はてなキーワード: 経済的とは
それは、中高一貫に進む子の比率が少ない地域に住んでる人が抱きがちな疑問。
首都圏や関西圏には、公立小の成績上位1/3位が私立中に進む地域がある。そういう地域だと、公立中は、教育に興味ない親の子や私立中に進ませられるだけの金が無い親の子、地頭がとても悪い子ばかりになるので、雰囲気が悪くなる。そういう地域の公立中に子を進ませると、地元の開業医の子みたいに頭のいい同級生はいなくて、経済的に苦しい家庭の子や問題抱えた家庭の子ばかりが同級生になるわけ。
そうすると、経済的に余裕がある親は、なるべく公立中には進ませたくない、レベル低くてもいいから中高一貫の私立に入れて避難させよう、となる。そうすると、また公立中から抜ける子が増えて…と、あとはこの繰り返し。
嫁が妊娠中なんだけど
怒られるのが大嫌いだから健診の日の3日前くらいから断食してその日だけ体重が増えすぎないようにして(前回から体重が増えすぎると医者に注意されるから)それ以外は死ぬほど食ってる
朝スタバのフラペチーノとスコーン、昼マックのポテトとナゲットとシャカシャカチキンとCoCo壱のカレー、夜お好み焼きと坦々麺みたいな
クレジットカード渡してるから好き勝手使って食べ物買いまくってる
バランス良く適度に食べてほしい、どれだけお金かかってもいいし週7家政婦でもいいし弁当でもいいしリクエストがあれば俺が作るって言っても「妊娠中の人間しか分からないことがある」の一点張り
どうすればいいんだ
無料低額診療を使いんしゃい。
https://financial-field.com/living/entry-102550
https://financial-field.com/living/entry-140580
というかコロナの時にも書いたけどな
https://anond.hatelabo.jp/20200225112506#
精神科も無料または低額で通える。まずは相談したら良いと思うよ
無料低額診療事業制度の利用方法
(例)失業中、ホームレス、ネットカフェ難民、低所得、DV被害者、外国人
1.相談
制度の適用の有無にかかわらず、まず必要な治療を始めます。少しでも早く治療を始めることが大切です。
↓
2.申請
制度の適用については、担当者が事情をお聞きし、必要な書類の提出をお願いします。
制度の利用が必要とされた場合には適用となりますが、ならない場合でも治療費の支払いのほか、当面の生活などについて、一緒に打開の道をさがすように相談に応じています。他の公的な制度の利用が可能な場合は、その手続きをおすすめします。
↓
3.決定
無料・低額診療制度は、生活が改善するまでの一定期間の措置です。公的な制度や社会資源の活用、生活改善の方向を見つけて、一緒に生活を立て直していきましょう。
※無料や低額になるのはあくまで実施医療機関でのお支払い分です。健康診断・診断書など保険のきかない部分は対象となりません。また、薬局でのお支払いは対象外となります。
東京民医連|医療費でお困りの方へ
長距離爆撃で台北を落とそうとするから、そのあと人民解放軍がどう上陸するかだと思ってる。
いったん上陸すれば台湾人を列に並ばせて両手を頭の後ろにつけて歩かせるようになると思う。
2022-08-11
中国、米国の双方に損害は出るが、それで中国が台湾への主張を止めることはしないはずで、現状に戻るのみ。
経済的には、中国と米国の輸出入を止めると、中国にも米国にも数兆円の影響は出る。
最初から中国側からすると勝っても負けても良いって状況ではないか。
米国は追い払う以上の事をするのだろうか?
