はてなキーワード: バイアスとは
ちょっと前までは,「生産追いつかなくて販売中止します商法」が流行っていたけど,
最近はコンビニとかが「誤って大量発注しちゃいました買ってね商法」が流行りだしている.
販売中止商法はメーカー側の生産体制の見込みが合わなかったという意味で,完全にメーカー側が悪いはずだろ.
これを素直に人気だからと取るか,ひねくれてメーカーが故意にやっていると取るかは完全に消費者側に委ねられているので,まぁまだいいかなと思う.
問題は誤発注商法の方だ.こいつは本当にたちが悪い.もしも誤発注を故意にやっていたとしたら,それは消費者の良心を利用しているクズだ.
だいたい誤発注商法で誤発注してしまうものは賞味期限が短いものに偏りすぎている気がする.これも胡散臭い.
(賞味期限が短くなければ誤発注しちゃったから買ってくれとアピールしない,というバイアスがかかっていることもあるとは思うが)
そもそも本当に誤発注しているのだとしたら,それを防ごうとしないコンビニチェーンそのものもおかしいはずだ.
ちょっと前までは,「生産追いつかなくて販売中止します商法」が流行っていたけど,
最近はコンビニとかが「誤って大量発注しちゃいました買ってね商法」が流行りだしている.
販売中止商法はメーカー側の生産体制の見込みが合わなかったという意味で,完全にメーカー側が悪いはずだろ.
これを素直に人気だからと取るか,ひねくれてメーカーが故意にやっていると取るかは完全に消費者側に委ねられているので,まぁまだいいかなと思う.
問題は誤発注商法の方だ.こいつは本当にたちが悪い.もしも誤発注を故意にやっていたとしたら,それは消費者の良心を利用しているクズだ.
だいたい誤発注商法で誤発注してしまうものは賞味期限が短いものに偏りすぎている気がする.これも胡散臭い.
(賞味期限が短くなければ誤発注しちゃったから買ってくれとアピールしない,というバイアスがかかっていることもあるとは思うが)
そもそも本当に誤発注しているのだとしたら,それを防ごうとしないコンビニチェーンそのものもおかしいはずだ.
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/性犯罪厳罰化へ-法定刑引き上げ、非親告罪化-「強姦罪」は「強制性交等罪」に変更/ar-AAmh5qd
罰則を強化するほか、被害者の告訴が必要となる親告罪だった強姦(ごうかん)罪などについて非親告罪化することも盛り込む。罪名も「強姦罪」を「強制性交等罪」に変更する方針で、女性が被害者となることを前提とした名称から性差のない名称に変わる。
http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/zigen/038.xml
姦
カン [删]
奸と通ず
○よこしま(邪)かたまし、書。堯典「烝烝乂不格─」
○わたくし(私)
○いつはり(詐)
○みだら(淫行)みだる(亂)
○惡人(罪人·淫婦·佞人·惡漢)
【姦意】 カンイ ねぢけたる心。列女傳「舜猶內治、靡有──」
【姦惡】 カンアク わるもの。潛夫論「張湯增定律令、以防──」
【姦勇】 カンイウ 心よこしまにしていさまし。國語「──爲賊」
【姦雄】 カンイウ 心のあしき豪傑。家語、始誅「此乃人之──者也」
【姦强】 カンキヤウ 心かたましくつよし。蘇軾詩「朅來東觀弄丹墨、聊借舊史誅──」
[一部抜粋]
https://en.wiktionary.org/wiki/姦
Ideogrammic compound (會意): 女 (“woman”) × 3 – lewd behaviour; vice.
このように、「性差別」的な字源を有してはいるが、皮肉なことに、熟語における形容詞的な使われ方としては、専ら男性に関するそれが圧倒的に多い。
まあ、お役所としては、こういう用語を時代ごとに置き換えるっていうのは、むしろ伝統的で正しいことなのかもしれないし、最大の社会悪というのは、こうした用語を形作る言語がシフトしていくことではなく、性暴力被害が発生し続けることだろうから、無用の批判なのかもしれないが…。
とか何とか思ったんだが、結局自分にはその語源自体はよく分からないので、そのような臆測もまた十分ではないことに気づいた。
でも逆に語源が分からない以上は納得がいかないことも、熟語二つの選び方が変だと思うことも、それが俺の率直な意見だ。…論外だが。
化粧が嫌いだった.
