を手術して助ける。ってシリアスな展開をやったぼく勉に向かってなんて言葉を。 >軽い漫画
クソガキは人間扱いされてないToLOVEるの校長と同じ枠なので反省しようがしまいが無問題というのはまあ一理あるんだけど、作者はこのクソガキが洞窟に滑り落ちたのを主人公に助けられて説教されたことで洞窟に入ったことを反省するのを人と向き合うとか言ってるからな。
少なくともクソガキは作者の中では校長と同じような「理解できない生き物」という枠ではなく人間として描かれてるのでそれは採用できない。
校長を例に出したのはああいうことをすると人間として扱われず汚物扱いされるという描写だからだよ。ああいう扱いされてしまうようなことなんだな、やってはいけないんだなと思えるような描写だから。
この問題、個人から組織、従業員から経営者、市民から為政者、草の根活動家から研究者、男性から女性に至るまで誰も彼もが育児と仕事の両立のベストプラクティスを発見できていないし、提唱される方法論は仮説のままの机上の空論で、しかもその提唱される方法論のデメリットだけは明確に誰しもが理解しているという状況なのが育児と仕事の両立というジャンルの問題だ。
「育児と仕事の両立は達成されるべき」というお題目は誰しもが是認するのだけれど、市井の一部から「でも達成方法はまだ良くわかってないよね?」などと触れるだけで「コイツは育児と仕事の両立を否定するクズだ」とばかりに提起されている問題点へは触れずに何故か人格攻撃へ走って有耶無耶にする手法が散見するのが現状で、結局そんなんだから問題も留保されたままになってる。
「育児と仕事の両立は達成されるべき」というお題目は「戦争は良くないので行わないべき」と同じくらいには誰しもが是認するわけだが、こういう方向で例え話をすると「ネトウヨが〜」と何故かやっぱり人格攻撃へ走り始める人たちが一部であれ出てきてしまい、話の流れによっては「藁人形が〜」とやっぱり提起されている問題を放置して明後日の方向へ突き進む。
こんな愚痴みたいなことを書いてるが、これでも未熟ながら父親やってるので皆さんへ言いたいのだ。
いやむしろ父親の責任、覚悟として僕へ人格攻撃しても良いので、どうやったら僕は収入を維持したまま妻を助けられるのか、今まで以上に真っ当な子育て参加ができるのか、本気で教えて欲しい。
どんなに僕を罵ったって良い。教えてくれよ。いま僕の目の前には重大な問題である妻と子が居る。この問題に比べれば罵られプライドを傷付けられるなんて些細な問題だ。僕は夫で父。それくらいのネガティブを受けて折れてる暇なんてないんだ。
ブロガー、増田、ブクマカ、教えてくれよ。
僕は多くの父親は、母親だってそうだ、どうしたら良いんだ、まったくわからない、まったくわからないんだ。
そうだ僕はこんな「簡単なこと」すらわからないんだ。決して「気付いているのに気付いてない振り」をしているわけではない。育児と仕事の両立の具体的な方法論がまったくわからないんだ。
「それぞれの家庭の事情による」だって?そんなことを聞いてないくらい気付いてるだろう?「気付いているのに気付いてない振り」はやめてくれ。
国は会社組織は社会はどのような変化をしたら育児と仕事の両立が可能になるんだ。僕の妻と子が幸せに生きていけるんだ。みんなのパートナーと子供が幸せに生きていけるんだ。
「企業は産休を父親にも取りやすくしろ」「産休の悪用は良くない」とかいう当たり前の話で根本的な問題の無視する人生のキャリアプランナーなんて僕たち親世代は求めてないんだ。根本の問題はなぜ父親は産休が取りにくいのか?だろう、なぜ産休の悪用へ至るか?だろう。それを解決するにはどうしたら良いのか教えてくれよ。
しかし僕と同じように「申し訳ない。自分にもわからない。本当にすまない」と自身の力不足を嘆く人も居るだろう。大丈夫しっかりアナタにもできることはある。
このエントリをWebへ世間へと広めて頂きたい。下らない人格攻撃へ走らず、意味のない足あげ取りをせず、育児と仕事の両立の具体的な方法論を語り合おうじゃないかと広めてほしい。
ブロガー、増田、ブクマカ、アナタたちが答えを出せなくたって良い。
しかし真摯に心から「私たちと共に育児と仕事の両立問題の解決のため話し合いのご助力をお願いさせて下さい」と言わせてほしい。土下座でもなんでもするので本当によろしくお願いします。
ただ半年コミュニケーション取ってもあなたが一向にガードを下す気配がないから「脈なし」と判断して、迷惑になる前に次の女性に移ったと思われます。
時間をかけて、相手の女性が脈ありか脈なしかを判断してから行動を起こそうとする、真摯な男性でしたね。
相手のアクションに対してあなたも多少なりとも何か行動を起こせば結果は変わったんでしょうが、日本人女性特有の「女性は座して待つべし」という思想に染まり切ったあなたではその未来は掴めなかったようですね。
何事もリスク侵さずしてリターンは得られません、次に気になる男性が目の前に現れたときは今回の事を教訓に多少なりとも行動しましょう。
