はてなキーワード: 大手術とは
安倍政権は確かに日本の民主主義やシステムの根幹を食い荒らした。だがそれは、全て「安倍政権を存続させるためには必要な犠牲」だった。この7年半、政官財こぞって「安倍政権を存続させるため」に一致して、他のあらゆる犠牲に目をつぶってきた。これは、安倍晋三個人と言う矮小な存在の為しうることではない。これは、集団的、無意識な組織的犯罪なのである。
では、なぜ彼らはかように凡庸な才の人間を必死になって支え続けたのか?
他のどの時代でも、こんなことはあり得なかったと思う。実際、最初に彼が政権を握ったとき、自民党への信頼は大きく傾き、人々には政権にNOを突き付けるだけの理性があった。二度目の政権、安倍が周到に用意をしてきたと評する人も多いが、お友達優遇で、偉そうなことを言う割には国家観もビジョンもなく、肝心な時には判断できず、取り巻きが失言やおそまつな対応で足をすくわれ死んだりする。何一つ変わっていない。変わったのは、それらを覆い隠して守ろうとした「世間」の方だ。
この7年半、すでに壊れかけていた日本は、やはり更に大きく壊れた。たとえばコロナ下で、防疫の基本中の基本であるデータがまともに取られていないことが判明したが、専門家をまともに活用できず、役に立たないマスクの配布に大量の金と人をつぎ込むようなこの政権下では、予測できることだった。少子化は進行し、二極化は進み、文化や社会を支えてきた「豊かな中間層」は死滅した。セーフティネットも、安定雇用もない社会に、「良識」の居場所は消えた。「復興は成し遂げた、事態はアンダーコントロール」とのまやかしの下に、復興予算は横流しされ、五輪というお祭り騒ぎに投入された。意見のできるまともな「官僚」は、自らの立場を去るか、命を落とした。
いま、私たちが生きている「令和の日本」の、それが実像である。
そして、この間、政権はひたすら「事実を取り繕う」ことに力を尽くした。きわめて凡庸な才の首相を掲げる彼らは、「事実を取り繕う」スペシャリストだった。この7年半、何度奇妙な「閣議決定」を我々は見せられたことだろう! あたかも小説「1984」における「真理省(政府の決定が真理である、と全ての過去の記録を改ざんして取り繕う省庁)」さながらだった。それも「安倍政権を守るため」だ。そのために、彼らは憲法解釈すら捻じ曲げた。なぜそんなことを? ……それは、事実を直視できなかったからだ、と私は思う。
安倍晋三を評するもっとも的確なワードは、しばしば政権を擁護するアンケートで聞かれた「ほかの人よりよさそう」という言葉だ。「よい」ではない。「よさそう」なのだ。安倍晋三は、他の人よりなんとなくよさそうだと思わせることに長けた人だった。それは、経済政策と人口政策の停滞・失敗で20年近い時間を無駄にした日本を、更に大震災、原発事故が襲って、もはや手の付けようがないと思われた時代に、人々を安心させるために必要な「モルヒネ」だった。「モルヒネ」は患者を麻痺させるだけで、基本的には病を治しはしない。だが、それほど危機的状況でもあったのだ。
思えば、なんとよくできた「モルヒネ」であったろう。右側からの追及には、いかにも保守じみた言動(だが彼は一度も8/15靖国参拝は行わなかった)、憲法改正の掛け声(7年半かけてできなかったということは、端的に言ってやる気がなかったのだ)でかわし、左側からの追及には、経済政策と厚顔さで対応した。あの厚顔なスマイルで「問題ない」「大丈夫」と言えば、私のようなヒネクレ者ではないまともな神経の人なら、一応「信じてみてもいいんじゃね?」と思うだろう。そして、この社会状況の中なら「思いたい」だろう。
もちろん「モルヒネ」は、それが効いている間に大手術をするためには、絶対必要だ。だから、安倍政権を支えた人が全て悪意100%でそれを行ったとは思わない。むしろ多くの人は、その根治的な大手術を成功させるために、安倍晋三という「モルヒネ」を利用しようという、善意でそれを行ったのではないかと推測する。だが、地球規模の気候変動と相次ぐ天災、消費税増税圧力、そして今回の世界的疫病の流行で、モルヒネの効果にも限界がきたようだ。
いま、我々の前に横たわっているのは、根治的治療も進まないうちに、手術中に次々とトラブルが発生し、かつモルヒネも限界量まで投与してしまった患者の体だ。安倍晋三は確かに何もしなかった。だが、7年半という時間を稼いだのは事実だ。その間に十分なことができず、時間切れを迎えてしまったのは我々だ。一人安倍晋三を責めても仕方ない。モルヒネの意志を論じたり、それが人体に多少の悪影響があったなどという議論をしても、正直意味がない、と私は思う。モルヒネはモルヒネだ。肝心なのは、モルヒネの効力にも限界がきたということ、そして、積み残した問題はどれ一つとして片ついていないということだ。
それでもこの日本という患者を生き延びさせようとするなら、もはや巨大な痛みに耐えながら手術を続行するか、無意味にモルヒネだけを乱打して死を待つか、それとも全く新しいイノベーションという奇跡にかけるか、しかない。少なくとも、次期総理が「安倍路線の継承」などと言い出したら、そんな政権は半年保たない。それぐらい待ったなしな状況ではある。
こんな時代に、泥をかぶる次の政権に同情する。だが、重ねて言えば、日本がそもそもこうなっているのは、別に安倍晋三一人の罪ではない。彼を支えてきた全ての人の罪だ。モルヒネが効いていた魔法の時間は終わり、いま、現実に向き合う時がきた。それは困難な時代だが、いつまでもこの事態に「安倍のせいだ」を叫んでも、これまたモルヒネ頼りに変わりはあるまい。そんな時間はなるべく少なくした方がいい、と私は思う。それよりも、「安倍がモルヒネであったこと」と「モルヒネが必要とされた状況」を認めた上で「モルヒネなしで今後どうするか」についての建設的議論を始めよう。今後、生き延びていくためには、その認識が早急に必要なのではないかと思う。
奥さんなんかすんごく偉い人なの?