より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.
第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.
そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.
思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.
大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.
美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.
人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.
話がずれた.
雑誌モデルなどについてはどうだろう.
確かに彼らは美しいような顔をしている.
彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.
彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.
彼らは芸術品だ.
相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.
人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.
そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.
おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).
化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.
芸術品になりたいわけでもあるまいし.
猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.
第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.
それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.
マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.
そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.
その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.
それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.
生意気は死だ.
思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.
そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.
それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.
それが大人になるということだとしても.
第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.
薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.
コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.
当たり前だ.
人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.
なので保湿はメリットがある.
ただそれだけの話.
「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.
たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).
そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.
「化粧をしていないものには死を.
肌が荒れている? 生ぬるい.
このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.
「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.
思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.
しかたのない話だ.
肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.
分かっていないことの方が多い.
結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.
なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.
「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.
なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.
それが基礎化粧品だ.
社会悪だ.
吐き気がする.
使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.
そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.
重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.
それは心の平穏に繋がった.
他人を称賛することもできる.
そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.
化粧をした自分の顔は好きだ.
周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.
熱意はたかが知れている.
そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.
無理をしたって仕方がないのだ.
だいたいなにか目的があるわけでもない.
わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.
ファッションなどもそうだ.
化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動に必須なアイコンだからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識の理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるから嫌なのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延る似非科学.薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなたの努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識を収集した.こうして自分のコンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.
けれど問題は,技術が稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.
主人公の価値観とは異なる、怖いしやめとこう、みたいな選択肢を選ぶと殺されて、
この会話ログはフィクションであり、実在の人物・地名・団体とは一切関係ありません。
坂木
わろた
坂木
自分が理解できないものを意味がないと思いこみたがるタイプの人だということがよく分かったので原文を読まずに済んだ。ありがたいまとめだ。
安原
NTPsec が,ownership を理解していない開発者たちの声が大きくなるようなコミュニティによって開発されているということが分かって大変有意義でした(こなみかん
宮森
今までCで開発してきたプロジェクトを移すなら極端な話ownershipを理解しなくても良いわけで、悪くないのではと思う。
宮森
……が、理解できないものに対して、理解を試みず~すべきだ~と設計しろ、っちゅう人が作るソフトとはちょっと関わりたくないと思う。
安原
いや,私は C で開発してきたプロジェクトであるならばなおさら ownership を理解していないといけないと思います. ownership に理解を示さないコミュニティが関わってきた一定規模以上の C によるプロジェクト……私の第一感は「こわ…近寄らんとこ…」です.
宮森
いや、Cで開発してきた人たちって、ownershipを自前でコントロールできると思っている(思い込んでいる)人たちですんで……こわちかは同意。
安原
いや,私は C で開発してきた人たちの多くは,そもそも ownership の概念を獲得していないのではないかと危惧しています.元々,私はもっと楽観的で,多くの C プログラマは ownership の概念を獲得していると思っていました.
宮森
安原
OpenSSL の騒動の時,関数の途中で return したことによるリソース漏れを揶揄したことがあります. OpenSSL のようなインターネットの基盤を支えるオープンソースプロジェクトにおいてさえ, ownership の概念を獲得していれば脊髄反射で気づくであろうバグが随所に見られたことには本当に絶望しました.
安原
藤堂
安原
むしろ C++ によって ownership という概念が明確になり,その重要性が認知されるようになったのではないでしょうか? これについては,私は歴史的なことが分からないので真偽のほどは何とも言えませんが.
宮森
シニアな開発者にしかC++/Rustが受けないと思うの、まさにその点だと思っていて、人類を信頼したがために足どころか頭を吹き飛ばす経験を積んでいないからだろうなー、とか。
宮森
OSとかシステム系のプログラマの人々、基本的にリソースは人間が適切に管理するし管理できると考えている人が多い印象([検閲削除]社時経験)。言語側で安全を確保したい、的な話をしても相容れなかった記憶が。
坂木
[検閲削除] のコードには、間違って自分の足どころか頭を撃ち抜いてしまった偉大な先人たちの知恵が詰まっていて、開発していてとても勉強になります。なお [検閲削除] は頭がなくなっていることに気づかずゾンビとして生きている模様。
今井
今井
リソースどうこう以前に、そもそもちゃんと構造化されてるコードが書けるかも怪しい(個人の感想です。見識にバイアスがかかっている可能性があります)
安原
うーん,数値計算系のチームやコミュニティも ownership の概念の獲得,重要性の理解,その管理を自動化することへの理解,これらを期待するのは難しいだろうなあ…….そもそも高度なリソース管理が必要になる場面少ないし…….
