はてなキーワード: フリーズとは
大学受験でどの大学選ぶか悩んでいる時期の話なんだけど、ちょっとトラウマっぽいけど微妙な所だから書いて整理する。
既に世界は氷河期を食らったあとで、まあ世の中ってのは「もう東大に行こうが無駄だ」「とりまIT業界はオワコン」「文系は無価値な詐欺師。理系は専門家気取りの素人」「とりまこんな世界にした竹◯をぶっ殺す」みたいな言説が溢れていた。
今思い出すとあれは今Twitterで流行ってる不幸自慢が半分ぐらいで、大袈裟な表現を繰り返してとにかく反応を待つという側面も強かったんだろうな「友達3人が持ってる」を「クラスのみんなが持ってる」に言い換えるようなレベルの幼稚な過剰表現だったんだろう。
うちの家系はなんか公務員一家みたいなところがあって、公務員の父と専業主婦という組み合わせの親戚ばかりだったから「実際世の中どうなの?」と聞ける相手もいなくて、頭の中はネットの情報ばかりに偏っていった。
漠然と将来はプログラマーになりたいという気持ちがあって、それは結局子供の頃にゲームクリエイターになりたかった夢を現実的なレベルに調整しようとした結果だった。
でもIT業界は終わってしまったっぽいので、そこに近い辺りの電子工学系に進もうと思っていた。
それでオープンキャンパスとかで情報収集してそれぞれの学科の将来像を聞いていくと、なんだかどこに行っても自分は社会で生き残れない気がしてきた。
日本じゃ自動車業界が強かったらしいけどリストラ沢山したと聞いているし、韓国とかが伸びてるっぽいから日本の大抵の業界はもうかなり厳しいとかそんな話もネットでよく見た。
厳しいノルマを課されて生き残れるのかって考えだすと、全部もう無理だと思えてきた。
それがどっかで負の無限ループを頭の中で組んでいって、少しずつ増えていくうちに、段々とメンヘラ系の話題をネットで収集する傾向も増えていった。
ある日親に
「最近、希死念慮がある。もしかしたら、子供の頃からずっとあったのかも(自分、背が小さくて臆病だからいじめられっ子だったし……)」
と相談した。
うちの親はなんか大学で心理学をちょっと齧っていたっぽくて、そんで今でもたまに図書館から借りてきた心理学の本が机の上にもたまにあったからナニカ分かると思った。
そしたら親は思いっきり鼻で笑ったんだよな。
「いやいやそんなん希死念慮のうちじゃないって。大丈夫だって。受験勉強が辛いから現実逃避で変なこと考えてるだけだ。寝るか勉強しろ」
って。
まあ確かにそうなんだと思う。
漠然と死にてえ居なくなりてえ疲れたもう辞めてえ未来見えねえ理想通りじゃねえ自信が持てねえ皆に嫌われてる気がする迷惑かけてる気がするから親からも鬱陶しがられてるとしか思えねえみたいな気持ちが溢れていただけで、実際に行動に移したかと言えばせいぜい首吊ロープの強度はどれぐらいがいいかまで調べたぐらいだった。
高いビルの上にいると手すりの先に吸い込まれてしまうような恐怖心があって、若干高所恐怖症ぎみみたいな時期だったけど、通学のときにホームや電車に吸い込まれそうになる感覚とかは全然なかったし、希死念慮と言うには遠かったのは事実だ。
でもうっすらそれに近いものが始まってたと思うんだよな。
希死念慮って医者も認めるラインが10ででそれが100まで溜まったら本当に死ぬとして、自分はまあまだ1ぐらいとかだったんだろうけど、それまでは0.05ぐらいだったのが気づいたら20倍になってたわけで。
たとえば小学校の頃に、サッカーの授業が終わったあとにサッカー部にやたらガミガミ言われたのが嫌で次の体育の日に休もうとしたときも、とりあえずその日だけ休もうぐらいまでしか考えてなかったけど、高校時代はそういう人間関係のゴタゴタや学校での失敗があるたびに退学がよぎったし、その退学したあとの世界で想像する自分はそのまま引き籠もって一ヶ月後~20年後とかのどっかで首吊ってた。