都知事やってるとか
***を**して**してしまいそのときに大手術して今も人知れず後遺症に苦しんでるとか
ネットトレーダーで年収10億だけどコロナで今年は赤字になりそうとか
親の遺産で10億ころがりこむのを待ってるところとか
(これは特段えらくはないが本人の意識としては偉いんだろう)
絵がろくにかけないウヨサヨ漫画家のアシスタントで年収10億稼いでるとか
月曜日からコロナ患者うじゃうじゃの病院にでていって一日に40回くらい手をあらって手荒れしなきゃいけないとか(これは多少同情する)
子供って親が機嫌わるいときのことをものすごく細かく覚えてるよね
将来見放されそう
思ってたから。
大学の卒業式は中学校の入学式以来はじめて参加する式典になる。
中学校の入学式の時は、普通に中学生活も高校生活も楽しみにしてたし、
薬剤師になったりしたいなあって考えてた。
辛すぎて普段は飛んでる。
母親に発達障害があって、それと本人のもともとの持ち合わせた性質が合わさって、
精神疾患になってるのが病院で判明したのが自分が壊れたあとのこと。
もう泣き叫ぶ声も死にたいと暴れる姿も見たくない。
大量の精神薬の入った棚。
無名で、偏差値出てなくて、みんな「バカ大学」って自嘲するけど、自分にとっては大切な大学。
経営難で苦しいらしいけど、潰れないでほしい。笑
それに奇跡が起きた。
母親が突然何十万人にひとりのケースの肺がんになり大手術をしたら、身体障碍者になったものの、手術前の記憶がほとんどなくなり、
自分でご飯買って食べろって500円渡されたり、毎日カップラーメンやスーパーの弁当だったのに、
まだ、信じられない。
私はブスだ。物心ついた頃からブスだと揶揄されていきたし、それで嫌な体験はたくさんしてきた。
中学生の頃からは、同級生の男子から通りすがりの知らない男からも「うわ、ブスだ」と言われることなど日常茶飯事だった
ブスである私は女性としての性的魅力や恋愛対象としての魅力等に欠けると思っている。
だけど、幸い私は恋愛感情を他人に抱いたことは今までなく、そのことで困ることはない。好きにならなくていいので、ただ生まれつきの顔を罵倒したり嗤ったりしないでくれというだけだ。
化粧で変わるとかおしゃれすれば、などという言葉は本当のブスには有効じゃない。骨格からもう違うのだから立て直すには大手術しかない。
私はそんなリスクを負いたいほど自分の容姿が嫌なわけではない。ただ趣味の世界でもブスであることが足枷になるのが悲しいのだ。
「お前らのイメージと違って可愛い子ばっかりなんだけどね」からかってくる男たちにそう言い返したジャニファンの子。私は自分がジャニオタでいることを申し訳なく思った。
「最近はイベント行っても綺麗な人多くて驚くわ」「絵が上手い人ほど美人が多い」馬鹿にしてくる男たちに対抗するようにそう呟いた腐女子の子。私は自分が腐女子でいることを申し訳なく思った。
すべての、『この趣味やこの思考はブスが多い』と偏見を持たれてる場所にブスである私がハマっていること、が同じコミュニティに属する女子たちにとって迷惑なのだということが、こんな返しを見る度に思い知らされダメージを受ける。
20歳のとき、左下の親知らずが真横に生えて、奥歯が割られた。
くちゃくちゃとガム噛んでたら、グラっと割れて、あわてて歯医者へ。
まず割れた奥歯を抜く。
そして、奥歯の奥に植わっている、真横になってる親知らずを抜く。これが大手術。
ぐちゃくちゃ奥の歯茎をかきまわすわけ。
まあ、無事に2本の歯は抜き取られた。
奥歯があったところはぽっかりと空いている状態。
「自分の歯だから、植わるかもよ。どう、植えてみよっか)笑」と軽妙な誘うわけ。
で、なんかしらないけど、その誘いに乗ってしまいした。
「へ~、自分の歯なら植わるんだ~」くらいの感じで。
ぐちゃぐちゃの親知らずを奥歯の場所に植え付けるんだけど、変な形なのでうまく嵌らない。
しかたなく、糸でバッテンに親知らずを縫い付けて固定。これがまた痛い。
激痛 → 痛み疲れてウトウト → 激痛 → 痛み疲れてウトウト(10時間くらい繰り返す)
日毎に痛みは軽減するが、親知らずは固定されず、歯茎から押し出される感じで、浮いている。
浮いているが、縫い付けられているので、しかたなく奥歯のあった位置に乗っかってた。
で1週間たって、やっぱり激痛が酷く、親知らずも植わらない感じがして、歯医者へ。
歯医者曰く「やっぱ無理か~(笑」だと。
結局、親知らずを植えるのをやめたら、激痛が収まった。
彼の祖母が亡くなり、4ヶ月くらい経過した。
やっとお墓が出来た(?)とかで、納骨することとなった。
だが、納骨する日は、彼が仲良くしている人の手術日だった。
「俺はリアリストだ」とたまに言っていた。
そんな彼は母に対し
「俺は納骨は行かないで、知人の手術に立ち会うぞ!!」と言って揉めまくったらしい。
私は「納骨を優先したほうがいいのでは?」と話した。
手術内容は、首のほうに癌が絡んでるのかしらないけど、
手術の成功率も何もかも分からないらしい。(聞いていないのかも)
知人は離婚している為、
「誰もお見舞いに来ないし死ぬとしたら誰にも見られないなんてかわいそうだろ!お世話になってんのに!」
というのが彼の意見だった。
(お世話になったレベルとしては、3ヶ月程度の付き合いで、数回仕事が一緒になったレベル)
そこで私は
「もし、私が死んで納骨するときに
貴方の親友が大手術受けることになったらどうするの?」と聞いたら
それは状況が違うといわれた。
祖母は第二家族であり、第一家族だったらもちろんそっちを優先する。と言っていた。
「じゃぁ、孫が彼の納骨時にお世話になった人の結婚式に出ますって言われたらどう?」
と言ったら「それも状況がちげー」と言われた。
まぁ確かに、納骨も、喪に服すことも
彼を説得できないし、上手く言えずにモヤモヤした日となった。
追記する。
元々彼は「手術と納骨どっちに行くべきか?」と聞いてきた。
だから自分の意見「納骨に行った方が良いんじゃないか?」と言ったまで。
そしたら「手術に行く」と言ったから、私が死んでお葬式の時も知人の手術に行ったりするのではないかと
祖母が亡くなったとき、「父親代わりだったんだぞ!」とずーっとネガティブだった。
何かと自分に当たってきたし、数ヶ月ずーっと落ち込んでいた。
事あるごとに「ばあちゃんはさー」と言ってきて、最近も言うのに
納骨は行かないっていう事にモヤモヤしたのかなぁ。
そして、祖母について聞いたら
「もう死んで故人になってるし、そんなん生きてる人のエゴなんだから」と言うけど
これで彼母と彼の間に溝ができたら結婚無理かなっていう気もしている。それだけ。
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四十九日に納骨しようと思っていたみたいなんだけど
墓が出来てないとかなんだか色んな理由で遅れたみたい。
詳細は不明。彼自身も分かってないし、調べようとも思っていない。
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あたしの真似する人さ、人のクズさが見えて面白いからじゃんじゃんやっていいよ。
マネすればマネするたびに、あんたがクズになって魂が穢れるだけだから良いよ。
