はてなキーワード: 若い人たちとは
飛び散る女性の頭、自らも死のうとした元従軍看護師戦後72年…激戦地で生き、戦後は助産師で赤子抱く
もう歩けない。何度も死を覚悟した。ジャングルの川の中で力尽き、このまま流されて死ぬんだと思った。「同級生2人のお骨は私が内地の両親に届けなくちゃいけない。絶対に死んじゃいけないと自分に約束した。けれども、かなわずに死のうとしたの」
元従軍看護師の木村美喜さん(89)=桶川市=は激戦地のフィリピン・ルソン島で約1年、敵の爆撃機や砲弾が四六時中頭の上を飛び交う中、傷病兵や患者の救護に従事しながら生き抜いた。食べるもの、飲むもの、薬もない。無数の死体が転がる山の中を逃げ回り、行軍した。仲間や兵士たちは次々に命を落とした。
生まれも育ちも桶川。日本赤十字社埼玉県支部の看護師だった1944年7月、召集を受けてマニラ郊外の陸軍病院に派遣された。当時16歳。埼玉班26人で最年少だった。歯科外来に勤務し、当初は不自由のない生活をしていた。
9月、マニラ初空襲。次第に戦火が拡大し、12月に病院は解散。絶え間ない空襲の下、部隊はマニラから北に約250キロのバギオに移動した。
悲劇が襲ったのは、45年1月23日。正午前に大編隊の爆撃機が襲来し、病棟は瞬く間に火の海になった。がれきの中で「助けて」とさけぶ声。焼け落ちた梁(はり)が目の前で女性に直撃し、頭が飛び散った。外に逃げた人々は次々と機銃掃射で撃たれて犠牲になった。
埼玉班も9人が戦死。「今夜は夢でいいからお父さん、お母さんに会いたいね」。前日に梅干しをしゃぶりながら古里の話をした同期2人は骨だけの状態と、顔や手足、内臓がない状態で見つかった。
4月、バギオから撤退。山の中で終わりなき逃避行を続けた。昼間は空から見つかるため移動できず、夜は砲弾が飛んでくる。草のしとねに横たわり、古里の歌を口ずさむと、歌声はいつしか涙声に変わっていった。「みんな『白いご飯をおなかいっぱい食べたい』『死にたくない』と言いながら死んでいったの」
埼玉班の仲間も一人、また一人と病気や栄養失調で亡くなった。「今度死ぬのは自分の番だ」。どんなときも肌身離さず持っていた親やきょうだいの手紙や写真、日の丸の寄せ書きを河原で焼いた。死んでから人に見られたくなかった。
終戦を知らされたのは8月17日。途端にマラリアで40度の高熱が出た。捕虜収容所に行くまでの山を下りられず、同僚3人と部隊から取り残された。もう半歩も動けない。道の両側は腐臭を放つ死体の山。うじが団子になって、ハエが真っ黒にたかっていた。ゲリラの先住民の足跡を見つけるたびに背筋が凍った。
ジャングルの川の中で先輩に泣きながら懇願した。「お世話になりました。私はここに座っていたら流されてしまう。待たないで先に行ってください」。そのたびに言い聞かされた。「一足歩けば一足日本に近づく。一足歩けば一足お母さんに近づく。日本に帰りたかったら、お母さんに会いたかったら歩きなさい」。その言葉に背中を押され、何とか収容所にたどり着いた。
約4カ月の捕虜生活の末、12月に復員。日赤病院に同期2人の遺骨と遺髪を届けた。桶川駅で母の胸に抱かれてわんわん泣いた。17歳だった。
戦後は助産師として働いた。「もし日本に帰れたら、たくさんの兵隊さんの亡きがらを葬ってきた分、この手で新しい命を取り上げよう」。収容所で毎晩、誓った夢をかなえた。抱いた赤ちゃんは数え切れない。3分間に4人取り上げたこともある。自らも子ども3人、孫5人に恵まれた。
今は子や孫のため、社会のために一日でも長く生きていたいと願う。戦争を経験した人が減り、自分の代わりがいないと思うから。多くの講演を引き受け、本も出版した。戦争を知らない若い人たちみんなに、一度でいいからこれまでの話を伝えたい。「戦争は人の殺し合い。もう二度としては駄目。命は本当に大切。一つっきりしかないんだから。かけがえがないんですよ。」
前に友達の誕生日に2人で初体験ホスト行ったんだけど(両方アラサー)
30歳くらいの人が出てきた時に(うわ、おっさんじゃん…)ってなったんだよね
そうなんでしょうね・・・いい感じにどこかにまとまってるといいんだけど、なんせ例がないと想像できなくて厳しい
医療者が反ワクに虐められすぎて攻撃的になってるみたいに、女性もネットだと性差別主義者に虐められすぎて面倒で攻撃的になっているのかな
それもそうなんでしょうね。特にここ匿名だから誰が誰かもわからないし・・・
セクハラとかに直接的に関与していない男性目線からすると、痴漢問題とかと同じでとにかく俺ら何もやってないのになんでそこまでボロッカスに言われないといけないの?なんで車両分けられるの?みたいな気持ちになりがちで過剰反応して攻撃的になってる人は多い気がする。俺もそうだったし、一方で女性も攻撃的になっていてなんだか本来戦う相手ではない層どうしが叩き合ってる気はする。痴漢問題で女性と痴漢してない男性がいがみ合ってるみたいな構図がいたるところにある・・・。
