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はてなキーワード: 自力とは

2021-03-12

anond:20210310120801

論点が定まらないこいつ自身、自頭の良さについての謎の幻想をもっている気がする

教科書的なパターンでなく自力で最適解を導き出せる応用力のことを自頭の良さとして評価しているのであってとんち出題とかは関係ない

公立学校入試教科書で教わるパターンで解けるものを出しているし、私立学校入試とごちゃ混ぜにしてないか

入社試験は教本の基礎レベルができていればOK試験もあるし、高度な職能を求める技能職などは解法と正解が一つでない課題を出す傾向がある

自分の頭の悪さを世間のせいにするんじゃありません

2021-03-11

anond:20210311084114

数学能力に限っては、できるやつは自分でできる

発達の早い遅いはあるかもしれないけど、中高で数学できなかった奴が大学数学出来るようになった例は知らない

大学レベルまで行ったら良き師良き友に恵まれなければそれ以上伸びないが、宮廷理系合格くらいまで自力で到達できない奴は数学者になるのは無理

2021-03-09

ahamo記事について 「実際に書かれていた事」と「ブコメによるストーリー

まず前提情報を共有したいのだが、あの記事

・「携帯メールが使えないとわかり諦めた」という人がどれだけ居そうなのか

利用者携帯メールを何に使っているか

総務省調査では○割の人が携帯メール理由に他社へ移行できないと考えていた

総務省ドコモ関係者のやりとりを勘案すると、将来ahamoでも携帯メールが利用できる可能性がある

という記事なんだよね。

(ちなみに日経無料会員でも月10本有料記事が読める)

キャリアメールからの切り替えが自力でできない人」「努力しない人」「サポートが欲しい人」「老害層」の話として書かれているわけではないんだよね。「携帯メールサービスを"無料"で提供しろ」「窓口対応しろ」という主張が書かれてるわけでもない。

それなのに「"そういう層"が文句言ってる!」「頭悪い不平不満」「文句だけは一人前のクソ客層」と勝手に頭でストーリーを作って叩いている人がいるのはなぜだろうか。

「ろくに記事を読んでない」

「誰かが叩いてるから乗っかる」

「常日頃から特定層に対して思ってる言葉ポロリと出てくる」

というところなんだろうか。

https://anond.hatelabo.jp/20210308191423

2021-03-08

anond:20210308031513

アメリカ場合はそうはならんやろ。

福音派トランプの支持者が多かったのは散々言われてることやし。

ついでに言えばキリスト教人間原罪があると考え人間を善の側に置かない宗教なので、人間自力社会正義を実現することを善しとするポリコレ的な思想とは根本的な部分で噛み合わない。

ポリコレは確かに広がってるけどアメリカにはそれに信仰レベルで強烈に反発する人たちもいるのでそれを無視するとアメリカという国を見誤る。

anond:20210308131411

流石に、自分で具体を求めておいて、資料本体自力で用意する気がないのは良くない

2021-03-07

[]考察考察厨に関する考察

 自分の好きな作品を深く考察する、というのは本来知的な行いであるはずだが、どうにもイメージよろしくない。特にウェブ上で公開されているような考察は、ほとんどが行き過ぎたこじつけで、作者もそんなこと絶対考えていないだろとしか言いようがなく、その独りよがりっぷりが気持ち悪くさえある。俗に考察厨と呼ばれる彼らだが、何故あのような状態に陥るのだろうか。そもそも考察は見ていて明らかに良し悪しを感じるが、これはどのような基準によるものなのだろうか。考察厨について考察するというメタなことをやってみた。

 まず初めに分かっておかなければならないのは、考察解釈)は自由であるということだ。考察ができるという時点で、それは作中で明示的に語られていない事柄があるということで、それをどう解釈するかは読者に委ねられている。しか自由からと言って好きにしてもいいのかと言えばそうでもない。何故なら考察者は作品に隠された作者の意図というひとつの正解を目指しているからだ。つまり考察とは答えの無い問題ではなく、答え合わせの無い問題なのだ。これこそが考察において誤解してはならないポイントであり、最も難しい所でもある。考察者は答え合わせの無い環境で、自分評価自力客観的評価してやらなければならないのだ。

 さて、考察厨の考察で最もありがちなのは、何が何を暗示しているだの、象徴しているだのといった情報を思いつくままに書いてそれで終わってしまっているパターンだろう。作品は無数の要素から構成されており、暗示的な意味など実のところ、いくらでも抜き取ることができる。考えついた人にとってはもっともらしく思えるし、考察者に対して肯定的人間なら「すごい! そんな意味があったなんて!」と言ってくれるかもしれないが、傍から見るとふって湧いたように唐突ものとなってしまう。これは要するに作者が意図して秘めた要素でない要素を解釈してしまっている状態である。難しいのはこの種の解釈は正解ではなかったとしても間違っていると云う根拠も示せないところだ。多くの人が感覚的におかしいことは分かっても、それを説明することは難しく、結果的客観性のない考察が横行してしまうことになる。

