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はてなキーワード: バイアスとは

2017-04-15

ニセ科学批判クラスタフェミニスト

ニセ科学批判クラスタへの「左派ばかりを批判している」というバイアス

フェミニストへの「オタクばかりを批判している」というバイアスは似ている。

 

あ、菊池誠氏が(本人が左翼のつもりだろうと)左派批判に偏ってるのは否定しません。

2017-04-13

加計学園関連の国会動画まとめ

加計学園に関して何が問題視されているか国会答弁が大本営発表になりつつある。によくまとまっているが、国会動画が一つしか貼られていない。今の御時世、マスコミを通さずに気軽に直接国会動画を見ることが出来るのだから非常にもったいない

上記記事の背景知識の中から逐次引用しつつ、その引用箇所に関する動画を貼っていきたい(基本youtube、なければ参議院インターネット審議中継)。質問は要約したものを記すが、それに対してどう答えたか各自その「バイアス」のない眼で見に行って欲しい。


 これまで、獣医師には人員の偏在の問題はあるものの(医師田舎に行きたがらないのと似ている)人員不足ではないとして、獣医学部の新設は不要とされてきたほか、安倍政権以前にも加計学園構造改革特区に15回提案して、15回とも落ちている。

3/27 櫻井充(民進)@参院予算
構造改革特区加計学園は15回応募して、15回ともはねられているがなぜか」
https://youtu.be/79zWd0nEaSM?t=16m45s


 しかし、ワーキンググループ会合で、獣医師の偏在が問題から空白地帯に限るということになり、特区指定今治広島に決定し、公募が行われることになった。採択理由加計学園提案のほうが熟度が高かったからとされたが、加計学園提案書はA42枚。京産大提案は21枚。公募期間は2週間。当然、今治計画してきた加計学園けが公募し、選定されることとなった。

 その一方京都産業大学提案書、ヒアリング議事録については、他の事例ではすぐ公開されるのに、公開せず、外部からの指摘によりようやく公開したが、加計学園提案にくらべ、はるかに具体的で、研究者資源の面からも充実していると見られるものだった。

3/30 木内孝胤(民進)@衆院地方創生
10/17京都産業大学提案を受けてから、約3週間後の11/9に突如として空白区限定するようにルールが変えられている。なぜか」
https://youtu.be/cWKjSBAhro4?t=6m20s
ルールが変えられる前の10/31加計学園ボーリング調査の申し出をしているが、なぜ何も決まっていないこの段階で申し出を受理しているのか、お聞かせください」
同上8分43秒より

3/30 木内@衆院地方創生
京都産業大学提案内容だが、事務局確認したところはじめてホームページに上がったのが3/16であった。10/17提案を受けたのに5ヶ月も経ってから公開されたのはなぜか」
https://youtu.be/cWKjSBAhro4?t=3m48s

4/4 櫻井@参院農水委
京産大鳥インフルエンザ研究センター総合生命科学部設立ライフサイエンスに関して研究を進めてきている。なぜ、こうやってきちんとやっているところが落とされたのか。いつどこで誰がどういう議論をして今のような結論を得たのか」
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?ssp=29000&type=recorded (2:03:10から)

4/6 森ゆうこ自由)@参院農水委
京産大より今治の方が熟度が高かったという判断内閣府独自でされたのか」(この質問から加計学園のA42枚の提案書の内容へと移る)
https://youtu.be/fhJM3yz4BB0?t=10m19s


 さらに、この決定がいつ下されたのかについて、山本有二農水大臣山本幸三特命大臣松野文科大臣が3大臣合意をして、パブコメ否定的意見が多く、日本獣医師会からも反対声明が出たため、1校に限ると3大臣合意して決めたと答弁したが、桜井充議員が、内部情報で、会合資料作りなどはしていないと告発を受けたため、合意に関わる文書、ならびに会合等の議事録の提出ができるかと問われたところ、文書はないから出せないといわれた。その後山本有二農水大臣12月22日に持ち回りで署名したと答弁したため、桜井充議員森ゆうこ議員がじゃあその合意文書稟議書を出せといったがなかなか出てこない。やっと4月4日に森ゆうこ議員に提出されたわけです。

 森ゆうこが、聞かれたからあわてて作ったんじゃないか,もし本当に12月20日合意文書作成したというのならファイルプロパティをみせろと要求し、理事会に諮ったらそれを理由書類を出さなくなるから松本副大臣責任で見せて欲しいと要求し、松本内閣府副大臣が前向きに対処することを約束したところまでが、背景。 

3/27 櫻井@参院予算
告示獣医学部の設置を一校に定めると、どこでいつ誰が決めたのか」
https://youtu.be/79zWd0nEaSM?t=27m49s

4/4 森@参院農水委
「3大臣合意についてどのようなことを、いつ合意されたのか」
https://youtu.be/n6ok94ADu2g?t=3m10s (25分ごろまで続く)

4/6 櫻井 @参院農水委
「3/17にうちの事務所から内閣府に問い合わせたところ11/9の一枚紙しかないという返信がきた。翌日再度(医学部ときにおける)三省合意と同等の文書はないか聞いたところないと明確に答えた。それが、いつの間にか12/22の三大臣合意なる文書が出てきた。なぜ急に出てきたのか」
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?ssp=29039&type=recorded (35:10から42:16まで)
「一週間や十日で大学獣医学部の新設を提案できると思いますか」
同上53:55から

2017-04-12

森友のこと質問たから質疑終了、採決な!

国会ウォッチャーです。

今日3つ目ですが、あまりのやりたい放題にちょっとびっくりしたので、書きます

竹下亘が、囲み取材で、

100万円の寄付をしたということが「総理に対する侮辱」だから籠池理事長証人喚問を決めた、とのたまっていましたが、今日のこれを見ても自民党議員内での安倍総理に対するおべっか、ケツなめはここまできているのかと正直驚きました。

 これも背景知識がないと民進党柚木議員が悪い、みたいにおっしゃるかたもいらっしゃると思いますが、今までの慣例から考えて、質疑冒頭に出席者に簡単に答弁を求めることはこれまでにも多々あったことです。また、予算委員会が終わり、森友学園天下り問題についての総理入りの集中審議の開催を与党拒否し続けているので、森友学園に関することを総理に答弁を求める機会は今のところありません。したがって、柚木議員が、総理入りの厚労委員会で、冒頭に総理質問すること自体は何も不自然ではなく、よくあることです。また議員には一般質問をする権利質問権が保障されているので、口頭での一般質問をすることも本当によくあることです。

柚木議員質問

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=47024&media_type=fp

柚木道義

「先週の金曜日昭恵夫人と、プレミアムフライデーということで、ハンバーガーをお食べになり、大変結構なことでございますが、ただ、ぜひ公の場でご説明をいただけるようにお話し合いはされましたか総理から昭恵夫人お話はされましたか。あるいは総理が止めていらっしゃるんですか」

安倍晋三

「あ、重要広範質疑ということで、介護保険改正案について、出席をさせていただいている、非常に貴重な時間だと柚木さんにとっても貴重な時間なんだろうと、このように思うわけでありますが、この問題につきましては、今柚木議員から質問をいただいたことも含めてですね、もう何回も、既に何回も再三妻子、答弁をさせていただいているところでごぜぇます。(嘘。昭恵夫人と話し合ったかどうかは答えたことないです)いずれにいたしましても、従来より答弁をしているとおりでございますし、この問題につきましては、会計検査院調査結論を出す、それを待ちたいとこう思っておるしだいでございます

