はてなキーワード: テレビ番組とは
彼は2012年から2018年までジャニーズJr.としてジャニーズ事務所に所属していた前田航気という青年である。
「7MEN侍」というジャニーズJr.内のユニットのメンバーでもあり、テレビ番組出演やアイドル雑誌に載ったことも何度もある、レッスンに2〜3度出入りしてバックレたような有象無象ではない、言わばバリバリジャニーズJr.として本格的に活動していた人物だ。
その彼が、海外メディアのインタビューにこのように答えている。
「ジャニー喜多川氏によるアイドルの虐待について言えば、彼は同性愛者であり、ジャニーズJr.の何人かは、彼(ジャニー氏)がデビューメンバーに関する決定権を持っていたので、彼と性的関係を持ちたいと思っていました。
これが虐待と見なされるかどうかはわかりませんが、ジャニーズJr.と喜多川氏の間に性交があったことは確かです。」
ジャニー喜多川による所属タレントへの同性愛行為は、週刊文春により報道され、ジャニーズ側は名誉毀損として民事訴訟を起こし、その過程で2004年に裁判所によって事実認定されている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジャニー喜多川
このようなグロテスクな背景をもつ事務所のアイドルを何故ジャニヲタたちは平気で応援しているのか?と疑問に思っていた人々も少なくなかろう。
私は、その理由の一つとして、これまでの告発が60年代から80年代を舞台とした「遠い昔の出来事」で、ピンときていなかったのではないかと思う。
SMAP以降のグループのファンになった多くのジャニヲタにしてみれば、ジャニーズアイドルが虐待を…と聞いても、登場人物は懐かし映像でたまに出るか出ないかくらいの芸能人で、さっぱり実感が無かったはずだ。
ジャニー氏が高齢であることから「さすがに今はそんなことはないでしょ」という気持ちもあったのではないか。
また、これまでの告発当事者が、家出同然にジャニーズ事務所に転がり込み、芸能界で翻弄され半ば身を持ち崩してから暴露本で「半生を語る」という形式で告白していたため、金銭目当てにゴシップを吹聴しているように受け止めていた部分もあるであろう(https://www.cyzo.com/2019/08/post_212091_entry.html)。
しかし、前田航気氏の証言が事実ならば、つい10年以内のごく最近まで、ジャニー氏が80歳を過ぎてからも、デビューを夢見る少年と経営者というパワーバランスの中で性行為が行われていたということである。
また、前田氏は実名顔出しでインタビューに答えており、Twitterアカウントも持っている。
有名私大からアメリカでのインターンを経て一般企業に就職が決まっていることをツイートしており、金銭や売名目的とも考えづらいだろう。
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。
あのさ、これは環境問題に対する「一つの手段」だろ、どう考えても
何か災害が起きてテレビ番組が寄付を呼び掛けた時に「寄付するカネなんてない俺も番組を見てるのに寄付を呼び掛けるな」って言うか?
いつも昼飯で買ってるパンをくまモンのパンにするとかでいいんだよお前は それも買えないのなら被災者の無事を祈って終わりでいい、そんなお前を誰も責めはしない
遊びの花形は「戦いごっこ」だったし、みるテレビ番組、読む漫画、大抵なにかしらの形で戦ってる
そりゃ社会構造とかジェンダー意識の影響もゼロじゃないんだろうし、戦いが好きじゃない男や戦いが好きな女がいるのも事実だろう
でも全体として、傾向として「男が戦いを好む」のは確かだと思うんすよ
で、今の社会はどうか もう全然戦う必要がなくなっている 殺し合いどころか、パンチ1発で刑務所行きが見えてくる 戦う機会は全然ない
本能的に戦いたい性別にとって、社会全体が巨大な抑圧構造なんじゃねえかという気がするんだよな
女が何をしたいのかは知らん 知らんけど、少なくとも戦いよりは平和的で生産的で、現代にやってても文句言われないようなことなんじゃないかと思う コミュニケーションとかかもしれない
つまり、現代社会ってあれなんすよ 女は本能的にやりたいことと社会に求められることがある程度一致している 平和な村で手芸とかコミュニケーションとかをやっていたノリで行けばよろしい
男は違う もう狩りもクソも無くなっていて、男らしさは全部有害でクソということになりつつある やりたいことをやると捕まるので、なんとか抑えていかにゃならん
悲しいことな気がするんだよな かといって狩猟採集社会に戻そうとかみんなで殺し合おうってわけにもいかない
女の勝ちだなあと思う
