はてなキーワード: 三の丸とは
東京の「大手町」を筆頭に全国にある「大手」が付く地名って何が由来なんだろう?
門前みたいなもんだろうけど
で、大手門てなんだろう?
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大手門(おおてもん)とは、日本の城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる
(「曲輪」「大手虎口」というワードが出てきて謎が深まったけど別にいいや)
上記wikiの概要欄には「追手門」(そして裏側は「搦手門」)というのもあって、城の門としてはそっちの方がしっくり来る感じだな
で、勿論のこと
当県にも新発田城と高田城があったので、ちゃんと大手町が存在する
(考えてみれば現在一番栄えている新潟市には城無かったんか?少なくとも戦国時代には万代島は無かったし、そもそも城を築く様な立地ではなかったかな?
その当時の新潟市辺りはたぶん新発田さんが管轄していた土地だよな。だからメインの城はやっぱり新発田城なんだろうな
調べてみると現在の中央区から遠く離れた辺鄙な場所に城が築かれていたようだけど、白山辺りや上所辺りにも平城はあったみたいだ。でも大手町が出来る規模の城ではなかっただろう)
そして今回罹災した七尾市にも大手町がある。七尾城の門前。七尾城は山城みたいで、その7つの尾根から名を取って「七尾」だそうだ。素敵な名前だな
織田信長につかえた森一族に攻め落とされた大変かわいそうなお城ですの。
お城の構造がじっくり観察できました。
構造はいわいる連郭式で、南から北に四段の郭が連なっています。
本丸からは二の丸、三の丸の内部と、三の丸への虎口が見下ろせ、
左側面をさらして通らねばならず、
登坂路を押さえられたら、上の郭に移動することは困難ですわ。
攻め手が奪っても集結場所に利用することはできませんわ。
水不足で苦しむかもしれません。
郭一つに50人ほど詰めることができそうでしたので、
四段と北の丸で250人、踏査できなかった谷を挟んだ西の郭に
350~500人くらいが配置できそうでした。
パンフレットの地図によれば登り口からの本丸までの比高は65メートル。
わたくしの鰭では、寄り道しながら13分で登れました。
※看板によればイノシシとマムシに注意ですわ。斎藤道三ってとっても長生きですのね。
http://ameblo.jp/tkjsk0231hzannitiroku/entry-11949051251.html