丹羽秀樹委員長

「質疑は議題の範囲内でお願いします(これもめったに言わない)」

柚木道義

「私も早く通告した質問に入りたいので、総理簡単なことですので、ひとつ答弁をお願いします。財務省森友学園との交渉記録データが、復元可能である財務省が答えている。財務省によりますと、今年六月システムが入れ替わる予定とのことで、このままでは証拠隠滅の恐れがある。ぜひ総理から一言結構ですから森友学園との交渉記録データ復元して公表するようにと、一言ご指示いただけませんか。」

丹羽秀樹委員長

柚木君に申し上げます、質疑は議題の範囲内でお願いいたします。」

この後安倍総理は答弁しないまま同様の要請柚木議員要請した後、質疑に入りました。

そのあと各議員の質疑ののち、維新河野議員の質疑終了後に丹羽秀樹委員長が、総理の退出を宣言し、緊急の理事会招集しました。

突然の質疑終局、採決の決定

時間ほどの中断の後、なんの説明もなく再開されましたが、中島議員阿部議員堀内議員河野議員から、いきなり採決する、ということについての苦情が述べられます

そして最後河野議員の質疑終了後

丹羽秀樹委員長

「三ツ林ひろみくん」

三ツ林ひろみマイク拾ってない)

「本法案の、質疑終局、終局討論省略、ただちに採決すべき」

野党議員

「せめて理事会開いてくださいよー」

「こんなのおかしいだろ」

丹羽秀樹委員長

「三ツ林ひろみくんの質疑終局等論省略、ただちに採決すべきとの動議に賛成の諸君の起立を求めます与党議員起立)。起立多数、よっとそのように決しました。これより採決に入ります。」

野党議員

委員長与党理事の言いなりなんですか?」

今日採決するなんて聞いてないよ」

丹羽秀樹委員長

「採決をいたします。、本案に賛成の諸君の起立を求めます。(与党議員起立)」

「起立多数、よって本案は原案のとおり可決すべきものと決しました」

野党議員

委員長公平中立にやってくださいよ!」

地方公聴会もやってないじゃないか

介護保険法改正は、与野党距離がそれほど離れているわけではないので、野党修正を呑む余地あるとのことで、わりと建設的な議論がされているほうなわけですが、突然の質疑の打ち切りということでめちゃくちゃ強引なやり方です。はっきりいって私の記憶にはありません。

 またこの介護保険法改正重要広範質疑ということで、公聴会を開いて、地方有識者意見を聞いたりとか、そういうこともよくあるわけですが、いきなりの終局宣言からの採決、これも見たことがない。中島議員から、「採決すると、その理由も、重要広範質疑の内容について」と説明があったとおり、どうも中断の間に、理事会で、「森友のこと聞いてきたから質疑打ち切り、採決する」との決定がされたようです。

宮崎岳志議員が、地方創生特別委員会で、このことについてコメントしていました。

曰く、与野党の筆頭理事(たぶん後藤茂之井坂信彦)の間では金曜日にも質疑を継続する予定であったこと、重要広範質疑に関わらない質疑をおこなったことから、質疑を続けられないと決定したという話がありました。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=47025&media_type=fp

ちょっと名指しするけど、丹羽秀樹後藤茂之田村憲久高鳥修一、とかしきなおみ、三ツ林裕巳ども安倍のケツなめるのもいい加減にしろよと思いますけども。

追記

一般的法案審議の流れ

委員会で審議される法案は、一般的には、

法案提出趣旨説明→質疑→討論→採決

という流れで審議されます

提出者が法案趣旨説明し、質疑をします。国会議員質問したり、政府民間から参考人を呼び意見を聞いたり、国会利害関係者を招き、公聴会を開いたり、逆に議員地方にいって地方公聴会を行うのも質疑です。質疑が十分に尽くされた、と委員長判断したとき委員長は質疑終局を宣言します。そののち、討論を行います。討論は、本案、修正案ともに行われ、それぞれ案件に対す賛否とその理由を論じます。その後、採決に移ります。採決においても、修正案の採決から行われ、修正案を否決した後、本案を採決することが多いです。

委員長が突然質疑終局を宣言する意味

野党議員が全員、公式野党維新ですら苦情を述べていましたが、もし野党議員修正案を出す準備をしていた場合、このような突然の質疑終了をされると、修正案の審議の機会がありません。その採否はともかく、提出する機会すら与えられないことになります。ですから審理日程については、与野党理事の間でしっかりと協議して合意した上で法案審理を進めるのです。こういった建前は、実はとても大切です。これをなし崩し的に行うなら、与党は、その多数を頼って、法案趣旨説明ののち、いきなり採決に入ることすら可能になるからです。国会の審理はその結果に関わらず、野党議員がどういう意見を述べたかということが記録されることも重要なのです。そういう大切な建前を、安倍が答えにくい質問をしたからという理由でとっぱらってしまった今回の採決の頭のおかしさは際立っているといえます

さらに追記

どうやら、長尾たかし議員高橋千鶴議員ツイートによると、

安倍委員会入りで、野党安倍質問時間全部やるかわりに、森友関連の質問はするな、と筆頭理事間で約束していたのを破ったからだ、といってるらしいですね。これを正当な理由だといいたげな長尾も大概だと思うよ。理事の間での約束事を破ったから質疑終了、採決だって?どこにそんなルールがあるんだよ。次回の野党の持ち時間減らす嫌がらせとかならまだ理解するけどさ。大体、こんな意味不明取引してる時点で、厚労委員会与党理事どもは、安倍委員会入りに泥を塗られたとか思ってんだろ?マジでおまえらいっぺん選挙落ちて頭冷やせ。

あ、あとすみません与野党筆頭はどうやら田村柚木のようです。

さらさらに追記

この件に怒った山井が、一旦合意していた共謀罪の審議入りを拒否したとのニュースみて「そらそうよ」と思ってたら、竹下一言謝罪して正常化したと受け入れただと。山井和則ホント何考えてるんだ?今回の厚労委員会のアホな行動も竹下亘は把握してなかったってことだろうが。そんなやつと協議して正常化したとか言ってんじゃないよ。戦うポイント間違えてんな。

さらさらさらに追記

厚生労働委員会森友学園のことを聞くな、とおっしゃるひとも多いわけですが、議員質問権が保障されている意義を考えて欲しい。ほとんどの委員会総理が出席していた一昔前ならいざ知らず、今では、各委員会総理入り審議がされる機会なんて一会期で1回あるかないかなわけですよ。直接的に総理大臣議員がやり取りできる機会は本当に稀なわけです。一方議員は各委員会委員であると同時に、国民代表ですよね。国民代表者としての議員が、ただ一回かもしれない総理大臣との直接対峙の場面で総理の言質をとろうとすることがそんなにおかしいかい?また法案提出である内閣閣僚能力や誠実性についての疑義というのは、ほとんどすべての委員会で質疑の対象となってきていたわけですから世論調査の結果にしたがって8割の人が納得していないという話題について説明をするように促すことがそんなに場違いだというなら、さっさと集中審議開かない与党問題なんじゃないですかね。

あと偏ってる、バイアスがーとかいってるやつはアホなんですかね?動画貼ってるんだから自分で見て自分判断しろよ。

あと、森友ばっかり聞いてるからかいってるのも「私は張られた動画も見ません」と宣言してるようなものなので、ちゃんと見たほうがいいよ。この手続きのほうが大きな問題だと思ったけれど、「自殺者全体が減っている中で、介護関連の自殺けが増えている中での介護保険負担の増額を求めるのはどうなのか」という質問に対して「アベノミクス自殺者が減っている(キリッ」とか答えられるすばらしい雄姿が見られるぞ。