そろそろYouTubeで邦楽流しながら仕事するの飽きてきたんじゃないか? ぜひチャイニーズポップ (C-POP) 聴いてほしい。中国語は日本語と全然違うけど、曲の雰囲気はなんとなく似ている。そして輸入K-POPみたいにダンスダンスしていないので (もちろんそういうのもある)、BGMとして大変よい。
この記事では有名歌手が多い台湾・香港・シンガポールに焦点を当てて、暴力的に絞った8人/グループを紹介する。知名度が高く、かつあまり古すぎないものを選んだら2000年代あたりの楽曲ばかりになった。
注: これを書き上げてから、同じことをやっているブログ記事を見つけた。
なかなか選曲がいいのでぜひ参照されたい。 (被りまくった...。)
日本ではジェイ・チョウと呼ばれている。英語名をカタカナ表記にするとダサいという信念があるので中国名で呼ばせてほしい。周杰倫は台湾の歌手で、2000年にデビューして以来ずっと死ぬほど売れてる。ある時期から身体を鍛え始めて、MVで肉体を見せがち。
有名曲はたくさんあるが、七里香は日本をイメージした曲ということでピックアップした。周杰倫は伝統楽器を入れたりして中国っぽいメロディーになっている楽曲がいくつかある。
その他: 『髮如雪』『東風破』『青花瓷』(今は知らないが、中国東方航空の着陸後BGMとして採用されてた)
中華圏で最も有名なバンド (異論は認める)。台湾のバンドで、日本でいうとミスチルみたいなポジション。初期の曲は中高生に刺さる雰囲気だったが、最近はメンバーがおっさんになって落ち着いてきた。日本ではメイデイと呼ばれていて、来日してライブしたりもしてるらしい。五月天の曲は伸びがあって気持ちいいのが多い。
失恋してから音沙汰なかったのに、急に便りを聞いてまた恋しくなっちゃったよ、という曲。こういう内容ホントに多い。たぶんC-POPの8割はこれ (言い過ぎ)。
その他:『洋葱』『温柔』『後來的我們』
シンガポール出身の歌手。中国人的には決して見た目がいいわけではないらしいが、それでもバカ売れするくらい作曲と歌がうまい。高音が神がかってる。
MVがやたら凝ってるという点でこの曲を選んだ (曲は3:30くらいから始まる)。残念ながら人生にIfはないという内容の歌である。好きな人がいたけど告白できずに後悔するって話。このパターンもC-POPに非常に多い。そういう美学があるらしい。
その他: 『小酒窩』『修煉愛情』『Twilight』
台湾の原住民族をルーツに持つ女性シンガー。ハスキーボイス。歌はうまいがしゃべるとやかましい、たぶん前世は倖田來未。前の3人より登場が古くて、ここ数年は曲を出してるイメージがない。
張惠妹の一番の代表曲といえば『聽海』という気もするが、最近中華食品スーパーに行ったときに流れていたこの曲にした。邦楽で似ているのを聴いたことがあるような気がするけど思い出せない。
その他: 『聽海』『我可以抱你嗎』『如果你也聽説』
厳密に言うと北京出身なのだが、歌を出していたのは香港ということで、ここで紹介する。一世代前の歌手かな。でも老若男女知らない人はいない。2年前春節特別番組 (紅白歌合戦的なやつ) に出演した際の衣装に似たゴム手袋がネットショップで爆売れするくらいのスター (画像リンク)。ファイナルファンタジーVIIIの主題歌である『Eyes On Me』を歌っていた人として日本では知られているかもしれない。
ザ・代表曲。歌詞も美しい。作詞を担当した林夕も非常に有名。(上の『我最親愛的』でも作詞を担当。)
その他: 『我愿意』『因為愛情』『匆匆那年』(持ち歌ではないけど: 『傳奇』『歲月』) (日本語カバー曲だけど 『Valentine's Radio』)
香港の歌がうまいおじさん。C-POPに回顧して傷心する系の曲の大家である。とにかく哀愁があってよい。王菲とデュエットした『因為愛情』は名曲。
その名の通り失恋の歌である。作曲作詞は周杰倫。天才かよ...。この曲は『非誠勿擾』という人気お見合いテレビ番組で、男性ゲストが女性全員にフられて退場する場面で使われていた。そういうシチュエーションでこの曲を流すとウケると思うのでぜひ試してほしい。
その他: 『十年』『好久不見』『我們』
顔に歳が出ない系の人。安達祐実やYUKIが食べたのと同じ悪魔の実みたいなのをたぶん食べてる。この人はソングライターではなくて、プロデュースされたものを歌うスタイル。曲調とかアレンジとかにJ-POP感がある。僕の中では大塚愛的なポジション。
珍しく失恋でも何かを後悔する曲でもない、希望にあふれる何か。お気づきかもしれないが、歌詞の繰り返しがとても多い。AメロとかBメロの歌詞も平気で繰り返す。これこそ中国語曲の特徴で、カラオケで歌うと特にわかり味が深い (光良の『童話』とか)。最近の歌詞はそうでもないらしい?
