はてなキーワード: 武田とは
情報が不足しているときには態度を保留するというのは重要なことですよ。
不足したままで無理な推測をしても見当外れになることが一般的です。
これは介護・医療福祉の総合情報ニュースメディアサイト「ティーズ(TIS)」 に掲載されていたものです。
2021/6/21時点
• 5月21日に特例承認となった新型コロナワクチン「COVID-19ワク チンモデルナ筋注 」を5月24日からコホート調査対象者に接種開始した。
• 6月21日15時現在、6,162人が1回目接種し、コホート調査に登録 された。
• 被接種者は20代が18.4%、30代が29.9%、40代が36.3%、50 代が15.2%、60歳以上が0.2%、男性95.1%、女性4.9%、医師 0.02%、看護師0.02%、自衛官96.2%、事務3.7%であった。
• 1回目接種後の副反応はコミナティ筋注とほぼ同様の傾向であったが、年齢、性別を調整したロジスティック回帰分析では発熱、全身 倦怠感、頭痛、接種部位のかゆみ、熱感などでもモデルナ筋注がコミナティ筋注に比してオッズ比が高かった。
• 疼痛には年齢の違いがみられていないが、発熱、全身倦怠感、頭痛 は年齢が若いほど頻度が高かった。
• コホート調査に登録された方において、現時点では、副反応疑いおよびSAE報告が必要な事例は発生していない。
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※調査対象者の一部のデータを中間的に集計したものですので、今後、数値が変わることがあります。
※ワクチンにより接種対象者の年齢などの属性が大きく異なるため、ファイザー社と武田/モデルナ社の2つのワクチンの単純な比較は困難であり、注意が必要とされています。
コミナティ筋注とは
小山田 信茂(おやまだ のぶしげ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で譜代家老衆。甲斐東部郡内領の国衆。武田二十四将の一人に数えられる。
信茂の勝頼離反から滅亡
天正9年12月、織田信長・徳川家康は武田領攻めを開始し(甲州征伐。総大将織田信忠、副将滝川一益)、信濃木曽郡の国衆・木曾義昌が離反する。また、これに伴い相模の後北条氏も武田領への侵攻を開始した。義昌の離反を契機に信濃領国は動揺し、翌天正10年(1582年)2月2日に勝頼は信濃諏訪上原(長野県茅野市)に出兵し、『甲乱記』に拠れば信茂もこれに従ったという。2月29日に織田信忠は伊那郡高遠城の仁科盛信(信盛)を攻め、信忠は矢文で盛信に降伏を促し、信茂らが勝頼から離反したと伝えているが、この段階で信茂が勝頼から離反していることは虚報であると指摘されている[15]。
勝頼は天正9年に新府城(山梨県韮崎市)を新たに築城し甲府から本拠を移転しており、『信長公記』によれば同年3月3日に勝頼は新府城を放棄し、小山田氏の郡内へ逃れたという。『甲陽軍鑑』によれば勝頼嫡男の信勝は新府城における籠城を主張したが、これに対して信濃の国衆・真田昌幸が上野岩櫃城(群馬県東吾妻町)への退避を提案した。しかし勝頼側近の長坂光堅が小山田を頼り郡内の岩殿城(大月市賑岡町)へ逃れることを主張したという。一方、『甲乱記』では信勝や昌幸の提案を記さず、勝頼が信茂に対し郡内への退避を諮問したとしている。
なお、岩殿城は小山田氏の詰城とされているが、小山田氏の本拠である谷村城(都留市谷村城)からは距離があることから、岩殿城を小山田氏の城とするか武田氏の城とするかで議論がある[16]。なお、天正9年3月20日に岩殿城へ武田勝頼が在番衆を派遣している事実も注目されている[17]。
武田勝頼一行が郡内領へ退避するさなか信茂は勝頼から離反。勝頼は田野(甲州市大和町)において織田方の滝川一益の軍勢と戦い、武田宗家は滅亡した(天目山の戦い)。
信茂離反に関して、武田側の史料では、まず『甲陽軍鑑』に拠れば勝頼一行は郡内領への入り口である鶴瀬(甲州市大和町)において7日間逗留し信茂の迎えを待っていたが、3月9日夜に信茂は郡内領への道を封鎖し、勝頼一行に対して木戸から郡内への退避を呼びかけると見せかけ、信茂の従兄弟・小山田八左衛門と勝頼の従兄弟・武田信堯(のぶたか)が信茂の人質を郡内へ退避させ、信茂は勝頼一行に虎口から鉄砲を放ったという。信堯は正室が御宿友綱の妹で、信茂とは相婿の関係にある。なお、『武田三代軍記』『理慶尼記』でも同様の話を記し、『理慶尼記』では信茂の離反を7日の出来事とし、信茂が郡内への入り口を封鎖した地を笹子峠(大月市・甲州市)としている。一方、『甲乱記』では信茂離反の日付を記さず、勝頼は柏尾(甲州市勝沼町)において信茂を待ち、駒飼(甲州市大和町)に移動したところで信茂の離反を知ったとしている。
甲斐善光寺
一方、織田・徳川方の史料として、『信長公記』では勝頼は小山田の館まで辿り着いたが、信茂は勝頼の使者をはねつけたと簡潔に記している。『三河物語』では小山田八左衛門が登場し、勝頼が郡内領へ逃れる途中に小山田八左衛門を信茂のもとに派遣したが帰還せず、信茂離反を知ったという。
織田氏・徳川氏勢により甲斐が平定された後、信茂は嫡男を人質として差し出すために信長に拝謁しようとしたが、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ処刑された。
『信長公記』では3月7日条に成敗した「小山田出羽守(信茂)」の名を記し、『甲陽軍鑑』では武田信堯や小山田八左衛門らの名も記している。一方、『甲乱記』、『甲斐国志』に拠れば、3月24日、甲斐善光寺で嫡男、老母、妻、女子とともに処刑されたという。享年44。長生寺『月日過去帳』・森嶋本『甲斐国志草稿』に記される伝存しない同寺所蔵の位牌によれば戒名は「青雲院殿武山長文居士」。信茂の命日は『甲乱記』、長生寺『月日過去帳』に「24日」と記され、『甲乱記』では3月11日の勝頼自害から13日後としている。
武田家において信玄の「弓矢の御談合七人衆」に両職の山県・馬場ら重臣と共に名を列ねている。
武田の小男と恐れられた山県昌景に「若手では小山田信茂、文武相調ひたる人物はほかにいない」と評される。
設楽ヶ原の戦いにおいては、早々に撤退して戦線を崩した武田信廉・穴山信君ら一門衆とは反対に、山県昌景隊の後備として最前線で戦い続けている。
鉄道唱歌(作詞:福山寿久)には「川を隔てて聳ゆるは 岩殿山の古城蹟 主君に叛きし奸党の 骨また朽ちて風寒し」と詠われており[20]、小山田信茂は「奸党」とまで蔑まれている。
戦力差が10倍以上のもののみ取り上げています。随時更新中 ★は(戦術的)勝者側
多くのコメント・ブクマありがとうございます。 コメントで私が知らなかった戦いについて教えてくださった方ありがとうございます。https://anond.hatelabo.jp/20210708183653こちらも参照ください
B.C.480 ペルシア戦争 ギリシア軍7000vs★ペルシア軍30万以下
スパルタ王レオニダス指揮下のギリシア連合軍がペルシア軍の大軍と激突した。狭い地形を活かし、3日間の激戦を繰り広げるが、背後から攻撃され敗北した。この戦いでギリシア軍は1000人、ペルシア軍は2万人の兵士を失った。
・彭城の戦い
漢軍が彭城を制圧した事を知った項羽は精鋭部隊を率いて漢軍を襲撃した。攻略に成功したことから油断し、酒宴に明け暮れた漢軍は突然の事態に太刀打ちできず20万人以上が戦死した。
23年 ★緑林軍1万vs新43万
劉秀率いる緑林軍が新軍に包囲される。劉秀は脱出し、外側から新軍を襲撃して壊滅させた。
ブーディカ女王率いるケルト人がローマの支配に対して反乱を起こした。ローマ軍は反乱軍を狭いワトリング街道に誘い込み、これを破った。ローマ軍の死傷者はわずか400人であったのに対し、反乱軍の死傷者は8万人であった。
