はてなキーワード: 過小評価とは
(この勢力は何万兵士がいるから…とか、そんなこと頭の中でシミュレーションすることに意味ある?
自分はそんな不確実で十分でないデータを検証することにひとかけらも意味があるとは思えない。)
そういうのではなくて、もう少し歴史というもの、戦国だけでなくて日本史だけでなくて
世界史なんかも眺めつつ、だいたい歴史ってこういう流れになるよな、
さらに日本の中世を加味して考えると…とかって視点で考えれないかな。
まあ、なんやかんや言い合いしたところで結論なんて出ないからする気は全く無い。
ただ自分は日本の中世を終わらせたのが秀吉の天下統一事業であると考えているのだけど
増田の場合には信長の登場の時点で中世が完全に終わっていると捉えているんだと思う。
それが正しければ、秀吉の事業を過小評価しているのはむしろ増田の方では?
https://anond.hatelabo.jp/20211212125107
おそらくはありえない。
簡単に言わないでほしい。
あのとき中国大返しと言う大胆な機動を見せた秀吉以外の誰があれほど鮮やかに明智を滅ぼせるのか。
一番近い摂津にいた信孝?
変の報せだけで逃亡兵が相次ぐぐらい求心力のない男だ。
秀吉が中国から帰ってこないなら兵力は自前の5,000程度しかない。
信孝軍団からはより多くの逃亡兵が出るし反対に明智の勢力は膨らむ。
信雄?
信孝より更に遠いところに居て兵力も更に少なく合戦の腕も似たり寄ったり。
はっきり言ってこんな奴等では光秀の動きを制限することも出来ない。
光秀は勝家が戻ってくるまでの3週間近くを京での政治的運動や宣伝に使えることになる。
明智側勢力が大いに動揺したし、明智の与力や姻族まで様子見を決め込んでしまった。
そういうファクターが一切なくなるということは
・遺された信孝信雄は弔い合戦を挑むことも出来ない
と言う状況が現れるわけで、
これを見たら筒井順慶だって洞ヶ峠から這い出てきて明智に従う。
そもそも光秀に与えられてる畿内軍団は信長に冷酷に追放された佐久間の与力で
信長を討って主替えすることにいまさら抵抗感なんかない。利害が合えばついてくる。
それぐらい勢いが出たら細川すらやっぱり明智側に来るかもしれない。
これまで織田家の軍団に圧迫されて存亡の危機に立ってた各地の大勢力は
事情わかってる毛利に追いすがられながら撤退なんかそうそうできない。
毛利の追撃で散り散りにされたらどこで再起すればいい?姫路城まで戻れてもそこは安全か?
信孝を討って光秀助けに京までのぼってくる。
そこまで織田の情勢が悪いとわかれば
例えば滝川なんか史実では北条と一当たりして敗れたあと真田に諏訪まで送られてるけど
「もう織田の再起の目は薄いな」と思われてたら同じ待遇になると思う?
昌幸「滝川を首にして光秀に送ってご褒美に上野を安堵してもらお」ってなるでしょ。
もともと主家を滅ぼした織田に好感情持ってるやつなんか甲斐信濃にはいないんだから。
史実ですら河尻とか逃げ帰る事すら出来ずに殺されてる。
光秀の主殺しに公的な認可が下る。
鞆まで逃れてた将軍様が戻って来て「大義である」って言い出すかもしれないし
もともと朝廷と繋がりが強い光秀だから帝の内意があった説すらある。
「よくやりました」「各地の大名に号令を出して織田残党を討ちなさい」なんて宣下が来る。
英雄秀吉は中国から出られないまま肝心の時に決断しなかったことを悔いながら殺されていくし
柴田は雪の中で滝川は信濃の山中で状況が分からないまま討ち死にして
ただ高齢でデカい子供もいない光秀はどうやっても次世代に残す基盤は作れない。
衰え次第天下は再度荒れる。
毛利かな。
大政治家が出現することはなかっただろうから織田家が存続する形になる。
そうなったとしても結局は信長の統率力を失った家臣団によって
(どうやるんだかわからないが)信孝が光秀を討って信長の葬儀をやれば
信孝という当主がいるのにそれを蔑ろにするほど抜きん出られる家臣がそんな必ず現れるの?