一般質問権と質疑

質問権は国会法第74条、75条で保障された権利です。一般質問議長が許す限り、法案、議題に関わらず何を効いてもいいものです。本来質問と質疑は区別され、質問は書面(質問主意書)を持ってなされ、答弁も書面で行われますが、閣議を経るため返答が遅いものです。質疑は、議題に関することに関する疑問点の解消のために行われるものであり、口頭で行われます。したがって、柚木議員が質疑をさえぎられたことをもって質問権の侵害だといっていたこ自体には私は賛成していませんが、質問権の趣旨に鑑みて、現に議会運用上、質問権を口頭で行使することが是認されている状況下で、それを行使したことの非を以って、懲罰的に質疑を終了するという行為の愚かしさが問題だといっているわけです。

北朝鮮有事かというときに森友かよ、とか言ってる人のヤバさ

森友学園加計学園南スーダン日報問題昭恵夫人と付職員の行動の法的根拠のなさ、これはすべてガバナンス問題ですよ。有事にこそ一番求められるガバナンスの欠如の問題議論しないでどうするわけ?首相馬鹿みたいにうかつな発言のために黒いものを白いと主張しつづけて行動せざるを得ない組織を見せ付けられて、北朝鮮有事安倍政権が頼りになると思ってるわけです?すげー迂闊に下した判断のためにさらに誤った判断を下し続けるこの2月の状況を見て、そういう判断している人がいるのがちょっと信じられないです。

一応こっちにも追記

約束した!っていうのはね、お互いが了承したときになりたつんですよ?

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170413-00167571-toyo-bus_all

その理由柚木氏の発言が「発言は、すべて議題外に渉り又はその範囲を超えてはならない」と規定する衆議院規則第134条違反であるとともに、自民党が「法案以外の質問をするということは、審議が十分だということで、採決しても構わない」と判断したためだ。また11日午後に開かれた理事懇談会で、自民党民進党に事前に「法案以外の質問はしないでくれ」と申し入れてもいた。

首相への忖度強行採決

 だが民進党はこの申し入れについて「質問者質問権の問題がある。良識範囲内でやる」として留保森友学園問題についての柚木氏の発言も約10分程度に抑えられており、衆議院規則違反についても強行採決で封じられなければならないようなものはいえない。

http://anond.hatelabo.jp/20170412085744

サイバーメガネが「何も起きないと思ってる人は正常化バイアス」とか書いてるけど

その「何も起きない」は字義通りに何も起こらないという話じゃなくて、そりゃ何らかの軍事衝突は起こるかもしれないけど、

終戦記念日3.11みたいに数年後に日本国民全体で祈念するような日本国民大勢被害を受けるまでには発展しない」という期待でしょ

だって世界各地の至る所で戦闘が起こってて、回り回って日本にも影響は及んでたりするけど、日本人にとっては「何も起きていない」のと一緒

「何かが起きる」のシミュレーションをするならば、日本人が1000人単位死ぬまでのシミュレーションをしないと

2017-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20170411232425

本当に一切何もしないのがヒモってのは所謂原義であって

実際会話でヒモって言うと、男のほうが働いていてでさえヒモって表現されてることが多く感じるし

ヒモが多いから云々ってのはそのへんのバイアスがどうなんだろうって気になる。


極端な例になると、高学歴の割には低収入の人が大学時代から付き合ってた人と結婚したら

相手の方が高収入になって「ヒモ」と呼ばれてるみたいな。

まあ確かに極端な事を言う人が多数派かどうかはわからんが、

家事とかを「何もやってない」との区別をしない人ってのは割といると思う。

専業主婦を敵視してる層とかと似た感覚なんだろうかとか思うけど。


あと、いくら収入面での数字が良くても、妻が「正業」、夫が特殊仕事、とかだと

毎度おなじみ「よくわからん仕事からニート認定」の既婚者版的な感じで

夫のが上でもヒモ認定は有り得そうな気がするし。

2017-04-04

いじめから逃げるか逃げないかに迷ったら考えてほしいこと

はじめに断っておくことは、これはまぎれもない生存バイアスである

話の一つくらいで聞いてほしい。

自分いじめられた原因は、不良グループの一員のプライドを傷つけたことだった。

いじめと言えば見た目や行動が特徴的な人間が受けるものだと高をくくっていたので、まさか自分がこんな目に遭うだなんて想像すらしていなかった。

不良グループの前でそいつに「パンを買ってこい」と言われたことを「いやだね」と断ったのがきっかけだ。そいつはその場で他のメンバーからかなりバカにされたのだろう。

翌日そいつは二人組で自分のところに来て、再び「パンを買ってこい」と言った。

再びそれを断ると、二人は机の両脇に立ち突然脇腹を一発殴ってきた。全力ではないことは分かったが、鈍い痛みが走った。

その日以降同じようなことが毎日毎日、何回も何回も繰り返されるようになった。

その内理由もなく殴ってくるようになり、暴力も少しずつエスカレートしていった。

自分いじめに立ち向かう上で、勘違いしていることがあった。

それは、立ち向かうこと=反撃することだと思っていたということだ。

から一緒に戦ってくれる仲間や強い武器を探し続けた。

しかしそれを続けていく上で、そのことが間違っているかもしれないと考えるようになった。

なぜなら、それを続ければ続けるほど、自分も仲間も傷が増えていく一方だったからだ。

それに例え相手に傷を負わすことが出来ても、報復は何倍にもなって自分に返ってきた。

結局自分の行動は、相手報復正当性を与えてしまっていたのだ。

これではいじめがなくなるわけがない。むしろエスカレートして当然だったのだろう。

いじめに耐えられなくなり中高一貫校を高2で中退するまでの3年間、自分は多くの深い傷を負うことになった。

その後は友人とも音信不通になり、全く新しい環境で一からスタートすることになった。

両親が熱心にハマる宗教に頼らざるを得なかったが、今になってみればそれがなければとうに命を捨てていただろう。

それから20年が経ち、今では結婚もして子供を授かることが出来た。

守るべき家族ができて、ようやくあの頃の自分真正からかい合うことができてわかったことがある。

立ち向かうということは、しっかりと対話解決することだったのだ。

いじめ人間心理も、反撃する心理ももとを正せば相手を裁こうとする気持ちだ。

しかし、本来その場にいる誰にだって誰かを裁く権利はないはずなのだ。それは当然親にも先生にも与えられていない。日本ではそれこそ民事刑事しか持ち得ない権利だ。

それなのに誰かが誰かを裁こうとする。だからそこに善悪が生じてしまい、どちらかの暴力容認されてしまう。

教師いじめを後押ししてしま典型的パターンと言ってもいいし、実際に自分担任相談したとき善悪を問われるばかりで自分すら責められかねない勢いだった。

そうしてわかったことは、少なくともいじめに対して是非を裁こうとする人間の話には耳を傾けてはいけないということだ。

どちらかが良くてどちらかが悪いだなんて簡単結論付ける人間を、たとえ自分の味方になってくれたとしても信用してはいけない。

一緒に状況を考え、問題を紐解き解決を冷静に考えてくれる人間必要なのだ

お互いがお互いを裁くことが許されないのであれば、残された道は和解か決別以外にはない。

さらに、どちらかがどちらかに攻撃を加えることをどれだけ正当性があっても許してはいけない。

なぜなら、いじめが残すもっとも良くないものは、他でもない当事者に対する傷痕だからだ。

それは肉体面においても精神面においてもである

そうして付けられた傷痕は、小さなものなら完治できても、大きなものは一生をかけて付き合わなくてはならなくなる。

からいじめられる境遇にあったら、どれだけ傷を負わないようにできるかを一番に考えてほしい。逃げることが時に心の傷になることだってある。

その時その時の状況で、どれが一番傷を負わないで済むかを選択することが大切なのだ

ただ、勘違いしてほしくないことは、傷痕があることが必ずしも不幸とは限らないということだ。

その傷痕が原因で自分の臨むものが手に入らなくなってしまうかもしれない。でも、自分の臨むものが手に入ることと、自分幸福になることとは必ずしも一致するものでもないのだ。

