はてなキーワード: 風景とは
「美しい」という概念は、日常的な意味と芸術哲学における意味で異なる側面があります。主な違いを以下に示します。
### 1. **日常的な「美しい」**
- **感覚的な快楽**: 日常的に「美しい」という言葉を使う際、人々は主に視覚的、聴覚的な快楽に基づいていることが多いです。たとえば、美しい風景、花、音楽などが挙げられます。これは、個人の感覚や好みに依存しやすく、比較的主観的です。
- **直感的な反応**: 美しさは、しばしば瞬間的な直感や感情的な反応として経験されます。特に美的評価を深く考えたり分析したりすることなく、「美しい」と感じることが多いです。
- **普遍的基準の不在**: 日常的な美の概念には、普遍的な基準がなく、何が美しいかは人それぞれです。
- **哲学的探究**: 芸術哲学で「美しい」とされるものは、単に感覚的な快楽にとどまらず、より深い哲学的探究の対象となります。美しさの本質、普遍性、そしてその社会的・文化的な意義について考察されます。
- **形式と内容の関係**: 哲学的には、美はしばしば作品の形式と内容、つまりその構造や秩序、調和に基づいて論じられます。例えば、ある芸術作品の美しさは、その要素がどのように組み合わさり、全体としてどのような意味や感情を生み出すかに依存します。
- **普遍的価値の探求**: 芸術哲学では、美が単なる主観的な感覚にとどまらず、ある程度の普遍性や客観性を持ち得るかどうかが重要な議論の対象です。例えば、イマヌエル・カントは、美を感覚的な快楽のみに基づかない普遍的な判断であると考えました。
- **美の批評と評価**: 芸術哲学においては、美は批評的に評価されるべきものでもあります。これは、美的経験が単なる個人的な感覚ではなく、理性的な評価や批評を通じて共有され、理解されるべきであるという考え方に基づいています。
### 3. **重要な違い**
- **深さと反省**: 日常的な美しさは、即座に感じられる感覚的な反応に基づくのに対し、芸術哲学的な美しさは、深い反省や分析を通じて理解されることが多いです。後者は、感覚を超えた理性的な理解や社会的、文化的背景の中での美の位置づけを重視します。
- **対象の範囲**: 日常的な美は一般に自然や人々が美しいと感じるものに限定されますが、芸術哲学では、美の対象は必ずしも「心地よい」ものに限定されず、異様なものや不快なものにも美的価値が見出されることがあります。
これらの違いを通じて、芸術哲学の「美しい」という概念は、単なる感覚的快楽を超えて、深い哲学的探求と普遍的な価値観の探求を含むものとなっています。
毎年同じ内容を投稿しているが、今日広陵と明徳義塾が登場するので、このタイミングで修正して再投稿。
日本の高校野球の歪さとして、酷暑の開催と過密日程はよく言われるところだが、もっとも深刻なのは私学強豪校の過剰な部員数であると思う。広陵は150人、明徳は108人を抱えている。他にも鶴岡東や聖光学院などが100人を超えている。大多数が通学圏外の「野球留学」の選手である。
周知のように現在は超少子化の時代で、子供におけるスポーツとしての野球に対する人気もサッカーやバスケのはるか後塵を拝するようになっている。にもかかわらず、甲子園に出ている私学強豪校は、現在でも100人を超える部員を通学圏外からかき集めるという、子供の数が多くてスポーツといえば野球が王様だった時代にかろうじて許されたやり方を、最近にもなってもむしろ加速させている。
その結果として何が起こっているかは想像の通り。地元では有名だった中学生の野球選手が、通学圏外の部員100人超えの強豪校に進学して3年間公式戦に出ることもなく補欠やスタンド応援要員のまま(最悪の場合中退)である一方、その選手の地元の公立校は部員数の不足に悩まされ、弱体化に拍車がかかって連合チームになったりしている、という風景が広がるようになっている。かつては甲子園常連だった名門公立校も、部員100人超えの新興私学に太刀打ちできなくなっている。
こういう話をすると、「選手の自由だ」という反論が返ってくる。しかし、試合に出て活躍することよりも、補欠やスタンド応援でも甲子園常連校に在籍していたことのステータスを選択する自由とは、一体何なのだろうか。そんな選択はそもそもおかしいのではないか、と親や教師はアドバイスしなければダメだろう。そして、私学強豪で3年間補欠だった選手が、卒業後に大学や企業チームで活躍している例は残念ながらほぼない。選手の実力を成長させるのは、練習以上に試合の経験なのである。