なんか全体に言えるのは
秀吉の中国大返しをめちゃくちゃ過小評価してるってことなんだよね。
あれは素晴らしく冴えた勝負手であって、
あれ以外のルートで光秀があんな早く打ち滅ぼされるなんてことはあり得ないし
その光秀成敗がなければ有力家臣に過ぎなかった秀吉があそこまで強引なイニシアチブ取れることもあり得ないんだよね。
ただそんなことを時間をかけて長々と展開してる間に
織田豊臣や徳川の支配とは比べられないってことをわかってないよね。
秀吉の四国九州関東東北の成敗がどんなだったのかもわかってないんじゃないの。
フワフワしたイメージでモノ言わないでほしいんですよね。
織田勢力と地方勢力の生産力や兵力をちょっと数字で比べてみたらいいと思います。
秀吉であれ信孝であれ信雄であれ、あれを相続されちゃ勝ち目なんかないから。
私は、客観的に見て、それなりに成功した人間だと思う。大学進学者が少ない田舎から出てきて、経営に携わる仕事でそれなりの評価を得ている。妻と子供3人を養う程度の給与も得ている。親族の支援もあって、一定の資産も築けている。
でも、私は幸せを感じていない。理性的に考えると、自分は恵まれているなとは思う。しかし、心が躍るような幸せを感じることはない。より社会的に経済的に恵まれた人と自分を比べては、自分はまだまだ不十分であり、更なる努力が必要だと感じるのである。
今までは勉強することが幸せに繋がると盲信して努力を続けていたが、それにも疲れてきた。努力をすることに楽しみを覚えるということに変わりはないが、何を目指すべきかを見失った。何かになれると信じていた魔法の期間が終了したのである。
幸せを感じるためにはどうしたら良いのだろう。朧げに、下記のアクションが必要な気がしている。
1.マインドセット/環境については、まずは認知することが重要と考えている。認知さえできれば、すぐに解決することは難しいと思われるが、時間を掛けて試行錯誤していけるだろう。何年も粘り強く行動を変える努力を続けていくしかないのである。
早速、認知するというステップであるが、これに関しては思い当たることが多々ある。
A-1. 人から怒られない/責められないように生きている
A-1~A-3は紐づいていると思っていて、自分が犠牲になることで万事解決と考えているのである。また、自らの時間の価値を過小評価しているのである。このマインドセットに関しては、『精神論ではない仕事を速くこなす技術』という記事が役に立ちそうだ。まず重要なのが、物事に対して投下する時間を区切ること。強制的に、A-1の不安を要因としたA-2/A-3を防ぐのである。よって、私は下記の目標を定めた。
今までは、月に50時間~90時間をしていた。これを30時間に押さえるのは、当然簡単ではないだろう。当然、全てを得ようとしても無理な話で、多くを切り捨てないといけないと思う。脱線するが、何かに変化を加えようとするときに重要視すべきは、まずは質より量だと思う。恒常性の壁を超えるには量が必要なのだ。よって、今回は月30時間という思い切った目標を定めたい。
そして、もう1つ大きな目標を定めたい。
正直、私は、どの程度の完璧さを人から求められているのか、感覚的にわからなくなっていると思う。敢えてその水準感を他人から教えてもらうことで、バランスを取り戻したいのである。非常に勇気のいることだが、他人からこの水準を教えてもらうためには、その水準を一旦下回る必要がある。できる人には何の困難も伴わないだろうが、私にとっては大きなチャレンジである。
見た感じ炭水化物系のおかずはいけそうなので、ジャガイモとかサツマイモとかコーンとかでいくといいと思う。マカロニもいけるかな? マカロニサラダはお酢使って酸っぱかったりするので、ただのマヨ和えがいいと思う。そこにコーン入れてもいいし、隙あらばニンジンの千切りも混ぜ込んで。タマネギは入れていいけど、「辛いの苦手」って言ってる相手にはマジで全力で火を通してからにしてください。平気な人の「辛くないよ」は過小評価が過ぎる。ほんとに。カレーが辛いから嫌いな人がいるとか想像もできないの、唐辛子で脳細胞もやられてるの???ってなる。「じゃあ甘口カレー用意すればいいんだろ」じゃなくて、そもそも辛くないハヤシライスとかにして欲しい。話がズレたけど、辛いの苦手な人は野菜の辛いのも苦手なので配慮をお願いします。
とりあえず炭水化物をおかずに炭水化物を食うのは日本人大好きだから……糖尿病ほいほい……。栄養素的には野菜じゃないけど食卓的には野菜なので、この辺の食材でレシピ検索すると山ほど出ると思う。
あとは砂糖と醤油で煮る系の煮物全部。カボチャもここかな? 煮物っていえば野菜やイモだけど肉や魚でもいける。煮魚ウマ。
あとほうれん草の白和えは甘いと思ってくれたらいいなぁ。出汁やコンソメでの味付けは辛さとか苦さとか突出してないし、からなずしも砂糖が必要な訳でもないし、糖尿病そんなに気にせず作れるので、食べてくれるのであればおすすめ。
今回に関して言えばほぼオタクくんが勝てる。
これまでの勝負とは決定的に違うのは、
VTuberっていう文化の受け皿が、フェミ界隈の想定してる以上に広いので
なんだけど、これに唯一の落とし穴があって。
彼もフェミよりはマシという程度であんまVTuberっていう文化に対して理解してない。
彼を突かれるのだけが唯一の負け筋。
VTuber界隈は味方にすれば数も力も集まるが、
逆に質の高いフェミニスト系VTuberなんてもんが出てきたらそっちも支持するだけなのだ。
そういう、好きなやつが言えば何でも正しいと信じ込む
アイドルオタク的な性質を強く持つ界隈だということを理解してない。
まさしく偶像崇拝してる集団なので、好き勝手に神様を武器にされることも嫌う。
スマブラにキングダムハーツのソラが参戦したってんで、キンハーはスクエニのゲームだし、それ以上に膨大なディズニー関連の権利をOKもらった任天堂凄い、任天堂しかできねーぜみたいな言い回しが溢れてるけど、スクエニもっと評価されるべきでは?
