はてなキーワード: 経済的とは
ばかだな。せいぜい月の電気代が1-2万上がるだけだぞ
2-3万のボロアパートなら上がった電気代含めても出費を4-5万に抑えられる
断熱効果のあるちゃんとした物件だと普通に7-8万かかるし(もっと高いかもしれない)、ましてやその物件ですら冷暖房入れる必要あるだろ
せいぜい冷暖房を節約できて数千円だろうし、普通に考えたら安普請で冷暖房入れるのが経済的に決まってるじゃん
資源の観点から見たらアホまるだしけど、現代の市場経済では不動産リソースのほうが強いからしかたないね
ガスとかエネルギー高騰してるから逆転する可能性はあるけど、現状だと上が最適解だからしょうがないね
冷暖房つけると5万とか行く家賃が1-2万の物件がゴロゴロしてるような地域なら別だけどな。
あんまり想像つかないけど、そんな地域あるのかな。少なくとも都市部だと物件のほうが高いので、エネルギー燃やしたほうがお得です
「実家で自分の子供部屋で生活する成人男性/女性」という定義だそうだが、就職して実家から通勤するだけのことが何かそんなにも問題なのだろうか?
実家から通勤できるのにわざわざ住まいを買ったり借りたりして1人暮らしをするのは、経済的に非合理ではないのだろうか。
実家から通勤する「こどおじ/こどおば」の収入で実家の家計が成り立っているような場合だってあるのではないだろうか。
「引きこもり」のような事態になるのは、親元を離れて家を買って"独立"し、その自宅の中でだってなり得ることではないのだろうか。
「こどおじ/こどおば」の何がそんなにも問題なのかがわからなかった。
言い換えると、「こどおじ/こどおば」という言葉を使いたがる人たちは、一体何をそんなにも問題にしたがっているのだろうか。
40過ぎて結婚せず、実家で暮らしている(家にお金は入れている)私も「こどおじ」だな。
ただし、うちはワケあって実家が借家だから毎月の家賃が必要で、それこそ別々に暮らすことは経済的に非合理でしかない(1箇所に固まって暮らしたほうが生活費が抑えられる)、という事情がある。
配信見ると10000円とか簡単にスパチャする人が大量にいる。
その人は10000円を簡単に他人に送れるくらい金を持っている訳で
一方自分は年収300万にも届かずヒーコラ言いながら日々を生きている。
世の中には金持ってる人もおるんやなーで終わるんだけど
人気配信だと数十人が万券ばら撒いてて
流石に見てて頭おかしくなるし
元々受動的オタクコンテンツって極端に金がかからない趣味だった。
ゲームは6000円とかするけど時間効率考えると端金に近い(数年に一度ハードを買い替えるときだけはしんどいが)
アニメもラノベも金銭的劣等感を感じる機会ってまああんまり無いんだけど
Vtuberの配信って強制的に金銭的劣等感を感じさせられるからきつい。
あれってそれなりに金ある奴ならなんとも思わないんだろうけど
貧乏人って何が楽しくて見続けてるの?
女性から「一緒にいてもつまらない」と言われることが多いんだけど、女性のいう「面白い人」というのがどういう人なのかわからない
俺は大学を出て以来サラリーマンではなくてクリエイターっぽいことをやって生計を立てて生きてるちょっと変わった経歴をもつ人間なんだけど、それの一体どこが「つまらない」男なんだろうか
確かに経済的には不安定だけど、その分新卒で就職したサラリーマンよりよっぽど面白い人生を送ってる自信がある
https://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2006/0516seimukan_pt.html
これ……首相官邸HPに載っている『あったかハッピープロジェクト』とやららしいけれど
釣りサイトじゃないかと疑うくらいに直球ストレートでヤバかった
「今日の深刻な少子化の原因の一つとして、過度に経済的な豊かさを求め、個人を優先する風潮があると考えられる。家庭生活よりも職業生活を優先させ、個人が自らの自由や気楽さを望むあまり、生命を継承していくことの大切さへの意識が希薄化し、「結婚しない」あるいは「結婚しても子どもを持たない」方が、経済的、時間的な制約に縛られることがより少ないという考え方を背景に、非婚化、晩婚化、少子化が進んでいるという側面は無視し得ないと考えられる。」
って、初っ端からまるで統一協会の教義じゃないかと思うくらいのカルト文だし
平成18年の文章とはいえ取下げられもしてないって事は政府の思考は今も多分このままだよね……
実際、『教育と愛国』という映画を見たところでは子供達への教育への愛国心の植え付けや個人主義の否定って明らかに平成の頃よりも今の方が強くなっているし
返す返すもこういう状況で子供を産む人達の気が知れないんだよなあ
この国において、子供を産むという事はこういうカルトな価値観を子供達に植え付けるという事、それをよしとするという事。
やっぱり子持ちはそれだけで人間失格だと思うわ
https://twitter.com/e_ndtw/status/1552124977305907201
妊娠出産育児を尊敬する必要などないし社会貢献だなんて思ってないけれど、
自分は「妊娠出産育児は数ある趣味の一つ。経済的に余裕がある人達がする優雅な趣味なので社会的な支援なぞ必要ない。ただでさえ貧困な独身女性からの搾取をやめて欲しい」という立場だけど
なんで独身女性の権利主張系フェミってこんなタイプばっかりなんだろ
