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2023-08-29

腹の虫が治まらんなあ

日本の処理水放出を批難してばか騒ぎしているのは中韓だけ。

経済産業省データによると、中国浙江省嘉興市の秦山第3原発の年間排出量は約143兆ベクレルで、福島第1の6.5倍、広東省陽江市の陽江原発は約112兆ベクレルで5倍、遼寧省大連市の紅沿河原発は約90兆ベクレルで4倍。韓国でも月城原発が3.2倍、古里原発が2.2倍となっている。


また欧米ではフランスラ・アーグ再処理施設が454.5倍、カナダブルースA、B原発は54倍、英国のヘイシャム2原発は14.7倍とまさにけた違いだ。


海洋放出をめぐる中国日本に対する攻撃的な主張について、ワシントン・エグザミナーは「環境への懸念動機ではなく、米国太平洋の主要同盟国を弱体化させるために、この問題を利用できるという中国政府の判断」と分析。「中国環境破壊する行為について文句を言うのは偽善の極み」と言い切った。


結局のところ、大漁船団を組んで世界の海を荒らしているのは中国だと同オンラインメディアは指摘する。「これらの漁船団は、西アフリカ太平洋ラテンアメリカ脆弱漁業資源を壊滅させ、すでに疲弊している地元漁業を壊滅させている。中国は当然、これを否定している。だが、漁船団はトランスポンダ位置情報を知らせる通信機器)を切り、他国排他的経済水域侵入したり、ガラパゴス諸島などの生態護区を略奪している」と伝えた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/04e181c8647e68d871c1f558f511ba68d74e239b?page=2

2022-09-15

16歳の女の子が駆け抜けた戦争

飛び散る女性の頭、自らも死のうとした元従軍看護師戦後72年…激戦地で生き、戦後助産師で赤子抱く

2017年8月14日埼玉新聞

もう歩けない。何度も死を覚悟した。ジャングルの川の中で力尽き、このまま流されて死ぬんだと思った。「同級生2人のお骨は私が内地の両親に届けなくちゃいけない。絶対に死んじゃいけないと自分約束した。けれども、かなわずに死のうとしたの」

 元従軍看護師木村美喜さん(89)=桶川市=は激戦地フィリピンルソン島で約1年、敵の爆撃機砲弾が四六時中頭の上を飛び交う中、傷病兵や患者の救護に従事しながら生き抜いた。食べるもの、飲むもの、薬もない。無数の死体が転がる山の中を逃げ回り、行軍した。仲間や兵士たちは次々に命を落とした。

 生まれも育ちも桶川日本赤十字社埼玉県支部看護師だった1944年7月、召集を受けてマニラ郊外陸軍病院派遣された。当時16歳。埼玉班26人で最年少だった。歯科外来に勤務し、当初は不自由のない生活をしていた。

 9月、マニラ空襲。次第に戦火が拡大し、12月に病院解散。絶え間ない空襲の下、部隊マニラから北に約250キロバギオに移動した。

 悲劇が襲ったのは、45年1月23日。正午前に大編隊の爆撃機が襲来し、病棟は瞬く間に火の海になった。がれきの中で「助けて」とさけぶ声。焼け落ちた梁(はり)が目の前で女性に直撃し、頭が飛び散った。外に逃げた人々は次々と機銃掃射で撃たれて犠牲になった。

 埼玉班も9人が戦死。「今夜は夢でいいからお父さん、お母さんに会いたいね」。前日に梅干しをしゃぶりながら古里の話をした同期2人は骨だけの状態と、顔や手足、内臓がない状態で見つかった。

 4月、バギから撤退。山の中で終わりなき逃避行を続けた。昼間は空から見つかるため移動できず、夜は砲弾が飛んでくる。草のしとねに横たわり、古里の歌を口ずさむと、歌声はいしか涙声に変わっていった。「みんな『白いご飯をおなかいっぱい食べたい』『死にたくない』と言いながら死んでいったの」