そりゃ任天堂も頑張ったと思うけど本当に凄いのはスクエニ(とディズニー内で協力的だった人達)では?
こういう書き方すると、どっちも凄いから優劣つけるなみてーな道徳の教科書っぽい説教する人が出てくるだろうけど、ネット世論が評価の仕方に露骨に優劣つけてるからそれは不当だろって言いてえんだよ、最初からスクエニも任天堂と同じくらい誉められてりゃ文句ねーよ、Twitter見たら任天堂を絶賛するツイートとスクエニもそもそも凄いよねみたいなフォローっぽいツイートで盛り上がり方が全然違うじゃん。
お祭りゲーにゲスト参加じゃなくて、キングダムハーツというストーリーがっつりゲームの根幹にディズニーキャラたちを据えてさ。
そんで大ヒットして関連作もばかすか作れるくらいになってる。
権利の交渉ルートだって任天堂にとってもディズニーにとっても、スクエニが開拓した道があるわけじゃん。
任天堂に文句があるわけじゃねーけど、スクエニが過小評価されてる気がするんだよな。
あと任天堂を何らかの希望のシンボル(日本企業の希望? ゲーム業界の希望? オタクの希望? みたいな)みたいに扱いたがるネットオタクたちの風潮も謎。
RRD 家庭連合で家庭に不満のあるババアを取り込んだように、表現連合で表現に不満のあるオタクを取り込もうという統一協会の戦略が見える。あいつらは進んで不幸になりたがるから、なんとかしてやりたいんだけどなあ。
grdgs 反フェミ・自民支持者は、自民党内に統一教会シンパが多いのは勝共連合つながりで今も付き合い当然と肯定的に見るのが多く、統一教会に肩入れしているといえる。保守は利益のためなら反社とも平気で手を組む。
quick_past オタクの中でこじらせてる連中は昔からいたよ。2chの差別関係に近そうなカテゴリの板では、初期からそういうのが湧いてた。同時期のぁとか自アン、なみかれではそういうのはあまり見なかった
zyzy ブコメでさえこれに反発して発狂モードに入っているいつものオタ勢の文章が割と取り込まれててヤバい感じなので、ガチっぽいなぁ。「どっちもどっちぃ」ってそれすでに取り込まれた人の「典型的な応答」でうわぁって
cinefuk #反ポリコレ の旗印のもと「ヒトラーはいい事もした!南京虐殺は捏造!731部隊も捏造!」とやっている人たちに #国際勝共連合 のドグマは心地よく染み込んでいく / 統一を過小評価する投稿は、責任を負う覚悟あるのか?
いつものゆかいな仲間たちが「やりたいこと」が見えてくるだろw
昔だったら嬉々としてオタク叩きに馳せ参じたろうに
やまなみ工房という障碍者福祉施設があってそこに通う人がリハビリがてらに描いた文字を羅列しただけの絵に100万だかの値がついてる。
割と時間をかけた力作もあるがそれでも300万とか400万とかいう値がつくのは行き過ぎではないか。
他にもNFTだかいう技術の波に乗って小学生がWindowsのペイントで描いたようなクオリティの絵が万単位で売れていく。
その小学生は数か月で300云十万稼いでいる。どうにも海外の有名人の目に留まりSNSのアイコンに作品の一つが使われたことによって価値が爆上がりしたらしい。
俺はなんでも鑑定団をよく見るがあの番組では芸術に文字通り生涯を捧げた人達が紹介される。
画材などに財を全てなげうって、食べるものも切り詰める清貧の生活の中で芸術家として大成していく様が伝えられる。
そんな人が描いた絵なのに、たとえ本物でも「150万円」という鑑定額だったりする。
前はそれを安いとか思ったことはなかったが今の風潮に照らし合わせると過小評価な気がする。
あるいは逆か。障害者の描いた絵が数多の芸術家達の歴史を踏まえず評価されすぎているきらいがあるように思える。
なんで芸術家と比べてしまえば本気度が低いに決まってる人たちが悠々自適に描いた絵に悠々と大金をかっさらっていくのか。これでは芸術家が報われないのではないか。
別に「障害者が作り出すものは劣っている」とか言いたいわけじゃない。障害者どころか健常者の平均的な画家と比べても、なんでも鑑定団で特集される芸術家の芸術に捧げる熱量は、比較にもならないだろうが。
まあ作品が一品物だからということもあるわけで、たまたま金持ちがその障害者の絵を気に入ってそういう金額が買い取ったというだけの話かもしれない。
つまりそういう金額は一個人にとっての価値であるだけで、客観的な価値を反映したものではないのかもしれないというわけだ。
「客観的」という言葉を途端に胡散臭く感じるだろう?「『客観的な価値』ってなんだよ」と言いたくなるだろう?