 では、正しく、そして作者の意図に沿う考察とはどのように行うべきなのだろうか。指針となるのはずばり、作品テーマ文脈コンテキスト)、あるいはストーリー構成といった作品に対するマクロ視点である。何らかの意図を込めてデザインされた作品は、論理の展開にも似た一定の流れを踏んでいるものだ。最も分かりやすいのは作品結論、あるいは一言で言い表した場合テーマなどで、これは大抵の作品においてクライマックスエンディング、あるいはタイトルなどの中で分かりやす提示される。この結論が分かれば大まかなコンテキストを逆算することができ、それに沿う形で抜け落ちた部分を考察していけばいいのである。逆に言えばコンテキストの中で役割を持たない暗示については無視していい。正しいかどうかの判断ができないし、作品作りの過程で偶然そうなっただけの可能性さえあるからだ。

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』はタイトル作品テーマとなっている分かりやすい例だ。作中で主人公は、「ライ麦畑で遊んでいた子供が崖から落ちそうになった時キャッチして助ける、そういう人になりたい」と語ってる(手元に無いので不正確かも)。当初は抽象的な話として語られているが、物語として考えるなら、この話は主人公が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』になった所で終わるのが一番自然だろう。そこで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の具体的な意味が示されており、当然その対になる『崖から落ちそうになっている子供』も存在しているはずだ。ここまでは読めば明らかなことで、考察というより読解のレベルだろう。(とはいえ、このことさえ分かっていない人もいる。念のために言っておくと、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は中二病の人ではなく、中二病の人を『助ける人』こそが主題だ)

 ここで定番の『赤いハンチング帽に関する考察』を見てみよう。この考察では、帽子を受け渡すシーンが『キャッチャー』と『子供』の役割の交代を示している、とされている。成程、たしか主人公は『キャッチャー』になれただろうが、作品を通して『崖から落ちそうになっていた』のは寧ろ主人公の方だ。相手が一緒に『崖から落ちそうになった』結果、主人公は踏み止まった。『キャッチする』と同時に『キャッチされた』とする解釈は、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』がつまりどういう人なのかということをより具体的にしてくれている。作者がその解釈の手助けとして『帽子』という象徴を仕込んだ、とするのは非常に合理的で腑に落ちる話だ。コンテキストに沿った上でコンテキストを補強している、まさに美しい暗示の好例と言えるだろう。

 このように考察コンテキスト相互に補強し合う。ゆえにコンテキスト意識することが考察の最大の指針であり、評価基準となるのだ。

 最後に実際上の話として、考察文の取捨選択について触れておこう。考察というは時に長大で、全て読むというのは結構な苦労を伴う。一目で考察の良し悪しを判定できる手段が欲しい、という気持ち共感できる人も多いだろう。実のところ、このコラムを書いたのは、これを自分の中で纏めておきたかったがためだ。まず経験的な話として、悪い考察文というのは得てして読みづらい。その理由は実はここまでの話で明らかになっている。考察者が全体のコンテキスト意識していない場合、部分部分の考察が全体の中でどういう役割を持つか分からない。つまり情報としてバラバラで一連した意味が分からなくなってしまうのだ。一貫した流れの無い文章は読みづらい。これは正しい考察工程と一致しているかどうかと同義、つまりは『読みにくい考察≒間違った考察であると思っても構わないわけだ。厳しく判別するなら、最初考察者が全体のコンテキストを明示しているかどうか、というのはひとつ基準になるだろう。全体像を共有する、あるいは用語統一しておき、その上で個々の解釈を全体の各所に当てはめていく、というのは良い考察なら自然帰結としてそうなるだろう(考察者が単に情報伝達に慣れていないだけの可能性は残るが)。逆に不味いのは部分の考察からスタートしているもので、これなら先に結論部分を読むのが良さそうだ。結論部分でも全体像に触れていない考察であれば読む価値は間違いなく無い。

2021-03-06

避難所記事でひどいコメに星つけてる奴って謎だわーと思ったけど

ごく一部のひとだったわ。はてなヤフコメかに比べればまだまともな人が多いんだな。

避難所で性行為強要DV悪化… 被災地であった女性への暴力その後【東日本大震災】 | ハフポスト

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60416a92c5b613cec15c66a2



Saint-Exupery そりゃ死を目前にしたら交尾するでしょ。それこそ本当の人間らしさ。交尾めぐり殺し合うのが生物としての正しさでもありそれを否定するのは人間としてどうなのかと。あるべき人間らしさは積極的肯定しないとな

☆masudatarou

tetora2 秩序が維持されていない場所ではこんなもん。男女同権、自主自立の原則に則って自力で何とかしたらいいんじゃねえの。俺は非常時なら身内と部下以外は救う気ねえわ。