相手から話しかけてくれる、こちらに興味を持ってこちらのことを知ろうとしてくれる、こんな些細なことで良いんです、それだけで男性は積極的行動の免罪符を得たと判断してあなたにアプローチします。
変わったなんて生易しいものじゃない。
夫として父として、やることは人並み以上にやっていると思う。
朝食は自分でパンを食べてから会社に行くし、ゴミがあれば持って出て捨ててくる。
朝の15分くらいだけども子供とも出来る限り遊ぶ。
オムツは替える。食事も与える。うまく出来ないが寝かしつけを嫌がったこともない。
夕食は自分で温めて食べている。もちろん、洗って片付ける。
同窓会以外の外出はしない。
これらを嫌な顔せず、やってきたつもりだ。
実際、嫌だったこともない。
こういうのは割りと嫌いじゃない。
これだけしても、オレはなにもしてないんだそうな。
うちは、義母と同居しているんだけど、食事は8割がた義母が作っている。
子供のめんどうも見てくれる。
それなのに、協力的じゃない夫のせいで毎日忙しく、メールも返せないんだそうな。
インスタはしょっちゅう覗いてるくせに。
電話をかければ、忙しいから出れない。もしくは出て用件のみで切る。
会話はすべてケンカ腰。
お金さえ持ってきてくれたら、それでよく、出来れば死んでほしいそうだ。
ネット通販で買い物をして、うるさいことを言われるのがイヤだから、
全ての買い物は夫に内緒。
その後、まだ1歳の娘に対して、「お父さんはバカですねー、かわいそうな人ですねー」と、話す。
この状況が1年以上続いている。
・話全部聞かず否定するな
・長い話が聞けないって言うから段階ごとに区切って話してやってるのに「結論から言え」って言うな
・気を遣って強い結論から言ってやってるのにその結論にポッと出の否定をするな。それくらい既に検討している
・そもそも1時間の報告で全てがわかると思うな。聞きたいことがあれば後でまとめて送ってこい
・お前が俺に真摯に対応してないのに俺がお前に真摯に対応するのが当たり前と思うな
・お前の妄想で俺を批判するな。「〇〇はしないと言ってないということは〇〇をする恐れがあるのでは?」とか言うな。その気持ちに俺が真摯に対応して考えうるありとあらゆる注釈をつけてもいいがお前はそれを読みたいのか?どうせ読まないだろ?
・お前が不愉快な気分なのはわかってるしそれを伝えたいなら「不愉快でした」とだけ言えばいいのに無駄に「〇〇を改善してください」とか指示にするな
・達成条件のわからない指示に対して「その指示の達成条件はこうですか?」って聞いたら嫌がるな。達成しようとしてるのに嫌がられるこっちの気持ちを考えろ
・達成条件の分からない指示はお気持ちなんだなーって「頑張ります」とか言っておいたら後日「〇〇が改善されてない」とか言うな。いやそもそもそれどう守られると思ってたんだ?
・お前のプライドが肥大化してるのは分かってて、社会的マナーとしてそれを尊重はしたいと思うから、頼むから周りが尊重しやすい意思表示をしろ
・明確じゃない指示をするな
『契約解除出来る条件が定まってるはず』と決めつける君の方こそ、バイアスがかかってると思うぜ?
契約を結んだという事実をもってして訴えることもできるのに、それをせず真摯に反省を主張する彼女を突き放すなんて、スポンサーもどうかと思うぜ?
——登さんくらい常に気持ちをフラットにできればいいのですが、仕事のストレスで参ってしまうエンジニアも多くいます。
そうですね。ストレスを感じる理由はさまざまあると思いますが、一つ例をあげるなら、仕事の目的が「お金を稼ぐこと」それ自体になっている人は疲弊しやすいかもしれませんね。
稼ぐことを目的としている人のゴールは、おそらくご自身の「安寧な暮らしの実現」にあるのだと思います。それがとても大事なことなのは言うまでもありませんし、否定するつもりも毛頭ありません。
一方で、私や私の周りにいる人たちは、現状の成果に満足せずに得たお金を次の進化のために再投資しようと試みる人ばかり。どちらが良いとか悪いとかではなく、価値観が違うだけのことです。
ただ、前者の「お金を儲けて安寧な暮らしがしたい」という人にとって、仕事から受ける疲労や気分の落ち込みというのは、ある種当たり前のことだとも思うんですよね。
——というと?
どこかで成長を諦め、安寧な生活を望むような性向が、かえって心身の不調やフラストレーションを生み、パフォーマンスを落とす一因になっているのではないかと思っているんです。
「お金を稼ぐためだから、しょうがないか」と思ってやっていること自体が、ストレスになるのではないかと。
登 大遊さん
でも、こればっかりは人の価値観ですからね。変えようと思っても、すぐに変えられるものでもない。
どんな価値観で生きるのかを選ぶのはその人ですし、どんな人生を選んでもリスクはついて回ります。
安寧な生活や休息を優先する生き方には、仕事に対するストレスやそれに付随する心身の不調などの副作用があるということに過ぎません。
ただ、一つ言えることがあります。日本において、「大義を持って働く」生き方を選択をした人は、これから大変有利だということです。
——どういう意味でしょう?