なんかこう勢いよくネガティブな方向に吹っ飛んで行きたがるような衝動というか、結局逃げ癖みたいなもんなんだろうけど、その範囲が人生全体に及んでいる状態だった。
とにかく人生そのものが失敗作にしか思えないし、世界そのものも毎日ちょっとずつ嫌な気分を積み上げてまで生きるに値するようなものだとも思えなかった。
まあ全体的に気分の沈み方が人生でも上位一桁代に入ってた時期だった。
その頃に親に相談してみて帰ってきたのが、「その程度で」っていう鼻笑いだったんだよな。
はぁ……やっぱ駄目だなまだ引きずってるな。
こっちの聞き方が悪かったり、実際受験勉強とか将来を考えるのが辛くて逃げたい時期だったのはまあそうなんだろうな。
そこで親としては「ここで変に甘ったれることに成功体験を積ませられない」とか「変に希死念慮があると言ったら思い込みでもっと悪化するかも」とか考えたんだろうな。
本当に言葉に詰まったなかで、もうどうしようもないからで笑うしか無かったのかも知れない。
でもあの笑い方はやっぱ鼻で笑ってんだよな。
「オマエごときの人生で悲観的になるとか人生経験しょぼすぎんだろざっこwwww」っていう気持ちがその時は見えたんだよな。
少なくともその時は。
それが本当にそうだったのかは分からないのは知識としては分かるんだけどな。
人間の記憶が無加工で情景を絶対記憶するビデオカメラじゃなくて印象を中心にそれっぽい情景を当てはめるフィーリング手動の再現映像でしかないって。
でも自分の記憶にあるのはやっぱ、鼻で笑われたことなんだよな。
いやまあ自分で読み返して思うよ、なんか私可愛そう感出して承認欲求満たせないか狙ってる面倒なやつでしかねえなって。
でもそれを精神がヤバい時期に親に笑われたのはやっぱ根に持って良い気がするわ。
やっぱトラウマっぽいなー。
コレ思い出すたびに、「親の葬式で手を合わせないで遺灰ぶちまけてやりてーな」みたいな気持ちが湧いてくる。
大事に育ててくれてありがとうございますクソムシに育ちましたよくそったれってかましてやりてーなって。
人間関係ってどうして絶対にやっちゃいけないミス一回で壊れそうになるんだろうな。
人間の脳みそなんてバグばっかなんだから、とっさにリアクションミスるぐらいいちいち気にしてられんじゃん。
昔のPCがしょっちゅうフリーズしてたり、今でもブラウザやゲームが突然クラッシュするのと同じ程度の頻度で人間なんてバグんじゃん。
分かるんだけどな。
分かるんだけど疑いが消えないんだよな。
クリーンではない事を売りにしたキャラクターがヒットした場合。
その影響力はかなり大きいと考えられる。だからクリーンに変わっていくのが望ましい。
視聴されなくなって衰退していく未来が待っている。
だからコンテンツのアップデートはシンプルに人気作品の交代を意味するんだ。
ここまで考えて、
部署移動により海外の同僚と仕事をすることになったので英会話を習い始めた
コーヒー飲んでたら現地の同僚が
って聞いてくる訳よ
聞き取れたんだけど意味がわからず、いや直訳って意味ではわかんだけど、
なんでローマ?
打ち合わせとかでそんな話しあったっけ?
僕が彼らにローマに興味あるようなこと話したっけ?
(この間2秒くらい)
と思って聞き返しても同じこと言うし、
恐らく、What do you mean?とかDo I have to go to Roma?とか聞き返して会話成立させるんだろうけど、フリーズしてしまった
結果的には「週末にローマに観光に行くのか?」ってことらしいんだけど脈絡なさすぎて、英会話教室だとwhereとかweekendとかsightseeingとか先生は使ってくれるじゃない!