☆yoshizawa81 ☆tokage3 ☆sennnchou

toro-chan 言いたいことは分かるが、一方しか見てない記事災害時になぜ男女格差が広がるのかを無視しすぎ。災害時は力が正義。間違ってるなど言っても意味はない。その事実を見ないで一方を非難しても何も始まらない

☆sennnchou ☆masudatarou

yoshizawa81 まあ、当然に性暴力は悪いことなんですが、19年のホームレス台風避難所受入拒否関東大震災での虐殺などを考えると「災害時に性犯罪対策をすべき」という主張の危うさは感じますね。ヤバい自警団が始まる。

☆tamtam3 ☆toro-chan ☆Nao_Y

dahlia_osaka 昨今跋扈するメンヘラクソフェミと、NHKゲンダイさらハフポストが絡んでいるせいで全く信用できない。異なる経路を選べばいいのに

toro-chan ☆yoshizawa81 ☆Nao_Y

masudatarou 日本は〜とか言ってるアホ多すぎる、人類普遍の話だわ死んどけドドドアホ共が 女は甘えすぎ、警察力が期待できない時はナイフでもいつも携帯して刺し違えても抵抗しろ 殺されなかっただけ感謝しとけよマジで

newoihv253 ほんとに強姦されたなら捕まえてもらえばいいじゃん

anond:20210306113947

東大生でも親が金持ち教育資金ガン積みみたいなヤツより地方公立高校から自力東大行ったやつのが優秀だよね。

裏を返すと本来優秀で東大に行くべき人間東大に行けず、逆に都内の塾のせいで分不相応学力をつけてしまった馬鹿東大に入って「東大生が考える〜」みたいな馬鹿な言説を撒き散らしている可能性があるんだけど、元増田はどうかな?

anond:20210306105251

駄目だった人を全力で矯正してた人がいたんだけど、駄目な2人目が来た時点で壊れた(今はもういない)

世界自力更新は程々に

2021-03-04

教育資本無視して努力を過剰に語る奴らは教育資本が低かった人間が多いよね



よく塾通えないとか参考書買えないか勉強できないのは甘え、努力してなかったのを誤魔化す言い訳

学校先生に「ウチ貧乏なんですけどここの大学行くのにどうしたらいいですか?」って聞いたら教えてくれるし

参考書過去問学校にあるからいくらでも貸してくれるぞ、ITだってそうで技術なんかネットで独学できるからプログラミングを覚えて制作物を上げて就職すればいい

っていうネット民や増田多いけどさ

最新の参考書使って塾でバリバリ対策受けてる連中や、投資金使わないと怒られるから何でもいいかプロジェクト制作物作ってくれよ!使えなくてもいいけど最新技術バンバン使ってええぞ!なんてやってるGAFA大企業エンジニアたち相手にその程度で勝てなんてまあ無理よな

東大生や現状イグジット狙いの詐欺ベンチャー以外のトップ企業や真性の技術ベンチャーや、増田エデンの園のように崇めるGAFAエンジニアで、親が生活保護や片親や年収平均割ってる層とか増田みたいな学園物の萌えアニメ学校いじめられて通ったことないかファンタジー世界に見えるみたいなヒキニート高卒ってのが何人いると思うんだよ?

一流講師と最新の教育システム、徹底した対策講座でフル武装した連中がゴロッゴロ国立を受けて、最新のコンピュータサイエンスバリバリ学ぶ奴らに

そこらの毒親サバイブ家庭や生活保護家庭やリゼロスバル無職転生みたいなニートブラック企業勤めの奴が教師の助言と昔の参考書OSS貸して貰った程度で自力で戦えなんて無理だよ

アメリカ軍の最新式のストライカー装甲戦車に家にある包丁や家の裏の竹で作った丸木弓で挑むようなもの

努力がどうのという水準ですらない

技術レベルが違いすぎてお話にならないの

なのにこういう連中は自分がそうでお情けで生かされてるのに

貧乏無能なままにはそれなりの理由があって

その癖これから受験ビジネスマンは単純な学力じゃなくて人間性を観る」とか言い出して

それこそ貧困家庭逆立ちしても勝てなくなる

今やアイドルなんかを選考するのも今はこの要素強いというし

貧乏人のガキがいきなり金握ったらおかしくなりがちだから

金に苦労したことのない子を選ぶのが安牌だと

そういう意味では過剰な努力論者ってぶっちゃけ現実逃避なんだよな

身の程を知れって言ってやるのが正解なんだと

anond:20210303192308

ごく稀に手続きしますが確かに面倒ですね

不正受給無くすのに必要っちゃ必要なんですが、、申請事務はこんな感じか(電子申請してないので紙ベースしか分かりません

・出勤状況分かる資料(タイムカード一年分)