自分の手で未来を変えようと野心に燃える人が世界中から集まるシリコンバレーなどでは、埋もれてしまうかもしれない人であっても、日本の旧態依然とした組織の中では、同じことをするだけで、比較相対的に価値が高くなりますから。
技術者がわざわざベンチャーを立ち上げ、投資家からお金を引き出すために詭弁を弄したり、ニーズをでっち上げたりしなくても、日本の大企業にはストレートに解決すべき課題がいくらでもあります。そしてそれらの問題を、自分自身の頭脳を用いて解決しようとする時は、必ず、従来とは異なる方法で解決する必要があるのです。
なぜなら、まさに従来手法では解決できなかったことからその問題が放置または堆積されているためです。
——その場合は、どうすればいいのでしょうか。
その問題を一旦一般化・抽象化した上で、これを解決することができるより低レイヤーのフレームワークのようなものを作ってしまうことが重要です。一定の労力はかかりますが、それによって生じた汎用的成果物は、他の業務や他の組織においても普遍的価値を持つようになります。
ここで重要なのは、目的を「業務上の特定の問題の解決」から昇格させ、「その特定の問題と本質的に類似しており、かつ既存の最適な解決方法が存在しない、新たな汎用的解決方法の実現」という、より価値の高い目標に設定する必要があるということです。
登 大遊さん
——目先の特定の問題をその場しのぎで解決するのではなくて、普遍的な価値を目指すと。
その結果、問題がうまく解決され、成果物が出たならば、サラリーマン的な自分自身(個人)と自組織にとっての短期的な狭い利益だけでなく、同時に「世界における技術の進歩」という長期的で大きな価値が生じます。
具体例を挙げると、たとえば「UNIX」を構成する重要な機能、たとえばシェルやプロセス間通信、パイプ、grepといった機能。これは電話会社であるAT&T社の特許部門における、膨大なテキストファイルを全文検索するという特定の業務を解決しようとした同社の社員たちが、単にその社内問題解決にとどまらず、さまざまな組織や目的で汎用的に利用できる仕組みを考案し、プログラミングして実装したものです。
結果として、「UNIX」は汎用的に利用される価値を有し、単に一企業の業務に留まらず、全世界的に普及し現在のサイバー世界の基礎となっています。
このように考えれば、ICT技術者は、これまで組織内で放置または堆積されてきた多種多様な課題について、目先の解決ではなく、「正しい普遍的な方法で解決する仕組みを作る」という気概で、真摯に向き合えば、自然に世の中に貢献できる成果ができるわけです。
ワイ、技術営業。増田の気持ちよく分かるし、増田の奥さんの気持ちもよく分かる。
技術目線から言えば増田の言うとおり。コードネームなんて、製品の何がしかに因んだちょっとシャレたものなら何だっていい。所詮はコードネーム。
製品にかける私の思い? そんなもん「いっぱい売れるといいな」だよ。それが社の総意であって、お前個人の思いなんて知らん。
一方で、人に好かれて受注する、みたいな奥さんの話も身に染みてるんよね。
自分で言うのもなんだけど、誠意あるような演技得意なんやわ。演技っつーと、人をだまくらかして、腹の底では舌出してるみたいに思われるかもしれんけど、
演技っつーかなんて言うか、振る舞い? 神妙な顔して、か細い声出して「はい… はい… ええ、それはもう… おっしゃる通りで… ごもっとです…」まずはこれ。
炎上仕切り直しの最初は、徹底的に低姿勢からの傾聴。相手の溜飲が下がるまで傾聴。そこからの寄り添い。
顧客の要件を改めて引き直し、最速かつ希望の要件に近い完成案のご提示。もちろん、時間・予算と要件が折り合わない時もある。
そう言うときは「そこまではできないが、ここまでならできる」「それはできないが、代わりにこう言うやり方がある」「今回は間に合わないが次のフェーズで」とか、とにかく落とし所を探しまくる。
そんなん当たり前やんって思われるかもしれないけど、それできない奴が多いから、炎上もまた無くならない。
こういう愚直な行動を続けていくと、炎上して怒り狂ってた顧客の担当者や担当役員が、徐々に柔和になっていって、最後は目がハートマークになる(もちろん、ワイにやで!)