こういうタイプばっかり目立つせいでただでさえ弱い立場の独身子無し女性がますます肩身が狭くなるじゃん。
https://www.coindeskjapan.com/150683/
元の話はこれだと思ってる
(↑で言っている反クリプトの書簡について、情報元が違ったらごめんなさい)
https://p2ptk.org/monopoly/3760
「誇大広告がされているので、盲目的に信用してはならない」という趣旨に対し、「投棄バブル」だが核となる意味は持っているというのは議論が噛み合ってない
宗教二世と言う単語が俄に話題になっており、そう言えば私もそうだったなと思い、なんとなく当時の思い出を振り返りがてら
父親がはまっていた崇教真光について記そうと思う。今までROM専だったので、至らない所があったら申し訳ない。
細かい時期は覚えていないが、確か小学校にあがったあたりで父親が入信。
ある日いきなり家族を車に乗せて連れて行かれたのが西千葉にあった真光の道場(真光は支部を道場と呼ぶ)であった。
崇教真光と言うのは、神道系の流れを汲み、基本は教祖のもと真光大御神と言う神様を祀る新興宗教で、
一番の売りは、御神霊(おみたま)を言うものを装備して手を3回たたくと、手から目に見えない光が出て、
その光を当てると病気は治り食事は美味しくなり機械は治り悪霊は退治できると言う物であった。
この御神霊は初級中級上級などのランクがあり、初級はたしか5万円だか7万円だかを払い、
3日間泊まり込みの研修を受けたら誰でももらえるヒノキの棒のような物であった。
私も小学校2年か3年の時に受講させられてゲットした覚えがある。普段はネックレスのようにして首からさげ、
胸元に御神霊を入れるポケットがある専用のシャツを作ってそこにしまっていた。
体から外す時は、水に濡らすなとか心臓より低い位置においては行けないとかなんか細かいルールがあったけど忘れちゃった。
とにかくこれで御神霊をゲットした者同士でお互い手かざしをして、病気や煩悩などの悪いところを祓う修行をする場
と言うことで道場と呼ばれているようだった。
手かざしをする時の流れは、暇そうな人が集まる待機所に行き「すみません、○○をお願いしてもいいですか(なんて言ってたか忘れった)?」
と聞いて了承を得ると、二人で道場に行き、まずはお互い正座をして向き合って座り、
祝詞をパクったような呪文を唱えてから額に10分間照射するのが始まりだった。
その後は後ろをむいて肩首、うつ伏せに寝て背中、腎臓のあたり、足裏の順で指圧をして硬い所を見つけたらしばらく手かざしをすると言う流れで、
体が軽くなったと喜ぶ人も居たが、たぶん指圧の効果だったと思う。
たまに父親がなんだかんだ理由をつけて若い主婦の鼠径部あたりを執拗に施術?してたのは今思うと普通に痴漢やセクハラの類だったんだなとは思う。
■真光との付き合いや家族の事
宗教との出会いは上記の通り。典型的なモラハラDV親父だったため、母親を始めとして兄2人と妹を含めた4人兄弟は誰も逆らえずに入信。
定期的に道場に行っていたが、おそらく父親含めて誰1人信仰心から行っている者は居なかった。
逆らったり不満を漏らしたりすると、分厚いガラスの灰皿やゴルフクラブが飛んできたり、良いと言うまで正座もしくは町内をランニングなどさせられた。
母親は朝から晩まで会社で無給の事務員をやらされ、空いた時間で道場にいかされ、家事をやるものは居なく家の中は荒れ放題であった。
おそらくは父親自身のさびしさの穴埋めと承認欲求のために家族全員入信と信仰を強いられたのだと思う。
「○○さんのお家はご家族ですごいのね」
今思うと全てがこの一言をもらうためにやっていたように思える。
例えば真光では、体調を崩して熱が出るのは体の自然な状態なので、なるべく解熱剤などを使わないようにし、
手かざしと自然治癒で治そう。ただし本当にやばい時はちゃんと使わなきゃダメだよみたいな教えがあった。
これを先の一言をもらうために、熱が41度出ようが右足に古釘がささって切断寸前までいこうが家族に病院と薬の使用を禁止し、
無理やり病院に連れて行ってくれた先生を呼びつけ罵詈雑言を浴びせ殴るけるをし、自身が経営する会社の金を横領し
道場に高級車や多額の献金をし、子供は学校を休ませて道場にかよわせ、真光一家の子供が集まるキャンプに参加させ、
岐阜の総本山での大集会に参加させてってここまで書いて思ったのですが、宗教と言うか父親の話ですねこれ。
大体土日ともに朝6時ぐらいに起こされて父親の車に乗せられて道場に連れて行かれる。
この時献金用(なんかお金を紙につつんで2礼2拍手かなんかしながらうやうやしく神前に置いていた記憶が)の100円と
昼飯代などを渡され、妹と二人でおいて行かれる。
母親は会社につれていかれて無給で仕事の残務処理を、父親はゴルフなどをしにいっていた。
父親の目的は「○○さんのお子さんは熱心ですごいわね」と言われる事で、
信仰心を満たすためでは無かったためこれはすごく理にかなった行動だと思う。
そして私と妹は、道場内にある託児所のような場所で、布教用の新聞を折る内職をしたり、信者同士で手かざしをしたり、
マイッチングまちこ先生の絵の人が書いた布教用?の漫画を読んだり、道場長(支部長)が幹部候補生(無給で道場の雑務を処理する青年奴隷)に
パワハラしてるのに怯えたりしながら、ゴルフ帰りの父親が迎えに来るまで時間を潰していました。
