はてなキーワード: 政治団体とは
ああ、増田での話ではないのか。
お前はリベラル左翼だからと言われたといっていつものここでつぶやいてるやつになんか言われたのかなと。
まず、第一に、いま政治スタンスというのは非常に多様化してます。まあ、昔から複雑だけども、それでも理解するために区分けみたいなのをしています。
ただし、次第にその区分けだから俺の敵だ。味方だ。みたいな使われ方をしています。なので、正直今の時代にリベラル、保守、右翼、左翼なんて区分をするやつは無視していいと思う。
これがネオリベラリズムみたいなのであれば、経済で政府の介入を全く良しとしないスタイル(当然税金や規制を嫌う)とある程度明白になってくるからマシですが。
リベラルというのは自由主義。と言っても、自由と言っても非常に幅が広いですよね?金持ちが税金無しで暮らせるのも自由。女性が差別されずに働けるのも自由。
対義語として保守というのが使われます。これは古き良きものを守るというスタンスです。
といっても、今の自民党政権は新自由主義です。これは、ケインズ主義と対極となる形です。いずれも経済のスタンスです。
30年前の自民党であればケインズ主義だったんですが、いつのまにやら新自由主義=保守であって、その敵がリベラル=自由主義というわけのわからん状態になってます。
右翼左翼というのは、古くはフランス革命後の議席の位置、及びそれに伴う政治スタンスです。
右翼は重商主義、左翼は弱者主義、、、というのがかんたんに言った当初のスタンスですね。
といっても、これは経済スタンスを主にした考えです。当然、先に行ったように差別とか、逆に外国がどうのというのように視点がさんざん広がっています。
で、次第に、俺はこのスタンス、お前のこのスタンスというレッテル貼りの手段に堕していってます。
なので、新自由主義なのに、リベラル=自由主義を否定するとか、この間の選挙で、全部が保守を名乗るとか言う訳のわからん現象になってます。当然です。ただのレッテル貼りの手段に堕してるから。
なので、ただのレッテル貼りだから無視しておけ。あと、今の時代政治団体なんてかかわらんほうがいいよ?ワイの命令に従え!みたいなめんどくさいやついっぱいだから。政治の世界って。
いやいや
韓国の慰安婦団体は政府から従北の政治団体としてマークされる人たちに支援受けて運営されてますよと
「看護師と同じように政治団体作って働きがけを」と言うのがいるけど、
認可はそれでもっと税金寄越せで済むかもしれないが、認可外は補助金無いし保育料上げれば客逃げるしでどうしようもないよね。
かと言って基準を満たしていない認可外にも補助金出す、ってのは
「基準を満たさない危険な施設に税金をつぎ込むのか」的な反対が絶対に出るし。
全部の施設を認可に、ってのは認可の基準を下げなければならず、
「基準を下げるのは保育の質がうんたら」でやはり反対が出るし。
親の方に保育バウチャー出して自由に認可外(やシッター)使って貰う、ってのも考えられるが
認可保育園を使う資格がある親には月数十万のバウチャーを与えるけど
使えない親(親が失業中とか子供もしくは親が病気で働くの無理とか)には1円も与えない、ってのは不公平過ぎるしな。
(まあ現状の保育園制度も「認可保育園に入ってる子には月数十万の補助、入ってない子には1円の補助もなし」と言う不公平な制度である事には変わらないけど
額が目に見えるか見えないかでは違うわな)
なら親全員にバウチャー出せば、となるけど、それこそ税金いくらかかるのやら。
と言うか「待機児童ゼロ」だけでも税金いくらかかるのやら状態で、それやろうとしたら消費税10%程度じゃ絶対無理だろと。
なんか今度の選挙ではどこも公約に待機児童ゼロ掲げてるけど、実現不可能な嘘公約だよなー。
日本レベルの税率で、所得制限もその他の制限もなく全ての(希望する)子供が十分に設備も人員も整った保育園に自己負担無料で入れる国なんかないだろうに。
日本の終わりを書くブログは増えているがそれは大抵、問題提起ばかりで対策案が書かれていない筆者が気持ちよくなる記事ばかり
欧米すげー中国すげーニュージーランドすげーネタも筆者が気持ちよくなる記事ばかり
誰も今の日本の経済を牛耳る政治家・官僚・企業の政治団体・企業の経営者や役員にどう訴えかけるか考える人はいない
せめて企業の経営者や役員に分かってもらう位の案を出してくれないだろうか?