Are you going to ~の会話が成立させれないないなんて、初めから自信ないけどこれから伸びてく自信もなくなるわって思った、
なにより同僚に申し訳ないし。
@saorin0212
私が今回実名で声上げたのは今後の公金や諸々助成金やメディア出演等を全て捨てる覚悟で大袈裟でなく本当に人生かけて発言を決めたので、その位の覚悟ないと本質に切り込む発言はできないんだと思った。
未だ他のNPOが声上げない現状もだし普通は色々なしがらみや大人の事情があるのかもな #アベプラ
@saorin0212
32分
んー🤔本質に切り込めてない感じで言いたい事沢山なんだが結局テレビ仕様なのかな?
こういう声もある。
もらっているのは内輪だけ。
大空幸星
@ozorakoki
ここまで話してこんな感じとは残念!行政やNPOのSNS相談はほぼLINE相談。携帯を買い与えられている子どもだけでなく全ての子が1人1台端末やパソコン室等、どこからでもチャットで相談できる仕組みが必要なので進めてきた。ネット上でずっとやっている話は不毛で終わせてくださるそうなの期待してます!
@fujitatakanori
返信先: @immr96さん
出るよ。今村ネキも観てね。MCの大空幸星さんのNPOの1億5000万円の開発費を叩いてやっから笑
これは全額公金で税金なんですよね。
もう一つを叩き出したら、こういう話にしかならない不毛なことをずっとネット上ではやり続けています。
クソくだらない話は終わりにしてやるから、見ろください。
これはColaboの違法な不正会計をバラせば怪文書を流して補助金をカットするって言う脅し。脅迫ですね。
コラボに不利な監査結果が読み上げられるとあごに手をやってますね。動揺が隠せない。どう嘘をつこうか焦りまくり。バレバレ。
既に日本財団の回し者で税金を横領していることはわかっているので、今度書類を開示請求しよう。語るに落ちすぎ。
@kappa_koubou
今回の経費計上問題において、Colaboの貸借対照表を作成したのは #矢崎芽生
NPO会計基準会計、NPO法人会計基準専門委員 基準の策定有識者。一連の不当計上では、公認会計士協会懲戒処分対象?#暇空茜 #仁藤夢乃 #colabo
BAR HOPPER
@syge3
1時間
今、#アベプラ に出てる #若原芳治 (税理士・公認会計士)、若原会計事務所(愛知県)って、 #矢崎芽生 さんが理事を務める #NPO会計税務専門家ネットワーク に所属してる人物だね。
#Colabo問題
⬇️
https://npoatpro.org/index.html
公開名簿
⬇️
https://publish.d2courmges1yt4.amplifyapp.com
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はっきり言って馬鹿だろ。完全に利害関係者じゃないか。白って言い切れない以上コラボはクロ。不正どころか税金横領しているでしょう。歯切れ悪すぎだしよく出てきたわ。
藤田孝典はColaboの活動内容を知らない。特殊だ必要だというだけで中身を知らない。大空も知らない。だから擁護できない。
簡単に言うとコラボは税金を横領しているだけでなにもしていない犯罪者だから。
誰も知らないんだから活動しているわけがない。そら擁護も難しい。藤田孝典は消されるのはちょっとかわいそう。
@fujitatakanori
仁藤さん、colabo、他NPOも総じて出演にいたらず、断定的なことは何も言えない状況下でしたが、現状を知る人が増えればよいと思います。
ね、知らないでしょ。
やん
@skd7
これからアベプラでColabo問題を扱うのですがリディラバ安部敏樹と藤田孝典はColabo側の人間というのをまずは抑える必要があります。秋葉原、オタク文化叩きという点ではひろゆきもColabo仁藤夢乃と対して変わらなかったりします。ただひろゆきの意識は一般人と同じなので安部、藤田よ…
@miyawakiatsushi
@miyawakiatsushi
論外だよ、こいつ。
からかさ
@2TVTAqwjHqF7G9K
でなきゃこんなことは言えないよ。領収証が盗まれたら個人情報が漏れるから領収証がない?じゃあ自腹でやれよ。甘えたガキかよNPO法人って泥棒の集まりなんですか?