自分はこの大きな傷痕のおかげで、得られた沢山の幸せを実感出来ている。

それを今掘り下げるつもりはないが、なにより、もうそこに傷痕がある以上なくすことはできないのだから、それを嘆いて生きるより受け入れて得られるものに目を向けたほうがよいのだ。

最後に一つ、あの時逃げ出したことは正解だと思っている。

なぜなら、いじめは少しずつ、でも確実に体力と精神力を奪うものからだ。時に周囲の対応だって大きく奪われることさえある。

もしこの二つが消耗している時にどれだけ時間をかけて悩んでも、それによってポジティブ結論が導かれることはないだろう。

疲れていたり無理をしていると感じるようなことがあれば、そのときは何よりも休息が必要だ。

戦い続ける必要はない。逃げ続ける必要もない。

傷を負わないように、負った傷を癒せるように選択をしていけばよいのだ。

あの時、恥を厭わず逃げてくれてありがとう

この想いが、あの時の彼になにもしてやれなかった自分に届いてくれることを願う。

2017-04-02

[]

今回は少年ジャンプ+

エイプリルフールは、昔の週刊少年ジャンプリバイバルって感じだった。

少年ジャンプ+普段からリバイバル連載していることが多いから、趣は異なるとはい個人的にそこまで大した企画ではないと感じるなあ。

まあ、私が生まれる前の代物だったもんで、いまいちノスタルジーに浸れないってのもあるんだけれども。

今なお語り継がれる有名作もあれば、微妙漫画も載っているあたり、本質的には今も昔も大きくは変わっていないんだなあ、とは思った。

あと、普段少年ジャンプ+を閲覧したいのに、まず最初にあそこに飛ばすのはやめて欲しかった。

一日だけとはいえ、普段利用者をちゃんと考慮しないやり方はどうかと思う。

フードファイターベル 61話

開幕の凄いことを変に見せて、どう凄いのかよく分からなくする、っていうギャグは小慣れているなあ。

後半のネタばらしは、予想通りであるはずなのに予想外だったので、ネタ選びと構成の妙にやられた。

エイプリルフールで乗り切れていない人たちを、嘘をつく側も騙される側も上手いことデフォルメしているというか。

エイプリルフールネタ選びはどのようなものウケるか、逆にどうやったらスベるかっていうポイントを抑えている。

以前に編集グダグダプロレスを繰り広げた経験が活きているのかな(笑)

すごく個人的な余談だけど、エイプリルフールジャンプ+で最初に読んだのがコレだったから、「もしかして他の漫画も同じテーマじゃないだろうな。だとしたら、さすがにキツいぞ」って、無駄な警戒心を抱いてしまった。

彼方のアストラ 30話

この展開に何か作為的ものがあると予想していたけど、ザックがいうにはそこまでありえないことでもなさそうなんだな。

バイアスかかっているのもあって、全くの偶然というよりはおさまりがいい気もするんだけれども。

それにしても、輪切りにした果実を例えに用いている描写が、個人的にツボだ。

SF映画とかで、折りたたんだ紙にペンを突き刺して説明するシーンがあるけど、ああいったのが個人的に好きなんだよね(あの例えを最初に出した作品ってなんだろう)。

物理とかに詳しくない人でも感覚的に理解できて、いい例えだと思ってるから気にいっている。

今回もそれを髣髴とさせる簡略的な説明で、読者が話に楽についていける。

すごく陳腐にもみえるかもしれないけど、個人的には分かりやすさと物語進行のアンサーを両立させているのは悪くないと思った。

2017-03-30

信用できるテレビ番組がない

東スポも日付は正しい、とかそういうネタじゃなくてさ、政治報道は左右両方ともバイアスが強くなってきているじゃない?最新学説を取り扱っている番組にしても、裏取りが不十分なまま危うい話に飛びついたり。キュレーションメディアに至ってはわざわざ出鱈目をばらまく始末。

少なくともここから情報大丈夫安心できるメディアがない。メディアリテラシーはあるんだよ。でもそう毎日毎日接する情報批判的に見てなんかいられない。網羅性は高くなくていいからとにかく信用したい欲を満たしてほしい。

2017-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20170329172005

からといって元増田が全部見ても同じ感想になると思う

うそういうバイアスかかった形で見ちゃうから

俺はボクシング亀田兄の試合を一部見てゴミだって思って見なくなって、

引退後にまとめて全試合映像を見たんだけどやっぱりゴミだって思った

多分バイアスをくつがえせなかったんだと思う

まぁもちろん本当に全部ゴミだった可能性もあるけど

2017-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20170326014626

バイアスっちゅうか、元増田がまあ男性だろうなと思って書いたんだけど

そこまでして反論頑張って何が得られるんだ?

うわ、うわ、うわ、うわ、うわ、うわ、うわ、うわ、うわ、うわ

うわ。子供の送迎するママドライバーをよく見かけるせいか

無意識運転ってママがやるもんだと思って読んでたわ

バイアス入っちゃうもんだね




読んでないと思うけど追記

うわあ思い込みも甚だしいよ自分!恥!的な「うわ」だったんだが何かカンに触ったようですまんな…?

自分は車の話のトラバには参加してない、同じ時間滞在してた増田

http://anond.hatelabo.jp/20170325140922

はてなにはBuzzFeed全面的に信用するって馬鹿が多いから、あのBuzzFeedタイトル煽りまとめサイト憎しな人に言わせれば『デマ』)をするとは思わずに、条件反射コメントする人もたくさんいたんだろう。

中には時期が違うことを分かった上で、表に出てこない昭恵夫人への皮肉攻撃としてのコメントも多かったと思うが。

BuzzFeedは、内容に対して記者主観バイアス既存メディア以上に入りまくってるからBuzzFeed既存メディアよりスゴイ!」と全面賛同してるような人は注意すべし。

