はてなキーワード: うつ病とは
どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。
その顛末を話したい。
大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。
なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果か教育実習は中学校に配属された。
実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭の練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。
これって本当に教員の仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。
また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本は年寄りは何でもありの価値観が蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。
これらの業務は事務職員の仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。
やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。
建前では休憩時間はあるらしいが、その時間も業務が振ってきて休むこともできず。
おまけに最近はアクティブラーニングやICTの重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。
それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。
体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。
生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。
授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。
アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ、鉄道ネタ、自虐ネタ、淫夢ネタにちょっと不謹慎なネタなどを入れるだけで笑いが取れた。
定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。
しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。
例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つからず教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。
なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。
また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。
(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身の選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)
まあいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。
生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。
他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。
鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。
どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。
事情を聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的だからやっている」と。
今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。
重大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。
管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。
教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考を突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。
校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言。
なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。
気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。
隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職に相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。
私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなたは完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。
また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。
何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。
テレビをつけると、時代劇の切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。
通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。
(日本は労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場の労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)
その後の数日、外出したいとも思わなかった。
そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。
しかし今回はその気持ちが特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。
渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」
島村卯月「早く休まないと…大変です!」
本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」
あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。
今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。
そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。
高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。
だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。
一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。
母親は祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。
つまり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。
父親は偉そうに上司にも独りよがりなイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。
「自分の思い通りにならない、またはその仕事の責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。
その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。
となると、どのような手段で休もうか。
休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復は絶望的だろうと思った。
じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。
ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。
利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。
ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。
日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式な手続きは出勤できてからで問題ないらしい。
ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。
逃避行で精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。
病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。
今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除とトイレ掃除を念入りに。
教員の労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから、働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。
始業後に連絡すると迷惑だろうから、自分が所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間の制限は特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。
学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。
「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?
元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。
何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。
混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。
家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。