巷では公務員が人気らしい。
一方で教員のブラックさが表沙汰となり、成り手が減っているらしい。
国家公務員の人気は減少しているらしい。
本当はどうなのだろうか。
俺は少し前に地方公務員、いわゆる役所を退職して別業界へ行ったおっさんだ。
「公務員でもいいかな」という若い増田(そんなものが存在するのか疑問だ)等へ公務員を目指すべき人、そうでない人について書きたいと思う。
尚、ここでいう公務員とは、地方公務員、市役所、県庁へ務める行政職員を指す。
正誤善悪は別として年上の言うすべき人ことを聞ける人
これらが30年続いてもかまわない人
上記以外の人
年功序列、というのは皆が知っているとおりだが、それが異常なまでに徹底されている。
三十年間何の仕事をしてきたのだろうかと疑わざるを得ないような、本当に何もできない職員がいる。
上司が白と言えばそれは白い。いじめはなかったと言えば少なくとも教育委員会内ではなかったことになる。
上司や先輩は部下に何をやってもいい。顔面をひっぱたいてもいいし、飲み会の席で煙草を顔に押し付けてもいい。
新人の女性職員が入ってくれば品定めが始まり、好色な管理職は愛人候補を探しはじめる。
仕事と言えば文章、特に議会答弁の体裁を整えることに長時間を費やし、しかし議会では答弁書の通りに答弁しない。
ICT、DXが叫ばれているが誰もそれが何なのかを説明できない。精々ZOOM会議することがDXだと思っている。
職場内不倫が横行している。勤務時間内にコトに及ぶ者もいる。ニュースに出る者は氷山の一角だ。
とにかく公務員は潰しが効かない。
経済的な利益を得るための作業をしていない。その行為修正を行うための人件費はいくらなのかという考慮はされず、
「正しい」文書を作成することに無限に時間を費やすのだから、資本主義社会でやっていけるはずもない。
公務員社会にどっぷり浸かった人間は資本主義社会では自分を食わせることができないことが多い。
最初は虐められるかもしれない。陰口も言われるだろう。
しかし、病休育休等々を繰り返していればものすごく楽な部署にしか行かないし、給料は上がり続ける。
椅子を作っただけで救世主扱いされるなろう主人公のような生活ができる…かもしれない。
だからこそ、新卒の人は公務員を目指さない方がいい。貴重な新卒カードは他で使うべきであり、病んでしまったら地元の役所を受ければ良い。
フェミニズムは弱者のための運動の顔をしてるけど、私には強者女性のマッチョイズムに見える。
例えば、私は障害を持っていて一人で経済的な自立をするのが難しいのだけれど、そういう立場からすると女性の社会進出運動なんかを無邪気に支援できない。
ちゃんと経済的に自立できる強さを持った女性ではないから、フェミニズムには疎外されているように感じる。
自立したい人が自立できない現状がよくないのはその通りで、フェミニズムにはそうした人を支援する意味合いがあるのはわかるしそれが今の世の中には必要だってこともわかるのだけれど、私のように男性の庇護のもとにいないと生きていけないし、それでいいと思っている人間の居場所がなくなりそうで怖いのだ。
フェミニズムは正しいのだろうけれど、正しくあるのが当たり前だと主張できてしまう強い女性のための思想、つまりマッチョイズムに見えてしまう。
私のような人間はフェミニズム的には「正しくない」人間なのだろうけれど、そしてきっとこんなこと言っているとただの被害妄想だと思われて終わりなんだろうけれど、フェミニストの方よ、私の気持ちを被害妄想だと思うのだとしたら、それこそがあなた方がマッチョイズムに染まり、結局強者男性の模倣をしようとしているだけであることの証左なのだ。
この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ。
清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口をTwitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。
続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」を書くかは未定。
つまり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが
最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。
とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ
を先に見ていることが前提。
の説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。
1998年 国際大学協会(IAU)声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」による定義です。
「学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由」
人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の載っているような形で説明している。
「一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」
「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」
世間一般の用法という文脈なわけですから、当然、スライドの引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、
同じく 辞書的定義 が与えられようとしているものと解釈されます。
実際に与えられた定義を見てみましょう。
ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります。
と非常に具体的な形になっています。
世間一般の用法として紹介される割には、議論のあり得るところで