ここまで自分で言うと流石に嫌らしいが、こう言うことを繰り返すうちに、人心を掴むってどう言うことか、なんとなくわかってきたわ。
最初が炎上(マイナス)からのスタートなんで、ギャップがでかい、ってのもあるかもしれん…
でも、結局はその人の「姿勢」なんよ。その姿勢から垣間見える本気度とか、そういうのな。
まあ、toBとtoCでも違うやろし、モノ売るんかソリューション売るんかでも違うし。人の心の掴み方もそれぞれあると思う。
でも、本当はそいつの姿勢が顧客の目にどう映ってるかが大事で、そういうところを、おざなりにやってる奴ほど、信用得られずに、受注や売上もぱっとせえへんのやろ。
増田の話には顧客との関係性は出てこなかったけど、増田がマーケの人らに感じたのも同じで、結局マーケの人らの姿勢から本気度とか真摯さみたいなんが感じられへんかったんとちゃうかな。
これを書いた張本人なんだけど、大学卒業間近になった今この子と付き合うことができました
この頃の私に伝えてあげたいなーと思ってここに書く
この頃は好きを伝えるなんて夢のまた夢で、一生しまっておくしかないと思ってた
でも大学も違うし違うコミュニティに属している今なら言えると思った ずっと会ってなかったのも逆に言いやすかった
彼氏には、好きな女の子ができた 高校の頃ずっと好きだった子だと伝えて別れた 悪いことをしたのはわかってるけどその子と再会する前に蹴りをつけておきたかった
ただ好きって伝えるだけでよくて、付き合えるなんて微塵も思ってなかった
ラインで好きって伝えて、好意的に(?)受け止めてもらえた状態のまま何度か会った それで付き合おうって言って貰った
この前、私が好きなのを隠したまま会ってたら気づいてた?って聞いたら、私が好きになってたと思うって言われて嬉しすぎたしあんまり理解ができなかった 片思い期間長すぎて、その子が私を好きって状態が未だによくわからない
でもすごく真摯に向き合ってくれて優しくてすっごくきれいでいつもいつも見惚れちゃうような本当に魅力的な子 そんな子と付き合うことができて、毎日毎日いろんなやり取りを反芻しては喜びを噛み締めてる
前のダイアリー?に、絶対ディズニーに行くんだって宣言してたけど行けたよ シーではないけどね でもシーにも行くよ ほんとに楽しかった
もうすぐ旅行にも行くよ 嘘みたいだよね
高校時代の友達に付き合ってることを言ったら、全員祝福してくれるし、好きそうだったもんねって言われる みんなにバレてたみたいでした
まだ嘘みたいで、幸せなのに失うことが怖いと思ってしまう だけどもっと幸せになりたいから貪欲にいきます 大好きです生きててよかったと思えた
1. はじめに
反出生主義は、昨今のインターネットにおいて注目を集めている思想の1つである。
この思想はしばしば誤解されがちで、「陰キャ非モテの妬み嫉みから産まれたルサンチマンの申し子」のごとく扱われる。しかし、大筋としては「現在生きている人が死ぬべきであるという主張」ではなく「産んでしまうこと自体が苦痛の押しつけである」という建付けのロジックとなっている。
その具体的な論法はそれなりに複雑で、論理展開自体も多くの批判を浴びてきた。それでも、未だにある種のバズワードとして、「反出生主義」はインターネットに巣食う若者の語彙に侵入している。
ただし、個人的な意見だが、思想というものはそれを実行する行動があってはじめて充足されるのだと思う。国会前で手作りのプラカードを抱えて珍走する路上の高齢者も、大人とつるんで政治的フレーズを口から出力する高校生大学生も、その点においては真摯な態度だ。TwitterでJAのイラストにケチをつける自称フェミニスト諸氏も、自らの思想との向き合いかたとしては評価できる部分もあるのだとは思う。少なくとも、2chやTwitterの匿名垢で独自理論を垂れ流しながら具体的には何の行動もしないオタクくんよりは遥かに好感を持てる。
では、反出生主義者を自負するインターネット戦士諸君に要求される「行動」とは何なのだろうか。
それは、ひとえに「女性の権利擁護」「性的マイノリティの権利擁護」「高齢者の権利擁護」の3本柱に集約される。
女性の権利擁護と表現すれば、一見するとTwitter-feministを想起させる危ないフレーズにうつる。しかし、女性の権利擁護、特に「産まない自由」や「独身を謳歌しバリバリ働く自由」を擁護することが肝心である。
これは、現代の価値観においては正しいとされる内容である。このことを口に出したところで、いわれなき批判を受ける機会はないと断言できる。だからこそ、反出生主義者にとっては格好の隠れ蓑かつ武器となる価値観であると確信している。
産まない自由を謳歌していただくことは、女性にとってもキャリアの中断(産休育休であれ、中断には変わりない)や育児コストを削減するのみならず、固定のパートナーに拘束されないことで気軽な恋愛を楽しめる期間が継続するという確固たるメリットが存在する。そして、反出生主義者にとっては言うまでもなく、思想の方向と合致する結末に繋がるルートである。そして、この自由を長く謳歌することは、生物学的束縛によって「産めない状態」へと繋がる。そこで不妊治療等を頑張ったところで、多くの場合は1人程度の子供を持つのみであるから頭数としては減らすことができる。仮に、ひたむきな努力の末に2名の子を授かることができたとしても、頭数は決して増加しない。その点でも、女性にそのプライベートやキャリアを追求していただくことは、反出生主義者にとって好都合である。