将来が楽しみだね^^
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さすがに「死ね」「消えろ」は言わない。「道路に飛び出して欲しい」くらいは言う。
あと、「天に召されろください」くらいは言う。意味は大体同じだけど。
「あたし」を一人称とし、「お願い」とかは一切言わない。
誰とでも対等と思っていて、「追記した」とかも別に言わないから。(追記するは言う)
「きもい」は言わない。「うざい」は言う。
相手から「お前はこういう奴だ」決め付けられた発言をされるのが嫌い。
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つーかさぁ…………。
理論的に話せないやつ多すぎて話にならないわぁ。
馬鹿すぎてやってられない。
かまって欲しいんじゃね?とかもほんと馬鹿すぎ。
すっきりしないけどさ。
ダーリン待ってるし行かなきゃ♪
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うーん、下手だなぁ。↑ちゃんと読んでね。
友達から聞いた話をぐっちゃぐちゃかき回しただけ。その子の一人称は「あたし」
真似されまくってて笑うわww面白いなww
まぁ……実際、親代わりに育ててくれた人の納骨を取るか、手術する知人を取るかって言われたら
物凄くお世話になったんであれば手術に行くかもしれない。
彼女はパパ活をしているJKである。つまり、売春しているJKである。バイト先のJKリフレの常連客だった「パパ」に水揚げされ、セックスのたびにお小遣いをもらう形で、これまでのべ500万ほど貢いでもらってきた。JKはそのお金を使い、韓国で大規模に成形してきた。なぜ韓国で?と思う人がいるかもしれないが、韓国では外国人だから親の承諾なんていらないし、まだ効果もわかっていない「最新の」手術をバンバンやってくれるからだ。そうやって彼女が整形するのは、ひとえにある男のためである。JKは大学制までの男をガキっぽいと信じている。だから24歳のその男とセックスしている。雪の中で真夜中まで四時間も待たされても、セックスしないならあわないと言われても、JKはお酒を飲んでセックスしてタバコを吸うという「大人っぽい体験」ができる彼に夢中だ。彼にぞんざいな扱いをされるのは私が附子だからだ。そう思い込んで、JKは韓国の医者が進めるままに高額な整形をやってきた。
そんなわけだから、JKは学校に居場所がない。クラスメイトは休みがちで出席したと思ったら顔がパンパンに腫れている彼女を遠巻きに見ているし、担任ですら彼女を笑う。家族はすべてを受けいれてくれているが、家庭は自分を満足させてくれる場所ではない。そんな時間があればパパとセックスして金でも稼いだほうがマシである。そう思いパパにあったら、パパは関係の解消を申し出てきた。この間やった大きな整形手術韓国のせいで、顔が不自然に歪んでしまい、もう会いたくないというのだ。JKは韓国の病院にクレームを入れたが、相手にされないまま終わった。今はセフレの男だけが心の拠り所だが、こんな顔では嫌われてしまうと、また、手術の予約をした。全身麻酔で骨を削る大手術で、半数は麻痺やしびれなど機能障害が残る大博打だ。もう治すところが骨しかない。手術は一週間後。今はただ整形が成功した自分を思い描くことで自分を落ち着かせている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASKB27D5KKB2ULOB020.html
なんだか警察が珍しく頑張ってるみたいなブコメがあるけど、このくらいの捜査は日常的にやってるもんじゃないのか?しらんけど。
そういえば、僕が高校生の頃のある日、うちに刑事さんがドラマみたいに二人でやって来た事があった。刑事さんは僕に会うつもりで来たと言ったので、応対したばーちゃんは、僕が事件事故を起こしたか巻き込まれたかと思い込んで腰を抜かし泣きじゃくり、大変だったと家族談。
僕は帰宅部だったのでいつもは四時には帰っていたのに、その日に限っては学祭の準備かなんかで帰りが七時過ぎになってしまって、家族が心配していたのだった。
刑事さん達の用件は、最近ある凶悪事件の容疑者が僕とその家族に接触して来なかったか?という事だったらしい。刑事さん達が追ってる容疑者の職業は医者だった。
僕は子供の頃、命に係わる病気を患っており、それを治す為に大手術を受けていた。その手術の際、珍しい症例だったので多くの医師が見学に来ていたのだそうだが、その中に医者である容疑者もいたらしい。
警察は容疑者がかつて担当した患者から逃走資金を調達している可能性を考えて、患者の身元を調べて聞き込み捜査をしている、との事だった。
僕は容疑者と接触のあった当時は赤ん坊だったので、勿論容疑者の事なんて覚えていないし、以降それらしい人に会った事もない。
しかし、父が容疑者に一度見た事があるのを覚えていて、しかしやはりそれっきり全く会った事は無いと刑事さん達に証言したらしい。
結局刑事さん達は僕とは会わずに帰って行き、それきり来なかった。僕には両親が聞き取って、何か話したら警察に通報してくれということだった。
ばーちゃんは認知症をこじらせていて、僕が何かやらかして警察に疑われていると思い込んでしまい、誤解を解くのにはかなり時間がかかった。というか、誤解は解けなかったがしばらく経つとばーちゃんは刑事が来たこと自体を忘れた。
もう随分昔になるが、増田少年がまだ小学生であった時分、クラスでミニ四駆の肉抜きとネット張り加工がひと流行りしたことがあった。
手先が器用な連中が次々に色とりどりのネットを張ったミニ四駆を持ち寄るようになったので、
増田少年も、ようしここはひとつ自分もシュッとして恰好のよいミニ四駆を作って連中を驚かせてやるぞと、
日々公園の滑り台の上から発進させてはクラッシュさせていた愛機・ビークスパイダーを手に取ったわけである。
しかし増田少年、壊滅的に手先が不器用な上に結果をイメージして行動することが苦手で、さらに我慢もきかない性分であったので、
筆をとれば一筋のはみ出しに嫌気が差して画用紙一面を一色で塗りつぶす作業に精を出し、
粘土を捏ねればああでもないこうでもないとしばらく唸ってから、8割方完成した作品を糸で賽の目切りにする、そういった子であった。
さてそんな増田少年、これで相棒が速くなるぞと、意気揚々と道具箱から錐と小刀を手に大手術を待つ哀れなビークスパイダーの前に座る。
学年×100円という、コロコロコミックを毎月買うこともままならない小遣いでは、ピンバイスなどという立派な道具は望むべくもないのであった。
オクラネットよし。爪切りについてるヤスリよし。セロハンテープよし。
どう使うかは考えていないが飾りつけ用のモールとタコ紐も、完成度をあげるために色を塗る黒マッキーも用意した。
「さてどこから……ようし、まずはここら辺りに穴を開けようか」そう決めた増田少年が狙いをつけて振り下ろした小刀は、一撃でビークスパイダーの樹脂でできた体を粉砕した。
サァと血の気が引き「ああ、しまった、最初は錐で小さな穴を開けるんだったか?」と汗をかく増田少年だが、
バラバラに砕けた愛機の破片はあちらこちらに飛び散り、見るからにもうなんともしようのなさそうな有様であった。