自分は諦めた、なぜか?政治家・官僚・企業の政治団体・企業の経営者や役員で日本の経済を牛耳るレベルの集団はたいてい55歳以上の高齢者だからだ
高齢者は現状維持を望む人ばかりで変えようとする動きを権力で合法的に叩き潰す集団だ
日本の経済を左右するレベルの大企業の経営者や役員も高齢者が多数を占めている、中小企業の大半も同様だ
本当に日本は終わりだなと感じる・・・・感じるが対策は思いつかない
人生を全て投げ出してまで日本の経済を牛耳る高齢者集団を説得しようと思わないからだ
若手官僚集団がはてなで好評を博した文書(不安な個人、立ちすくむ国家 〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜 平成29年5月 次官・若手プロジェクト)を公開したが
彼らが省内で権力を発揮できる時(20年もしくは30年後くらい)には日本が荒廃し尽くして何をやってもうまく行かなくなった時だろう
ホントに終わりしか考えられない国になってしまった、権力を持たない個人で出来る事は国が終わっても生き抜けるように行動する事だけだ
上京して1か月目にして職場でなんか神道系政治団体?だかカルト宗教だかみたいなのの狂信者に、仕事が成立しないレベルの勧誘を受けた
声を荒げて断ったら、どこで調べたのか俺のヤサを調べ上げてマンションに仲間引き連れて騒ぎたてて勧誘してきやがったこと
会社の重役に相談しても、何故かそんなの自分で何とかしろ(←!?)となしのつぶて、いい加減にしねぇと警察呼ぶぞと言ったら
ニタニタ笑いながら「民事不介入だから警察は動かない」とかいって、とうとうブチ切れて退職届叩きつけて引っ越しして、ついでに警察に通報したらそれ以来
会社から現状確認と称して数回電話かかって来てたのも着信拒否して無視してたら止んだというのが東京に来てわずか3か月の出来事だったこと
そして一番恐ろしいのは、なんで俺をターゲットにしたかって理由が「地元で猟師をしていて散弾銃所持の実績があってクレー射撃のスキートしてたから(←自動銃なのと1ゲームで使う弾数が少ないからお金がない若者は結構トラップよりスキートが多い)
というかそもそも委託保管先確保できなかったし、東京でいつまで働くかわからないから所持許可証も返納して猟銃も処分した後だって何回いってもきかねえでやんの
護国や売国奴がどうたらこうたら抜かしてたが、もし万が一俺の勧誘に成功したとして、お前ら一体何させるつもりだったんだよと未だに思う
野党側は泉田と田中真紀子。新潟日報によればこちらも森民夫。(そんなの一部の県議ぐらいしか居ないのではないか…)
民進党は与党から泉田が出たら変節と主張する構えだが、社民党が自民から出ないよう引き留めを図っているという。
でも民進党も立ち往生してしまったのが痛しかゆし。代表が再稼働派であるというも…
野党は泉田、藤井盛光(日本のこころ。長岡市長選有力候補)で検討しているという。
しかし藤井はさすがにどうかと思うが…民進党県連代表の鷲尾英一郎や森裕子に接触し、民進党の若年層向け政治スクールにも参加。
共闘路線の延長線上だと容共的な森と鷲尾の連携は難しいと報道。和田政宗をどう思ってるんだろう。
日本維新の会の頃、鷲尾は米山とも親交を持っていたため、旧維新系の取り込みを図っているのだろうか。
泉田について、政治団体の立ち上げや新潟4区からの出馬説などを同誌はたびたび取り上げてきて来たが、
今回は公認が取れなければ動かないと推測。既に泉田の団体のビラが配られており、実物も掲載。
これが事実であり、野党側が入手していないのなら自民党以外で政治を行う意思がないとみれる。
また、泉田が本心では二階派であると前々から主張し続けている。
ただ、ここは基本的に親原発、反泉田、反新潟日報(=反新潟市長)の立場。
個人的にはあの人は地方政治でずっとやっていったほうが良いかなあ。
鷲尾が鞍替えして出るのはどうだろう。米山本人は応援せず、後援会レベルでは人貸しとか。
(下記9月1日追記)