甲子園出場経験のない地元の高校で活躍し、注目されて上のレベルに進む例の方がまだ多い。例えば阪神の大山と佐藤は、それぞれつくば秀英と仁川学院という甲子園未出場の地元の高校に進学し、そこで目立つことで野球の強い大学に進学することができた。部員100人超えの私学に進んでいたら、試合に出る機会すらなかなか恵まれなかった可能性が高い。
2010年代以降、予選の参加校数も減少の一途をたどっている。にもかかわらず、現在でも部員100人超えの私学校が減っているように見えない。私立高校のエゴイスティックな経営戦略のために、日本全体の野球文化が掘り崩されていると言っても過言ではない。
いま、VTuberのゲーム大会を切り抜き中心に追ってるんだけどさ。
3人チームが男女混成になると、必ず
…のような切り抜きが上がってくる。
発表配信のときにコメント見てても思ったんだけど、結構そういう関係性を望んでるリスナーが多い? っぽい。
気性の荒い女性にVと男性がコラボすると、男性側がいじられてるのを喜ぶ風景が観測される。
苦手。
VTuber って若い人向けのエンタメだと思うけど、子どもたちが男性ネグレクトコンテンツを好んでるのは、ちょっと怖い。
一体なぜ好かれるのか、男女逆はなぜないのか、その背景にある不気味な男女間の歪みに虫酸が走るから、私はどうしても好きになれなくて、同時に目を反らしちゃダメだとも思う。
ゴマを擦ってご機嫌をとる
一切の脈絡が皆無。ネタバレも全部する。思い出した順に書く。たまに自分語りも遠慮なくしてる。全部乱文。
一応高校〜大学でずっとラヴェルを弾いていた身なので、伝記的要素を含む部分についてはほとんどが「史実により既知」であり、8割がたネタバレを喰らっている状態。その中で「例えシナリオが外れても、余程地雷を踏まない限り彼作曲の音楽がずっと流れてるっぽいからそっちで楽しめるしな」という期待半分、保険半分。
結果としては大当たりだったけど。
初っ端から病気(史実)。開始10分程度でサラッと彼のバックグラウンドとルーツのおさらい。ローマ大賞の落選。「お母様はスペイン?いえ、バスク人です」。15分で作曲依頼を受けるスピーディー加減。ラヴェルがちゃんと包み隠さないマザコン(史実)。時代設定的に正しい、遠慮のないタバコ演出。モクモクしてない時がないのでは?
音の演出。「全てがリズムから始まる(トントトトン)」がキーワードで、机を叩く指、時計の秒針(規則正しく、まるで体に染み込ませるかのような1秒刻みを60回)、教会の鐘の音、ザーザーという雨音エトセトラ、エトセトラ。猫が布を引っ掻く音、床の軋み、風、そういったありとあらゆる身の回りの生活音からすら、「音」とインスピレーションを拾おうとする彼が印象的。
何より工場の機械音、壮大で、規則正しく、統一感があって、それで彼のルーツにも関わるもの。彼のお父様は確か工場の技師ではなかったか...。
音楽の使い方、そのメリハリ。基本的に何かしらの形で音(音楽、ラヴェルが自分で弾くピアノも含)が流れているところ、母親の葬式の間に「マ・メール・ロア 妖精の国」が流れて、納棺したらしばし「完全な」無音。遺品を眺めている間とか。彼は、母親が亡くなってから意気消沈して数年間音符を譜面に置くことができなかったと聞いているので、あの「完全な無音」がそれを表しているのかも。
ちなみにこの曲は私も大好きな曲。音響の関係なのかそれとも本当に演奏がそうだったのかわからないけど、薄いシルクを何層にも重ねた向こう側から星を拾おうとする感じの繊細な音の「揺らぎ」があって、タイトルに場面にも相応しく儚くて、もしかしたら今まで聞いた中で一番好きな演奏かもしれないと思った。
あらすじの面。基本的に史実を派手に脚色したりすることのない、極めて「元ネタに忠実」で誠実なパターン。
メインキャラのミシアはラヴェルにとってのミューズ的な存在として描かれていて、まあ実際そうとしか言いようのない感じ。双方ラインを引いていて、その中でミシアは彼女にできる精一杯でラヴェルに近づいて彼の芸術を後押ししていた印象。ボレロを「良い曲だから、ぜひ外に出して」というあたりなど顕著。
ラヴェル→ミシアは、ある意味「敬虔」に近い崇拝の仕方をしていたと思う。キスじゃなくて曲を書いて捧げたいという思考回路。それが彼にできる精一杯の愛情表現?