給与が分かる資料(賃金台帳等これも一年必要だったかな、、半年かも)

を準備。

で、それを元に普段見ない所定の様式(カーボン紙で3枚綴。いつの時代だよ、、)に出勤日や給与を全て記入(給与もどこまで含めるんだっけ?てなる、、)

もう一枚様式があるので、期間等記入。

あと、その様式休業者本人に署名もしくは記名押印もらうのと、金融機関証明印(最近かもしれませんが通帳のコピーでもok)

あとは母子手帳の子供の出生日が分かるページのコピー必要か、、

んで、それらの書類を出生56日後以降にハローワーク窓口に提出。

書類準備は慣れてたら1時間くらいで出来そうかな、、

大体は忘れてるので半日かかったりする。よく動いてくれる社労士さんいればお任せできるけどお金かかるので自力でやってる。

ざっと思いつく感じで書いたので、間違ってるところあるかもしれないのと細かい条件が結構あるので明らかに間違ってるとこ以外はスルーしてね

書いた後に確認したら読みにくいな。ごめんね

anond:20210304101622

いやいや。

ここはみんなのアイディアを出し合って、どうやったら洗脳されないのか、もしくは洗脳自力で解く議論の場にしたいんですよ。

2021-03-02

”上の下”の謙遜

ひどすぎるお気持ち文章です。

私はおそらく、“上の下”くらいの人間だ。

大抵の事柄は上手くできる。

素人に混じれば超人扱いの特技もある。過去模試の成績などを参照するなら、世間一般的に頭は良い方だろう。

親に褒められたり、再会した友人に凄いと言われたり、ネット上で反応をもらえたりすることも少なくない。それは純粋にうれしい。

ただ少し問題がある。

謙遜”という行為が素直にできないのだ。

私が育った環境は、いわゆる“上の上”に位置する人間で溢れかえった環境だった。

学校にせよ、習い事にせよ、同じクラスには全国レベルがいる。私が知らないだけで、隣のクラスには世界レベルすらいたんじゃないかとも思う。

天才と一括りに言ってしまうと努力している人に申し訳ない気がするが、いわゆるそういう天性の何かを持ったような人たちが集まる空間で育ってきた。

その環境文句はない。(ないならこんなの書くなって話だが)むしろ感謝している。実際それでたくさんの素晴らしい友人を持つことができたのは事実だ。

そんな人たちと確かに同じ空間で学んで育ったけれど、私は天才ではなかったし、あとから天才になることもできなかった。

学校劣等感を覚えることはなかったと言えば嘘になる。嘘にしかならない。毎日感じていた。全くわからない長文を瞬時に理解できる友人、簡単に数式を立ててのける友人、簡単に筆者の意図を読み解ける友人。私よりできる人しかいないような空間で、ひどい点数を取り続ける。

親は私が落ち込んでいるとよく「あの学校でこのくらいなら十分だ」と言っていた。

たとえば中学の同期に会うと、「あん学校に行くなんて」「すごいね」という言葉が飛んでくる。私は曖昧に笑うことしかできなかった。

私は下手に負けず嫌いなくせに、自己肯定感が低いとてつもなく面倒なタイプ人間だ。

そんな私があの環境で育てば自然と「私は全然凄くない」というお気持ちがでてくる。

それでも世間は私を凄いと言う。

実際私が自分学歴を「ぜんぜんです」と否定したら、冗談抜きで相手にキレられるだろう。私としても申し訳なくて言えない。本当に素晴らしい学校だったから。

だとしても、私は自分を素直に誇れない。誉め言葉を受け取れない。

すごいと言われたことのあるものは全部私よりできる人が周りにいた。誉め言葉を受けとっても脳内に浮かび上がるのはその友人の顔だ。

以前までは即座に謙遜していた。

「そんなことない」「私なんてぜんぜん」「私よか凄い人いっぱいいるし」

本心なのは間違いなかった。その謙遜相手に失礼だったと最近やっと理解できたレベルで私は愚か者なのだから。ただ理解してしまたから、今は解決法が見つかるまで曖昧に流すようにしているが。

もう一度言うが、環境や友人に不満はない。一切ない。あるわけがない。恵まれていることも分かってる。贅沢な悩みなんだろうとも思う。

でも私は馬鹿から、誉め言葉を素直に受け取るためにはその分野で実際に頂点に立つしかないんだと思い込んでしまう。

私は“すごい”のか?

