はてなキーワード: 左衛門尉とは
職場のテレビで「遠山の金さん」が流れていた。再放送なのか?配信?
でも、遠山金四郎の伝法でいなせな感じは杉良太郎の方が良いかな?
一番記憶に残ってるのは松方のかなあ?でも合うか合わないかって言ったら上記二人の方が良い感じ
というか正直、自分が見た記憶があるのが中村と杉良と松方のものだけな気がする
(他にも様々な俳優が演じているが、全く知らないので除外)
とはいえ、中村は自分の中で伝七だし、杉良は大江戸捜査網か江戸の黒豹だ(まだ歌うところじゃない)。ちなみに松方も大江戸捜査網
関係ないが今日見た遠山の金さんには若かりし里見浩太朗も出ていた。そして、ひっどい演技だった
里見浩太朗と言えば助さんかな(水戸光圀をやったのは見たことない)
つーか、里見浩太朗を検索してたら、江戸を斬るもやってたのを知り驚いた。知らんなあ。里見の遠山?イメージ湧かん
江戸を斬るも様々な俳優が演じてるんだな。自分の中では辺見えみりの父親のイメージだ。イケメン過ぎる
遠山の金さんと江戸を斬るでは同じ遠山左衛門尉でもイメージ違うよな
後者はちょっとシュッとしてるというか。金さんに化けてる時、町人か侍かでそもそも風体が違うしな
ところで、江戸を斬るのwikiを見ていたら初代は竹脇無我でありしかも遠山金四郎の話ではないことが判明。全然知らん
でも、時代劇俳優の顔(化粧済み)の中で好きなのは普通に銭形平次の大川橋蔵。市川雷蔵と同じでメイクを落とすと普通のおじさんだけど
前回、虹とヘビとウナギの話を書いた(anond:20221107182649)が、その際『蛇の宇宙誌』(東京美術)を読み返していたところ、意図せずして漫画『鬼滅の刃』に関連しそうな小ネタを見つけてしまったので、ここで書き留めておくことにした。なお、漫画『鬼滅の刃』のラストに触れているので、未読でネタバレが嫌だと言う人は、この文章を読むのはここで止めにして、まず漫画『鬼滅の刃』を読み終えてからにした方が良い。
どのページを開いても面白い名著『蛇の宇宙誌』であるが、その第4章は、ズバリ「栗花落左衛門(つゆざえもん)の蛇性―日本の水神としての蛇信仰―」と題されている。余計なことを書くのは止めにして、この章の冒頭から引用する。
「栗花落」と書いてツユと読む。栗の花の落ちるころが、ちょうど梅雨の時期になる。それでこの当て字がある。後の兵庫県の武庫郡山田村の原野(神戸市兵庫区山田町原野)、昔の摂津国矢田部郡の丹生山田庄原野村の栗花落(つゆ)理左衛門の屋敷に「梅雨井(つゆい)」と呼ばれる井戸があった。昭和七年ごろまでは、原野には、壊れかけた白滝明神の社祠と、白滝姫の墓という墓石が残っていたそうである。栗花落(つゆ)の井戸は社の前にあった。いつもは水が干からびているが、栗の花が落ちる五月ごろには、こんこんと水が湧き、附近八町歩の水田をうるおすと伝えていた。
(中略)
岡田ケイ(注:彳に奚)志の『摂陽群談』(一七〇一年刊)巻八には、この「梅雨井」のことがくわしく見えている。(中略)地主の姓もツユといい、世間では栗花落左衛門(つゆざえもん)と称したとある。
この不思議な井戸について、栗花落家には伝えがある。始祖の山田左衛門尉真勝は、淳仁天皇(四十七代)の時代に、朝廷に仕えていた。そのとき真勝は、横荻右大臣豊成の息女、白滝姫に恋をする。姫と歌の贈答があって、真勝の真心を知った姫は、その妻になる。やがて姫は亡くなるが、それが五月であった。屋敷の東の境に葬り、叢祠を建てて弁財天をまつった。そこから水が湧き、今に至るまで、その水が梅雨を知らせるという。この弁財天社が白滝明神であろう。
島根県の出雲地方とその周辺には、栗花落左衛門と同名のツユザエモンと呼ばれる蛇の伝えがある。ふだんは岩肌の割れ目などに姿を隠している蛇が、梅雨の期間中には、かならず胴体を現わすという。分布は、出雲から、備後の比婆郡、双三郡、石見の安濃郡、邑智郡一帯と、広島県北部から島根県西部に及んでいる。斐伊川沿いの地方では、これをツユジンと呼んでいる。ツユ神(じん)と解釈しているが、出雲の能義郡ではツユザイと称しているから、ツユジンもツユザエモンからの転訛であろう。
(中略)
蛇はしばしば水の神の姿である。梅雨期に蛇の挙動に注意したのは、稲田を耕作する農民にとって、水の恵みが一番気になる季節だからであろう。(中略)ツユザエモンが梅雨の時期を示すという観念は、水と蛇の違いはあるが、摂津の栗花落左衛門とまったく同じである。