「こういうのは多数派も少数派もない、学問の独立って話なんですが、多数派からの圧力は特に抵抗しにくいので」
というふうに説明するほうが世間の認識とあっているように思える。
とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部からの圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書的定義のままだと受け取ることもできる。
ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います。
「現代の誰かが主張している「学問の自由の侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生が定義していると読める箇所を、少し文言を修正の上、抜き出します。
見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生のブログで挙がっている
「中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全な外科的処置である」
などと同じ形式となっている。
ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、
中絶の例ならば、中絶の 辞書的定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、
清水先生は、この文脈での「学問の自由の侵害」とは 辞書的定義 の学問の自由の侵害とは全く異なるものだと論じていることです。
(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリックの解説なので
どう辛いのかについては、「批判対象の曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)
これらは学問の自由の侵害の定義として読むことができるものであり、
先に導入された説得的定義「社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。
ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書的定義)」学問の自由ではない、という論証。
しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。
先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書的定義と認めました。
逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生の独自見解です。
すなわち、この時点で辞書的定義として導入された学問の自由という概念が
「学問の自由を〜と私は定義します!」という約定的定義へとすり替えられているのです。
一旦まとめると、
「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、
「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的な定義の中に紛れこませる(定義のすり替え)」
学問の自由とは
「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの」
まさに、
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
そのものですね。
この一節は憲法学の理論を援用しているため、少し強引ですが理論的定義を示したものとも言えるでしょう。
実際、この定義を根拠に「学問の自由の侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、
要は憲法学の理論「憲法は原則としては国家権力を監督するものであり、私人間効力の議論も私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。
権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、
そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。
ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、
正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で
直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります。
ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。
清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、
書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、
Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。
ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセル・カルチャー」の事例が話されているのですが
これも抽象的な定義の操作に時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。
詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、
これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」に譲り、
当記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります。