その他: 『欧若拉』『遺失的美好』『淋雨一直走』
台湾の女性歌手。代表曲はKiroroの『未来へ』のカバー曲という、Winkみたいな存在である。無表情で踊ったりはしない。この人は別に最近売れているというわけではないが、日本人に馴染みのある曲を歌っているということで紹介。
Kiroro『未来へ』のカバー。歌詞中の「ほら」に当てられている後來 (Houlai; ほうらい) という中国語は未来という意味で、これを思いついた作詞者は助走をつけてガッツポーズしたに違いない。ちなみに曲のテーマは当然、失恋だ。
その他: 『很愛很愛你』『為愛痴狂』『成全』(林宥嘉によるカバーが良すぎるので聴いてほしい)
本当は曲ごとにリンクを貼りたかったが、スパムフィルター的なものに引っかかるらしくできなかった。がんばって検索してください。
オッサンのオッサンによるオッサンのためのテレビ番組が不快っていう、ただの愚痴。
自分の会社の食堂。どんなチャンネルが流れてても、オッサンが後から民放の情報番組に変える。
仕事しに来てるんだからニュースを見るべきだ、的な考えらしいけど。オッサンのお好みは、同じ世代のオッサン達が毎日飽きもせず「どこどこでは新規感染者が何人です」って繰り返すくらいしか能の無い番組。
わざわざ毎回新しく大きなボードを作り、それを読み上げてるけどさぁ…数字を追うだけなら各々自分でやってるんだよなーっていう。
オッサン達自身が大仰なリアクションで800人超えの新規感染者が出てる!って伝えてる都内で。わざわざ外に出るリスクを抱えてまでスタジオに集まって、公共の電波に乗せなきゃいけない程の内容なのかしらね?それは。
そもそも、ソースとして用意した資料を読み違えて北海道の人口をあり得ない数字で流しちゃったりするところから見ても、番組自体の信憑性とか信頼性は疑わしいしさ。
今日もイベントを中止にしないから若者が動いちゃうのでイベントは中止すべきだのなんだの……他人の立場や生活なんか一切考えない適当な案を出して、責任とれんのかよアンタら。
ぜーーーんぶ若者や自分たちの生活に関係ないもののせいにするのは、オッサン達にはさぞウケが良いだろうがな。
食堂っていう、どうしても利用するしかない場所に大音量で(←オッサンって耳遠いからな)テレビから流れてくる、自分たちへの文句を強制的に聞かされてる若者の立場にもなってくれねーかな…。
まず思ったことと言えば『面倒くさい界隈だろうからどれだけ刀が好きでもゲームでキャラが気に入っても関わらないようにしよう』である。
私は例の刀鍛冶さんの記事をYahooで見かけその後、『刀剣女子』というワードがTwitterのトレンドに入っていたのを見て炎上しているのを知った人間だ。
記事自体は誰かを貶すような表現などはまったくなく、むしろ刀剣女子と呼ばれる人に対しても好意的に書かれていたと思う。少なくとも私はそのように捉えている。しかし炎上は起きてしまった。
炎上した理由が複数あり人によって怒っている理由も怒りの矛先もバラバラだが1つ大きな理由を上げれば『記事に書かれていない内容を深読みした人間がいてTwitterで大げさにつぶやいてしまった』ことであると思う。ちなみにそのツイートはこの日記を書くころにはすでに削除されていた。
歪曲されたツイートはかなり伸びていた。誤った内容は広まり刀鍛冶の方が責められてしまったのだ。私はその様子を見ていたが正直かなり恐ろしかった。元記事も読まずツイートだけで叩かれてしまうのはかなり理不尽だ。私にも言えることかもしれないが、批判するならしっかり相手の動画のスタンスや記事を理解しなければいけないのではないだろうか。
あと個人的に目についたのは刀剣女子という言葉に対しての異常なまでの拒絶である。