泉田の後任擁立について、民進党新潟県連らからの反応。日テレ、テレ朝のローカルニュースより。
選挙区内に泉田の地元加茂市を含む菊田真紀子は投げ出し方や原発と言い、応じるなら意味不明だと批判する一方、
県連代表である鷲尾英一郎は地元目線の候補を推したいと述べるにとどめている。
鷲尾は保守二大政党制・大連立論者であるうえ、連合や党が割れる原発問題へのリスクを取らなくて済むため、相乗りで考えているはず。
自由党の森裕子は出る意図を見極めつつ、前原誠司新代表のもと結束して調整を進めていくことを電話で述べた。
前原は五区の対応について県連を尊重すると言っており、推薦人の鷲尾(菊田もそうだけど)を尊重してどちらかというと相乗りに応じる立場だろう。
問題は泉田のカリスマから言って、彼が勝とうが負けようが自民党が主導して担ぎ上げた段階で再稼働への民意ありということに出来ることだろう。
むしろ民進党こそ再稼働派だと有権者から批判を受ける可能性すらある。
また、星野は本人より周囲が(←ここはかなり重要かな)4区にぶつけたいという意向があると本日朝応じていたという。
昨日の段階では泉田本人は話せる状況ではないとしていた。現時点では与野党ともに出馬は微妙だと思う。
もっとも、小沢一郎と自由党は東京都知事選中から小池百合子へ接近している。
おやこ劇場という団体があります。簡単に言うと、親子での観劇などの活動をする為の団体です。が、活動は観劇に限りません。
ウィキペディアを参照してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%84%E3%81%93%E5%8A%87%E5%A0%B4
おやこ劇場(おやこげきじょう)(こども劇場(こどもげきじょう)という名称の場合もある)は、親子で舞台芸術を鑑賞し、また他の親子とともに色々な活動をすることなどを通して子供たちの感性を豊かに育てることを目的とした団体である。全国に、同様の団体が多数存在し、基本的に団体が存在する地域を名前に含んでいる。任意団体であるものが多いが、NPO法人格を取得している団体もある。基本的には毎月親子で会費を払って加入し、2ヶ月に1回程度、舞台鑑賞の機会を持つことが多いが、それぞれの地域の特性に合わせて会費、運営方法は異なる。運営は参加者自身の手によって行われており、特定の宗教、政治団体との関係性はない。略称は「おやこ劇場」「こども劇場」「劇場」など。
googleでおやこ劇場を検索すると、「勧誘」「宗教」「共産党」というキーワードがサジェストに登場します。
調べてみると、このような観点でおやこ劇場を見る人もいるのだなあと思いました。
私も、とあるおやこ劇場と関わりがありますが、こちらでは特に「宗教」とか「共産党」という雰囲気はありませんでした。
ただ思い出すのは、子ども関係のチラシに混じって、戦争(戦争法案?)反対的なチラシが恐らく一種類、事務所に置かれていたのを思い出しました。場違いではありますが、それにしたって、一種類程ですし、劇場の入会の時や普段の活動で貰った事は無かったので、おやこ劇場が特定の政治主張や活動に結びついている感じは受けませんでした。仮に、週刊金曜日でも置いてあれば話は別かもしれませんが、そんな物は当然置いてありませんしね。朝日新聞や毎日新聞や新聞赤旗も置いてありません。
会誌を読んでも、左翼的というかその様な活動実績も、政治的な書籍紹介も見た事がありません。
誰かが持ってきた日の丸の置物があった事もありました。
というわけで、割とネット右翼寄りの私でも感じるのはこの程度でした。
本棚にこち亀だったか、電車男だったかが置かれていましたが、あれについてはどういう経緯で置いてあるのか分かりません。
私が関わっているおやこ劇場は、県か県知事から表彰されているおやこ劇場ですから、運営が変であれば問題になるかもしれませんね。