これも事実。
Jordu (城堂 慎之介)
@Jordu04776828
#Colabo
#Colabo問題
#ブント
http://toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2933&syosekino=2002
そもそも監査結果が出る「までに」出せないのは不正であり違法。健康診斷じゃないからね。完全に終わってるよ。コラボは税金を横領している極悪非道な反社です。やっているのは恫喝ばかり。これが違法じゃなくてなんだよ。さっさと特捜が家宅捜索するレベル。弁護士事務所もそう。厚生労働省と法務省は有識者会議をやり直し。法律も見直し。
あとこんな不正経理をやってだまくらかして大空を黙らせてたらNPO法人なんてやらないよ。大空の言うとおりだよ。藤田孝典は大空ではなく正論に破れた。
・コラボなどの女性支援団体が公的機関のバックアップを多大に受けたり行政や立法に関与したりしてる件
・自民党がカルト宗教である統一教会との関係をいまだに精算してない件
他にもいろいろあるんだろうけど卑近な例として三つほど挙げてみた
これら全部に共通してるのは、持ち上げる側(東京都、自民党、朝日新聞)の選定眼というか、こいつはちょっとヤバいから撥ねとけ、みたいなフィルタリングが機能してない点なんだと思う
俺の親類に自民党の地方議員やってる人がいるんだけど、数年前にその人が統一教会系の団体の催しに出席したことがあったのね
俺はその人に「あれは統一教会系だから距離を取った方がいい」と伝えたことがあったんだけど、まあ案の定全く理解して貰えなかった
その人曰わく「あの団体は慈善活動を特別熱心にやってるし多額の寄付も欠かさない、素晴らしい団体だ」と
で、昨年安倍総理が銃撃された事件後しばらくしてその人と話す機会があった
その人は「統一教会ってそんなに嫌われていたのか」とショックを受けてた
なんかね、判断基準が古いというか、その古さを脆弱性として相手から付け込まれてるというか「良いことをしてるかどうか」だけでフィルター機能の判定が終わっちゃってるっぽいんだよね
その人に、統一教会の過去の所業をまとめたサイトをいくつか見せたんだけど、その人マジでプログラムのバグのように固まってしまってたよ
「好意的につきあうべき」と「批判的に接するべき」が同時に発生して、脳がフリーズしたんだと思う
コラボの件にしても、代表者の常日頃からの攻撃的な言動やヘイト発言の数々が東京都の担当部署の判定のパラメーターに取り込まれてないんだと思う
たぶん「良いことをしてるから」だけでもろもろのフィルター機能全部通過しちゃってるんじゃないかな
だからこれから求められるのは、東京都や自民党といった大きくて公的な機関のフィルター機能をどのように改善していくか、なんだと思う
たとえば反社会的組織と交際したらコンプラ違反でペナルティ食らうとか、そういう仕組みにどのように落とし込んでいくか、なんじゃないかな
趣味の相談ではあるけど、統計やデータ分析のスキルは持ってたほうがいいと思ったりはしてる。
弊社、バカばっかりで、1,2,3、いっぱい、くらいしか数の概念がない。
大好きな規制要件に「統計的に証明しろみたい」な文言があったりすると、フリーズしてる。
偉い人がガイドラインの説明会を聞いてきて、俺なんかより馬鹿だから理解できず、そのくせ、「ガイドラインは順守しろ」という感じで工場にぶん投げる。
pdfになってるレポートの数字から手打ちでExcel、デタラメな数式にデタラメな解釈。
数字はわからんのに、ガイドラインばかり読んでる言葉の定義にうるさいジジイ達ばかりなんで、どうでもいいところで会議は紛糾。
本来、俺なんかがやるべきじゃない、データ分析が俺のところにきてたりする。
本当は、専門家に投げるべきなんだろうけど、弊社社員はなにをどう分析したいかというのが言語化できない(言語化できたら分析は終わったようなものだし)。
Colaboは活動の中身の妥当性や合法性、整合性といったロジカルな点よりも「共感」を大事にしていた。
「私達が良いと思ったんだから良いの!」で突き進んでいた。
共感が何よりも大事で後は四の次以下と言う、最近のフェミ界隈でありがちな考え方である。
これは問題を起こすまでは強いバイタリティを持つ。だからColaboは億を超えるお金を動かせた。
それまでの活動の裏返しである非難の応酬を受けて自分達の活動の源泉である「共感」を否定されたことになるが、じゃあどう考えなおせばよいのかという解を持たないからだ。
動き出すことはあっても「リーガルハラスメント」などの意味不明なロジックを探し当てることが精いっぱいだ。
ロジカルに生きよう。
なんだっけ。忘れないうちにメモ。
最近、ゴッホの絵画など芸術作品にトマトスープをかけたり、ウォーホルのアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激な抗議活動が耳目を集めている。
ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。
もちろん許されない犯罪として国内外で報道されているわけだが、しかし、海外のメディアでは、テロという表現(ラベリング)は少なく、抗議団体が自称するCivil resistance(市民的抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道はニュートラルに構えているのだろう。
そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人の想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285
しかしそもそも、テロという認識が日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。
https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/
そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代の人権の歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムにビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動家グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャスト・ストップ・オイルの活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースのインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイルを選択した理由を次のように説明する。