2017-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20170320152051

そういう議論必要そうなバイアスは後まわしで、一番ロバストな値だけ使ってまず検定しますね

次にどういう解析が必要か、それともここでやめるべきかは結果を見てから決めます

後は近くの先輩に聞いてくださいね

2017-03-11

日本の男は99%以上は弱者男性強者男性は1%にも満たないと思う

昨今の男女系議論で男の弱さへ目を向けよう的な意見も見るようになったが、

そこで思ったのが、強者男性弱者男性割合の話である

見てて思ったのは大体「弱者男性割合は少ない」「強者男性弱者男性は5分5分」的な意見が多いと思ったが、

私は違うと思っている。

ここで強者男性弱者男性峻別の仕方は?について話すと長ったらしいことこの上ないし私一人で判断するのは傲慢なので省くが、

ある程度の年収やら恋愛経験から峻別して「日本の男は99%以上が弱者男性で、強者男性は1%にも満たない」…と思う。

何をバカな、と思うかも知れんが、そんなもんだ。

社会基本的に少数の強者が多数の成果を総取りして独占或いは架線するようにできているのだ。

労働主義によるマチズモにより、それはさらに加速してしまっている印象がある。

また、以前に「ヤリチン分裂論」みたいなのあったと思うが、「強者男性女性の前に顕現する」「弱者男性女性の前に顕現しない」という特徴があるため、

女性から見ればまるで世の中強者男性ばかりに見える、という認識バイアスがかかってしまうのだろう。

また、ミソジニーに関しても、「ミソジニー童貞モテてない男特有のもの女性経験を経るごとに減っていく」みたいな言説が支持されているが、

実際はそんなことなく、むしろ女性経験が多い人間ほど(総てそうとは言わんが)ミソジニーは凄かったりする。そんなもんだ。

よって、男社会と言っても、99%以上の男は、弱者男性であり、女性と同じくこの男社会による被害者なのである

この世を男社会たらしめている強者男性は、全体の1%にも満たないのだろう、と思う。

このことを基本として認識しない限り、男社会の打倒は無理なのでは、と私は思う。

2017-02-19

堂々と下ネタが言えるというのは、それを差し引いても余るだけの信用があるか、

顔か金か権力か知らないけどそれで黙らせているかのどっちか

でなければキモいおっさんとして社会的に殺されているので単なる生存バイアスしかない

2017-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20170214140547

からだけどたまに被害者バイアスが強すぎる派遣のおばちゃんいるからなあ

支給品が満足じゃない時点で派遣元に連絡いれるべきだった

2017-02-13

原子力戦争抑止力

原発関連について思うこと。思考整理のために。

何かと取り上げられる原発関連問題についてですが、「エネルギー資源の点から原発再開・高速炉建設は現状止むを得ない選択肢である」というのが今の私の考え方です。


石油はもって40年」と自分子供の頃からそう言われていて、いまいち危機感が持てなくなっているけれど、少なくとも自分子供のころはレギュラー90円切るようなのが当たり前だったと思うし、確かに昨今の不景気が影響で価格が高騰しているということもあると思いますが、客観的事実として、天井のある資源を使い続ければいずれ枯渇することは当たり前だと思います

エネルギー資源の枯渇が引き起こすのは奪い合いであるといったことは、歴史的に見ればある程度自明だと思います

今の時代簡単資源を巡ってすぐさまに戦争が引き起こされる、といったことは想像しにくいですが、少なくとも産業経済制限がかけられることと思います

そのような情勢において「原子力」というエネルギー源の選択は、再利用技術確立が為されればかなり明るいと思います。(しか3.11のような経済的コストや、使用済み燃料やそれに付随して出る汚染物質の処理のような将来的課題もまだまだあります。)

これらを踏まえ私が感じているのは「戦争への抑止力は、資源生産・確保であり、原子力はその点で抑止力と成り得る」ということです。

漫画の1コマに「戦争は始めるものじゃない。出来る限りの外交手段を尽くした上で結果的に起こるものだ」とありますが、この「出来る限りの外交手段」を選択肢として存在させることが重要であり、エネルギー資源はそこに深く関わっていると思うのです。


一方で原子力の利用は、今の日本の風潮ではかなりシビアものだという感覚をみんな持っていると思います。私は原子力関連においても最もネックなのはその感覚自体と、“安全”を砦に原子力危険ものとただただ批判する人間がいることだと思います

将来のエネルギー安定性と現在安全エネルギー供給を秤にかけることは、個人個人で優先すべき事柄が異なるのでどちらが重きとなるかは一概には言えません。ですが、私は原子力というものに“危険もの”という偏見(バイアス)がかかっているために、秤にかけるまでもなく忌避しているような点があるのではないかと思うのです。そしてそのようなバイアス布教助長している各メディアなどのコメンテーター評論家を見ると、嫌気がさします。「原子力=原子爆弾」という偏見さえも未だに存在するような気もします。


一般に「多少原油輸入にお金はかかっても現在日本の電力は間に合っているんだからいいじゃないか」という意見もありますが、私はこれが対外的には一種侵略(エネルギー侵略)のようなものではないかと感じています

話は変わりますが、2000年代に大きく話題になった「地球温暖化問題」というのがあります温室効果ガスである二酸化炭素が増えることで、地球の保温効果が高まり、平均気温が上昇するという話のものです。(反対論として、地球の平均気温は常に上下を繰り返しており、その周期がいま暖かくなっているだけだとの説はありますが、自分は少なくともCO2の影響で温室効果があるのなら、地球の周期があるにせよ、減らす努力はするべきだと考えていますすみません関係ありません。)

この地球温暖化問題に関して、一部ですが「日本温暖化問題を加速させている」という説があったように記憶しています日本という国は自国には森林がたくさんあるにも関わらず、安価であるという経済性の理由から他国木材を多く輸入しており、その木材アマゾンなどで森林伐採して得られているため、日本温暖化を加速させている原因になっているのではないかというお話です。つまりエネルギー資源においても、自国生産しない代わりに他国から輸入しますがそれは他国資源侵略していることに等しいのではないか、と感じるのです。(確かに資源を輸出するのもその国の自由ですし、対価を払っているのですから問題は無いというのもありますが、自分はあまりこのような動向が良いとは感じません。)

自分はこの地球温暖化問題の点と、化石燃料を輸入してでも国内の電力供給を支えている現在日本の状況に、類似点を感じます

原発を停止し化石燃料を輸入することで国内需要を満たすことは、地球全体の資源をより早く消化してしまうことになっていると考えます。この点で、確かにこれも輸入された燃料ではありますが、再利用することが可能である原子燃料を利用することは、これからの将来を考えて資源的に選択することは仕方が無い、むしろ必要なのではないかと考えています

1国がこの広い世界での資源枯渇を心配する必要があるのかと思われますが、その広い世界資源が枯渇した場合に行われるのは、「その資源を持つものが高い対価で取引要求すること」か、「他国が略奪を行う」か、「新技術によって新たな資源生産する」か、のどれかだと思います

少なくともこの中で一番良いのは「3つ目の資源生産」で、いわゆる「核融合技術が現状あてはまると思いますしかし、現段階で研究ベース技術が商用化され、多くの人に利用されるようになるのはいつ頃かもわからない状態で、「いずれ新技術ができるから化石燃料を使い果たして問題ない」というのは楽観的すぎると思います


再三になります原発関連に関して思うことは、原子力という技術や将来性について議論することをせず、消費者被害者意識だけで言葉を揃えて「安全じゃないものは使えない」「間に合っている」と言うのが、個人的にはあまりきじゃありません。

そして原子力技術者として関わっている多くの人々や、また原子力を使うことを決めた政治家や多くの人々を責め立てることも好きじゃありません。

福島第一事故は確かに人の作り出したものが災いしたものですが、想定されていなかった規模(過去数百年の津波高さの統計による)の津波という自然災害によって起きたという部分が色濃いと思います事故結果論しか語ることはできませんが、これまで原子力を扱ってきた人々が事故を防ぐべく尽力していたこと、またこれから努力なさるだろうことも忘れるべきではないと思います


最後になりますが私は、何か意見をもって議論することが大切だと、EU離脱の時のイギリスを見ていて思いました。その点で思うのは、自分意見を言うことでレッテルを張られる、もしくは感情論批判されるような風潮・雰囲気を壊していくことがいまの日本には大切なんじゃないかなと思います

http://anond.hatelabo.jp/20170202144732

元増田あんまりオススメするから読んだよ、『ソシャゲライタークオリアちゃん』。

これ、普通につまんなくて出来悪くて、普通につまんなくて出来の悪いラノベってなんなの、ということを考えるのにすごくいい素材になってしまっているように感じた。

ラノベなんてみんな同じだろw」というような声がどこからともなく(というか元増田ブコメあたりから)聞こえてくるんだけど、そんなことはない、『クオリアちゃん』はかなり出来が悪いよ、ということをしっかり言っておきたいな、と思って、エントリを起こす。