物語の終盤で彼がミシアに「少しは愛していた?」と聞いたら「もっとずっと」って返ってきたのはあまりにも切なすぎないか。それに対して無言で呆然とするラヴェル。病気のせいもあってすでに一人老け込んでしまって、記憶障害も失語症もある中で、なんとか断片を拾い集めて、「少しは愛していた?」と問うのはミシアにとっても少し残酷だし、まあ割と「今更気がついたの?」みたいな面もある。そして「その拾い集めた断片であなたがようやく認識したものよりも、もっと、ずっと」ということなのだから。
命の終盤で知るには手遅れ感が、もう取り戻せないもののような感じが強い。
少なくとも二人は恋人になって一般的な恋人たちが踏む手順を全て踏みに行く「愛」じゃなくて、もっとこう、違うんだよね。詩的な感じがある。
あと、作中でミシア、マルグリット、イダ、マダム・ルヴロが4方向から、それぞれがそれぞれにできる「母親」的役割をしていたもの中々面白かった。
多分、一人でも欠けてたら色々もっと難しかったねと思う。作曲も、人生も。
だって、誰が「エナメルの靴がなかったら指揮できないです」ってなると思うねん。ルヴロ婦人めっちゃ爆走して靴だけ届けにきてたよ。
【ちょっと残念だったところ】
寂しかったともいう。従軍(といっても病弱により医療班・運転手)したところはしっかり描かれてたけど、それがきっかけで書かれた「クープラン」への言及が皆無。
【結局ボレロって】
作中でも「初っ端から病気」ラヴェル、病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に作曲した(ほぼ晩年の遺作扱い)のが「ボレロ」なのであんな真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を、一体何を考えながら書いたんだろうってずっと思ってたら10年くらい経った気がする。
そしたら今回の映画ですわ。...って話。
大学生の時にモダンダンスの授業があって、そのレポートで私がテーマにしたのもラヴェルの「ボレロ」と作中でも踊られていたバレエだった。(もっとも私が題材にしたのはシルヴィ・ギエムのバレエなので、今回の映画内のものとは相違あるが...)(しかも「踊りだけ」に集中してレポートを書けばいいものを、余計に音楽に割いた文量が多かったために若干の減点を喰らっている。)
舞台は酒場の円卓、官能的な踊りを披露する踊り子と、周りを囲んで踊る男性たち。実際(これも映画内で言及あったが)絶妙なエロティックさがあるのだけれど、どちらかというと「存在の主張」をするかのように体を余すことなく使う振り付け(それ以前のバレエ作品というと「この世のものではないかのような舞」が多いので、その対照的位置づけとして)。
曲の音程が徐々に下がっていく箇所でも「むしろあえて」手を高くあげ、足を振り上げ、天井を見つめるような独特の「極めて原初的な生命力」のアピールを感じる踊り。スネアドラムの規則正しい音が、私たちの中にある何かを鼓舞しているように聞こえるまである。
去年、あの家を出る半月前くらい。引っ越す引っ越さないみたいな話で親と大揉めに揉めたら、仕事から帰ったあと19時くらいに追い出されて12時半くらいに入れてもらえるまで3センチヒールの靴で12キロとか歩いたことがある。(昨今話題になった狂歩に近い感覚。この場合、時間帯が時間帯なので、落ち着いて座る場所がなかったのも原因の一つだけど...)