当時の数少ない娯楽で楽しみにしていた事が2つあり、1つ目は手かざし中にたまに憑依した霊が手かざしの光を嫌がると言う設定で、
普通のおばさんが「ワシは武士だ!」とかいい始めたりする突発イベントだった。私は2回しか見たことが無かったが、
最初は「まぶしい!やめろ!」とか言って目をつぶったまま光を避けようと抵抗してたが、
最後は「あたたかい…」とか言いはじめて最終的にはなんかお礼とか言ってた。
もう1回はなんか頭揺れてうーうー言ってただけ。今思うと後者は寝不足な人が眠気に抗ってただけなのかもしれない。
もう1つは布教(?)に連れて行かれる事であった。これ自体は面白くもなんとも無かったが、外に出られるってだけで嬉しかった。
主婦が5人1組ぐらいのPTをいくつか組んで、ワゴン車で移動して死亡事故があったところを皆で手かざしをしたりしたのだが、
たまーに「手がピリピリする!」とか言う人が出てくると、そこにどうやら成仏できない霊がいるみたいな設定で皆で集中砲火をするのが面白かった。
その浄化作業の後は阿佐ヶ谷姉妹の玄関開けると居る人たちってネタそのままの行動をしてた。
これのために子供会の野球もやめさせられたし、友達と全然遊べなかったのが辛かった。
当時一番嫌だったのが、金曜日から日曜日にかけて行っていた総本山での大集会(なんか名前がついてた気がするが忘れた)。
金曜日の夜に背もたれを倒せない古いバス10台ほどに分乗して千葉の道場を出発し、皆で寅さんの映画などを見ながら金曜日の夜を過ごし
土曜日の早朝に岐阜の総本山へ到着。全国、というか外人さんのために通訳とかもあったからおそらく世界中から数ヶ月に一度ここへ集まり、
手かざしのおかげで病気が治った、事故にあわずにすんだ、なんかしらの災いから逃れられたなどの今で言う嘘松体験のような物を
泣きながらやる発表会や、ありがたいお話を聞いたり、青年会かなんかの歌や踊りを見たり、みんなでお祈りをささげたりしながら、
集会1番の売りである、教祖様手ずから信者に向けての一斉手かざし(※通常は1on1でやるものだが、教祖様は凄いので大ホールに集まっている
全員に一斉に、しかも両手で光を浴びせることができた)を受けて良かったねと言ってまたバスで1晩かけて帰る。
2夜連続で狭く揺れるバスでの宿泊は車に乗ると確実に酔う私には拷問に等しかった。マジで2晩中吐いてた。
またこの集会にはアントニオ猪木をはじめとした国会議員が数名来ていた。その他芸能人も何人か来ていたが、覚えているのは丹波哲郎のみ。
小学校低学年だったため、子供でも知ってる猪木と、映画を見させられた丹波哲郎以外は名前を知らなかったし覚えていない。
全国から岐阜に集まっちゃうぐらい言う事聞いちゃう信者に顔を売ると言うのは、政治家や人気商売の有名人にとって計り知れないメリットがあるんだろうね。
教団側も内外への広告塔として利用価値あるし、統一教会と政治家がずぶずぶなのも何を今更としか思えなかったし、
参加している芸能人はともかくとして、政治家がどこまで本気で信仰しているのかは怪しい所だと思う。
■その後というか話の締めくくり的な物
父親はその後、思春期を迎えた兄2人を暴力で支配できなくなり、母親には小学生だった私と妹を連れられて離婚され、
会社は銀行に没収され、すっかり存在を忘れられていたが、数年前に膵臓がんにかかり長男に会いに来た所、玄関の扉も開けずに追い返されたとの事。
とっぴんぱらりのぷう
■追記
読んでくれてありがとう。自分の中ではとっくに整理がついてたつもりだったけど、改めて文章にしてみると無視してただけで
100%飲み込んだわけじゃなかった感情とかが見つかって良かったと思う。
上には書いてなかったけど、私が小学2年生の時に母親に連れられて秋田に逃げた事があった。
その時は確か3ヶ月ほどで見つかり連れ戻されたんだけど、そこの児童館かなんかで聞いたフレーズでやけに記憶に残っていた。
当時は個人情報にそれほどうるさくなかったから、学校への問い合わせで見つかったっぽい。
その失敗を踏まえて数年後にまずは母親が単身で家出して、生活基盤を整えてから私達を迎えると言う計画に出たが
居場所や計画などがバレないように私達には内緒にして行った物だから、妹と2人でお母さんに捨てられたと絶望したのはまた別の話。
(※兄2人は知らされていた)
>崇教真光の勧誘には会ったことないけど、勧誘に連れてく子供が他人の子供だった(そういうケースもあった)というのは新鮮な驚きだったわ
勧誘は基本的に主婦を積極的に狙ってた。主婦を釣ればほぼ確実に子供がついてくるし、財布を握っているケースも今より多かったからだと思う。
結果として託児所みたいなところがあって、そこに子供を預けて行くシステムが千葉の道場にはあった。他の道場や宗教はわからないけど
どんな宗教でも主婦を狙うのは基本っぽいから、似たようなケースはあると思う。
>経営者の親父は親父で経営者同士の会合とか政治家もいる会合とかで出会った人間に言いくるめられて入ったんだろうな
これはわからないけど、私個人の見立てとしては、めちゃくちゃお金を稼いで社会的には成功したのに人に好かれない寂しさからはまったんだと思っている。
でもさ、反対意見を言った社員を角材でぶん殴ったり、泣き止まないからって理由で子供を3階のマドから吊り下げたり、雪の降る夜に裸で追い出したり