小説としての出来云々じゃない部分、ソシャゲシナリオライターとしての主人公たちの生き方については

http://hishamaru.hatenablog.com/entry/2017/02/09/003000

http://anond.hatelabo.jp/20170203190941

この批判が当たっていると思う。

とりあえず俺はクララ先輩には機を見て空売りを仕掛けていくことをオススメしたい。

さて。

漠然と出来が悪い、と言ってもわかんないと思うので、サンプルを用意する。

と言っても、ここで新城カズマとか古橋秀之とか秋山瑞人とか石川博品とか出してもそういうのは例外と流されるだけだと思うので、もっと普通っぽい奴を見繕いたいところ。

例えば、商業性があると評価された実績のある人が書いた作品、すなわち「アニメ化作家の新作」と、ラノベ業界作品を送り出す人たちが評価して世に出した「新人賞受賞作」……と考えて本屋ラノベ棚を見てたら『勇者セガレ』((アニメ化作品はたらく魔王さま!』の和ヶ原聡司の新作))というやつと『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』((第29回ファンタジア大賞大賞受賞作))というやつが目に入ったので、買ってきた。増田のために『クオリアちゃん』と合わせて2000円くらい課金した計算である

http://dash.shueisha.co.jp/bookDetail/index/978-4-08-631161-8

http://dengekibunko.jp/newreleases/978-4-04-892615-7/

http://fantasiataisho-sp.com/winners/mother/

作品とも試し読みがあるので読み比べてみてほしい。冒頭だけだけど、それでも出来の良さの違いが見て取れるから

一見して『勇者セガレ』のレベルがとびきり高く、『お母さん』がその次、『クオリアちゃん』は論外、と俺は思うけれど、そう思わない人もいるだろう。

説明する。

小説には、概ね、お話が付き物だ。もちろん、お話で引っ張る小説は低級、みたいな話もあるんだけど、一般的エンタメ小説(多くのライトノベル一般的エンタメ小説である)においては、そういう議論はあまり考える必要はない。一般的エンタメ小説じゃないラノベに出くわす可能はいつでもあるので頭のすみっこにはおいておいたほうがいいけれど、でも、今回の三作品は全部一般的エンタメ小説志向なので大丈夫

さて、一般的エンタメ小説にはお話がある、という話だった。

勇者セガレ』なら、父親に異世界を救った勇者過去がある、と知ってしまった少年が、異世界での魔王復活を巡る騒動に巻き込まれお話。『お母さん』なら母親と一緒にMMORPG世界ダイブして冒険しながら親子関係を見つめなおす話。『クオリアちゃん』なら平凡な男が惚れた先輩に巻き込まれる形でソシャゲシナリオライターになる話。

んで、さっき示した試し読みで、そういう話だ、とわかるまでにかかる文字数は大体どれも同じ、5ページくらいなんだけど、その最初のとっかかりまでに与えられる情報無駄のなさを見てほしい。

勇者セガレ』は単刀直入お話全体像テーマ、というやつだ)を提示し、そのテーマについての主人公の開始時点での認識提示し、そして、それが揺るがされる場面が、いい意味で突然始まる。

『お母さん』はそれに比べれば随分もたつく印象だが、それでも母親と息子の関係物語だ、ということは十分手早く、一直線に提示されている、と言っていい。

クオリアちゃん』は無駄だらけだ。同級生に平がからかわれる話とか、いらない。

そもそも主人公の平凡さに何故ここまで言葉を費やすのか。クララ先輩にソシャゲシナリオライターの道に誘われる場面から入っていい。主人公が平凡さを脱して何者かになるお話なんだからスタート地点を明示しなければいけないのでは、というのは罠だ。平凡だ、とは、平凡という特徴がある、ということではない。非凡な特徴がない、ということだ。ならば、クララソシャゲシナリオの道に誘われるまで、何らかの特徴があるかのような描かれ方をしてはいけない。この主人公、狙ってか事故でか、かなり平凡ではないキャラなのだが、それもまあ、いいのだ。普通男子高校生と言って始まった話で主人公がとんでもない過去を思い出す、すげえ設定が明らかになるなんてのはよくある話だ。語り出す位置に変な癖をつけないことで間口を広められることだけが平凡な主人公という設定の美点で、それをこなしたらあとはどんどこヘンな奴にしていっていい。逆に、ヘンな設定をあとから盛りやすくするためにも、平凡さを積極的に描くのは悪手だ。

ここには多分、ライトノベルキャラクター小説である、という誤解がある。

商業性を認められたアニメ化作家も、送り手に評価された新人賞作家も、テーマ登場人物関係性を提示するところから小説を書きだしている。主人公人物像に無駄に筆を費やしたりしていない。主人公人物像を描いてはいけない、のではない。主人公人物像は、この際テーマ関係性よりも後回しにすべきだ、という話だ。

ライトノベルキャラクター小説だと早合点していると、主人公キャラクター性を提示するのが大事だ、と思い込んで、本筋のお話よりも先に名前からかわれるエピソードを入れ込んだりしてしまうのではないか、と思う。

そうした結果、ソシャゲシナリオライターの手伝いを頼まれるという展開の驚きが盛れなくなる。驚きのない掴みは最悪だ。

そもそも、ソシャゲシナリオ仕事を手伝うことになるって普通に考えて驚くような話なのか、という問題はある。

ソシャゲシナリオ仕事の手伝いを頼まれて驚くのは、ソシャゲシナリオに関わることをまったく想定していなかった場合だ。主人公脚本科の学生なんだからゲームであれシナリオ仕事を頼まれるのは、そんなに違和感のある話ではない。先輩に手伝ってと頼まれた、なんてのは、ライターデビュー王道と言ってもいい。

どうすればソシャゲシナリオライターデビューで驚きを演出できるのか。主人公ソシャゲを嫌いだ、という設定にしたらどうだろう……と王我は作者にささやいてはくれなかったのだろうか。

これも、関係性やテーマを後回しにしたことで生じた問題だ。ソシャゲ主人公関係をちゃんと設定していないから、こうなる。

ソシャゲマニア制作現場に関わることで現実を知る、でもよし、ソシャゲ嫌いが制作現場に関わることでソシャゲを認められるようになる、でもいい。ソシャゲどころか物書きとさえ無関係主人公なら(脚本科に在籍し、名作の名台詞を書きぬいてノートを作っている主人公はどう考えても無関係ではない)ソシャゲというものに触れる、というだけでも驚きがあるだろう。

半端にクリエイター志望でソシャゲ特に何も思うところがない主人公、というのは、掴みのインパクトを出すには最悪だ。

テーマ関係性、お話というあたりにあまり気を回さず、四姉弟の設定とかでインパクトを出そうとしている((『涼宮ハルヒの憂鬱』の構造をいただいているつもりなのかなって思いついて、ちょっと戦慄した。あれはハルヒについての話をあの三人がしてくれる構造であって、異能者が三人ただ自分異能を見せてくれるという構造ではないのだ。))んだけれど、そりゃ読者にも驚く理由がないよね、としか言いようがない。『ハルヒ』は、読者と視点を共有しているキョンハルヒ普通少女だと信じる理由があって、だからこそ、超常的な存在なのだ、と語る長門たちの言葉に驚かされることができる。本作では、クララタイムリープしない、オーガが異世界転移しないと信じる理由がどこにもない。だから、平がどれだけ驚いても読者は( ´_ゝ`)フーンとしか思わない。