その時、夜露が降った時間帯に濡れながら聞いたのも「ボレロ」だったな...という遠い思い出。何もかもがしんどくて仕方がなかった時に「規則正しく徐々にクレッシェンドに向かって、やがて崩壊する」音楽に救われたのは、私の人生の中で無視できないと言っても過言ではないと思う。
...夜露に濡れて、住宅地は灯りもまばらで暗くて、あんな時間帯に歩いている人なんかいなくて、ボレロがイヤホンから流れたときはすごい泣いてたけど、それでも、
規則正しいスネアドラムに引きづられるように、ヒールの靴できちんと歩いた。あの曲が最後「噴火するかのように」崩壊するのと同じように、私も「あの家の暮らしを終わらせてやる」と誓ったのを覚えている。
あれを思い出すたび、私はいつも冒頭の問いに戻る。
「病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に、なんで真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を書けたんだろう、一体何を考えながら書いたんだろう。
そしてそれが100年以上経って私のような人間をある意味で救ったなら、あの曲の持つ力ってなんなんだろう」
まあ、考えながらというか...今日見た映画だと割と「メロディをふり絞ってた」けど...笑
ちなみに「同じリズムの繰り返し、催眠のよう」と映画内で言及があった。「確かに!」である。
少なくとも今日、私は「一つの解釈」を見ることができて非常に満足。
史実ラヴェル、脳の手術時に脳みそに生理食塩水をぶち込まれて四日後くらいに亡くなるわけで...。ナレ死とかやだなーって思ってたら。
手術する病院に行く車に乗り込むあたりからかかっていたのが、ボレロだった。
なんと、作中通して詩的なエロティックさ、生命力の象徴として描かれ扱われ、私たちに散々見せつけてきたあの「ボレロ」が
(本人や友人たちは知りようもないが、ラヴェルの最期を知ってる観客にはわかってしまう)死にに行く道中の、「葬 送 曲」になったのである。
「ラヴェルさん、靴をお忘れです!」「今はいいよ、後で届けてくれるかい」の会話すら、もはや「処刑場へ向かう馬車に乗る直前の風景」に見えるまである。
まさかラヴェル手術後の死に顔に登場人物たちのリフレインと一緒にボレロを聴くハメになるなんて、思ってもいないです。
最後は彼の亡霊のように、若く蘇ったラヴェルが指揮をふります。
読み返すとめちゃくちゃ偉そう。
そんな駄文です。
ファンフェスあたりで見切りをつけはじめたんですが、今回の中国のファンフェスを見てさっぱり見切りをつけました。
資本がどうとかの前に、プレイヤーが何を求めてファンフェスにきているのかわかっているなあと。
日本ファンフェスを擁護している意見に、「施設の問題」「消防法の問題」など並べている方がいまいしたが、ただたんのアイデア不足と「開発チーム」だしとけば良いだろ的な。
あとはもうその他トークは運営の自己満足の域でしかなく、これ2万とか払ってくるイベントか?って。
いや、開発陣が生で見たい!って人は良かったかもしれないですが、ffxivを遊んでいて開発陣の人重視じゃない人間にとっては、なんとも安っぽいトークショーだな。て感じでした。(配信だけでよかったかもってちょっと思ってしまった。)
ファンフェスの前月にコミコンとか行ったせいもあるかも。コミコンは規模が違うので比較にはなりませんが。
中国のファンフェスと同時に某ソシャゲのファンフェスも日本で行われてましたが…
パネルや映像化など「ゲーム」としての要素が多く、なるほどコレは行きたいな!となっていました。
立体物が使用不可にせよ、三国の風景パネルにしてグリダニアエリアとか作れば良かったのにね。
なんなら、アイデア募集!とか一般からアイデア募ったらよかったのに。
いま、たぶん、会社として開発チームをアイドル化しすぎていると思うんですよね。
ただ、ffxivはファンよりプレイヤーを大事にして欲しいなあと思いました。
あとグッズ展開がヘタと言うか…
万単位のグッズ等が売れるので、とりあえず出しときゃ売れるみたいな感じでしょうか。
グラフィックアップデートについては、自分のキャラに関しては文句はないんですが、今後新規顧客を掴んで行くのに向いている顔つきかちょっと疑問です。
昨今のナンバリングのリメイク時のリアル寄りの顔つきが、そこまで好評じゃない気がしているのにそっちいってしまったか。と…
いやでもミドラン男性の間延びしちゃった顔がどうにも耐えられなくて、メインストーリー中にわりと気になりすぎてセリフ入って来なかったや。
今後はプロモーションを中国・欧州に絞っていくんだとおもうんですが…そっち向けにこの顔にしたの?いやでもどうなの?好かれる?