性的マイノリティ。古典的な統計としては、全人口の1割程度を占めるとも主張される存在である。そのカテゴリの人々においては(彼らとも彼女とも表現しづらいので、少なくとも合意が形成できるだろう点として人という表現を採用している:これは、自らを人以外の生物や物質であると主張する方々の権利を侵害する意図をもって行われている表現ではないということを断らせていただく)、子を為すことが現行のバイオテクノロジーによっては不可能である場合が多い。私は任意の2名が結婚という契約を結べるように社会体制を再構築することが急務であると心底確信している。個人的な思想としては、他人のカップルがどれだけセックスしようがどうでもいいし、結婚しようがどうでもいいのだ。興味がない。だからこそ、勝手にしてくれればいい(それによって私は一切困らない)。
ただ、これを反出生主義のポジションから眺めると、所謂クィア思想が普及し、子を為さないパートナーシップがますます増加していくことは、積極的に歓迎すべき事態であるといえる。社会的にこれらの思想を擁護することは、従来であれば「社会義務的に」子を為すことを強いられていた人々が、その苦痛を受けることなく、過ごすことができる。望まれて産まれてきたわけでもない子供の数を減らせるなど、喜ばしいことでしかない。虹のふもとには黄金のつぼなど存在しない。
高齢者とは、日本社会における最多数派であり、常に最大派閥の世代として生き永らえてきた階層である。彼らの医療・福祉に多額の金が流れ込んでいることは明らかであり、一方で次世代の教育への国家的投資がないがしろにされてきたという指摘は昔からよく為されていた。
労働者から徴収される諸々の金額総計は近年著しく増大している。消費税増税でガタガタ騒ぐ世間は、この部分についてはあまり取り上げないという印象が強い。また、既存の控除等が廃止することも注目されず、こうして現役世代からの集金システムは年々強化されてきている。
全サラリーマンの平均年収が400万円前後である一方で、都市部なら家賃含む生活費、地方部なら車の維持コストなどがベースとして重くのしかかる。子供を作れば一層の負担が追加される。出生に対し、経済的に大きなアドバンテージを与えられることもない。
若者が子供を持たない理由として一番挙げられているのは、経済的不安である。これは統計的事実として存在しており、逆にいえばこの不安が解消されることがある程度出生率の改善に寄与するだろうことは推察されうるわけだが、そうした抜本的な変革は未だ行われない。それは社会全体として出生をサポートする気がないし、高齢者の延命や生活環境の方が大事であるという強烈なメッセージ以外の何物でもない。
この事実は、出生をしたくてたまらないが大して金のない若者にとっては悲惨な現実である。しかし、反出生主義者にとっては、自らの望む結末を実現する上でこの上ない支援である。国家が自分たちの思想(から望まれる結末)をバックアップしてくれるなんて、滅多にありえないことである。
まだ産まれてきていない人のことより、もう産まれた人の権利を優先するというのはある程度理解できる。また、すでに産まれてしまったのポジショントークとしても、自分が老人になったときに優先されるのだ(実際はどうなるか全くわからないが)から、比較的取りやすいポジションだと思われる。別に子供など産まなければいいのだから......
そうして、出生数は減少し、反出生主義者の望む結末が得られる。
5. おわりに
反出生主義者は、そのことを表明するたびに、様々な誹謗中傷を受け取ることとなる。
ときには単なる逆張りとして、ときには嫉妬の表現として、嘲笑の下に処理されることも多い。
しかし、時代の流れとしては、反出生主義者の望む結末へと漸近しつつある。
そんな中で、反出生主義者らが取るべき行動とは、この方向性を後押しすることである。女性の権利擁護につとめ、性的マイノリティの人々の自由を願い、高齢者の方々が充実された余生を過ごせるよう陰ながら見守ることが求められている。その先に、必ずや人口の致命的な減少という結末が訪れると信じて、日々の無味乾燥とした生き地獄を生き抜いてほしい。(別に生きることを推奨しているわけではないので、自由にすればいいが)
※注意 死ぬほど長いです。
俺は映画が好きだ。
だけど映画は好きなだけであって、「映画が好きな俺」に特に思い入れはない。ゲームも好きだし、読書も好きだし、美術も好きだしカラオケもバイキングも友達とあてもなく街を歩くのだって同じくらい大好きだ。
映画はその中の一つでしかないけれど、それでもやっぱり好きなもんだから、結果的に多くのものを見てきた。そのくらいだ。
見たい時に見るし、興味がなければ見ない。
見るものを指定されるのが大嫌いなので、「映画が好きならこれだけは見ろ」と言われたらどんなに名作だろうと以降の人生それは絶対に見なくなる。こいつ損な性格してやがる。
だけど、そんな俺でも最近思うことがある。
「邦画と洋画を比べて、邦画は面白くないという意見が多いなあ」ということに。
「邦画は資金がないからなあ」「漫画原作実写はコスプレ感が酷くて」「それに比べてやっぱり洋画はクオリティが高い」なんて言葉を聞いたことはないだろうか。少なくとも俺はめちゃくちゃある。だから筆を取ったわけだし。
特に、つい最近公開された邦画の出来がかなりアレだった故に、再びそんな意見が噴出されていて、俺は「いやいやいや、ちょっと待ってよ!」と思うのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20220206022647
その「思い」を、長くはなるが少し聞いてほしい。
※ここから先の「映画」並びに「邦画」「洋画」は、【大小問わず正規の映画館のスクリーンで放映されたもの】を指し、ソフトのみの販売や配信での公開は含まないが、これは文章の意図をわかりやすくするためであって、他意はありません。
そもそも、海外で作られた映画が日本に入ってくる際、字幕がつけられ吹き替えが行われポスターが刷られてメディアが広告を打つという流れが入る。
多くの人手とお金がかかるが故に、「日本で売れなさそうな映画」はこの時点で脱落する。
よくて規模の小さいスクリーンでの放映。
悪くてソフトのみ。
最悪日本に来ない。