なんとなく心の底から善意で言ってそうなあたりがなんとも心苦しくなるエピソードだね
女性の少ない業種はセクハラや性差別が蔓延りやすいイメージもあるし、まだ女性の受け入れ体制が未熟な印象もあって理工系に行くインセンティブはだいぶ削がれると思う。
ちょっとずつ増えてはいるんですが、やはりまだまだ道のりは遠い。実際自分の学生時代を思い返しても教室に80人ぐらいいる中で女性は3人とかザラだったしね 1人とかの学年もあったな 看護系とかに授業に行くと完全に逆転現象が起きていて、最近はほんの少しずつだけマシになっていっている
異性にだけ全く違う顔を見せてる人間がいるという認識を持ってくれたら、女に見えてる世界は自分の見てる世界とは違うかもという疑念を持ちながら世の中を見てくれたら、変な男がいないかふと見回したり指摘したりしてくれたら、嬉しいよ
気を付けます
どっかにも書いたけどアメリカも猛烈な闘争の果てに今があり、前にカストロとかに行ったときLGBTQの戦いの歴史みたいなものを見てあぁ日本はこれからアメリカの50年前に突入するんだなと思ったものだけれど、性差の問題も同じく少しずつ前に進めていくしかないので今の若い人たちのフラットな価値観がもうちょっと遠くまで広まるといいですね
https://anond.hatelabo.jp/20220715032108 これの続き
とあるサークルに入ってみたら、カルトタブーをギャグにする俺イケてる! みたいな感じで、部誌に全然似てない池ちゃんの似顔絵を原稿に描いてきた先輩がいて、部誌の編集に携わっていた私は、「これは良識的に考えて載せらせません」と断った。
私は誰にも私が学会員であることを明かしていないながらも、池ちゃんはそんな似顔絵で茶化される存在なのか…と思うとなんだか、ごく普通のことみたいに、胸が痛かった。
その様を隣で見ていた別の先輩(現在の夫)はいまだにその掲載謝絶エピソードを覚えていて、私にたまに話してくる。
非会員とほぼ同じ生活を送っている。
ほぼ、と書くのは、コロナ前まで、年イチ、元旦にある「新年勤行会」だけは親につきあって顔を出していたから。今学会どうなってんのかな? と見に行く感じ。
未だに新入会員とかいて(その場で発表される)「へー」って思ったり。私より若い人たちも意外と頑張ってたり。
私自身が活動しない理由はまあ、面倒くさいから、これにつきる。
背筋を伸ばして顎を上げ、腹から声を出し唱題することで感じる唱題ハイを感じたこともあるけど、毎日決まった時間に仏壇の前に座るのは面倒くさい。仏壇という存在も面倒くさい。
ごろごろしたいから仕事の後会合なんて絶対無理だし、友達も家族もいなくなりそうだから選挙や折伏、新聞啓蒙なんてもってのほか。
多額献金なんて私のまわりではきいたことないが(そういう会員がいてこそ、ヤフドも借り切れ立派な会館も建つってもんだろうから否定してるわけではない)まあそれでも年1くらいは、いくばくかお金もつつまないといけないだろうし。
新興宗教はとにかくマジであらゆることが面倒くさいし、見合うリターンがあるのかっていったら多分ない。
それでも、なんの活動もしてなくて、上のようなことを書くようになった今にいたっても、現金なもので、どこか「ご本尊様」というのは心の支えになってるところは確かにある。
何かピンチの時に心の中で「南無妙法蓮華経」と念じると心が落ち着くところがある。
それは、人によっては別の宗教なのかもしれないし、おいしいパンなのかもしれないし、大事な人なのかもしれないし、野の草花なのかもしれない。
いずれにせよ、あなたの心の中にあるそれと、実際大差ないのではないかと私は思うし、心の中に支柱があるということは、精神の安定に他ならない。
とっさに念じられるものがある心は強いなあと、それだけは思う。
義姉はプロテスタントなのだけど、何か困難があってを祈る時は「主よこの困難を取り除いてください」ではなくて「私にこの困難を乗り越える力をお与えください」と祈るのだという。
どこか通じるところがある考え方なだなと個人的には思っている。
熱心だったうちの母も、往時ほどには活発に活動していないし、「最近の学会は池田教にみたいになっていて嫌だ」とこぼすこともある。
私にこぼすどころか、同じ地区の会員らにはっきり「先生、先生といって、池田教みたいになってることには抵抗を覚える。牧口先生も戸田先生も尊敬しているが、池田先生は私たちの信仰を導く同士であって、信仰の対象ではない。私の信仰の対象は日蓮大聖人であり、南無妙法蓮華経であって、池田先生ではない」ということを伝えて活動している。
だからっつって別にそれでハブられたりすることもなく、仲良くやってるようだ。
今は離れて暮らしてるので、母体のしっかりした、善人の多いコミュニティにいてくれて安心だなーと思ってるところすらある。昔に比べて会自体がマイルドになりつつあることもあるだろう。