脱線するがアレイスタークロウリーなる魔術師を自称した実在の人物は法の書という出版物のなかで「真の意志」という概念について説いている。
「真」という言葉も、客観性と同じようなうさん臭さを持っていると思う。
たとえば惰性で好き勝手に振る舞うことを真の意志とは異なるというようなことが書かれている。でも見方によっては、好き勝手に振る舞うとは何かしら律するものの影響下にないということで、そこで発現されている行動はありのままの意志の反映なのではないのか。
ありのままを「真」という言葉で言い替えれるとするなら結局それはそのまま真の意志という概念に対する反論になる。
それを退けるためにはこのような「ありのまま」が真というものに対する言い替えとはならないわけとともに、では真という言葉は具体的にどのような性状を指しているのかを説明する必要がある。
真とか客観とかいう言葉を使う人たちは往々にしてそこらへんを「当たり前のもの」として、分かっているものとして論を進めてしまうから胡散臭いのだと思う。
とはいえ、こうも当たり前のように客観とかいう言葉が飛び交っていると、その中身は素人にはブラックボックスながらも客観というもの自体は幻想ではなく確かに存在すると思うことこそが妥当で健全な生き方なのかなとも思えてきてしまう(こういやって長いものに巻かれる感じで客観や真などのような概念の存在を信じることにしたのは俺だけだろうか?)
俺は気象学が好きでその勉強をしているなかで「予報精度はモデル計算の不確実性に依存する」という文言が出てきたのだが、まあ不確実性って言葉もまた客観とか真という言葉と同等なあいまいさ、抽象性を帯びているったらない。
そりゃ人間が作ったモデルは現実の物理法則に完全に依拠したものではないだろうことはわかるが、不確実性って単語一つで言いくるめられてもしっくりこないわけよ。それでもまあ「モデル計算の不確実性」が在るものとして、そらんじれるぐらいに自分にとって真実になるように努力するわけ。科学的な文脈で語られていることまでいちいち無いものとして疑ってかかるよりも、とりあえず丸呑みにする方が妥当な態度な気がするから。学術的な文脈でも「客観」という言葉をよく見るから、とりあえず客観というものは存在するものとして妥協しておくというのと同じ。
話を戻すが、たとえば俺がモナリザとかひまわりを価値ないといったところで、それらの絵画の価値には微塵も傷がつかないだろう。
そう言うときの価値が客観的な価値だ。逆に言えば、一人の人間がいくら熱狂的に特定の絵を愛して大枚を叩いたところで、ただちにその絵の客観的な価値がそれに相当する客観的価値をもつものとして裏付けられるわけではない。個人の好き嫌いと客観的価値はいうまでもなく独立したものであるはずである。
ダヴィンチとかピカソみたいな大芸術家、あるいはバンクシーも含めてああいう人たちに作品の絵の価値は客観的価値を反映しているといえる。
それは同じ絵が(何度も)オークションにかけられるという過程を経てその経済的価値が民主主義的に固まっていっているからだ。これを実勢価格ともいう。
一方で障害者の絵に対するにわか景気はある個人にとっての価値の反映でしかない。それを指標としても客観的価値は見えてこない。
だからまあ結局、このような状況は五体不満足な障害者にせめて富がもたらされる機会が作り出されているだけであって、芸術家より評価されているというわけではないから、まあ誰も(故人も含めて)実体的そして精神的な被害者はいないからこのままでいいかなと思う。
ワクチン接種先進国であるイスラエルやシンガポールでも新型コロナウイルスの感染が拡大している。
そういう記事のブコメでは「重症者増えてないし」という感じで、withコロナ的な空気を感じる。
日本もワクチン接種を前提に行動制限の緩和に舵を切ろうとしている。
でも、この新型コロナウイルス相手にwithコロナって結構怖くない?