・博望坡の戦い
劉備軍と曹操軍が宛で対峙する。劉備は撤退したと見せかけ、誘われた夏侯惇を撃破した。李典の援軍が来るとみた劉備は兵を引き、曹操軍も撤退した。
383年 五胡十六国時代 ★東晋軍8万5千vs前秦軍117万
華北統一に成功した前秦が東晋征服のために大軍を派遣する。前秦軍は敵軍を誘うため、先鋒を退却させる作戦をとるが、兵が混乱して退却を止めなかったため、そこを突かれて敗北した。
・チェラーミの戦い
アラブ人の支配下にあったシチリアにルッジェーロ1世率いるノルマン人が侵入、イスラム教徒を撃退した。アラブ軍は戦力の7割を失ったとされる。
・黄天蕩の戦い
韓世忠とその妻梁紅玉率いる南宋軍が金軍を打ち破り、2万5000人を討ち取った。
屋島で破れ、志度寺に立て籠もった平氏を源義経が追撃した。平氏は大軍が後に続くとみて敗走した。
・下赤坂城の戦い
楠木正成は下赤坂城に籠城し、幕府の包囲にゲリラ戦で1ヶ月以上抵抗した。城は陥落したものの、幕府は楠木正成と護良親王を討ち損ねた。
1333年 元弘の乱 ★楠木軍1000vs鎌倉幕府2万5000
千早城に立て籠もった楠木軍は幕府軍に包囲されるも、3ヶ月に渡って抵抗した。気が緩んだところを奇襲するなどの奇策で消耗した幕府軍は攻略を諦め、撤退した。
・船上山の戦い
1333年 元弘の乱 ★後醍醐天皇軍150vs鎌倉幕府3000
後醍醐天皇が隠岐の島から脱出すると伯耆国の武将名和長年が挙兵し、隠岐国守護佐々木氏を攻撃した。名和軍は数百の軍旗を見せつけて威嚇する、暴風雨に乗じて攻撃するなどの戦法で幕府軍を破った。
倭寇に悩まされた朝鮮はその本拠地と見なした対馬へ討伐軍を派遣するが、宗氏の抵抗に遭い撤退する。対馬側は100~200人、朝鮮軍は3000人ほどが戦死した。
・ビルスの戦い
1444年 旧チューリッヒ戦争 スイス軍1500vs★フランス軍3万~4万
スイス軍がチューリッヒを包囲したことにより、フランスと戦争に突入した。スイス軍は数で勝るフランス軍と死闘の末に壊滅するが、フランス軍は2000人の損害を被った。この戦いによりスイス人の勇敢さがヨーロッパ各地に知れ渡った。
・土木の変
1449年 ★オイラト軍3万vs明軍50万
明の正統帝は自ら大軍を率いて、オイラトの征伐に向かう。しかし、食料配達の困難や大雨により明軍は士気が低下しており、そこをオイラトに奇襲された。明軍はほぼ全滅し、皇帝も捕虜となった。
・九頭竜川の戦い
越前制圧を目論む一向宗と朝倉軍が九頭竜川を挟んで対峙、朝倉軍は夜襲により一向宗を撃退した。
・セントラの戦い
1519年 スペインのメキシコ征服 ★スペイン軍410vsマヤ軍1万~4万
征服者コルテス率いるスペイン軍がマヤの大軍と交戦。マヤ軍はスペイン人の軍馬に恐れをなして敗北した。スペイン軍の犠牲はわずか2名だが、マヤ軍は800の犠牲を出した。この戦いでコルテスは後の妻にして翻訳者としてアステカ征服に貢献するインディオの女性マリンチェを得た。
・オツンバの戦い
1520年 スペインのメキシコ征服 ★スペイン・トラスカラ連合軍 7~800人vsアステカ軍4万
アステカ軍はスペイン軍の侵略を一度退けることに成功した。その後、大軍を率いて追い打ちを試みる。しかし、初めて見る軍馬の威力に恐れ戦き、指揮官を含む大勢が戦死したため敗走した。この戦いの後コルテスはアステカを滅ぼした。
・プナの戦い
1531年 スペインのペルー征服 ★スペイン軍168vsプナ先住民3000
スペイン軍がインカ帝国征服へ向かう途中、プナ島で先住民と交戦するが、銃と馬の威力でこれを打ち破る。
・ディーウ包囲戦
1538年 オスマン・ポルトガル戦争 ★ポルトガル軍600vsオスマン・クジャラート連合軍2万2000
ポルトガル軍が連合軍に包囲されるも、3ヶ月の籠城戦の末にこれを退けた。ポルトガル軍の死傷者は40名に対し、連合軍の死傷者は3000名。
・スィゲトヴァール包囲戦
1566年 ハンガリー軍2000~3000vs★オスマン軍10万~30万
ウィーン遠征へ向かうトルコ軍がクロアチア総督ズリンスキ率いるハンガリー軍を包囲。1ヶ月にも及ぶ激戦の末に防衛軍はほとんど全滅したが、トルコ軍にも2万人の犠牲者が出た上、スレイマン1世が陣没したため、撤退を余儀なくされた。リシュリューはこの戦いを「文明が救われた戦い」と称えた。
・今山の戦い
1570年 戦国時代 ★龍造寺軍5000vs大友軍6万~8万
佐賀城に籠城した竜造寺隆信を大友宗麟率いる大軍が包囲する。攻防戦は4ヶ月にも及び、落城は目前に迫ったが、大友軍が勝利を確信して宴を催したところを奇襲し、これを破った。
・木崎原の戦い
島津軍は数で勝る伊東軍を伏兵に背後を突かせることで破った。島津軍は275人が犠牲となったが、伊東軍は指揮官の伊東祐安含む800人以上が戦死した。この戦いは後の島津軍の戦いにおいて参考にされ、九州制覇に貢献した。
信長は石山本願寺に味方する雑賀衆の討伐を試みるが、雑賀衆は1ヶ月にも及ぶゲリラ戦でこれを退け、両者の間に和睦が成立した。
・天目山の戦い
1582年 戦国時代・甲州征伐 武田軍43vs★織田軍3000~4000
織田軍に追い詰められた武田軍の最後の戦い。武田軍は奮戦虚しく壊滅し、武田勝頼は自害したが、織田軍にも900人近い死傷者が出た。
・沖田綴の戦い
1584年 戦国時代 ★島津・有馬連合軍6000vs龍造寺軍6万
連合軍は数で勝る龍造寺軍を釣り野伏せで破った。この戦いで総大将竜造寺隆信は戦死した。
・岩屋城の戦い
島津軍は筑前を攻めた際、高橋軍の籠城する岩屋城を攻略した。高橋軍は講話の提案にも応じず、激戦の末に全滅した。島津軍は4500以上の死傷者を出した。
・忍城の戦い
1590年 戦国時代・小田原攻め 成田軍2000vs★豊臣軍2万~5万
石田三成ら率いる大軍が忍城を包囲し、水攻めを行うも、成田軍はそれに耐え、北条氏が滅亡した後に降伏した。
・四川の戦い
1597年 慶長の役 ★島津軍2000vs明・朝鮮連合軍10万
島津義弘率いる日本軍が明軍に包囲されるも、これを返り討ちにした。日本軍の勝因として、鉄砲を使用したこと、明軍の食料庫を焼くことで短期決戦に持ち込んだこと、連合軍の統制がとれなかった上に圧倒的な兵力差故に慢心していたことが挙げられる。
田辺城に立て籠もった東軍を西軍が包囲するが、東軍には文化人細川幽斎が居たため、西軍は積極的な攻勢が出来ず、2ヶ月ほど釘付けになった。最後は後陽成天皇の命で開城したが、西軍は関ヶ原の戦いには間に合わなかった。
関ヶ原へ向かう徳川秀忠指揮下の東軍が真田昌幸率いる西軍と交戦した。足止めを食らった東軍は関ヶ原に間に合わなかった。
1762年 七年戦争 ★スペイン軍100vsイギリス軍2000
イギリス軍がニカラグアの処女降誕要塞を包囲するが、スペイン軍は19歳の少女ラファエラ・エレーラの指揮下で奮戦し、砦を守り抜いた。
・アラモの戦い
1836年 テキサス独立戦争 テキサス軍200vs★メキシコ軍4000
当時メキシコ領であったテキサスに移住したアメリカ人がメキシコに対して反乱を起こした。アラモ砦に籠城したテキサス軍はメキシコ軍の包囲に対し13日間持ちこたえた末に全滅した。
・雨花台攻略戦
湘軍によって要塞化された雨花台を太平天国軍が5ヶ月にわたって何度も攻撃するが、落とせず1万の兵力を失った後に攻略を諦めた。
サビーネ湖とメキシコ湾を繋ぐサビーネ・パスを防衛する南軍が北軍の攻撃を受けるも、これを撃退する。北軍は100名が死傷し、350名が捕らえられた。
・カマロンの戦い
1863年 ナポレオン三世のメキシコ出兵 フランス外国人部隊65vs★メキシコ軍2000