「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たちの優先順位が絶対的におかしいということを言いたいのです。アートに美を見出し、ギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」
アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である。
この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。
アリストテレスの時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨を理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。
これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館が環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。
そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。
しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。
おおざっぱにいうと、日本人は経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉の定義から始まり、指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人の自分からみると)。
一方、構造化された概念、ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモや過激な運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念がオルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。
そのもうひとつの理由が、市民的不服従という考え方や人々の認識の違い。
欧米では、恐らく日本人が想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体の価値を社会変革のダイナミズムとして認めている。
それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動の趣旨は理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。
この違法性というのは、実は重要な視点。それを理解するには、市民社会を根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。
近代から現代へ20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。
日本の学校では昔から、社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。
しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。
他者危害禁止の近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗の暴力性を認める市民権が存在する。
考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的に憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命のトリガーになりかねないボトムアップの暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府がおかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚を絶妙なバランスで持たせる機能を果たしているともいえる。
マルクスの時代、そしてワイマール憲法の時代、社会権を育んできた思想運動や社会の歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗の暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗の暴力は資本主義社会のなかで、たまたま労働がキーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマはシステムにビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日のSDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。
なので、抵抗の暴力が労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメントの市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。
ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。
一方日本では。
「労働」というキーワードで戦後、日本ははじめて市民的不服従の権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代の要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈。
しかし、その権利の過激な行使は、1950年代から60年代、大衆の心を猛烈にイラつかせた。
日本の高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。