坂木
コードの品質が強く求められるプロジェクトとそうでもないプロジェクトがあるからなあ。クライアントサイドソフトウェアは割と品質が求められる気がする。
安原
OS 実装とかシステムプログラミングって,クライアントに直接接しないだけで,その上にクライアントサイドソフトウェアが載るわけで,コードの品質が強く求められると思うのですがそれは…….まあ, API とかで切り離されているので,そこだけしっかりしていれば,という話はあるか.
宮森
坂木
今井
あとは、デモが作れればいい、的なのも同じかなぁ。
宮森
宮森
安原
今井
まー、 offline で動くバッチ、的なのはそこまでメモリ管理とか / パフォーマンスとかにもシビアにならなくていいし(最悪オーダーがほどほどならよい、的な)、そいう文化にいると、雰囲気にのまれる人が多い、というのはまぁわかる。
坂木
今井
宮森
いろいろ言っていますがワタクシ、そういう管理が必要なプログラムは全く書けなくなりましたので今書くと死にます(プログラムと顧客の大事なデータが)
安原
しかし,システムプログラミング界隈に「人間はリソースを適切に管理できる」という悪しき信仰がはびこっているの,何か構造的な原因があったりするのかなあ?
宮森
システム系、基本的に生のハードウェアが透けて見える言語を使う必要があって、そのために選択肢がCしかなくて、手段が限られているからこそ信仰が発生した、という認識
宮森
宮森
坂木
Linux カーネル、一体どうやったらあの規模のコードをクオリティコントロール出来るのか本当に不思議
安原
坂木
Linux カーネル、属人性高そうではあるけどそれでも実際に十分スケールしているからなあ…… ヤバい系レビュアーがごろごろしているのかな
宮森
安原
私も [検閲削除] のコミュニティを見てましたから,各々必要なドメインにおける圧倒的なタレント性を持った人たちが1ヶ所に集結して奇跡のアンサンブルを奏でうる場合がありうるのは理解しているんですが,本当にただの奇跡でしかないと思っています.
宮森
つーても機械エンジニアリングで町工場の職人芸を必要であれば使うように、属人性を求めるのも一個の正しい戦略だと思うんですよね。
宮森
なおその対極がみずh(省略されました
安原
Linux カーネルにおけるスケール云々は, Linux カーネルのコミュニティ自体におけるスケーラビリティではなくて,(システム)プログラミングコミュニティ全体(他のプロジェクト)へスケールするかどうかを言ったつもりでした.
坂木
宮森
C系がシステム系で優先されるの、ツールを変えるとツール独特の罠があるので、罠が全て分かっているツールを使う、っつうのもあるな。
安原
> システム系、基本的に生のハードウェアが透けて見える言語を使う必要があって、そのために選択肢がCしかなくて、手段が限られているからこそ信仰が発生した、という認識
これが原因だとすると,やはり Rust だ……Rust しかない…….ツール周りとか,まだまだ未整備な部分たくさんあるけれど……そこをクリアすれば…….
坂木
坂木
イテレータっていうか Java でいう Scanner を作ろうとしたんだっけ。サードパーティライブラリも探してみたけどその頃は I/O 周りの API が unstable でビルドが軒並み壊れていたりしたな……
藤堂
1.0 以前のことは忘れましょう (本当に unstable)
安原
坂木
安原
「Rust 経験者」という条件でプログラマを募集して,それで入ってきた人材に C を書かせればよいのでは!(ピコーン!
藤堂
犯罪ですよそれは
安原
はい.
藤堂
安原
まさにそれをイメージしていました.