仮に“すごい”としても、“もっとすごい”人が隣にいるから、称えるのは私じゃなくてそっちだよ。

ちなみに友人を妬んでるつもりは一切ないのだが……この性格なので否定はできない。

ただその人はいつも努力していたし、その絶対量は私より確実に上だ。だから当然のことだと考えているつもり。

ここまで書いておいてなんだが、私は自分が何を言いたいのかすらよくわかっていない。

ただ気持ちを吐き出したいだけなんだろうが、言葉をまとめることすらできないような凡人以下の存在だ。

でも私が自分卑下すると相手に失礼な態度をとっていることになる。

小心者なので、自分ミスを犯したとき予防線も欲しいから余計傲慢になれない。

なんでこんなくだらないことで悩んでしまうのか。原因は私の言葉の受け取り方だとわかっているのに、自力で治せないあたりやっぱり私はダメ人間だ。

完璧超人にでもなりたいのか?と聞かれそうだが、なれるんならなった方がいいと思う。

なれないとわかっているのにこう考えてしまうところも愚かだと思う。

上には上がいる。そんなの当たり前だ。本当の頂点に立つ人がそう身近にいるはずないこともわかってる。実際私が天才だと思っている人もトップレベルなんだろうが、きっとトップではないのだろう。そう思うと本当に虚しくなってくる。そう思う自分が虚しい。

最初から最後までひどすぎる文章だったが、もし対処法知ってる人がいて、教えてくれる親切な人がいるなら聞きたいからここに投下しておく。

私のような面倒くさい輩のまとまりのない文章最後まで読んでくれてありがとう

anond:20210301215725

現代アカで CNS を修士二年で複数ってそれ絶対自力じゃねえよ受け継いだ研究たまたまシュート決めた奴でしかない

というかそれ教授愛人以外ありえるか?

アカで本当に優秀かどうかは正直論文数とか雑誌じゃ全然からない

修士の間に助教に声がかかっている奴だけは本物って言える

退学助教コース今はもうないとか言われがちだが今も普通にいる

2021-03-01

anond:20210301140709

トリガーポイントを探せ

腕のいい整体に当たれば楽だけど

自力でも行けなくはない

運動だけではこりは治らない

マッサージしないと無理だぞ

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(1)

日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。

芥川龍之介河童

どの作品を入れるべきか迷った。古典翻案に見られる知性とユーモア晩年作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。

河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界架空言語に魅せられたのか、その理由はわからない。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン雪の女王

アンデルセン小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。

で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。

ところで、ディズニー作品価値貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニー普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)

グレッグ・イーガン祈りの海」

「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンニュートンアインシュタイン物理学自力発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者エンジニア最高、政治家宗教家文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。

そうしたえぐみ比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。

カズオ・イシグロ日の名残り

友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代適応できない英国執事物語である

彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものから登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。

カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。

ミシェル・ウエルベック素粒子

彼の作品不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい

作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯思考した書物である

ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人

僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。

そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物意識から別の人物意識へと、外界の描写連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。

灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。

ミヒャエル・エンデはてしない物語

さえない少年万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれしまう。これは主人公異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式チートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白小説なのに、その小説現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。

ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆メッセージストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。

円城塔文字渦」

基本的自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉文字物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。

元々SFの人だけれども、最近日本古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。

遠藤周作沈黙

どうしてこれほどあなた信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやか奇跡あなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。

以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。

ただただ弱くて情けない人物遠藤周作作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。

イタロ・カルヴィーノ「冬の夜一人の旅人が」。

男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。

世界文学パロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマ物語レベルメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。

ダニエルキース「アルジャーノンに花束を

知的障害者チャーリーゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者セックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。

チャーリー女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。

天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」

素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。

アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。

人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙意味があるのか。

人類運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。


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2021-02-28

旧帝大助教普段何をしているのか

30代前半で旧帝大助教 (任期無し)。我ながら、この業界では勝ち組と呼ばれる部類だと思う。

日本トップクラスとも言えるこのポジションで、私が普段何をしているのかを書いてみたい。

研究指導 (12 時間/週)

私の在籍する研究室に居る学生のうち 8 名 に対して研究指導を行っている。各人に対し、一対一のミーティングを週に 1 時間半行うため、トータルで週 12 時間となる。

基本的に、私がやれば 2 週間で片付くような作業に 2 年くらい費やす学生が大半だ。旧帝大とは言え、自力英語論文の読解や、プログラムバグ取りができない学生の方が標準的なので、これはまあ仕方がない。これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組む他ない。

研究室内の輪読会 (3 時間/週)

専門書を学生だけで読むのはハードルが高く消化不良にしかならないため、解説役として教員が参加する必要がある。私は 2 種類の輪読会に参加し、各 1 時間半を費やしている。

研究室の中間発表会 (4 時間/週)

学生研究の進捗を研究メンバー全員で確認するための会。他の教員から指導学生テーマについて意見をもらう貴重な機会。

学生実験 (8 時間/週)

学部学生向けの実験科目を二つ担当している。各およそ 4 時間で、週 8 時間。午後が丸々つぶれて体力的にもしんどいが、これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組むしかない。