つまり、日本全国のスクリーンで大々的に放映されるような洋画は、そもそも「日本で売れそうだから」放映されているのだ。クソつまんねー洋画は、そもそも日本人の目に触れないのだと俺は思っている。
まとめると、「日本に来る時点で選別されてるだけで、洋画も洋画なりにきっと死ぬほどクソ洋画があると思うよ」、ということだ。
それから、これはちょっと、怒る方も多いとは思うのだが、「漫画原作とする実写版映画における、俳優のコスプレ感」に関しては、同じく漫画原作の実写版映画であるところのマーベルとかDCとかも……その、あんまり変わんないと思うんですよね。もちろん、クオリティは段違いに高いとはいえ。
俳優で売るために顔を出させることの多い邦画と違い、マーベルの方はフルフェイスのヒーローがかなり多いとはいえ、スパイダーマンがマスクをとった時とか、アイアンマンのフェイスシールドが解除された時とか、フィクション感全開のコスチュームからはみ出た生の人間の顔面に、ちょっとも違和感がないとは俺はどうしても思えないんですよね。
しかしそれは、「キャストが外国人だから」という点も強いと思うのだ。「キャストが実力のある有名俳優だから」ではなく。
日本という国にほとんど日本人しかいない中で、スクリーンに映る「外国人」というのはどうしても特別に見えてしまうのではないかな、と。
外国人が外国を舞台に外国語を話しているだけで、日本人にはそこがある程度「見慣れない異世界」イコール「特別なもの」に映ってしまうのでは、と思うのだ。
現に(この「現に」とは俺の実体験なのでこれを読んでいる方には信憑性が無いことはわかっているがそれでも)、俺は以前「シャンチー」というマーベル映画を見た。これは主要キャストをアジア系でまとめていることも特徴の一つだ。つまり、キャストに日本人のような面影がないわけでは無い。
ここは内容や感想を長々話す場では無いので手短にいうが、俺はとても楽しめた。が、違和感がすごかった。
なんで違和感がすごいって、主人公である「シャンチー」がマジで本当にびっくりするぐらい俺の高校の友達に似ているのだ。念のために今ポスターを再確認したけどやっぱり似てる。すげえ似てる。彼女を茶化したら喧嘩になった時のあいつの顔じゃん。あのときはごめん。
俺に人の心とネットリテラシーがなければその友達の顔写真をここに貼り付けてみんなに見てもらいたいくらいマジで似てるのだ。
もしあなたが街中で「シャンチー」のポスターの男性を見かけて声をかけて、「なんでしょう?」と言われたら俺の友達。「what's?」と言われたら緊急来日しているシャンチーだ。俺の友達が「what's?」って言ってるんだったらもうお手上げだ。そのくらい似ている。
「高校卒業してから連絡取り合ってなかったけど、君はそんな壮絶な戦いをしていたのか……言ってくれれば良かったのに」
まさかテン・リングスを巡ってお父さんと壮絶なバトルをしていたとは……。
俺の友人、アベンジャーズだったとは……。
なんの話だっけ。
そう、まとめると、「洋画の良さって外国のものでできてるから特別感が出てるだけってのもあると思うよ」ってことだ。
シャンチーの例にしても、見ている間他のキャストを「あれ?あの芸能人に似てない……?」なんて思った人もいるんじゃ無いだろうか。その「違和感」は洋画にもやっぱり、実はつきまとっているのかもしれないということだ。
さて、ここまでに読んだ人の邦画と洋画への物の見方を同一にしようとするために明らかな「洋画sage」をしてしまったのは申し訳ない。もっとうまい方法はあったと思いしばらく悩んだけど、ちょっと思いつかなかった。正直に謝ります。気分を害した方は本当にごめんなさい。その悪感情に関しては俺の文章力の無さが引き起こしている。
俺があげた要素はそっくりそのまま邦画にも跳ね返っていく。「放映に際して洋画ほど手間がかからないから駄作も市場に流れて目に写る」し、「画面を構成するものに既視感が強いからチープに見える」
俺が言いたいのは、「洋画は洋画ってだけである程度の特別感があるし、面白い洋画が日本に多く入ってくる構造になってるから面白い映画ばっかりに見えるけど、邦画だって捨てたもんじゃ無いんだぞ」ということだ。
「でも、洋画は日本に入ってくるけど、邦画は外国に行ってるという話を聞かない」
という意見もあるかもしれない。だけど俺としては、「邦画に限らず中国製も台湾製もイタリア製もロシア製も、この場合の洋画の生産国であるハリウッドのある国アメリカで大ヒットしたという話を聞いたことがない」と言いたい。
数本くらいあるのかもしれないけど、数本くらいあるというなら邦画だってそうじゃないのか。なんて思うのは少し都合が良すぎるだろうか。
そもそも。
俺は少しみんなに聞きたい。そもそも。
洋画、邦画という括りから始まって、資金が潤沢に注ぎ込まれている映画、たくさん賞を受賞した映画、素晴らしい脚本家が書いた映画、ハリウッドスターが出演している映画……。決め手は色々あるけれど。
俺にとって、これらはただの【保証】でしかなく見える。「ある程度の面白さは保証しますよ」という情報。「これだけお金をかけたんだからある程度は面白いですよ」「みんなが好きって言ったんだからあなたもきっと好きですよ」という。
なんかちょっと、気障ったらしいね、恥ずかしくなってきた。でも俺にとってはマジなんだ。
だけど、俺にとって、俺が面白いと思う映画は「俺が面白いと思った映画」だけなんだ。これ以上でもこれ以下でもないんだ。
熱く燃えたりゲラゲラ笑えたりベソベソ泣けたり、チケットを便所に捨てるほどムカつくクソ映画だったり、ぽかんとするような実験的映画だったとしても、結果俺が面白かったらそれは面白い映画なんだ。
ここに「資金がかかってるから」とか「俳優が豪華だから」とか「賞がどうのこう」「脚本がベラベラ」「撮影の背景がグチャグチャ」「映画史に歴史をモチャモチャ」とかそういうのは関係ない。全く関係ない!まっっっっったく関係ないんだ!