ってなってる。(○神とかデフォルメ顔だしなあ)
そろそろグラフィックアップデートの報告がきますが、十中八九開発陣の泣き落とし報告書でしょうね。
色んなもやもやを抱えながら昔ならこんなこと思わなかったのになあ。って思って、ハッとしました。
最初に語ったようにまさに「夢からさめた」ような感覚を覚えたんですよね。
それからはグッズ見ても欲しいともおもわず、ゲームはなんとなく続けてはいるもののこれと言って、熱中する事もなく。
ストーリーは好きな感じだったんですが、もしかしたらこのちょっと冷めた感じになった自分にはちょうどよかったのかもしれないです。
あとはもう続けるのは「ここまでやってきてもったい無い」精神だけかもしれない。ハウスとか。
もうあそこに夢見る場所はないんだな。
はっきりいって安全だの人名だの守った結果、俺たちの思い出の「楽しい日本」の風景はどんどん失われてる。
それこそが今の日本でフェミニストや左巻きを表立って名乗らずさも一般論であるかのように破壊工作を狙って「人命」を語る奴らの狙いだ。
お盆はじいちゃんの家に一族全員が集まってご馳走を食べ、大人は浴びるほど酒を飲む、子供は庭で花火をする
こんな光景がどこの家でも当たり前だった。
でももはやそんな家が少数派の扱い。
生き方の多様性、地元に縛られたくないだの下らない左巻きのプロパガンダもさることながら一番害悪となっているのは飲酒運転の取り締まりだろう。
新幹線が都合よく地元に止まるわけでもないし、普通地元に帰るなら、帰っても足がないのだから、普通は車で帰る。
そして車で帰省しても杓子定規に飲酒運転を取り締まる世の中じゃあ、本来一番酒を飲むはずの父親が飲めず、宴会すら開かれない。
こんな世の中じゃ夏の原風景が失われるのも当然のこと。
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナンドがボスニアのサラエボでセルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された。
この振り返りがなぜ大切かというと、一つの出来事がどれだけ大きな結果を引き起こすかという点で、現在の他の出来事を見るための視点を与えてくれるからだ。
それに比べると、現代のSNS上での出来事や感情の発露はささいなものかもしれない。
しかし、自己表現や批評の仕方には時代や文化の影響が大きく左右する。
例えば、江戸時代の浮世絵に描かれていた日常風景や風刺画も、多くの人々を楽しませ、また議論を巻き起こしたものだ。
現代のツイッターマンガも、それなりに私たちの社会を映し出しているのかもしれない。
他人の表現や視点に対して不快感を覚えることもあるだろうが、歴史を振り返ると、多様な意見や表現が存在し、それが社会の一部として受け入れられてきたことが分かる。
そして、それがどのような結果を生むのかを冷静に見つめることが大切だ。
ゲーム会社とか同人の外注で生計立ててる身だけど元増田の気持ちはかなり分かる。
風景とかデザイン系の絵師は本職経験あったりTwitterじゃない場所を活動拠点にしてる奴が多くて結構マトモなんだけど、萌え絵師は殆ど素人だし社会人経験ゼロの接客バイト中年とか気に食わないことあると後先考えず晒す精神年齢低めメンヘラオタクがゴロゴロいて、どいつもこいつも事前知識ゼロのTwitterおバズり情報オンリーで企業案件受けようとするからかなり地獄。
そもそもここまで酷い有様なのはTwitterで功名心ウッキウキになって妄想上の法律や契約を広める絵狂い虚言バカオタクと鵜呑みにして広める有害バカがリテラシー低い絵描きの常識を汚染しまくってるのが原因だと思うんだけど、あの辺の盲目信者餌やり体験馴れ合いフレンドリーパーク界隈は怪しすぎる情報鵜呑みにして企業相手に契約アホトラブル起こした後被害者ヅラで炎上して迷惑多段攻撃やらかすから絵描きそのものの信用が失墜して同業的にもかなりクソクソクソクソ迷惑なんだよな。
インボイスでハードル上がったら抑止力になるかと思ってたけど全くそんな事は無かったし、自営業として最低限の責任取れない奴は仕事受けないで欲しいマジで。
発注受けて金貰う絵師は「クライアントが求めるイメージをできるだけ美しく適切な形で出力する職人」以上の何者でもないんだから、そこの認識狂って要求と自意識だけ肥大したらそりゃAIの方がマシって話になるのは当然なんだわ。
それがなんかバザールみたいな旗がなびいてて、「ダメだこりゃ(いかりや長介)」感がものすごい。
緊迫感がねーのよ。
考えてみろよおやじが世界を救うために家族を捨てて旅立ったっていう世界を。
世の中への使命感でみんなのために旅立ったんだぞ。
そんな絶望の世界で楽しくすごせるわけねーだろ。町を出ればモンスターだらけだし。
2021年のオクトパストラベラーっぽい風景のほうが100倍良かった。
原作をそのまま持ってきた感じがあった。
今回のはなんか安っぽいソシャゲみたいな風景になってて、なんの原作への理解もない下請けの若造が作ったんだなと。
なんだこりゃとしか。
いやUBI(アサクリ)はUBIで普通に問題なんで。そもそも、下記についてなにも説明もないよ?