65名の外人部隊は現金300万フランを輸送する部隊の護衛を任されていた。メキシコ軍の大軍の前に破れ、43名が戦死、19名が捕虜となったが、輸送部隊は目的地へ現金を届ける事が出来た。
1879年 ズールー戦争 ★イギリス軍150vsズールー軍3000~4000
ロルクズ・ドリフトの伝道所跡に築かれたイギリス軍の砦をズールー族の大軍が襲う。イギリス軍は2日間の激戦に勝利し、ズールー軍は800名以上の死傷者を出した。
・アブ・クレアの戦い
1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1100vsマフディー軍1万2000
ゴードン将軍の救出に向かうイギリス軍とマフディー軍が激突し、マフディー軍は1100人の死傷者を出して敗北した。
・アブ・クルの戦い
1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1200vsマフディー軍1万4000
ゴードン将軍の救助に向かうイギリス軍がマフディー軍と交戦し、勝利した。マフディー軍の損失は明らかではないが甚大であるとされる。
盧溝橋付近で日本軍の夜間演習中に日本兵一人が行方不明になる。日本軍がこれを理由に中国軍を攻撃し、破った。この事件が熾烈な日中戦争のきっかけとなった。
・タラワの戦い
1943年 太平洋戦争 日本軍2600vs★アメリカ軍3万5000
タラワ環礁ベティオ島を防衛する海軍部隊とアメリカ海兵隊が激突した。島は3日で陥落し、守備隊は玉砕したが、米軍も3000人が死傷し、軍への志願率が一時的に減少した。
・拉孟の戦い
1944年 日中戦争 日本軍1300(うち傷病兵300)vs★中国軍2万
日本軍と中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍は8000人が死傷した。
・騰越の戦い
日本軍と中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍は2万人が死傷した。
・アンガウルの戦い
1944年 太平洋戦争 日本軍1250vs★アメリカ軍2万1000
日本軍歩兵第59連隊第1大隊が守備するアンガウル島をアメリカ軍第81歩兵師団が攻略した。1ヶ月以上にも及ぶ激戦の末に日本軍は玉砕したが、米軍も2000人死傷した。
・一江山島戦役
1955年 第二次国共内戦 国民党軍700vs★共産党軍7000
人民解放軍が一江山島に侵入、2日で占領した。台湾軍は全員が戦死するか、捕虜となったが、解放軍にも2000人の死傷者が出た。
・ロングタンの戦い
1966年 ベトナム戦争 ★オーストラリア軍108vsベトコン2500
ベトコンがオーストラリア軍を襲撃するも、撃退された。オーストラリア軍は42名、ベトコンは600名が死傷し、双方が勝利を主張した。
参考作品「デンジャー・クロース 極限着弾(クリフ・ステンダーズ監督)」
・ロンゲワラの戦い
1971年 第三次印パ戦争 ★インド軍120vsパキスタン軍2000
ラジャスタンのロンゲワラ村でパキスタン軍とインド軍守備隊が交戦。インド軍は航空機の支援を得て、パキスタン軍を破った。パキスタン軍の死者200名に対し、インド軍の死者は2名ほどであった
1993年 ソマリア内戦 ★多国籍軍160vsソマリア民兵2000
アメリカ、マレーシア、パキスタンからなる多国籍軍が、民兵のリーダーであるアイディード将軍の側近二人を逮捕すべく派遣され、民兵と交戦状態になった。民兵は数百人が死傷し、多国籍軍は目的を達成したが、100名以上が死傷した。
参考作品「ブラックホーク・ダウン(リドリー・スコット監督)」
続き
https://www.cao.go.jp/minister/2009_t_kono/kaiken/20210623kaiken.html
受付の休止を表明
それに加えましてモデルナ社製ワクチンが9月末までにトータルで5,000万回分供給されるということになっております。このモデルナ社製ワクチンを使って職域接種と自治体の大規模接種をお願いしておりましたが、職域接種、それから自治体の大規模接種、双方ともに相当な勢いで申請を頂いております。現時点で職域接種と大学拠点接種を合計いたしますと恐らく3,300万回を超えてきております。それに自治体の大規模接種の申請が1,200万回を超えてきておりますので、かなり上限に近くなっております。
それに加えて、このモデルナ社製ワクチンの1日当たりの可能配送量はもう上限に達しておりますので、一度ここで申請の受付を休止させていただきたいと思っております。自治体の大規模接種についてはいったん新規の受付を休止させていただいて、職域接種については金曜日(25日)の午後5時をもって申請受付を一時休止させていただきたいと思っております。
(問)これによって国民全体への接種に遅れが生じるのか生じないか、総理が言っている10月から11月に希望する全国民接種完了というものにどう響くのかというのと、それから、人の生死がかかっているワクチンのプロジェクトに「ゲーム」という言葉を使うことについてはどうなのでしょうか。
(答)別にゲームという意味ではなくて、今までと優先順位が変わったという意味でゲームチェンジということを申し上げているわけで、別に軽い意味で使っているわけではありません。
(問)2点、事実関係の確認ですけれども、申請の休止は先ほどの7大臣会合で決定したという理解でいいのかというのと、先ほど、モデルナ社製ワクチンの5,000万回分の話がありましたが、現状のペースで申請を受けると、いつごろ5,000万回分を超えてしまうと恐れがあるというふうに大臣は想定されたのか、今回の休止措置をいつごろまでに解消したいとお考えか、併せてお聞かせください。
(答)休止については、先ほど総理からも配送についてしっかり見ていくようにというご指示がございました。既にかなり厳しい状況でしたので、一時休止させていただくということにいたします。
現時点で5,000万回分の上限にかなり近づいてきており、このまま申請を受けていると、恐らく、その幅はあっという間に埋まってしまう、あるいはそれを超えてしまうということも十分考えられますし、それ以前に1日の配送可能量がもう既にいっぱいになっております。現時点で適正在庫を確保するためにどうするかということを苦労している状況ですので、この時点で休止するのはやむを得ないと判断いたしました。
(問)もう1点。モデルナ社製ワクチンの供給について、先ほどから大臣が繰り返されている、1日に可能な配送量の上限というのはだいたい幾つぐらいなのかというのと、現在、国内にあるモデルナ社製ワクチンの実際の数量、配送前、あるいは配送されている数量がどれくらいなのか、今後の供給スケジュール、そして精査の結果、先ほど大臣がおっしゃられた5,000万回分に近い自治体と企業の申請の数が減っていく可能性がどれぐらいあるのか。このあたりの分析を教えてください。
(答)ワクチンの供給量について、ワクチンメーカーが政府に売却するまではワクチンメーカーのものでございますので、数量について申し上げるのは差し控えたいと思いますが、職域接種の中でも、手を挙げたけれども申請数に全く至らずにキャンセルになったものも既に幾つか出てきておりますので、そこは丁寧に見ていきたいと思っております。
また、4週間経つとモデルナ社製ワクチンの2回目の接種が始まりますので、供給スケジュールがきちんと正しく記入されているかどうか、明らかに正しくないというものもございましたので、そういうものについては一つ一つ確認を取りながら数字を直しておりますので、とにかくこの3千幾つ、それから自治体の千幾つ、見ながらやっていきたいと思います。どれぐらいの時間になるかは、なかなか作業をやってみないと分からないということです。