清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、
とりあえずここは論点にせず、清水先生の解説をそのまま採用します。
ABORの主張は、
「ナチスの政治哲学の擁護であるとか、あるいは進化論の否定であるとか、 そういうものを学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」
「ナチス肯定論文を学問の自由で擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?
むしろ、何が相手だろうと自由であると肯定する、過激な自由論者ほど否定する内容です。
「大学でナチスの擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか。
まとめると、
最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論の余地のないことしか言っていません。
じゃあなんで議論になるのか。
清水先生の立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が
清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります。
このちょうどいい2人については講演では全く触れない。
特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、
「ちょっとわからない」「詳しくない」「法律の専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」
との返事。
「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。
訴訟の原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば
この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。
またこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。
せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラ・パワハラを長年犯してきた超一流哲学者が大学から追放されたことを、学問の自由で擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。
文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しか出さない。
それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書的定義には触れないで、
何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。
北部は工業化が進んでいたので奴隷ではなく労働者を得る方が都合がよかった
リンカーンが奴隷解放言ったのもそういう経済的な理由であって別に善意でやったわけでも正義が勝ったわけでもない。
経済的な都合だよ〜。
世の中には飛び級で修士や博士を取る猛者もいるけど、研究のペースなんて人それぞれなんだから、自分のペースで納得いく研究をした方がいいよ。
私の周囲には、ボスが厳しくて5年在籍して博士号がやっと取れた人や、妊娠出産などライフイベントがあって4年で取得した人、定期的にメンタルがやられて4年で出た人、などなど3年以上在籍で博士号取った人がたくさんいるので、在籍年数はさほど大きな問題ではないと思ってるよ。
増田のように、研究の遅れに加えて経済的な事情もあって、1年休学して翌年に取得した人もいる。1年働いてお金を貯めて、休学中に論文書いていた。多少の実験であれば、ボスのはからいで許されていたらしい。国立だったので休学中の学費は免除されていた。
研究計画性が最も重視される研究機関(理研とか)に就職したいのでないなら、在籍年数よりも研究の内容を大事にしよう。アカポスの面接は研究者なんだから、研究内容の面白さを重視する人が多い。だからこそ論文は在籍年数よりも優先順位が高い。
私の周囲にも、ボスが放任過ぎて、博士課程に6年在籍したのに博士号取れなかった人がいる。彼はうちのラボに来てテクニカルスタッフやってたけど、再就職もうまくいって今は他大学でベンチャーの職員をしているよ。
アカポス以外の道もたくさんあるよ。DC1取ったけど、その後にアカポス行けなくて、弁理士の資格取って働いている人もいるし、アカデミアは肌に合わないから数年でやめて、ラボの共同研究先に就職した人もいるよ。
才能がある人が多い世界ではあるけど、凡才だけど研究が楽しいから続けてる人もいるよ。あと一部の突出した才能の持ち主以外、アカポスにつけるかどうかは運。
今、増田は疲れがピークに来ているから、人生について悲観しちゃうと思うの。1週間でも1か月でも休んで、疲れをとってくれ~~
日本だと2020年の中絶件数が14万件ぐらいなので全部強制的に産ませてれば大きな影響はあった
中絶の理由は経済的理由ばかりではなく、産んだところですぐ死ぬ障害児や生涯重介護なのとかいるから生産人口に回れるとは限らないが
障害児の世話に一生を捧げないといけない親、レイプ犯の子供を産む小学生、逃げた男の子供を産んで高校中退しないといけない15歳とか
将来、中国のGDPが世界一になり、米国と差がついた後、中国がどう振る舞うのか。
日本のニュースだけを見ていると、中国は、台湾の後、東の日本へ進出し、太平洋に繰り出していくって考えてしまう。
ちょっと調べると、中国が主張している九段線で南沙諸島に繰り出し、フィリピン、ベトナム、マレーシアまで出ていこうとしてるくらいまでは、まぁわかる。
日本にいると米国寄りの主張ばかりで、タイトルに書いたように中国の人達はどう考えてるのかわからん。
一部の中国人は日中戦争の仕返しと盛り上がるのもわかるが、多くの中国人からすると無関心だろう。