なので、日本で販売しない or 日本語版出なかったら フツーに弥助問題は勝利条件クリアじゃない?テッテテレーー🎉
(もっとも元から日本でさほど売れてるタイトルじゃないので、日本以外で売れるならUBI赤字にはならないだろうけど)
ただ、アジア人蔑視それに付随する日本の歴史改竄は一朝一夕にはどうにもできないのでは?
(水俣病やコロナやJAXAの時のよう。いつもの日本の風景。これで子どもたちが学者に憧れるとかあるわけないでしょ)
日本の学者や研究者を名乗る人がYASUKE肯定した結果、それを根拠にして、日本の人種差別主義者ガーとか英語コミュニティでコメント付いてんね。当然だわな
一例
However, a recent, widely shared post from Japanese historian Yu Hirayama argues that Yasuke was indeed granted samurai status by Nobunaga. Hirayama cites Yasuke’s stipend, housing, and sword afforded him by Nobunaga, but acknowledges that Nobunaga’s enemies did not view Yasuke as a samurai.
(しかし、日本の歴史家である平山優氏による最近の広く共有された投稿では、弥助が実際に信長から侍の地位を与えられたと主張しています。平山氏は、信長が弥助に与えた俸禄、住居、そして刀を根拠として挙げていますが、信長の敵対者たちが弥助を侍とみなしていなかったことも認めています)
↓ 対するコメント
racist in Japan and racist in the rest of the world get to work hand-in-hand now
(日本のレイシストと世界のレイシストは、今、手を取り合って働く)
https://www.polygon.com/24204308/assassins-creed-shadows-yasuke-samurai-ubisoft-controversy
While there’s some question as to his exact role, Yasuke was a real person and, as a Japanese scholar has recently pointed out, there’s no doubt that he was a samurai, which is a social status that can encompass a variety of duties.
(弥助は実在の人物であり、日本のある学者が最近指摘したように、彼が武士であったことは間違いない。)
https://metro.co.uk/2024/07/23/ubisoft-apologies-assassins-creed-shadows-doesnt-say-21281545/
あと、基本的に英語圏・英語コメントでもUBI否定の反応が多いけど、アサクリ シャドウズ騒いでるのに関わりたくないから黙っているだけで、
実は買う気満々の欧米人それなりにいたりしそう
アジアにゆかりがある人をのぞいたら、アサクリ シャドウズ の関連問題に関心がない・気にしてないって人が多くても別に驚かないなぁ
一例として、フランスの某元ゲームマネージャーとか、『騒ぐ奴は人種差別主義者』だとか『日本人が黒人以外に置き換えられたら騒がない』とかやってるしな😑
https://x.com/gyojvfr/status/1815799450046194020?s=61
ゲームメディア以外でも取り上げられる機会がもっと増えたら、日本の歴史改竄に関する風向きは、お気持ち程度になら変わるかもね
でもまぁ基本的に歴史改竄は、アジア人蔑視と日本軽視が根本の問題だから、解決には長い長い時間が掛かる(同じアジアでも中国に対してなら、たぶんUBIはやらなかった)
anond:20240724041000 anond:20240723184517
・第1作「アサシンクリード」は2007年ごろに発売され、「シャドウズ」を含めるとメインシリーズとしては14作も出ており、海外では割と人気なシリーズで、日本でもゲーマーであればタイトルくらいは聞いたことがある人も多いかもしれない。
・海外の忍者人気の高さからか、忍者といえば日本のアサシンということで日本舞台を望む声はシリーズ初期から一定数存在した。
第3作「アサシンクリード3」のオープニング映像にてホルスの目(古代エジプトのシンボル)、Ω(オメガ。ギリシャ文字)、鳥居(日本における神域のシンボル)の3つが描かれているシーンがあり、
以前から一部ファンの間ではその3カ国を舞台にしたシリーズが出るだろうという予想が出ていたが、古代エジプトが舞台の10作目「オリジンズ(2017年発売)」、古代ギリシャが舞台の11作目「オデッセイ(2018年発売)」の発売後
SEKIRO(2019年発売)やGhost of Tsushima(2020年発売)など日本を舞台にしたヒット作がゲーム業界で続いたことなどから日本が舞台のシリーズ作品の期待が高まっていた。
(実際はオデッセイ~シャドウズまでの間に2作品出たため、日本舞台のシリーズはもう出ないのではという声も上がっていたが)
主な原因としては以下の2つと思われるが、正直ここまではシリーズファンやゲームファンたちなどを中心にしたツッコミや、炎上とまでいかずとも規模の小さい小火程度だったのではないかと思う。