母は亡くなったら友人葬(学会員の葬儀スタイル。特段にお金はいらないと記憶している)で送ってほしいということだから、この前帰省した時、地域の取りまとめしてる方にご挨拶をして、実際にことがおこったとき誰に連絡して、どうすればいいのかという話をきいておいた。
葬儀屋の方も心得てるし、我々にも「しょうてんぎ長」(だったかな? 漢字わかんない)っていう係の人がちゃんといて、ネットワークがあるのでまったく心配ないとのことだった。
事前にどうすればいいのかわかんないとアワアワしそうだし、その話はきけてよかった。
公明党については…そもそも新進党がどうのみたいな紆余曲折も幼心に疑問ではあったのだけれど、大学のころくらいは、政党として悪くはないんじゃない、まっとうなんじゃないくらいには思っていた。
でも連立が長引くにつれてそういう気持ちは消えた。
チラッと書いたけど投票もしてない。
親はしてると思ってるけど、私は入れませんとか言って老いた彼女を悲しませるのは本意ではないので、口では「入れてるよ」と言っています。
創価中・高増田はその内容の中身のなさを看破していたが、なんか普通に「キング牧師は言った! ○○と!」みたいな引用でも抑揚のつけ方、話し方がすごくうまくて、声にも不思議な魅力・よさがあると思う。
教えより何より池ちゃんスピーチ(中身がないのに説得力があり魅力的)が一番カルトっぽい。
こういってる私も昔の池ちゃんのスピーチを新年勤行会でプレイバックしてるのきくとなんか感動してしまう。
ただし会館を出るころにはさっぱり忘れてしまうのだが。
やっぱここまででかい宗教になったのはひとえにこの人の力であり、この人を先生先生と言ってる限りはカルトのそしり免れ得ないのだろうな~と感じる。
そこがうちの母なんかが納得いってないとこなんだよな。
一般社会と同じでいろんな人がいるとしか言いようがない気がする。
ヤフコメで、「自分は二世だけど、自分で努力して成し遂げたことも、家族にはすべて「ご本尊様のおかげ」で済まされてしまい、自己肯定感が著しく下がった。今はそんな実家と距離を置いてる。大嫌い」、みたいなことを書いてる人がいて、あーなんかこれ学会の人超言いそう、コメ主の気持ちはなんとなくわかるなと思った。
うちの母も「あんたがこんなにいい子に育ったのは私がご本尊様に祈ったからよっ! 子どもがほしくてほしくて祈ってできた。信心のおかげでさずかった」とよく言っていたから。ていうか今もいってる。
しかし私は、自分のあげた成果(たいしたことはいっこもない)を母に「ご本尊様のおかげ」と横取りされたと感じたことはない。
いつだって私自身をすごく肯定して育ててもらったなーと思っているし、今もほぼ全肯定でいてくれるありがたい存在だから、私も母のことについて、できる限り肯定的でいたいなと思っている。
母が子を授かりたいと思って祈り、さずかり、育てながらやはり絶えず祈ってきたというのはただの事実であって、そこを否定する気持ちはない。
そういう経緯で生まれて育てられてきたこと自体も含めて私なんだろうなと思うし、それが嫌だなと思う気持ちはない。
全然関係ないけど、7年くらい前、長崎旅行で友達に買ってきたお土産のミニよりよりを母が勝手に食べてしまい、わるびれもせずに「あんまりおいしくなかたった」と言い放ったことに対して、めっちゃ怒ってしまったことがあったんだけど、最近それをよく思い出しては胸が痛くなる。
なんであんなに怒っちゃったんだろう…別にいいじゃん、それくらい。
地元の会員さんが絵手紙に凝っていた時期があり、4年くらい前の誕生日に、色紙にあじさいの絵と『御書』の一節を書いてくださったことがあった。
うすあおく、うすむらさきでもあるあじさいの花にかこまれ、こう書いてある。
「鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日あまり歩みを運びて、今一日になリて歩みを差し置きては、何として都の月をば詠め候うべき」
信仰や思想信条にかぎらず、「途中で投げ出すなっつーに」というのは、いつだってどんな局面だってシンプルに心にしみる言葉だなと私は思っていて、いただいてとてもうれしかった。
こういうことを書いている本の著者らしいです
笹川良一の反共主義は、保守政治とうまく結びついていた。笹川は、岸信介と協力して、アジア各地の反共産主義者との関係を深めていった。この活動により、1960年代半ばに統一教会の創始者である文鮮明と接触することになる。1967年、笹川は山梨にあるモーターボート競艇場での日本初の集会に統一教会を招いた。翌年、文氏が韓国で「共産主義勝利連合」を設立した3ヵ月後、笹川は日本での名誉会長に就任した。岸は感心した。「若い人たちがみんな共産主義勝利連合のような人たちだったら、日本の未来は明るいのに」と岸は感心した。笹川と岸は、後に現代日本で最も忌み嫌われることになる団体を庇護した。