宮森
藤堂
うーん、それ以降の話は知らず
今井
Rust そして誰もいなくなった、にならないかが一番心配だったりする
安原
それな
宮森
もしかして、NTPsecの人がRustでミニサーバーを起こすのにすら苦労していたの、普段からバグありのコードを生産しているからなのでは、という気がしてきた……。
(この辺で一同寝落ち)
http://anond.hatelabo.jp/20170109214808 のつづき
前回の記事を書いて、数日はセルクマ+netcraft3さんのブクマだけだったので、うーんはてなでもこういうの受けが悪いのかと思っていたのだけれど、久しぶりに見たら結構伸びていた。どうせ批判コメ(しかも本質に関係ない、放射能アレルギー的なもの)にあふれていると思ったが、意外や意外、肯定意見や建設的な批判が大半で、まだまだ日本のインターネッツも捨てたものではないななどと思ったりした。
その中でも、commonな批判と、その他目についたコメントに対する返信をしたい。
また、以下の返信については、あくまでもコメントに対する返信であって、コメントをした人に対する(人格)攻撃のつもりは一切ない。そう見えたのなら私の文章力の問題だし、そもそもミスリーディングな文章を書いたのが問題だろうと言われたらそれまでである。すいません。
(これだけ書いても多分ある程度の人は攻撃されたと感じてしまうのだと思う。文章力のせいだろうか。ちょっと申し訳ない)
この文章は、あくまでも彼の主張の問題をつくだけのものである。福島が安全かどうかというのは全く別の問題であり、ここではそれに関する議論は一切しない。
これでも噛みつかれそうなので一応書いておくが、別に私自身は特に何かを避けているとかはない。単に面倒だからだ。
と書いたら、id:reijikanさんから『「単に面倒だからだ」ということだけれども、早野さんはその面倒なことをやっている。』というコメントを頂いてなるほど書き方が悪かったなと思った。
単に(面倒くさくてw)一言で面倒と言ってしまった私が悪いのだが、これは後半でも書いているように、「私は私の責任でもって積極的には気にしない」という選択肢を取っているということである。したがって、例えば乳幼児の親が放射能汚染に敏感になっていることを批判することは私には決してできない。そもそも上で挙げた資料には、誤差すら書いてないので原理的に批判はできないのであるが…。
また、早野氏がどれだけ何をしていようと、(これも語弊を招くかもしれないが)私には一切関係ない。また、彼の行っているその「アウトリーチ活動」とやらは科学の世界と一切関係のないものであるというのが先の文章の主張である。
これは一番星を集めていたid:IkaMaruさんやid:njamotaさん、また「牧野さん政治発言繰り返してるじゃん…」とのトラバなど、結構たくさん頂いた指摘である。
結論から言うと、もちろん科学者が政治をするのはまことに結構なことである。有馬氏など、日本の科学行政にも科学者あがりの人は実際に何人かいる。政治発言にしたって、牧野さんが政治発言をtweetするのも結構だし、M川さんが天皇制に反対するのも結構だし、xxさんが毛沢東と会って公安の監視下に置かれたのもどうぞお好きにやってもらえればいいとしか言えない。外国でも例えばロシアのサハロフさんなんかは大変有名である(こう書くと業界が極左ばっかのようだが、まぁそんなことはない) 。
というかそもそもよく考えたら私のこの文章だって見ようによっては部分的には政治的であると言えなくもないかもしれない。
私が問題だと思うのは、「科学的発言の皮をかぶった政治発言」である。そりゃあ(直接面識もないのにこんなに例に出しまくって申し訳ないが)牧野さんが集団的自衛権に反対しているのを見て「あぁなるほど天文学的には日本国は9条を保持すべきなのか」と思う奴はこの世にいないだろう。こんなのは誰がどう見たって個人の思想信条を発言したに過ぎないと思うわけである。翻って見るに早野さんが「躊躇なくイエス」「どこにもない」「自信を持って言える」「間違っている」と繰り返したらどうか。(あぁ、http://bzfd.it/2jkl8zc からコピペしてめまいがしてきた…。)これを見て政治的発言だと思うやつは相当ひねくれているか科学的知識を持っているかのどちらかである。