しばらく砕けたボディを手に取ってパズルのようにあわせてみたり、セロハンテープでもって繋いだりしてみたものの、
やはりいかんともしがたいので、仕方なく破片を念入りに粉々にしながら、増田少年は次の方策を考えることにした。
なぜ破片を砕くかと言えば、600円もするおもちゃを壊したことが母に露見するときつく叱られかねないので、帰ってくる前に小さく砕いて飲んで証拠の隠滅を図ろうと、そういうわけであった。
つづく
離れて暮らす両親の話。
親父が癌だ。今は食道癌。
最初の癌は15年前。白血病。抗がん剤→骨髄移植で一応元気になった。
次は皮膚癌。発症は顔のほっぺた。小さかったのと初期に見つかったので薄皮一枚削った。
次は今も闘病中だが食道癌。見つかった時はステージ3。皮膚がんはたまたま見つけやすいとこだったから医者が気づいたわけだが、白血病で毎月検査しているからかあんまり他の癌に注意してなかった模様。まぁアホな親で困る。一度治療を終えたが、再発が見つかった。また抗がん剤が待っている。
食道癌は喉に出来たこともあり、切ろうと思っても声帯ごととる大手術になる。最初の白血病の時にだいぶ体力を失っていたこともあり、手術に耐えれる体力が無いと医者に判断され、抗癌剤と放射線治療のみ。
抗癌剤治療の副作用は凄まじい。巷では副作用が少ない抗癌剤がとか、科学の進化がとか色々言っているけど、親父は白血病の頃から数えて10回以上抗癌剤治療を行っているわけで、傍からみててもう限界に近い。一回一回痩せていくその姿はとても痛々しい。元々痩せ型〜普通くらいの体型のくせに、体重は15kg前後落ちた。髪の毛が再生するのは最初のうちだけで、骨髄移植後はなかなか生え揃ってくれず、陰毛みたいな白髪がうっすら生えてくるだけだ。カツラをつけるって言っても、留める毛すら揃わない。大手保険会社の部長を勤めたイケメンの姿はもうない。
抗がん剤治療を乗り越えるには、それなりに体力が必要。手術する体力が無いと言われた親父は、本当なら10日で退院できる抗がん剤治療でも1ヶ月半くらい軽く入院してる。色んな病気を併発するからだ。白血病の時は肝臓にウイルスがどうとかで1年以上入院した。前回の食道癌の時は肺炎になり、元々肺気腫気味だったけど悪化した。おかげで現在は5分も歩けないし力仕事なんてできない。
また、これだけ抗がん剤うてば、口の中も荒れ放題になる。もともと虫歯一つない歯だったのに、今では奥歯はほとんどない。入れ歯は抗がん剤後には合わなくなり、調整してもまた治療したら微妙に合わなくなり。次の抗がん剤を間近に控えて、現在は痛くて使わなくなってる。
味覚も狂う。最初の抗がん剤治療後(骨髄移植前)は、何を食べてもまずく感じるなか、唯一ラーメンだけが美味しかったらしく、街中のラーメン屋を片っ端から食べ尽くしたらしい。骨髄移植後は割と味覚も戻り、美味しいものを美味しく感じれる生活を送っていたが、食道癌になってからは何を食べても美味しく感じないらしい。喉に引っかかるから飲み込むのも辛いとかなんとか。
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おかんは熱心な宗教家でもあり、エセ科学とか大好きだ。もともとそんな人なわけだが、抗がん剤治療で日々弱っていく親父を見るとなんとかしたいという一心から、様々なエセ科学を調べる。俺自身、身近な友人を抗がん剤の治療関連死(まだ元気だったけど治療開始後一週間で亡くなった)とかあったので、抗がん剤を心から信じているわけじゃないし、おかんの気持ちはよく分かる。
んで、最近は食事療法的なよくわからんやつにご執心だ。体にいい食べ物、悪い食べ物に分類してあれはダメだ、これはダメだっていうやつ。これは良さそうに見えて本当は良くないとか色々ある。興味本位で色々聞いてみたら、おかんに入れ知恵している先生的な人曰く、坊さんの精進料理的なものしか本当に体にいい食べ物はないらしい。肉もダメ、野菜も大半ダメ、魚もほとんどダメ。なんだそれ。
とはいっても夫婦で食べる料理はそんなに極端に変わっていない。あからさまに体に悪そうな食べ物(ファストフード的なやつとかポテチとかそういう系)は元々食べないし、別に我が家の食卓でそんなに大幅な変化はない模様。二人とも元々同郷の農家だし、昔ながらの食い物ばかりな感じ。
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生きることはとどのつまり食べること。病人だって美味いと思えるものをしこたま食べれば体力も少しは戻ってくるだろうさ。少なくとも運動もできない体になった以上、食う以上に大切なことは思い浮かばない。
おかんにはそのことを話した。抗がん剤治療を信じない、食事療法で内側から治すという考え方は大事だと思うけど、病気を倒す体力や元気を身につけるには、体に良い悪い食事よりも親父が食べる事に喜びを感じる方が遥かに大事って。俺はさすがスピリチュアルなおかんに育てられただけあって、スピリチュアルに伝える技術はいくらでもある。割と簡単に納得してくれた。ちょろい。
問題は本人。つまり親父だ。何食べても美味しいとは思ってくれない。そもそも奥歯がなくても食べやすくて美味しいものなんて俺にはなかなか思い浮かばない。刺し身と鍋は比較的いけるっぽいけどあまり楽しんでくれない。クソ。
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最近一つわかったことがある。
親父はおかんと二人の時より、俺がいた時の方が美味しいと感じるらしく、俺の嫁がいる時の方がもっと美味しく感じる模様。同様に姉家族が孫を連れて帰って一緒に食べる時などとても美味しい模様。
前回俺が嫁と一緒に帰った時に4人で外食したわけだが、その時に食べた鍋焼きうどんがとても美味しく気に入ったらしい。で、後日一人で食べに行ったみたいなんだけど、全然美味くなかったとかなんとか。
姉には子どもがいるが、俺にはまだいない。俺がガキつれて帰った方がご飯は美味しく感じるのだろうか。たぶんそうなんだろうな。
確かに孫と囲む食卓だったら、何食っても美味いだろうな。
贅沢な親父め。クソ。
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あれだけ弱っていて、かつ自分の死期が比較的近いと考えている人間が、あと何回抗がん剤治療を乗り越えられるのか、あと何年生きられるのか。
出来るだけ美味しいご飯を食べさせてやりたいなと思うところです。
父に殴られた。癌で胃を摘出した父の拳は羽のように軽かった。
僕には勇気がない。正しいことを言う勇気が。怒鳴られたくない、叱られたくない、殴られたくない。怖い思いをしたくない。
理不尽に母を怒鳴り、殴る父を見て育った。鼻血を流す母を何度も見た。鼓膜を破られたこともあるそうだ。
父は酒を飲み、暴力や暴言が増える典型的なアルコール依存症だった。
そんな父は僕には驚くほど優しかった。海や公園に連れて行ってもらった行ったり、一緒にゲームをしたり、充実した日々を送っていた。
だが、父は僕のことを怒鳴ったり、殴ったことがないわけではなかった。それは母に対するそれと異なり、決して理不尽なことばかりではなかった。