あとがきラノベ200作品勉強した、って書いてあって、それは感心なんだけれど、でも、勉強する方向を間違えてはいなかったか、そこは疑問。

ライトノベルキャラクター小説だ、とか、男オタク向け作品関係萌えじゃなくて属性萌えだとか、そういう俗説を真に受けて、バイアスをかけた勉強をしてしまったんじゃないだろうか。

結果、普通につまんなくて出来の悪いラノベになってしまったんじゃないだろうか。

 

なお、ソシャゲ周りの設定について付言しておけば、作中作初恋メモリーズ』のシステムは、『プリンセスコネクト』に似ている、らしい。まあ伝聞なので確言はできないんだけど、だとすれば、元増田が言うほどソシャゲとは違うものの話をしているわけではない。とはいえ、『チェインクロニクル』のライターが書いた本で『プリンセスコネクト』の創作秘話を読まされることをみんなが望んでいたかどうかは不明だけれども。

2017-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20170211190412

こういうN=1から主語を作る系の話って、どこで切り分けるかによって語り手のバイアスがわかって面白い

仮にこの出来事がそのまま事実であったとして

1.中韓人(らしき人)にはバカが多い。そうでないやつもちょっとはいる。

2.女はバカ。男は利口。(ゆえに日本人も女はバカで男は利口)。

3.そういうバカな行動をするのはX0代によくある傾向。

4.わかりにくいバーコードシステム提示する店はグローバル的に最悪。

5.日本バーコードシステム対応できない外国人は最低。

とか色々切り口はあるだろうに、あえて「女はバカ」にしているところによほどのコンプレックスがあるのだろうと思うね。

かわいそうに。

2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170208105212

ダメだ。

そうやって、さも当たり前の共通言語のように、ツイカスだとかクズだとか、品性に欠ける単語を使ってしまっては。そうやってラベリング意識刷り込み他人侮蔑することを当たり前にやるというミーム感染拡大させる、それは増田が嫌うネットの人々がやっていることと何も変わらない。特に、私達のようにWebを見てきた30や40を超えた人間は、ネット空気になじんだような口調になってはいけない。

どんな嘲笑を受けようが、自分高潔さを保ちながら、丁寧な言葉を選びながら誠実に謙虚に核心を突く議論を(たとえ匿名でも)展開していく。そういう事を続けて、わずかでもその姿勢共感して倣ってくれる人を増やしていかないといけない。ただでさえネット上ではみな次第に同じような卑しい口ぶりと思考回路になっていくバイアスがあるのだから、それに抗って「ネットの向こうの人」の多様性を見る者に意識させていく必要性が、今ますます高まっている。

想像してみてほしい。Web言論悪化してみえる大きな原因の一つは、発信者リアルに低年齢化しているからではないか10年以上前の時点ですら、小中学生PCを使ってMMORPGに入ってくることがあった。今の子どもは幼稚園以前からスマートデバイスに触れて、小学生でも大人以上に使いこなす。そうしてネット上で、子ども子どもを「キッズ」だなんだと揶揄しているような中に、そうと気づかず青年中年までも同じようなノリでやれやれと叩きはじめる。現実に、小中学生しょうもないいがみあいをしている所に大人が一緒に混じってやりあうことがあるだろうか。ネット上では、ある。しかも悪いことに、子どもたちは彼らが自称ながらも本当に大人であろうということを知ってしまっている。世の中はそういうレベルものだという認識を強めていってしまう。そんな中で、そういう輪の中に大人たちが立ち入らない(スルーする)ことは賢明ではあるけれども、場合によっては、きちんと良識ポリティカル・コレクトネスをふまえた丁寧な注意をしてあげるべき状況も少なからずあるはずだ。その時ただちに理解されずに、袋叩きにされて逆効果のように思えたとしても、子どもたちが育っていったとき「あの時はアホだと思ったけどマトモな大人が確かに存在した」と思って貰えることが重要だ(ただし上から目線にならないよう相当注意しないと、本当に逆効果になってしまう)。それがないと、ネット同調性に囚われ、低みにとどまり続け、自省能力を失った大人たちが将来多数派になってしまう。その後の未来はもう誰もが薄々感じているような様相になるだろう。実際のところ、ネット上での振る舞いを教えてあげられるのは、教師でも親でもない。彼らはその場に居合わせていないのだから同級生から学ぶことも難しい。この問題を現状で一番どうにかできる可能性があるのは、その場に居合わせ大人だけ。その事実をもう少し重く捉えてほしい。

から、本当に憂いているならば、そう簡単に「さよなら」を言ってほしくない。日本人性質的に無理なんだとか、そういう諦念をバズらせて思考感染させないでほしい。

2017-02-08

愚神礼讃にシームレスバイアスって読ませた西尾威信すっげー!!!

ぐしんをらいさんすることそれすなわち途切れることのない偏見しかない!!!

kkkkkっかあああああああああああああー!!!!!!

かっけーすぎる!!!!!!!!!

いっしょうついてきます

2017-02-06

映画沈黙 サイレンス」に便乗してキリスト教入門を語ってみる

映画沈黙サイレンス‐」がそこそこ流行っているみたいなので、便乗して「映画を見に行きたいけどキリスト教については何にも知らねーよ」という人に向けた「キリスト教とは」みたいな文章を書いてみたいと思う。

私自身は某プロテスタントの家庭に育った人間なので、どうしてもその宗派に寄った解釈というかバイアスは避けられないと思うけど、今回は可能な限りキリスト教最大公約数を目指して当たり障りのない範囲解説をしていきたい。

ちなみにタイトルは半ば釣り。「沈黙」はカトリックベースの話なので、どこまで私の話が参考になるかは分からない。

私自身、原作は読んだことがあるけれど、まだ映画館には足を運べていないので、その点は事前に了承しておいてもらいたい。

 

ポイント1 神様世界をすべて作った

キリスト教神様は全知全能。ミスも犯さないし、世界のすべてを知っているし、できないことも何もない。で、そんな神様が「光あれ!」と言って、世界ができた。「天地を創造された」ってことになってるけど、まあ、宇宙を作ったって解釈問題ないと思う。

 

ポイント2 神様人間自由意志を与えた

神様世界を作った後で、エデンの園って場所地球上のどこか)に最初人間を作った。アダムとイブ宗派によってエバ・エヴァとも)ってやつ。神様人間絶対服従のロボットみたいにすることもできたけど、あえて自由意志を与えた。自分意志神様を敬うようになって欲しかったって解釈でいいと思う。

で、「お前ら基本的に好きに生活していいけど、園の真ん中にある木の実(「善悪知識の実」とか、翻訳によって色々)だけは食べちゃダメよ」って人間約束した。

 

ポイント3 罪の支払う報酬は死

案の定アダムとイブ約束を破って木の実を食べちゃった。

元々、神様人間を「不老不死」で「罪」も犯さな存在として作っていたんだけど、この約束違反をキッカケに人間は罪を犯すようになってしまった。

「罪」の解釈は難しいテーマなのでサラリと流すけど、とりあえずキリスト教的には、人間ってのは普通に生きていれば呼吸をするようなレベルで罪を犯す存在。それくらい厳格な基準で罪と判別されることになっている。要するにキリスト教的には人類100%罪人ってこと。

そして「罪を犯した人間」はワンミスでも即「永遠の命」の権利を失う。理由については宗派によって解釈が違うかも知れないので触れない。ここでは、とにかくそういうルールだと思って貰えばいいと思う。

 