統一教会は、日本の若者の誘拐やマインド・コントロールの疑惑で嫌われていたが、多くの日本の政治家にとって計り知れない利益をもたらすことが証明された(そして今も証明されているかもしれない)。統一教会の日本本部は、かつて岸信介が所有していた東京の土地に建てられた。1970年代初頭には、ムーニーと呼ばれる教会員が、自民党の政治家のために、勤勉で非常に価値のある選挙運動員として無償で奉仕していた。ムーニーは長年にわたり、しばしば詐欺的で攻撃的な販売と改宗の戦術によって、訴追から保護されてきた。1980年代までに、日本は世界の統一教会の収入の5分の4を提供したと伝えられている。
岸・笹川と文のつながりは、岸派と連合派を通じて拡大した。岸派直系の福田赳夫は1974年に文鮮明を「アジアの偉大な指導者の一人」と称え、岸内閣の最年少閣僚で連合の公野党の子孫である中曽根康弘も同様に文鮮明を称えている。岸内閣の娘婿である安倍晋太郎も、選挙戦でムーニーを利用した。日本共産党が作成した自民党と民主党の126人の政治家のリストには、小沢一郎、橋本龍太郎、その他の党の幹部が含まれていた。1990年の総選挙では、百人以上の国会議員が「共産主義に勝利するための連合会」から支援を受けたようである。文氏の影響力は、1992年の入国特別許可に表れている。日本の法律では、1年以上服役した外国人は入国できない。しかし、1992年3月、自民党の最大派閥のトップである金丸信副総裁が法務大臣に取り次ぎ、入国を許可された。
ttps://twitter.com/sfujihira/status/1546464449845936128
日本語版にはどう書かれているんだろう
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4492211675
この経歴なら信ぴょう性あるだろ
リチャード・J・サミュエルズ(Richard J. Samuels、1951年11月2日 - )は、アメリカ合衆国の政治学者、マサチューセッツ工科大学政治学部教授。専門は、日本の政治経済、安全保障政策。
1973年コルゲート大学政治学科卒業、1974年タフツ大学政治学部大学院修士課程修了、1980年マサチューセッツ工科大学政治学部大学院博士課程修了、Ph.D.(政治学)。マサチューセッツ工科大学助教授(1980-84年)、准教授(1984-90年)を経て、現職。
最近の某事件の犯人が、某私大の理系学部を経済的理由から中退していた、とネットの記事で知りました。
私も犯人と同年代で、同じような経験をしています。同様の境遇の若い人たちに、何とかなるかもしれないと思って欲しくて、私の体験した私大生活や修士号取得について書きます。
なお、犯人が起こした事件は決して許されるものではないと思っており、犯人を擁護する意図はありません。
私は高校時代、恥ずかしながらセンター模試の結果がいつもボロボロでした。中でも古文漢文や歴史、化学などの科目がひどい出来でした。
一方で、得意科目の物理や数学が大きく評価される私大模試では、いつもなかなかの偏差値でした。
結果、センター試験は本番でもボロボロでしたが、早慶や関関同立といった私大の理系学部に合格しました。
それまでも職を転々としているような父で、実家には大した預金もなかったようです。
入学式を迎えたものの、いつ授業料が払えなくなるか分からない状態でした。
大学の事務室で授業料について相談し、入学直後に募集のあった大学オフィシャルの奨学金に申込みました。
家庭の収入を証明する書類や推薦状など揃えなければいけない書類が多く、なかなか大変な手続きでした。
親の都合なのになんで私が…と思いながら手続きしたことを覚えています。今思えばバチ当たりな考えですね。
無事に奨学金の審査に通り、私の場合は年間およそ100万円の授業料が免除されました。
ただし、年間50万円ほどの施設利用料は支払う必要があり、こちらは母が支払ってくれました。
奨学金の審査は毎年ありましたが、幸い三年間、連続で採用されました。
この間、奨学生になるために成績だけは学科タップをとり続けていました。
だからといって勉強漬けではなく、アルバイトで飲み代を稼いで、サークル活動も楽しんでいました。
大学3年生になると、理系学生は院進学について決めなければなりません。
私は進学してもう少し勉強したい気持ちがありましたが、来年、さらに修士課程でも奨学生になれるとは限らない。
大学3年生で4年生と共に試験を受け、合格すれば来春から一年早く修士課程に入学できるのです。
もちろん入試を受けました。
志望先の研究室の学生にコンタクトを取り、院試面談に関するアドバイスをもらって無事合格。
おまけに特待生として修士課程二年間の授業料免除もゲットしました。
さらに無利子の奨学金で月7万円を頂くことができ、激安の学生寮にも入れたので、修士課程はバイトなしで生活できました。
ときどき研究室の先生にTAをさせてもらい、お金を貯めて研究室旅行にも行くことができました。
大学院での研究は、周囲と比べると卒論を書いていないという負い目もありましたが、先生には分け隔てなく指導いただきました。