僕は父の逆鱗に触れぬよう、ニコニコ、ニコニコと笑顔を作り、楽しい、楽しいと口走っていた。
小さな僕の瞳の奥にあったのは暴力に対する憎悪と恐怖、そして父からの溢れんばかりの僕への愛情との葛藤だった。
僕が立派な体格だと人に言われる頃になると、父と母の怒鳴り合いは日課と化していた。怒鳴り声が交差する食卓に並べられた食事の味は怒号に掻き消された。
その頃、僕は猫を拾ってきた。野良猫の赤ん坊で、死にかけていたところを保護したのだ。
猫が好きな母と僕は猫をひどく可愛がるようになった。父も、以前犬を飼っていたことがあり僕の願いでもあり承諾をしてくれた。
半年程が過ぎると、父は猫に対し度々暴力を振るうようになった。猫が気持ち悪い、部屋に入るなと怒鳴りつけるようになった。
僕は父を殺してやろうかと思った。ここまで、クズだとは思わなかった。心底見下した。
僕は猫を父の部屋やリビングに入らないようにしつけ、保護した。てか、保護するっていうなら他の人に預けりゃいいのに、って書いてて思った
このまま数年が過ぎるが、父の猫への暴力は無くなったが嫌悪感は消えることなく、怒鳴りつける習慣は変わらなかった。
そんな中、父が胃ガンになった。胃を全摘することとなった。転移はなかったが、食事は大きく制限されることとなった。
ざまあみろ。そうは思わなかった。ここまで酷い父なのに、何故だか、ざまあみろという思いが出ない。むしろ、生きていてよかったと思った。
父が僕にくれた愛情は本物なのだ。本当に可愛がってくれていた。憎いはずなのに、僕の心が邪魔をする。ざまあみろ。だなんて口が裂けても言えない。僕を愛してくれている人に、そんなことは言えない。生きていて良かった。だが憎い。なんなんだこれは
胃を全摘した後の父の態度は増して傲慢になった。自分は障害者なのだからいたわれ、気が使えないやつだと母に当たり散らすようになった。
食事を満足にとれなくなった父のアルコールの量は日に日に増えて行き、母に対する暴言もアルコールに比例して増えていった。
このまま数年が過ぎる。
ある日、僕は父が猫を殴りつけるところを目撃した。
幼少期の記憶が僕を引き止めるのを振り払ってやめろ、と言うと殴られた。蹴られた。父の拳にはもう力はなかった。殺してやろうかと思った。しかし、小さな頃から今まで、遊んでもらったり、話をすることも楽しくなかったわけではなかった。父が今まで僕にくれた愛情は本物だ。
殴り返せなかった。父からの愛情が、僕を蹴飛ばした際に裂けた父の足を心配させる。殴られ、蹴られたが父の傷を心配してしまった。なんてダメなやつなんだろう。大好きな猫を守るではなく、矛盾した行動をとる自分が自分で理解が出来なかった。
翌日僕は家を飛び出した。20歳を過ぎたいい大人が家出だ。父を許せないから、ではなく父が怖かったからだ。死ね、と言われたのはさすがに初めてだったからだ。
知り合いの家を転々とし、数週間が過ぎると父から電話があった。謝りたい。と泣きながらの電話だった。
僕は父を殴り飛ばす気で帰宅した。この数週間で気持ちの整理がついたのだ。父は間違っている。僕は正しい。何もいっても僕が正しい。
家のリビングがいた父は、涙を流して謝罪をしてきた。なんて虫のいいやつ、このままぶん殴
ることは出来なかった。父からの涙ながらの謝罪が、僕への愛情を思い出させる。父からの愛情、笑顔、それは本物だ。この人は僕を愛してくれていて、ほんの気の迷いなのだ。
僕は笑顔でさらっと父と和解してしまった。殴れない。こんなクズ。と思うはずなのに殴れない。どうしてだ
家出騒動の数ヶ月後、母がついに逃げた。父の暴力に耐えきれず逃げた。僕は心底父を軽蔑した。が、父からの愛情が邪魔をする
僕も母のようにまた家出し、孤独にさせるという復讐も出来たはずだ。しかし、父は父なのだ。愛情をくれたかけがえのない父を見捨てることは出来ない。
父は連日浴びるように酒を飲むようになった。母は一ヶ月が過ぎても連絡がつかなかった。
僕はこの問題に関して一切関与しなかった。家族のゴタゴタに巻き込まれるのはもうゴメンだと、体に染み付いてしまっているのだ。
そんな中、父が倒れた。医学に関する知識は乏しいので詳しいことは割愛するが、多量のアルコール摂取が影響して肝硬変を引き起こしてしまったらしい。
病院に運ばれた父は生死を彷徨った。手術室の前で医者から最善は尽くしますが、覚悟はしておいて下さい。と言われた。こんなセリフはドラマ以外で聞いたことがない。
このクズ、母に暴力を振るい、酒に溺れ死にかけるなど、自業自得じゃないか。と軽蔑するも、僕は父の容態を本気で心配していた。このまま死んでしまえ、なんて思えない。こんなクズ、死んで欲しくない。この気持ちは自分でも意味がわからない。なんだこれは
深夜と朝の境目頃になると、母の実家に一報が入ったのか、神妙な面持ちで母がやってきた。一ヶ月ぶりの対面だった。
母と僕は無言で手術室の前のソファで待っていた。
大手術だった。日が登り昼になるか、といった頃に医者が出てきた。
なんとか、容態は安定しています。このまま回復するでしょうとのことだった。
涙が止まらなかった。客観的に見ると僕は手術室に乗り込んでメスを奪い止めを刺しても良いぐらいなのだろう。
だが、涙が止まらなかった。生きていてよかった。母の神妙な面持ちは消えることがなかった。
その後、僕は久しぶりに声を交わした母から離婚を検討しているとの旨を聞いた。
しばらく考えた。こんなクズと一緒にいてやることはない。自由になって欲しかった。
答えがでた。僕は母に懇願した。
父を、見捨てないで欲しい。最後のチャンスを与えて欲しい。可哀想な人なんだ。ただ、弱い人なんだ
なんて俺は身勝手な人間なんだろう、母の人生をなんだと思っているんだ。
だが、父は父なのだ。こんな人間、クズだとも思うし、本気で底辺の人間だと思う、ただ、弱いんだ。弱い人なだけなのだ。
母は離婚を取りやめることにした。退院した父は胃に加え肝臓までもが機能しなくなってしまった。
父はそれ以来アルコールを摂取することは無くなった。母とは比較的良好な関係を築けているようだ。
父の傲慢な態度は完全になくなったわけではないが、暴力や暴言は完全に無くなった。
なんか書いてて美談チックになってて気持ちわりい。正直今でも僕は父を軽蔑している。だが、心から憎いわけではないこの複雑な感情はまだ続いている。
(追記、手術の内容について)
あまり医学に詳しく無いので間違っているかもしれないんだけど、肝臓の機能が悪くなったことが影響して静脈瘤というのが破裂して血が止まらなくなったのよ。
父は心臓も悪く血液の流れを良くする?薬を服用しててその副作用として血が全く止まらなくなるみたいで、その血を止めるための手術をしてたわけで肝硬変の治療のための手術じゃないっす。出血っていうと大したこと無さそうだけど比喩じゃなく体の血全部入れ替わったらしい。輸血パックの量見て引いたわ。説明すると見ての通りにくどすぎるんで適当に肝硬変とか書いちゃったゴメンネ
恐らく今回の案件は、女性は「効用がどう高くなるか」が大事なのであり、「金額あたりどの程度の効用が得られるのか?」という視点を持っていないということ。だから、他の選択肢はないでしょう。
着たいドレスによってはもっと安く準備できるかもしれないし、他の手があるかも知れない。
20万ありきというのは、おかしくない?