私自身女性であり気にはならなかったが、確かに刀剣女子という言葉がジェンダーに配慮していないという点で嫌な人がいるのかもしれない。しかし数年前には流行語にもなった言葉であるので一般的に使われていてもおかしくはないと思う。
嫌いな言葉が出てきたというだけですべてを拒絶してしまうのは非常にもったいない気がする。
最後に気になったことは私達はこんなに貢献してきたのに!と怒っている人たちである。
コンビニやテレビ番組の募金ですべての人を救えないのと一緒で業界全体を潤すには時間もお金もかなりかかると思う。確かにお金の寄付などを行うことはとても素晴らしいことだが、だからといってその業界の人間が話す現実を否定するのはおかしいと思う。その人にとってはそれが現実であるというのは変わらないのである。
そして寄付をしたという事実を誇りに思うの素敵なことだと思うが、それを武器にして刀鍛冶の方にぶつけてしまうのはいかがなものか。私にはクレーマーと変わらないように見えた。
あの記事を読んでそういう分野も楽しそうだと最初は思ったのだ。ゲームを見てみたらキャラもかっこよくてボイスもいいしアニメも面白そうだとも。私自身、居合などを嗜んでいたので刀にも興味があったし話題になっていたので時間が空いたら実写映画とかも見てみようと少し浮かれていた。
けれど今回の炎上をみて上がっていたテンションが下がってしまった。あれほど繊細で言葉に気をつけなければいけない界隈だとは思っていなかったのである。
はいどーも。
実用的な電気自動車を初めて見たのは、鉄腕ダッシュだった。ダイハツのハイジェットを改造したソーラーカーだん吉号で、TOKIOのメンバーが日本を一周していた。テレビ番組なので、話半分でみないといけないけど、太陽光で充電して、短い航続距離をカバーしながら走っていた。
で、こいつは、今なら、三菱のミニキャブミーブを買うとご家庭でも真似ができる。軽自動車の電気自動車があればとか言っているブクマカが多いけど、ミニキャブミーブを買えば、軽自動車で電気自動車ライフを送ることができる。
さらにいえば、アマゾンあたりでソーラーパネルと変換器を買えば、だん吉号のようにソーラーパネルで充電することもできてしまう。20年前のテレビの企画はご家庭でできるところまで技術革新が進んでいるのだった。残念ながら、乗用タイプのアイミーブはディスコンになってしまった。
ミニキャブミーブの実力はというと、航続距離は150㎞。片道10kmくらいの通勤を5日くらいにはギリ耐えるかなといったところだ。お値段は、2,431,000円也。三菱の充電会員になると1500円/月で充電し放題になる。中古は航続距離が4/5くらいになるが、80万くらいからある。
充電インフラと航続距離がなんとかなれば、軽自動車で電気自動車は、すでにすぐそこまできている。
以上のことを書いていたら、中国のホンダから HR-V(日本名ベゼル)の電気自動車タイプが発表されたようだ。航続距離480㎞、価格が240万円くらい。現実解に近づいてきたもよう。
価格、航続距離、充電インフラがバランスすれば、電気自動車へ一気に傾くタイミングがきてもおかしくないのかもしれない。
ではではー。
観覧車の中で仕事をすると楽しいって何かラジオで誰かがしゃべってるのをチラッと聞いたんだけど、
実際やってみたらやってみたで楽しいかも知れないし
何かは捗るかも知れないし、
あれって、
観覧車料金って1周ごとの精算になるのかしら?
だあとすると、
5周セットとか10周セットみたいな回数券があると、
観覧車で仕事したい人もお得にチケット買えるんじゃないって思うけど、
そこが問題なのよね。
そもそもとして観覧車にずっと乗っていてもいいものかしら?の従量制課金でしょ?