高速道路に捨てていったり、今だったら即懲役になるような事をやるような人が自分を変えないまま新たな居場所を見つけようとしても、嫌われたり避けられる体験が増えるだけなんだよね。
離婚以降は真光をやめて新興宗教を転々としてたって噂に聞いた。
>結局、信仰宗教って最強の弱者ビジネスに思える。経済的、身体的、精神的な弱みに漬け込み、お金と人を集め、それを目当てに寄ってくる人間を利用する。
これはめちゃめちゃ居た。ガンなどの医師からさじを投げられた人たち、今思うと自閉症だったんだなって人のご両親が熱心にお祈りしてた。あと家庭内不和あたりは本当に
石を投げたらあたるぐらい居た。上得意だったと思う。日常で解決できない問題の救いを求める場所って言う意味では良いと思うんだけど、
割りと強引な勧誘がね…。
文明シミュレーションをコンセプトにしたマイクラマルチサーバーがあったら面白そうだと思った。
ユーザーの手で文明が創られ、変化していくようにしていきたい。そのため、運営がユーザー干渉するようなことはできる限り避けつつ、modの導入などで文明が生じるような工夫をしていきたい。
そのためにやりたい工夫は次のふたつ。
基本的にマインクラフトは一人だけでも生きてゆけるようなゲームデザインになっている。しかし、現実世界では、たった一人で人間は生きてゆけない。一人で生きていけないからこそ、協力して生き抜く仲間と協同体ができ、文明が発達してきた。
そこで、一人で生きてゆくのが困難になるようゲームバランスを調整する。具体的には、ブロックの破壊速度低下や道具の制限などを考えている。
マインクラフトと現実世界で異なる点として最も大きいことは、死とリスポーンの概念だろう。現実世界では生殖によって人から新しい命が生まれるわけだが、マインクラフトでは無から人がスポーンする設定になっている。
そこで、当サーバーではこの点を現実世界に近づける。プレイヤーが新しくサーバーに参加するとき、またはプレイヤーが死んでリスポーンする場合、ベッドからスポーンするのではなく、他プレイヤーの居住地域でスポーンするように工夫する。具体的には、プレイヤーが設定しているベッドの周囲◯◯チャンク以内にスポーンする、というような仕様にすればよいと思う。
もしプレイヤーが死亡した場合、いままで所持してきた財産はすべて失い、あたらしい居住地域でリスポーンする。また、各地域でスポーンする確率は、居住地域の人口によって割り振るようにする。
資本主義経済とか社会主義経済の勃興がユーザーの手によって行われたら面白いと思う。経済的な内容を導入したサーバーは既に存在するものの、運営が設計した経済システムにのっとったもので、仕事内容とかも運営が決めたもの。そうではなく、ユーザーが自らが需要を見つけ、自由に商売し始めたり、企業を組織したら面白そう。
あと、個人的に物流とか道路整備に浪漫を感じるので、レッドストーン回路とかを駆使した巨大倉庫とか物流システムが作られたら面白いと思う。納品書とかは手紙使ってやり取りするのだろうか。
安倍晋三暗殺事件をきっかけに統一教会(世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ、反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者のひろゆきと山本一郎なのは興味深い
一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的に1970年代生まれ以下の世代は、保守や愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。
東浩紀(1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会の擁護というより、スターリニズムや連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダンの思考を原理主義的なドグマにしてしまった模様。
一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会と利害関係があるらしい。
https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12
http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html
東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的に統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。
今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国、中国、民主党だけでなく、森喜朗に代表される体育会系、マッチョ価値観の自民党重鎮も不人気で、平然と皇室をコケにする書き込みだって多数あった。非合理的な宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係を肯定する主張は評判が悪かった。
かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難が自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか。
ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国、韓国は儒教国家だからダメだ」と言う人間が少なくない。お笑い草である。戦前までの日本だって支配階級の基本思想は儒教だった。幕末に尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代に朱子学が普及して、「幕府が天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇の教育係の元田永孚は西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教的価値観の産物だ。
だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想の日本は、最初から西洋的価値観の近代国家だったらしい。彼らには古代中世の日本の伝統的価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌や能楽や歌舞伎や浄瑠璃より、漫画やアニメやゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽の予算を削減しようとしてたな。
「保守・愛国を唱えながら近代合理主義で何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代人から見れば非合理な考え方に従っていた古代や中世の人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去の時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去の世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄だから天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。
そうなれば、単に力(財力、権力、情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵やワタミが大統領になったら本当にイヤだぞ。
統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。
https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808
つまり、統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威や先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的に山上徹也個人の家庭を破壊した。
『週刊文春』7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三を暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力で自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年の秋葉原通り魔事件や、2019年の京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったかの説明が抜けている。
リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも、伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家は個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段を継承するために血統の存続が重視され、先祖からの連続性が意識されていた。漁村も商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。
ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口は都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供は家族から切り離され、父親も母親も子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界の歴史 第25巻』(中央公論社)270p)
統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想が伝統的な家族観を破壊した」と主張するが、この解釈は因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果から生まれた思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統的共同体を解体して蒸気機関と工場労働者を世に広めた資本家がいたのである。
逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業を全否定して国民を農村に強制移住させたポル・ポトのカンボジアこそが理想かよ?
