私(仮にA子)は職場の仲良し三人組でルームシェアをしている。
ある日、ルームメイトの一人(仮にB子)が、夜中に急にけいれんを起こした。
私ともう一人(仮にC子)で119番し、救急病院へ運び込んだ。
診察もそこそこにB子は処置室へと連れて行かれた。
私達はしばらく待合室みたいな所に連れて行かれ、そこでB子の回復を祈っていた。
B子は去年の秋に大病を患い、大手術の末かろうじて危機を脱した。
ずいぶん回復してきたと油断していたのがいけなかったのだろうか。
夕食に食べさせてはまずい物でも入っていたのだろうか。
それとも手術の時にミスでもあったのだろうか。
頭の中でいろんな思いが渦巻いてた。
そうこうしてる間にも、ひっきりなしに患者が運び込まれてくる。
風邪で高熱を出した子供とか、交通事故とか、ケンカらしい血まみれの人とか。
悲鳴や鳴き声、怒号が渦巻くそこは、まるで戦場の野戦病院みたいだった。
こんな時と場所ではさすがにバカ話をするのもはばかられる感じで、
どれほどの時間がたったのか。不意に「すいません」と声をかけられた。
いつの間にか待ちくたびれて眠り込んでいたらしい。
「あの、おねえちゃんと…B子さんといっしょに住んでいらっしゃる方ですよね」
「…そうですけど?」
「おねえちゃんがこちらに入院したと聞いて駆けつけてきたんです。
でも病棟のナースの人に聞いても、そんな人はいないって言われて…」
そのまま彼女は俯いてしまった。少し泣いていたようにも思えた。
「B子なら今はこっちの処置室で治療中なんです。だからまだ入院扱いじゃないのかも」
「それじゃあ、その処置室というのは?」
「あの辺り、だと思います」
彼女は私が指を指した方に顔を向け、それからもう一度私に向き直ると
「わかりました。どうもありがとうございました」と深々とお辞儀をした。
そしてそのままそちらへと歩きはじめる。
そこでようやく私はおかしな事に気づいた。
あれほど満員状態だった待合室に、まったく人の姿がない。
回りを見渡しても、ルームメイトのC子の姿さえ見当たらないのだ。
「あの、ちょっと……!」
あまりの異様な感じにとっさに彼女に声をかけたが、次の言葉が出てこない。
今来たばかりらしい彼女に事情を問いただしたところで、答えが返ってくるとも思えないし。
だけど彼女は私の声に反応して、くるりと振り返り、こう言ったのだ。
とても悲しそうな笑顔だった。
そう叫んで立ち上がろうとした瞬間、世界が暗転した。
「大丈夫ですか、A子さん」
怪訝そうな表情を浮かべて私の事をのぞき込んでいたのはC子だった。
盛大にぶつけたらしい痛む身体をさすりながら、そんなバカな、
と思い辺りをもう一度見まわした。
最初に来た頃よりは多少人数は減っていたが、相変わらずの込み具合だった。
少なくとも人っ子ひとりいない、という感じではない。
ふと時計を見ると、午前5時45分を少し回った頃だった。
それから少しして、B子が自分の足で処置室から姿をあらわした。
多分寝ぼけてたんだろう。それに確かB子はひとりっ子だと聞いてたし。
その時の私はそう思っていた。
タクシーで自宅に戻り、B子を休ませてから、C子と交代で仮眠を取った。
幸いB子の顔色も夜にはすっかり元通りになり、
昨夜の騒ぎも何かの冗談のように感じられた。
軽めの夕食を取り始めた頃、B子の携帯が鳴った。彼女の田舎のお母さんからだった。
しばらく話してるうちにみるみるB子の顔色が変わり、
とっさにB子をC子に預けて携帯を代わり、お母さんに
「差し支えなければ、今どんな話をしたのか聞かせてほしい」とお願いした。
それはとても信じられないような内容だった。
実はお母さんも昨夜から胸騒ぎがして、なかなか寝付けなかったそうだ。
そして明け方近くに目をさますと、若い女性が枕元に立っていて、
「おねえちゃんはもう大丈夫ですよ」
と告げて姿を消したのだという。
最初は夢だと思っていたのだが、どうしても気になるので電話したのだそうだ。
「見当違いかもしれないのですが…」とお母さんは前置きしたうえで、
以前、彼女とそのご家族が、神戸に住んでいたことは聞いていた。
その頃近所にB子の事を「おねえちゃん」と呼んで懐いていた少女がいたのだと。
だが18年前の今日以来、音信不通になってしまったのだという。
あの、阪神大震災で。
ただの偶然だったのかもしれない。
たまたま似たような夢を観させただけなのかもしれない。
だけど真実がどうかなんて、実はどうでもいい気がするのだ。
ここ何日か不安定だったB子は、以来人が変わったように明るくなった。
実は3人のうち一番のスタイルで、人一倍身体のケアやダイエットに余念がなかった彼女は、
大手術の傷痕を鏡で見るたびに、いっそ死ねばよかったと思い始めていたらしい。
だが今回の一件で、辛い事も、苦しい事も、生きていればこそだと考え直したそうだ。
たとえ夢でも幻覚でも、彼女がもう一度生きたいと思ってくれた。
それだけで充分だと、私は思ってる。