http://anond.hatelabo.jp/20140508093728
元のスレッドに
とあるように、すでに女性は20万円のお色直しに効用を見いだしている。
ここで「代替案を出す」という提案が男性側から女性側に出せるのか?ということについて考えてみる。
・代替案は、効用をあげるモノなのか、コストパフォーマンスを改善するものなのか
また、代替案をきちんと出せるのか。冠婚葬祭の価格のあり方は超特殊。デジカメなどと違い、売り手と買い手の情報の非対称性が高く、納得がいく代替案を出すのには相当な労力が必要なはず。ドレス選びに時間かける暇があるのなら、もっと披露宴の内容を充実させることに時間をつかったほうがよいよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E9%9D%9E%E5%AF%BE%E7%A7%B0%E6%80%A7
そのパートナーから違うところからドレスを調達してもらうと、「結婚式に真剣に取り組んでくれるかな?」という気持ちになりませんか。
大手術の前に執刀医に心付けを渡す、という価値観が日本にはあります。今回のスレ主のお相手の女性はその価値観を持っている可能性が高い。
違うんだよ。愛情を計っているんだよ。
一生に1度は何回あるか。結婚式だけで終わればいいが、それで終わらなかったら、ジエンド。
まずコレに合意できるか。
できるのなら、
ことを合意する。
お金は女性の望むとおりいくらでも使っていい。ただし!今まで食べていたおいしい外食とか、遊びに行く、とか、予算オーバー分が解消するまで一切我慢する。
でないと永い人生を一緒に歩めないよ、みたいな。
恐らく今回の案件は、女性は「効用がどう高くなるか」が大事なのであり、「金額あたりどの程度の効用が得られるのか?」という視点を持っていないということ。だから、他の選択肢はないでしょう。
着たいドレスによってはもっと安く準備できるかもしれないし、他の手があるかも知れない。
20万ありきというのは、おかしくない?
http://anond.hatelabo.jp/20140508093728
元のスレッドに
とあるように、すでに女性は20万円のお色直しに効用を見いだしている。
ここで「代替案を出す」という提案が男性側から女性側に出せるのか?ということについて考えてみる。
・代替案は、効用をあげるモノなのか、コストパフォーマンスを改善するものなのか
また、代替案をきちんと出せるのか。冠婚葬祭の価格のあり方は超特殊。デジカメなどと違い、売り手と買い手の情報の非対称性が高く、納得がいく代替案を出すのには相当な労力が必要なはず。ドレス選びに時間かける暇があるのなら、もっと披露宴の内容を充実させることに時間をつかったほうがよいよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E9%9D%9E%E5%AF%BE%E7%A7%B0%E6%80%A7
そのパートナーから違うところからドレスを調達してもらうと、「結婚式に真剣に取り組んでくれるかな?」という気持ちになりませんか。
大手術の前に執刀医に心付けを渡す、という価値観が日本にはあります。今回のスレ主のお相手の女性はその価値観を持っている可能性が高い。
違うんだよ。愛情を計っているんだよ。
一生に1度は何回あるか。結婚式だけで終わればいいが、それで終わらなかったら、ジエンド。
まずコレに合意できるか。
できるのなら、
ことを合意する。
お金は女性の望むとおりいくらでも使っていい。ただし!今まで食べていたおいしい外食とか、遊びに行く、とか、予算オーバー分が解消するまで一切我慢する。
でないと永い人生を一緒に歩めないよ、みたいな。
議論元エントリーはこちら。
毎度のことながら、MacとWindowsの論争を見るともんにょりしますね。人類から戦争が途絶えぬ縮図が、ここに。(´ω`)
しかし、最近パソコンをはじめたユーザや、元エントリの増田のような人にとっては、信者の言葉ってワケわかめだと思うんですよ。
そんなわけでMacとWindowsの歴史を、なるべく平易に書いてみました。(´∀`)
歴史を見返して、WindowsとMacの強み弱みを把握すれば、宗教戦争の理解が深まり、自分にピッタリのパソコンが分かるかもしれません。
たぶん。
元増田のエントリーがWindows寄りの結論になっているので、
だれかWindows寄りや、Linux寄りの視点を加筆して下さいな。当エントリの補足・指摘も歓迎します。
既存のUNIX環境向けに制作された、膨大な数のソフトウェアを扱えるのはプログラマにとっては大きな恩恵です。
たとえばWindowsではCygwinを導入する事でC言語開発環境を手に入れる事ができます。ただし、インストールは非常に煩雑で、動作速度も雲泥の差です。
MacはPOSIX互換であり、プログラミング環境のインストール等が簡単です。
FreeBSDやUNIXを過去に使用していた熟練プログラマは、Macに乗り換える事で、過去の資産を有効活用する事ができます。
シェル環境とは、よく映画で、暗い部屋の中、天才プログラマーが真っ黒な画面に流れる奇っ怪な文字列を眺めてる、アレです。
ひらたくいうと、あの文字列ひとつひとつが、コンピュータ内部で行われる処理や通信を意味しています。
LinuxやMacではターミナル、Windowsではコマンドプロンプトなどと呼ばれます。
Windowsには非搭載だが、Linux/UNIX/Macでは標準サポートされているコマンドが多数ありました。
とはいえ、これは過去の話です。現在はWindowsのシェル環境も、だいぶ充実したので、普通に使うには大きな差はありません。
が、歴史的経緯や文献量を比較すると、どうしてもWindowsのシェル環境はUNIX/Macに劣ると考えられています。
四六時中プログラマが目にするのは、文字です。ですからプログラマーは醜いフォントが許せません。
Windowsのフォントレンダリング環境は2014年3月現在も貧弱です。
WindowsVista登場時にメイリオフォントが登場し、ある程度の改善が図られましたが、Macの画面と比較すると大きな差です。
これはMacとWindowsのフォントレンダリングやアンチエイリアスの技術の違いによるものです。
WindowsでもMacTypeなどのソフトウェアを使用して、強制的にフォントのアンチエイリアスを変更する事が可能ですが、残念ながらMacに遠く及びません。
Anti-Grain Geometry - Texts Rasterization Exposures
Xcodeは、非常に優秀なIDEです。特筆すべき利点は、動作が割と軽快で、初期設定の状態でもある程度使い物になる点です。
インストールもAppStoreからワンクリックな為、簡便です。XcodeはMacのみで使用できるソフトウェアです。以前は有料のソフトウェアでしたが、ここ数年は無料で提供されています。
またiOSのソフトウェア開発では、XcodeとMacは必須です。iOSアプリの開発には、Xcodeとそれに付随するシミュレータソフト、そして開発者用アカウントが必要なのです。
Xcodeの弱点は、バージョンアップ時にインターフェースが突如として大幅変更がされる事。またここ数年は英語のみしかサポートされておらず、日本語話者にとっては使いづらいという2点です。
2014年現在は楽曲制作にMacとWindowsの差はありません。しかし、過去にはDTM=Macという暗黙の了解がありました。