インフルエンザが無くなる勢いの感染対策をしてもなお感染が拡大してしまうウイルスだから、緩和すればするほど感染が拡大し感染リスクが高まるのは間違いない。
でも、もともと感染しても大したこと無いウイルスであればともかく、突然重症化したり、変な後遺症が出たりするやばいウイルスだぜ?
ワクチン接種してるとはいえ、そういうウイルスにこれから何回も感染するのって嫌じゃない?
しかも、簡単に変異してしまうウイルスだから、そうやって感染がひろまっていくうちにヤバい変異を起こすかもしれない。
今のデルタ株だって、感染力や病原性が従来株と比べて格段にパワーアップしてるわけでしょ?
パンデミックが始まってからまだ2年ぐらいしか経ってないのに、もうそういう変異が起きてるんだよ?
どんどん緩和してどんどん感染して、さらにヤバい変異株が出てくるのはマジで困る。
そういうリスクを過小評価してwithコロナ、ワクチン打ってれば平気の精神で感染の許容に世界が突き進んでいって、本当に大丈夫なのかな?
元記事 (Zerohedge):https://www.zerohedge.com/geopolitical/vaccine-mandates-great-reset
執筆者:Philipp Bagus via The Mises Institute,
ワクチンを受けていない人への圧力が強まる いくつかの国では、ワクチンを接種した人たちが、コヴィドの介入によって奪われた自由を取り戻しつつありますが、ワクチンを接種していない人たちはそれほど恵まれていません。彼らは差別の対象となっています。公共の場へのアクセスや旅行が難しくなっています。一部の国では、職業によってはワクチン接種が義務付けられているところもあります。
しかし、なぜ政府は予防接種キャンペーンをそれほど重要視し、これほどまでに圧力をかけているのでしょうか。また、誰が世界的な予防接種キャンペーンに関心を持っているのでしょうか?
これらの疑問に答えるためには、普及しているワクチン接種に関する物語を分析し、そこから誰が利益を得ているのかを問う必要があります。
その際には、国家、メディア、製薬業界、超国家的機関の間の利害関係の連合を取り上げなければならない。
ワクチン接種キャンペーンには、明らかに経済的な利害関係があります。ワクチン接種の普及によって莫大な利益を得ることができるからです。
コビド19の危機において、政治家は恐怖とヒステリーを組織的に増幅させた。これは偶然ではなく、当然のことなのです。国家は、内外の危険から国民を守るという主張の上にその存在意義を築いているのですから。国家は恐怖の上に成り立っているのである。国家の助けがなければ、国民は飢餓、貧困、事故、戦争、テロ、病気、自然災害、パンデミックに対して無防備になってしまうという物語である。したがって、国家は、起こりうる危険に対する恐怖心を与え、それを解決するふりをして、その過程で権力を拡大することが利益になるのである。比較的最近の例では、9月11日の同時多発テロや第二次イラク戦争の後、テロの脅威に対応するために米国で市民的自由が制限されました。同様に、平時には考えられないほど国家権力を拡大するために、市民の基本的権利を犠牲にして、意図的に恐怖心を煽り、コヴィド-19を特異な殺人ウイルスとして描写することは、政府の利益となった。
コロナ危機が始まったとき、ウイルスの潜在的な危険性についてあまり知られていなかったため、政治家は非対称な報酬に直面した。政治家が危険性を過小評価して対応しなければ、過小評価の責任を問われることになる。選挙も権力も失うことになる。特に、死者の責任を問われることになればなおさらだ。集団埋葬の写真はさておき、危険を過小評価して行動しなかった場合の結果は、政治的に致命的なものとなる。対照的に、危険性を過大評価して断固たる行動をとることは、政治的にはるかに魅力的である。
もしそれが本当に前例のない脅威であれば、政治家はロックダウンなどの厳しい措置をとって称賛されます。そして政治家は、彼らの断固とした行動がなければ、実際に災害が起きていただろうと主張することができる。しかし、その対策が大げさであったことが判明した場合、その対策がもたらす可能性のある悪影響は、集団埋葬の写真のように政治家と直接結びつくものではなく、より間接的で長期的なものであるからです。ロックダウンによる間接的かつ長期的な健康コストには、自殺、うつ病、アルコール依存症、ストレス関連の病気、手術や検診のキャンセルによる早死に、そして一般的な生活水準の低下などがある。しかし、これらのコストは、思い切った介入に直接関連するものではなく、政策のせいにされるものです。これらの結果の多くは、次の選挙の後、あるいはそれ以降に発生し、目に見えません。例えば、生活水準が上がれば、平均寿命がどの程度伸びたかを観察することはできません。また、ロックダウンをきっかけに発症したアルコール依存症やうつ病で6年後に誰かが死んだとしても、ほとんどの人はおそらくロックダウンを行った政治家の責任にはしないでしょうし、もし責任にしたとしても、その政治家はすでに退陣している可能性があります。このように、脅威を過大評価して過剰に反応することは、政治家の利益になるのです。