先進国では工業化社会がさらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会の要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1)高度経済成長期に中卒や高卒で都市の工場や商店に就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲の家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想に関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。
こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家に従属する義理はないから上京以来ろくに親元に帰らない。長男の長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地や家業を持ってるのではないのだから仕方ない。
統一教会のような保守派は、家族が大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造の問題にまったく踏み込めていない。
困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムかカルト的団体に帰属意識を求める者が増える。
エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教的伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀末から1930年代に昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。
統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者の気持ちが理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいかに狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。
先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルトや宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルのスティーブ・ジョブスのような英才も、最期は近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、非合理的なものへの免疫をつけておくこと必要だ。
そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営の団体も同じだ。
こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いかに社会制度が近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。
あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場の第三者に一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。
これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的に洗脳する側に忖度するように”誘導”することである(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。
その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初はカップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間の常識だと錯覚したという。
これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。
信者は教祖や教団幹部個人の命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。
2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代の社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合、統一教会的なるもの――家父長制バンザイのカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。
実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラやパワハラは嫌われ、体罰や理不尽な校則は廃止される方向に進んできた。
ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。
近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホやコンビニやAIやドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働を人件費の安い海外にアウトソーシングしたり国内の視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生の世界では、依然として日本人相手なら許されないパワハラが横行している。
いかに自由平等人権といったリベラルイデオロギーの字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義は古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制は廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスもアメリカも奴隷制を廃止したが、それはリベラルな人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場と比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。
統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なものを嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会が崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観への Permalink | 記事への反応(1) | 23:06
経済的に困窮している人は違うな
「経済的困窮せしめ社会生活をおくるのに支障を及ぼすようなお布施、献金を法として制限する」って