・本田未央ちゃんのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツを羽織り
・本田未央ちゃんの腕時計(キャラアニ。スーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に
・本田未央ちゃん、渋谷凛ちゃん、島村卯月ちゃんのぬいぐるみをカバンにしまい
・八宮めぐるちゃんやライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーをカバンに付けた。
どうだ、カッコイイだろ。
普段の通勤と時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。
まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。
ATMでお金を引き出し、藤沢までの切符とロマンスカーの指定券を購入(本当は特急券不要の快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。
江ノ島方面のロマンスカーは夕方までないとのことなので、相模大野で普通電車に乗り換えることにした。
横断歩道で信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーとかいう宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。
コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。
飽きたので、Amazonで大崎甜花ちゃんのフルグラフィックTシャツをポチっと購入。送料込みで7,321円也。
小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間が代々木上原~向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急が緩行線を走行するようになったらしい。
藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。
乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間が制限されないICカードでしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。
ここまでの切符を入れ、すばやくICカードをタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードやEX-ICは不要)。
ここからは神奈川のジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。
強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。
大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両は棺桶じゃないぞ。
思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスとかぶつかるのでは。
湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。
15分程度で終点の湘南江の島に到着。テラスでアイドルたちと記念撮影。
そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。
雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。
1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。
岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間の言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎なセリフを考えると非常に面白い。
最後に物販店でくじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。
江ノ島にも行った。
恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影。
気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。
時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。
江ノ電は意外にもVISAのタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。
日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州で一般的なQRコード付きの切符を任意の場所で印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。
そこでVISAのタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電は日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。
本田未央「今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」
勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。
電話は教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。
そこで、今日はアロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんのTシャツを。
いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。
グーグルマップでその幼稚園の電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。
その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間とかぶっており保護者が子供を預けに来ていた。
乙倉悠貴ちゃんのTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツのボタンを閉めて事務室へ。
対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。
暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。
昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。
昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。
今日もバスと電車を乗り継いで新宿へ。今日は小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。
なんと小田急の自動券売機はクレジットカードに対応していた。箱根湯本までの切符と特急券を買うと、なぜか乗車券は小田原→箱根湯本のものしか出てこなかった。
小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿→小田原の切符と特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札で事情を話すことにした。
今日もセブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。
電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。
車内でつまみを全部食べ終わってから Permalink | 記事への反応(12) | 13:12
(そこそこ長いので、さっさと結論の説明してほしい人は本論まで飛ばしてください)
僕はブラック企業で追い詰められて精神科に通い出した、典型的なうつ病患者。
手帳も貰ってるよ。
3級だからポリコレカードバトルだとあんまり環境に刺さってないけど。
会社に行くために電車に乗ってたら突然心臓がバクバクし、まだ秋口なのに全身に悪寒が走り手が震え出した。
近くにあった神経科のクリニックに行くと「新しい環境に馴染めないストレスから出た自律神経失調症」と診断された。
その日から会社は週に2回勤務できたら頑張った方で、基本的に布団から動けない。
動かないんじゃなくてな。
幸いにも手首から先と腰だけは動いたので、トイレに行って戻ったら寝る、そしてまた起きてトイレに行くの繰り返し。
手が震えて×ボタンが正確に押せねぇから広告の嵐を呼ぶジャングルよ。
いやお前らの言う事は分かる。
全くもってその通り。
日光浴してランニングして筋トレして風呂掃除してお湯張って浸かればうつは軽減されるだろうな。
毎朝6時に起きて日光浴して、9時から18時まで、残業も考えたら20時までかな。
それで退勤してからジムで汗流して入浴をこれから数年間続けられる?
あ、出来る人はここでお帰りください。
あなたは強い人なので、弱者の事は気にせず元気に幸せな人生を歩んでください。
比較的マシな日に、どうにかこうにか顔洗って身支度して、さあ出社しようとしたらな、
いや理屈では分かるよ、鍵開けてドアノブ回して前に押し込めば開くよな。
MAXの力を出してドアノブに手をかけたまではいいんだけど、次何すれば良いんだっけってなっちゃうのよ。
そのうち頭が真っ白になって30分以上そのままの体勢を取り続ける。
なぜならもうこれ以上、思考と行動のための脳のリソースが無くなっているから。
全力で100m走ってる人は「ユニフォーム汗でビチャビチャやから後でシャワー浴びよ」なんて考えてないでしょ?
そんな事してたら当然クビだわな。
そりゃそうだ、週に2回来れるか来れないかの人間雇う余裕なんてないもんな。
そうなると、元々少ない給料が無くなって、貯金残高がみるみるうちに減るわけだ。
自立支援医療とかのおかげで病院代と薬代は1割負担になったけど、それ以外の生活コストは減らせない。
自炊して食費を削る?
じゃあ生活保護貰うために役所のどの受付に行ってどんな書類書かないといけないのか、何を提出すればいいのか調べて思考しないとね。
「止まない雨はない」に対して「今降ってるこの雨が耐えられないって言ってんの」状態なんだよ。
僕だって何かを変えようとして、インフォームドコンセントを目的に神経科から精神科に移ろうと初診の予約で電話したよ。
そしたらどの病院やクリニックでも「最短でも1〜2ヶ月後になります」って言われちゃうもんな。
明日の事も考える余裕がない人間が明後日より先の事考えられるワケねぇだろ!
僕の場合は地元の先輩が心配してくれて、引越しの手伝いから生活費を援助してもらったりなど、生きるために必要な事をほとんど支援してくれたから今生きてるけど、大半のうつ病持ちはそんな都合の良い人居ないわな。
引越し先でようやく精神科に通ったら即うつ病認定されて、手帳の交付に必要な診断書とかの支援もしてもらえた。
手帳持ってると便利だぞ、電車の路線によっては半額で定期券が買えたりするからな。
そんなこんなで療養期間を設けて、何とか非正規雇用だけど雇ってくれるところを見つけた。
障害者雇用枠の求人と合わせて200社くらい受けて、9割以上は書類選考で落とされたけどな!