政治家にとって魅力的なロックダウンなどの厳しい措置を正当化し擁護するためには、恐怖心をあおることが必要である。19年のソ連危機の際、政治家が恐怖とヒステリーを煽り、ロックダウンなどの高度な制限措置を実施したことで、経済や社会構造に与えたダメージは計り知れないものでした。しかし、社会は永遠にロックダウンすることはできません。どこかの時点でロックダウンを解除し、正常な状態に戻さなければならないのです。しかし、殺人ウイルスの脅威に対する恐怖心を煽ると同時に、正常な状態に戻すにはどうすればよいのだろうか。
ワクチン接種キャンペーンにより、国家は大きな危機からの救世主としての役割を果たすことができる。国家は国民のために予防接種を組織し、その予防接種を国民に「無料」で提供するのである。この「予防接種レスキュー」がなく、永久にロックダウンされた状態では、市民の権利を制限することによる経済的・社会的な悪影響があまりにも大きいため、国民の間で恨みが募り続け、最終的には不安が脅かされることになります。だから、遅かれ早かれ、ロックダウンは終わらせなければならない。しかし、国家当局が、それ以上の説明もなくロックダウンや制限を撤回し、「結局、危険はそれほど大きくなかった」「制限は大げさで間違いだった」などとほのめかすようなことがあれば、住民の支持と信頼を大きく失うことになるだろう。したがって、政府の立場からは、最も厳しい規制から脱却するための、面目躍如たる「出口のシナリオ」が必要であり、それを提供するのが予防接種キャンペーンである。
国が提供するワクチン接種によって、国家は大きな脅威の物語を保持し続け、まだロックダウンから抜け出すことができる。それと同時に、ワクチン接種によってある程度正常な状態にしている救世主のように見せかけることもできる。そのためには、できるだけ多くの国民が予防接種を受ける必要がある。なぜなら、国民のほんの一部しか予防接種を受けていなければ、予防接種キャンペーンを開放に向けた必要なステップとして売り込むことができないからである。このように、国民の大部分にワクチンを接種してもらうことが国の利益になるのです。
この戦略が成功すれば、国家は前例を作り、権力を拡大し、さらに市民をより依存させることになる。市民は、国家が自分たちを死の窮地から救ってくれたと信じ、将来的には国家の助けが必要になると考えるだろう。その見返りとして、彼らは自由の一部を永久に手放すことを厭わないだろう。国が主催する毎年の予防接種のブースターが必要であるという発表は、市民の依存心を永続させるだろう。
マスメディアは一線を画し、予防接種のシナリオを積極的に支持している。
国家とマスメディアは密接につながっている。有力メディアによるフレーミングと、国民をターゲットにすることには、長い伝統がある。すでに1928年にエドワード・バーネイズは、その名著『プロパガンダ』の中で、大衆を知的に操作することを提唱していたのである。現代の国家では、マスメディアは、covid-19のような政治的措置に対する大衆の承認を構築するのに役立っている。
マスメディアが国家を支持するのにはいくつかの理由がある。国が直接所有しているメディアもあれば、規制が厳しく、国の免許が必要なメディアもあります。さらに、メディアハウスには国家教育機関の卒業生が常駐している。さらに、特に危機的な状況下では、政府との良好なつながりがメリットとなり、情報へのアクセスが優遇される。また、ネガティブなニュースや危険性を誇張して伝えることで注目を集めることができるため、国家の恐怖物語を伝えようとする姿勢も見られる。
コロナ事件では、ソーシャルメディアで拡散した一方的な報道が批判的な声を封じ込め、恐怖とパニックを引き起こし、国民に大きな心理的ストレスを与えた。しかし、メディアにとって魅力的なのはネガティブなニュースだけではなく、国家が国民を大きな危機から救い出すという物語もよく売れる。このように、ワクチン接種という物語は、マスメディアの思惑通りに動いているのです。
国民国家、メディア、製薬会社に加えて、超国家的組織もまた、世界の人口が確実にワクチンを接種されることに関心を持っている。
超国家的な組織は、世界的な予防接種キャンペーンが重要な役割を果たすようなアジェンダを積極的に追求している。これらの組織には、世界経済フォーラム(WEF)、国際連合(UN)、EU、国際通貨基金(IMF)、世界保健機関(WHO)などがあり、これらの組織は相互に密接に関係しています。
これらの組織の中には、目標として「偉大なるリセット」や「偉大なる変革」を掲げているところもあります。パンデミックや気候保護、ジェンダー、移民、金融システムなどの分野で、これらの組織は世界中のすべての人々の利益のために協調した答えを見つけようとしています。これらの組織は、責任の共有とグローバルな連帯を強調しています。ワクチン接種、気候変動、金融や移民の流れを中央で管理することは、新しい世界秩序の特徴でもあります。例えば、WEFの2019年の年次総会のテーマは「グローバリゼーション4.0」でした。Shaping a New Global Architecture in the Age of the Fourth Industrial Revolution" でした。また、超国家的な計画の例として、国連の "Global Compact for Migration "があります。国レベルでは、ドイツ地球変動諮問委員会のWelt im Wandel - Gesellschaftsvertrag für eine Große Transformation (World in transition: Social contract for a great transformation)政策文書に見られるように、こうした過激なアイデアが支持されています。