一言でまとめるなら「過去作に比べて雑な部分やスタンスの違いが目立った」というところだろうか。
今作はダブル主人公であり、実在人物の黒人男性「弥助」と架空人物の日本人女性「奈緒江」」である。
これまでのシリーズでは主人公は架空の現地人という法則があり、近年におけるUBIはいわゆる「ポリコレ推し」が強かったため、日本人男性を差し置いての弥助の主人公起用を疑問視する声が出た。
だが個人的にはこれは明言化された法則ではない(はず)なので、UBIに対する不満のきっかけ程度ではないかと思っている。
シリーズ作品「ユニティ」で作成したノートルダム大聖堂の3Dマップデータが、2019年の火事で焼失した部分の復旧に使用できるのではないかといわれたり、
UBI自身も直近の作品である「オリジンズ」、「オデッセイ」、「ヴァルハラ」において「ディスカバリーツアー」と称して歴史ガイド配置したり、フィールドを自由に歩き回れるようにした学習教材用バージョンを提供するなど
しかし、公開された動画の畳の形状や、田植えの風景を見て「豊作で人手がいるのだろう」という発言、植生の季節感から、事前調査や考証が不足していると捉えられる部分が多数発見されたことで不満が一気に広がった。
「海外製のゲームなのに指摘が細かすぎ」とか、「フィクションなんだから現実と違うところもあるだろう」という意見が叩かれる原因はここにあるだろう。
直近のシリーズでUBI自身が考証力の高さを売りにしていたということを知らない≒話題にいっちょ噛みしにきただけと受け取られてしまうからだ。まぁ話は既にそんな次元じゃないというのもあるが。
このあたりから急激に炎上の規模が大きくなり自分は追いきれなくなったし追っていないのでパッとおもいつくものを箇条書き程度に。
・UBIへのインタビューでの弥助起用の理由が「私達の目になれる人物が欲しかった」などの発言が拡散される。
・日本向け動画に中国語字幕を設定するなどポカミスを連発する。
・コンセプトアートに関ヶ原鉄砲隊ののぼりなど、多数の盗用が見つかった。
・ロックリー氏の関係の部分は正直良くわかってない。弥助は一次資料が少ないのに伝説のサムライが云々みたいな表現がロックリー氏の著書とUBIに共通していて、そこから発展して追求されてるみたいな感じだろうか。
「ガバガバか忠実か」という両極端の想定が間違っていて、
アサクリはきちんと史料に当たっているし、専門家の監修もつけていて、他のゲームよりは忠実に作っているが、
同時に、それは完全ではなく、普通に時代考証が間違っていたり、ゲームの都合で変な建物が生えていたりもする。
まず、知能に関する攻撃的な表現は不適切であり、建設的な議論の妨げになります。お互いに敬意を持って議論を進めましょう。
「春画が黒人奴隷制度がなかった証拠になる」との解釈について、「主張を補強する材料」として用いるという点は理解します。しかし、その「補強材料」としての有効性を論じるためには、春画がどの程度当時の社会全般を反映していたかを検討する必要があります。仮に「補強材料」として用いるとしても、それが十分な根拠となり得るかどうかは別問題です。
春画が全ての社会現象を網羅的に描写していたわけではないという点は同意します。ただし、「黒人奴隷制度が普通に存在していたなら、それは日常風景として描かれる」という主張には、依然として証拠が必要です。具体的な例として、日常風景が全て描かれているわけではないため、描かれていないからといって存在しなかったと結論づけるのは早計です。
春画以外の瓦版やちらしも含めれば、当時の社会について多くのことがわかるという点は重要です。しかし、それでもなお描かれていない事象が存在する可能性を排除することはできません。歴史的な資料が全ての事象を網羅しているわけではなく、一部のテーマや視点が抜け落ちている可能性があることを考慮する必要があります。
総じて、春画やその他の歴史資料が当時の社会全般をどの程度反映しているかを冷静に評価することが重要です。黒人奴隷制度の有無を議論する際には、多角的な視点から検証を行い、証拠に基づいた慎重な議論が求められます。
歴史改竄でどうこうはアサクリより前からやっている。いちおう実名ってことになってるのに Facebook 同様に地獄めいてる
まぁ自分の経験をシェアするとか道徳的な話以外は Quora (en)も割と酷い
https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African
"For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood "
日本人ならそんなことわざないこと誰でも知ってると思うんですけど、当然アサクリ関係ないサイトで見ることになる
リンク貼れないけど下記とか
https://www.levelman.com/where-black-people-fx-shogun/
あとアサクリ関係なくYASUKEの名前もトンデモ記述の中で見るけど、悪気無さそうなサイトや個人サイト貼るのはやめとくね
アフロ侍かっこいいし、肌の色の濃いヒーローやヒロインが活躍する作品はもっと増えるべきだと思う
あと、おそらく、日本にアフリカ系の血を引いた人が居たか居なかったかなら居た可能性もあるのではないかと思う
だから、肌の色の濃いヒーローが主人公なのはぜんぜん有りだと思うけど、
とにかく下記みたいな発言をやめろと、日本の団体や文化財の『使用許可ガン無視』と『利用料金ガン無視』の無断利用はやめろに尽きますわ
Assassin's Creed director: The right time to take series to Japan | BBC