特に1980年代、プロユースの音楽制作ソフトの多くがMacintosh対応でした。理由は複数ありますが、そのひとつがPCM音源の発音問題でした。
Macintosh 128K以降すべての機種でPCM音源をサポートしています。これにより同時発音数が多く、Mac向けのDTMソフトウェアが多く開発されました。
それに対してWindowsは16ビット/48KHzのPCM1チャンネルのみで、性能はCPUの能力に依存します。昔のPCはCPUの実行速度は低かった為、音声出力の機能が貧弱でした。
Mac標準搭載のGarageBandと、有料のDTMツールLogicは有名なDTMソフトウェアです。
この2つのソフトはAppStoreから購入できます。互換性もあるため、GarageBandで作曲を覚えた初心者ユーザが、Logicを購入し上級者になるという、非常にスムーズな導線が構築されています。
またLogicは数あるDTMソフトウェアの中でも安価で高機能です。iPadとの連携機能においても、他のツールより頭一つ秀でています。
MacはCoreAudioという、MIDI入出力環境を搭載しています。大変高速に動作する為、追加投資の必要がなく、DTMクリエイターに重宝されています。
Windowsの場合、オーディオドライバを別途用意する必要がある為、投資が必要です。
主に海外製のプラグインではありますが、明らかにMacよりWindowsの方が充実しています。お金をかけずにエフェクトに凝りたい人にとっては、MacよりWindowsの方が良いと言えます。
MacBookProRetinaモデルは、グラフィックデザインの仕事をする者にとっては、福音でした。
特にAdobeInDesign使用時の効果は凄まじいと感じます。紙とディスプレイの1to1の制作環境が構築可能な時代がやってきたと感じます。
さらに当時、MacはPostScriptというAdobeが開発した印刷用言語をサポートしていました。高解像度の印刷を行うには、Macしか選択肢がなかったのです。
その頃の印刷所やデザイン事務所はおのずとMacを導入しました。その歴史がある為、現在もMacの使用が続いています。
スティーブ・ジョブスが学生時代にカリグラフィーを学んだ逸話は有名です。その経験から彼はMacのフォント環境に心血を注ぎました。
現在でもAppleは高いライセンス料を支払い、各種製品にフォントを多数搭載しています。
オーソドックスで美しいセリフ体のTimes、流麗なZapfino、日本語フォントではヒラギノなど、様々な良質フォントが搭載されています。フォントを買い足さなくても、ある程度のグラフィックデザイン制作が可能です。
反面、2014年3月現在Windowsで安定して使えるフォントは、字游工房の2書体のみです。メイリオは画面表示時に使うフォントなので、DTPでは活用されにくいです。
2005年頃、出版業界はQuarkXPressからAdobeIndesignに乗り換えました。しかし、それ以前は出版用ソフトウェアはQuarkXPressが業界標準でした。
このソフトは、Macでしか対応していませんでした。QuarkXPressは、64bit対応やOSX対応が遅れため急速にシェアを落としました。
現在はAdobeIndesignが業界標準で、これはMacもWindowsも両方で使用可能です。
しかし、QuarkXPress時代から活動しているブックデザイナーやエディトリアルデザイナーにとっては、Macの方が慣れ親しんでいるでしょう。
1980年代のパソコンは、表示できる色数に制限がありました。Macintoshは安価な割に発色の性能に優れた時代がありました。
コンピュータ・グラフィックは数多のPCメーカが多額の資金を費やし研究開発した歴史があります。
一時代だけを抜き取って「Macのグラフィックが優れていた」なんて書くと、多くのツッコミが入ると思います。
とはいえ、Macは早くからキャリブレーションの機能を充実させてきた為、色管理の強さという点において、多くのデザイナーやイラストレータから支持を受けた事は、特筆に値すると思います。
問答無用で、Windows一択。PC改造を続け、最新のグラフィックを追い求めたゲームマニアは、10年前に比べると少なくなりました。
しかし、彼らのPCがMacである事など、ありえません。
最近はAdobeFlashが盛り返しを見せていますが、ブラウザゲーム市場を除けばMacを使用するメリットは薄いと考えられます。
一方、Linuxベースのメディア配信サービスSteamOSの今後の発展に期待したいところです。Steamではアマチュアからプロまで幅広いゲームクリエイターが自作のゲームを販売しています。
Windows圧勝。MicrosoftOfficeをはじめ、Windowsの方が対応ソフトが多いです。
特に会計ソフト類は、Macは壊滅的であります。また、言わずもがなですが、BtoBの業務系ソフトウェアはWindows特化のものが大半です。
とはいえ、LibreOfficeやOpenOffice.orgを使用して業務を進める団体もあります。福島県会津若松市とか、滋賀県甲賀市などがそうです。(LibreOffice採用事例)
そういえばVer4.2でCalcを大手術したLibreOffice。もうそろそろC++完全移管が完了します。
高速化が施され、今以上にチューニングされれば、Windowsの牙城に一矢報いるかもしれません。
ちなみに私は、ChromeOSとGoogleDriveが搭載されたChromeBookが、MicrosoftOffice一強状態を打ち崩すと予測しています。
あとJustSystemの一太郎も頑張ってほしい。Just do it!!
以上、チラ裏でした。
現実問題、iOSとiTunesの同期はWindowsでも可能です。しかし「持ってる携帯電話がiPhoneだから」と言う理由でMac買う人は多いです。
そりゃiTunesとiTunesStoreを使っているなら、Macに毒されてしまいますよね。
そういえばWindowsMediaPlayderが残念だった時代に、シェアを伸ばしたのがiTunesでした。音楽を愛するユーザの支持を集めた時代があった。と言っても過言ではないと思います。
使い勝手に優れます。これが理由でMacを使う人もいます。WindowsやLinux環境で、同様の使い勝手を得られるマウス・ガジェットは、2014年3月現在存在しません。
MacProではThunderboltを大量に備えています。これは今後普及する4K映像制作において活躍すると考えられます。ただ、普通に使うぶんにはThunderboltは恩恵を受けにくいと考えられますが。
これはMacに搭載された自動バックアップ機能です。Windows8にも同様の機能があるが、インターフェースの使いやすさと、設定の簡易さではMacが勝ります。
Macはクリーンインストール後に、自分のAppleIDを認証すると、最新版まで自動アップグレードを行います。
クリーンインストール後、1回の再起動で、ほぼすべてのアップデータが揃った状態になります。
WindowsUpdateの何回も繰り返さざるを得ない面倒アップデート作業に比べると、Macは楽ちんです。
ネットワークにつながった状態でリカバリを行った際、HDDが論理的に破損していても、自動で復元してくれます。というか、いつ切り替わったのか分からないレベルの自然さで勝手に復元を始めます。そう、Macならね!!