そう、障害者雇用枠における精神障害者の割合は身体障害者の半分以下なのである。
なぜならオフィスをバリアフリーにする等、身体的に関わる問題を解決すれば中身は健常者と同じなのでちゃんと働いてくれる。
しかし精神障害者は朝起きる瞬間まで出勤できるか分からないし、出社しても仕事が大変だとやれ「早退します」だの「身体が動かないので休ませてください」だのカスみたいな事を言い散らかすからである。
僕の場合は「雨が降ってて気分が沈んでいるので休みます」と連絡したのが1番パンチの効いた欠勤理由だったなぁと思う。
これで僕は「障害者と健常者、両方の性質を併せ持つ♡」というヒソカ状態になった。
勿論、就職が決まったからと言ってうつは治ってくれないし、手足の震えも止まらない。
様々な抗うつ薬(うつエアプ勢が分かりやすくする為にまとめて「抗うつ薬」として表記してます)や、普通はパーキンソン病患者に出す震え止め薬を通常使用量の3倍近く常飲し、急な不安が湧き出した時用に頓服の薬も処方された。
軽い運動や入浴など、どんなにセルフマネジメントを重ねてもダメな日はダメなのである。
職場にたどり着く事がまず困難なのに、仕事なんてできないわな。
「いやお前ガイジなんだから普通の人と同じ生活なんて出来るわけないじゃん(※超意訳)」
って言われた。まさに然もありなん。
前置きが長過ぎて既にページ滞在率は激減してると思うが、同じ精神疾患の人にはあるあるネタとして、シンプルに興味を持ってくれた人には感謝として本論書きます。
もう30%は寝てる時間なので何もできません。
人生の自由時間が30%以下なんてどう考えてもおかしいでしょ。
しかも若いうちに取れる自由時間は少なく、本当に自由を満喫できるのが65歳になってからなんて嫌すぎない?
ナウル共和国見てみろよ、生きてるだけで国からお金もらって公共料金全部タダだぜ?
(当然その姿勢が問題になっているのは承知の上で、国や人によって仕事の捉え方って違うよねって話です)
趣味に没頭するために、お金を稼ぐ手段として仕事をしている人も居るでしょう。
何年も無遅刻無欠席で出勤する。
それらをこなしている時点で、少なくとも僕は「貴方は狂ってます」と言います。
だって僕は趣味や好きだったことが全部できなくなったからです。
料理が好きでした。
自分しか食べないものを作る気力が湧かないから全部冷凍食品にしました。
編集画面を開くどころかパソコンの電源ボタンに触れることすら激減しました。
人生の意味なんて人によってあったりなかったり全然違ったりします。
でも意志がなくなってしまうと、もう何もかもができないんです。
毎日「通勤電車にジョーカーが乗ってきて銃で瞬殺してくれないかな」と思ってます。
「心という器は、ひとたび、ひとたび ひびが入れば二度とは 二度とは」
きっとその「何か」が漏れきった時、僕は押入れにしまっている縄と子供用プールを広げる日が来ると思ってます。
YouTubeチャンネル経由で発生した、ストーカー(以下Sで統一)の時系列まとめ
Sは1000通以上の一方的な長文メールを送り、「不同意性交等罪がまだなかったけれど訴えたい」「70万円欲しい」「警察署に相談へ行くよ」と脅しを掛けてきて、無限に複数アカウントを作って、迷惑行為を配信中にしておきながら、「そっとしておいてください」と居直り、どうしようもない状態になっている。
こちらの要望としては、「今後一切関わらないでくれ」の一点だけである。
ちなみに僕自身は、YouTube26000人/TikTok10000人、無名で細々と生きる男だ。
Sが自発的に、「〇〇見たい?」「〇〇したい」「やりたい」などと書き、脱いだ写真/動画を送信してくる
この時点では、『ちょっと積極的な普通の明るい子』だと思っていた為、不快感はなし
■札幌で会う
流れで枕を交わす
翌日以降、ご飯を食べて街巡りし、電話/DMを続けてみたが、生い立ち、会話のテンポ感、文化的ベクトルなど、相性が合わなかった為、付き合うには至らず