もっと別の例を出そうか。いわゆるニセ科学、例えばなんとか水やなんとか菌のたぐいであるが、これにはほぼ必ずと言っていいほど「~博士」「~名誉教授」の肩書を持った人のコメントが寄せられている、ような気がする。人は一般に、そのような肩書があれば科学的に中立な発言としてそのコメントを見てしまうということの証左であろう。「水素水で若返りました(65歳男性)」とは発言の重さが違うのだ。
(どうでもいいが、改めて上の記事を読んでみたがこれは本当にとんでもない記事である。『その批判、一部は当たっているんですよね。「あなたたちは、全員を測ったわけではないでしょう」「安全な人だけ選別しているのではないか。きっとどこかで高い人がいる」という点は特に当たっている。その通りだと思いました。』なんてバイアスがあるって言われただけなのにあたかも「とんでもないいちゃもんつけられたのに真摯に対応するワタクシ!」みたいな感じに読めるし(というか下の論文読むまでこの文章が何言ってるかわからなかった)、そもそも「思想を語っているわけじゃない」とまで断言している。早野さんはサイコパスなんじゃないだろうか。正直言って恐怖を覚えた。)
私も、早野さんが(65歳男性)として発言する、あるいは「これはあくまでも政治的発言ですが」と断って発言するならば一切何も言わない。どうぞ好きにやってくれればいい。しかし、「科学者」の肩書を使って「絶対」というような非常に強い政治的発言を繰り返すのは看過できない。科学者として発言するならば科学の言葉を使わなければならない。
以上のような早野さんの言動は、日本のインターネット界にいわば「放射脳叩き」をもたらした。そのせいで、親が我が子を心配するといったような基本的な権利ですら危機に瀕している。少なくとも今私がここに書くくらい、公の場で福島関連を言うことははばかられるようになってしまった。このような恐ろしい事実を鑑みるに、やはり私には早野さんの政治スタンスを認めることはできない。
私が前の記事で言いたかったのはあくまでも「アウトリーチ」としてのあり方なので、論文には言及しなかった。もちろんなにか「動物のふしぎ」だとか「宇宙のふしぎ」みたいな啓蒙書に対して統計5σ要求するのは流石にやりすぎである。しかし、福島のような問題に対しては、アウトリーチですらも科学に立脚した発言でなければならないと私は思っている。なぜなら、目に見えない不安に対抗する術として人類が編み出した方法こそが科学に他ならないからである。まずは、自然に100%はないことから理解しなければ中世から進まない。
ところでid:njamotaさんが挙げてくださった論文 https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjab/89/4/89_PJA8904B-01/_pdf もせっかくだからとさっと見てみたが、どうやらこれはあくまでも生データをそのまま載せた論文であるようで、そこから先の議論はなかった。正直これで論文になるのかというのは私も少し驚いた(おそらく、やはり前回の予想通り、疫学調査では統計を議論できるほど数がないからであろう。別に分野が違うから驚いただけで、ケチをつける意図はない)が、それ以前にそもそもSrに関してはmentionすらされていない。アンダーコントロールな汚染水を垂れ流している以上、チェルノブイリ基準では問題ない、という結論で良いのかどうかはわからない。
(ただやっぱりFig.3, 5, 7にエラーバーがないのは絶対におかしいと思う。早野さんだって東大理物の学生実験でこんなグラフ見せられたら突き返すと思うよ…)
このレベルの調査で絶対安全という結論を導き出すのは、私には不可能である。ググったところこの論文が聖典のように扱われているが、正直一体何がどうなっているんだ…という感じが拭えない。(しつこいが危ないと言っているわけではない。ただわからないと言っているだけである。)もっとも私は疫学など露とも知らないので、まあこれがどこまで確からしいかconcludeすることはできないのだが、少なくともある種の統計分布を仮定して有意性を出す、という(少なくとも私にとっての)conventionalな科学の枠内では捉えられなかった。有識者の意見を聞きたい。
おっしゃる通りだと思うが、私は牧野さんや押川さんほど社会的地位も無ければメンタルも強くないし、早野さんやそのゆかいな仲間たちほど厚顔無恥ではない。