Raymond Unger(2021, pp.84-89)は、この超国家的計画の推進を、アントニオ・グラムシやハーバート・マルクーゼが想定した文化戦争の一環として捉えている。意見や怒りをグローバルに管理することが、特に気候変動やコロナの分野における恐怖やホラーのシーンと結びついて、新しい社会主義の世界秩序を確立する。実際、WHO、IMF、国連は元共産主義者が率いている。WEFは、製薬会社や大手ハイテク企業などのグローバル企業が出資しています。WEFは、国連の「2030アジェンダ」にも大きく出資しています。WHOもまた、製薬会社やビル&メリンダ・ゲイツ財団から多額の資金提供を受けており、世界的なワクチン接種キャンペーンを先導しています。コビド19危機の際にも、製薬業界はWHOに影響力を行使した。また、IMFはWHOの勧告に従う場合にのみ国家を支援している。
これらの超国家的組織は、コビド19の危機を自分たちのアジェンダを進める機会と考えている。国連の政策文書「Shared Responsibility, Global Solidarity: 国連の政策文書『Shared Responsibility, Global Solidarity: Responding to the Socio-economic Impacts of COVID-19』は、covid-19を現代社会の転換点と捉えている。この機会をとらえ、世界的に協調して行動することを意図しています。大手ハイテク企業は、このようなアジェンダを支持しています。彼らはWEFのメンバーでもあり、マスメディアと同じように、自分たちのプラットフォーム(Twitter、YouTube、Facebook)で、covid-19に関連する不愉快な情報を検閲している。特にYouTubeでは、予防接種に批判的な動画はすぐに削除されています。
IMFのクリスタリナ・ゲオルギエヴァ理事の基調講演のタイトル「From Great Lockdown to Great Transformation」も、超国家的組織がコロナ危機を自分たちのアジェンダのために利用したいと考えていることを強調しています。WEFの創設者であるクラウス・シュワブは、コヴィド-19の危機は、"経済・社会システムの新しい基盤を築く "ための「貴重な機会」であると主張している。COVID-19: Thierry Malleretとの共著である『COVID-19: The Great Reset』の中で、シュワブは決定的な瞬間について語り、新しい世界が出現すると主張している。シュワブ氏によれば、今こそ資本主義の根本的な改革が必要であるという。
したがって、世界的に調整された予防接種プログラムは、偉大なリセットのための超国家的戦略の構成要素と解釈することができる。
世界的な予防接種の構造が確立され、それがその後の世界的な予防接種キャンペーンに利用されるのである。グレート・リセットを提唱する人たちの視点から見ると、世界的な構造と組織の必要性が強調されています。これらの組織は、「気候変動」に効果的に対処し、グレート・リセットを推進するなど、他の世界的な目的のために使用することができます。要するに、国家、メディア、製薬業界、超国家的組織が密接に絡み合っており、予防接種というストーリーに共通の関心を持っているのです。
「他人を恨み続けても思考が相手に支配されるだけなので止めよう」
「他人の楽しみに対して足引っ張るのは良くない文化だよね。相手を引き落として自分と同じ位置にするんじゃなくて、自分も相手と同じ位置になれるよう要求しよう」
単純にこの意見に対して反発受けてるわけじゃないた思う。
いじめや虐待の加害者がこんなこと言ってたら頭おかしいじゃん。
そんな不気味さを感じる。
妻も同意したとはいえ、フジロックに行けない状況に追い込んだのは夫。
妊婦は(自分のためでもあるけど)夫のためにフジロック以外にも様々な我慢を強いられ、リスクを負ってる。
それをまるっと条件から省いている、もしくは被害を過小評価してる。
「生物学上女は我慢を強いられるのは仕方ないよねー。フジロック死ぬほど楽しみにしてたかもしれないけど、俺が一緒に我慢しても別にお前が得するわけじゃないんだから、俺は俺でめいいっぱい楽しんでくるね!ほら!妊娠するってお前が最終的に決めたんだから我慢頑張って!あ、お土産何が良い?死ぬほどフジロック行きたかったかもしれないけど、プリンでいい?それがダメなら…宝飾品?宝飾品と俺の幸せそうな笑顔でお前も幸せになれるよな!」
って死ぬほどフジロック好きで毎回参加していてプリンや宝飾品なんかでは代えがきかないと思っている妊婦が夫から言われていることを想像してしまう。
友人と一緒に宝くじ買いに行って、友人だけが3億円当たった、みたいなシチュエーションなら、恨むんじゃなくて「えーよかったね今度ランチ奢ってよ〜笑」の方が幸せになれるだろ?
