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2022-06-18

anond:20220618115144

栄町千葉県印旛郡栄町

廃止

栄町 (新潟県) – 新潟県南蒲原郡栄町(現:三条市

地名

さかえちょう

北海道地方

栄町 (函館市) – 北海道函館市地名

栄町 (室蘭市) – 北海道室蘭市地名

栄町 (根室市) – 北海道根室市地名

栄町 (千歳市) – 北海道千歳市地名

栄町 (登別市) – 北海道登別市地名

栄町 (北広島市) – 北海道北広島市地名

栄町 (八雲町) – 北海道二海郡八雲町地名

栄町 (洞爺湖町) – 北海道虻田郡洞爺湖町地名

栄町 (羅臼町) – 北海道目梨郡羅臼町地名

東北地方

栄町 (三沢市) – 青森県三沢市地名

栄町 (宮古市) – 岩手県宮古市地名

栄町 (久慈市) – 岩手県久慈市地名

栄町 (大槌町) – 岩手県上閉伊郡大槌町地名

栄町 (塩竈市) – 宮城県塩竈市地名

栄町 (気仙沼市) – 宮城県気仙沼市地名

栄町 (岩沼市) – 宮城県岩沼市地名

栄町 (酒田市) – 山形県酒田市地名

栄町 (寒河江市) – 山形県寒河江市地名

栄町 (南相馬市) – 福島県南相馬市原町区地名

栄町 (会津若松市) – 福島県会津若松市地名

関東地方

栄町 (ひたちなか市) – 茨城県ひたちなか市地名

栄町 (水戸市) – 茨城県水戸市地名

栄町 (常陸太田市) – 茨城県常陸太田市地名

栄町 (牛久市) – 茨城県牛久市地名

栄町 (常陸大宮市) – 茨城県常陸大宮市地名

栄町 (宇都宮市) – 栃木県宇都宮市地名

栄町 (足利市) – 栃木県足利市地名

栄町 (佐野市) – 栃木県佐野市地名

栄町 (鹿沼市) – 栃木県鹿沼市地名

栄町 (高崎市) – 群馬県高崎市地名

栄町 (桐生市) – 群馬県桐生市旧地名現在浜松町 (桐生市)の一部。

栄町 (館林市) – 群馬県館林市地名

栄町 (上尾市) – 埼玉県上尾市地名

栄町 (朝霞市) – 埼玉県朝霞市地名

栄町 (春日部市) – 埼玉県春日部市地名

栄町 (川口市) – 埼玉県川口市地名

栄町 (鴻巣市) – 埼玉県鴻巣市地名

栄町 (草加市) – 埼玉県草加市地名

栄町 (深谷市) – 埼玉県深谷市地名

栄町 (吉川市) – 埼玉県吉川市地名

栄町 (行田市) – 埼玉県行田市地名

栄町 (春日部市) – 埼玉県春日部市地名

栄町 (飯能市) – 埼玉県飯能市地名

栄町 (千葉市) – 千葉県千葉市中央区の地名。またこ地域存在する風俗街のことを指す。→栄町駅 (千葉県)