https://www.bbc.com/news/articles/c163jexl7rxo
Shadow’s trailer also generated backlash from some gamers, who criticised the choice of Yasuke as a main character over a native Japanese protagonist.
Opponents have accused those critics of being racist, and have pointed out that Yasuke is based on a real-life person.
Charles, speaking to Newsbeat before the trailer dropped, says the developers “put a lot of emphasis on authenticity and making sure we depict Japan and the culture right”.
“So when we started the project, we had a historian with us from day one,” he says.
He says the team also consulted weapons experts and travelled to Japan to get a feel for the landscape and locations in the game.
シャドウのトレーラーは、一部のゲーマーからの反発も生みました。彼らは、日本人主人公ではなく弥助を主人公として選んだことを批判しました。
これに対して、批判者たちを人種差別主義者だと非難する声も上がっており、弥助が実在の人物に基づいていることが指摘されています。
チャールズは、トレーラー公開前にNewsbeat(BBCのニュース番組)との対話で、開発者たちが「日本とその文化を正しく描写することに重点を置き、真正性を重視した」と述べています。
あと首云々もひでーわな
It was surprisingly gory, like the decapitations, you could get coated in blood. How vital is that to the assassin’s fantasy?
(斬首シーンなどでは、予想外に残虐で、血まみれになることもありますね。これはアサシンのファンタジーにとってどれほど重要なのでしょうか?)
I think it’s not an assassin thing, it’s a Japan thing in our case. So looking at death was a day-to-day occurrence in that period, and the way most people died in Japan during that time is clean decapitations.
So we didn’t want to shy away from it, although you can turn off the violence if you want. There’s options for it. You can turn off the blood, you can turn off the dismemberment and stuff. So it’s more trying to be faithful to the war aspect of Japan at that period. Death was a common thing and decapitation was not a strange sight in Japan.
私たちの場合、これはアサシンに関することというよりも、日本に関することだと考えています。当時の日本では、死を目にすることは日常的なことでした。そしてその時代の日本で多くの人々が死んでいった方法は、きれいな斬首でした。
ですので、私たちはそれを避けようとはしませんでした。ただし、望めば暴力表現をオフにすることもできます。そのためのオプションがあります。血の表現をオフにしたり、切断などの表現をオフにしたりすることができます。これは、むしろその時代の日本の戦争の側面に忠実であろうとする試みなのです。死は日常的なことであり、斬首は日本では珍しい光景ではありませんでした。
https://videogames.si.com/features/assassins-creed-shadows-interview
公開済であるコンセプトアート2点に、関ケ原古戦場おもてなし連合「関ケ原鉄砲隊」の旗が無断で使用されているとのご指摘を受けております。
当該アートはコレクターズエディション内のアートブックに収録されることを除き、以降は新たな使用・配布等は行われません。
↓ でも実際には削除してません (なぜか、UBI許せないマンがUBIに抗議しろと町や観光協会にアタックしてくるみたいなのでアカウント名は省略)
私の書き方が悪かったかもしれないので再度返信についてポストします
・指摘のあった画像(吊るし首の方)は削除されました
・背景に小さく映り込んでいる画像は印刷の関係で判別できないため収録されています
箇条書きですが上記3点が回答でした
anond:20240723220838 anond:20240724015401