民間では、1960年の三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社は家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争やストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらにベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼の政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。
国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会に迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれた暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識が支配的になるきっかけだったんだろう。1973年の最高裁は、それまでリベラルと保守の裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社の民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争の旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。
ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従の暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。
その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。
例えば、正規雇用、非正規雇用のギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップに非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法をさらにメタな視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。
歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタな視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権の普遍性や憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法の思想の根拠はと問われたときにフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思の議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションのオーナーシップの違いとも思える。)
欧米の環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。
既存の規範に書いてないものであっても、新たなムーブメントの意味を真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。
そのムーブメントの暴力性を違法と認識しつつも、時代のダイナミズムとしてとらえようとする、というか。
繰り返すと、
・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。
・憲法など国の根本的なシステムのアップデートするのに必要な社会のダイナミズムへの関心の低さ。
この二つをひとまとめにして、斎藤幸平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的に重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。
884 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ ad0d-o+MF)[sage] 2022/11/07(月) 14:23:32.38 ID:G609kZvd0
東「できないんだったらいうなよ!(女をチラ見)」
東「じゃあ!おれは!突発を二度とやらんよ!ドン!ドン!ドン!ドン!クルン!(机を4回たたきながら)期末で!それだったらいいんだな?」
イキリチー牛の辻田どうしていいのかわからず、ドンドンに合わせて無言で指揮をとる
女「(不貞腐れて目を合わせない女が東をチラ見)そんなこと思ってません」
東「じゃあなんだよ?じゃあ俺は二度と突発しないぞシラスで」
女「そんなこと…」
東「お前ふざけんな!(かぶせ気味に)」
女「てか東さ…」
東「ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!フザケンナ!(上ずった声で)」
イキリチー牛の辻田どうしていいのかわからず、フザケンナに合わせてリズムをとろうとするがずれる
東「お前さ、突発をやるってことがどんだけ大変なことがわかってんのか」
女「わかってますよ」
東「おっけぇ、じゃあもういいや、もうやめよう(立ち上がって両手を広げアメリカ人のように観客にアピール)じゃあもうやめよう」
イキリチー牛の辻田どうしていいのかわからず、チョッチョッチョとラップを始める
東「じゃああなたが突発やればいい。あなたが突発やればいい。あなたが×〇△▼◎いいよ。(呂律が回らなくなる)俺は突発をやって支えてんだよ(経済面で俺が養ってやってるとアピール)」
女「もちろんそれはわかってますよ」
東「それを!それを自分でもできるんならあなたがやってくれ!うぇぁ俺はもう帰る!フザケルナ!フザケルナ!フザケルナ!」
東、何かを忘れたのが戻ってきて机のものをとってまた去っていく
「冗談じゃないよ!冗談じゃないよ!ホント冗談じゃない!そしてホント冗談じゃないよ!これは!これはジョウダンジャナイ!ジョウダンジャナイ!あなたが突発やればいい!あなたが突発やって支えればいい!」
イキリチー牛の辻田、びびってシュシュシュなどと発し言動が挙動不審になる
女「そんなこと一言も言ってない」
東「(突然優しい口調になり)おれはぁ!今日のイベントはでる!でもぇ、そして12月16日も出る。でもぉもう二度と突発はシラスでやらないからな(バタンッ!)」
イキリチー牛の辻田のチョチョチョあぅあぁあぅという音声が入って終わる