栄町 (船橋市) – 千葉県船橋市地名

栄町 (松戸市) – 千葉県松戸市地名

栄町 (佐倉市) – 千葉県佐倉市地名

栄町 (東京都北区) – 東京都北区地名付近には都電荒川線の駅栄町停留場 (東京都)もある。

栄町 (練馬区) – 東京都練馬区地名

栄町 (板橋区) – 東京都板橋区地名

栄町 (西東京市) – 東京都西東京市地名

栄町 (東京都府中市) – 東京都府中市の地名

栄町 (立川市) – 東京都立川市地名

栄町 (東村山市) – 東京都東村山市地名

栄町 (小平市) – 東京都小平市地名

栄町 (羽村市) – 東京都羽村市地名

栄町 (横浜市) – 神奈川県横浜市神奈川区地名ポートサイド地区の一部。

栄町 (三浦市) - 神奈川県三浦市にある地名

栄町 (相模原市) – 神奈川県相模原市南区の地名

栄町 (小田原市) – 神奈川県小田原市地名

栄町 (秦野市) – 神奈川県秦野市地名

栄町 (厚木市) – 神奈川県厚木市地名

中部地方

栄町 (新潟市西蒲区) – 新潟県新潟市西蒲区地名

栄町 (長岡市) – 新潟県長岡市地名

栄町 (柏崎市) – 新潟県柏崎市地名

栄町 (小千谷市) – 新潟県小千谷市地名

栄町 (加茂市) – 新潟県加茂市地名

栄町 (十日町市) – 新潟県十日町市地名

栄町 (妙高市) – 新潟県妙高市地名

栄町 (長野市) – 長野県長野市地名

栄町 (福井市) – 福井県福井市地名

栄町 (静岡市) – 静岡県静岡市葵区地名

栄町 (三島市) – 静岡県三島市地名

栄町 (磐田市) – 静岡県磐田市地名

栄町 (上市町) – 富山県中新川郡上市町地名

栄町 (豊明市) – 愛知県豊明市地名

近畿地方

栄町 (河原町通) – 京都府京都市上京区地名

栄町 (大宮通) – 京都府京都市上京区地名

栄町 (京都市下京区) – 京都府京都市下京区地名

栄町 (河内長野市) – 大阪府河内長野市地名

栄町 (小野市) – 兵庫県小野市地名

栄町 (加西市) – 兵庫県加西市地名

台湾

栄町 (台北市) – 台湾台北市旧地名

栄町 (嘉義市) – 台湾嘉義市旧地名

栄町 (高雄市) – 台湾高雄市旧地名

さかえまち

町名としての栄町(さかえまち)