また、リーマンショック前の売り手市場だったこともあり、就活では複数の大手企業に内定をもらいました。
さらにラッキーなことに、そこそこの成績だったようで奨学金の返済が半額免除になりました。
結局、学部時代から約50万円プラス生活費で修士号を取得することができました。
その後、就職してから数十年。すでに奨学金も返し終わっています。
それが何だと思われるかもしれませんが、東大生人気ランキングに入るような会社で、そこそこお給料もいただいています。
自分の子供には幅広い選択肢の中から進路を決めてほしいと考えていて、日々子供のために頑張って働いています。
あのとき、奨学金制度を教えてくれた方や、採用して下さった方々のおかげで、今があります。
経済的な理由から学びを諦めそうになっている学生の方へ。何か方法がないか、周囲の大人に相談したり、裏技がないか調べてみてください。
学ぶ意欲のある人には、どこかで誰かが味方がついてくれると思います。
どうか諦めないで。
結局、何を勉強すればいいのだろうか?
そりゃ本ぐらいは読むが、考えなしに興味がある本を読めばいいというものでもないだろうし。
プログラミングを一切扱わない様な仕事をしていても、プログラミングの勉強をしておかないといけないのだろうか?
接客やるなら英会話くらいはできた方がいいのだろうが、ぶっちゃけスマホさえあれば発音ぐちゃぐちゃのカタコトでも割りとなんとかなる。
セルフプロデュースがどうたらとか言う人もいるが、そういうのにハマる人って情報商材とか胡散臭いセミナーとかの養分にされるだけなんじゃね? って気がする。
そもそも勉強したところで、中年非正規の俺の境遇が今更改善されるとは思えんのよね。
頑張って勉強しても俺の人材としての質が上がらないだろうし、なにかの間違いで質が上がったとしてもそれを評価して貰えるとは思えん。
となると俺達にできる事は若い人たちが勉強するモチベーションを高められる、或いは落とさない様にする様、立ち振る舞う事くらいなのかもしれんな。
サビ残を代わりに引き受けたりした方がいいのかなぁ。
外航船員として数年働いてるんだけど、なんで皆ならんのかわからん。
商船大学に入るのはそこまで難しくないし、就職難易度もかなり低い。(機関士なら普通大学から中手企業行くくらいの努力で大手の日本郵船とか商船三井行けると思う)
乗船期間は半年から8か月がデフォでちょっと多いけど、その分休暇は3,4か月がデフォで、多いときは5か月とかもらえるときもある。
最近はまずないけど、乗船期間めちゃくちゃ長くなる時は12か月とかある。それ以上は労働条約を理由に船止められたりするリスクが発生するから伸ばされない。
乗船中の給料は大体倍だから初任給で額面50万近く行く。休暇中も基本給は必ず出るから、寝てるだけで金が入ってくる。
俺のいる会社は人も少ない中小企業で、給料はもちろん大手よりは安いけど1年目とかの年収は600万余裕で超えたわ(乗船期間は長かったけど)
今年は海運ボーナスどこもいいから、1年目の子でも8か月ちょいの乗船で600万行くと思うよ。
年収もそうだけど、なにより衣食住がまずかからん。朝昼晩きちんと飯が出て、チーフコックにもよるけど美味しいもんが食べられる。
コンビニとかは気軽に行けないけど、ビールとタバコは免税で買えるし大量注文した個人のものを届けてくれるシステムもある。(基本クレーンで積み込むから10万円分とか買ったりする。)
最近はコロナで降りれんけど、海外に上陸するチャンスもそれなりにある。寄港している間だけだけど、決まった時間外出して飲んだり買い物したり観光したり。
俺も有名どころならサンフランシスコやサウサンプトン、ドバイとか行ったし、マイナーどころではグアテマラとか南アフリカのケープタウン行った。
3Kのイメージがあるかもしれんけど、航海士なら言うほど3Kじゃないし、機関士も下手な工場とかよりは危険度少ないと思う。
そういう危険な仕事はオフィサー(航海士、機関士)じゃなくて外国人クルーが基本的にやっているってのがある。
奴隷みたいに扱ってるとかじゃなくて、指示出しや安全管理、書類作業がオフィサーはメインになってるから、クルーが安全にやってくれるようになれば危険作業に手出さなくてもよくなる。
キツさで言ったら、港が連続で続いたり、俺は機関士だから機械にトラブルがあったらかなり残業することもあるけど、
大きなトラブルなんて古い船で3か月に1回あるかないかって感じ。多分、労働時間的にはホワイト企業に少しブラック混ぜたくらいの感じだと思う。
ただの貨物船なら1か月の残業時間なんて5時間ぐらい。その代わり土曜は出勤になるし、残業しても27時間以内ならタダ働きだけど。
英語ができないとかいう心配もあるかもしらんけど、機関士に限って言えば英語できなくてもほぼ大丈夫。できるようになるから。
航海士も英語苦手って人がいたけど、なんやかんやでできるようになってたよ。
つか、造船所下請けの入れ墨いれてる若い兄ちゃんとかがブロークンイングリッシュでフィリピン人とコミュニケーションとれるんだから、大学行けるレベルなら大丈夫だろと思う。