メディアを賑わせている指定暴力団山口組の分裂騒動。分裂の理由としてはカネをめぐる不満や、勢力を強める弘道会に対する古参組員の反発などが取りざたされているが、「そもそもの発端には、警察のいきすぎた徹底摘発の姿勢がある」と語るのは、元捜査4課(マル暴)の刑事として辣腕を振るい、現在は組織犯罪に対する企業コンサルティングを行う有村仁司氏(仮名・68歳)。
「暴力団対策法に始まり暴力団新法、組織犯罪処罰法、暴力団排除条例。法律による取締り強化が、ある程度の犯罪の抑止力に繋がっているのは事実だけど、現場で捜査をする刑事からすれば『しょせんは頭でっかちのキャリアが考えた机上の空論』に過ぎないと思えることも多々ある。現場の刑事にすれば、必死で集めた情報も、法律が施行される度に白紙に戻ってしまう。反社会勢力と対峙してきた俺の実感からすれば、暴力団による犯罪が多様化し、見えづらくなっていくのは、俺がマル暴の新米刑事だった第1次頂上作戦からすでに始まっていたんだよ」
有村仁司氏
「もし抗争が始まれば、これまでの規模とは比べ物にならない。まさに最終戦争になるよ」(有村氏)
第1次頂上作戦とは、昭和39年から44年まで行われた、映画『仁義なき戦い』でもおなじみの警察による暴力団壊滅作戦。高度経済成長のまっただなか、西日本を中心にした全国各地で抗争を繰り返す“秩序の破壊者”たる暴力団に対して、徹底した実力行使に出ていた時代だ。
「頂上作戦の結果、暴力団の地下組織化は進んでいった。確かに、東日本に比べて、西日本の暴力団は縄張り意識が薄く、暴力と頭脳さえ秀でていれば、よその組の縄張りを土足で犯してもいいという考え方なので、この対策は当たり前の措置。が、この事件以降、人間同士の対話が成り立っていた侠客が、だんだん会話のできない相手に変貌していったというのも事実なんだよね。ヤクザ並みに強面で、チンピラに対しては罵詈雑言でねじ伏せるといったマル暴が多くなり始めたのもこの頃だったかな。『俺たちヤクザは名前のとおり“ブタ”(オイチョカブで893はブタの目)なんだから、警察はもちろん堅気には礼を尽くせ』なんて話していた親分が、“警察は敵”と、途端に態度を変えたこともあった」
その後も相次ぐ警察によると取締り強化によって、武力行使による勢力拡大が封じられ、極道の金看板を掲げることもためらわれるとなれば、「カネを稼ぐために地下に潜るのは当たり前」と有村氏は続ける。
「そうして企業舎弟といわれるフロント企業が増殖するわけだけど、警察側にしてみれば、暴力団の組長や幹部が作って直接関与しているタイプのフロント企業には目を光らせることができる。けど、表面上は無関係を装って、暴力団の資金提供に寄与しているタイプのフロント企業の捜査は、資金の流れは功名に覆い隠されているし、難航を極めたね。山口組でいえば、そういったシノギ上手のヤクザが今の弘道会系で、山健組のように昔ながらのヤクザは、暴力団排除条例で弱体化した。銀行口座も作れなければ、生命保険契約も認められないんだから、資金力に差が出るのは自明だよ。第一勧業銀行ほか、大企業の幹部数十名が、総会屋への利益供与で続々と逮捕された事件があったけど、あんな大事件が長い間明るみに出なかったのも、“フロント企業の共生者”に対する捜査の難しさを物語っている」
武力闘争から頭脳戦へ。非合法の経済活動で裏マネーを増幅させる――そんな暴力団のシノギが膨張していく背景にあるのは、「大組織による全国制覇の副産物」と有村氏は推測している。
「郊外に大資本のスーパーチェーンが参入すると、地場の産業が衰退して多くのシャッター商店街が生まれるけど、あれと構図は一緒。小さな組がそれぞれの小さい縄張りを守って小競り合いを繰り返すだけなら、山口組がここまで肥大化することもなかった。肥大化を防ぐために、警察トップは暴力団壊滅を目指して暴対法、暴力団新法と取締りを強化していくわけだけど、大組織こそ表のビジネス活動をうまく利用しているからね。捜査4課の目に止まるのは、枝の枝の枝にある組や、一本どっこの小さな組が犯す、小さなシノギばかり。結果、小さな組織はどんどん潰れて、大組織はどんどん肥え太るっていう構図が生まれたわけだ」