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1588826809591771136/pu/vid/576x1280/djAUEdQiyOyip1s0.mp4
ハッタショワイは何かをやろうと思ったのに他のことに上書きされて行動待ちのまま止まってる状態がよく生じるんや
そこに"台所に行く人"という刺激が生じると行動待ちフリーズが解除されて行動が始まるんや
ポイントはその時「コーヒー淹れようとしてたんだ、思い出した」という思考が挟まるのではなく
外部から刺激を受けたことも含めて、フリーズしてた間のことはザ・ワールドを食らってたかの如く意識から飛んでるねん
主観的にはただ「コーヒーを淹れようと思ったから台所に向かった」だけで「自分は自分のタイミングで動いてるだけ」というのは本人的には嘘やないねん
大学生の頃、講義中に鞄に入れていた財布からお札が抜かれていたことがあった。
少し特殊な講義で、荷物は同じ空き部屋に置いて、作業服を着て作業場(屋外)過ごしていた。
誰でも出入り自由な空き部屋に、貴重品を置いていたのが悪いんだが。(という自覚はあるからその手のコメントは間に合ってます。)
で、とりあえず盗られたことに気づいてすぐ担当の助教授に報告したら、最初に言われたのが「なんで置いておいたんだ?盗まれても良かったのか」だったのでびっくりしてしまった。は????と思ったし、実際しばらくフリーズしてしまった。心臓がバクバクした。良くないですみたいなことは言った気がする。その後のやり取りはあんまりよく覚えてない。
盗まれたという話を同じ講義を受けてた人たちにしたら、他にも同じような被害に遭った人がいたことが判明した。そしてそれを誰も学校側・講師側に言っていなかったらしいことも分かった。ちょっと意味が分からなかった。それを被害に遭って発覚してすぐ報告してくれていれば、二次被害は防げていたのでは?と思ってイラッとしてしまった。自衛できていなかったくせにね。
でもあの場でスマホ以外に財布をちゃんと持ち歩いてた人なんてごく僅かだと思う。偉いね。
あと外部犯の可能性は薄いので、おそらく同じ講義を受けていた同じ学年の誰かがまぁ犯人だろうと思うと、もう気持ち悪くて最悪だった。
でその後、教務課かな、事務系の方にも報告した。
講義とか時間とか日付とか場所を聞かれたりして。そこでも同じ講義取ってる人からそういう報告はないと言われびっくりした。なんでやねん。
結局その後日、講義開始前に盗難が遭ったことの報告、貴重品は持ち歩くよう言われたこと、あとなんか誰かがツイッターに○○の講義で財布盗まれたみたいな書き込みしたらしくて苦言を呈された気がする(俺じゃないぞ)。
ってことがあったのを自衛とか防犯のこと考えてると、時々思い出す。
なんかそういえば前日にコンビニに買い物に行って買い物して、そこでお札を使い切った気がするからもしかしたら、あの日元々財布にお札は入ってなかった気がしなくもないなと思いつつ。もう記憶は定かではなくて。入ってたとしても2000円とかだった気がするし。そこから持ち運ぶお金は最低限にしたり、今では基本キャッシュレスだからそもそも財布持ち運ばないとか。気をつけてる。
あとは中には言い出しづらい被害があったりするのも承知の上だけど、それでもやっぱり犯人の逮捕だったり、二次被害の抑制のためにも、自分が被害者になってしまったら、然るべきところに報告をするってのは大事だと思うから、そもそも被害者にも関係者にもなりたくないんだけど、なってしまった時はちゃんと報告しようと改めて思ったし、実際してる。
それにしてもせっかく?報告したのに、なんで自衛が足りないにしても被害者の落ち度を最初に責めるかなぁ、言い方どストレートすぎやろ、悲しいなの気持ち。
特定されないようフェイク入れてるから伝わりづらくて申し訳ない。
終わり。
「子供ほしくないの?」→
知的障害者の子どもを生む可能性が仮に高かったとしても、それを躊躇するのは教科書的定義通りに言うと障害者差別だ。知的障害者だからと言って幸せになれない訳じゃないし、彼・彼女の人生には俺たちと同じちゃんとした意味がある。
だけど、現実には、養育や子ども本人の苦しみが確かにある。社会環境が未熟なために苦しみが発生するんだけど、困難に手をこまねいてる社会側の怠慢・差別は、文句を言ったとて直ぐに消えてくれたりはしない。だから、親が障害者の子を避ける差別は、必ずしも親に責任があるって事にはならない。親としての選択の重みを知らない部外者に口を挟める道理はない。選択を尊重するしかできない。
でもシンプルに親が差別主義者だから飛び出した発言って可能性もありうる。そういう場合には注意しなくちゃいけない。
どっちだ…? 見極めるにはどんなコミュニケーションを計ればいい?
コミュニケーションは事前に計画できない。相手に合わせた対応が必要になるからだ。そしてその結果、関係性が壊れてしまう怖れと、差別解消の機会を活かさねばならねばという使命感の天秤は揺れて、迷った挙句保身に走ってしまうことになる。俺も実際言われたら、黙ってしまうと思う…。
https://i.imgur.com/CsJedLV.png
■スペック
Celeron N3450 RAM 8GB SSD 240GB
・使用期間:10日くらい
■その他
・ClipChampで動画編集、書き出し可能(書き出し時間は2〜3倍程度)
・Linux環境でVSCODE,Filezilla,mousepad,Brave,discover使用できた
・Flex側でChrome、Linux側でBrave上げても問題なく動く
■?なところ
・Linux側でIMEを最初に1回オフオンしないと一部キーが反応しない
■感想
今日もまたひとつ英語が苦手な理由をみつけた。言い訳がまたひとつふえた。
「言いたいことが英語で言えない」の原因は「英語力が低い」だと思ってる人が多いけど、実は「日本語力が低い」が本当の原因であることがマジで多い。 - Togetter
仕事で英語を使うんだが、英語をまじめに勉強しだしたのは、まさに仕事で必要だからだった。
そうすると何が起きるかというと、
時間が経てば、自分の仕事に関することやプレゼンは英語でなんとかできるようになるんだけれど
日本語でも普段から、そんなノリのいい会話をしているわけではなかったから、ノリについていけないし、雑談力を磨こうとも思っていないし、
どうしたら英語で楽し気に雑談できるか、まじめに考えたことがなければ、結果としてそうなる。
しかし、ひとたび話題が仕事の話に戻り、専門的な事項について話が及ぶと、急に身を乗り出して
熱弁をふるい始めてしまう。