古いとか新しいとか関係ない!
男も女も関係ない!
俺が面白いと思う映画の条件が「俺が面白いと思った映画」である俺が、「面白い映画」に出会う方法はただ一つ!
洋画に関してもそうだ!何日本に来る途中で「日本人に受けなさそうだな〜」とか言って弾いてんだクソ配給が!全部流せ!全部見せろ!受けるか受けないかは俺が判断する!
そもそも言葉の壁が厚くて仕方ねえんだよクソ!吹き替えも字幕も何そこで派閥が生まれてんだよ意味わかんねえ!間に人が入ってる時点で元からニュアンス変わってんだから同じだよ!アンゼたかしか戸田奈津子かの違いだよ!あぁあ〜!またジョークが日本向けに置き換わってやがる〜!!!!!!!!!!!!原語ではなんて言ったんだろう〜!!!!!!!!!!!!(字幕か吹替派かで言ったら、DVDで吹き替え流しながら英語字幕流す派です。それが簡単にできるネトフリ、サンキュ)なんで俺は日本人なんだよ!なんで俺は日本語しかわからねえんだよ!クソが!!!!でも邦画も好きだ!!!!!!!!!!!!愛してる!!!!!!!!Kiss……。
各界から大絶賛を巻き起こしてスタンディングオベーションで歴史を変えた映画がマジでクソつまんなかったことだってあるし、賛否両論で感想は否定一色な映画に痺れるほど感動したことだってある!
2000円を賭けて自分のお眼鏡に合うものを得れるかという大博打!
外れれば2時間と2000円はドブに流れて戻ってこないが、少しでも当たれば楽しい時間が押し寄せてくる!それにもし【大当たり】を引いたら人生が変わる大ギャンブル!脳汁がジャックポットのように溢れ出る!鼻息荒く足速に家まで帰ろうぜ!おいおいどうしたんだい映画館に来るまで嵌めてたイヤホンが今はポケットに入れっぱなしじゃないか!
だから!俺は!映画が!好きなんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
……。
みんなは……違うのかな。
なんか後半すごい熱くなっちゃったけど、まあそうだよね〜……二時間2000円で周りに人がいる中集中してスクリーン見ろ、だもんねえ。短くないし、安くないし、楽じゃない。だからこその「せめて映画は良いものが見たい」という思いの保証となる事前情報は確かに必要だよねえ。
大体俺は趣味の一つとして映画が手近にあるからたくさん見てて、知ってる映画が手広くて分母が多い分、「面白い邦画もあるもん」と駄々をこねてるだけで、映画の出会い方によっては、つまんない邦画を立て続けに引いた人もいるかもね。だったらそういう意見になるのも仕方ないのかも。
だけどやっぱり、冷静になっても俺は思う。
たまにはギャンブルしてみてほしい。
邦画とか洋画とかでも、お金がでも賞がとかでも、ポスターやあらすじや予告でもなんでもいいからちょっとでもあなたのアンテナが動いたら、誰がなんと言おうと、ええい!と二千円を放り込んでみてほしい。
そして、変に斜に構えず、「よっしゃ、この俺を楽しませてくれよなっ!」って席についてほしい。そもそも見る側が楽しもうとしなければ、大体楽しめないから。
騙されたと思って、なんて文句は無責任だから嫌いだし言わないけど、面白そうだと思って見て騙されたと思ったら「騙された!」って怒っていい。「ふざけんな!」って喚いていい。あんまり人を傷つけない範囲で。そこに悪意があったらせっかく感じた感情の説得力がなくなっちゃうので。
少なくとも、見ないくせにアレコレ言う人よりよっぽど真摯だと思う。
超長くなっちゃったけど、そろそろ終わろうと思う。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
スパイダーマンもあとしまつもノイズも真夜中乙女戦争も見たし、次はウエストサイドストーリーと嘘喰いまで待ちかな……。今見たら二月Deemoやるじゃん。超いいじゃん……。
見てえ〜……。
【余談】
個人的に、2021年一番面白かった邦画は「ベイビーわるきゅーれ」、並んで「映画大好きポンポさん」、次点で「キャラクター」「あなたの番です」は意外なくらい面白かった。わざわざ映画のために見たドラマ版あんまり面白くなかったから期待してなかったけど、二時間の尺でシュッとして、それでいて映像のトリックが施されていたのが良かった。多少無理があるとはいえ、死体の死に様が派手なのはGOOD。
洋画で一番面白かったのは「サイコゴアマン」、次点で「フリーガイ」、「トムとジェリー」も面白かった。サイコゴアマンマジでずっと笑ってた。グロは少し苦手だけど、爽快感とチープさで見れた。下二作はエンタメとして良かった。いつ画面を見ても楽しいのは素敵だね。家族で見てもドライブの時のモニターでもおんなじぐらい楽しいと思う。