暴対法によって、みかじめ料や恐喝など“暴力団的なシノギ”こそ減ったが、上部組織の摘発なしに弱体化は図れない。そこで、下部組織の犯した罪でも暴力団のトップをあげられる「使用者責任の追及」を可能にした暴力団新法が04年に施行され、08年にはさらにその使用者責任を拡大させる改正暴力団対策法が生まれる。
「裏社会に与えるインパクトは大きかったし、組織全体の萎縮化を図ることには大きく貢献した。ただ、取締りが強化されるほどに、暴力団は新しいビジネスモデルを確立して、それに対応できない組との間の格差は開くばかり。今回の分裂騒動の根っこにあるのもそういうことだろ。ただ、分裂したところで、根本的なシノギ自体は変わらない。現行の暴対法を元に警察が“与し易い”と判断した側――つまり神戸の側ばかりを狙うようになれば……」
完全に逃げ場を失うような締め付けは、また新たな火種を生み出す爆弾となることは過去の歴史が証明している。今後の成り行きを注視していきたい。 〈取材・文/日刊SPA!取材班〉
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神戸山口組の本部脇に設置された特別警戒所前で暴力団追放を訴える警察官ら=3日、兵庫県淡路市
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国内最大の指定暴力団山口組(本部・神戸市灘区)が分裂し、離脱派が結成した神戸山口組(本部・兵庫県淡路市)が指定暴力団に指定されて今月で1年がたった。その後も抗争とみられる事件が全国で20件(13日現在)発生した。住民らは不安を募らせ、警察は警戒を強めている。
10日、淡路市。神戸山口組本部を兼ねる俠友会(きょうゆうかい)事務所で、神戸側の直系組長が集まる月1回の定例会があった。本部脇に掲げられた看板には赤い太字で「暴力団追放」。1週間前に開設されたばかりの兵庫県警の特別警戒所だ。捜査員が、出入りする組長の監視を続けていた。周辺に住む男性は「本部の存在は淡路島にとって大変な脅威。住民が一丸になって排除の活動を続けたい」と話す。
神戸山口組は5日、神戸市中心部にも新拠点を設けた。中央区二宮町3丁目の延べ170平方メートルの4階建てビル。登記簿によると、もともとは政治団体代表が所有していたが、3月下旬に所有者が変更。神戸側ナンバー2の若頭(わかがしら)の寺岡修・俠友会会長(68)に代わった。組関係者によると、「連絡所」として使用し、系列の組員が日替わりで当番をしている。
県警幹部は「淡路島は遠いので、少人数の幹部が集まりやすい拠点を作ったのだろう。組事務所とみなすべきか見極める」と警戒する。ただ、半径200メートル以内に小中学校などはなく、県暴力団排除条例で定めた組施設の設置禁止地域には当たらないという。
ここから西へ約300メートル先には、神戸市内で唯一の山口組直系団体の事務所がある。別の県警幹部は「新拠点は山口組ににらみを利かせる狙いがある。抗争の火種にならないよう監視を続ける」と話す。
しかし、辛坊や竹田はまるで冗談かのように茶化していたが、これは本当の話だ。ある在京テレビ局関係者が言う。
「いまのテレビは政権というか官邸の顔色ばかり伺っている。企画だって政府批判につながりそうなものは露骨に上の受けがよくないし、だいたい弾かれますよ。
スタジオでも言葉遣いひとつひとつに、偏向だとか言われないように細心の注意を払う。その意味では、やっぱり安倍政権に好意的なコメンテーターは使いやすいんです」
しかも、こうして一度“安倍礼賛”の陣営にはいれば、いみじくも『委員会』で辛抱が暴露したように、講演会によってガッポガッポと稼ぐことができる。
もちろん、そういう「講演会」というのは、書店のトークショーなどでのこじんまりしたものではない。
JC(青年会議所)やライオンズクラブ、有力企業や保守系政治団体などが主催し、ホテルなどの大箱で催されるもので、目当ての“顧客”は、一般人ではなく企業経営者や地元の実力者。
いきおい、講演料は大学や市民団体などでの講演とはくらべものにならない高額になる。