って主張は同意できるんだけど。
高級店勤務エアプ勢ばっかりかよ。
それなりの店で働いてたら嫌でもブランドに詳しくなるのは、相手の身なりによって接客態度を変える為じゃなくて、提案する商材を変える為だろ。
例えばワインでも、オススメは?って聞かれて、記念日だから来たような若いカップルには3000~5000、そこそこの小金持ちなら2~3万、上から下まで見て数千万になるような人にはその時しか飲めないようなヴィンテージを勧めたりする訳よ。
「予算は幾らですか?」なんて楽しい雰囲気をぶっ壊して現実に引き戻すような言葉は絶対出せないし、見極めを間違えるとぼったくり店扱いされたり、逆に客を過小評価してると取られてもよくないから、身なりで客に提供する商材のランクを的確に判断するっていうのは高級店勤務の必須スキルの一つだよ。
高級店ってのはこういう言葉に出ないホスピタリティがあるからこその高級店だし、腕時計に限らず高額なブランド品を身に付けることで自分が受けたいサービスのランクに合ったドレスコードをした方が、結果的に自分に最適なサービスを受けれるってことをお金持ちの人はみんな知っているのね。
だからメリットが分からん!っていう人はそもそもメリットを得られる環境にいないのだから、あんまり気にすることはないと思うよ。
ひろゆきに関しては過大評価する人と過小評価する人だらけで、自分から見て妥当な評価をあんまり見ない気がするので書いてみる。
2chを作ったことの何が凄いか。当時すでに同様の掲示板は他にもあったし、ひろゆき自身のプログラミング能力もトップレベルというほどでもない。
ただ、当時はだれもトラフィックの大きい掲示板を継続可能なかたちで運営できていなかった。主にサーバー費用と荒らし対策の面で。
ひろゆきは、今では普通になった広告モデルと課金モデルを掲示板運営に導入して成功した。
広告収入で赤字を補うパターンはあったが、継続可能なレベルで収入を得続けるのは当時難しかった。
そのあたりは切込隊長こと山本一郎の活躍も大きかったのだろうが、そういうスキルのある人を活用できたのも強み。
実際にひろゆきと仕事をしてた人の話を聞くと、やっぱり人を扱うのが上手いというのを感じる。
そういった、何が正解かわからない中でうまくいく方法を見極めてサービスを大きくした経験はいまだに稀有なノウハウになっているように思う。
それから荒らしや違法書き込み対策を完璧にやりすぎず、運用コストのバランスを見極めたのも大きい。
このあたりも反感を買う原因だとは思うが、ツイッターもYouTubeも違法コンテンツやヘイトスピーチの対策はもともとガバガバで、
運営が軌道に乗ってきたら徐々に対策を強めていくというのが成功パターンと知られてきた。
そういう感覚を当時持っていた人はかなり少ない。
あとは、今となっては信じ難いが、匿名で発言しやすい雰囲気を作って、ハードルを下げることで他では得られない情報が集まりやすくする、
今だとFacebookよりもツイッターの方が気軽な発言や情報リークがしやすいという感覚。
ツイッターも大学教授や弁護士の肩書で箔をつけて発言する人は多いが、匿名だとそれもできず意見の説得力だけで評価される。
実際fjにもメーリングリストにもハンドル名の掲示板にも書かれない情報が2chに集まっていった。
ひろゆきといえばディベートの強さだが、最近ボロが出始めている感じもある。
ひろゆきのディベートの強さは、それなりに頭が良い人なので正当な意見もあり、一方で小手先のディベートテクニックもあり
最近はあまり詳しくないことをそれっぽく発言する部分がことさらに取り沙汰されて批判されているが、
もちろんそういう面もあり、実際に詳しくて正しいことも言っていることもあり、
発言に意味はなく単に相手を動揺させるための発言をすることもあり、
それらの境界線がわかりづらいことが強みと言えば強み。
最近は積極的に配信をおこない人気を取っているというのもある意味すごい。
ひろゆきぐらいになれば、別に今さら顔出しして動画でなにか言う必要もないとは思うのだが、
あれはニコ生とはまた違ったレベルで動画メディアが主流になる時代を読んで
実際それで人気配信者になるのもすごいし、本当の狙いはそこで得た動画の集客ノウハウを
使ったビジネスの方だと思う。