あと日本語の読解間違ってたらすいません。やさしく教えてください。
実家のママンがやってる趣味が、セミプロでもお金はかせげていなくて、やっぱり趣味なんだけど、世間体はずっといいけど、家族からみると同人よりずっと迷惑なんだ。数百本の無農薬バラにかこまれていないと生きていけないなんて、バラ農家に嫁ぐしかなかったのに、どうしてサラリーマンと結婚したの。家族にとっては、家をド辺鄙でクソサムなところに構えさせられて、いくら広くても馬糞とトゲと害虫だらけの庭で、キャーッて逃げ出してもおかしく無いと思う(成人するなり全員逃げた)。そして父は図書館読書が趣味で家も指定のところに立ててやって金銭的には母をめっちゃ甘やかしてるのに全く母は気づいていない。そこが一番つらい。着るもんもブランドにこだわりあって「いいもの」を買うため年行ってからネットオークションにハマったりしてる。もう感覚が違う。たぶん昭和のあの世代は全員ブルボン王朝の出のお姫様なのだと思う。こんなことで凹んでもうしわけないけどこの年になっても親がつらい。自分で好きで背負ったことに自分で愚痴いってくる家族つらいです。
仕事しながら「好きでやってる同人だ」ってだれにも愚痴いわずがんばってる若い人のほうが尊敬できると思うのは年齢バイアスなのかね。いや、若い人も散々愚痴いう人はいるんだけど、親のよりあんまり不愉快に感じないの。いっぱい背負いこみすぎんなよっていったらちゃんと通じたり、情熱があるからかなあ。距離感かも。遠慮しぃしぃおっしゃるし。
どでかい趣味を背負い込んでそれを第一に人生の大事なところを決めておいて、プロにはならないのなら、家族にはもうちょっと遠慮して。支えてくれた人が倒れそうなら感謝しながら支えようよ。なんか感覚がほんとおかしい。ガッシャンガッシャン割り続ける陶芸家かよ。陶芸家には失礼なたとえだけどさ・・どんなにわがままな陶芸家でも「大きな窯がついている老人ホームなんか存在しないから端から引っ越す気がない、病院いくのも大変、弱ったお父さんにあいたければ子どもたちがこっちに会いに来なさいよチラッチラッ」とか言わないと思う。父はそれで人生を納得しているのか無口すぎてもうわからん(母のことを、ボケの前兆として人格が変わってきたのだとおもってる節がある)。かなり諦めてるとは思う。あと、何かを察知したのか、遺産は片親が死んだらもう片親に全部行くって直筆遺書かかせたんだって。父が先に死にそうだから遺産全部母に行く。
これどうしたらいいの。虐待じゃないのか。
下記書籍を最小限読書した。読書時のメモを以下に記す。 小口 孝司 (監修),"史上最強図解 よくわかる社会心理学",ナツメ社,2013. 人は社会的存在であることを前提 パーソナリティ心理学 性格心理学 心のなか 3つのシステム 自己概念 自己評価 自尊感情 認知 状況やできごとへの認知 他者への認知 感情 情動 人ならではの高度な感情 社会的感情 関係 心の遺伝子 行動 人には必ず自分について知りたい欲求がある 自己査定動機 自己概念 個人的アイデンティティ 社会的アイデンティティ 自己 主体的自己 客観的自己 物質的 精神的 社会的 作動的自己概念 意識に上ってる自己概念 状況や相手によって常にかわる 自己スキーマ 現実 ありのまま 理想 こうありたい 義務 こうでなくては 可能 そうなれるかもしれない 気になる異性に好かれたい → 理想自己を選択 人は常に他者との比較によって自己評価 社会的比較論 自分は良い、価値ある人間だと思いたい 自己奉仕的動機 自分に甘口 自己高揚動機 自己防衛動機 平均以上効果 上方比較 私もあんなふうになりたい 下方比較 あの人よりはできるはず 自尊感情はほどほどがいい ローゼンバーグの自尊感情尺度 俺 27 10〜50 40以上 高め 20以下 低め 潜在連合テスト 日本 謙遜を美徳 欧米 自己アピール 評価される 自尊感情を維持のために無意識に心理作戦 セルフハンディキャッピング 栄光浴 認知的 評価 倹約 バイアス 不協和 都合良しに目を向け、悪しにはつぶる ヒューリスティック処理 代表性 利用可能性 認知的評価のさい、何かに原因を求める 原因帰属 内的、外的 初期カテゴリー化 興味があれば深掘り ステレオタイプ 個人に対するステレオタイプ 2次元 能力 優劣 温かさ 温冷 解釈レベル理論 時間的 心理的距離によって物事の捉え方 異なる 長 抽象的 