北海道地方

栄町 (札幌市) – 北海道札幌市東区の町名

栄町 (釧路市) – 北海道釧路市地名

栄町 (北見市) – 北海道北見市地名

栄町 (岩見沢市) – 北海道岩見沢市地名

栄町 (留萌市) – 北海道留萌市地名

栄町 (苫小牧市) – 北海道苫小牧市地名

栄町 (滝川市) – 北海道滝川市地名

栄町 (富良野市) – 北海道富良野市地名

栄町 (当別町) – 北海道石狩郡当別町地名

栄町 (北海道森町) – 北海道茅部郡森町地名

栄町 (余市町) – 北海道余市郡余市町地名

栄町 (南幌町) – 北海道空知郡南幌町地名

栄町 (長沼町) – 北海道夕張郡長沼町地名

栄町 (上川町) – 北海道上川郡上川町地名

栄町 (美瑛町) – 北海道上川郡美瑛町地名

栄町 (上富良野町) – 北海道空知郡上富良野町地名

栄町 (増毛町) – 北海道増毛郡増毛町地名

栄町 (羽幌町) – 北海道苫前郡羽幌町地名

栄町 (枝幸町) – 北海道枝幸郡枝幸町地名

栄町 (幌延町) – 北海道天塩郡幌延町地名

栄町 (美幌町) – 北海道網走郡美幌町地名

栄町 (訓子府町) – 北海道常呂郡訓子府町地名

栄町 (湧別町) – 北海道紋別郡湧別町地名

栄町 (白老町) – 北海道白老郡白老町地名

栄町 (様似町) – 北海道様似郡様似町地名

栄町 (鹿追町) – 北海道河東郡鹿追町地名

栄町 (新得町) – 北海道上川郡新得町地名

栄町 (本別町) – 北海道中川郡本別町地名

栄町 (足寄町) – 北海道足寄郡足寄町地名

栄町 (浦幌町) – 北海道十勝郡浦幌町地名

東北地方

栄町 (青森市) – 青森県青森市地名

栄町 (弘前市) – 青森県弘前市地名

栄町 (五所川原市) – 青森県五所川原市地名

栄町 (能代市) – 秋田県能代市地名

栄町 (米沢市) – 山形県米沢市地名

栄町 (新庄市) – 山形県新庄市地名

栄町 (上山市) – 山形県上山市地名

栄町 (長井市) – 山形県長井市地名

栄町 (小国町) – 山形県西置賜郡小国町地名

栄町 (福島市) – 福島県福島市地名。市の中心街にあたる。

栄町 (郡山市) – 福島県郡山市地名

栄町 (会津若松市) – 福島県会津若松市地名会津若松市市街地の一部地域

栄町 (白河市) – 福島県白河市地名

栄町 (須賀川市) – 福島県須賀川市地名

栄町 (二本松市) – 福島県二本松市地名

関東地方

栄町 (沼田市) – 群馬県沼田市地名

栄町 (日野市) – 東京都日野市地名日野宮神社がある。

中部地方

栄町 (新潟市中央区) – 新潟県新潟市中央区の地名

栄町 (上松町) – 長野県木曽郡上松町地名

栄町 (富山市) – 富山県富山市地名

栄町 (氷見市) – 富山県氷見市地名

栄町 (砺波市) – 富山県砺波市地名

栄町 (七尾市) – 石川県七尾市地名

栄町 (小松市) – 石川県小松市地名

栄町 (勝山市) – 福井県勝山市地名

栄町 (多治見市) – 岐阜県多治見市地名

栄町 (関市) – 岐阜県関市地名

栄町 (中津川市) – 岐阜県中津川市地名

栄町 (中津川市) – 岐阜県本巣郡北方町地名

栄町 (浜松市) – 静岡県浜松市中区の地名

栄町 (焼津市) – 静岡県焼津市地名

栄町 (袋井市) – 静岡県袋井市地名

栄町 (岡崎市) – 愛知県岡崎市地名

栄町 (常滑市) – 愛知県常滑市地名

栄町 (豊橋市) – 愛知県豊橋市地名

栄町 (瀬戸市) – 愛知県瀬戸市地名

栄町 (半田市) – 愛知県半田市地名

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2021-07-15

anond:20210715150820

小山田 信茂(おやまだ のぶしげ)は、戦国時代武将甲斐武田氏の家臣で譜代家老衆。甲斐東部郡内領の国衆武田二十四将の一人に数えられる。

信茂の勝頼離反から滅亡

岩殿城

天正9年12月織田信長徳川家康武田領攻めを開始し(甲州征伐総大将織田信忠副将滝川一益)、信濃木曽郡国衆木曾義昌が離反する。また、これに伴い相模後北条氏武田領への侵攻を開始した。義昌の離反を契機に信濃領国は動揺し、翌天正10年(1582年)2月2日に勝頼は信濃諏訪上原長野県茅野市)に出兵し、『甲乱記』に拠れば信茂もこれに従ったという。2月29日織田信忠伊那郡高遠城仁科盛信(信盛)を攻め、信忠は矢文で盛信に降伏を促し、信茂らが勝頼から離反したと伝えているが、この段階で信茂が勝頼から離反していることは虚報であると指摘されている[15]。

勝頼は天正9年に新府城山梨県韮崎市)を新たに築城甲府から本拠移転しており、『信長公記』によれば同年3月3日に勝頼は新府城放棄し、小山田氏の郡内へ逃れたという。『甲陽軍鑑』によれば勝頼嫡男の信勝は新府城における籠城を主張したが、これに対して信濃国衆真田昌幸上野岩櫃城群馬県東吾妻町)への退避を提案した。しかし勝頼側近の長坂光堅小山田を頼り郡内の岩殿城大月市岡町)へ逃れることを主張したという。一方、『甲乱記』では信勝や昌幸の提案を記さず、勝頼が信茂に対し郡内への退避を諮問したとしている。

なお、岩殿城小山田氏の詰城とされているが、小山田氏の本拠である谷村城(都留市谷村城)から距離があることから岩殿城小山田氏の城とするか武田氏の城とするかで議論がある[16]。なお、天正9年3月20日岩殿城武田勝頼が在番衆派遣している事実も注目されている[17]。

武田勝頼一行が郡内領へ退避するさなか信茂は勝頼から離反。勝頼は田野(甲州市大和町)において織田方の滝川一益軍勢と戦い、武田宗家は滅亡した(天目山の戦い)。

信茂離反に関して、武田側の史料では、まず『甲陽軍鑑』に拠れば勝頼一行は郡内領への入り口である鶴瀬甲州市大和町)において7日間逗留し信茂の迎えを待っていたが、3月9日夜に信茂は郡内領への道を封鎖し、勝頼一行に対して木戸から郡内への退避を呼びかけると見せかけ、信茂の従兄弟小山田左衛門と勝頼の従兄弟武田信堯(のぶたか)が信茂の人質を郡内へ退避させ、信茂は勝頼一行に虎口から鉄砲を放ったという。信堯は正室御宿友綱の妹で、信茂とは相婿の関係にある。なお、『武田三代軍記』『理慶尼記』でも同様の話を記し、『理慶尼記』では信茂の離反を7日の出来事とし、信茂が郡内への入り口を封鎖した地を笹子峠大月市甲州市)としている。一方、『甲乱記』では信茂離反の日付を記さず、勝頼は柏尾甲州市勝沼町)において信茂を待ち、駒飼(甲州市大和町)に移動したところで信茂の離反を知ったとしている。