最悪になるかもしれないのはやっぱり人間関係かな。
外国人は別にいいんだけど、日本人との関係は結構面倒くさいかも。
個室とはいえ、24時間一緒の船で生活するわけで、古い慣習を持っている人も残ってるからつらい人には辛いと思う。
タンカー系の会社とか、大手の中のとある1社とかは酷いハラスメントをする船長・機関長がまぁまぁ残っているらしい。
永遠に飲み会してたり、殴ったり、人格否定したりと。知り合いも鬱になって2年くらいで辞めてた。
もちろん全員じゃなくて、ごく一部(会社内でも問題児扱いされているらしい)だからじきにいなくなることを期待している。
船長・機関長まで育てるコストが馬鹿にならないから、なかなか首にできないという噂。
あと、ビジネスマナーとか陸職経験するまでつかないから、関係ない会社に転職するのは苦労するかも。
外航船員も年数がたてば陸に上がって数年間務めて、また海に戻るの繰り返しするのよ。ただ28、30歳ぐらいになってようやく陸職するから
ただ、その分船員としてのスキルは上がるから、陸に上がってからは頼りにされるし、転職先でも歓迎されやすいらしい。(機関士の場合は特に)
出世の心配がもしかしたらあるかもしれないけど、大手の話で言えば子会社の社長や役員してたりするから、高望みしなければ十分じゃないかな。
結局優秀な人は別ルートで評価されて出世すると思う。ただ優秀だと船に戻されずに陸が長くなるらしいよ。
ここまでメリットだらけなのに、なんでみんな外航船員にならないのだろうか。
ちなみに今日は仕事が早朝4時間あっただけで、あとは全部休みだったから酒飲みながらこれを書いている。
意外に気になる人もいるみたいだから、色々答えてみる。
みんなが「ならない人間前提」の書き方に違和感 あと、この業種の、10年前・20年前の状況書いてないのは草
"乗船期間は半年から8か月がデフォで" まずこの時点で無理って人多いんじゃね?自分が平気だからって多くの他人も同じだと思うなって話
まず、タイトルでみんなって主語を大きく書いたことはごめんなさい。
この上の人はある程度詳しい人だと思うんだけど、多分、一般の人が思っている以上に外航船員って少ないんだよ。
商船大の話なんだけど、大体機関士になれるコースは30人くらいいて、そこから15人ぐらいしか外航機関船員にならないんだよね。
商船大は神戸大と東京海洋大学しかない(厳密には違うけど、外航船員と言えばこの2つ)から、1年で30人程度しかならないのよ。
そんで日本外航船員は航海士と合わせて3000人くらいしかいないから、いい仕事なんだし倍くらいには増えてもいいよなって思ってる。
知名度が低いだけで、もっと浸透すればそれくらいは絶対行くと思ってる。
10年前、20年前に比べれば、労働条約とかもしっかりしてるし、組合との取り決めもいい方向に向かってるんじゃないかな。
タワマンの最上階より揺れてそうで俺には耐えられないな
船員って実は船酔いする人多いよ。俺も救命艇ぐらいのサイズなら普通に酔うし。
外航船のサイズって200m余裕で超えるものが多いんだけど、そのサイズになると波の波長より長いからそんなに揺れない。
自動車船乗ってた時は冬場の太平洋で2日間揺れたくらいで、他はほとんど揺れなかった。
揺れてた時は機関長も、一部のフィリピン人もダウンしたから、軽い仕事だけになってた。
ネット接続はどうなの
船によってはクルーのプライベート用に契約してて、よく覚えてないけど1GB1000円とか6時間3000円とかで買えるから、それ買ってスマホで使ってたよ。
俺は寝る前とかにYoutubeの動画をオフラインに落として、仕事終わりに見てた。フィリピンクルーはビデオ通話よくしてたね。
ウチみたいな中小は船によりけりだけど、大手さんみたいなところはもしかしたら無制限無料開放してたりするかも。
それでもやっぱりまだ遅いだろうけど。
船のインターネットって10年遅れてるって言われてるから、もう少しすればもっと快適になるかもしれない。
港はよっぽど田舎じゃなければ、海外用SIMとかでネット使える。
コロナで自分の家から出られなくて気が狂いそうになってる人もいたのに、知らないおっさんと同部屋で8ヶ月航海とか常人には無理やろ。潰しも効かなそうだし。
同部屋ではないよ。個室があるから、航海中のアフター5は基本1人部屋でのんびりしてる。
シャワーとトイレも部屋についてるから別に部屋から出なくてもいいし。
半年で辞めた知り合いとかは内航船に転職してたね。内航船なら3か月乗船とか、1か月乗船、タグボートとかなら毎日帰れるらしい。
内航船も人手が足りないし、高齢化が始まってるから、30代過ぎの人でもチャンスはあるよ。
まだ若いけど大学行き直すのはちょっとって人なら2年の短大ぐらいは行っといたほうがいいかも。
大手の子会社とか、しっかり海運業界でネームバリューがある会社じゃないと当たり外れが大きいらしいから。
結婚は?