■自然消滅(SがLINE/Twitterをブロックしてきた)
■会って半年後に突然、長文で告白DMが送られてくるが、「彼女は作らない」と断った
元カレからの求婚に悩んでいる、ホストにナンパされて添い寝した、茨城出身の彼氏ができた、男の車に乗り込んだらホテルに連れて行かれた、うつ病になった、休職するなど
「やりたい」「結婚してください」「会えなかったら自〇する」など、一方的な感情の暴走が始まる
遠距離だったが、顔と性格と生き様が可愛かった為、復縁や曖昧な状態も含めて、長い事、仲が良かった
この事を、事後的にYouTubeで語ると、「同い年の子を選んだのが悲しい!」と、Sの暴走はますます過激化
■会う約束もなしに、Sが飛行機で札幌に来たが、完全に無視をした
■昼夜問わず長文DM、求めてもいない自撮り画像/18禁動画が届く
YouTubeライブの際も、何十回もブロックしたところで、「責任をとって」「捨てられた」などと、複垢を用いて、長文の迷惑発言を連発する
※4年で3回しか会っておらず、恋人関係にもセフレ関係にも、一秒もなっていない
「付き合う事は100%ない。他者との境界線について学んで、ちゃんと自分の人生を生きて」と説得するべく会う
関わりの拒否を求めたかったが、聞き耳を持たない様子だったので、「あくまでも友達ね、100%、絶対確実に、何があっても、恋が発展する事はないよ。両想いになれる相手を探してね」と強めに伝えた
「当時は、不同意性交等罪がなかった。そのせいで、わたしの悲しさをみんなに伝えられない」「警察署に相談へ行きます」「訴えて70万円くらい欲しい」といった風に、脅しを掛けてくるようになった
そう考え、実行するのは自由だが、枕を交わすまでのDM/LINE/Skypeのやり取りはすべて、SSDに保存してある為、むなしい訴えになるだろう
あまりこんな事は言いたくないが、会う前から、ほぼ全裸の動画を送ってきたり、Sから馬乗りになって来ておいて、望み通りの関係に至らなかった瞬間、曖昧ながらも金銭的な願望を口にして、『不同意性交等罪』を連呼するのは、脅迫行為なのでは?
さらには、「わたしの考えを否定して、関わりを拒否をするのは人権侵害だと思います」などと、暴論までぶちまける始末だ
■「一度デートしてくれたら終わりにする、この関係を忘れられる」との事で、短時間ながらも、最後の最後に会う
この時、僕の失敗として、「わたしはストーカーじゃないよね?」の問いに、Sの心を落ち着かせるべく、「ストーカーではないけれど、どんなに連絡して来ようと、会うのはこれが最後だし、どうしてもタイプじゃないから、恋愛の可能性は0.1%もない。ちゃんと自分の人生を取り戻してね」と伝えてしまった事で、Sは都合良く、前段の言葉、『ストーカーではない』だけを脳裏に焼き付け、自己正当化を覚えてしまった
■そうこうして今に至るまで、「二度と関わるな」と伝え続けているが、「これは関係の前進だ」「どんなに怒られてもエンタメだ」と歪んだ解釈をする為、心底迷惑している
まず一つ言える事として、僕は社会の道外れ者、本名/顔出しの配信者として生きている為、こんなリスクは織り込み済みだ。
山もあれば谷もあり、光もあれば闇もあり、躁もあれば鬱もある。
そら持たざる者が、ありったけの力でネット世界を走っていりゃ、大問題の一つや二つ、当たり前に発生するだろう。
でもその分、心優しき視聴者さん達が、ヘリコプターに乗せてくれたり、タクシーを貸し切りにしてくれたり、焼肉や寿司をご馳走してくれたりと、数々の救いを与えてくれる。
僕は元より社会不適合者であり、ずっと不安定な人生を歩んでいる為、なんなら、明日死んでも良いと思っている。
……と言ったように、狂いを受け入れている僕だから、アホみたいなストーカーが出現しようと、「こんなもんは人間社会のちょっとしたエラー」と捉えて、心を守れる訳だが、もしもこれが、普通の生活をする労働者だったら、どうなるのだろう?