甲斐善光寺

一方、織田徳川方の史料として、『信長公記』では勝頼は小山田の館まで辿り着いたが、信茂は勝頼の使者をはねつけたと簡潔に記している。『三河物語』では小山田左衛門が登場し、勝頼が郡内領へ逃れる途中に小山田左衛門を信茂のもとに派遣したが帰還せず、信茂離反を知ったという。

織田氏・徳川氏勢により甲斐が平定された後、信茂は嫡男人質として差し出すために信長拝謁しようとしたが、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ処刑された。

信長公記』では3月7日条に成敗した「小山田出羽守(信茂)」の名を記し、『甲陽軍鑑』では武田信堯や小山田左衛門らの名も記している。一方、『甲乱記』、『甲斐国志』に拠れば、3月24日甲斐善光寺で嫡男、老母、妻、女子とともに処刑されたという。享年44。長生寺『月日過去帳』・森嶋本『甲斐国志草稿』に記される伝存しない同寺所蔵の位牌によれば戒名は「青雲院殿武山長文居士」。信茂の命日は『甲乱記』、長生寺『月日過去帳』に「24日」と記され、『甲乱記』では3月11日の勝頼自害から13日後としている。

人物

武田家において信玄の「弓矢の御談合七人衆」に両職の山県・馬場重臣と共に名を列ねている。

武田の小男と恐れられた山県昌景に「若手では小山田信茂、文武相調ひたる人物はほかにいない」と評される。

設楽ヶ原の戦いにおいては、早々に撤退して戦線を崩した武田信廉・穴山信君ら一門衆とは反対に、山県昌景隊の後備として最前線で戦い続けている。

鉄道唱歌(作詞福山寿久)には「川を隔てて聳ゆるは 岩殿山の古城蹟 主君に叛きし奸党の 骨また朽ちて風寒し」と詠われており[20]、小山田信茂は「奸党」とまで蔑まれている。

2017-05-14

[] からすみ

からすみは、岐阜県東濃地方長野県木曽郡南部下伊那郡南西部愛知県奥三河に伝わる銘菓で、米粉でつくった蒸し菓子のこと。

  

下記の地域では「からすみ」と言うと、鯔の卵巣の加工品ではなく、米の粉を加工した和菓子意味する。

 岐阜県中津川市恵那市瑞浪市などの東濃地方

 長野県木曽郡南木曽町大桑村下伊那郡根羽村平谷村

 愛知県北設楽郡設楽町豊田市稲武町などの奥三河

  

このからすみは、全体に細長い棒状の棹物菓子で、包丁適当な幅に切って食べる。特徴的なのは、長い側面の上部を両側から

中央に向けて押し寄せたようになっており、切った断面が富士山のような山の形になっていることである

これは、蒸した団子を長く伸ばし、このような形の木型に押し入れて作られる。

  

食味や作り方は名古屋名物ういろうに似ているが、より固く弾力があり、べとつきが少ない。

  

からすみ名前の由来は、子宝象徴としての縁起物であるカラスミの形に似せて作ったという説と、中国で作られた富士山の形を

した墨、すなわち唐墨に形が似ているため、この名を取ったという説とがある。

この地方の各家庭では、桃の節句からすみを作りお祝いをするという風習がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%BF_(%E8%8F%93%E5%AD%90)

2017-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20170126180944

第一印象については同感なんだけど、

木曽建設事務所木曽郡木曽町)は07年に気象庁協定を結び、

御嶽山火山活動の一部を適切に観測する義務を負ったが、

山頂付近と滝越(同郡王滝村)の2地点に設けた地震計故障を知りながら1年余り放置し、観測を怠った―と指摘。

これが事実なら、なぜ地震計故障は修理されなかったのか?議論されてしかるべきだし。

その結果として、地震観測にちゃんと予算が付けば良いと思った。

死者に対する賠償は、せいぜい「ごめんなさい」の謝罪程度でいいと思うけどね。

 
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