(問)2点なんですけれども、この職域接種の一時休止については、申請どおりにこのまま受け付けるとワクチンの数が足りなくなる恐れがあるという理解でよろしいでしょうか。
(答)現時点で1日の配送可能量を超えているということと、このままいくと総量を超えてしまいますので、今、一時休止させていただいています。ワクチンの配送については、今、武田/モデルナ側とも話をしながら、配送がしっかりできるように努めていきたいと思っております。
https://www.cao.go.jp/minister/2009_t_kono/kaiken/20210625kaiken1.html
4000万回は誤りだと指摘するものの、正しい数については言及せず。
モデルナ社製ワクチンについては、9月末までに順次5,000万回、2,500万人分が入ってくるというところは変わりございません。
(問)モデルナ社製ワクチンの配送、輸入の計画についてお伺いしたいのですが、一部報道では6月末までに4,000万回が届くという報道もありますが。
(答)それは完全に誤報です。前も記者会見で、モデルナ社製ワクチンは4月までに4,000万回分が届くのですかという質問をいただいて、「違います」とお答えしても、その数字を継続して使われている社がありますけれども、それは完全に違っております。是非、そこは修正していただきたいと思います。
(問)9月末までに5,000万回分が届くということで、現状ファイザー社製ワクチンのように配送計画等をモデルナ社製ワクチンに関しても示していくというようなことは考えていらっしゃるのでしょうか。
https://www.cao.go.jp/minister/2009_t_kono/kaiken/20210625kaiken.html
大学拠点接種と職域接種を合わせた合計の接種回数は3,300万回分ということになります。この枠内で職域接種の申請を頂いている所を順次当てはめてまいりたいと思っております。
(問)手短に2点だけですけれども、そうするとこの3,300万回分はもうフィックスされているという理解でよろしいでしょうかというのと、先ほど総理とお会いされていましたけれども、これは総理からご指示があったという理解でよろしいのでしょうか。
(答)関係の大臣とも相談して、大学拠点接種と職域接種の合計で3,300万回分、自治体の接種で使用するモデルナ社製ワクチンの枠を1,700万回分とさせていただきましたので、その範囲内でそれぞれこれから精査をしながら対応してまいりたいと思っております。
(問)すみません、念のため確認ですけれども、今回の発表は、職域接種、大学拠点接種の3,300万回分の上限を決めて、これはモデルナ社製ワクチンであると。加えて、1,700万回分の自治体による大規模接種会場と集団接種については、基本はモデルナ社製ワクチンですけれども、場合によってはファイザー社製ワクチンも使うことがあり得るということになるという理解でよろしいですか。
(答)まず、モデルナ社製ワクチンの5,000万回分を3,300万回分の大学拠点接種と職域接種、それから1,700万回分の都道府県、市区町村の自治体による大規模接種、集団接種に分けて精査します。都道府県、自治体から挙がってきている申請の中で、1,700万回分の外になる分についてはファイザー社製ワクチンで対応していくということです。一昨日で、申請を止めさせていただきましたけれども、これまでに都道府県、自治体から申請を頂いているものについては、なにがしかの対応をしてまいりたいということでございます。
https://www.cao.go.jp/minister/2009_t_kono/kaiken/20210630kaiken.html
(問)確認ですけれども、モデルナ社製ワクチン5,000万回分の配分について、職域接種向けに3,300万回分と自治体による大規模接種向けに1,700万回分という総量は変わらないということですか。
(答)1,200万回分は今、自治体によるモデルナ社製ワクチンを使用する大規模接種が承認済みになっています。その外の分の大規模接種でモデルナ社製ワクチンを使うのをやめて、ファイザー社製ワクチンで接種を行うということでございます。残りのモデルナ社製ワクチンについては、今、職域接種で対応をどこまでできるかというのを精査しているということです。
(問)そうなると「モデルナ社製ワクチン5,000万回分のうち、1,700万回分を自治体大規模接種向けに割り当てる」とおっしゃった大臣の発言から一部変更されるということですか。
(答)変更するということです。モデルナ社製ワクチンの配送限界が上がってきませんので、モデルナ社製ワクチンは恐らく相当後ろの時期に、それなりの配送量が回るということになると思います。そうするともっと早く、自治体接種等で打つことができると思います。
どの程度の接種率になるのか分かりませんが、9月末で希望する国民全員が打てる量が入ってきます。接種率がどれぐらいになるかによって、9月末に入ってくるワクチンが若干残るということになると思います。
もしモデルナ社製ワクチンの配送可能量がファイザー社製ワクチンのように上がってくれば、もっと配送時期を前倒しして早く打てると思いますけれども、なかなか配送可能量が上がってこないということと、モデルナ社製ワクチンをずっと継続して供給するということになりますので、そうするともっとほかに、自治体でファイザー社製ワクチンを使って打てる量というのがあると思いますので、そのあたりを加味して、取りあえず自治体の大規模接種の保留分については、まずファイザー社製ワクチンを供給して、7月分をスタートしてもらうということにしています。
(問)もう1点なんですけれども、先ほどから大臣、配送限界が今回の事態の要因だとおっしゃっていますけれども、そもそもモデルナ社製ワクチンは5,000万回分しか国内に入ってこないが、それ以上の回数分の申請が来ていて、ワクチンの総量自体も足りないということはないのでしょうか。
(答)今、総量は収まっているという理解です。
(問)先ほどから大臣、配送限界がネックだというふうにおっしゃっていますけれども、具体的には配送限界というのは何を指しているのかと、これが解消されるきっかけというか、いつ解消されるめどがあるのかをお願いします。
(答)1週間にどれだけのワクチンを配送することができるかという、シンプルにその数字です。
(問)解消すればそれは増やせるようになりますか。
(問)精査の結果が、精査を続けるということになったかと思うんですけれども、具体的に自分の所が職域接種に参加できるかどうかというのが分かる時期の、ある程度の目途というのはいつぐらいに見えそうか、その精査の結果がいつぐらいに出せそうかというのも言えないという状況ですか。
(答)動き始めるところは個々の企業にお伝えして、「来週、ワクチンを配送します」とか、「この日から接種が開始できるように準備してください」ということは申し上げております。恐らく8月になると枠がもう少し空きますので、もう少し多くの企業にいろいろご連絡をすることができるのではないかと思います。それぞれの申請をしていただいている企業には、承認済み、承認待ちに限らず、定期的に今の状況をお知らせしていきたいと思っています。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/84256
jamira13 根本的になんで自分が何十年とやってる専門家より知識があるなんて思えるんだろう?
2021/06/27
えっマジ?
あらゆる政策とか、
「何十年とやってる専門家」に反論したりなんなら上から目線で説教したりしまくってますよね????