こうした、ごくごく一般的な男女関係において、自分の思い通りにならないと分かった瞬間、『不同意性交等罪』を叫び、金銭的な願望を喚き、「裏切られた」「捨てられた」と集まりの場で騒ぎ立てる。
そのような女性に引っ掛かった場合、相当に苦しいのではないだろうか?
ちなみに僕自身、社内恋愛、ブログオフ会、チャットサービス、ネット掲示板、ホスト、ストリートナンパ、YouTube、TikTokなど、あらゆるところで、様々な女性と絡んで来たけれど、ここまでおかしい奴には、はじめて遭遇した。
本件のストーカーは、「わたしは一途な乙女」という自己認識があるのかもしれないが、はっきり言って、かなり醜悪なモンスターでしかない。
神学校がルーツの中学/高校に通っていたらしく、意識的には、「純潔なわたし」を保とうとしているが、育ちによる自己愛の不全や、現状に対する不満により、無意識に野蛮になってしまい、その二律背反を解消すべく、「わたしを汚した!」という幼稚なピュアさを誇るのだろう。
表現の自由がある国ゆえ、何をどこで叫ぼうと、どうぞご勝手にといったところだが、出会い頭のホストと添い寝し、街でナンパされて雑に付き合い、求めていない卑猥な写真を大量送信し――など、純潔とは程遠い行為をしておいて、自分に不都合が生じた時だけ、「純潔なわたしをもてあそんだ」「レペゼン地球みたいな奴らと同類」などと、高潔さを気取りながらヒステリーを起こす。
そして、数え切れないほど、「タイプじゃないから付き合えない」と伝えているのに、「理由が分からないから辛い」とゴリ押しして、被害妄想を膨らませ、悲劇のヒロインになってゆく。
『タイプじゃないから付き合えない』を曖昧な言葉として許さないなら、残酷非道なワード選定でもって、地獄の果てまで叩き込んでしまうが大丈夫か?
もちろん、対人関係はリスペクトありきゆえ、そんな愚かな真似はしない訳だ。
その為、仲良くなれない理由を問われるたび、「話のテンポ感が合わない」「文化的ベクトルが違う」「雰囲気がマッチしない」「好きになれるキャラじゃない」などと、小出しの答えを投げ込むのだが、「あの時のわたしは、本当のわたしじゃない。本心で接していないから、そう思うのは間違っている」といった寸法で、可能性を無限拡張してしまう。
はっきり伝えておくと、無限のパラレルワールドに、無限なるあなたが存在していたとしたら、こちらも無限のお断りをするくらい、根本からタイプじゃないので、「あの時に、ああしていれば」と考えるのは無駄でしかない。
ここらで、一度と言わず、何十、何百、何千、何万度と冷静になって考えて欲しいのだが、この約4年間で3回しか会っておらず、元彼でも元セフレでもなく、何かを貢がせた訳でもない、すこぶる浅い関係にも関わらず、一方的に配信を見て、妄想して、暴走して、「貴重な時間を奪われた!」「なぜ責任を取らないんだ!」などと、いつまでも発狂するのは、幼稚園児の駄々っ子と変わらない。
なにをとち狂っているのか知らないが、『デートして枕を交わす』=『絶対に付き合う』という異常なる図式が、大脳に刻み込まれているのだろうか?
肉体的な相性が合わなかった場合は?