たとえば、講演会での講師派遣などを手がける株式会社エスエンタープライズのHPによれば、“保守の女神”こと櫻井よしこの講演料の「目安」は実に100万〜150万円と記載されている。
前大阪市長の橋下徹の講演料が「90分200万円」であることも有名な話だ。人によってピンキリではあるが、相場は50万〜200万円と言ってもいいだろう。
ようするに、こうした文化人にとって数時間でこんな大金を得られる講演会ほどオイシイものはないのである。付け加えると、「『委員会』に出て、講演で稼ぐ」という構造も本当だ。
その典型が、東京新聞の長谷川幸洋。長谷川はある時期から急速に安倍応援団色を強め、
いまではネトウヨ番組『ニュース女子』(TOKYO MX)の司会者として沖縄ヘイトを垂れ流すまでになったが、その長谷川が夢中になっているのが「講演ビジネス」らしい。
長谷川とテレビで共演したことのある評論家が苦笑しながらこう語る。
「長谷川さんの方から、『あなた、何で稼いでるの?』と言ってきて、『講演やった方がいいよ、講演は儲かるよ』と力説していましたね。
なんでも、土日は講演で地方にいて、ほとんど東京にいない、と自慢していました。うれしくてしようがない様子でしたよ」
しかも、講師派遣サイト「講演依頼.COM」の紹介ページを見てみると、長谷川は「実績」として堂々と『そこまで言って委員会NP』や『ニュース女子』 “売り”として記載している。
そんな長谷川がどんな講演を行なっているのかといえば、昨年6月には新潟県内のホテルで、「安倍政権と今後の日本」と題した講演会を行なっている。
主催は、新潟県異業種交流センター県央支部で、後援は燕三条青年会議所。燕三条JCの告知ページではこのように宣伝されていた。
〈読売テレビ「そこまで言って委員会NP」など、多数のメディアにご出演されている長谷川幸洋氏より、参院選前の官邸の様子、永田町の様子などホットな話題を提供していただきます。
普段テレビでは言えないような発言も飛び出すかもしれません。お聞き逃しなく!〉
こうした安倍政権応援団の“講演会ビジネス”の実態をまざまざと見せつけられると、ひょっとして、こうした小遣い稼ぎ(といっても大金だが)のために、
テレビで安倍首相を礼賛して沖縄米軍基地に関するヘイトデマを垂れ流しているのでは、という疑念が頭をもたげてくる。
毎日新聞の伊藤智永氏は「サンデー毎日」(毎日新聞社)4月2月号に寄せた「安倍首相を担いだ『保守ビジネス』」のなかで、近年の日本社会のなかで〈「保守」が思想ではなくビジネスになっている実態〉を指摘している。
伊藤氏はそのなかで、東条英機元首相のひ孫である東條英利氏のエピソードを紹介している。
東條英利氏は現在、一般社団法人「国際教養振興協会」の創設理事長を務め、神社ライターとしての執筆活動や各地での講演会を行なっている。
伊藤氏の取材に対し東條氏は、竹田恒泰が代表を務める「竹田研究会」に出入りしてノウハウを学んだという。
竹田研究会といえば、〈日本を研究し、日本の文化芸術を振興し、かつ、青少年の健全な育成をすることで、日本人が輝きを取り戻し〉などという触れ込みで全国に支部をおき、各地で竹田の講演会を開催している団体。
事実上、竹田の資金集め組織のような役割を担っているが、昨年10月、竹田の片腕としてその竹田研究会の幹事長をしていた前山亜杜武氏が、詐欺容疑で逮捕されたことも記憶に新しい。
伊藤氏は、東条氏のように、この竹田研究会で学んだノウハウで独立し「保守ビジネス」を起業した男性2人に取材。彼らの話を総合すると、その実態はこういうことだという。
「セミナー屋だね。会費3000円で1回25人も集まれば成り立つ。あとはネット塾。私は月1000円で約1400人に歴史や時事問題で面白い言論を配信している。
毎月定期的に140万円。売れっ子のKさんは月5000円、Mさんは月3000円で常時1000人以上。やめられないよ。運動なんかしない、商売だもの。
自己啓発とか異業種交流とか似たモデルは他にもあった。1990年代末から保守が売り物として成立するようになった」