あいつは御用学者だから、あいつはネトウヨだから、あいつは狂ってるから、
結構色んな専門家や学者に対してその主張どころか背景たる知識も専門性もはては人格までも否定して、
「自分の方が優れている」「自分の方が正しく考えられている」という趣旨のブコメしまくってますよね?
jamira13 根本的になんで自分が何十年とやってる専門家より知識があるなんて思えるんだろう?
2021/06/27
ねえ、これ書いた人と☆付けた人、
その肩の上の帽子掛けちょっとでも動かしてみてからやってんの?
それ書いたり☆付けたりする前にちょっとでも色んな事例に当てはめて検討してみた?
極端な例で言えば近藤誠も内海聡も「何十年とやってる専門家」なんですが、それはどうすんの?
お前等は「何十年のキャリアがあって自分より知識がある専門家」であるところの近藤誠や内海誠の意見に従い反論しませんってことでいい?
すげー反論してるしなんなら上から目線でバカにしてる様子をちょくちょく見た気がするけどな。
たとえば中国とか北朝鮮の歴史学者は当局の方針に合わない学説や発見なんか絶対発表できてないけど、それはどうすんの?
戦前のドイツが盛り上がってた頃は「ドイツ人はアーリア血統のウンタラカンタラ」っていう説を「何十年とやってる専門家」が言ってたんじゃねえの?
専制国家じゃなくても世の中の風潮や価値観がバイアスになって特定の主張や説が過小評価されたり黙らされたりなんてこたーざらにあるじゃん。
星の観察データは誰でも取れたのに長らく天動説が主流だったのはなんで?
思い込みや当時の社会の価値観がバイアスになってたからでしょ。
何十年もやってる先輩や何百年も決まってきた相場を疑ったやつがいたからでしょ。
ナチスがどうだこうだの話してんでもねえぞ。
お前等の脳味噌の快適性の話だよ。
俺はホメオパシーを信じてないけど、お前等のバカ丸出しの判定基準なら信じてもいいことになっちゃうな。
だって「何十年とやってるホメオパシーの専門家」はいるわけじゃん。
一方で俺らはその専門家ほどホメオパシーについて知ってるわけじゃない。
jamira式の理屈なら、専門家の方が「効果はある」と言っておられるんだからホメオパシーの効果を信じるべきってことになる。
でも信じねえだろ?
あいつらを簡単に一掃出来ないのは精神病的な問題だけじゃない。
「何十年とやってる専門家が言ってることだから正しい」と言い切れないのは確かだからなんだよ。
ちっちゃい可能性の話まですれば、いま陰謀論やキチガイと言われてる奴が後世で正しかったと言われるかもしれない。
トランプが光の使徒でありオバマやクリントンは謎の島で誘拐されてきた子供とセックスしながら生き血を啜る悪魔崇拝主義者かもしれない。
(あれは設定のぶっ飛びぶりとディテールの細かさが確かに面白いのが不味い。面白いから読んじゃった奴が相当いると思う。)
我々は結局無数の不確かさから出来る範囲の情報収集をしたうえで自分の頭を回転させてどれか選ぶしかないわけじゃん。
そこの点を切り取って言えば俺達もトランプ信者も変わんねえよ。
その時々出来る範囲でデータを集める、自分の利害や好みを抑えて考える、というていどのことしか言えない。
人間が特に間違いやすい時ってのはデータが足りない時か自我が強まった時だから。
で、お前等の「何十年とやってる専門家より~」はここまで見たように1ミリも論理的じゃねえのよ。
お前等はまさに陰謀論の奴等と同レベルで、陰謀論の奴等が批判対象にしてるレベルの人種。
定説に逆らうとはけしからん、近代の価値観にいたずらなバックラッシュしてる低能な陰謀論者けしからんという好みが先にあって、
その自我と感情に導かれて「「何十年とやってる専門家より~」という論理的に成り立たない言い回しを口走ってんの。
これまるっきり、誰のことも見下せない最低レベルのアレだろ?
民主党やリベラルが気に入らねえ、アメリカの伝統的価値観に無考えな攻撃を加えてる間抜けな進歩主義者けしからんという好みが先にあって、
その自我と感情に導かれてはちゃめちゃな陰謀論楽しんでトランプ崇拝したQアノンとどう違うの。
つまりお前等も陰謀論者も根本的に頭使うのが大っ嫌いなんだよ。
感情のままにものごとを見たい。自分のグループを愛したいグループじゃない奴をバカにしたい。
お前等が陰謀論じゃない側につけてるのは本当にたまたまのことで、まるっきり偶然の幸運だよね。
izumiya1948 専門家の中でも内海・近藤・武田のように逆張りやってるようなのはおかしいと分かるだろが。 増田
2021/06/27
それを考えてみたことがねーならお前は陰謀論君とどう違うんですかと言っている。
「分かるだろが」じゃねーんだよてめえがわかってねえんだから。
duedio 知識の問題じゃなくて信頼できるかどうかみてるんじゃないの。
2021/06/27
ボクチャンは「しんらいできるかどうか」を何によって判断してるんでちゅかー?
っていうことを聞いてる話でちゅよー?
言われてることも理解出来ねえのに返答っぽい音を出すな
cartman0 ホメオパシーが支持されてると思ってる時点で話にならんな
2021/06/27
な?これだよ
もうこいつが何言ってんのかもわかんねえ
俺は支持してねえ、はてな民も支持してねえってベースで話を進めたつもりだけどな
こいつなどはもう問題文をどう読解してんのかすらわかんねえ
どうしたらいいのか教えてほしいこういう奴の対処って
会話にならない
菅首相「7月末目標」に躍起 「総力戦」の高齢者ワクチン接種(時事通信) - Yahoo!ニュース
2厚労省をうまく動かせないので、なぜか総務省を活用し、自治体から反発を受ける。
武田総務相から「7月末に高齢者ワクチン接種終了命令」全国の知事、首長が怒り心頭【メール入手】 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
3目標達成が難しそうだと聞き、焦る。
1日100万回接種、掲げたが 焦る首相、再三の電話 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
【独自】「ワクチン足りず、医療従事者用を回せ」国が高齢者接種の7月末完了で“脅し” 自治体が反発〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
5河野大臣「効率性より平等性の方を重んじる自治体が多かったのは誤算だった」
ワクチン予約の混乱「僕の失敗です」 河野大臣が陳謝 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
町長ら先駆け接種「公平性に反するなら遺憾」 官房長官が言及(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
ワクチン高齢者接種「さば読みいっぱい」 秋田知事、7月末まで85%に:時事ドットコム
8「え、そんなに遅れる所あるの!」
(続き)
といった問屋関係の逸話が当時バンバン登場した。メーカーも対抗すべく(?)ダンピング出荷、返品受付などで一本でも多くソフトを売りさばこうと必死だった。このあたり、問屋も小売店もメーカーも、市場の異常さに気が付かずもがいていた感じが否めない。初心会と二次問屋は、問屋の本分である「日本全国に適正量の在庫のゲームソフトを流通させる」という機能を忘れ、ただただゲームソフトを動かすことで得る利益をあげることに無我夢中だった。
ここで注意をしておきたいのが、「任天堂や初心会が、一方的にサードパーティや小売店から利益を吸い上げている」という既存の論調は近視眼的だ、ということだ。スーパーファミコン市場に参入したサードパーティはおよそ200社。このうち途中で撤退を決めたのは10数社で、しかもこれら撤退したメーカーの多数は異業種メーカーであり、本業での業績が低下したためだったり、バブル期の不動産に手を出して大やけどして倒産…といったもので、ゲームと直接関係あっての撤退ではないのだ。