回ったら回った分だけ運賃払わなくちゃいけないわけで、
だとするとやっぱり5周パックや10周パックも
そうなると
あとWi-Fiさえ繋げれば、
そう思うけど
都会のサラリーマン達が通うところの大都会の中心で相変わらず叫べそうなほど、
そんな都合のいい観覧車ってないわよね。
そうなると、
結構新たなビジネスチャンスとして観覧車作ってビジネス用!って謳えば
物書きも捗りそうよ。
1周だいたい何分かは観覧車によるだろうけど、
恐怖の観覧車!って触れ込みで出てきて紹介される高速回転の観覧車ではあんなの仕事で来っこないわよね。
エクストリーム出社とかってのもあるなら、
そう言った意味でデンジェラスなエクストリーム観覧車仕事捗りサラリーマンも
うふふ。
カブが安かったので買ってみたけど、
あんまり美味しいとは言えないぐらいなのかどうかは分からないわ。
まあとりあえず、
と言うのがとりあえずの結論ね。
ないかしらデトックスウォーターには向いているのかも知れないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20201206124933
この方、体が大きいにも関わらず、人とぶつからないための努力を続けていてえらいなって思いました。
かくいう自分も、体はそんなに大きくないながら人混みでよく人にぶつけられる人でした。
こちらが頑張って避けようとしても相手に避ける気持ちがなければ解決しないだろ!と何度も心が折れそうになりました。
そんなあるとき、なにかのテレビ番組だったと思うのですが、そこで目からうろこの回避方法が紹介されていました。(ソースを検索したけど見つけられませんでした。)
半信半疑ながら、ダメ元、わらでも掴む思いで実践してみたところ効果てきめん。
結論から書くと、その方法とは、「自分で行きたい方向の一点を見つめて歩く」です。(※追記 目線だけより、顔ごとその方向に向けるとより効果的です。)
皆さんの議論を整理すると、人混みを歩く上での分類は以下のようにされています。
「わざとぶつかってくる人」
「避けない人」
「頑張って避ける人」
そこに、もう一つ分類を加えてほしいのが「避けたいけどどうしていいかわからなくなる人」
そして、自分はそこに分類される人でした。
なぜそのようなことが起こるかというと、その一番の理由が増田に指摘がありました。
そうです。
目があっているからです。
逆じゃないの?って思うかもしれません。
違うんです。逆じゃないんです。
なぜなら、お互いの視線が合っているということは、お互いがどちらに進むかの予測ができない状態になってしまっているからなんです。
その結果、お互いが気づいているにも関わらず、避けられないという事態が発生します。
自分は避けようとしていたのに相手が避けなかったと、お互いが考えてしまう原因にもなります。
そのテレビ番組では、人同士がすれ違おうとするときに、同じ方向に何度も避けてしまう状況を回避する手段としてまず紹介されました。
実験で、お互いの目を見たまますれ違おうとすると、先程述べたとおり、何度も同じ方向に避けるということが起こりました。
その次に、どちらか一方だけに、相手の目を見ずに、自分の進みたい方向だけを見て歩くように指示をしました。
すると、その実験ではそれ以降一度もぶつからずにすれ違うことができました。
片側が相手を見ていなくても、片側が相手の視線によってどちらに進みたいかがわかるので、避けることができたのです。
ここで、行き先の一点だけを見つめてぶつからずに渡りきれるかどうかという実験です。
顔に取り付けられたカメラの映像を見ると、まるでモーゼの十戒のように人混みが目の前で割れていくシーンが映っていました。
今までぶつからないように相手の動きを観察しようとしてきた自分にしてみれば、まさに魔法でも見させられているかのような気分でした。
それならばと自分でも試してみたところ、本当に、笑ってしまうくらい人が勝手に避けてくれるようになりました。
もちろん、こちらを全く見ないで突っ込んでくる人は一定数いました。しかし、その人達は見ていないだけなので、避けるのは簡単でした。
この日以降、どちらに避けていいかわからずにぶつかるということは本当に、一切なくなりました。
ただし、この実験は今ほど歩きスマホが当たり前になっている時代でありません。
当時のスクランブル交差点のように一点を見つめるだけで人とぶつからずにあるききるということはできないかもしれませんが、最低限の回数を避けるだけで人とぶつからずに渡りきれるはずです。
「わざとぶつかってくる人」=いずれにしてもどうしようもない