この複合証言のなかに出てくるK氏とM氏は〈ウィキペディアにも載っている業界の中堅どころ〉だという。
いずれにせよ、「日本を研究し、歴史と伝統を継承する」などと大上段に構え、「保守」を自認する安倍政権を讃えることが、彼らにとって格好の金稼ぎの手立てとなる。
『委員会』で辛坊治郎が暴露した“講演会ビジネス”もそうだが、そうしたビジネスが蔓延しているということなのだ。
結局、彼らの言う「保守」というのは、金儲けのための“看板”みたいなものなのだろう。つくづくため息が止まらないが、
安倍政権がこうした“ビジネス保守”の連中を活用することで、世論をつくりあげていることも事実だ。圧力に屈して政権を忖度するマスコミと、
その流れをフルに活用してマネタイズするカッコつきの保守人士たち、そして、それを養分に政治体制を盤石にする安倍政権――。そのサイクルは、わたしたちが思っているよりもはるかに構造化しているのかもしれない。
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そういうわけで、今の日本で殺意の矢面に立たされているのは「日本の残滓」ともいえる。というのも最近の自公政権おろしの発言に、実に納得する。つまり、表面的に彼らがすべてを支配しているように見えるが、実は本当に窮地なのは、日本の残滓の側だろう。
1980年代は昭和時代だが、まだ発展の前半だったので、当時の国民の誰もが残滓と戦っていた。1990年代は残滓的なものがますます壊れていったが、それは都市部に限ったことだった。2010年代、もはや日本の残滓は、政治サブカル的手法によって相互がエンコ的に結び付きあわないと成り立たなくなってないか。
「おニャン子」の時代は握手券もなければ秋元康氏が支配層とずぶずぶになることはなかった。ニューミュージックや洋楽こそ限定的であった。しかし今の日本では、若者が音楽離れすらしている。非常識的なCDセールスや国策の迎合がなければ国民的グループは成り立たない。
ネトウヨのサブカル風味(あの暴走族らしさも含めて)は特殊だが、日本的な市民団体の多くは運動が成り立たなくなっていて、そういう政治団体の組合の会長が左翼趣味をまき散らして云々することはできなくなっている。壁も中身もうすっぺらいサブカルしかない。
「新自由主義」の美名のもとに、好景気まがいな豪華列車が全国各地で走ったり、今時ポストヤンキー名乗りをして道路利用者や警察から顰蹙を買う連中は、寝台列車を走らせていたり、痛車やラノベの競争が行われていた頃よりはるかに日本らしさを失っている。
「日本残滓」がモンスターになったものが、あらゆるものを蝕んでいる。というわけだ。1980年代から1990年代にヤンキーつぶしの迷惑をオタクが被っていた頃に比べると、今回の右傾化問題はちゃっちすぎじゃん。昔は、その地域の最大の家族一族が大金持ちになり支配層になり、色々な産業に口出ししているということだが、今は新自由主義で富裕層をインフレするというショボいやり口になっている。日本残滓は弱体化している。
この線香花火が消える寸前にブワッと燃えるような感じの「日本残滓の悪あがき」が、2010年代の日本なのである。非行のネタ消費も、鬱陶しいほどの鉄道の拝金志向やオタクのギャル・ヤンキー化もそう。全部が、断末魔。あからさまに必死になり癒着しあって虚勢を張っているだけだ。
だから虚勢であり、内実がないから、これはしょせん偶像でしかないし、前時代の論理であり、ネタでしかないし、あやかしであって、モンスターなのである。これに終止符を打つ、一種の抵抗を迎えるのが、今われわれ文明社会を信じて生きる都市住民にはあるのではないか。
あの問題が第二次自公政権という擬似右翼政権の幕切れで終わる訳がないと思っている。日本の社会性にも切り込まれるだろうし、現在の人類が(人類が何度も滅んだと言う説もあるため一応。)文明社会始まって以来受け継いできた帝国システムも、そろそろしっかりと「精算」されるはずだ。2017年から2019年はまさに一つの人類の伝統が東洋の小国から終わる時ではないか。日本人自ら日本の看板を捨てる。