(後略)
―引用ここまで―
引用したとおり、本来の『栗花落』の読みは「ツユ」であって「ツユリ」ではないと考えられる。しかし、摂津の梅雨井があった屋敷の所有者の名前が「栗花落理左衛門(つゆ・りざえもん?)」なのである。これは私の個人的な推測でしかないのだが、竈門炭治郎の彼女・栗花落カナヲの姓を「ツユリ」と読ませる設定にしたのは、作者・吾峠呼世晴による元ネタの示唆なのではないだろうか。
そして、鬼殺隊が鬼舞辻無惨を倒した後日談で、伊黒小芭内の遺した愛蛇・鏑丸(かぶらまる)を、栗花落カナヲが受け継ぐ流れになっているのも、水神・雨神である蛇神をツユザエモンと称する歴史的・民俗的事例と関係しているのではないだろうか。
最終的には日の呼吸を使うようになったとはいえ、竈門炭治郎は水の呼吸を使っていたのだから、その彼女である栗花落カナヲが、水神と縁の深い蛇(それも白蛇!)を受け継ぐのは似合っていると思える。
https://anond.hatelabo.jp/20220715032108 これの続き
とあるサークルに入ってみたら、カルトタブーをギャグにする俺イケてる! みたいな感じで、部誌に全然似てない池ちゃんの似顔絵を原稿に描いてきた先輩がいて、部誌の編集に携わっていた私は、「これは良識的に考えて載せらせません」と断った。
私は誰にも私が学会員であることを明かしていないながらも、池ちゃんはそんな似顔絵で茶化される存在なのか…と思うとなんだか、ごく普通のことみたいに、胸が痛かった。
その様を隣で見ていた別の先輩(現在の夫)はいまだにその掲載謝絶エピソードを覚えていて、私にたまに話してくる。
非会員とほぼ同じ生活を送っている。
ほぼ、と書くのは、コロナ前まで、年イチ、元旦にある「新年勤行会」だけは親につきあって顔を出していたから。今学会どうなってんのかな? と見に行く感じ。
未だに新入会員とかいて(その場で発表される)「へー」って思ったり。私より若い人たちも意外と頑張ってたり。
私自身が活動しない理由はまあ、面倒くさいから、これにつきる。
背筋を伸ばして顎を上げ、腹から声を出し唱題することで感じる唱題ハイを感じたこともあるけど、毎日決まった時間に仏壇の前に座るのは面倒くさい。仏壇という存在も面倒くさい。
ごろごろしたいから仕事の後会合なんて絶対無理だし、友達も家族もいなくなりそうだから選挙や折伏、新聞啓蒙なんてもってのほか。
多額献金なんて私のまわりではきいたことないが(そういう会員がいてこそ、ヤフドも借り切れ立派な会館も建つってもんだろうから否定してるわけではない)まあそれでも年1くらいは、いくばくかお金もつつまないといけないだろうし。
新興宗教はとにかくマジであらゆることが面倒くさいし、見合うリターンがあるのかっていったら多分ない。
それでも、なんの活動もしてなくて、上のようなことを書くようになった今にいたっても、現金なもので、どこか「ご本尊様」というのは心の支えになってるところは確かにある。
何かピンチの時に心の中で「南無妙法蓮華経」と念じると心が落ち着くところがある。
それは、人によっては別の宗教なのかもしれないし、おいしいパンなのかもしれないし、大事な人なのかもしれないし、野の草花なのかもしれない。
いずれにせよ、あなたの心の中にあるそれと、実際大差ないのではないかと私は思うし、心の中に支柱があるということは、精神の安定に他ならない。
とっさに念じられるものがある心は強いなあと、それだけは思う。
義姉はプロテスタントなのだけど、何か困難があってを祈る時は「主よこの困難を取り除いてください」ではなくて「私にこの困難を乗り越える力をお与えください」と祈るのだという。
どこか通じるところがある考え方なだなと個人的には思っている。
熱心だったうちの母も、往時ほどには活発に活動していないし、「最近の学会は池田教にみたいになっていて嫌だ」とこぼすこともある。
私にこぼすどころか、同じ地区の会員らにはっきり「先生、先生といって、池田教みたいになってることには抵抗を覚える。牧口先生も戸田先生も尊敬しているが、池田先生は私たちの信仰を導く同士であって、信仰の対象ではない。私の信仰の対象は日蓮大聖人であり、南無妙法蓮華経であって、池田先生ではない」ということを伝えて活動している。
だからっつって別にそれでハブられたりすることもなく、仲良くやってるようだ。