中国のメンツを重要視すると同時に利益も取るのであって、今更日本を侵略してもな、とも思う。
建前上は西側陣営と価値観を共にすると言っているが、根本的に理解出来ないので1番最初に発表できず、どこかの国が発表した後の正解がわかっている状況でしか表明出来ない。
一帯一路構想は批判されるが、カリフォルニア州知事は指示してたりする辺り、経済的には利益あるんだろう。米中間の海運でのコンテナ運送数凄いし。
2022.7.24 一般公開シンポジウム 「フェミ科研と学問の自由」
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI
長いため講演部Part1~Part5+質疑応答の6部に分割する。
分割の境界はスライドにある番号に従うが、副題は増田の判断である。
スライドはすべて図表のない文字ベースのものであったため、引用記法を用いて本文に組み込んだ。
講演部については、「女性スペースを守る会」が公開している文字起こしをベースに、
増田が誤字の修正や、句読点の変更、改行の追加などの編集を行った。
まず、江口聡先生による、8/9のブログ記事は必読だと考える。
加えて、講演に対する批判として書かれたものではないが、一般論として「キャンセル・カルチャー批判」的な立場で書かれたベンジャミン・クリッツァー先生の記事、
なども参考になる。これら2記事は、江口先生も講演に欠いている「ミルのタイプの言論の自由の擁護」として紹介されている。
また、あまり整理がされていないが、この講演に対するTwitter上の批判的な反応を一覧できるものとして、
他、法学の専門家による分析という点で他になく注目に値するものとして、
(あと、この書き起こしを編集している私自身も手前味噌ながら批判記事を書いている。「清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう」anond:20220809001101 )
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2457s
40:57~48:23
清水さんは東京大学大学院総合文化研究科で教鞭を執られています。
研究関心としては非規範的な身体と性の政治、とりわけ身体の他者性、自己表象と生存の戦略、可視性を巡る問題などがあります。
最近は英語圏のフェミニズムおよびクィア理論史を改めて辿ることにも興味があるとのことです。
主な著作に、
Lying Bodies: Survival and Subversion in the Field of Vision、英語の本です、2008年、
「埋没した棘――現れないかもしれない複数性のクィア・ポリティクスのために」、2019年、
『フェミニズムってなんですか?』、2020年、などがあります。
清水晶子:
はい、ご紹介ありがとうございます、清水晶子です。もうそのまま入っていきますが、
本日は「学問の自由とキャンセル・カルチャー」というタイトルで報告をしたいと思います。
少し方向性が違うかもしれないんですが、よろしくお願いします。
学問の自由とは
「学問の自由という原則は、学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由と定義できる」
学問の自由というところからいきたいんですが、学問の自由とは何を指すのか。
政府なり場合によっては非常に強力な宗教だったり経済的な権力だったりというところからの圧力を受けることなく、
さらに言えば個々の研究者が、大学当局だったりとか大学の経営陣あるいは多数派の社会的通念・経済的な要請などからの
不当な干渉や抑圧を受けることなく、学問的良心と手続きとに従って真理を探究する自由、というふうに考えることができる。
例えば、1998年の国際大学協会声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」という文書があるんですが、これによると
「学問の自由という原則は、学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者・教員・学生が、
倫理的規則と国際的水準に関して学術的コミュニティが定めた枠組みの中で、
そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由と定義できる」というふうにされています。
学問の自由というものの基本がここにあるというふうに考えると、フェミ科研裁判の文脈における学問の自由の主張というのは、
ある意味まさにここに相当するもの、王道の部分というふうに言うことができるというふうに思います。
「過激な性教育・ジェンダーフリー教育調査プロジェクトチーム」
残念ながら、日本でフェミニズムとかマイノリティの政治に関わる研究者にとって、
今言ったような意味での学問の自由というのは、必ずしも安定して保障されてきたものではない。
だからこそ、その必要性というのはしばしば痛感もされてきましたし、主張もされてきました。
2000年代前半のフェミニズム女性運動へのいわゆる「バックラッシュ」いうのがありまして、
ここでは与党自民党のプロジェクトチームにおいて、ジェンダーという語それ自体の使用に疑義が提示されたりしている。
2014年には、いわゆる「従軍慰安婦」問題を取り上げた広島大学の研究者の授業というのが、
先ほども産経新聞出てきましたけど、ここでも産経新聞ですが、産経新聞によって吊し上げにあって、
批判や抗議が大学に殺到し、日本科学者会議広島支部幹事会が学問の自由の侵害であるというふうにして、
産経新聞に抗議をする、声明を出すという事態になったりもする。
もちろんさらに記憶に新しいのは、2020年日本学術会議の会員任命拒否ですね。つまり当時の菅内閣総理大臣が、
日本学術会議が会員候補者として推薦した内の6名の任命を拒否した、というかしなかった件ですよね。
この任命拒否については、憲法23条の保障する学問の自由を脅かすものであるというふうにして、
2011年11月に、日弁連が「日本学術会議会員任命拒否の違法状態の是正を求める意見書」というものを総理大臣に提出をしていると。