「避けない人」、「あんまり避けない人」=くやしいけど自分から避けるしかない。
「避けたいけどどうしていいかわからなくなる人」=自分が行きたい方向の一点を見つめて歩けばぶつからない。
これは、あくまでぶつかりたくない人はどうすればよいかの話であって、ぶつかってくる人をどうにかする話ではありませんのであしからず。
ただ、増田が「わざと目を見て、目があってるのに避けない」と言っていたので、それは誤解でむしろそれがぶつかる原因になってるかもしれないと思って書いてみました。
狭い通路で相手側がどう動くが凝視して観察するよりも、平行に進めるように進行方向の一点を見てすれ違ったほうがぶつからずに安全にすれ違うことができます。
ただし、そんな自分も一度だけ自転車同士で立ち往生してしまったことがあります。
自分は一点だけを見て進んでいるつもりでしたが、あまりにも相手の表情がわからず、最後まで自分を信じきれずに進路を変えてしまったところ、相手も同じ方向にハンドルを切ってしまうことが起こってしまいました。
サンバイザー、まじでクソ。滅べ。
※追記
一点だけ見つめて、とは言っても、周りを全く見てなかったら当然ぶつかります。
普段どおり人は避けつつ、どうしても相手の行動が読めないときに、自分からまず視線や顔の向きで向かいたい方向に対しての意思表示を示してみましょうというお話です。
相手が同様に一点だけを見つめて向かってきたら自分から避ければいいだけなのでぶつかりません。
ここに書いたのは、人にぶつからないように努力してるけど、どうしてもぶつかってしまうことが多い人の手助けになればと思ってのことで、誰もが人混みで絶対にぶつからない方法ではないです。
私は大阪の田舎生まれ。皆さん大阪の田舎を想像しにくいかと思うけど、田園風景広がってて、コンビニも近くにない、車社会。
社会人になって家を出て、横浜に住んでいたこともあるけど、今住んでるのは地方都市。
地方都市と言っても、田舎県の三番目に栄えている市で、繁華街と言われる場所まで出るのに、公共交通機関使っても車でも1時間以上かかる。
公表されているコロナ感染者は現時点で片手で数えられる程度なので、毎日そんなに怖くない。スーパーですら、人との距離は2メートル以上空いている。
外で飯を食うにしても、行く店を選べるぐらいには店があって、飽きることもない。
最寄駅のエリアには大きなショッピングモールもあって、映画館もある。最近やっとKALDIが入ったので、さらに繁華街に行く気が起きない。
市役所も警察署も通勤経路(車)にあって、転入時は本当に助かった。図書館も大学もあるので、読書が趣味なら何も怖くない。近所付き合いも回覧板くらい。
ネットで注文した物もすぐに来るし、田舎で映らないテレビ番組もネットでも見ることができるし、夜空を見上げたら天の川が見えるし、同僚と「ほぼ仕事と家の往復だけど、出る気力が湧かないくらいに充実してるよね」と言っている。
大阪の田舎に住んでいた頃は、学生だったこともあり、毎週末に繁華街へ出ていた。
横浜に住んでいた時も、なぜか毎週末出かけたくなった。電車でわざわざ日本橋まで行って、電車で揉まれて疲弊して帰ってきた記憶がある。
子供の時、中国地方の田舎県在住なのに、王様のブランチが好きで楽しく見ていた
あのときは東京の情報が王様のブランチに出てきても「東京に行ってみたいなぁ」なんて思わなかった気がする
社会人になって、相変わらず地方在住で、毎朝Zipを見て、東京の情報が出てきて、「あーいいな。でも行けないんだよなあ」とか思ってた
月曜から夜更かしみてたら、フェフ姉さんが肉フェスに参加してて、「みんなフェスって聞くと音楽のイベントだって思い込むけど、フェスにも色々ある。うちらが参加してるのは肉フェス」って言ってるのを見て
ある日旦那がテレビ番組に出てきたカレーパンが食べたいと言い出して、その番組を見た日に東京駅にカレーパンを買いに行った。
地方在住歴が長すぎてテレビに出てきたお店にすぐに行けるのが嬉しい。東京に長く住んでる人にとってはこんな経験はありふれてると思うが、私にとっては特別なことだ。
キャラクターショップがたくさんあること知らなかったし、東京駅の建物はかっこよかった。
フェフ姉さんが肉フェスに参加してるの羨ましかったから、私は上京してから、下北のカレーフェスに参加した。おいしくて楽しかった。シモキタの雰囲気がよくて、楽しくて、新鮮だった
コロナで東京はもうダメだ。これからは地方に住むのがいいなんて言われているが、都会に憧れていた地方民だった私にとっては今の都民の生活は楽しい。