なお、昔は助手二人で一つの実験だけ面倒を見るという体制だった (らしい) のが、いまは助教一人で二つ担当しているので、負担は 4 倍になっている。

学内委員会など雑務 (3 時間/週)

大学学内には教員でローテーションしている様々な雑務存在する。例えば広報なら、ホームページ管理からオープンキャンパスの準備まで幅広いお仕事がある。これで賃金をいただいている以上 、真摯に (以下略

研究室内の雑務 (3 時間/週)

研究室の環境整備は若手教員仕事である実験ハードウェアソフトウェア調達メンテナンス学生使用物品やアカウント管理などなど、細かい仕事がいろいろある。

学会関連の雑務 (3 時間/週)

学会運営 (研究会の準備など) は主に大学教員ボランティアでやっている。もちろん実行部隊は若手である。昔と違って若手が少ないので、所属する複数学会運営雑務をこなさなければならない。私の 3 時間/週はかなり負担の軽い部類と思われる。

論文査読 (4 時間/週)

査読付き学術誌の品質担保しているのは当然、ボランティア査読である基本的に、自分論文掲載された論文から査読依頼は、引き受ける道義的義務があると思う (自分論文ボランティアで丁寧に査読してもらったわけなので)。

毎週あるわけではないが、月に 16 時間くらいは査読に費やしている (これは少ない方だと思う)。

まとめ

ということで、以上の項目の合計で 1 週間の所定労働時間 (8 時間 × 5日 = 40 時間) は終わりである

え?自分研究

毎日 3 時間ずつ残業して、土日も 8 時間ずつ出勤すれば週に 31 時間研究時間が確保できますよ。いつも脳みそクラクラで死にそうになるけどね。

おまけ

上記を読んで何か違和感を覚えなかっただろうか。そう、私は若手助教にも関わらず、「教授雑用」を押し付けられていないのである

これは私のボス聖人君子 (SSレア) なので、「若い人は研究時間を確保しなさい」と言って、雑用を全部自分でやってくださるのである

多くの助教は、教授押し付けられた雑用残業時間を食いつぶしてしまうらしい。しかし、これは決して教授がサボっているというわけではないということを強調しておきたい。そもそも教授自身も異様に忙しいので、並みの事務処理能力では、手助けなしに雑務をこなしきれないという悲しい現実があるのだ。

anond:20210228121158

自力で変えられないくせに他人に期待すんな。

増田ってこういう自分は逃げる癖に変われって他人強要するバカが多いよね。

したことのない人間は逃げるか順応するかしかないんだから、「これはもうだめなんだな」ってすんなり諦めとけ。

胸糞悪い。

2021-02-26

anond:20210225224433

かに偏見助長する発言だ。言い方や言う場所を選ぶ必要が有ったと思う。自分も気を付けたい。

それと同時に、障害者施設というのは自力で行動できるアクティブな人たちが利用している場合が多いのであり、現場を見たことあればわかると思うけど通り魔的にハッスルする性犯罪者(健常w者含む)は不特定(といいつつ、直感的に勝てそうな体格の子供や女性に的をかける)多数の被害者を、そう、多数の被害者をごく短時間でも生み出してしまうんだよ。人混みなら気づいて驚いてあっあって言ってる間に次々向かっていく。電車や駅で往来で学校で見たことないかな?あと路上痴漢強姦狙いの奴らが通学路や夜の住宅街でたくさんの未遂を含む加害をしていく。

結果としてだいたい男には行かないから、恐怖や回避するための日常へのダメージコスト理解されず、無理解簡単残酷に嘘扱いすることが被害者の口をつぐませてきた事をも認知の外にしている。

あの発言はいかにも叩くに相応しい差別発言ではあるけど、被害者は沢山いて、普段から差別はいけない優しくと言われるのをよく聞いていて、逃げ遅れて被害にあう人もいるんだ。

被害をまるでなかったみたいに発言を責めるコメントだけで済ますな。

anond:20210226161918

おっさんでもオプション次第で売れるし

そのオプション自力解決できない「顔」か、それを今から身に付けられる環境ならそもそも生活に困ってない「筋肉」だぞ

2021-02-22

anond:20210222170615

それは「参考書」のことではないだろうか?