※余談だけど「神様は全知全能なんだからアダムとイブ約束を破るの初めから分かってたんじゃねーの」というツッコミは当然ある。長くなるし議論にもなるところなので端折るけど、この手の分かりやすツッコミどころ(いっぱいある)に関しては、基本、前人たちの手によって何かしらのエクスキューズっていうか言い訳が用意されているので、興味がある人はまずは調べてみるといいと思う。

 

ポイント4 イエス・キリスト人間の代わりに死んでくれた

人間は罪を犯す存在になり、そのために永遠の命を失ってしまったんだけど、神様人間を見捨てなかった。「罪の支払う報酬は死」っていうのがルールなら「罪を犯してないヤツ」が代わりに死ねば、罪を犯した人間の「死」はノーカンになるよね、って理屈で身代わりを送り込んでくれた。それがイエス・キリスト

このイエス・キリストっていうのは、神様本人でありながら神様の息子でもあるという複雑怪奇存在しかも、神様でありながら人間としてこの世に生まれてきた。もう訳が分からんと思うけど、この辺も宗派によって超議論になるところなので、今回はそういうもんだとしてスルーする

とにかくイエス・キリストは、人間として生まれ大人になったけれど、その間、一切罪を犯さなかった。そして、そのまま人間たちの手によって十字架にかけられて殺された。「罪を犯さなければ死ななくてもいい」っていうルールだったのにキリストはあえて死を選んだ、という解釈が正しいかどうかは怪しいけど、まあそう考えると理解やすいだろうか。

 

ポイント5 信じるものは救われる

そんなこんなで、人間の罪はキリストによって帳消しになった。ただし、神様あくまでも自由意志にこだわるので、これを受け入れるかどうかは依然として人間次第。だから人間が罪を帳消しにしてもらって「永遠の命」を取り戻すためには「サンキュー神様、身代わりありがとね」と神様宣言する必要がある。

何をもって宣言したとするかについては宗派によって色々だけど、まあ「洗礼バプテスマとも)」と呼ばれる儀式を受けるのが一般的。「心で受け入れればそれでOK」なんて解釈もある。逆に、あれこれ義務的な内容が追加される宗派もあるけれど、ベースに「身代わり理論」があることは変わらないはず。

 

ポイント6 「永遠の命」「死後」「最後の審判」の解釈は様々

人間個人の罪は身代わりによって帳消しになったけど、依然として人間が罪を犯す世の中は続いている。だから神様はどこかの段階でこの世界を一旦終わらせて、もう一度、罪のない世界を取り戻す(最後の審判)。そのとき、罪を帳消しにしてもらった人間は「永遠の命」が与えられる。とまあ、実のところ、この辺りまでが大体どの宗派でも共通しているだろうっていえるギリギリの線。

じゃあ具体的に「最後の審判のあとどうなるの?」とか「最後の審判の前に死んだ人間はどうなるの?」とか「『永遠の命』を貰えなかった人間はどうなるの?」とか、細かい話は本当に宗派によって色々なので、もうここでは一切触れない。

まあ、「永遠の命」を与えられた人間が、最終的には「天国(あるいは天国的なところ)」で幸せ暮らします、っていうのは多分共通だと考えてもらっていいと思う。あと「永遠の命」を貰えなかった人間は少なくとも幸せな結果を迎えられないってところも、多分共通

 

おわりに

とまあ、後半は特に曖昧表現が多くなったけど、キリスト教最大公約数的な説明をするなら、多分こんな感じになると思う。

本当は、これを踏まえて「一般的日本人クリスチャン意識や考え方が噛み合わない理由」みたいな話もしたかったけど、長文になったので、それはまた次の機会にしたいと思う。

好きなことを仕事するのはやめたほうがいいという忠告

仕事に関する増田が連日賑わってますね。

文章が得意ではないので書こうかやめようか何度も悩んだのですが、でもこれが理由で悩んでいる人を沢山見てきたので、やっぱり頑張って書いてみることにしました。

好きなことが仕事になったらいいなって思っている人が結構いると思うんです。

そうやって好きなことを仕事にして輝いている人を見ると素敵だなって思うし、目の前の仕事自分の好きなことだったらもっと頑張れるのになって思ってるかもしれません。

でも、多分それはやめたほうがいいです。

なぜなら、好きなことを仕事にするということは、自分の魂を切り売りするのと同じだからです。

例えば好きな絵を仕事にしたくて、書いた絵を売りに出すとします。

しかしたら、その絵には高い価格が付くかもしれません。

しかし、その才能にニーズがなければ、その絵には大した価格はつかないでしょう。

その絵が、どれだけ大切に情熱を込めて作り上げたものだとしてもです。

でも、生きていく以上はその絵を売らなくてはいけません。

例えそれが自分が納得できない価格だったとしてもです。

この瞬間に生まれ自分が思う価値と売れたとき価格との差額が、あなたが生きるために魂を売った価格です。

売りたい価格を付けることは自由ですが、売れる価格は世の中が主導権を持っています

どんな価格を付けたとしても売れなければ価値がないのと同意です。

好きなことを仕事にする以上、この事実からは避けて通ることはできません。

これが情熱希望を胸に、好きなことを仕事にしようと社会に漕ぎ出した自分に待っていた現実でした。

好きなことを仕事にして成功した人間も多くいます

しかし、彼らが成功できたかどうかは、結果でしかありません。

成功者の多くは、ただ好きというだけでなく、人よりもずば抜けた才能を持っているかたまたま時代が求めるものに一致した場合かのどちらかです。

好きなことができれば貧しくても幸せだなんていうのも嘘です。

生きていくために自らの魂を切り売りすることは、生きていく意味を見失いかねないほどにむしろ苦痛しかありませんでした。

もし好きという思いが強ければ成功できるなら、世界中には成功者が溢れているはずです。

このままでは暗い話で終わってしまますが、それからいろいろあって、今では自分が好きなこととは全くかけ離れた業界で働いています

全く見ず知らずの業界で働きながら、好きなことに価格をつけることは苦痛しかなくても、得意なことに価格がつくことはむしろ喜びであることに気が付きました。

そうはいっても得意なことを仕事にしようとこの業界に入ったわけではありません。

働いている途中で気付いたことが、自分の得意なことがこの業界でも役に立つかも知れないということでした。

得意なことと言っても、それだってずば抜けた才能が沢山あるわけではありません。

人よりも少し得意な程度のものが2つ3つあるだけで、一つ一つの分野だけで言えば社内には自分より得意な人間がいます

ただ、それぞれを組み合わせた仕事への取り組みは自分しかできないものでした。

それによって生み出せるものを、私以外には作れる人はいませんでした。

それが会社の中で唯一無二な価値になり、今では無くてはならない存在と言われるまでになるようになりました。


これが生存バイアスであることは否定しません。

多分に運の要素も多かったのだと思います

ただ、それをわかった上でお伝えしたいことは、一つ一つが誰よりも優れていなかったとしても、それぞれを組み合わせることで人には真似出来ないものを生み出すことが価値になることもあるということです。

沢山の人が沢山の個性を持って生きていく世界の中では、何かに一番になることと同じくらい、唯一の存在であることでも活躍できるのだと思います

今では生活に少しの余裕もでき、自分の好きなことに再び没頭する時間を持つことができるようになりました。

あの時、好きなことで生きていくことを諦めていなければ、好きなことを好きなままではいられなかったかもしれません。

どんなにプライスレスものでも、売りに出せば価格がついてしまます

もしあなたが好きなものを本当に大切に思うのなら、人に価格をつけさせるかどうかは慎重に考えたほうがよいと思います

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