そうした諸条件がうずまく中で、運命が味方する事もあれば、死神が舞い降りる事もある。
それこそが男女関係――残酷なる色恋沙汰……本能の営みって奴だ。
『愛とは差別』なる言葉もある通り、誰かを好きになる世界とは、誰かを嫌いになる世界でもある……という事を、ゆめゆめ忘れるな。
こちらとしてはこの数年、散々、DMや配信のコメント欄で、好き勝手に言われ、それでもSの本質には触れず、傷つける事なく、なんとか去ってくれるのを期待していた。
しかし、Sの蛮行はおさまりを見せない為、致し方なく、こうした文章を書いている。
また、ストーカーの狂った解釈で、「これだけ本気で書いてくれるのは、きっと愛が残っている証だ」などと、さらに厄介な存在になるかもしれない。
だからこそ伝えておくが、容姿、人格、雰囲気、脳内メカニズム、あなたの発する生物情報のすべてが嫌いだから、好きになる事は不可能だ。
動物的にも人間的にも受け付けない為、今後一切、関わらないで欲しい。
さらに言えば、僕をイメージする事で生じる、あなたの微弱な波動すら不快でしょうがない。
一刻も早く、僕に関わろうとするのを辞め、自分の道を歩んで欲しい。
※ストーカーへ、本文に関する、あらゆる感想/意見/反論は、断固として受け付けません。
個人情報も記載しておらず、なんの名誉毀損にもならないゆえ、たとえ、「わたしの本心と少し違う」などと感じても、知ったこっちゃない。
そもそも論、あなたは家族でも友達でもありませんから、あーだこーだと御託を並べたところで、一文字残らずノイズでしかなく、まったくもって興味を持てません。
しんどい日が続き約2ヶ月ほど外に出ていなかったが、有難いことに同期たちから食事に誘ってもらったので行くことにした
前日は緊張や不安から眠れず、休職前頻繁に現れていた心因性のかゆみも出てしまい欠席しようか迷った
店が予約済みであることから今更言う勇気も出なかったのでなんとか家を出たが、なぜか電車が満員で座れず目を瞑ってひたすら耐えた
久々に会う同期たちは嫌な顔ひとつせず私に優しく接してくれて、申し訳なさと有難さで何度も泣きそうになった
帰りの電車も満員で泣きたくなったが、化粧をして電車に乗り目的地まで行って帰るという行為を完遂できたことで自信がつき、少し前向きな気持ちになった
同期と話すことができたのも嬉しかった
頑張って外出して本当に良かったと思う
(翻訳記事)...ニューヨーク・タイムズ(NYT)紙 〈全訳〉
https://note.com/wypcg332/n/n3ebb465bd5eb
これは労作だね。
トランス批判は宗教右翼云々というのが妄想で、実は大規模な医療過誤事件の可能性があるってことだ。
というかヤバいことやってるのがわかってて、口封じのためにノーディベートとかやってたんだろうな。
グレース・パウエルによれば、医薬的または外科的移行を行っている間、ジェンダー違和(GD)やうつ病の理由について誰にも全く聞かれたことはなかったという。彼女の性的指向について尋ねられたことも一度もなかった。彼女は過去の心理的トラウマについて一度も尋ねられなかったため、セラピストも医師も彼女が子供の頃に性的虐待を受けていたことを知らなかった。
「でも、もしこれがあなたの問題であるならば、治療法はひとつ。やるべきことはひとつであり、これがあなたを救う、と言われたのです」
"ジェンダー肯定モデル" の支持者たちは、その標準的な治療と自殺リスク低下との関連を示す研究を引用してきた。しかし、それらの研究には方法論的な欠陥があることが判明したり、完全な結論には至っていないと判断されている。ホルモン専門医の専門組織である内分泌学会誌に3年前に発表された、異性ホルモンの心理的影響に関する研究調査では、"自殺による死亡については、いかなる結論も導き出すことはできない" とされている。
昨年ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)への公開書簡の中で、9カ国21人の専門家は、この調査が "異性ホルモンによる移行(トランジション)が自殺予防に有効であることを示唆する信頼できるエビデンスはない" と考える理由の一つであると述べている。
去年の暮れに、両親が離婚した。
薄々そうなる気はしていた。二人の間には会話もなかったし、一緒に何かをするという事が絶えて久しかった。
だけど、今か、と思った。
その年に始めた仕事が軌道に乗り、うつ病の治療も安定し、ここ最近では一番、元気だった。
その日は、月に一度の実家に帰る日だった。誰もいない実家の、自分の部屋に入って、デスクの上に、それはあった。