特定教科書攻略本参考書のくくりでうっている

あるいは注釈本とか

元が論文場合引用論文とか

 

巨人肩に乗れない人のために階段はいくらでもあるじゃん

ハゲ漫画だっていくらもある

 

他のトラバ見ておもったけど「~の読み方」「~の歩き方」「~読本」などの語尾がついてるのもあるな

ブラックジャックによろしく」は別に攻略してはいないけど新釈ブラックジャックなんだろうな

そういえば橋本治の「桃尻語訳枕草子」ってあったし与謝野晶子の「源氏物語」もあるな

古文くらいだと自力で原文よめないみなさんが買ってくれるんだろうけど原書読める人が多いばあい家庭教師に聞けってことになるんだろうな

2021-02-21

ホロコースト否定者の出鱈目さ(高須はどうでもいい)

ホロコースト否定者というのは基本アホである

あった・なかった以前の問題で、言ってることやってることそれ自体無茶苦茶なのだ

どれほど無茶苦茶で出鱈目なことをやっているか、一例をあげよう。

 

西岡昌紀木村愛二という1990年代ホロコースト否定ちょっと話題になった人がいる。この二人は、ホロコースト否定の仲間である

 

 

 

私は西岡Twitter上でつい最近やり取りした。必要以上に詳しい内容は書かないのでそんなもんだと思って読んで欲しい。

 

西岡の本に否定論界隈では有名な話が載っている。「137人のドイツ人捕虜睾丸が修復不可能なほどアメリカ兵によって蹴られた」という虐待である。その話自体はどうでもいいので割愛する。

この話が、いったいどこに書いてあったのかがポイントだ。

西岡は「国会図書館にあるから読め」と言う。

この時は西岡本を読んでなかったので、西岡ブログしか知らなかった為、「文献名も知らないのに読めるわけねーだろ」と私は噛み付いた。

すると、西岡、文献名を示した。後でわかったが、その文献名は西岡本に書いてあったそのままである(実際には一文字抜けてたが)。

今時、文献名などググるだけで見つかる時代である

ところが、どういうわけかなっかなか見つからない。でも、Googleさんは偉い! ちょっとくらい単語が違っても似たような候補勝手に探してくれるのである

それは、アメリカ合衆国の政府サイトだった(ちなみに彼らの著書の執筆である1990年代には存在しなかった)。

そしてそれは確かにあった。しかし、資料名がかなり違う。西岡の言った文献名の「Report」は実は「Record」だった。しかもそれは、正しく記述したとしても、文献名そのものではないのである

実は、西岡が書いた文献名は、その資料のいわゆるヘッダーに記載された文字だったのである

どこの世界に、文献名ではなく、ヘッダーを記載するバカがいる?

なぜそうなったのかは、実はその資料木村西岡にそのコピーを渡したものであり、木村国会図書館簡単に見つかった!と自著で豪語していた資料だった。

まり木村西岡にきちんとした文献名を伝えなかったのである。そして西岡木村確認もしていない。ヘッダーに書いてあったからそれをそのまま脚注文献名に書いたのだ。アホか……。

木村西岡に「ここにあのネタが書いてある」しか言わなかったに違いない。

私は、西岡に怒った。違う文献名を書くとはどういうことだ? と。でも西岡は、木村国会図書館にあると言ったから、とか言い張るのである。お前著者だろ? 文献名も知らないで自著に全然違う文献名を記載したのか? と文句言ってやったが、まだわかってないようなので、私は今度は国会図書館ネットを通じて探した。

 

ところが。

 

正しいと思われる文献名で検索しても、まるで見つからないのである。この辺の事情ちょっとややこしい。アメリカ政府サイトの文献名が正しいとは限らないからだ。その文献名はあくまでも、ネット上の資料を示している。

それで、文献名の単語の組み合わせを工夫したりして、延々と探し続けたが、今度はそうすると、ヒット件数が多くなりすぎたりして、どれがどれだかさっぱりわからない状態が続いた。

イライラしてきた私は西岡に「木村のやつ嘘ついてんじゃねーのか? 国会図書館に見つからないんだが」と言ってやったが、西岡木村に対する信頼は揺るがない、絶対にあるはずだという。

そこまで言うならと、国会図書館に直接問い合わせていやったら……あった。しかし、外部から絶対検索できない文献名だったのである国会図書館もどうかしてると思うけどw)。

見つかったので、正直言えば、ある程度は嬉しかったが(自力で苦労して見つけたから)、それだけ苦労させるとはどう言うことだ? お前が知ってなきゃおかしーだろ? と西岡に噛み付いたらやっと西岡は謝ったのである

 

だが、疑問は終わっていない。その文献は、アメリカ議会記録というもので、議会での議論を記録するものであるアメリカ政府1800年から延々とずっと記録し続けている(大抵の国はそうしているが)。そして適当な日数分ごとに製本してまとめて保管している。

から、膨大な量の議会記録が存在するのである。一冊あたり、私が見つけたその冊子だけでも一千ページはゆうに超える。それが数えきれない冊数が存在する。

もちろん、「137人の睾丸事件のあった年代はある程度は絞れる(これ自体は別の本に載っている)。しかし、それでもどう考えても何千ページもの記録から探し出さねば絶対に見つからない。

と言うよりも、その情報議会記録にあるとどうして知ったのだ? もちろん時期も含めて。

まり木村が自著で豪語したような「簡単に見つかった!」は絶対にあり得ないのだ。それは誰かから情報をもらったからとしか考えられないのである。多分、その情報上院議会のある特定の日の議論にあるとだけ教えてもらったのだ。

そんなもん、英語さえわかれば誰でも簡単に見つけられるわ!バカタレ!