今の日本人は2000年代までとはまったく異質で極左的だ。天皇制への疑念も高い。
だが日本で起きようとしている2019年問題とは、まさに“嘗ての中国”が行ったことと親和性が強い。現在の台湾や中国が王朝制度を破壊したように。それがわからない「肉屋を支持する豚」バカが支持母体となった社会は崩壊する。日本を故郷にもつ私にはまことに不本意だが、肝心の彼らがこうなのだからもうどうしようもないとなかばあきらめている。
最近、公共の場における(いわゆる)萌え絵についての議論が盛んだ。
風潮として議論がもりあがってる背景は主に三つあると思う。
一、日本でも一般レベルでフェミニズムが意識されるようなり、ああいうのものが「女性に対する抑圧」であると認知されるようになったため。
二、特に twitter でマイノリティの声(とそれに対するバックラッシュ)が広まりやすくなったため。
欧米なんかではそもそも歴史を通じて公共の場に性的なイメージがあまり氾濫してこなかった。
なぜかといえば、キリスト教は性愛やセクシャルなものに対してとても潔癖な宗教で、そういうものを基盤に文化を作ってきた人たちはそもそも「えっちな絵を描いてそれを世間に出しちゃいけないんだ」と自制が働いていた。フリーセックスの時代を経てさえそうだった。エロ絵文化がないではなかったが、それはあくまで秘すべきものだった。
だから、ラリー・フリントというおじさんが高級誌気取ってる『プレイボーイ』につばはいてお下劣なエロ雑誌を創刊したときは大変な大問題になって、「表現の自由」論争が沸き起こった。
そこへきて日本は他力本願の宗教の国だから、エロを抑えるのはお坊さんに任せていればいい。
嫌悪するにしろ称揚するにしろ、庶民はエロに対する政治的な定見など持ってない。
西洋のエロ絵に対する嫌悪には良くも悪くも宗教的な裏打ちがある。だから保守勢力(マジョリティ)を説得しやすいし、そのためにエロ絵擁護派はカウンターカルチャー側に位置していきた。
日本人にはエロ絵の感情に対する何のバックボーンもない。ただ、「その人がえっちなのを嫌悪している」か「その人がえっちなのを好き」か、それだけだ。完全に感覚。だから、互いに互いを説得しにくい。嫌悪側はフェミニズムの議論を援用して、擁護側は70年代的なフラットな表現の自由を標榜して、それぞれぶつかりあうが、そのどちらも西洋からの輸入品で、結局は自分の感性へのお仕着せでしかない。
宗教は無根拠であるけれど、それ自体がなぜか強力な根拠となりうる不思議な道具だ。
こういう方面の文化は、結局ロジックよりそうした宗教的文化の気分の勝負になるんだと思う。
日本はなんとなくのアニミズム=自然っていいよね=セックスって自然だよね=セックスで溢れてて何が悪い? という土壌が保存される。
事実これまではそうなってきた。
裏を返せば、ここに至るまで揺り戻そうとする力があまり働かなかった。
実は文化の隆盛を決定づける大きな要因は政府と法だ。法で規制されると文化は意外にもろい。
政教分離を謳われながら、キリスト教の団体は古くから西洋国家の主要なロビイング団体であったわけで、政府としてはそういう人たちの意をくまねばいけなかった。ただしい清い方向にふらないといけなかった。
もちろん日本にも宗教団体を背景とする政治団体やロビイ団体がいくつか存在するけど、それらはあまり庶民の性規範にあまり興味を持たない。
日本の不幸(あるいは幸福)は、その性的放縦を増幅させるだけの表象文化レベルの高さを持ってしまったことになる。
この世をエロ絵でうめつくす土壌と技術を兼ね備えた国は歴史上、まだ日本以外に登場していない。
これから日本の規範や法がどういう方向へ動くのかはまだわからないけれど、あと四五年は肌感覚でdisったり擁護したりみたいな実のない喧嘩が続くんだと思う。実のない喧嘩自体は悪いことじゃない。そうやって問題が認知され、議論の場が醸成されていくのだから。