 埼玉班の仲間も一人、また一人と病気栄養失調で亡くなった。「今度死ぬのは自分の番だ」。どんなときも肌身離さず持っていた親やきょうだい手紙写真日の丸の寄せ書きを河原で焼いた。死んでから人に見られたくなかった。

 終戦を知らされたのは8月17日。途端にマラリアで40度の高熱が出た。捕虜収容所に行くまでの山を下りられず、同僚3人と部隊から取り残された。もう半歩も動けない。道の両側は腐臭を放つ死体の山。うじが団子になって、ハエが真っ黒にたかっていた。ゲリラ先住民足跡を見つけるたびに背筋が凍った。

 ジャングルの川の中で先輩に泣きながら懇願した。「お世話になりました。私はここに座っていたら流されてしまう。待たないで先に行ってください」。そのたびに言い聞かされた。「一足歩けば一足日本に近づく。一足歩けば一足お母さんに近づく。日本に帰りたかったら、お母さんに会いたかったら歩きなさい」。その言葉背中を押され、何とか収容所にたどり着いた。

 約4カ月の捕虜生活の末、12月に復員日赤病院に同期2人の遺骨と遺髪を届けた。桶川駅で母の胸に抱かれてわんわん泣いた。17歳だった。

 戦後助産師として働いた。「もし日本に帰れたら、たくさんの兵隊さんの亡きがらを葬ってきた分、この手で新しい命を取り上げよう」。収容所で毎晩、誓った夢をかなえた。抱いた赤ちゃんは数え切れない。3分間に4人取り上げたこともある。自らも子ども3人、孫5人に恵まれた。

 今は子や孫のため、社会のために一日でも長く生きていたいと願う。戦争経験した人が減り、自分の代わりがいないと思うから。多くの講演を引き受け、本も出版した。戦争を知らない若い人たちみんなに、一度でいいからこれまでの話を伝えたい。「戦争は人の殺し合い。もう二度としては駄目。命は本当に大切。一つっきりしかないんだから。かけがえがないんですよ。」


https://www.saitama-np.co.jp/news/2017/08/14/07_.html

2017-06-07

桜井よし子氏、もう71歳なのね...

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170606-00000004-ykf-soci

http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/170606/plt17060621000025-n1.html

http://www.sankei.com/premium/news/170605/prm1706050008-n1.html

の元記事を読んだ。

森友みたく政治家官僚忖度するか、その逆か、はたまた「ドン」みたいなのに党員こぞって忖度するか(実質ドンに一任している党も民主主義に反していると思うけどね)

たださ、秋田県のくだりは関係ないんじゃないの?桜井さん、あたましっかりているか??この人の印象操作ボケがだいぶ入ってきたな、俺みたいな素人にも馬鹿にされるね。

「過日訪れた秋田県の人々が心底、怒っていた。都民ファーストと言うが、秋田県の子供たちは高校まで、秋田県教育し育てる。高校卒業して上京し、東京に住み、古里秋田から人がいなくなる。東京は昔から地方人間流入して創り上げてきた町だ。それを、都民だけを考えて「都民ファースト」とはなんという恩知らずかと。」

2011-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20110710223029

じゃあなんで首都圏の極近距離に原子力発電所がないんですか?

川崎原発があったっていいし,品川原発があったっていいじゃない?

発電所はないけど原子炉はあるよ。

http://www.insightnow.jp/article/6444

記事自体は香ばしいけど原子炉の場所自体はたぶん正しいと思う。

世界的には大都市近郊に原発がないということもない。

ドール原子力発電所ベルギー):http://bit.ly/odBJFq

古里原子力発電所韓国):http://bit.ly/odBJFq (南西10km前後釜山市がある)

発電用原子炉は大量の冷却水がいるので大きな川や海沿いに設置しないといけないけれど、日本場合東京湾大阪湾埋立地で、液状化地盤沈下の問題があることが最大の問題。

原発だって基地問題だって

“騙されてた”なんて言ってる輩は

“俺のせいじゃないからね”と言っているのと同じ気がする

そう、それが一番にわか原発派のダメなところだよね。

 
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