小売店も同じことで、当時はファミコン-スーパーファミコンという新しい分野での市場拡大に手を出す小売店が多数いた。ただ問屋に苦しめられるだけの業種であるなら、こんなことは起きるはずがない。甘い蜜はそれなりに存在していたわけだ。ざっくり要約すると「不満はあるが儲けもある」といったところか。むしろPCエンジン・メガドライブの有力ソフトをスーパーファミコンに移植して一旗あげようとするサードパーティのほうが多かった。それほど有望な市場であるがゆえ、いろんな輩が入り込もうとやっきになったわけだ。
市場が拡大している間はそれでもよかった。しかしスーパーファミコンが円熟期を迎え、対抗馬として「次世代機」の姿がちらつくようになってきた頃に、いよいよおかしくなってきた。多数現れた三次問屋が小売店と二次問屋の中にねじ込み、己の利益を吸い取ろうとし始めた。手法としては品薄になりそうな人気ソフトを抱きかかえ、「小売店に小売価格そのままで」卸したりした。商圏を無視して跨いで他社の領域に食い込んで商売するところもではじめた。初心会の中にゲームソフトを投機商品のように扱う問屋が現れ、二次問屋三次問屋が喜んで利益の分前を頂いた。その分小売店に負担が偏り、結果的にはプレイヤーにも巡り、最終的には市場に悪影響を及ぼす。スーパーファミコン市場は歪んだまま大きくなり、そしてついに縮小を始めた。
衝撃が大きかったのはプレイステーションの登場だ。なんと問屋を使わず、ソニーが直接小売店にものを卸すという。革命的なやり方だった。返品なし、定価販売というところがネックになったが、どの商材も掛け率が一定であることに小売店は喜んだ。今までは問屋ごとに掛け率が違ったり、注文する本数によって掛け率が変動したり、そもそも抱合せで仕入れるしかなかった(違法? しったことか!)からだ。
こんなことが可能なのはプレイステーションがCD-ROMを採用しているからだった。リピート生産がROMほど時間がかからない。お金も自前の工場だからさほどかからない。最悪在庫になっても簡単に破棄できる。それゆえ最初こそ少量生産で行い、売り切れたら即リピート発注すればよい。こうすれば過剰な在庫にメーカーも小売も苦しめられずにすむ。値崩れ・抱合せも心配いらない。
ROMカセットを採用していたらすべて実現不可能なことだった。ちなみにセガもサターンでCD-ROMを採用しているが、他社の工場での生産だったためなかなかリピートが上手く行かなかったらしい。(なお、詳しく書かないがここで上手くいった改革は現在すべて崩壊している)
一方、任天堂はROMカセットの採用を64でもやめなかった。ディスクシステムに手を出してそのあまりに長いロード時間に苦慮したことの経験があるからだ。そしてこれを機にもう一度市場のリセットを図ろうとした。市場にはスーパーファミコンのワゴンセールが始まっている。なんとかして初心会内外にあるゲームの投機的扱いをやめさせなければならなかった。ソフトの数が少なくなれば、そのような動きはできにくくなる。そのためサードパーティのソフトをとにかく減らし、少数精鋭路線で進もうとした。初心会外に取引を広げ自前で流通を行うという選択肢もあったが、これは取らなかった(実はSFC時代にトイザらスが日本進出をしてきたとき、任天堂や各大手メーカーに直接取引を持ちかけてきたが、これは上手く行かなかったようだ)。山内社長はファミコン時代の遥か昔から取引を続けていた初心会を切ることに抵抗があったからだ。それに「絶対に売れない」といってたファミコンも買い取ってくれたのは初心会だ。この前もバーチャルボーイというズッコケハードを出したが任天堂は全量初心会にハードを買い取ってもらっているので被害は最小で済んでいる。(その負債は初心会が被り、さらにその負債は小売店に押し付けられた構図だ。)
しかしそれでも、初心会と二次問屋たちは目先の利益を追い求めるのに夢中だった。
スーパーファミコン市場末期の1995年発売の聖剣伝説3は初回出荷は70万本だったが、実は初心会からの注文本数は合計140万本だった。前作がミリオン超えをしていたのでそれだけ期待があった、という表側の理由だが、ようするにこれも投機的に扱われることが明白だった(そもそも前作聖剣伝説2も結構な数がワゴン行きしていた)。あまりに酷い値崩れを嫌ったスクウェアは出荷本数を半分の70万本にし、かつ卸値を10%引き上げると初心会にアナウンスした。こうした動きに一部の問屋がなんと小売店に対して「スクウェアを公正取引委員会に訴える!」と言いまわってしまった。もちろんスクウェア側には一切の非はない。運が悪いことに(それとも狙ったか)スクウェアは夏休みに入ってしまったので、小売店は真相を確認することができず業界の一大事が起きたのではないかとパニックになったところもあるという。この話は巡り巡ってなぜか「任天堂が悪い」ということになった。PSが発売されて半年以上経とうとする頃でも、初心会に危機感は全くなかった。
その年の末発売のドラゴンクエストⅥの発売にあたっては、初心会とエニックスの間で注文数の予測で大紛糾だった。初心会の予測は250万本。エニックスの予測は300万本。エニックスは自信満々だったが、初心会はそこまで売れないと踏んでいた。初期出荷は250万できまり、エニックスは自前で50万の在庫を抱えることになったが、この読みは的中する。即リピート発注がかかり、エニックスは二次出荷を行った。
最終的に320万出荷を果たすわけだが、売上予測ができない問屋にメーカーは価値を見出すだろうか?
そして、ついに、終わりのときは訪れた。
1997年2月21日。任天堂本社で毎年のように行われる初心会の懇親会。その幹部会の席上にて初心会会長である河田会長が宣言した。
幹事会は静まり返った。関係者には事前に知らされていなかったのだ。解散は任天堂山内社長と、初心会河田会長のトップ会談で秘密裏に行われた。今後一切の取引は商品ごと個別に行われ、しかも初心会内の特定10社のみそれが行われる。今までゲームソフトを投機的に扱って儲けを吸っていた会社は任天堂から拒絶され、二次問屋に落とされた。しかも64の少数精鋭路線のおかげでこれから商材はどんどん減る。今までのような振る舞いは不可能になった。
任天堂はスーパーマリオクラブの立ち上げにより売上予測をするようになった。つまり、予測のノウハウを自ら身につけつつあった。そうなれば商材を投機的にあつかう問屋は不要だ。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通のプロに任せるしかない」。かつての山内社長の言葉だが、流通のプロがプロに値する仕事をしないのなら、切られても仕方がないというわけだ。
実はこの流通改革に前後してプレイステーションでも問題が発生した。デジキューブだ。スクウェアがプレイステーションに参入する条件として、コンビニに自分たちで卸すデジキューブをSCEに許可させた。
もともとプレイステーションはすべてSCEが自前で小売店に流通することを売りにしていた。ところが後から来たスクウェアはSCEを通さず自前で流通させるという。
このあたりを詳しく解説する。SCEはソフトメーカーと協議し、ゲームソフトの初回生産量を決める(ということになっているが、実質決定権はSCEにあった)。
SCEは特約店(一部、ハピネットといった問屋も使用していたが)からの受注数がその初回生産量に満たない場合はSCEが自腹で在庫を抱える(ように努力いたします、という注釈付きではあった)。
と、ソフトメーカーにかなり親切のように見える。しかしこれには問題が含まれていた。初回生産量はSCEが決め、実際に流通させているのもSCE自身だ。ソフトメーカーが営業をしかけ多くの受注を獲得したとしても、SCEがOKを出さない場合、本当にそのソフトは流通しなくなる。実際に飯野賢治がプレイステーション版Dの食卓で自分たちで在庫を抱えてもいいから多くつくるべきだと要望を出しても、SCEはそれを良しとはせず、結果売り切れを引き起こし機会損失を生んだことがあり、飯野賢治はセガ陣営への鞍替えをしたことがあった。
ソフトメーカーからしたら、リスクも多いが儲けも大きい自社流通に切り替えたがっていた時期だったが、任天堂もSCEもそれを良しとはしなかった(ただし任天堂は初心会通しであるため、一社が売れないと踏んでも他の問屋が受注してくれる可能性はあるし、このときPSの取扱店はまだ初心会流通よりは少なかった)。しかしスクウェアだけには特例としてそれを認めるというわけだ。SCEは流通に関わらず、スクウェアが直接小売店とコンビニにゲームソフトを卸すわけだ。当然、初回生産量も自由に決められる。