Appleの修理は迅速な印象があります。今まで5回修理に出しましたが、いつも4日程度で返送されてきます。あとまぁ、Appleサポートはごねると得をする事が多い……ような感じがします。(一個人の印象です)
Windows8タッチパネル型は画面が揺れるので、使いづらい機種が散見される(2014年3月現在)。画面を固定しながら操作できる補助道具や、ロック式のヒンジが必要だと思うのですが、まだ普及していません。
あと、SurfacePro2が店頭で買えない状況が数ヶ月続いているので、そりゃあMacに流れるのでは。(なんか、今日のニュースで久々にSurfaceが入荷されたらしいです)
スペック対価格を比較すると、CPUやメモリやらのコストパフォーマンスが悪くない、と思います。
10年前は「Macは高くつく」という印象だったものが、ここ5年で「Macって割安」という印象に変換したと記憶しています。
一昔前に比べ、自作PCの価格的メリットが薄れたから、そのように感じるんですかね。
美品なら、「だいたいこの値段で売れる」という土壌が形成されている。大幅な値崩れも少ない。新製品発表ごとに旧機種を売って、新機種に乗り換えても、損した感が少ない。
要するに、値崩れしにくい。ポジティブに受け取ると、欲しいと思った時が買い時。
SurfaceRTのように意味の分からない価格暴落が起きる心配がないですね。人によっては、安心と言えるかもしれません。
何をもって"無駄"と判断するか、非常に難しい論点ではありますが。
へんてこなアザラシのマスコットがデスクトップを泳ぎ出したり、なんとも言えないモッサリ感の明るさ調整ソフトが突如画面に出現したり。なんて事はありません。
ある時期、ある特定の界隈にて、「Macが優れる」とか「いや、Windowsがコスパが高い」なり「Linuxが一番」とか、
マァ、乱暴な言い方をすると、それぞれのムラの中で熱狂と共にコミュニティが形成されて、宗教と信者ができあがると思うんですよ。
しかし進化の早いIT業界では、一昔前の利点が追い抜かされるなんて、日常茶飯事。
だから今から見ると、信者の言葉や、その感動が伝わらない。なんて事、よくあると思います。
ジョブスも、死んだし。
とはいえ、日常生活の中で、目を輝かせてOSのすごさを語る信者とか、逆に必要以上に貶す反信者を目にしたら、
生暖かい目で「ああ、このオジサンが若い頃、こういうのが流行ったんだナァ」とか
「ああ、昔、あのOSに苦労したんだネェ」などと、受け流してあげるのが正解だと思います。
そういう時代が、あったんだ。……と。
しつこい宗教や信者は、裏返せば、その人が感動した記憶なのでしょう。
このエントリを読んだあなたが、何かの道具に感激し、愛すべきツールを誇り、誰かにしつこく薦めるようになるのを、楽しみにしています。
ツッコミ、指摘、Welcome。
だれかWindows寄りや、Linux寄りの視点を加筆して下さいな。
記事執筆時点リリースされている最新のOSバージョンはWindows8.1、Mac10.9Mavericks、LinuxKernel3.13です。
最近、まとまった形式でWindowsとMacの優劣や、歴史を比較したエントリーって少ない印象があります。
だいたいがTwitterやまとめブログで、薄っすい単文コメント……(´・ω・`)
がっつり読み応えのある論評にお目にかかりたいものです。
最後になりますが、ちなみに私はLinuxユーザです。(・∀・)
ではみなさま、どうか、ご安全に。( ̄人 ̄)ノ
私(仮にA子)は職場の仲良し三人組でルームシェアをしている。
ある日、ルームメイトの一人(仮にB子)が、夜中に急にけいれんを起こした。
私ともう一人(仮にC子)で119番し、救急病院へ運び込んだ。
診察もそこそこにB子は処置室へと連れて行かれた。
私達はしばらく待合室みたいな所に連れて行かれ、そこでB子の回復を祈っていた。
B子は去年の秋に大病を患い、大手術の末かろうじて危機を脱した。
ずいぶん回復してきたと油断していたのがいけなかったのだろうか。
夕食に食べさせてはまずい物でも入っていたのだろうか。
それとも手術の時にミスでもあったのだろうか。
頭の中でいろんな思いが渦巻いてた。
そうこうしてる間にも、ひっきりなしに患者が運び込まれてくる。
風邪で高熱を出した子供とか、交通事故とか、ケンカらしい血まみれの人とか。
悲鳴や鳴き声、怒号が渦巻くそこは、まるで戦場の野戦病院みたいだった。
こんな時と場所ではさすがにバカ話をするのもはばかられる感じで、
どれほどの時間がたったのか。不意に「すいません」と声をかけられた。
いつの間にか待ちくたびれて眠り込んでいたらしい。
「あの、おねえちゃんと…B子さんといっしょに住んでいらっしゃる方ですよね」
「…そうですけど?」
「おねえちゃんがこちらに入院したと聞いて駆けつけてきたんです。
でも病棟のナースの人に聞いても、そんな人はいないって言われて…」
そのまま彼女は俯いてしまった。少し泣いていたようにも思えた。
「B子なら今はこっちの処置室で治療中なんです。だからまだ入院扱いじゃないのかも」
「それじゃあ、その処置室というのは?」
「あの辺り、だと思います」
彼女は私が指を指した方に顔を向け、それからもう一度私に向き直ると
「わかりました。どうもありがとうございました」と深々とお辞儀をした。
そしてそのままそちらへと歩きはじめる。
そこでようやく私はおかしな事に気づいた。
あれほど満員状態だった待合室に、まったく人の姿がない。
回りを見渡しても、ルームメイトのC子の姿さえ見当たらないのだ。
「あの、ちょっと……!」
あまりの異様な感じにとっさに彼女に声をかけたが、次の言葉が出てこない。
今来たばかりらしい彼女に事情を問いただしたところで、答えが返ってくるとも思えないし。
だけど彼女は私の声に反応して、くるりと振り返り、こう言ったのだ。
とても悲しそうな笑顔だった。
そう叫んで立ち上がろうとした瞬間、世界が暗転した。
「大丈夫ですか、A子さん」
怪訝そうな表情を浮かべて私の事をのぞき込んでいたのはC子だった。
盛大にぶつけたらしい痛む身体をさすりながら、そんなバカな、
と思い辺りをもう一度見まわした。
最初に来た頃よりは多少人数は減っていたが、相変わらずの込み具合だった。
少なくとも人っ子ひとりいない、という感じではない。
ふと時計を見ると、午前5時45分を少し回った頃だった。
それから少しして、B子が自分の足で処置室から姿をあらわした。
多分寝ぼけてたんだろう。それに確かB子はひとりっ子だと聞いてたし。
その時の私はそう思っていた。
タクシーで自宅に戻り、B子を休ませてから、C子と交代で仮眠を取った。
幸いB子の顔色も夜にはすっかり元通りになり、
昨夜の騒ぎも何かの冗談のように感じられた。
軽めの夕食を取り始めた頃、B子の携帯が鳴った。彼女の田舎のお母さんからだった。
しばらく話してるうちにみるみるB子の顔色が変わり、
とっさにB子をC子に預けて携帯を代わり、お母さんに
「差し支えなければ、今どんな話をしたのか聞かせてほしい」とお願いした。
それはとても信じられないような内容だった。
実はお母さんも昨夜から胸騒ぎがして、なかなか寝付けなかったそうだ。
そして明け方近くに目をさますと、若い女性が枕元に立っていて、
「おねえちゃんはもう大丈夫ですよ」
と告げて姿を消したのだという。
最初は夢だと思っていたのだが、どうしても気になるので電話したのだそうだ。
「見当違いかもしれないのですが…」とお母さんは前置きしたうえで、
以前、彼女とそのご家族が、神戸に住んでいたことは聞いていた。
その頃近所にB子の事を「おねえちゃん」と呼んで懐いていた少女がいたのだと。
だが18年前の今日以来、音信不通になってしまったのだという。
あの、阪神大震災で。
ただの偶然だったのかもしれない。
たまたま似たような夢を観させただけなのかもしれない。
だけど真実がどうかなんて、実はどうでもいい気がするのだ。
ここ何日か不安定だったB子は、以来人が変わったように明るくなった。
実は3人のうち一番のスタイルで、人一倍身体のケアやダイエットに余念がなかった彼女は、
大手術の傷痕を鏡で見るたびに、いっそ死ねばよかったと思い始めていたらしい。
だが今回の一件で、辛い事も、苦しい事も、生きていればこそだと考え直したそうだ。
たとえ夢でも幻覚でも、彼女がもう一度生きたいと思ってくれた。
それだけで充分だと、私は思ってる。