「お母さんとお父さんは、離婚しました。お母さんには、支えたい人が別にいるからです」
口で言えよこの野郎、と思った。言葉の代わりに、涙が溢れだした。
脳みそがパニックを起こしている気がした。書いてある文字がちっとも理解できなくて、頭に入ってこなくて、全部水滴になって落ちていった。
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母のことは、よくわからないなりに、大好きだったと思う。
小さい頃からちょっとそりが合わなくて、よく反抗した。よく怒られた。よく泣かせた。
同族嫌悪、と言えばいいのだろうか。近すぎるから、同じだから、気持ち悪くて、心地よかった。
わたしはどちらかというと感性は父に似ており、本を読んだりゲームをしたり、小説を書くのが好きだった。
母は、街を歩くのが好きだった。手芸をするのが好きだった。お菓子作りが好きだった。
どれもこれも、子育てのために我慢していたから、私は彼女のことを「無趣味のひと」だと思っていた。ずっと。
そんな母が、ふらりと一人で出かけるようになったのはいつのことだったろうか。
増えた白髪を茶色に染め、ほうれい線に化粧を乗せ、元気に家を飛び出す背中を見送るようになって、どれくらいが過ぎただろうか。
そんな母と化粧の話をするのは楽しかった。服の話をするのは嬉しかった。やっとすきなものの話ができる。これからたくさんしていける。ずっとずっと、そう信じていたのに。
母は、家を出ていった。
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飲む薬が一気に増えたし、涙が止まらないせいで仕事にも行けなくなったけど、元気だった。
わたしには、父が、弟が、パートナーがいる。結婚だってしたいし、子供だってほしい。来年のウルトラマンが楽しみでたまらなくて、予定はヒーローショーで一杯だった。
二月に入って、調子が悪くなってきた。
微熱が下がらない。検査をしても異常なし。横になる時間が増える。
頭がぼーっとして動かない。薬を変えたからだろうか。本が読めなくなる。
胃が鈍く痛い。食欲もない。下痢の日が続く。水は飲まなきゃ。
イライラする。他人といるのが苦痛。相槌さえうてない。パートナーに申し訳ないな。
最後に小説書いたのはいつだろう。母はあの手紙で私に「書け」と言った。だから書き続けないといけないのに。あれは遺言だ。遺言は守らなきゃ。守らなきゃ。
吐きそう。
三月になって、実家に泊まることになった。二月はしんどくてそんな余裕がなかったから、年始ぶりに父に会うのは楽しみだった。
父は飲み会ということで、一人で夕飯をなんとかしないといけなかった。誰もいない家に人でいるのも何だか寂しくて、せっかくだしマックでも食べようかな。そう思って私は、近所を散歩することにした。
やめときゃ、よかったのに。
店を見た瞬間、涙が出てきた。
そうだ。ここは、母とよく行ったスーパーで、母によくナゲットを買ってもらったマックだ。
わたしは立ちすくむ。両腕で自分を抱きしめる。気を抜くと口から何かが飛び出しそうで、自然と口呼吸になった。
親子連れがわたしの横を通っていった。母と娘だった。わたしは目が離せなかった。
釣られるように、わたしも店に入る。座席に座って、ネットオーダーをする。
涙が止まらない。子供の甲高い声が頭に突き刺さって、気分が悪かった。
ハンバーガーの味は分からなかった。胃からせりあがってくる何かに蓋をするみたいに食べた。泣きながら食べた。
そして、逃げるみたいに実家に戻った。
新居に戻れば、よかったのに。
わたしはベッドに倒れこんで、おかあさん、おかあさんと泣いた。
もうおかあさんと化粧品を買いに行くこともないんだろうな。
もうおかあさんと並んで料理をすることもないんだろうな。
もうおかあさんとテレビを見て笑い合うこともないんだろうな。
もうおかあさんに、抱きしめてもらうこともないんだろうな。
だけど、これから帰ってくる父にも、遠方に住む弟にも、仕事中のパートナーにも、誰にも、メッセージを送ることはできなかった。
ひとりで、眠りに落ちるまで、泣いた。
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翌朝、腫れぼったいまぶたをこすりながら、父におはようと言った。父はわたしを見て何も言わなかった。だからわたしも、何も言えなかった。
あいかわらず体調は最悪で、熱っぽかったし、腹痛もあった。頭の中は真っ白で、身体がふわふわとしていた。吐き気だけが鮮明だった。