この意味での学問の自由の重要性というのは、本日のシンポジウムのいわば前提になっているものだというふうに考えます。
差別的・抑圧的な言説に対して政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを「学問の自由の侵害」とする言説
その前提をご確認いただいた上で、私の報告は少し角度を変えて、学問の自由という主張や枠組みがどう利用されているのか、
もう少し強く言うと、どう濫用されているのかでもいいかもしれないんですが、それを考えたいと思います。
今申し上げたように、従来はそして一般的には、学問の自由というのは、
国家とか、強力な宗教団体、経済団体、多数派の社会通念や経済的要請、などなどの圧力を受けることなく、
研究者の社会的通念と研究の手続きに則って真理を探究する自由を指す、というふうに理解されています。
力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、
研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのものです。
ところがこの学問の自由の主張が、全く逆のベクトルで利用されることがある。
すなわち差別的・抑圧的な考察や言説に対して、政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを、
これは「学問の自由の侵害」であるというふうにする言説、というのが見られるようになっている。
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
けれども法的な解釈とは別のところで、こういう言説上の戦略というのが一定の効果を持ってきているのも事実です。
二面での闘い
結果として、フェミニストとして学問の自由を考えるにあたって、
私たちは一方では、フェミ科研裁判のように国家による学問の自由の明白な侵害というものと闘わなくてはいけない。
けれども同時にもう一方で、学問の自由というのが、差別的あるいは抑圧的な現状を追認し、
抑圧されてきた側からの異議申し立てを封じる目的で動員されるということに対して警戒をしなくてはならない。
学問の自由を巡っては、フェミニストには現在そういういわば両面での闘いというものが要請されている。
この現状は忘れるべきではないと思います。
実は今日、私からお伝えすべき論点はそこに尽いているので、ここで報告終わってもあんまり問題ないっていう感じなんですが、
ちょっとさすがにそれでは簡便過ぎるので、この後の時間を使って、
こういうタイプの、マイノリティの権利主張を抑圧する目的で動員される「学問の自由の侵害」という枠組み、
この言説というのが具体的にどう現れてきたのか、
これが非常に大きな論点になってきた英語圏の動きというのを中心に、簡単にまとめてご説明したいと思います。
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
本来は去年博士号とってアカポス就職する予定だったけど博士号の修了要件が満たせなくて留年中
今年中に論文出す予定だったけど、今の研究の進み具合から言うとそれも無理っぽい
もう1年やれば?って思うかもしれないけど、在籍年数が4年を超えると学費免除もなくなり、大学からの生活支援もなくなり、もう経済的に破綻するしかない
事前に立てた計画通りきっちり3年で修了要件満たしてサラッと修了していく他の院生を見ると、正直劣等感しかない
これ以上続けても赤字を垂れ流すだけだし、自分に才能ないのもわかってるからもうここらへんで大学をやめようと思ってる
平凡な幸福が欲しければ、労働強度があまり高くなくて給与もあまり高くない職に就いて、それで満足できるよう性格改善をすべき
経済的裕福さが欲しければ、その一発逆転に賭けて高収入職に就き、新卒からそこで働いていた人たちと自分との境遇・能力等の格差にコンプレックスを抱きながら生きていく覚悟をすべき
東浩紀「テロは断固許さないという決意は繰り返し表明し続けるべき」〈AERA〉https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dot.asahi.com/aera/2022080100036.html?page=1
まーあいたたな気持ち悪いコメントばかりのことで、山上はテロリストでないと声高な人達ばかりでゲンナリしてます。
何度でもいいますが、山上徹也はテロリストで安倍暗殺事件はテロ以外何ものでもないです。
選挙中に元首相の国会議員が演説していて銃撃されて殺されているのにテロでなかった事件などないです。
もっと社会やニュース勉強し直してほしいですね、こういうコメント見ていたり、ガーシーとかが参議院選挙で当選したり、昨今の著しい日本の経済的衰退だったり、日本の途上国化を意識せずにはいられないです…
こういった人達主張の理由づけに山上の動機に政治的意図が窺えないといった理由が挙げられています。
ですが、まだ裁判も始まっていないので動機の全容は明らかではありませんが、犯行前に書き残した手紙には安倍晋三についてこう書かれています。
苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではない
以上のように犯人自身も安倍晋三本人が本来の敵ではない事を認めており、殺害する理由として安倍晋三を殺害することで反統一教会のメッセージを送り、社会を変えようとしたのは明らかで、政治的な動機としては十分になります。
明治維新まで持ち出してテロじゃないというアホな豚を相手にしたくはないのですが、今の今まで言い続けてる人がいてびっくりしてます。明治維新時の封建社会下の民主主義の制度が整備されてない時代とは全く違いますし、そのくらいのこともわからない人はあんまり相手にしたくありません。
明らかにテロであるものをテロではないと言うのは、鹿を指して馬というような、戦争ではなくて軍事作戦と言い換えるようなことと、同種の欺瞞としか感じないです。