30はじめくらいで陸勤が5年ぐらいあるからそのうちに探して結婚ってのがデフォかな。
コストカットで人員減ってるめぅよ
景気の状況で採用の増減はあるけど、人員減ってるイメージはないなー
日本人は資格がないクルーとして配乗されることはほぼ0になったけど、資格持ちのオフィサーはあんまり変わってないよ。
育てるコストが尋常じゃないから、リストラされるって話も聞かないし。さすがに会社潰れたところとかは船員もリストラされたけど、
タバコねぇ。タバコデフォの業界ってあるけど、ちょっと、、、、。ま、基本的には、退屈だから敬遠されるんやろね
タバコは吸う人は吸うって感じかな。今は制御室とかも禁煙になって船でも喫煙者は肩身が狭くなったよ。
日本人の中だけで言えば、タバコ吸う人の方が少数派かも。フィリピン人は半分くらい吸ってる。
“マイナーどころではグアテマラとか南アフリカのケープタウン行った。”サウサンプトンと同じくらいのメジャーに感じる。港町基準だと違うのかも。
正直降りた町の名前とかそんな覚えてないけど、アメリカ、中南米、ヨーロッパ、中東は自動車船なら結構よく行って、タイミングよければ知らん町上陸できるよ。
どれだけ収入が高かれどブルーカラーに成り下がるくらいなら死んだほうがマシでしょ
機械のトラブルシューティングみたいな仕事だけじゃないし、エンジンルーム暑いし。
陸上がって数隻の船を担当することになれば、完全にホワイトカラーの仕事だけになっちゃうけどね。
日本人がやらないから東南アジアの若い子ばっかなんだってよ。まあ建設とかもそうなってるよね
これは少なくとも外航船員に限っては違うよ。漁船とかはそうなのかもしれないから海運業界全体で嘘かはわからないけど。
日本というか、世界の裕福な海運国に限って言えば、フィリピン人とかインド人、東ヨーロッパの人を使うのは安いからに限る。
今は外航船員が減りすぎて、有事のときとか外国人船員は拒否るだろうということで、国を挙げて増やそうとしてる。
追記2
"陸職"って言い回しは独特だ!無気力に生きてたり取り立てて目標もスキルもない若手にはいいのかもね。
確かにそういう若い子で、船に興味が少しでもあるなら外航船員と言わず商船大だけでも考えてほしい!
チョイ憧れたけどカナヅチなので無理。
カナヅチの度合いによる。
泳ぐってか5年に一度ある講習みたいなのでほぼ浮いてるだけだけど。
就職する段階で『普通に結婚して、土日は子供と遊んで過ごす』キャリアパスにキチンと見切りをつけるのが難しいのかも?
やっぱり子供ができてから海上に戻るのが辛くて陸上を希望する人とか、転職する人は知り合いでも多いね。
機関士の場合は、SI(Superintendent)っていう船舶管理の仕事を陸で経験するから、それ関連とか、船舶機器系の会社に転職することが多いよ。
辞めるのは会社としてはあまり喜ばしいことじゃないだろうけど、潰しはきく。
ポールグリーングラスの現代海賊映画『キャプテン・フィリップス』を観ちゃったので…。
ここ数年のニュースだと、ソマリア付近で海賊出て襲われたのはゼロなはず。
タンカー会社入るんだったら、少なからず覚悟はしないといけないけど、今海軍とかいっぱいいるから海賊被害はまだ安全だよ。
タンカーマンはかっこいいけど、上陸は難しいだろうし、危険海域入るし、暑いしあんまり憧れない。。。
人間関係もだけど、酒飲めないと辛そうだな。
うちの会社ではまだ酒強要してくる人にあったことないけど、上でも書いた通り、人によっては酒癖悪い人はまだ残ってる。
ただ、もちろん下戸な人もいるから、まったく飲めないってわけでもなければ問題ないかも。
多分、酒に関して言えば陸と同じぐらいの文化レベルなんじゃないかな。
俺は酒好きだけど、あんまり飲み会とかせず部屋でチビチビ飲みながらDVDとか見てる。
戦争になって真っ先に徴用船となり、なんの補償もなかった歴史を知らんのか
もちろん知ってるし、日本郵船博物館とか神戸の戦没者の展示も見にいったよ。
でも船が徴用される段階って、陸にいても海にいても大して変わらないんじゃないかな。
女性でもなれますか?ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ大学は行けるとしても採用してもらえますか?