それは、細かくいうと第95巻のvol.1という108ページ分の塊の中にある、冒頭ページから20ページ分くらいのところにある情報だったのだ。

俺でもあっさり見つけたわ!バカが!情報を知っていたからだ。西岡の言ったヘッダーにある日付分だけを探したのである

 

とまぁ、あいつらは何から何までこの調子なのだ

どうして、そこの情報欧米リビジョニストから教えてもらえたか(もちろん知り合いだからだが)、は簡単理解し得る。欧米リビジョニストの多くがお気に入りにしているネタであり、元ネタ記載事実上そこにしかいからだ。

元々はある古い雑誌記事なのだが、1949年当時、議会の中で、その記事のことが話題になり、議会記録に記録することになったかである

当時の雑誌を入手するのはアメリカ人ですらかなり難しいそうだ。

が、有難いことにある程度の規模の図書館なら、議会記録は存在するので、アメリカ全州で簡単確認可能なのである

日本でも、国会図書館にだけは存在する(その後調べたら、戦後占領政策をやったGHQ米国政府議会記録を日本国会図書館に保管するようになり、この業務が停止されず延々と続いたそうだ。ただし、今はアメリカ政府サイトで容易に閲覧可能なので、近年の議会記録については国会図書館に保管はされていないと思う)。

このことを知っていたら、情報だけで日本人も容易に見つけられる。

 

ところがまだ話は終わらない。

 

西岡とこの話を最初にしていた時、私が言いたかったのは、上院議会のことではなく、その事件に関する公聴会の報告記録の方だった。ところが、西岡上院議会公聴会区別がついていないのだ。だから西岡自分が所有している木村からもらった上院議会記録のコピー用紙の中に公聴会の記録もあると、訳のわからないことを言うのである

そんなもんある訳ない。だって公聴会の報告記録は上院議会記録とは全く別のものである上に、議会記録は日本にも関係するから国会図書館に所蔵するとしても、細かい公聴会報告までいちいち国会に所蔵するわけがない。しかもその公聴会報告は「137人」事件否定するものでああり、リビジョニストが知っているわけがない(知ってたら、リビジョニストに都合の悪い話だから、自著に絶対に137人事件は書けない)。これを何度言っても、西岡理解しないのである

公聴会記録の表紙を画像で送ってさえ、理解しなかった。

 

こんな連中の書いた本の内容を、どうやって信じる? だから否定論は出鱈目なのだ。あった・なかったの問題レベルではないのである欧米リビジョニスト論文も幾らか読んだけど、まじで酷すぎるよ。フォーリソンなんか読んでるこっちが頭がおかしくなりそう。ただし、基本的な文献名などの記載は、欧米の方はしっかりしてる。西岡木村よりはその面では欧米の方が信頼できるけどな 

あいつらは日本の恥だ

2021-02-20

『「年収1000万の男性結婚できる女性になる」より「自力年収1000万稼げる女性になる」』ってよく見る言い回しだけどむかつくなー。

なんで結婚相手選択の話と自分自身収入の話が混同しているのか、意味が分からない。

自力年収1000万稼げたとしても、結婚相手には収入を望むでしょ普通は。

『「年収1000万の男性結婚できる女性になる」より「自力年収1000万稼げる女性になる」』って、

二次元批判よりも現実性犯罪を何とかしろ」と同じような理屈だと思う。

本来二者択一にする必要がないものを、無理矢理二者択一にしているという。

こういうのに名前はないのかな。インセル論法

2021-02-19

昨日の話

朝、通勤中のおばあちゃん自転車でこけてばたんきゅーしたんよ

動いてるけど起き上がれない

通勤中の女の人がばーっと集まって、四人ぐらいかな、自転車起こしたりカゴから飛んだカバン拾ったりしてくれてたんよ

ワイもかけつけたけど出番はなかった

夜、帰り道に交差点信号待ちでチャリおっちゃんが着地に失敗して足滑らしてこけたんよ

すぐ立ち上がらんで心配なった

近寄ろうとしたらジョギングの人が旋回しておっちゃんとこにかけよったか大丈夫やおもたんや

けどな、ジョギングの人は倒れてるおっちゃんを赤い三角ポールの代わりにしてターン、素通りしていったんや

酷い

ひどすぎる

呼びかけも助け起こしもしない

おっちゃんに改めてかけよろ思ったら自力で立ち上がってたわ

大丈夫なん?って声かけたげればよかったわ

2021-02-18

男が「ブスは嫌い」って言うと炎上するけど

女が「おっさんは嫌い」「ハゲは嫌い」って言っても無風どころか称賛の嵐なんだよな。

年齢もハゲ自力じゃどうにもならんことなんだけどな。

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