今は離れて暮らしてるので、母体のしっかりした、善人の多いコミュニティにいてくれて安心だなーと思ってるところすらある。昔に比べて会自体がマイルドになりつつあることもあるだろう。
母は亡くなったら友人葬(学会員の葬儀スタイル。特段にお金はいらないと記憶している)で送ってほしいということだから、この前帰省した時、地域の取りまとめしてる方にご挨拶をして、実際にことがおこったとき誰に連絡して、どうすればいいのかという話をきいておいた。
葬儀屋の方も心得てるし、我々にも「しょうてんぎ長」(だったかな? 漢字わかんない)っていう係の人がちゃんといて、ネットワークがあるのでまったく心配ないとのことだった。
事前にどうすればいいのかわかんないとアワアワしそうだし、その話はきけてよかった。
公明党については…そもそも新進党がどうのみたいな紆余曲折も幼心に疑問ではあったのだけれど、大学のころくらいは、政党として悪くはないんじゃない、まっとうなんじゃないくらいには思っていた。
でも連立が長引くにつれてそういう気持ちは消えた。
チラッと書いたけど投票もしてない。
親はしてると思ってるけど、私は入れませんとか言って老いた彼女を悲しませるのは本意ではないので、口では「入れてるよ」と言っています。
創価中・高増田はその内容の中身のなさを看破していたが、なんか普通に「キング牧師は言った! ○○と!」みたいな引用でも抑揚のつけ方、話し方がすごくうまくて、声にも不思議な魅力・よさがあると思う。
教えより何より池ちゃんスピーチ(中身がないのに説得力があり魅力的)が一番カルトっぽい。
こういってる私も昔の池ちゃんのスピーチを新年勤行会でプレイバックしてるのきくとなんか感動してしまう。
ただし会館を出るころにはさっぱり忘れてしまうのだが。
やっぱここまででかい宗教になったのはひとえにこの人の力であり、この人を先生先生と言ってる限りはカルトのそしり免れ得ないのだろうな~と感じる。
そこがうちの母なんかが納得いってないとこなんだよな。
一般社会と同じでいろんな人がいるとしか言いようがない気がする。
ヤフコメで、「自分は二世だけど、自分で努力して成し遂げたことも、家族にはすべて「ご本尊様のおかげ」で済まされてしまい、自己肯定感が著しく下がった。今はそんな実家と距離を置いてる。大嫌い」、みたいなことを書いてる人がいて、あーなんかこれ学会の人超言いそう、コメ主の気持ちはなんとなくわかるなと思った。
うちの母も「あんたがこんなにいい子に育ったのは私がご本尊様に祈ったからよっ! 子どもがほしくてほしくて祈ってできた。信心のおかげでさずかった」とよく言っていたから。ていうか今もいってる。
しかし私は、自分のあげた成果(たいしたことはいっこもない)を母に「ご本尊様のおかげ」と横取りされたと感じたことはない。
いつだって私自身をすごく肯定して育ててもらったなーと思っているし、今もほぼ全肯定でいてくれるありがたい存在だから、私も母のことについて、できる限り肯定的でいたいなと思っている。
母が子を授かりたいと思って祈り、さずかり、育てながらやはり絶えず祈ってきたというのはただの事実であって、そこを否定する気持ちはない。
そういう経緯で生まれて育てられてきたこと自体も含めて私なんだろうなと思うし、それが嫌だなと思う気持ちはない。
全然関係ないけど、7年くらい前、長崎旅行で友達に買ってきたお土産のミニよりよりを母が勝手に食べてしまい、わるびれもせずに「あんまりおいしくなかたった」と言い放ったことに対して、めっちゃ怒ってしまったことがあったんだけど、最近それをよく思い出しては胸が痛くなる。
なんであんなに怒っちゃったんだろう…別にいいじゃん、それくらい。
地元の会員さんが絵手紙に凝っていた時期があり、4年くらい前の誕生日に、色紙にあじさいの絵と『御書』の一節を書いてくださったことがあった。
うすあおく、うすむらさきでもあるあじさいの花にかこまれ、こう書いてある。
「鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日あまり歩みを運びて、今一日になリて歩みを差し置きては、何として都の月をば詠め候うべき」
信仰や思想信条にかぎらず、「途中で投げ出すなっつーに」というのは、いつだってどんな局面だってシンプルに心にしみる言葉だなと私は思っていて、いただいてとてもうれしかった。