いったいどういうことだ、SCEはロンチから頑張ってきたメーカーに対して不義理じゃないのか。こうした理論で反発したメーカーがいた。コナミである。
コナミはSCEに対して自社流通を求めた。ゲームをつくる製造委託費とロイヤリティは支払うから、お前のところの流通網は使わんぞ、ということだ。こうすることでコナミはSCE流通分の費用を削ることができる。5800円の小売価格のうちの取り分を増やすことができるわけだ。もちろん在庫リスクや小売店へのやりとりはコナミ自身がやらなければならないから、自社流通が完璧というわけではない。結果的に大手メーカーはみな自社流通になっていくが、ナムコだけは付き合いもあってか(ナムコはかなり初期からPSに絡み、ライブラリの整備も行うほどだった。自社プラットフォームを諦めたかわり、PSに注力したということだろう)SCE流通を使い続けた。
プレイステーション側でこのようなことが起きてるのだから、当然余波は任天堂側にも及ぶ。コナミは64やゲームボーイの自社ソフトに対して「これから初心会を使わず自前の流通網使いますから」と一方的に任天堂に要求した。かつての任天堂ならば決して受け入れるはずのない要求だろう。だかしかし、任天堂は簡単にこの要求を飲んだ。そして門戸が開かれた自主流通のおかげで、ゲーム業界の流通改革は全メーカーを巻き込んだ。最終的にはコナミ、カプコン、コーエー、スクウェア、エニックスといった大手は自前で流通網を持ち、中小サードパーティはそこへ委託流通する形に落ち着いた。つまり元初心会の問屋たちを全く必要としない流通を実現してしまった。
解体された初心会はボロボロになった。合併倒産が相次ぎ、その多数が姿を消した。残された10社は直接小売店と取引するようになり、二次問屋三次問屋は居場所がなかったからだ。
しかも任天堂から選ばれた10社も順風満帆ではない。10社のうちモリガングはバンダイ系列のハピネットに買収された。石川玩具はタカラへ事業譲渡した。松葉屋はラスコムに事業譲渡し、そのラスコムも後年自己破産している。そんな一方テンヨー、カワダ、カマヤは今でも元気に問屋業を営んでいる。(名前が出てこない他の会社は調べても出てこなかった。情報plz)
そしてジェスネットは任天堂の子会社となり、アジオカは事業譲渡を行って「任天堂販売」となったが、これはなんと2016年の話だ。初心会が解体されて20年近くたったが、完全に自前で任天堂が流通するようになった。
こうして初心会は歴史の中に消えていった。良い面悪い面両方ともあったわけだが、特に末期には悪い面が強く出すぎていた。しかしこうして羅列してみると、「初心会があらゆるあくどいことを駆使して不法に市場を牛耳っていた」というわけではなく「初心会が市場を牛耳っていたのでいろいろとあくどいことができた」ということに気がつくだろう。その市場も確固たるものではなく急激に膨らんだ不安定なものであり、なおかつ悪行も任天堂の山内社長の怒りが落ちない範囲内の話でしかなかった。
悪徳の町、ソドムとゴモラは神の怒りに触れ一夜にして滅んだ。初心会も同じ運命を辿ったのだった。
参考文献
東洋経済 1997年3.22号 盟友・初心会を抜き打ち解散した山内・任天堂 焦りの流通改革
平林久和/H.Hirabayashi @HisakazuH
大森田不可止 @omorita
ファイザーが当初の予定を消化できなくて供給が追い付かず、EUがファイザーに対してキレ散らかしてる位だし
それでEUが輸出規制かけてるから、日本にも入ってこなくなりそうになってんのよね
とりあえず、高齢者に使う分の3600万回分は確保して6月末までに入れる様だけど、残りの3億回分は
年内に入ってくるかどうかは、EU次第になってしまってる。基本合意して、一部は正式に契約も結んでるのにね。
国内で生産する為に、武田製薬などに300億円も投資してんのに、製薬会社も成果あげらんないし割と手詰まりではある。
とは言え、AZのワクチンなんて自殺願望でもなければ打ちたくない。
韓国で死者出しまくってて、ワクチン接種しはじめてからコロナ死者数よりもワクチン接種で死ぬ人の方が多いくらい。
スプートニクや、シノファームのワクチンは仕組み的に劣るし、mRNAワクチンが打てないのならば、俺は打ちたくない。
内野手 1997/09/15 23歳 6年 175cm 69kg B型 右左 大分 1,500万円
0 髙田 知季 内野手 1990/05/06 30歳 9年 176cm 68kg O型 右左 兵庫 2,050万円
2 スチュワート・ジュニア 投手 1999/11/02 21歳 3年 198cm 101kg 不明 右右 アメリカ 11,000万円
4 バレンティン 外野手 1984/07/02 36歳 11年 185cm 100kg 不明 右右 オランダ領アンティル 50,000万円
5 松田 宣浩 内野手 1983/05/17 37歳 16年 180cm 86kg B型 右右 滋賀 45,000万円
6 今宮 健太 内野手 1991/07/15 29歳 12年 172cm 76kg O型 右右 大分 29,000万円
7 中村 晃 外野手 1989/11/05 31歳 14年 175cm 83kg O型 左左 埼玉 24,000万円
8 明石 健志 内野手 1986/01/09 35歳 18年 175cm 65kg B型 右左 北海道 6,500万円
9 柳田 悠岐 外野手 1988/10/09 32歳 11年 188cm 87kg AB型 右左 広島 61,000万円
10 大竹 耕太郎 投手 1995/06/29 25歳 4年 184cm 78kg A型 左左 熊本 2,400万円
11 津森 宥紀 投手 1998/01/21 23歳 2年 176cm 84kg O型 右右 和歌山 1,300万円
12 髙谷 裕亮 捕手 1981/11/13 39歳 15年 178cm 83kg O型 右左 栃木 3,200万円
13 二保 旭 投手 1990/05/18 30歳 13年 182cm 75kg B型 右右 福岡 2,800万円
16 東浜 巨 投手 1990/06/20 30歳 9年 182cm 80kg A型 右右 沖縄 9,000万円
17 岩嵜 翔 投手 1989/10/21 31歳 14年 189cm 85kg O型 右右 千葉 6,800万円
18 武田 翔太 投手 1993/04/03 27歳 10年 187cm 90kg B型 右右 宮崎 6,000万円
19 甲斐 拓也 捕手 1992/11/05 28歳 11年 170cm 85kg O型 右右 大分 16,500万円
20 甲斐野 央 投手 1996/11/16 24歳 3年 187cm 90kg A型 右左 兵庫 3,800万円
21 和田 毅 投手 1981/02/21 40歳 15年 179cm 80kg O型 左左 島根 15,000万円
22 牧原 巧汰 捕手 2002/07/13 18歳 1年 176cm 81kg O型 右左 神奈川 550万円
23 周東 佑京 内野手 1996/02/10 25歳 4年 180cm 66kg A型 右左 群馬 4,000万円
24 長谷川 勇也 外野手 1984/12/22 36歳 15年 180cm 86kg AB型 右左 山形 7,000万円
25 田中 正義 投手 1994/07/19 26歳 5年 188cm 93kg 不明 右右 神奈川 1,200万円
26 レイ 投手 1990/07/01 30歳 1年 196cm 106kg 不明 右右 アメリカ 10,000万円
27 グラシアル 内野手 1985/10/14 35歳 4年 187cm 95kg 不明 右右 キューバ 35,000万円
28 高橋 礼 投手 1995/11/02 25歳 4年 188cm 87kg O型 右右 千葉 6,750万円
29 石川 柊太 投手 1991/12/27 29歳 8年 185cm 87kg O型 右右 東京 8,000万円