あー、ヴェノムもよかった。続編やってくんねえかな。あの二人をもっと見たい。
「白蛇:縁起」はどこの映画だ……?中国かな。これも面白かった。シナリオもいいしアクションもいい。ベロベロ泣いた。中国は最近アニメが強い。ちょっと前だけど羅小黒戦記は是非見てほしい。シナリオもいいしアクションもいい。ベロベロ泣いた。なんかなんとかっていう人形劇のアニメもすごいらしいんだよな。忘れたけど探そう。
映画じゃないけどアジア系なら韓国のイカゲームが良かった。ただやっぱり内容が既存の作品に似ているってのもあったし、ラストもやっぱり既視感。独特の味と面白さ、テーマがあっただけに、外側をもう少し捻ってほしかった。ただやっぱりデスゲームものは単純に面白いから続編も期待。
韓国はゾンビものが強いね。新感染よかった。去年の続編は見てないなあ。舞台が変わって少し求めているものとずれてしまった。「新幹線×ゾンビ」ってのに惹かれたので。見たほうがいいかな、見ようかな。
スクリーンではやらなかったけどコロナで配信行きになった「ミッチェル家とマシンの反乱」は人生ベストに入るくらい面白かったな。みんなも見てほしい。見ている人を楽しませようとする意欲がすごくて、その圧に負けて笑っちゃう。愉快な映画。洋アニのクレヨンしんちゃんって感じ。ネトフリ独占だよ。今からでもスクリーンでやらないかな。
「ガンズアキンボ」を見てないじゃないか……クソが……なんでだろう、金なかったのかな。配信あるかな。ダニエルラドクリフのヘンテコ映画、いい加減ちゃんと見たい。スイス・アーミーマンとか。
人生で一番面白いと思った映画は「Too young to die!若くして死ぬ!」というクドカンの映画だったりするあたり、どう言う好みをしているかをわかってほしい。
俺の中で不動の一番。
後は「We are little zombies」は衝撃だったな。これ全てが真新しい映画で最高に面白かった。まさに令和の映画。けど人を選ぶしアマプラの配信は先日終わっちゃった。残念。15回は見れたからいいか。
「地獄でなぜ悪い」もいいよな……。
「初恋」もいい……。
「東京ゴッドファーザーズ」もいい……。
「逆転裁判」かも……
そう、実は俺、実写版「逆転裁判」がかなり好き。原作が好きすぎて見たけど、シナリオを原作の2話と4話に絞ったのは良い判断。確かに演者にコスプレ感はあるけれど、あの映画は「端っこに映るモブ」まで逆裁っぽいトンチキ衣装を着ているので、「こう言う格好が普通なんです」という世界観がちゃんと作られている、作ろうとしているのがGOOD。さらに、「地方裁判所では証拠を移すのはブラウン管のモニターだけど、東京裁判所ではホログラムを使ったメカメカしいモニター」っていう違いがあるのも、世界観に妥協がなくて好印象。原作を再現しているのではなく、映画として面白くなるように解釈を変えているのは、良い。そのくせ「インコに尋問する」とか言うシーンは、リアルで見る Permalink | 記事への反応(11) | 08:39
すごいいい人だけど一緒にいてもドキドキしないなー、でもこの先結婚とかしたらとてもいい関係を築けそう、と思った人にお試しでお付き合いしてみませんか?と言ってみたら、OKもらえた。
でも、ふとしたときにその人のことを考えたりとか、そう言う気持ちがないとそれは好きってことじゃないよ、もう一回考えてって言われた。
なんかそこまで真摯に考えてくれてたのなら、申し訳ないなあと思って、付き合うのは無しにしようということになった。
まあおっしゃる通りで、ドキドキはしないんだし恋愛的な好きかと言われたらよく分かんないんだけど、
好きにも色々種類があって、もう年齢も年齢だし、わたしはそういう安心感的な好きを求めて異性と関係を築きたかったんだけどな…
結婚とかって難しくない?ドキドキする人はドキドキする人、だし。そんな信頼関係とか築けずに自分が相手が弱くなってしまうことが多く、必ずどこかで破綻するし。万が一結婚できたとしても、結構な人が離婚してるし。逃げの考えなのかもしれないけど、異性とか恋愛とかとは別に、仲のいい友達とかと結婚できたらいいのに。そしたら変な感情のもつれとか起こさずに、平穏に過ごせるのに。
結婚してない女に対する風潮がきつすぎるから結婚しなきゃなー、って思ってるだけで、別に結婚しなくて許されるなら絶対しないのに。世間体を気にしすぎなのかなー。