高次解釈 why 大目標達成できるが、理想高すぎで実行できない 短 具体的 低次解釈 how 実現性高いが、目先しか見えない 恋愛 高次解釈 崇高 理想化 現実の恋愛しにくくなる 低次解釈 肉体だけ 使い分け重要 コントロール可能 情動 喜び 悲しみ 驚き 恐怖 怒り 嫌悪 生理的変化 伴う 重要な事態に気付くため 社会的感情 社会生活を営む人間のみ 社会生活を円滑にするため 愛 友情 感謝 誇り → 助け合いを促す 疑い 嫉妬 正義感 罪悪感 恥 → 集団内の裏切りを防ぐ 感情の役割 命の危険から身を守りつつ、社会生活を円滑に送れる 感情 脳内で無意識に 大脳辺縁系 扁桃体 大脳皮質 気分一致効果 良い気分の時は良い記憶を思い出す 感情感染 感情を適度にオープンにすると健康になる 感情コントロールの理由 合理的に判断するため 疲れやストレスを避けるため まわりの人によく思われるため 社会にうまくなじむため 感情 あらわにしすぎも、抑制しすぎもよくない 紙に書いて表出する筆記療法 感情抑制による健康への害を防ぐ 1日15分以上 静かな場所で 誰にも見せない 状況、感情を整理 いやなことへの慣れ できごとの解釈が変わる 抑うつ感がなくなり 免疫力もアップ 心の特徴は遺伝子で受け継がれる 進化心理学 助け合いの社会行動 適応的かどうか 適応的でないと淘汰されやすい 以上
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
「内容で判断すべき」、これは嘘でもないし、間違いでもない。
かといって正当な言論に正当な言動が付きまといやすいように、そーいうバイアスを重んじることもまた側面的には間違っていないことだ。
つまり、その人の中で「内容で判断すべき時」と、「誰が発するかで判断してもいい時」の明確な線引きがあるんじゃないかな。
「そんな線引きしてもいいの?」といわれても、そんなこと私は知らんよ。
まあ、単にその人に一貫性がないって可能性も勿論あるが、個々がその場その場で語る正しさなんて所詮はそんなものさ。
いや、まあ“内容による”だろうけれど、そんな便利な言葉で片付けるのは思考停止と一緒だからな。
ダブスタは皆の悪友。明日は我が身と思いながら今日を生きていこうじゃないか。
案の定ドラマに出ている俳優が下手だからというブコメがぞろぞろ沸いてきたけど
声優さんがドラマでやるような現代劇に出てきたら違和感ばりばりだと思うぜ
あくまで平凡な会社員だとか学生という設定で生身の人間が演じる上では、彼らの演技は浮世離れしすぎているんではなかろうか
昔の再現ドラマとかって声だけアフレコで声優さんが演ってるパターンよくあったけど、かなり違和感あったよな
やっぱり声優の演技って実写のビジュアルには合わないんじゃないのかな
洋物の演技やシナリオがどうなのかはなんとも言えない
任天堂はDSWiiで重厚長大な正統派のゲームをバカにして脳トレなどの子供だましゲームを作った、などという
任天堂は決して正統派(この物言いもバイアスかかりすぎだろと思うが)のゲームも疎かにはしてないし(ゼルダ、FE、ゼノブレイド等を見よ)、
だいたいその重厚長大路線をひたすら拡大していった先の結果が、MGS5やFF15のような(ある程度の成果物は出せたにせよ)
プロジェクトマネジメントに失敗してスタッフが追い出されたり交代させられたりした代物なんだぜ?
この手のいわゆる「ゲームらしいゲーム」的な言説は典型的なはちまjinチルドレンの持つ史観そのものなんだけど、
やっぱりこいつらの害は大きいなと感じる次第
自分は真面目だという女性が「真面目」を自己肯定に使う意味が分からん。「あいつ真面目」なんて男性の場合、学校ホモソーシャルではいじめや万引きに参加しない「ノリが悪いやつ」、端的に言って「つまらないやつ」の烙印でしかないのに。(だから男性の場合、自称する場合も「マジメ系クズ」と自虐的に表現する。)
男性の場合、強迫性や未自立(依存性)の称号である「真面目」が女性において肯定的に使われるのは「女性の場合は多少脅迫的、依存的であったほうがちゃんと労働しそう、貞操守る良妻賢母になりそう」みたいなジェンダーバイアスでも働いているのだろうか。
それとも男女関係なく元増田がマジメが原因でいじめられているのに学校に行かずにすんだせいでバイアス抜きの社会的去勢を回避していただけなんだろうか。