もちろん、小さい船会社は女性を受け入れる土壌が整ってなくて、採用されないかもしれません。
そういう点では陸よりも不利益を被るかもしれません。うちの会社は女性が応募してきたことがないのでわかりませんが。
少なくとも大手に関して言えば女性は採用されています。ちょっと違いますが練習船であれば女性オフィサーも多いです。
多くの人が知りたいであろう「女でもなれるか、おっさんでもなれるか」の質問に答えてくれてなくてお察し。自分は年齢的に無理だろうけど若い人たちに新しい選択肢を与えてくれてありがとな。
返信遅くてごめんね。
おっさんには外航船員は厳しいと思う。俺が知ってる中で一番就職時高い年齢は26か27歳くらいだったよ。会社員辞めて大学に入りなおしてた
内航船員なら30代後半でも全然若手扱いらしいけど。
以前に興味は持ったものの、なり方とかよくわからなかったな
外航船員に限った話で言えば、
ってのが一番多いと思う。
商船高専からでもなれるけど、航海士の方がかなり狭き門だし、機関士でも大学生と違って優秀さが求められるかも。
まぁ会社によっては定員割れしたところもあるから、今は言うほど難しくないかな。
あと、今一般大学行ってる人でも、大手の日本郵船、商船三井、川崎汽船に限って言えば自社養成コースってのやってる。
ただかなり倍率高いらしくて、俺が聞いたことがあるのは東大京大、早慶、一橋。体育会系で賢い人たちばっかりだった。
“船長・機関長まで育てるコストが馬鹿にならないから、なかなか首にできないという噂。”結局後輩がいなくてダメになるパターンでは。
俺もそう思う。そういう人たちは日本人と乗せない(外国人には優しいけど、日本人には厳しいって人が多いから)、船に乗せないって対策をとってるところもあるって聞いた。
商船大学に入るのが難しくないのは受けようとする人が少ないからであって お前が言うようにみんなが外航船員になろうとしたら難しくなるやろ
テレビ東京で特番3回くらい組んでも、ドラマやっても大して倍率変わらんかったぞ。
船長まで行って引退後は東京湾か瀬戸内海でパイロットして悠々自適生活が理想だよな
俺は機関士だからそういうルートはないけど、船長からのパイロット(水先案内人)はやばいよね。
忙しさはわからないけど、聞く限りでは商船で船長やるよりかは楽らしいし。
いいたいことは色々あるけど、最後の指摘、
武装した敗残兵を子ども達がいる島に残すことはできないでしょ。
(嫌悪感を示しながらも)それができる兵士になっていたという解釈・描写なのでは。
そもそも、シリーズ集大成としてストーリーもゼロからつくったシン・エヴァと、取りこぼしたエピソードひとつを再解釈した
誰でも質問ができ、誰でも回答ができるというよくありそうなサイトだが、ヤフー知恵袋などと違うのは、回答できる文字数が少ないことと、ユーザーの利用者層が若いことだ。
主にオモコロ好きな人が多いので、10代~20代がボリューム層。30代前半だとちょっと話についていけない感じになる。
例えば学生あるあるとか、「倫理観を失ってコンビニにいったらやりたいこと」みたいな内容なので、ちょっとノリが合わなくなってしまう。
別に嘘をついているわけではないが、若い人たちの考えを知りたくて使わせてもらっている。
こういう回答だといいねを貰えるんだとか、こういう質問をすると回答がたくさんもらえるんだとか、だんだん分かってくると楽しい。
ただ気をつけないといけないのは、例えば「初めてプレイしたマリオゲームは?」という質問で、「ファミコンのマリオブラザーズ」などと答えてはいけない。全てがバレてしまうからだ。最低でも「スーパーマリオ64をお兄ちゃんがやってたのでやらしてもらった」みたいなラインじゃないといけない。
でも嘘はつかないようにしているので、こういう質問はスルー。あくまで正直な回答を心がけつつ、年齢がバレないようにしている。
そうやってコツコツといいねをもらい、メダルをもらい、着実に昇格している最中だ。もしよかったらみんなもコロモーを覗いてみてほしい。
その手の人たちって出所してもその手の人たちのコミュニティに帰っていくんでしょ
なんだかね
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220528/k10013646951000.html