どういうレベルが「経済的困窮せしめ社会生活をおくるのに支障を及ぼす」なんだろうね?
あの件は聞く限りでは宗教にはまって扶養義務のある者に食事を与えなかったとかいうようなネグレクトじゃないよね
大学進学できなかったって話だよね
~~~~~~~追記~~~~~~~
ブコメやトラバをみて僕の狙いというのをちゃんとかいておくべきだったと感じたので追記。
お布施に上限をつけたい、というのは生きていく上での悩みや不安を少しでも減らしたいと思って宗教にすがったのに
その結果、自分だけでなく家族も含めて今日食べるものにも窮するという本末転倒なことが起きないようにしたいという考えから。
いまはみんな旧統一教会に目を向けてるけどそれ以外にも胡散臭いものはたくさんあるし今後また起きる可能性をなるべく減らしたい。
個人の自由を制限することになるのではというコメントがあるんだけども会社法人における36協定の宗教法人版だと思って欲しい。
会社法人は裁量労働契約の労働者がどんなに働きたいと思っても労働者の肉体的、社会的健康をまもるためにそれを止める義務がある。
生活に支障がでるレベルであればそれを止める義務を宗教法人は持つべきだという考え。
強要が行われていることに着目すべきという意見もわかるんだけど、信心深いひとだと強要だと認識しない、という問題があるんだよね。
なにより強要だ、ということになってくれればすでに現行の法律で対処できる。
あと霊感商法かどうかを基準にしちゃうとぶっちゃけ仏壇や戒名も霊感商法みたいなもんだからね。
(まぁ個人的にはあれも制限していいとは思っちゃいるけど信教の自由の観点から一律に制限しづらいでしょう)
なので「経済的困窮せしめ社会生活をおくるのに支障を及ぼすようなお布施、献金を法として制限する」
が信教の自由をある程度担保した上で依存による生活の破綻が防げるラインじゃないと考えてるのです。
(本文では10万とかにしたけど別に生活が破綻しないのであれば年収の2, 3%とかでもいいとは思う)
旧統一教会の話が最近持ちきりで、旧統一教会を規制しろ、という声をよく見かける。
多分、個々の事案、トラブルには裁判等で対応していくということはできるとは思うんだけど
傀儡となるような人を立てて別の宗教法人を立ち上げるってことも現実的には可能なわけでそれをやられたら結局防げない。
何より日本は信教の自由が保証されているから教義の内容に政府が口出す、ということはできないし
するべきではない。
頭がおかしいとしか思えない教義でも存在は許されるべきではある。
となるとカルト宗教とそうじゃないものの間はグラデーションで「XXと◯◯があればカルト宗教である」という定義はなかなか難しいんじゃないだろうか。
というわけでここ最近、全宗教法人の寄付金詳細の公開義務付けと
一世帯あたりからの寄付の年間総額の上限設定、というのを立法化できないかなと考えてる。(年間10万までとか)
全宗教法人の非課税廃止というのもありだと思うんだけど、その非課税が認められてる建て付けが「宗教法人は営利団体ではないから」なんだよね。
であればそれを逆手にとって営利団体じゃないんだから寄付金、お布施が目的じゃないよね、という感じで押し付けたい。
てか、個人的にも信者の幸福、功徳が第一とか無償の愛だと言っておきながらお布施を払わせる事に矛盾を感じる
前段で日本は信教の自由があるから頭がおかしい教義でも許されると書いたんだけど、
流石に社会秩序を乱すような、例えば人を殺せば天国に行けると言った教義をもとにした「活動」は許されないわけなので
現在では、ヒトの新興感染症の名称に地名は使えないというルールがあるのです。
2015年に中東呼吸器症候群(MERS)という病名によって中東地域に対する差別や経済的な悪影響が生じたのが原因で決まりました。
~~~~~~~追記~~~~~~~
ブコメやトラバをみて僕の狙いというのをちゃんとかいておくべきだったと感じたので追記。
お布施に上限をつけたい、というのは生きていく上での悩みや不安を少しでも減らしたいと思って宗教にすがったのに
その結果、自分だけでなく家族も含めて今日食べるものにも窮するという本末転倒なことが起きないようにしたいという考えから。
いまはみんな旧統一教会に目を向けてるけどそれ以外にも胡散臭いものはたくさんあるし今後また起きる可能性をなるべく減らしたい。
個人の自由を制限することになるのではというコメントがあるんだけども会社法人における36協定の宗教法人版だと思って欲しい。
会社法人は裁量労働契約の労働者がどんなに働きたいと思っても労働者の肉体的、社会的健康をまもるためにそれを止める義務がある。
生活に支障がでるレベルであればそれを止める義務を宗教法人は持つべきだという考え。
強要が行われていることに着目すべきという意見もわかるんだけど、信心深いひとだと強要だと認識しない、という問題があるんだよね。
なにより強要だ、ということになってくれればすでに現行の法律で対処できる。
あと霊感商法かどうかを基準にしちゃうとぶっちゃけ仏壇や戒名も霊感商法みたいなもんだからね。
(まぁ個人的にはあれも制限していいとは思っちゃいるけど信教の自由の観点から一律に制限しづらいでしょう)
なので「経済的困窮せしめ社会生活をおくるのに支障を及ぼすようなお布施、献金を法として制限する」
が信教の自由をある程度担保した上で依存による生活の破綻が防げるラインじゃないと考えてるのです。
(本文では10万とかにしたけど別に生活が破綻しないのであれば年収の2, 3%とかでもいいとは思う)
旧統一教会の話が最近持ちきりで、旧統一教会を規制しろ、という声をよく見かける。
多分、個々の事案、トラブルには裁判等で対応していくということはできるとは思うんだけど
傀儡となるような人を立てて別の宗教法人を立ち上げるってことも現実的には可能なわけでそれをやられたら結局防げない。
何より日本は信教の自由が保証されているから教義の内容に政府が口出す、ということはできないし
するべきではない。
頭がおかしいとしか思えない教義でも存在は許されるべきではある。
となるとカルト宗教とそうじゃないものの間はグラデーションで「XXと◯◯があればカルト宗教である」という定義はなかなか難しいんじゃないだろうか。
というわけでここ最近、全宗教法人の寄付金詳細の公開義務付けと
一世帯あたりからの寄付の年間総額の上限設定、というのを立法化できないかなと考えてる。(年間10万までとか)
全宗教法人の非課税廃止というのもありだと思うんだけど、その非課税が認められてる建て付けが「宗教法人は営利団体ではないから」なんだよね。
であればそれを逆手にとって営利団体じゃないんだから寄付金、お布施が目的じゃないよね、という感じで押し付けたい。
てか、個人的にも信者の幸福、功徳が第一とか無償の愛だと言っておきながらお布施を払わせる事に矛盾を感じる
前段で日本は信教の自由があるから頭がおかしい教義でも許されると書いたんだけど、
流石に社会秩序を乱すような、例えば人を殺せば天国に行けると言った教義をもとにした「活動」は許されないわけなので