30 佐藤 直樹 外野手 1998/09/03 22歳 2年 177cm 87kg AB型 右右 兵庫 1,500万円
31 栗原 陵矢 捕手 1996/07/04 24歳 7年 178cm 78kg A型 右左 福井 4,400万円
32 柳町 達 外野手 1997/04/20 23歳 2年 180cm 78kg B型 右左 茨城 770万円
33 増田 珠 内野手 1999/05/21 21歳 4年 179cm 84kg O型 右右 長崎 660万円
34 椎野 新 投手 1995/10/10 25歳 4年 196cm 95kg A型 右右 新潟 2,400万円
35 モイネロ 投手 1995/12/08 25歳 5年 178cm 69kg 不明 左左 キューバ 15,000万円
36 牧原 大成 内野手 1992/10/15 28歳 11年 172cm 72kg A型 右左 福岡 3,500万円
37 マルティネス 投手 1990/08/05 30歳 4年 185cm 90kg 不明 右左 アメリカ 10,000万円
38 森 唯斗 投手 1992/01/08 29歳 8年 176cm 96kg A型 右右 徳島 46,000万円
39 尾形 崇斗 投手 1999/05/15 21歳 4年 181cm 83kg O型 右左 宮城 600万円
40 杉山 一樹 投手 1997/12/07 23歳 3年 193cm 102kg A型 右右 静岡 1,100万円
41 千賀 滉大 投手 1993/01/30 28歳 11年 187cm 89kg A型 右左 愛知 40,000万円
43 井上 朋也 内野手 2003/01/28 18歳 1年 181cm 87kg A型 右右 大阪 880万円
44 笹川 吉康 外野手 2002/05/31 18歳 1年 193cm 85kg A型 左左 神奈川 600万円
45 谷川原 健太 捕手 1997/04/16 23歳 6年 174cm 85kg B型 右左 愛知 630万円
46 川原田 純平 内野手 2002/05/21 18歳 1年 170cm 72kg O型 右右 岩手 550万円
47 髙橋 純平 投手 1997/05/08 23歳 6年 184cm 84kg A型 右右 岐阜 3,000万円
48 渡邉 雄大 投手 1991/09/19 29歳 4年 185cm 84kg B型 左左 新潟 600万円
49 古谷 優人 投手 1999/02/19 22歳 5年 176cm 79kg A型 左左 北海道 720万円
50 板東 湧梧 投手 1995/12/27 25歳 3年 182cm 80kg AB型 右右 徳島 1,500万円
51 上林 誠知 外野手 1995/08/01 25歳 8年 185cm 88kg O型 右左 埼玉 5,350万円
52 リチャード 内野手 1999/06/18 21歳 4年 189cm 119kg O型 右右 沖縄 660万円
53 泉 圭輔 投手 1997/03/02 24歳 3年 188cm 76kg A型 右右 石川 2,800万円
54 デスパイネ 外野手 1986/06/17 34歳 8年 175cm 95kg 不明 右右 キューバ 40,000万円
55 野村 大樹 内野手 2000/09/10 20歳 3年 171cm 83kg O型 右右 兵庫 640万円
56 田浦 文丸 投手 1999/09/21 21歳 4年 168cm 79kg O型 左左 福岡 560万円
57 嘉弥真 新也 投手 1989/11/23 31歳 10年 172cm 71kg O型 左左 沖縄 14,000万円
58 サファテ 投手 1981/04/09 39歳 11年 193cm 102kg 不明 右右 アメリカ 50,000万円
59 水谷 瞬 外野手 2001/03/09 20歳 3年 193cm 95kg A型 右右 愛知 520万円
60 釜元 豪 外野手 1993/09/03 27歳 10年 180cm 81kg B型 右左 長崎 1,200万円
61 奥村 政稔 投手 1992/08/14 28歳 3年 176cm 72kg B型 右右 大分 1,000万円
62 海野 隆司 捕手 1997/07/15 23歳 2年 174cm 78kg O型 右右 岡山 1,200万円
63 川原 弘之 投手 1991/08/23 29歳 12年 187cm 99kg O型 左左 福岡 1,300万円
64 真砂 勇介 外野手 1994/05/04 26歳 9年 185cm 87kg B型 右右 京都 900万円
65 九鬼 隆平 捕手 1998/09/05 22歳 5年 180cm 83kg A型 右右 大阪 650万円
66 松本 裕樹 投手 1996/04/14 24歳 7年 182cm 85kg A型 右左 神奈川 2,000万円
67 笠谷 俊介 投手 1997/03/17 24歳 7年 173cm 72kg AB型 左左 大分 2,200万円
68 三森 大貴 内野手 1999/02/21 22歳 5年 186cm 73kg A型 右左 埼玉 700万円
69 小林 珠維 内野手 2001/05/07 19歳 2年 183cm 87kg A型 右右 北海道 470万円
70 田上 奏大 投手 2002/11/26 18歳 1年 185cm 87kg B型 右左 大阪 550万円
99 川島 慶三 内野手 1983/10/05 37歳 16年 171cm 74kg A型 右右 長崎 7,000万円
120 佐藤 宏樹 投手 1999/02/18 22歳 1年 180cm 80kg AB型 左左 秋田 400万円
121 石塚 綜一郎 捕手 2001/06/07 19歳 2年 181cm 84kg B型 右右 秋田 360万円
122 大関 友久 投手 1997/12/14 23歳 2年 185cm 96kg A型 左左 茨城 400万円
123 中道 佑哉 投手 1998/09/04 22歳 1年 182cm 73kg O型 左左 青森 400万円
124 桑原 秀侍 投手 2002/05/29 18歳 1年 175cm 80kg A型 右右 熊本 360万円
125 早 真之介 外野手 2002/09/11 18歳 1年 181cm 78kg O型 左左 滋賀 360万円
126 黒瀬 健太 内野手 1997/08/12 23歳 6年 181cm 97kg O型 右右 大阪 500万円
127 緒方 理貢 内野手 1998/09/22 22歳 1年 175cm 71kg A型 右左 宮崎 400万円
128 伊藤 大将 内野手 2001/07/27 19歳 2年 179cm 85kg A型 右右 大阪 360万円
129 居谷 匠真 捕手 2002/12/30 18歳 1年 178cm 81kg O型 右右 和歌山 360万円
130 勝連 大稀 内野手 2001/04/30 19歳 2年 175cm 67kg B型 右左 沖縄 360万円
131 舟越 秀虎 外野手 2001/08/23 19歳 2年 181cm 73kg O型 右右 福岡 360万円
132 渡邉 陸 捕手 2000/09/24 20歳 3年 187cm 84kg A型 右左 熊本 360万円
133 岡本 直也 投手 1996/10/30 24歳 3年 182cm 80kg B型 左左 千葉 400万円
134 大城 真乃 投手 2002/11/24 18歳 1年 170cm 70kg A型 左左 沖縄 360万円
136 荒木 翔太 内野手 2001/04/05 19歳 2年 184cm 84kg A型 右右 熊本 360万円
137 中村 亮太 投手 1998/05/18 22歳 1年 183cm 80kg O型 右右 千葉 400万円
138 重田 倫明 投手 1996/05/30 24歳 3年 185cm 87kg O型 右右 千葉 400万円
139 吉住 晴斗 投手 2000/03/12 21歳 4年 185cm 81kg AB型 右右 山形 790万円
140 ロドリゲス 投手 1998/12/08 22歳 1年 185cm 88kg 不明 右右 キューバ 1,000万円